2016年12月06日

都会のヤモリ

先日の出張帰り、最寄駅から雨の中を歩いていたところ
地面にヤモリがいました。

指がプックリしていて、なかなか可愛らしかったです。

セミナーで人の内面にばかり注意を向けて
色々な匂いが入り混じった新幹線でグッタリした後だったので、
人間以外の動物がなんとも穏やかに見えたものです。

都会のアスファルトの上を歩くのは、一般的なヤモリの生態からすれば
あまり望ましい環境とはいえないのかもしれません。

それでも不平不満とは無関係に、ただ偶然めぐりあったその環境で
ただ生きているヤモリの姿には、世間一般の人間とは違った魅力を感じます。

目標や夢を抱いたり、問題を解決したり、自己成長したり…と
置かれた状況を打破しようとするスタンスが多い世の中だからこそ、
その場所で生きるだけのヤモリに、多少の憧れも抱いてしまうのかもしれません。

ヤモリ

cozyharada at 23:11|Permalinkclip!心理学 | 全般

2016年12月03日

観光客向け

大阪出張のときの滞在場所は、だいたい心斎橋近辺です。

このあたり、外国人観光客が非常に多い。
西洋人もいますが、アジア人が中心の印象を受けます。

コンビニに行っても中国語での表記があちこちにあったり、
コンビニの店員も中国人だったり、
ときにはコンビニ店員と観光客が中国語でやりとりしていて
こっちが異国情緒を感じたりもするぐらいです。

先日、セミナーで使うプロジェクターの接続用に
コネクターを購入する必要があって、心斎橋近辺で探し回っていました。

そもそも心斎橋には大型家電量販店も、小さな電気屋も少ないみたいで
唯一見つかったのがデパートの半分ぐらいを閉めるラオックスだったんです。

ラオックスなら配線機器ぐらい打っているだろうと高をくくっていましたが、
店内に入ってみてビックリ。

もうそのデパートの建物1つ分すべてが外国人向けでした。
日本語を探すほうが大変なほど。

ラオックス以外のフロアも家電以外の外国人観光客向けの商品で占められ
中には「こんなデザインの着物は日本人だったら着ないだろう」というような
一風変わった和服の店なんかもありました。

くだんのラオックスについても、売っているのは中国人に人気の家電が中心で
単価の安いケーブル類やアクセサリー類なんかは扱っていない様子。

店員に一応聞いてみようと話しかける相手を探したところ
店内にいたのは一人残らずアジアの国出身の人ばかりでした。

結局、近くにいた中国人らしき二人組(名札の名前を見る限り)に聞いたところ
あまり日本語が分からないのか、店内のことに詳しくないのか、
一人が店の奥にいた別の店員を呼びに行きました。

連れてこられた人も、やっぱり日本人ではない。
東南アジア系で、名札と顔から察するにタイかベトナムか、そのあたりでしょうか。

とにかく店員として見当たるのはアジア各国出身の人ばかり。
店内の商品も外国人観光客向けのものばかり。
案内表記も外国語がたくさんの感じ。

建物1つがすべて免税店になっていたようなので
そもそもの想定が日本人向けではなかったんでしょう。

むしろ僕が行くべき場所ではなかったようです。

大阪の心斎橋あたりは、外国人観光客向けのビジネスも重要みたいです。

外国人向けとして特化したほうが商売はしやすいのかもしれませんが
こちらからすると、いささかやりすぎなようにも感じられます。

外国人に合わせるために、基準が日本のスタンダードから外れてきて
もはや日本らしさが失われてさえいる印象を受けます。

仮に、利用者の求めるものに合わせるのがビジネスのコツだったとしても
利用者の都合に振り回されることとは別物のような気もします。

なんだかエスカレートしていきそうな予感もしますし、
ブームが去ったときにどうなるのかも気になっがりします。

同じく心斎橋で、少し前に建てられた(改装された?)ホテルがこちら。

外国人がイメージする日本の雰囲気を強調したような
なんとも不思議な外観に見えます。

きっと、このホテルなんかもスタッフは外国人向けを想定しているのでしょう。
案内表記なんかも興味がわきます。

日本よりも日本らしさが強調されつつ、
でもスタッフや表記が日本ではない…。
そんな不思議な日本があるのかもしれません。

まぁ、僕が宿泊することはないでしょうから
実情を知ることもできませんが。

IMG_1057

2016年12月01日

言語のメタ認知

母国語であっても間違って覚えていることは意外と多いもののようです。
しかも間違っているかどうかにも本人は気づけません。

僕の場合、学生時代から「傾向性」という単語が気になっていました。
研究発表でデータを解説するときに「〜な傾向性が見られます」
のように言う人がいたんです。

「性」の部分は「〜な性質」、「〜な特徴」を述べています。
例えば「積極性」となれば「積極的な性質」つまり「積極的に行動する傾向」です。
「性」は「傾向」と同じような意味だといえます。

いわば「〜な傾向がある傾向が見られます」のような感じ。

実際に辞書で「傾向性」をひくと単語そのものは存在していて
それはもっと抽象度の高い意味、つまり
「傾向を持っている性質」ということになります。

例えば「動物の行動には傾向性がある」など。
「動物の行動はランダムではなく、ある傾向を示す」という性質を述べる場合です。

もちろん僕が研究発表で聞いた「傾向性」はこっちのニュアンスではなく
「傾向」そのものの意味で使われていました。

このあたりのことは「なんとなく多くの人の使い方と違う気がする」という
違和感のレベルで気づくことはできます。

が、そこから辞書で調べようとでもしない限り
違和感のままで流されてしまうことが多いのではないでしょうか。

違和感さえも抱かなければ、意識にさえ上がりません。

僕の場合、「傾向性」は違和感として記憶に残っていたんです。
そのあとも何人か「傾向性」ユーザーと出会いました。
もちろん指摘しませんし、そのことについて話すこともありません。

ところが英語を勉強するようになって
「傾向」にあたる単語「 tendency 」を使おうとするうちに、
外国語だからこそ言葉の使い方に慎重になってきたようです。

「 tendency =傾向」という翻訳だけでは使い方がよく分からず
結局のところ、英語のままで「 tendency 」の使い方を気にするようになりました。

結果として日本語での「傾向」についても理解が深まったわけです。

日本語でも気になりますから「傾向性」についても調べてみようと思えましたし、
「じゃあ英語でも”傾向性”にあたる単語があるのか?」と調べたりもしました。

ちなみに調べた範囲では、「傾向性」にあたるのが「 tendentiousness 」のようですが、
意味合いは日本語の「傾向性」とはチョット違う印象を受けます。

「 tendentiousness 」は「偏向性」のような感じみたいです。
「特定の方向に強く偏っていること・性質」といったニュアンス。


なんとなく気になっていたレベルの言葉が
外国語を勉強することでハッキリしてくるみたいです。

同様に母国語だけだと、
似たような言葉の意味の違いが分かっていないこともあるようです。

例えば「関係」と「関係性」。

「夫婦関係」と「夫婦の関係性」はどのように意味が違うでしょうか?

「関係」は「関係がある」という動詞から派生しているものだと思いますが、
「AとBには関係がる」なんて表現を当たり前にしておきながら
「関係」と「関係性」の違いは、よく分かっていないまま過ごしていました。

これも英語で勉強しているうちに納得できた部分です。

英語の場合、「関係」は「 relation 」で、「 relate 」という動詞が名詞化したものです。
一方「関係性」は「 relationship 」。

つまり「 A relates to B」が「AはBに関連している、AはBと関係している」なので
「AとBとの間には何らかの関わりがあって、独立にバラバラなわけではない」
という話をしていることが分かります。

その「 relate 」が名詞になったので、「 relation (関係)」は
「何かと何かが関係していること(独立してバラバラではないこと、影響があること)」
だといえます。

ですから「AとBの関係」となると、
「AとBは互いに独立で影響し合っていませんか?
 それとも何かしらの関わりがあって影響が及ぶ範囲にいますか?」
のような話だと考えられます。

そうなると「AとBは夫婦という関係です」のように
「二人が近い距離にいて、家族を構成するメンバー同士」の意味が出てくる。

「親子の関係」、「友人の関係」、「教師と生徒の関係」のような使い方です。
お互いが独立ではなく、それぞれが相手に対して役割や立場を持っている。
そんな話になる、と。

一方「 relationship (関係性)」は、
「その関係( relation )がどのような性質をもっているか」の話。
「How does A relates to B?」を説明する内容です。

なので「AとBは親密な関係性にある」とか、「関係性が良好・悪い」
「関係性が改善する・悪化する」などのように使われるはずです。

AとBが関わりを持っていることを前提として、
「じゃあ、その関わりの様子はどんな感じですか?」
という話が「関係性」の中身ということでしょう。

僕のこの理解は日本語の辞書で調べたものではありません。
英語学習者として大人になってから「 relation 」と「 relationship 」について
客観的に理解しようとしたために見えてきた部分です。

おそらく英語ネイティブの人でも、
日本人が「関係」と「関係性」の使い分けを曖昧にしているのと同様に
「 relation 」と「 relationship 」の使い分けが曖昧な人もいると想像します。

大人になっての語学は、客観的に分析する視点が身についているからこそ
言語そのものの性質にも学びをもたらしてくれるように感じます。

そしてそれは母国語にも影響する。

外国語学習は、母国語も含めて
言語能力そのものを上げてくれるような気がします。

cozyharada at 23:03|Permalinkclip!NLP | 心理学

2016年11月28日

2月の講座に関して

以前の記事で書いた日程とは異なりますが
次の講座日程を確定しました。

2月5日(日)です。

その次は4月になると思われます。

内容はまだ決めていませんがコミュニケーションの系統で考えているところです。

感情の扱いやパートのあたりなどを含めても良いかもしれません。

自分の気持ちに気づいて伝わりやすいコミュニケーションをしたり、
自分の内面を統合したり、
他者の心の動きを理解したり…、
といった感じでしょうか。

となるとリフレーミングも混ざってくる気がします。

詳しくは開催日が近づいてから案内する予定です。

2016年11月25日

地域の名産

出張が増えて面白いと感じるのは、
さまざまな所で地方色が感じられることです。

なかでもコンビニは同じように見えるからこそ
その中身の違いに気づくことができます。

もちろんコンビニの種類そのものにも地方色があるようです。

札幌にはセイコーマートという北海道を起点とするチェーンがあるようですし、
名古屋はサークルKが他よりも多い印象があります。

それ以上に品揃えの違いが興味深いんです。


名古屋では自然と、いわゆる「名古屋メシ」の種類のものが目につきます。

パンのコーナーにも小倉マーガリンがよく見られたり、
赤味噌系のものも見受けられたりします。
豚汁なんかも赤味噌なのは、いかにも名古屋という感じでしょうか。

大阪はレジ横の揚げ物コーナーに種類が多いようです。
とり天とか、ちくわ天とか、天ぷらものも並んでいます。

もしかすると麺類の味付けなんかも違うのかもしれません。
食べる機会がないので分かりませんが。

札幌の場合、ほかの地域にはないぐらいバリエーションが豊富です。
羊羹パンとか、ガラナとか、ラーメンサラダとか、やきそば弁当とか
地域色の強いものもコンビニにありますが、
セブンイレブンのオリジナル商品でも種類が多いんです。

パンなんかは他では見ないものが色々。
なんでも新商品を試す場所でもあるんだという話を聞きました。

さらに、他と同じ商品でも名称が違っている場合があります。
トウモロコシは「とうきび」と表記されています。
から揚げは「ザンギ」です。

あとは原材料の産地で北海道が強調されていたり。
「十勝産あずき」なんてのは良く見かけます。


そういえば山口に住んでいた時は
広島近辺で有力な「ポプラ」というコンビニが沢山あったものです。

地域ごとの文化の違いは、コンビニでも見て取れるようです。

輸送の手間を考えれば、地域ごとに基点を作って展開するのが妥当でしょうから
各地に合わせたものが生まれてくるんだろうと思います。

店内を見ているだけでも意外と楽しいものです。

2016年11月23日

こだわりの方向性が変わる

コミュニケーションとかNLPとかのトレーナーをやっていると
他人の相談を受けたり、悩みに取り組むお手伝いをしたりすることが増えます。

最近は個人的にカウンセリングを受ける機会を減らす方向にしていて
その代わりに、講座の途中で質問に応える形で
内面的な取り組みのサポートをしたりすることが増えたようです。

セミナー中のメタファーもご参加の方のお悩みを踏まえながら選んで
講座の内容とは直接関係の薄いところで
内面的な課題にアプローチするようなスタンスになった気がします。

以前は、休憩時間中の質問から
「それについてはセミナーの内容の範囲を超えているので
 個人セッションをお勧めします」
なんて返答することもそれなりにあったんですが。

おそらく悩み解決のお手伝いを仕事にしたい気持ちが強かったんでしょう。


このあたりに関していうと、
セミナー中のデモのスタイルにも反映されていたようです。

技術をとにかく身につけたくて、いろいろと試してみたかった時期は
個人セッションも積極的に受けようと頑張っていた頃でもありますが、同時に
効果を最大限に高めるために多くのことを色々と詰め込もうとしていた気がします。

知っているワーク、効果がありそうな技法などを沢山盛り込むことで
一度のセッションや一日のセミナーを豪華で凄いものにしようとしていた感じ。

中華料理でいうと満漢全席を振る舞おうとするかのようなイメージでしょうか。

当時はセミナー中のデモであっても、テキスト通りではないことをしたり
効果がありそうなワークを思いついたらやってみようとしたり、
とにかく色々とやってみたかったんだと思います。
セミナーにも数多く参加して、手法を色々と知りたかった時期でもあります。

この頃の経験を通じてワークの原則や、どのようにして変容が起こるかなど
人の心の仕組みを理解するための経験を積ませてもらいました。

料理一品あたりの仕上がりは低くても豪華なメニューだったとは感じています。


その後、セミナー中の内容を出し惜しみする時期がやってきました。

なんでもかんでも詰め込むのではなく、
セミナーのカリキュラムとして決まっていることを
丁寧にやっていく感じです。

この頃はセミナーそのものの分かりやすさ、内容の伝わりやすさを重視していて
あまりテキストから大きく逸れたことをしないようにしていました。

他のセミナーに参加したり、本やビデオを見たりして学んだ技法も
ストックとしては色々と持っていたと記憶していますが、
沢山持ってはいても使おうとはしていなかったようです。

逆に言うと、原理や原則のようなものが掴めていたのかもしれません。
色々とやらなくても原理が分かっていれば効果の出るものを
やたらと詰め込まなくても大丈夫だと思っていたようです。

1つのセミナーでは決まった内容だけに絞っておいて
他の手法は別の機会で紹介する。
そういう割り切りもありました。

その分、個人セッションでは柔軟性を発揮して、
目の前の相手にとって効果の高そうな方法を
その場で工夫していくようなことを好んでいた気がします。

「深入りした内容は個人セッションで」というスタンスもこの時期です。

中華料理でいうと、いくつかコースメニューがあって
コースの範囲で一番美味しく作れるように努力する感じでしょうか。
その一方で日替わりメニューとか、一品もののアラカルトもあるようなイメージ。

見た目の豪華さは減ったものの、コースメニュー全体のバランスを考えたり
1つ1つの料理の味を高めたりはできてきた頃だと感じます。


それから人の心の変容について、本質が掴めてきたような印象が出て
変容が起こるのに派手なワークは必ずしも必要ではないと思い始めました。

セミナーの内容がどんなものであっても、
個人的な内面の課題を扱わないコミュニケーションのセミナーであっても、
セミナーという場で人と人が関わることを通して
気持ちが楽になったり悩みが減ったりしていくことを見てきたんです。

それから技法へのこだわりは小さくなりました。

中華料理の喩えだと、料理が美味しいかどうかに注意を向けていたけれど
どんな栄養が摂れるかも大事だったんだと思い始めた感じです。
漢方とか医食同源を気にし始めたイメージでしょうか。

足りなかった心の栄養を補う。
そのための工夫に気持ちが向いてきた気がします。

セミナーの内容や形、関わりの立場なども
あまり気にしなくなったようです。


最近はセミナーの種類が限定されてきていて
同じような構成のものを繰り返すことが日常となっています。

以前は同じ内容を何度もやるのは嫌だったんですが
それも工夫したい気持ちの表れだったんでしょう。

内容や形が重要ではないと実感してきたからこそ
同じ内容であっても気にすることなく取り組めるようになったのかもしれません。

中華料理でいえば、決まったコースメニューを繰り返していますが
医食同源のスタンスから、その座席のお客さんの健康状態に合わせ
少しだけ素材や調理方法をアレンジしてお届けする感じ。

一品ものや日替わりなどのアラカルトは
さまざまな制約から控えている状態でしょうか。

以前のように自信の一品を食べてもらいたい欲求はなく、
むしろ決まったコースメニューでもベストを工夫できる分
わざわざ特別な機会を必要としなくなったとも言えますから、
アラカルトを我慢しているわけではありません。
提供したいとは感じていないだけのことのようです。

ですからセミナーのスタイルは、いたって決まった通りの内容を
テキストに沿った流れで進める感じだと思います。

流れを大きく外れることはしないようにしていますし、
実習の時間がスムーズになるように分かりやすいデモを心がけています。

とはいえ、以前に割り切ってカリキュラムだけをやっていた頃とは
気を配っている範疇が違っていると思います。

今はカリキュラム通りにやっても、その場での交流を通して
心の栄養補給という観点から効果を出そうとしている感じです。

説明部分ではメタファーに工夫をしたり
一人一人のワークの実感度合いが上がるようにサポートをしたり
前よりも繊細なお手伝いの形になっている気がします。

欲張らずにベストを尽くせるようになったのかもしれません。

コースメニューはありきたりな中華のセットでも、
高級食材をふんだんに使ったセレブな中華料理店でもありませんが、
1つ1つの料理には丁寧な仕事がなされているようなイメージでしょうか。

ただのシンプルなチャーハンや餃子だけれど、ちゃんと美味しい。
そんな感じを心がけているように感じます。


随分と移り変わってきたみたいです。

cozyharada at 23:22|Permalinkclip!NLP | セミナー情報

2016年11月21日

寝心地と夢

最近気付いたんですが、
どうもホテルに泊まると悪夢を見る確率が高いんです。

覚えている夢の多くが、日中に意識へ上がった内容から
連想されるようなものだなのに対して、
なぜかホテルだと変な夢が多いようです。

僕にとっての「悪夢」は、だいたいが虫の類い。

ウジャウジャした感じ。

…今こうして「ウジャウジャ」という文字を書いても
不快な気分になるぐらいなので、
夢に見た後の目覚めは良くありません。

まあ、そもそもホテルでは熟睡できていない気がしますし、
途中で起きるとこが多いのも関係するかもしれません。

ふと思ったのは、
隣の部屋からの騒音の影響もあるかもしれない
ということ。

イビキや水回りの男が漏れ聞こえてくると
そこから不快なイメージが連想されるんじゃないか?と。

寝返りも打ちにくかったり、
乾燥も酷かったり、
寝起きで身体が痛いことも多いですから、
悪夢が加わると体力が回復しない感じがします。

近頃はホテルの予約も取りづらいようなので
あまり贅沢は言えませんが、
疲れを溜める要因は避けたいものです。

cozyharada at 23:38|Permalinkclip!心理学 | 全般

2016年11月18日

予想外の感情

身体の固まったところには感情が溜まっているという考え方があります。

ライヒの『筋肉の鎧』という言葉を使っていたそうですし、
ハリウッドでやられる演技のトレーニングの中にも
個人の感情的な癖を取り除くために体の緊張に意識を向けて
そこを緩めていくものがあるらしいです。

実際、体の緊張した部位に注意を向けて、思い出される記憶を探っていくと
様々な感情的な出来事がよみがえってきます。

マッサージのような施術を受けていても
身体の固まりが緩むときに感情が沸いてきたり
昔の記憶がよみがえったりする経験があります。


自分で感情のわだかまりを解消しようとしたら
身体の緊張に意識を向けていくやり方もあるわけですが、
実際のところ、体の強張りに気づきにくい部位もあります。

そもそも体が固まるということは、その部分への意識の度合いが低く
普段から注意が向いていないから動かさないままで固まってしまい、
固まっていることにも気づきにくくなっている、というのが実情でしょう。

ですから「固まっている部分に意識を向ける」作業そのものが
それほど簡単ではないと思われます。

固まっている部分や緊張している部分を緩めようとしても
そもそも本当に固まっているところほど自覚すらできず、
緩める以前の段階で止まってしまいがちだ、と。

その点、マッサージのような施術を受けるのは効果的だと感じます。
自分では気づくことさえできない強張りを外からほぐしてもらえますから。

ただこの場合、本当にガチガチに固まっていることもあるようで、
「こんなところがこんなにも強張っていたのか!」と驚くほどです。
そして、強く押されると凄く痛い。


マッサージにおいて痛みを感じるほどの圧をかけるのかどうかには
流派や考え方によって違いがあるようですが、
自覚しずらい部位となると少しの刺激でも痛みが感じられるようです。

僕が最近発見したのは、脇のあたり(肩や腕の付け根近辺)には
自覚しにくいレベルで相当な固まりがあるということ。

しかも他の場所と違って、痛みの質が耐え難かったんです。

おそらく、ここには感情的なわだかまりも追加されていた気がします。

溜め込んでいた感情が強く結びついている場所。
ゆるめるときに感情が蘇る程度も大きかったようです。

他では感じたことのない「苛立ち」や「不満」が意識に上がりました。

別の場所だと痛みを堪えることもできますし、
痛くても気持ちがいい感じの場所もあれば、
痛くて逃げたくなるようなときも、謝りたくなるようなときもあります。

でも痛みに苛立ちが混ざったのは初めての体験でした。


どうも「脇のあたり」という場所が関係している気がします。

脇には内面の状態が色濃く表れるものです。
特に、生存レベルでの安心度合いが関係しそうな印象があります。

不安げな人や自信の小さい人ほど脇をしめている傾向が見受けられます。
ときにはギュッと脇の下の空間を閉めて、隙間をなくすようなことも。

逆に、地位や権力、格闘的な強さ、経済力などに自信がある人は
脇の下に空間を作っていたりします。

やってみると感じられるかもしれませんが、
脇の下を開けておくというのは意外と心細い感じがするものです。

実際、緊張した時には両肩が首の方向に近づくように力が入り、
脇の間がすぼまるようなことが頻繁に見受けられます。

おそらく僕の場合も、脇のあたりの強張りは
何らかの内面的な反応を反映していたんでしょう。

そこを緩めたときに苛立ちが出てきたということから推測すると
不満などを我慢して、グッと耐えていたような部分があったのかもしれません。

不満を感じても表に出さずに堪えるような傾向が
脇のあたりの痛みと連動した苛立ちに関係していた気がします。


自覚しずらい部分から出てきた反応だからこそ
普段は意識している以上の感情にも気づけたのだろうと思います。

自分だけで全てに気づくというのは難しいものだと実感しました。

cozyharada at 23:43|Permalinkclip!NLP | 心理学

2016年11月15日

親子の伝承

以前から知っていたものだけど
改めて興味が高まる時期というのがあるのかもしれません。

最近、ふと『コア・トランスフォーメーション』について
色々と見直していました。

特に日本語でやった場合、どうしても翻訳の都合で
多少のニュアンスの違いが生じます。

開発者のコニリー・アンドレアスは言葉選びに敏感で
意図する方向で受け取ってもらいやすい質問や
意図しないニュアンスで解釈されないための言葉遣いを
物凄く慎重に選んでスクリプトを作るようです。

その部分をきちんと理解しておこうという気になったので
英語で調べてみることにしました。


その過程で、
マーク・アンドレアスというトレーナーを見つけました。

コア・トランスフォーメーションのセミナーを担当していたり、
NLPや催眠療法のセミナーもやっていたりするようです。

おそらくコニリーの息子でしょう。
年齢としても、見た目としても、そんな雰囲気。

父親は有名なNLPトレーナーのスティーブ・アンドレアス。

両親がトレーナーをしていると、
同じ道に進みたくなるものなんでしょうか。


何より興味深いのが、その話し方。

動画で見た感じですが、両親の特長が両方表れています。

全体に滑舌が悪く、アクセントのある母音をかなり伸ばし
弱化したところはボソボソ言う。
特に副詞や形容詞の強調の仕方がスティーブに似ています。

一方、文章の組み立てなど、全体的なところは
母親のコニリーに近い感じ。

中でも受講生のコメントに対する受け応えは
もうコニリーそっくり。

親子というのは話し方でも似てくるものなんだと感じました。

まあ、親としてコミュニケーションの見本になっただけでなく
トレーナーとしてのロールモデルでもあるわけですから
影響が強くても当然かもしれませんが。


おそらく僕の中にも両親の話し方の影響があるのでしょうし
教わってきた先生たちの影響も出ていると思います。

英語を客観的に分類できるほどの知見はないですが、
きっとネイティヴから見たら
誰かの影響があることが見て取れるんじゃないでしょうか。

知らず知らずのうちに受け継がれるものは
意外と多いんだろうと感じました。

cozyharada at 23:43|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2016年11月12日

期間限定だから

今年の書道作品制作シーズンも残りわずかとなりました。

幅80cm、長さ180cmぐらいの紙に書くので
部屋中に大きく広げられるスペースが必要になります。

下敷きも大きいものを用意しますし、墨も多く使います。
準備がそれなりにかかる印象があるんです。
場所も取るので、常に出しっぱなしという余裕もありません。

なので作品の期間中は、書道用の物が部屋の端っこに置かれ続けます。
それなりに場所をとって、目につきやすいんです。

そして作品として提出した段階で、一通りの物を片づける。

スッキリもしますが、反面、なんだか寂しい印象にもなるものです。


普段の生活をしていると季節の移り変わりは急激に感じられず
気がついたら季節が変わっていたような印象を受けがちです。

夏と冬は2,3か月の間ずっと暑かったり寒かったりして変化を意識しませんが
春と秋は特に、知らない間に通り過ぎていたように感じているようです。

春や秋が暑い時期と寒い時期の通り道になっているイメージでしょうか。

春の入り口は寒くて冬と繋がっていて、春の終わりは暑くなって夏と変わらない。
秋も同様です。

いかにも春らしい・秋らしい時期というのは短いものなのかもしれませんし、
逆に常に移ろいでいくのが春や秋の特徴なのかもしれません。

その意味でいうと、僕の書道作品の制作シーズンは
まさに秋の期間に当てはまっているようで、
季節の移り変わりをしみじみと感じさせてくれるんです。

大体9月中旬から作品の準備に入る。

9月下旬あたりから書き始め、先生の指導を受けながら書き直し
仕上がるのが11月の中頃から下旬にかけて。

始まったあたりは、まだ夏の名残があって暑いぐらいなんです。
冷房をつけながら書いていて、少し汗ばんでいたのを覚えています。

ところが締め切りが近づいてくるあたりになると
もうすっかり寒さを感じるようになっていて、
暖房が必要になってきています。

墨の乾き方さえ違いを感じるほどです。


セミナーの仕事をしていると、いつも通りの終了時間が
明るかったり暗かったりして日照時間の変化を教えてくれます。

ここでも季節の移り変わりを感じますが
通年の変化でコンスタントに移り変わっていくため、
春や秋の印象は決して強くないみたいです。

「日が長くなった」、「日が短くなった」の二択といった感じ。

その点、秋の気温の変化を追いかけられるのが
僕にとっては、毎年の書道作品のシーズンとなっているんです。

秋の期間とピッタリ重なっているからこそ
移り変わりの大きい秋の時期を実感できるのかもしれません。

仕事の場合、一年中、似たような生活が続きますから
比較対象として際立って記憶に残ることが少ないのでしょう。

一年のうち、2か月程度。
それも秋という気温変化の大きい時期。

始まりと終わりのハッキリしていることが
違いを際立たせてくれると思われます。

意外と、僕が季節を実感する一番の要因が
書道の作品制作とかかわっているような気がしています。

cozyharada at 23:42|Permalinkclip!心理学 | 全般
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

日程を決めました

《カウンセリング講座》
〜テーマ未定〜


【日時】 2017年2月5日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    303集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


詳細は後日
次回開催は4月の予定


《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜

終了しました

【日時】 9月15日(月・祝)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


詳細はこちら>>


《勉強会》 
終了しました
    
【日時】 3月16日(日)
  夜間 18:30〜21:30


【場所】 滝野川会館
     304集会室

     JR上中里駅より7分
     JR駒込駅より10分
     南北線西ヶ原駅より7分

【テーマ】 変化の流れを考える

>詳細はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード