2020年01月05日

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

年賀状は平仮名にしてみました。
2020年賀1




























今年はセミナー関係の予定で少し変化がある見込みです。

個人的にはメインでやってきたNLPの内容について
もっと基本的な練習としてのトレーニングができる機会を
どのような形であれ提供したいとは考えています。

いわゆる資格取得コースでは、一通りの技術の手順と内容を紹介するばかりで
それぞれを練習する時間がなかなか取れない実情があります。

一部の手法は手順通りにやれば大丈夫ですから
テキストを見ながら自分で練習するということも可能ではあります。

ですがNLPには手順の決まった手法だけでなく、
コミュニケーションで用いる言葉の技術なども含まれています。

このあたりを練習する機会がほとんどないんです。
講座中の練習時間も少ないですし、
トレーニング方法としても入門的なところで終わってしまいます。

なので、多くの人にとっては練習の仕方さえも不明なままでしょうし、
技術の使い方も曖昧なままになってしまっていると思われます。

それで「自分で練習して身につける」というのも難しい話。

ということで、NLPの手法・技術の中でメインとなるものを
基礎固めの目的でトレーニングする機会があるといいのではないか?
と思っている次第です。

cozyharada at 23:16|Permalinkclip!

2019年12月07日

進化と進歩

世の中には、進化論の好きな人たちが結構いるようです。

とりわけアメリカなんかだと、
ダーウィンは科学の代表のように見られることがあるようで
そこから出てきた進化論も重視されやすいんでしょう。

聖書における生命の誕生と、生物学的な進化の歴史は別物ですから
宗教的な内容とは異なる話を全面的に押し出したダーウィンの進化論は
信仰とは別物の「科学」というものの象徴にもなりえるんだと思われます。


一方、この「進化」という考え方はなかなか曖昧で、
科学的な分野の中でも解釈が分かれているフシがあります。

ましてや日常的な言葉の使われ方となると、その意味は更に広がって
「進化」と「進歩」を混同したりもされます。

そのあたりのことが起こるのは、おそらく
「進化」を表面的な現象(「形質」と呼ばれる「遺伝子がもたらす結果」)
として見ていて、
「遺伝子の変異」として見ていないことに関係する印象です。

つまり、遺伝子はタンパク質を決めるだけであって
タンパク質の機能として説明できないことは「遺伝」ではない、という話。

仮に歴史的に親から子へと代々受け継がれてきたものであっても
それがタンパク質の機能として説明できないものだとすると、
遺伝子によって引き継がれたものではなくて、むしろ
経験を通した学習によって伝えられてきた情報だと考えられます。

例えば、猿から人間に進化して、文明を持ち始める前の時代、
小さな群れで狩猟採集の生活をしていたころを想像すると、
男性が外で狩りをして、女性が子育てをするといった姿が描かれます。

こういう生活パターンがあったから、例えば男性には
「外で狩りをしていた名残で、現代社会でも家庭への関心が女性より低い」
「獲物を取ってくる習慣から、現代でも何かを勝ち取ろうとする」
「獲物を持ち帰るところまでが目的だったため、
 一度手に入れた獲物には関心がなくなる」
「獲物を手に入れる能力が高いほど必要とされていた名残で
 他の男性よりも秀でようとする競争意識が強い」…
などの”ストーリー”が生まれます。

進化論では基本的に『適者生存』という考えを採用します。
生き延びるのに有利な性質が引き継がれていく、と。

上記の例は、たしかに狩猟採集の時代を考えると説得力がありそうです。
食料を手に入れるのが不安定だったことを想像すれば、
「外で効率的に狩りができる」能力は有利な性質として引き継がれ
その結果として上に書いたようなパターンが蓄積していきそうに思えます。

ですが仮に、歴史的にそういうことが引き継がれてきたとしても、
その内容は遺伝子に乗るタイプのものと考えるのは困難でしょう。

遺伝子はタンパク質を決めるだけですから、せめて
身体的な能力の違いとか、ホルモンの量の違いとかが限界のはずです。

もちろんホルモンの量で気質的なこと、つまり
起こりやすい生理反応の特徴は決まる可能性があるとはいえ、
それが行動パターンを直接的には決定しません。

行動は生まれた後に学習してパターン化されるものですから
文化的・習慣的に継承されて特徴として際立ってきたと考えるほうが妥当。

ちなみに、習慣として学習されて伝えられてきた情報は、
遺伝子(gene:ジーン)と対比させて
「meme:ミーム」とも呼ばれたりもします。

語源はギリシャ語で「模倣する」という単語にあるそうですが
英語でも「mimic」という単語が「マネする」という意味なので
おそらく同じような言葉のルーツなんでしょう。

とにかく、引き継がれる情報の全てが遺伝なわけではない、という話です。


つまり進化論は大雑把にいうと
・遺伝のように性質が引き継がれる
・特に生存に有利な性質が優先的に引き継がれる
・その結果、時間がたつにつれて徐々に変化していく
といった感じの捉え方だといって良さそうです。

遺伝子を分子レベルで見ていくスタンスからすると、先ほども言った通り
進化はタンパク質の性質の変化としてしか起こりえません。

そして遺伝子の突然変異は、一世代では確率的に
ほんの少ししか起きえませんから、
 少しずつタンパク質の機能が変わって性質に変化が出る、
ぐらいの想定になります。

もともとあった性質が増えたり減ったりすることはあっても、
新たに性質が獲得されることは確率的に凄く低いわけです。

どちらかというと、今まであった機能が突然変異で失われる可能性のほうが高い。

ところが、進化論を表面的な性質として捉えていると
「進化の過程で生存に有利な性質が獲得されたから今に至る」
という発想になりやすいみたいです。

「獲得」とか「有利」とかいった捉え方は
『進化』を「向上」や「進歩」と結びついけやすいというか、
「人類の祖先が他の猿とは異なる”人間”へと進化した」といったような
優位性に似たニュアンスを含みやすい気がします。


例えば先日、こんな記事を読みました。

これによると
 人類の祖先にあたる類人猿の一種は、1000万年前に
 エタノール(お酒のアルコール分)を代謝できるようになり、
 そのおかげで過剰に熟した果物に含まれるアルコール分を分解できたため
 アルコールを代謝できない猿よりも生存に有利だった
という趣旨のことが書いてあります。

詳しく他の論文とかも調べてみると、科学的な発見としては、あくまで
 エタノール代謝の最初の段階に関わる酵素の遺伝子ADH4の配列を
 人間と近縁の猿の仲間で一通り調べ、その類似性から系統樹を作ると
 1000万年前ごろに枝分かれする時点から1つの変異が共通で見つかり、
 その変異がエタノール代謝の機能を大幅に高めている
ということのようです。

この変異を持たない他の種の猿は、
お酒のアルコール分を効率的に代謝できない。
つまり血中アルコール濃度が上がりやすい、と。

これは、そもそもアルコール代謝の酵素ADH4というのが既にあって、
その酵素のエタノール代謝の機能が上がった、という話なんです。

「獲得」というよりは「上がった」と。

エタノールというお酒のアルコール成分に対しては機能が上がっていますが、
逆に、ゲラニオールなどの他のアルコール分には代謝機能が下がるそうです。

研究者たちは、このエタノール代謝機能の上昇が有利だった、として
それが現代の人類にまで引き継がれているように解釈しています。

ただ、果たしてそうなのか、明確な根拠は見つけにくそうです。

もしかすると、
 ゲラニオールが分解できなくなったことで
 他の猿とは違う食料に依存しなければならなくなったけれど、
 たまたま他の食料が手に入る環境にいたため生き残ってこれた
という話だって考えられます。

他の猿にとっては、この変異は食性を変えてしまって致命的だった…
だから他の猿には見られない変異になっている、という可能性です。

色々な考察のしようがあるはずなんです。
なので、どれが正しい説か、ということを言いたいわけではありません。

ポイントは、
「人間はアルコールを分解できる」という特殊な性質に目を向けると、
 他の猿にはない”有利な”性質を”獲得した”
のような優位性の視点になりやすいのではないか?
といったところです。

解釈や考察の視点が”優位性”を土台にしたものになりやすそう。

もっとハッキリ言ってしまえば、人間には
「自分は他の存在と違って、こんなに価値がある」
という証明をしたがるところがあるんじゃないか?と。

何かしらの手段で
「自分は他の人より…」
「自分たちは他のグループより…」
「自分たちは他と違って…」
といった比較をしながら、
自己の存在意義を示そうとしがちな気がするんです。

先ほどの記事においても、途中の言い回しでは元論文に近く
「エタノール代謝がより効率的になった」と書いてありますが、
冒頭の文章には
African apes (who lived around 10 million years ago) evolved to metabolise ethanol
つまり「アフリカのエイプはエタノールを代謝するように進化した」とあります。

微妙なニュアンスの違いではあるものの、ともすると
「今までなかった機能が獲得された」かのような印象になりかねません。

この記事の著者はライターであって研究者自身ではありませんから
科学的な観点で厳密に区別しようとはしていないのでしょう。

だからこそ「進化」という部分に「獲得」の雰囲気や
優位性のようなものを関連付けていそうな印象を受けます。

何か特別な意味を探そうとしがちで、
「別に何の意味もない、ただの偶然」
というのはチョット残念な気がしてしまう。

そのあたりの根底に、そもそも
 自己という存在を特別な意味のあるものと捉えたい気持ち
みたいなのがあるんじゃないかと感じます。

ニュートラルに物事を捉えるのは、相当に難しいことなんでしょう。

cozyharada at 23:39|Permalinkclip!NLP | 心理学

2019年11月25日

脂が合いません

コレステロールが問題になって、食生活を変え
半年以上になりました。

そろそろ一度病院に行って、血液検査をするタイミングです。

今の食事パターンにしてから一ヶ月半ぐらいで
許容範囲までコレステロールが下がったので、
まあ、おそらく大丈夫だろうとは思うんですが。

とはいえ、栄養のせいか、元気がないというか
カスカスな感じが続きまして、
最近は意図的に油分を取るようにしています。

ナッツ類とか、青魚とかの油です。

その意味で、違ってきてはいるんです。
厳格ではない。

そこが気になるところですね。
ダメだとしたら、相当に減らさないといけませんから。


一方、この食生活に馴染んできたと感じるのは
豚や牛の脂、乳脂肪が重たい印象になってきたからです。

とりわけ、先日
お付き合いで鉄板焼きの店に行ったとき
翌朝に吐き気が出てしまいました。

牛肉の脂が多かった気はしないんですが、
ソースに使うバターが多かったんでしょう。

身体は生活スタイルに適応するものなのかもしれません。

僕の場合、動物脂肪の摂取が控え目な状態が標準になった、
といいますか。

反面、肌がカサカサする度合いは上がったような気もします。
栄養分としての脂質は必要そうな印象を受けます。

身体にいいとされる油を取ろうかと考え中です。

個人的にはクルミあたりを視野に入れているんですが、
素焼きで無塩のヤツばかりなんです。

塩味が欲しい。
ネットで探してみます。


なんだか、こういうのを考えていると
食品の影響を自分で調べたくなってきます。

主観的に体調をチェックするのと、
客観的な血液のデータを見るのと、両方で。

結局、僕が一番手に入れたいのは
血液検査のキットなんだろうと思います。

cozyharada at 23:42|Permalinkclip!NLP | 全般

2019年11月19日

見覚えのある顔

最近は単調な日々が続いているのか、
自分の中で思うことが減っているのか、
ブログを書く内容が頭に上がってきません。

いつの間にか季節は冬に近づいているようです。

そんな中、先日、ジムで気になることがありました。


1,2か月ぐらい前には、なんだかやたらと夜の時間が混雑して
同じような新しい顔ぶれが集まることが多かったんですが、
最近はまた混雑が落ち着いて人が減ってきました。

夜が寒くなったせいで来なくなったのか、
その時間を避ける人が出始めたのか、
あるいは新しい顔ぶれは既に退会したのか…。

体験入会があるジムではなさそうですが
最初の月ぐらいは価格が安かったりはするみたいなので
出入りは激しいのかもしれません。

もしかすると単純に、本人の中でブームが去って
会費を払いながらジムに来ていないだけかもしれませんが。


で、1、2週間ぐらい前から、また新しい顔を見るようになりました。

その一人が大柄なアフリカ系アメリカ人なんです。
坊主頭で、ボブ・サップほどの体格ではないものの
アメフトとかやっていそうな感じの人です。

この人が、すごく見覚えあるんです。

多分、高確率で、英会話学校の先生だと思います。
僕が一番最初に通った英会話学校のベルリッツで
何回かレッスンを担当した先生じゃないか、と。

名前も朧気に記憶しています。

最寄り駅前のベルリッツでしたから
講師が近所に住んでいる場合、僕と街中で遭遇する可能性はあります。

ただし、僕がベルリッツに通っていたのは2010年の夏。
もう9年前です。

身長はおそらく、あれぐらいだった気がします。
一方、体格はあそこまで大きくはなかった…。

まぁ、10年近く経てば、肉がつくことはあるでしょう。
だからこそジムに来始めたのかもしれませんし。

顔は多分、あんな感じだったはず。
ところがチョット自信がないんです。

ハリウッド映画なんかだと、日本人役を
中国人やアジア系アメリカ人が演じていたりするじゃないですか。

アメリカ人からすると見慣れない東アジア人の顔は似て見えてしまう。
区別をつけられるほど見ている経験の量がないんです。

犬も同じです。
同じ犬種で名前を呼び分けられるのは見慣れている人に限られます。

同様に、僕からするとアフリカ系の顔立ちは見慣れていません。
しかも当時は特に、英語を勉強し始めたところで
海外出身の人と接する機会も少なかった時期です。

おんなじ感じに見えてしまっていたかもしれません。

たぶん、あの先生だとは思うんですが…。
イマイチ自信が持てないんです。


思い切って話しかけてしまう手もあるでしょう。

しかしながら、24時間営業のジムで話をしている人は少ない。
一人で黙々と運動するために来ている人たちの集まりです。
そもそも話しかけるのが適切かどうか不明です。

実際、ジムにいるその人は常にイヤホンをしています。

それに、その人が僕を覚えていない可能性もあります。
10年近く前の英会話学校の生徒の一人です。

講師をしていれば多くの日本人と出会いますから
一人ひとりを覚えていない可能性も高いでしょう。
そんなに回数が多かったわけでもありません。

回数が多くなかったのに、なぜ僕が覚えているのか?
こんなにも気になっているのか?

それは当時の僕にとって、その先生のレッスンが合わなかったからです。

ベルリッツは基本的に先生を選べません。
時間だけ予約して、誰が担当になるかは当日に分かる仕組みでした。

ただ、よほどの場合、どの先生を充てるかを
事務の人に工夫はしてもらえました。

それで僕は、唯一、その先生だけ
レッスンから外してもらうようにお願いしていたんです。

今なら対応できるでしょうが、本当に英会話学校に通い始めたばかりでは
あの先生のレッスンスタイルは効果が感じられませんでした。

しかもベルリッツの授業料は、なかなか高額ですから。
せっかくなら納得できる授業数を重ねたかったのを覚えています。

僕がその先生を拒んだことが当人に伝わっているかは知りません。
伝わっていなかったとしても、薄々は分かるでしょう。
担当するレッスン数が変わると思います。


仮に、そのジムに来ているアフリカ系アメリカ人の大柄な人が
ベルリッツで何度かレッスンを受けていた先生だったとして…。

お互いに仲良く話すほどの間柄ではありませんし、
向こうが覚えていない可能性もありますし、むしろ覚えていたとしたら
良くない印象で覚えている場合も十分にあり得ます。

実際に僕だって、当時のベルリッツで出会った先生のうち
顔と名前を認識できるのは多分、数人です。

十数人の講師の中から2,3人なんです。
そのうち2人は高頻度だった先生。

何度かしかレッスンを受けていないのに覚えているのは
「レッスンが合わなくて断ってしまった」という
ちょっとした気まずさからです。

ネガティブな感情が記憶を強めたんでしょう。

なので、お互いに覚えている可能性があるとしたら
それはあまり良い意味ではないんじゃないか、と。

だとするとジムにいるその人が、あのベルリッツの先生だったとして
話しかけるのは避けておいたほうが無難かもしれない。

そんなことを思いながら、彼の存在を意識しつつ運動しています。

cozyharada at 23:40|Permalinkclip!NLP | 心理学

2019年11月08日

東京にいながら

今年の慌ただしさのピークは過ぎたような感じです。

10月末から11月の初めにかけて約一週間、
アメリカから招聘した先生のワークショップを手伝う機会がありました。

同じ内容の講座は過去にも開催していたため
事前準備として多くのことがあったわけではありません。

先生とも既に顔見知りでしたし、その点では気楽だったともいえます。

が、セミナーの開始時間が朝の9時などと早めだったうえに
会場がお台場だったこともあって、朝のスタートが早かったんです。

なので初めて、都内にホテルをとることになりました。

自宅から片道1時間ぐらいの場所とはいえ、
往復時間として毎日2時間が節約できるのは意外と大きかったです。

先生の接待で夕飯に同行したりもありましたから
睡眠時間を確保できたのは助かりました。


僕の仕事はワークショップ中に先生がホワイトボードに書いた内容を
その場で日本語に直して提示する担当。

通訳の方が口頭の作業に専念できるように、ということです。

あとは先生の送迎。

タクシーに同行するだけですが、
日本語が話せない先生を一人でタクシーに乗せるわけにもいきませんし、
支払いのことなんかも考えると送迎係は必要だったんでしょう。

おかげさまで僕自身は、先生と話す時間を多めにいただけました。

しかしながら、自分の興味で質問をしては先生に負担をかけそうですから
なるべく無難な話をしつつ、かつ先生が関心を持ちそうな
日本文化の話あたりに終始する、というのは意外と気を遣いました。

世界各国で講座をしているせいか、文化の違いにも興味があるようで
日本文化的な配慮についても実感ができる様子だったのも印象的です。

すべてを言葉にすることなく、行為や言葉の裏に込められた
相手への気配りや敬意を汲み取り、
それに対して同様の気配りで意図を伝え返す。

ちょうど茶道をやっている人たちが
作法に込められた意図を丁寧に感じ取りあいながら
間接的にお互いの気持ちを交流する、というような感じでしょうか。

アメリカ人でありながら、そのあたりを味わえる先生のようでした。
世界中を見て回っているのもあるでしょうが、
それ以上に人の心を理解しようというスタンスが大きいと思われます。

接待で同行した天ぷら屋でも、他のお客さんの様子を見ながら
その関係性なんかを観察から見立てて話したりしていましたし。

とはいえ、心理学の知識に当てはめて
客観的に「分析」や「診断」をするのとは違います。

その人がやっている行動から気持ちを汲み取り、
その人の内面を「分かろうとする」という主観的なスタンスです。
わざわざ相手の立場に入っていって、共感をして、状況理解に繋げる。

大学の先生には珍しい、実践的な人なんだと思われます。
実際、教授になるまでの経緯も異端だったそうです。

学会や教授会からの評価を求めて論文を書いて地位を高めるのではなく、
実社会で役に立つ情報を書籍で広めたり、
学生や企業と直接のワークショップで交流して成長を促したりするうちに
人気が出てきたから大学側も教授にせざるを得なくなった…
そんなことがあったんだとか。

アカデミックな世界に身を置きながらも
あえてアカデミックな人たちのほうに背を向け、
学生や社会のほうに向いて人と関わってきた人物。

もちろん、自分の伝えている手法を誰よりも多く実践し、
自らの内面と向き合ってきたとも言っていました。

だからこそ意図的に人と関わることができて、
相手の気持ちを汲み取りながらメッセージを届けることもできるんでしょう。

僕が付き人的に気を遣っていた日本文化的な意図についても
かなりの部分を汲み取ってくれていたようでした。

それに対して直接的に言葉でコメントをしてくれることもありましたし、
それに応えるような意図を間接的な表現で示してくれることもありました。

お互いに気を遣っていて、自覚的なコミュニケーションがなされていて、
それは漫然と気軽に過ごすタイプの時間ではありませんでしたが、反面
丁寧に心を込めた時間だったともいえるかもしれません。

いろいろな意味で貴重な時間を過ごさせていただきました。


ちなみに時間的余裕があるはずの都内のホテル滞在でしたが、
自分がセミナーをやっているのとは質の違う疲労感が大きくて
のんびりした時間にはなりませんでした。

疲れて眠るだけ、といった感じ。

ある日には、急に「講座中に動画を見せたい」という話になって
その内容の書き起こしと翻訳をホテルでやったりもしました。

こちらに関しては結局、睡眠時間がむしろ削られてしまう形。

まぁ、自宅に戻っていたら終わらなかった作業でしょうから
ホテルを取っていて大正解、といったところですが。

普段だったら電車で通うような場所に泊っていることも含め
なんだか非日常的な時間だった印象です。

2019年10月25日

札幌に来ました

とても慌ただしい日が続いていました。
たまたま多くのことが重なっている感じですが。

セミナーだけなら体力の問題ですから
休むことに注力すれば対応可能です。

そこにデスクワークが重なると回復が追いつかなくなるというか、
手が回らない印象が出てきてしまいます。

例年通り、この時期は書道の作品制作なんかも重なって
時間をとるのが大変になりがちです。

今年は11月の頭に、アメリカから講師を招いて行うセミナーがあって
そちらのお手伝いが予定されてまして、その関係で
とりわけ慌ただしさが増しているような印象です。

準備もさることながら、その期間に動けないのも
前倒しでバタバタした時間を増やしている気がします。

そんなこともあって今回の書道の作品は、一枚書き上げるのに
あまり時間のかからないものを選んではいるのですが…。

それでも余裕はなくなっているのを実感します。
珍しく語学で欠席することも増えてしまいました。

日本語から離れるとリフレッシュできる部分があるのは知っていても
身動きが取れなくなると休息が優先されがちです。

混んでいる電車に乗らないといけないのも
語学を休む大きな理由かもしれません。


近頃は、平日にセミナーがある日に
朝早く自宅を出るようになりました。

集合時間に丁度いい時間を狙って行こうとすると
どうしても朝の通勤ラッシュの影響を受けてしまいます。

以前はそれでも我慢して乗っていたんですが
最近は早く行くほうが楽に思えてきた形です。

セミナー会場はビジネス街にある建物を利用することが大半のため
近所の店も7時からしかオープンしません。

なので7時に現地に到着して、コーヒーでも飲みながら待機する。
その間、パソコンで作業をしたりして。
…そんなスタイルなら良いかと思っていました。

が、実態はそんなに甘くありません。
7時に到着する時間だと、すでに電車は混み始めています。

ギュウギュウ詰めではないものの、
すぐ近くに人が複数立っているような状態にはなってしまいました。
ちょっと揺れると隣の人と当たってしまうぐらいの混み具合。

6時台の電車はすでに混んでいるようなんです。

7時ごろに都心に到着して時間を潰すスタイルの人は
それなりに多いんでしょう。

ということで仕方なく、僕は5時半ごろに出て
セミナー会場の最寄り駅には6時半前に到着するスタイルとなりました。

これなら、まぁ多少は電車内も余裕があります。
僕が乗る駅で、運が良ければ座席が車両に1,2か所あいているぐらい。

とはいえ、大体そういう空席は、体格の大きい人の影響で
スペースが狭めになっていて敬遠されている空間です。

ですから空席があっても、当然、立っている人たちもいます。
多少はパーソナルスペースを保ったまま目的の駅まで辿り着ける。
そのぐらいの混雑度合いです。

6時前の時点でこんなにも利用客が多いのかと思うと
東京の電車事情はスゴイものだなぁと感じます。

そして会場の最寄り駅に到着する時刻では
どこの店も開いていませんから、
7時の開店まで時間を潰さなくてはいけません。

セミナー会場の建物については、入館証があるので
とりあえず非常口を通って入ることまではできます。
しかし電気がついていないんです。

なので、ここで暗い中を待機をするか。

あるいは駅のホームで時間を潰すか。
あとはコンビニあたりでウロウロしているか、でしょうか。

今のところ選択肢はこれぐらいです。


ということで、平日のセミナーの日は早起きなんです。

10年以上前、名古屋で平日にセミナーをやっていたころは
自宅の最寄り駅に6時に着くぐらいの出発時刻だったものです。

それで名古屋駅に8時半過ぎに着いて、
セミナー会場の集合時刻9時には余裕がある感じ。

その頃よりも出発が早まっているんだから妙な気分です。

で、講師が眠気を我慢しながらセミナーをやるわけにはいきませんので
前日も早めに就寝するようにしています。

これもまた全体的なスケジュールを慌ただしくさせている要因でしょう。

そしてセミナー終了後、帰宅するための電車も、混雑を避けるために
空いている電車が来るまで乗らずに待っていたり、
少しでも混雑が少ないルートに迂回したりして余計に時間がかかります。

なんとも都会の生活が厳しくなってきたようです。

11月頭にお手伝いするアメリカ人講師のセミナーに関しても
平日の日程が入ってしまいますから、通勤が少し心配なところ。


それと比べると、札幌は時間がゆっくりな気がします。

特に10月末のこの時期は観光客も少なめなようで
なんだか落ち着いた印象を受けます。

空港からの電車も、あんなに空いていたのは初めてでした。
外国人観光客が少ないのでしょうか。

雪もまだなく、気温も都内とさほど変わらず、まだ秋の様子です。

慌ただしい日が続いていただけに、いくらか気が楽になる感じがします。

残念なのは、たまたま泊まったホテルに団体客がいて声が大きいのと、
ホテルの全館空調が強烈な暖房として入っていて
暑苦しくて眠れないところぐらい。

北海道の人は暖房の設定が強めのようです。

一長一短ですね。

外国人観光客が少なめの時期だから、国内の団体客が入る。
まだ冬にならないから暖房が効きすぎて暑い。

そんなに都合よくはいかないものなんでしょう。

cozyharada at 23:02|Permalinkclip!NLP | 全般

2019年10月13日

比べると気づける

数年前までは海外ドラマの『メンタリスト』のDVDが
一年に一度、1シーズン分として発売されていて、
これを毎年購入して見ていたんです。

内容はもちろん毎回、展開がありますが
メインとなる登場人物は基本的に同じ。

ボキャブラリーも似通ったものになりやすいと思われます。

なので、一年に一度、このDVDシリーズを見ると
自分の英語のリスニング力をチェックできていたんです。

一年ぶりに同じシリーズに接したとき
前よりも内容が英語のまま入ってきやすい。
となると聴解力が上がっているのではないか。

そんな判断材料でもあったわけです。


ところが最近は海外ドラマのDVDを買うこともありません。

たまにアメリカに行ってテレビを見れば
確かに英語のチェックにはなります。

ただ、これは比較が難しいんです。
同じシリーズだから比べる基準があったんだと実感します。

また先日も海外のトレーナーを招待して
そのコーディネーター役をやったんですが、
こちらもやはり初対面なので対比は難しい。

むしろ事務的なやりとりをするための日常的なボキャブラリーが
使えるものになっていないためにスムーズでない体験をして
そちらばかりが際立って印象に残ったりもしました。

というわけで自分の英語について振り返る機会もなく、
英語力が伸びているのか自覚できていなかった、という話です。


で最近、11月に再来日するアメリカ人講師の講座について
テキストの一部をチェックする機会があったんです。

そのテキストも翻訳は、前書きを除いて僕が数年前にやりました。

もうハッキリとは覚えていないため、前書きの日本語を見たとき
「こんな訳を自分がするかな?」と感じることがあったんですが、
調べてみたら、その部分に自分の関与はありませんでした。

むしろ本文に入ると、なんとなく見覚えがある。
完成版を見て違和感のあるところをチェックすると、
自分の翻訳とは少し表現が変わっている部分でした。

最後にまとまて編集をした方が、
用語の統一や日本語の理解しやすさのために
手を入れたんだろうと思われます。

そう考えると、意外と記憶に残っているものなんだと思えました。


英文のほうに変更点があるということで
一通り元の文章をチェックしながら見直してみると、
自分の日本語訳なので、奇妙なところはすぐに見つかります。

こんな訳をするかな?と思って
古いテキストの英文と、新しい英文とを比べると
その部分に変更が見つかる。

そんな感じでチェックを進めました。

すると、そもそも英語の訳のニュアンスとして
あまりシックリこないところもあったんです。

英文のほうで変更はないけれど、
数年前の自分の訳の仕方がイマイチ。

その理由で手を入れ直した部分があります。


これは数年前に自分が翻訳したものだから
今の自分と対比させることができた、と言えそうです。

英語の理解力として、数年前よりも、いくらかは
細かい意味を捉えられるようになったのかもしれません。

当時は馴染みがなくて
適切な日本語を見つけられなかった英語のフレーズも、
ここ数年のうちに何度も接して、自然と意味を掴んでいた…
そんな可能性もありそうです。

いずれにしても、自分のやったことを改めてチェックすると
改善点の形で「新たに気づけるようになったこと」が
浮き彫りになってくるようです。

おそらくこれは翻訳だけではないでしょう。
自分が英語で書いた文章も何年後かにチェックすると
自分の英語力の伸びを自覚する材料になりそうです。

語学だけにも限らないはずです。

自分が過去に作った資料を数年後に見直す、なんていうのも
自分の理解の深まりを知る機会になるんじゃないでしょうか。

cozyharada at 23:56|Permalinkclip!コミュニケーション | NLP

2019年10月03日

ポイントが失効するまで

随分とブログを放ったらかしにしていました。
二週間ぶりぐらいでしょうか。

ですが、それ以上に久しぶりだったのが本屋です。
先日、新宿の大型書店で本を買いました。

以前は頻繁に通っていた、お気に入りの本屋。
そこは書店には珍しくポイントカードがあって
大量に本を買い込んでいた時期には、いくらかお得に利用できたんです。

しかもそちらには併設のカフェもあって、一定額以上を購入すると
そこで使えるコーヒー一杯無料券をサービスしてもらえました。
(多分、今でもあるんじゃないかと思いますが)

本をたくさん読んでいた頃の僕は、3,4冊をまとめ買いしては
そのままカフェに移動して、そちらで買った本を読む…
なんてパターンをよくしていたんです。

大型書店には喫茶店併設のことは意外とあるものですから
この「まとめ買い→もらったチケットでコーヒーを飲みつつ読書」
の行動パターンは、何軒かの本屋でやっていたものです。

ですが新宿のその書店は、店内の雰囲気がオシャレな感じだったり、
本の探しやすさ、中身をチェックするときの空間的余裕があったり、
大型の割りに人が少なめだったりと、
色々な点で他の書店よりも僕の好みに合っていたようなんです。

ですから僕の住まいには、そちらの書店のブックカバーがついた本とか
そちらの書店のビニール袋に入れて小分けにした物とか、
ヘビーユーザーだった痕跡が沢山あります。

当然、そちらで発行しているポイントカードには
それなりの額のポイント残高があったと記憶していました。


ところが先日、久しぶりにそちらの書店に足を運び、
三冊ぐらい本を買ってみて驚きました。

ポイントが全て失効していたんです。

随分と久しぶりの気がしていましたが、
どうやら年単位で行っていなかったみたいです。

こんなにも時間の経過が速いとは…。

そして、こんなにも長い間、本から離れていたとは…。


もちろん、本を全く読まなかったわけではありません。
たまにAmazonで購入したりはしていましたし、
洋書をKindleで読むことはありました。

それでも量は確実に減っています。

何より、読む本のジャンルが変わってしまっていますから
それで本屋に行く頻度も下がったんだろうと思います。

思い返せば、僕が最初に本を読むようになったのは
大学生の頃、心理読み物の本でした。

一般教養で精神分析の授業を取って、その教授が加藤諦三氏だったので
そこからその先生の本を読むようになりました。

応用化学科に在籍していた当時から、心のことは好きだったんでしょう。

キャンパス内にも教科書をメインで販売する大学生協の書店がありましたが
一般書も一部売られていたので、そこでも本を見ていた思い出があります。

大学院の頃だったか、今でこそ大人気の内藤誼人氏が最初の本を出版して
平積みになっていた本を立ち読みして、すぐに購入、
これも夢中で読んだ記憶があります。

おそらく僕が心理系の技術、コミュニケーションの”方法”というものに
興味を持ったのは、この本からだったはずです。

そして心理系・コミュニケーション系に興味を持ったまま
会社員になって、山口県に3年ほど住みます。

このとき、初めて尽くしのストレスが重なり、
気分転換に利用できる娯楽が本ぐらいしか見つからなかったため、
一気に本を読む量が増えました。

本当は運動でもすれば気分も発散できたのでしょうが、
鬱々とした時期は、意識が内攻的になる分
体を動かすよりも本を読みたくなっていたんだろうと思われます。

その後、転勤で東京に戻ってきて、なんとなく速読教室に通い始めます。
当時の動機は「英語の論文を早く読みたい」というものでした。
まだ研究を頑張るつもりでしたから。

このときが「お金を払って何かを勉強しに行く」初めての体験です。

小田急線で新宿に出て、JRで池袋に移動、
そこにあった速読教室に行っていました。

当然、道中には大型書店が数軒あります。

速読のトレーニングをしているわけですから
自分で買って本を読む「実践」の頻度も上がりました。

そのときにビジネス書や自己啓発書を読むようになったんです。


そして少しして、NLPの講座に参加しました。
割りと高額のセミナーに参加する決意ができたのは、それ以前に
速読教室で「お金を払って勉強する」下地を作っていたからでしょう。

そしてNLPを一気に一通り学び、あとは専門的な知識を得るために
NLP関連の本、心理学の本、心理療法の本、脳科学の本などを読み漁りました。

専門書が増えた時期です。

しかし、そういう専門書の購入量も数年前から減ってきていました。
良くいえば、ある程度は自分の中で理解がまとまってきた、ということでしょう。

専門家として自分の見解がまとまり、他の専門家を対等に見るようになった…
とも言えるかもしれません。

研究職時代に論文を読むのは、あくまで他の研究者の事情を把握して
世の中全体で得られている情報をシェアするためでした。

何かを教わろう、学び取ろう、という話ではありません。

そんな感じに似ていると思います。
他の専門家の見解や、新たに発見された科学的な裏付けを
情報としてチェックすることはあっても、
「専門家が書いた本から学ぶ」というスタンスは減ったみたいです。

自然と「インプットのための読書」をする機会は少なくなりました。
むしろ娯楽としての読書の側面が高まったかもしれません。

が、娯楽の頻度は決して高くありません。
本屋を離れるのも不思議ではないでしょう。


最近になっても購入することがあったのは語学関連の本。
これは「本から学ぶ」とか「読んで楽しむ」とかよりも
語学のトレーニングのための練習素材として、の趣旨が強いです。

あまり読書とは言えない気がします。
自習教材を買っているだけ。

そして自習教材となると、書店が全てではなくなります。
むしろ評判のいいものを手に入れるには、通販が都合が良かったり。

なので書店で本を買うことも減っていたんでしょう。

数年間もお気に入りの本屋で購入しなかったのも納得です。


買う本の種類によって
 どのように自分の興味の対象が移り変わっているか
を客観的に把握することも可能です。

同時に、書店の利用目的によっても
 自分の「本に対するスタンス」がどのように変わっているか
を振り返ることもできるようです。

本が密接に関わっていた過去があるからこそ
本との関わりを通じて振り返れる内容も大きいのかもしれません。

ちなみに先日久しぶりに買った本は、すべて仏教系のものでした。
そのあたりも自分の変遷を感じさせます。

cozyharada at 23:15|Permalinkclip!NLP | 心理学

2019年09月21日

【札幌開催セミナー】第3回実践心理学研修会

10月26日、27日の土日に、札幌で講座をします。
(詳細はこちら>>

メインテーマは『心理分析』です。


心理分析といっても精神分析のようなものとは異なります。

分析という観点では共通する部分もありますが
もっとも大きく異なるのは「心」そのものの取り扱いです。

基本的に「心」を扱うものは、「心」を1つのモノと捉えます。
1つの身体に1つの心。
そういう発想です。

そしてその1つの心の性質を見ようとするわけです。
「こういう人には、どんな心理があるのだろうか?」と。

ここが人の心を理解するのを難しくする要因です。

心を1つのものと想定すると、
1つのものとして一貫した性質を知りたくなります。

一人の人なのだから「この人は〜な人」というパターンは変わらない。
そんな前提が生まれがちです。

しかし実際には、その時々で違ったパターンの行動をすることもあります。

いつもと違うとか、地雷を踏んで感情が激変するとか。
昨日と言っていることが違うとか、意外な一面が出るとか。
「え?こんなはずでは…」と、驚きとともに
パターンが崩れることに戸惑うわけです。

そして「あの人の気持ちが分からない」という結論に至る、と。
「いったい、あの人の本音は何なんだ?」と分からなくなるんです。

1つの本音というものを探すから見つからないんです。


そうではなくて、「心は1つのもの」と想定する代わりに
「心は集合体」と想定する。

心という容れ物の中に、様々な意見をもった役割が集まっている。
これをNLPでは『パート』という呼び方をしています。

喩えるなら、中学校の1クラスのようなものです。
様々な生徒がいます。
それぞれが違った意見を持っています。

そして場面ごとに主に活躍する生徒が決まっているんです。
授業中によく発言する勉強の得意な子、
サッカーのときに司令塔役をやる子、
生徒会のときにクラスの意見を提出する学級委員、
他校とケンカになったときに先頭に立つ番長…。

違った性格、違った特技をもった生徒が
ある場面で前面に出てくる感じです。

それぞれの意見や考えが違っても不思議ではありませんし、
まったく違った性格をしていても不思議ではないでしょう。

個人の心と、中学校の1クラスが異なるのは
中学校だと全員がバラバラに同じタイミングで話すことができますが、
個人の場合には口が1つしかないので同時に複数の意見は話せない、
ということです。

だから生徒が一人ずつマイクを渡し替えて
そのそきに前面に出ている生徒が話をする形になる。
一人ずつしか意見を聞くことができないクラスのようなイメージです。

決まった条件になると前面に出てくる生徒が入れ替わるんです。
そのとき、さっきまでと意見や態度が変わって聞こえます。
「あれ、急に別人のようだ…」と。

別人なんです。
別パートなんです。

1つの本音を探すのではなく、
登場してくる「心の中の担当者」全員分について
それぞれ意見を聞き分ける。

そうやって、心という容れ物の中で展開している
「動き」を捉えます。

これが今回紹介する心理分析の第一歩です。
他の種類の心理分析やプロファイリングと異なる特徴です。


そして心を集合体として、その中での動きを捉えられたら、
それぞれの担当者の心理分析をします。

では、このときの心理分析で何をするか?

原則的に心理分析をするのは、理解したいからでしょう。
相手のことを理解したい。
人の気持ちを知りたい。

その先には多くの場合
「理解できれば、うまく対応できるはずだ」
という見込みを持っているはずです。

つまり自分が望む結果に繋がるように、相手に働きかけたい、と。

セールスであれば、買ってもらう方向へ。
頼みごとをするのであれば、引き受けてもらえる方向へ。
クレーム対応であれば、落ち着いて納得してもらえる方向へ。
部下に指示するのであれば、指示通りに動いてもらえる方向へ。
子供との関りであれば、素直に言うことを聞いてもらえる方向へ。
気まずい間柄であれば、仲良く打ち解けられる方向へ。
…さまざまな思惑があるはずです。

相手の行動が、自分の望むほうへ向いてくれるように働きかける。
これを『動機づける』と言います。

英語でいうと motivate ですから、
「動機づけること」が「motivation」となります。

よく日本語では「モチベーションを高める」のような言い方をしますが、
それはまさに、
 自分の望む方向へ相手を『動機づける』
ことだと言っていいでしょう。

ここで本講座が、心理分析とモチベーションを同時に扱う理由です。

相手の心理を理解して、相手を適切に動機づける。

少なくとも、自分の想定通りに動かない人について
その心理を理解することができる。

そういう趣旨で講座を進めます。


動機づけをゴールとして相手の心理をするのだとしたら、
では具体的に何を「分析」して、何を理解すればいいのでしょうか?

たとえば典型的な心理分析として挙げられそうな精神分析では
『欲求』や『原因』を理解しようとします。

欲求とは、人間に備わった基本的な性質ということですから、
「人間は基本的にこういうことを求めて行動する」のような情報として
理解をするうえでの土台となる知識になります。

原因はストーリー展開です。
「こういうことがあった。だから、こういう風になった。」
のように妥当な因果関係を見つけようとするやり方です。

現在の心理について、そうなるに至った過去の出来事を見つけて
「過去にこんな体験をしていれば、今こういう考えになるのは当然だ」
という形で分析を行うわけです。

あるいはプロファイリングなんかも典型的な心理分析のイメージでしょう。

こちらはパターンを把握します。
行動パターン、思考パターンなど、
その人の中にある決まった傾向を調べる。

そうすると、
「この傾向の人は、こういうことがあると、こんな反応をする」
などの予測がつくようになります。

原因は気にせず、とにかく傾向が調べられればいい、というスタンスです。

プロファイリングの場合は、認識できるパターンの数が多いほど
精度高く人を分析することが可能になります。

なのでコンピューターを使って数百もの行動パターンを把握して
その人の行動を予測しようとするようなものまであります。

実用的には個人が把握できる数には限度がありますから
主な数パターンから、十数個のパターンぐらいを見ようとする
というのが一般的でしょう。

それに対して、今回の講座で行う心理分析は
原因分析や欲求の理解でもなければ、
複数のパターンを調査するプロファイリングでもありません。

『目的』の分析をします。

そのような振る舞いをする目的を理解しようとするんです。
「何のために?」と。


相手の振る舞いの目的が分かれば、
その目的を満たすように対応することで
相手の気持ちを落ち着けることができます。

そもそも動機づけをするときには
「こちらが望む方向へ」動いてもらう狙いがありますが、
その前提には「なかなか望むように動いてくれない」状況があります。

なぜ動いてくれないのか?というと、それは
相手には相手の望む方向があるからです。

自分と相手、それぞれが別のことを望んでいる。
そこで自分の望む方向にだけ無理やり動かそうというのは
いささか都合が良すぎます。

相手には相手の言い分があり、相手の望むことがある。
その相手の望んでいることが「相手の目的」です。

なぜこちらの望む方向へ動かないのか?
その心理として「そちらへ動かない目的」を理解する必要があります。

目的を理解できれば、その望んでいることを満たしてあげられる。
相手の望んでいることを満たしつつ、
こちらの望んでいることを満たしてもらう。

相手にとっても自分にとっても望む方向に動いてもらうわけですから
納得して動いてくれるようになる可能性は格段に高まります。

だから相手の振る舞いの『目的』を知りたいんです。
相手の望んでいることを満たせるように心理分析をしたいんです。


原因分析だと、これは簡単には成り立ちません。

原因分析が適切にできると、自分の側に納得感が起こります。
現状の振る舞いの理由が妥当なものに見えてくる。
「そういう事情があったんなら当然だなぁ」と。

自分の望むように動いてくれていない現状が
「それだったら、やらなくて当然か」と納得してしまう。

諦めがつくという意味では役立ちますが
望む方向には進んでいきません。

原因分析をベースに動機づけようとしたら、そこからもう一度
「だったら、どうしたら動いてもらえるだろうか?」と
効果的な対処法を新たに考え始める必要が出てきます。

それが目的分析だと、もっとシンプルなんです。

最初から相手が望んでいることを理解しようとする。
理解できたら、その望んでいることを満たしてあげればいい。

分析結果と対応が直結しているところが大きなメリットだといえます。


ということで、この講座の趣旨は…。

自分が望むほうへ相手に動いてもらいやすくするために
相手の現状の心理を分析する。

そのとき心という容れ物の中で起こっている「動き」を捉え
それぞれの担当者に注目する。

その担当者の「目的」を捉える。

そしてその目的を満たすように、自分の関わり方を調節する。


…このようなものだといえます。

理解するために必要な知識を紹介することもありますが
大部分は実習の予定です。

さまざまな実習を通して経験的にコツを身につけていただく狙いです。

講座に参加するだけで巧みな分析ができるまでは到達できないでしょうが、
最初の一歩としては相当な”大股の一歩”を踏み出すことにはなるはずです。

あとはどれだけ実践を重ねるか。
トレーニング法は講座中に紹介する実習そのもので十分でしょう。

必要なレベルまで、人の心を理解する技術を高めて頂ければと思います。


そんな講座です。

詳しい情報とお申込みはこちらをご覧ください。
https://hsmana.com/kenshukai3?fbclid=IwAR19JT-ull1MvfpvmqvBEzMBGehAh8EHOGNbP8XqvEJwq3w_09Pywu_1Te0

2019年09月11日

干からびる理由

食事を変えてから「痩せた?」と聞かれることが増えてきました。
それで体重を測ってみることに。

まあ、少し減ったようです。


が、それ以上にビックリしたことがありました。

週末に2日セミナーをやると、
月曜日の体重が1.5キロぐらい減っているんです。

セミナーの日も普通に食べます。
むしろ食べる量は増えているぐらい。

何より、2日で1.5キロも肉が減るわけはなさそうですから、
おそらくは水分で体重が変わるんでしょう。

実際、一日休むと、次の日には戻りますし。

どおりでセミナー翌日は全身がカサカサになっているわけです。


しかしながら、セミナーの日は水分も採っているんです。
それもかなり多めに。

食べ物の分を除いて、飲み物として3リットル以上。

それが汗と尿で排泄されてしまうようです。

体重が減るということは、まだ足りないのか…。
でも飲んでとしても出てしまいそうな気がします。

そもそも代謝が変わるんでしょう。

セミナーのときは自律神経の働きが変わるのかもしれません。

まあ、たいした問題ではありませんが。

cozyharada at 23:42|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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