2019年10月13日

比べると気づける

数年前までは海外ドラマの『メンタリスト』のDVDが
一年に一度、1シーズン分として発売されていて、
これを毎年購入して見ていたんです。

内容はもちろん毎回、展開がありますが
メインとなる登場人物は基本的に同じ。

ボキャブラリーも似通ったものになりやすいと思われます。

なので、一年に一度、このDVDシリーズを見ると
自分の英語のリスニング力をチェックできていたんです。

一年ぶりに同じシリーズに接したとき
前よりも内容が英語のまま入ってきやすい。
となると聴解力が上がっているのではないか。

そんな判断材料でもあったわけです。


ところが最近は海外ドラマのDVDを買うこともありません。

たまにアメリカに行ってテレビを見れば
確かに英語のチェックにはなります。

ただ、これは比較が難しいんです。
同じシリーズだから比べる基準があったんだと実感します。

また先日も海外のトレーナーを招待して
そのコーディネーター役をやったんですが、
こちらもやはり初対面なので対比は難しい。

むしろ事務的なやりとりをするための日常的なボキャブラリーが
使えるものになっていないためにスムーズでない体験をして
そちらばかりが際立って印象に残ったりもしました。

というわけで自分の英語について振り返る機会もなく、
英語力が伸びているのか自覚できていなかった、という話です。


で最近、11月に再来日するアメリカ人講師の講座について
テキストの一部をチェックする機会があったんです。

そのテキストも翻訳は、前書きを除いて僕が数年前にやりました。

もうハッキリとは覚えていないため、前書きの日本語を見たとき
「こんな訳を自分がするかな?」と感じることがあったんですが、
調べてみたら、その部分に自分の関与はありませんでした。

むしろ本文に入ると、なんとなく見覚えがある。
完成版を見て違和感のあるところをチェックすると、
自分の翻訳とは少し表現が変わっている部分でした。

最後にまとまて編集をした方が、
用語の統一や日本語の理解しやすさのために
手を入れたんだろうと思われます。

そう考えると、意外と記憶に残っているものなんだと思えました。


英文のほうに変更点があるということで
一通り元の文章をチェックしながら見直してみると、
自分の日本語訳なので、奇妙なところはすぐに見つかります。

こんな訳をするかな?と思って
古いテキストの英文と、新しい英文とを比べると
その部分に変更が見つかる。

そんな感じでチェックを進めました。

すると、そもそも英語の訳のニュアンスとして
あまりシックリこないところもあったんです。

英文のほうで変更はないけれど、
数年前の自分の訳の仕方がイマイチ。

その理由で手を入れ直した部分があります。


これは数年前に自分が翻訳したものだから
今の自分と対比させることができた、と言えそうです。

英語の理解力として、数年前よりも、いくらかは
細かい意味を捉えられるようになったのかもしれません。

当時は馴染みがなくて
適切な日本語を見つけられなかった英語のフレーズも、
ここ数年のうちに何度も接して、自然と意味を掴んでいた…
そんな可能性もありそうです。

いずれにしても、自分のやったことを改めてチェックすると
改善点の形で「新たに気づけるようになったこと」が
浮き彫りになってくるようです。

おそらくこれは翻訳だけではないでしょう。
自分が英語で書いた文章も何年後かにチェックすると
自分の英語力の伸びを自覚する材料になりそうです。

語学だけにも限らないはずです。

自分が過去に作った資料を数年後に見直す、なんていうのも
自分の理解の深まりを知る機会になるんじゃないでしょうか。

cozyharada at 23:56|Permalinkclip!コミュニケーション | NLP

2019年10月03日

ポイントが失効するまで

随分とブログを放ったらかしにしていました。
二週間ぶりぐらいでしょうか。

ですが、それ以上に久しぶりだったのが本屋です。
先日、新宿の大型書店で本を買いました。

以前は頻繁に通っていた、お気に入りの本屋。
そこは書店には珍しくポイントカードがあって
大量に本を買い込んでいた時期には、いくらかお得に利用できたんです。

しかもそちらには併設のカフェもあって、一定額以上を購入すると
そこで使えるコーヒー一杯無料券をサービスしてもらえました。
(多分、今でもあるんじゃないかと思いますが)

本をたくさん読んでいた頃の僕は、3,4冊をまとめ買いしては
そのままカフェに移動して、そちらで買った本を読む…
なんてパターンをよくしていたんです。

大型書店には喫茶店併設のことは意外とあるものですから
この「まとめ買い→もらったチケットでコーヒーを飲みつつ読書」
の行動パターンは、何軒かの本屋でやっていたものです。

ですが新宿のその書店は、店内の雰囲気がオシャレな感じだったり、
本の探しやすさ、中身をチェックするときの空間的余裕があったり、
大型の割りに人が少なめだったりと、
色々な点で他の書店よりも僕の好みに合っていたようなんです。

ですから僕の住まいには、そちらの書店のブックカバーがついた本とか
そちらの書店のビニール袋に入れて小分けにした物とか、
ヘビーユーザーだった痕跡が沢山あります。

当然、そちらで発行しているポイントカードには
それなりの額のポイント残高があったと記憶していました。


ところが先日、久しぶりにそちらの書店に足を運び、
三冊ぐらい本を買ってみて驚きました。

ポイントが全て失効していたんです。

随分と久しぶりの気がしていましたが、
どうやら年単位で行っていなかったみたいです。

こんなにも時間の経過が速いとは…。

そして、こんなにも長い間、本から離れていたとは…。


もちろん、本を全く読まなかったわけではありません。
たまにAmazonで購入したりはしていましたし、
洋書をKindleで読むことはありました。

それでも量は確実に減っています。

何より、読む本のジャンルが変わってしまっていますから
それで本屋に行く頻度も下がったんだろうと思います。

思い返せば、僕が最初に本を読むようになったのは
大学生の頃、心理読み物の本でした。

一般教養で精神分析の授業を取って、その教授が加藤諦三氏だったので
そこからその先生の本を読むようになりました。

応用化学科に在籍していた当時から、心のことは好きだったんでしょう。

キャンパス内にも教科書をメインで販売する大学生協の書店がありましたが
一般書も一部売られていたので、そこでも本を見ていた思い出があります。

大学院の頃だったか、今でこそ大人気の内藤誼人氏が最初の本を出版して
平積みになっていた本を立ち読みして、すぐに購入、
これも夢中で読んだ記憶があります。

おそらく僕が心理系の技術、コミュニケーションの”方法”というものに
興味を持ったのは、この本からだったはずです。

そして心理系・コミュニケーション系に興味を持ったまま
会社員になって、山口県に3年ほど住みます。

このとき、初めて尽くしのストレスが重なり、
気分転換に利用できる娯楽が本ぐらいしか見つからなかったため、
一気に本を読む量が増えました。

本当は運動でもすれば気分も発散できたのでしょうが、
鬱々とした時期は、意識が内攻的になる分
体を動かすよりも本を読みたくなっていたんだろうと思われます。

その後、転勤で東京に戻ってきて、なんとなく速読教室に通い始めます。
当時の動機は「英語の論文を早く読みたい」というものでした。
まだ研究を頑張るつもりでしたから。

このときが「お金を払って何かを勉強しに行く」初めての体験です。

小田急線で新宿に出て、JRで池袋に移動、
そこにあった速読教室に行っていました。

当然、道中には大型書店が数軒あります。

速読のトレーニングをしているわけですから
自分で買って本を読む「実践」の頻度も上がりました。

そのときにビジネス書や自己啓発書を読むようになったんです。


そして少しして、NLPの講座に参加しました。
割りと高額のセミナーに参加する決意ができたのは、それ以前に
速読教室で「お金を払って勉強する」下地を作っていたからでしょう。

そしてNLPを一気に一通り学び、あとは専門的な知識を得るために
NLP関連の本、心理学の本、心理療法の本、脳科学の本などを読み漁りました。

専門書が増えた時期です。

しかし、そういう専門書の購入量も数年前から減ってきていました。
良くいえば、ある程度は自分の中で理解がまとまってきた、ということでしょう。

専門家として自分の見解がまとまり、他の専門家を対等に見るようになった…
とも言えるかもしれません。

研究職時代に論文を読むのは、あくまで他の研究者の事情を把握して
世の中全体で得られている情報をシェアするためでした。

何かを教わろう、学び取ろう、という話ではありません。

そんな感じに似ていると思います。
他の専門家の見解や、新たに発見された科学的な裏付けを
情報としてチェックすることはあっても、
「専門家が書いた本から学ぶ」というスタンスは減ったみたいです。

自然と「インプットのための読書」をする機会は少なくなりました。
むしろ娯楽としての読書の側面が高まったかもしれません。

が、娯楽の頻度は決して高くありません。
本屋を離れるのも不思議ではないでしょう。


最近になっても購入することがあったのは語学関連の本。
これは「本から学ぶ」とか「読んで楽しむ」とかよりも
語学のトレーニングのための練習素材として、の趣旨が強いです。

あまり読書とは言えない気がします。
自習教材を買っているだけ。

そして自習教材となると、書店が全てではなくなります。
むしろ評判のいいものを手に入れるには、通販が都合が良かったり。

なので書店で本を買うことも減っていたんでしょう。

数年間もお気に入りの本屋で購入しなかったのも納得です。


買う本の種類によって
 どのように自分の興味の対象が移り変わっているか
を客観的に把握することも可能です。

同時に、書店の利用目的によっても
 自分の「本に対するスタンス」がどのように変わっているか
を振り返ることもできるようです。

本が密接に関わっていた過去があるからこそ
本との関わりを通じて振り返れる内容も大きいのかもしれません。

ちなみに先日久しぶりに買った本は、すべて仏教系のものでした。
そのあたりも自分の変遷を感じさせます。

cozyharada at 23:15|Permalinkclip!NLP | 心理学

2019年09月21日

【札幌開催セミナー】第3回実践心理学研修会

10月26日、27日の土日に、札幌で講座をします。
(詳細はこちら>>

メインテーマは『心理分析』です。


心理分析といっても精神分析のようなものとは異なります。

分析という観点では共通する部分もありますが
もっとも大きく異なるのは「心」そのものの取り扱いです。

基本的に「心」を扱うものは、「心」を1つのモノと捉えます。
1つの身体に1つの心。
そういう発想です。

そしてその1つの心の性質を見ようとするわけです。
「こういう人には、どんな心理があるのだろうか?」と。

ここが人の心を理解するのを難しくする要因です。

心を1つのものと想定すると、
1つのものとして一貫した性質を知りたくなります。

一人の人なのだから「この人は〜な人」というパターンは変わらない。
そんな前提が生まれがちです。

しかし実際には、その時々で違ったパターンの行動をすることもあります。

いつもと違うとか、地雷を踏んで感情が激変するとか。
昨日と言っていることが違うとか、意外な一面が出るとか。
「え?こんなはずでは…」と、驚きとともに
パターンが崩れることに戸惑うわけです。

そして「あの人の気持ちが分からない」という結論に至る、と。
「いったい、あの人の本音は何なんだ?」と分からなくなるんです。

1つの本音というものを探すから見つからないんです。


そうではなくて、「心は1つのもの」と想定する代わりに
「心は集合体」と想定する。

心という容れ物の中に、様々な意見をもった役割が集まっている。
これをNLPでは『パート』という呼び方をしています。

喩えるなら、中学校の1クラスのようなものです。
様々な生徒がいます。
それぞれが違った意見を持っています。

そして場面ごとに主に活躍する生徒が決まっているんです。
授業中によく発言する勉強の得意な子、
サッカーのときに司令塔役をやる子、
生徒会のときにクラスの意見を提出する学級委員、
他校とケンカになったときに先頭に立つ番長…。

違った性格、違った特技をもった生徒が
ある場面で前面に出てくる感じです。

それぞれの意見や考えが違っても不思議ではありませんし、
まったく違った性格をしていても不思議ではないでしょう。

個人の心と、中学校の1クラスが異なるのは
中学校だと全員がバラバラに同じタイミングで話すことができますが、
個人の場合には口が1つしかないので同時に複数の意見は話せない、
ということです。

だから生徒が一人ずつマイクを渡し替えて
そのそきに前面に出ている生徒が話をする形になる。
一人ずつしか意見を聞くことができないクラスのようなイメージです。

決まった条件になると前面に出てくる生徒が入れ替わるんです。
そのとき、さっきまでと意見や態度が変わって聞こえます。
「あれ、急に別人のようだ…」と。

別人なんです。
別パートなんです。

1つの本音を探すのではなく、
登場してくる「心の中の担当者」全員分について
それぞれ意見を聞き分ける。

そうやって、心という容れ物の中で展開している
「動き」を捉えます。

これが今回紹介する心理分析の第一歩です。
他の種類の心理分析やプロファイリングと異なる特徴です。


そして心を集合体として、その中での動きを捉えられたら、
それぞれの担当者の心理分析をします。

では、このときの心理分析で何をするか?

原則的に心理分析をするのは、理解したいからでしょう。
相手のことを理解したい。
人の気持ちを知りたい。

その先には多くの場合
「理解できれば、うまく対応できるはずだ」
という見込みを持っているはずです。

つまり自分が望む結果に繋がるように、相手に働きかけたい、と。

セールスであれば、買ってもらう方向へ。
頼みごとをするのであれば、引き受けてもらえる方向へ。
クレーム対応であれば、落ち着いて納得してもらえる方向へ。
部下に指示するのであれば、指示通りに動いてもらえる方向へ。
子供との関りであれば、素直に言うことを聞いてもらえる方向へ。
気まずい間柄であれば、仲良く打ち解けられる方向へ。
…さまざまな思惑があるはずです。

相手の行動が、自分の望むほうへ向いてくれるように働きかける。
これを『動機づける』と言います。

英語でいうと motivate ですから、
「動機づけること」が「motivation」となります。

よく日本語では「モチベーションを高める」のような言い方をしますが、
それはまさに、
 自分の望む方向へ相手を『動機づける』
ことだと言っていいでしょう。

ここで本講座が、心理分析とモチベーションを同時に扱う理由です。

相手の心理を理解して、相手を適切に動機づける。

少なくとも、自分の想定通りに動かない人について
その心理を理解することができる。

そういう趣旨で講座を進めます。


動機づけをゴールとして相手の心理をするのだとしたら、
では具体的に何を「分析」して、何を理解すればいいのでしょうか?

たとえば典型的な心理分析として挙げられそうな精神分析では
『欲求』や『原因』を理解しようとします。

欲求とは、人間に備わった基本的な性質ということですから、
「人間は基本的にこういうことを求めて行動する」のような情報として
理解をするうえでの土台となる知識になります。

原因はストーリー展開です。
「こういうことがあった。だから、こういう風になった。」
のように妥当な因果関係を見つけようとするやり方です。

現在の心理について、そうなるに至った過去の出来事を見つけて
「過去にこんな体験をしていれば、今こういう考えになるのは当然だ」
という形で分析を行うわけです。

あるいはプロファイリングなんかも典型的な心理分析のイメージでしょう。

こちらはパターンを把握します。
行動パターン、思考パターンなど、
その人の中にある決まった傾向を調べる。

そうすると、
「この傾向の人は、こういうことがあると、こんな反応をする」
などの予測がつくようになります。

原因は気にせず、とにかく傾向が調べられればいい、というスタンスです。

プロファイリングの場合は、認識できるパターンの数が多いほど
精度高く人を分析することが可能になります。

なのでコンピューターを使って数百もの行動パターンを把握して
その人の行動を予測しようとするようなものまであります。

実用的には個人が把握できる数には限度がありますから
主な数パターンから、十数個のパターンぐらいを見ようとする
というのが一般的でしょう。

それに対して、今回の講座で行う心理分析は
原因分析や欲求の理解でもなければ、
複数のパターンを調査するプロファイリングでもありません。

『目的』の分析をします。

そのような振る舞いをする目的を理解しようとするんです。
「何のために?」と。


相手の振る舞いの目的が分かれば、
その目的を満たすように対応することで
相手の気持ちを落ち着けることができます。

そもそも動機づけをするときには
「こちらが望む方向へ」動いてもらう狙いがありますが、
その前提には「なかなか望むように動いてくれない」状況があります。

なぜ動いてくれないのか?というと、それは
相手には相手の望む方向があるからです。

自分と相手、それぞれが別のことを望んでいる。
そこで自分の望む方向にだけ無理やり動かそうというのは
いささか都合が良すぎます。

相手には相手の言い分があり、相手の望むことがある。
その相手の望んでいることが「相手の目的」です。

なぜこちらの望む方向へ動かないのか?
その心理として「そちらへ動かない目的」を理解する必要があります。

目的を理解できれば、その望んでいることを満たしてあげられる。
相手の望んでいることを満たしつつ、
こちらの望んでいることを満たしてもらう。

相手にとっても自分にとっても望む方向に動いてもらうわけですから
納得して動いてくれるようになる可能性は格段に高まります。

だから相手の振る舞いの『目的』を知りたいんです。
相手の望んでいることを満たせるように心理分析をしたいんです。


原因分析だと、これは簡単には成り立ちません。

原因分析が適切にできると、自分の側に納得感が起こります。
現状の振る舞いの理由が妥当なものに見えてくる。
「そういう事情があったんなら当然だなぁ」と。

自分の望むように動いてくれていない現状が
「それだったら、やらなくて当然か」と納得してしまう。

諦めがつくという意味では役立ちますが
望む方向には進んでいきません。

原因分析をベースに動機づけようとしたら、そこからもう一度
「だったら、どうしたら動いてもらえるだろうか?」と
効果的な対処法を新たに考え始める必要が出てきます。

それが目的分析だと、もっとシンプルなんです。

最初から相手が望んでいることを理解しようとする。
理解できたら、その望んでいることを満たしてあげればいい。

分析結果と対応が直結しているところが大きなメリットだといえます。


ということで、この講座の趣旨は…。

自分が望むほうへ相手に動いてもらいやすくするために
相手の現状の心理を分析する。

そのとき心という容れ物の中で起こっている「動き」を捉え
それぞれの担当者に注目する。

その担当者の「目的」を捉える。

そしてその目的を満たすように、自分の関わり方を調節する。


…このようなものだといえます。

理解するために必要な知識を紹介することもありますが
大部分は実習の予定です。

さまざまな実習を通して経験的にコツを身につけていただく狙いです。

講座に参加するだけで巧みな分析ができるまでは到達できないでしょうが、
最初の一歩としては相当な”大股の一歩”を踏み出すことにはなるはずです。

あとはどれだけ実践を重ねるか。
トレーニング法は講座中に紹介する実習そのもので十分でしょう。

必要なレベルまで、人の心を理解する技術を高めて頂ければと思います。


そんな講座です。

詳しい情報とお申込みはこちらをご覧ください。
https://hsmana.com/kenshukai3?fbclid=IwAR19JT-ull1MvfpvmqvBEzMBGehAh8EHOGNbP8XqvEJwq3w_09Pywu_1Te0

2019年09月11日

干からびる理由

食事を変えてから「痩せた?」と聞かれることが増えてきました。
それで体重を測ってみることに。

まあ、少し減ったようです。


が、それ以上にビックリしたことがありました。

週末に2日セミナーをやると、
月曜日の体重が1.5キロぐらい減っているんです。

セミナーの日も普通に食べます。
むしろ食べる量は増えているぐらい。

何より、2日で1.5キロも肉が減るわけはなさそうですから、
おそらくは水分で体重が変わるんでしょう。

実際、一日休むと、次の日には戻りますし。

どおりでセミナー翌日は全身がカサカサになっているわけです。


しかしながら、セミナーの日は水分も採っているんです。
それもかなり多めに。

食べ物の分を除いて、飲み物として3リットル以上。

それが汗と尿で排泄されてしまうようです。

体重が減るということは、まだ足りないのか…。
でも飲んでとしても出てしまいそうな気がします。

そもそも代謝が変わるんでしょう。

セミナーのときは自律神経の働きが変わるのかもしれません。

まあ、たいした問題ではありませんが。

cozyharada at 23:42|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2019年09月07日

調べれば見つかる

調べてみると世の中には便利なものがあるんですね。

インターネットがあるからこそ見つけられるわけですが、
今のような情報化がなされる前には
詳しい人に直接教えてもらうぐらいしか方法が無かったのかもしれません。


僕の出張用のカバンには、
移動中に使う用途のイヤホンを入れっぱなしにしてあります。

随分と前に購入して、普段使いには少しだけ不便なものだったので
使用頻度の少ない出張用にしてしまった形です。

どうもケーブルが細いのか、クルクルと丸まってしまったり、
絡み合ったりして使い勝手がよろしくないんです。

そもそも音色へのコダワリはあまりないので
高級品を買う必要もないんですが、
丸まったり捩じれたりしたケーブルが首に当たるのがどうも好きではない。

それでも新幹線とか飛行機の中だけのつもりだったので
我慢して使い続けていました。

ただ最近は、コンビニでも安いイヤホンが売っているぐらいですし、
安くてもケーブルが丈夫そうなのがありますから
わざわざ不快な思いをし続ける必要もなさそうに思ってきました。

それで少しだけネットでイヤホンを調べてみたんです。


主な用途は出張を中心にした長距離移動の最中。
乗り物の中が前提です。

そうすると、ノイズキャンセリング機能というのが良さそうな話が見つかります。

とくに飛行機の中だと、常になり続けている「ゴーッ」という低音が
大部分をキャンセルして静かになるとのことでした。

体で感じる振動だけでなく、耳から感じる振動もストレス要因らしく
人によってはノイズキャンセリングのイヤホンやヘッドホンを使うだけで
疲労感が激減するらしいんです。

これは試してみたい。

ヘッドホンは耳が圧迫されて痛くなるので
イヤホン形式で調べてみると、
比較的リーズナブルなものもあるようでした。

ここ数年は、年に1,2回、海外に行く機会がありますから
長時間のフライトにも望ましいのではないかと思えてきます。

ひょっとしたら飛行機の中で寝られたりして…なんて
甘い期待も少し持っているところです。


で、飛行機と関係させながら気にして調べ続けていると
飛行機用のイヤホンジャックなんてのも見つかりました。

国際線の場合、だいたいは、各座席に専用モニターがついています。

その音声は、同じく各座席のイヤホンジャックから
ヘッドホンやイヤホンを使って聞く形式です。

前述のとおり、僕はヘッドホンで圧迫されて耳が痛くなるのが苦手です。
2時間の映画一本をヘッドホン使用で見ようものなら
その痛みから高確率で片頭痛に発展するんです。

なので通常は自分のイヤホンを使います。

ところが、飛行機の種類によっては
座席に設定されているイヤホンの差込口が2穴のことがあります。

普通のイヤホンジャックは一本の棒ですが、
飛行機によっては日本の棒が差し込まれる形なんです。
先端が枝分かれしている、と。

そこに普通のイヤホンを差し込むと
音が片耳からしか聞こえません。

2つの穴が、それぞれの耳の音に対応しているんでしょう。
それでステレオ音声を作り出す仕組みなんだと思います。

厳密には、片方が普通の音量で、もう一方がすごく小さい音
なだけですから、まったく映画が楽しめないわけではありません。

なので僕は音質が悪くても我慢して
片耳メインでイヤホンを使っていました。

そうやって長時間のフライトの間、映画を見ていたわけです。

しかしながら世の中には、
飛行機の2穴の差込口に対応した変換プラグが存在するようです。

これを接続すれば、普通のイヤホンを使って
飛行機のモニター用の音声をステレオで両耳で聞くことができる。

しかも数百円程度です。





別に新発明なわけでもないんでしょう。

ただ僕が知らなかっただけ。

それで僕は数年にわたって、片耳の音で何時間も我慢していたんです。
知らないだけで損をするというか、
知っていさえすれば簡単に対応できたというか。

調べてみれば便利なものがあるんだ、という話です。

これとノイズキャンセリングのイヤホンを組み合わせたら
もしかすると国際線の飛行機移動も随分と快適になるのではないか…
そんなことを想像して、少し楽しみになってきています。

自分が思いついて対処する範囲なんて限られているものなんでしょう。
詳しい人だったら簡単に、もっと効果的な解決策を知っているかもしれない。

自分の思いつく「その場しのぎ」に固執せず、
よりよい解決策を探してみるのも良いような気がします。

cozyharada at 23:56|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2019年09月02日

通訳に向いているかどうか

インターネットの検索結果が広告内容と関連するのは
もうすっかり当たり前になった感じもしますが、
広告の閲覧履歴なんかも、次の広告表示に影響するようです。

スマホでうっかり触ってしまって偶然に広告を開いてしまったりすると
その後、似たような内容のものとして表示されたりしますし。


僕の場合、外国語関連の検索をしたりすることが多く、
自然と広告にも外国語のものが多い印象を受けます。

そうはいっても英語のニーズの高さは
他の外国語と比べものになりませんから、
表示されてくる広告も当然、英語関連ばかり。

勉強法やら英語コーチングやら、英会話カフェやら、スクールやら。

先日は通訳学校の広告も出てきました。

英語力を土台から高める、という観点では
通訳のトレーニングは効果的かもしれないと感じるところもあります。
実際、チョット興味があるんです。

一方で、英語と日本語が常に行ったり来たりする状態になっていると
切り替えがどうなるのか、という心配もあります。

「通訳モード」みたいなのが出来上がるのかもしれませんが
普段、英語だけ、日本語だけを話しているときには
どういう感じになるんでしょうか?


僕が見ている感じでは、通訳をやっている人には
NLP的にいうと、1つの体験にアソシエイトしやすく
同時に抽象度の高い作業に意識が向きやすい傾向がありそうな印象です。

目の前のことに集中することができて、
しかも法則やパターンとして持っているものを
堅実に使い続けることができる。

また、要領がよくて、瞬間的にポイントを掴む能力にも長けた傾向です。
細かいことを考えすぎて進めなくなるタイプではない感じ。

実際、通訳をしている最中に、
「もっとこっちのニュアンスのほうが近いかも…」
なんて気にしている時間的余裕はないのかもしれません。

一字一句を覚えて、翻訳をするわけでもないようですし。

話の内容を押さえて、それに対応する日本語の文章に変換する。
その意味で、通訳は「translator」ではなく
「interpreter」と呼ばれるのかもしれません。

フランス語からスペイン語のように、近い言語であれば
単語と単語で一対一の変換を行って、
同じ構文を使って正確な翻訳作業もできる可能性はありそうですが、
日本語と英語のように文法的にも単語としても大きく異なる言語では
会話の最中に「翻訳」をすることは困難だと想像されます。

むしろ意味合いを理解して、元の意味合いに近い内容を
日本語に置き換える作業のほうがスムーズなんじゃないでしょうか。
だから「解釈」の意味を持つ「interpret」が使われる、と。

調べてみると、通訳学校でも要約のトレーニングをするらしいです。
一字一句を正確に覚えることより、意味を捉えることが現実的には重要…
ということを示唆しているような気がします。

ですから、ポイントを掴みとる能力が高い傾向、
チャンクアップ能力が求められる分野なのではないか、という話です。

通訳のトレーニングをするうちに、その能力が高まる人もいるでしょうし、
もともとその傾向が高い人が通訳になりやすいとも言えそうですが。


じゃあ、僕はどういう傾向かというと、
ちょうど真逆なフシがあります。

細かい違いに目が向きやすく、要領が良い方ではありません。

1つの言葉についても、極力、元の意味に近いものを探したくなってしまう。
翻訳作業なんかをすることもありますが、この理由で時間はかかるとはいえ
 自然な日本語に近い言い回しで、かつ元の意味合いを維持する
という方向性のほうが得意なように思います。

よく使われる日本語の意味として曖昧なものがあったりすると、
そういう単語は選ばないように気をつけたくなってしまうんです。

例えば、NLPとか瞑想とかで出てくる「awareness」という単語。
辞書では「気づき」という訳語が与えられることが多いですが、
これは「気づいている aware」という形容詞の名詞化されたものです。

だから「気づいていること」のほうが正確なんです。

「気づき」と言ってしまうと、一般的な日本語では
「気づく」という一瞬の変化を説明する動詞が想定されやすいはずです。

「今日は、こんな気づきがありました」
「やってみて、どんな気づきがありましたか?」
のようなニュアンス。

「発見」に近いんです。
finding とか realization とかのほうが日本語の「気づき」に近い。

すごく訳しにくい言葉だと思います。

翻訳であれば、訳注をつけたり、元の単語を併記したりして
誤解を防ぎやすくすることも可能でしょう。

ですが、通訳の場合、そこまでの時間的余裕はないんだろうと思われます。
結果、多くの場合、一般的に使われる単語に置き換えて話が進む。

細部の正確さよりも、聞いている人が全体として理解できる方が
重視されるところもあるんでしょうし、なにより
聞いている側がそんなに細かいところを気にしているわけではない、
というのも大きいと思います。

話を聞いていて、一字一句を覚えている人なんていませんから。
全体の内容が掴めるようにするほうが重要なんだろうと想像します。

(もちろん、一流の通訳者になると
 全体のスムーズさと、細かな単語のニュアンスと
 両方を扱えるんだろうとは思いますが)

それに対して、僕の傾向としては、そういう細かい単語の意味の違いとか
理解しやすい日本語の文章構造とか、自然な言い回しとか、
全体からしたら大して重要ではない詳細に意識が向きやすいところがあります。

これだと翻訳はできても、通訳は難しいのではないか?
という気がしてなりません。


また僕は、1つのことに集中しにくい傾向も強いんです。
集中するというよりは、常に意識が分散していて
色々なことが複数、頭の中で展開している印象があります。

目の前の作業に集中できれば、少し前のことは終わったこととして
1つ1つ目の前で話されるものを着実に翻訳しやすいだろうと想像できます。

一方、複数のことを同時に意識する傾向があると
目の前の作業をやりながらも、以前のことも常に気にしている感じになる。

訳し方として複数のアイデアが浮かんできたら、
その全てを同時に意識してしまうので、選ぶ作業も負担になります。
多分、スムーズに口から言葉が出てきにくいと思います。

実際、英語のスピーキングのテストの対策講座なんかでも、何度となく
講師から「話す前にも、話しながらも、考え過ぎている」と指摘されます。

英語力を測るテストなのであって、内容は重視されていない。
だから適当に話し続けることのほうが大事。

…そうは言われても、質問されると沢山の考えが頭に浮かんできますし、
話しながらでも自分が言ったことが頭から離れません。
常に複数のことを同時進行で意識しているため
発話のスムーズさが妨げられる傾向があるようです。

まぁ、これは日本語でも起こっていることなんですが。
質問されると答えを見つけるまでに時間がかかります。


この意識を分散させやすい傾向は、物事の関連性を見つけるのに役立ちます。

なので「ポイントを掴む」という意味での要領はよくありませんが、
他のことと関連づけながら「理解する」というのには有利なようです。

ところが通訳は、自分が理解することが目的ではありません。
むしろ自分の知っている他のことが浮かんできたら、
それは気が散るだけのことになってしまいそうです。

通訳しながら「あれ?じゃあ、あれとの関連はどうなっているんだろう?」
なんて質問をするわけにはいかないわけです。

通訳としては1つ1つの話を着実に変換することが重要で、
その話の内容に疑問をもつ必要はないはずです。

…というより、むしろ疑問をもつことは
スムーズに発話するのを妨げるものにしかならないでしょう。

そして心配材料。
日本語への影響はどうなのか?ということ。

これについても、意識が分散しているのが懸念のポイントとなります。
複数が同時に意識に浮かびやすいので、
日本語を話していても頭の片隅に英語が出てくるとか、
英語を話していても日本語も同時に意識しているとか、
そういうことが起きてくるのではないか?と推測されます。

実際、英語を話していてもフランス語は浮かんでくるんです。
逆もしかり。

現時点では英語と日本語の違いの大きさからか、
英語と日本語が混ざることは少ないです。

しかし通訳トレーニングをやったら、両者の距離が近づくというか
相互変換がスムーズになるほど、混在しやすくなりそうにも思えます。

頭の裏側で常に別言語が進行するような感じになったら…。

まぁ、慣れるのかもしれませんが
意識に上がることが増えるのは負担にもなりそうですし。


ということで、通訳に向いていない個性が僕にありそうだということと、
頭の中がややこしくなりそうだということで、
今のところ通訳のトレーニングについては二の足を踏んでいる状況です。

cozyharada at 23:50|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2019年08月27日

病院の世界

ここ最近、病院で何度か検査をしてきました。
二か月ほど前に気を失ったことについての話です。

僕自身は心配していなかったんですが、家族が「どうしても」というので
知人の縁を通して大学病院に紹介状を書いてもらって診察を受けることに。

色々な検査データを見ても異常が見当たらないとのことで
結局は「何が理由か分からないから静観」と。

ちょうど時を同じくして母が手術で同じ病院に入院していたため
診察や検査に行ったときに、そのままお見舞いに行くこともできました。

まぁ、その意味では良いタイミングだったのかもしれません。


それにしても外科というのは検査データが重要なんですね。

最初に行った病院は同じ「脳神経〇〇科」でも「内科」だったので
検査データだけでなく、時間をかけて問診をされました。

どういうことが内側で起こっているか、因果関係を調べようとする感じ。
刑事とか探偵とかに近いイメージでしょうか。

それが脳神経外科となるとアプローチも異なってくるようです。
こちらのほうが器質的な問題というか、問題のある身体的部位を特定して
そこを”治療”しようという発想がベースなのかもしれません。


たとえば僕の現状が疑われていた「てんかん」についていえば
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮によって起こる反復性発作」
と考えられていますから、
「脳細胞の過剰な電気的興奮」というのが問題だとされるわけです。

そして
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮によって起こる反復性発作」
のように言うと、あたかも
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす
かのように見えます。

確かに時間経過を見ると、脳の電気的興奮が伝わって
意識消失や筋肉の硬直や痙攣を引き起こすまでには
微妙な時間差があるでしょうし、
脳→身体のように部位が移るところにも順序の関係は見てとれます。

その意味では
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす
のように言うことも不可能ではありません。

しかし見方を変えると、
 「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」に引き続いて
 身体に表れる観察可能な発作が起こる
というのは、
 現象を違うレベルで説明しているだけ
とも言えそうです。


温度と分子の運動の関係のようなものです。
分子が速く振動しているときが高温。

「高温」という温度計で測定可能なデータは、
細かいレベルで起こっている現象としていうと
「分子が速く振動している」ことと一致するんです。

「分子が速く振動する」から「高温」になる
のではなく、
「分子が速く振動している状態」が「高温」に相当する
というほうが正確。

「分子が速く振動する」のは「高温」の原因ではなく、
「温度」という1つの現象を
・分子レベルで説明するか
・温度計で測定可能なデータのレベルで説明するか
の違いでしかありません。


同様に、「てんかん発作」というのも
・神経系統のレベルで説明するか
・観察可能な身体状態のレベルで説明するか
の違いだとも言えるはずなんです。

神経のレベルでいえば、
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮が全身の神経系統にまで伝播する状態」
と表現できる。

身体状態のレベルでいえば、
「痙攣や筋肉の硬直や脱力、意識消失が発作的に起こる症状」
と表現できる。

説明している対象は同じ現象のはずなんです。
ですから「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」というのは
てんかんの『原因』ではなく、解剖学的な『メカニズム』です。

ただし、意識消失や痙攣そのものは
「脳神経系の過剰興奮」というメカニズムで起きるとは限りません。

なので、意識消失や痙攣のような身体的発作の種類を、
どういうメカニズムで起きるのかによって分類するのは有用でしょう。

ですから、
 意識消失や痙攣のような身体的発作のうち
 「脳神経系の過剰興奮」というメカニズムで起きるものを
 『てんかん』と呼ぶ
のような説明の仕方になります。


まとめると、
 「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす原因
なのではなく、
 「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が起きているときに
 「身体レベルで観察される反復性発作」
のような同時性を表現する方が
言語的な定義としては正確じゃないか、ということです。


このように捉えると、てんかんが起きる『原因』は、
神経系統のレベルで捉えるなら
 「そもそも何が『大脳神経細胞の過剰な電気的興奮』を生み出しているのか?」
という部分に行きつきます。

外科は、その部分をあまり考えないのでしょうか。
メカニズムに対して外的な介入をして制御・修正する。
すると身体的に観察可能なレベルでは症状がなくなる。

そんなスタンスなのかもしれません。


『原因』と『メカニズム』は別物です。

原因は「同じ抽象度における因果関係の繋がりとして説明されるもの」です。
メカニズムは「1つの現象を別の抽象度で説明したもの」です。

この違いはあまり厳密に使い分けられていないのかもしれません。

どちらも「なぜ?」「なんで?」の質問の答えとして許容されてしまっています。

典型的なのは「なんで空は青いの?」という質問。
「なんで今日はスーパーに買い物に来たの?」も、同じ「なんで?」の質問です。

「空が青い」のに原因はありません。
強いていうと、
「今、空が青いのは、雲が通り過ぎて行ったから」
「さっきまで黒かったのに今、空が青いのは、太陽が昇ってきたから」
ぐらいでしょう。

「空気中の水によって太陽光が散乱するときに
 波長の短い青系統の光ほど良く散乱するから
 青の光が目に届きやすくなる」
のような説明は『メカニズム』の説明なんです。

「なんで今日はスーパーに買い物に来たの?」は
「冷蔵庫の中身が空っぽになってしまったから」という『原因』でも説明可能ですし、
「他の店でも買えるのに、あえてスーパーに来たのは
 一度に必要なものを全て買いそろえて時間を短縮したいから」
という『目的』でも説明可能です。

こうした説明の仕方の区別を明確にしておくと
目の前の『問題』についても様々な観点から捉えられるようになるはずです。

身体症状という問題を、原因で見るのか、メカニズムで見るのか。
医学の世界では、どれぐらい明確に区別しているのでしょう?

cozyharada at 23:28|Permalinkclip!コミュニケーション | NLP

2019年08月17日

知らなかった音楽の世界

先日テレビを見ていたら、お笑い芸人で音楽もやっている
「こまつ」という人が、テレビゲーム「ドラゴンクエスト」について、
その音楽の素晴らしさを熱く語っていました。

作曲家の すぎやまこういち さんが凄すぎる!と。

とりわけファミコンにおけるドラゴンクエストシリーズの最後の作品
『ドラゴンクエスト検戮涼罎濃箸錣譴討い襦嵎冉鏤辧廚凄い、
とのことでした。


変拍子というのは、オーソドックスな
2拍子、3拍子、4拍子とは異なる拍のパターンのことだそうです。

ちなみに、3連符を組み合わせると、それぞれ
6拍子、9拍子、12拍子になりますが、
変拍子は3連符を使うタイプとは違うらしいです。

有名なのは「スパイ大作戦」のテーマ。
これが5拍子です。
(最近の「ミッションインポッシブルのテーマは
 アレンジが入って4拍子に変換されています。)


で、ドラゴンクエスト犬涼罎
モンスターと遭遇したときに流れる戦闘中の曲があるんですが、
ここに変拍子がやたらと使われている、と。

基本的に4拍子で進んでいて、
途中で9拍子や7拍子が移り変わりながら入り込んでくる。

曲中に変拍子が入れ替わりつつ入っているのに
不自然さが一切ないというのが凄いんだそうです。

どのぐらい自然かというと、当時の小学生が当たり前に口ずさめるぐらい。
曲のリズムとして完全にマッチしているわけです。

YouTubeで探してみると、いくつか動画も見つかりました。

まずは曲そのものを聞いていただくと良いかと思います。

ドラゴンクエスト犬鬚笋辰燭海箸里△訖佑覆蕾かしい音楽でしょう。
オーケストラバージョンで豪華ですが、こちらです。



開始から39秒までは4拍子で進みます。
ドラムの音や、低音の管楽器を聞いていると4拍子は掴みやすいと思います。

そして 0'40"〜0'58" の間に変拍子が登場します。
9/8, 9/8, 9/8, 2/4, 7/8, 7/8
というサイクルが二回。

9/8は8分音符で9拍ということですから、そこまでの半分の長さを1と数えて
それが9回で1小節になる形。

なので最初から0'39"までは
「1-,2-,3,-,4-」「1-,2-,3-,4-」…と来ていたのが 0'40"から倍の速さで
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1-,2-」
「1,2,3,4,5,6,7」
「1,2,3,4,5,6,7」
と進みます。

これが2回。


こちらの動画には右下に拍子のカウントが出ているので
こっちのほうが視覚的に理解はしやすいと思います。




これを見た後で、もう一度、耳を頼りに…
できればリズムを取りながら
最初の動画↓を見ていただくと、
より変拍子のカッコよさが感じられるんじゃないでしょうか。



テレビを見ながら僕も感動してしまいました。


知らないと察知することすらできないで
当たり前に「ドラクエの音楽」ぐらいにしか捉えていませんでしたが、
少しでも専門的な知識を教えてもらえると
今まで見えていなかった世界が見えてくるようです。

cozyharada at 23:44|Permalinkclip!NLP | 心理学

2019年08月13日

12年も前から

思い返せば、このブログを書き始めたのは
まだ会社にいる頃でした。

NLPの講座を受講して、おそらくトレーナーコースも行ってきて
その後も色々とセミナーに参加しまくっていた時期だと思います。

とにかく関心が強かったんです。

だから日々、様々な発見があって、新しい学びがあって、
ブログを書きながら情報を整理するような側面もあったと記憶しています。

新しい知識や経験則、技術のコツなどは
インプットされた直後では曖昧な形で記憶されているものです。

「なんとなく、こんな感じ」という情報にしかなっていない。
適切な言葉に置き換えることができていない状態です。

ブログに書くことで、それが言葉に当てはめられて
キッチリと言語化可能な情報に再構成される感じがありました。

重要なポイントが強調され、同時に余分な詳細が削り取られる。
そうやって知恵が洗練されていく印象があったものです。

これは一般にも言えることでしょう。
書いて整理すると技術も知識も洗練される。

実際、ブログに書いて整理し直した知識や技術に関しては
セミナーで話すときにもスムーズに説明できたものですし、
技術もカウンセリングやセラピーの中で
効果的に使いやすくなったのを覚えています。


それからしばらくして、自分の中で知識と経験が定着して
全体像として一貫したものが体系化されてくると、
今度はブログの内容も少し変わってきたように思います。

当初のように「新しいこと」を文字に置き換えて
知識や技術を洗練させる度合いは減りました。

むしろ、自分の中で体系化されたものがハッキリしたことで
他の人のやり方が「自分とは異なったもの」として
それまでよりも目につくようになったんです。

この頃は「自分のもの」として形作られてきた技術に関して
教わってきた先生達の想いも引き継いでいる自負がありましたし、
技術にこだわる理由としての強い想いも自分なりに持っていました。

価値観が強かったんです。
「これが大切」というスタンスがハッキリしていた。

なので、自分の考えに合わないものを見ると
反発や不快感が沸いてきていたんです。
(違和感と言ってもいい程度のものもありましたが、
 違和感には少なからずネガティブな意味づけが含まれているものです。)

シンプルにいえば、嫌だったんです。
「そうじゃない」と言いたかったんです。

そういう意味では、自己主張が強かった時期だと言えます。

すると技術のポイントとか、世間で誤解されていることとか
上手く説明されていないものとか、
場合によっては街中で見かけた好ましくない場面とか、
そういったことについて解説するような形の内容が多かった気がします。

体裁としては客観的な文章を心がけてはいましたが、
本心では主観的な意見を主張していたと思います。

言いたいことがあったんです。
そういう時期。


その後、「自分」というものについて向き合うことが増えました。

「自分」の言いたいこと…を言葉にするよりも、
そもそも「自分」って何なんだろう?
みたいなことを意識する度合いが高まったことも関係していると思います。

誰かに対して主張することは、もう重要ではなくなってしまいました。
むしろ自分に何が起きているかのほうに関心が向いていた時期。

とはいえ、ブログを書き続けようという努力はしていましたから
関心が向いていることを書くぐらいしか手段が思いつかず、
自分に起こっていることを客観的に分析するような内容が多くなりました。

心理とかNLPとかコミュニケーションとかの内容を
直接的に説明するようなことは滅多に書いていなかったと思います。

それまでに培ってきた着眼点は、自動的に
心理とかコミュニケーションに目を向けさせますし、
解説する骨組みはNLPの概念になりますから、
完全にNLPから離れることはなかったはずです。

「NLPについて」書くのではなく、
自分の近況を「NLPの観点で」書く、という感じでしょう。


ところが、そうした「自分」というものについての関心も
色々と取り組んでいるうちに方向性が変わってきました。

何かに関心が向くこと、そのものが減ってきたようです。
とりたてて何にも強い関心がない。

なので最近は、本当にブログを書く内容が見つかりません。

フランス語は続けていますし、
少しずつ成果も感じられてきてはいます。

ロシア語は相変わらず複雑で、二年もやって
まだ中級に入れないぐらいの段階。

書道は仕事のスケジュールもあって
あまり時間をかけられていない状態が続いています。

ジムは身体のメンテナンスとして定期的に通っていますが、
最近はむしろ体調管理のほうが気がかりなぐらいです。

パソコン作業も頼まれて他人のためにやっている
サービス的な度合いが高まっている状況なので、
デスクワークそのものを避けたいところもあるのかもしれません。

いや、それ以上に大きいのは
 自分の中から出くるものがない
ということでしょう。

なんというか、毎日を少しずつ過ごしているだけの印象。

文章を書くことに、なんとも腰が重くなってしまいました。
仕事としては厄介な部分といえそうです。

cozyharada at 23:32|Permalinkclip!心理学 | NLP

2019年08月06日

元型コンビ

ユングは「集合無意識」という言い方で
個人の心を超えた範囲について説明しました。

ユング自身が実際にどのような捉え方をしていたのかは
想像が難しいところもあって、
「心は繋がっている」とまで言えるかどうかは分かりません。

少なくとも「無意識の範囲で共有されているものがある」と。

集団に共通して存在している普遍的なもの。
それがイメージのような形で心の奥底で認識されていて、
夢や神話の中に典型的なキャラクターとして登場する、というわけです。

で、この典型的なイメージ、
色々なところに共通して見受けられるキャラクターを
『元型』という言葉で説明しました。

元型は1つではなく、よくあるパターンのキャラクターとして
複数の種類が提案されています。

ある側面の個性が際立った特徴的な登場人物として
様々なストーリーに「似たタイプ」の性格・姿かたちで表れます。

人気の映画やマンガなどには、必ず際立ったキャラクターがいて
登場人物同士はあまり似ていないほうが普通です。

それぞれの個性が違っていて特徴が強いから
登場人物同士の動き、活躍の仕方が違っていて
ストーリーそのものにもメリハリが出るんでしょう。

そして読者・視聴者は、
自分の個性を色濃く誇張したような典型的なキャラクターに
感情移入しながら心を躍らせることができる。

マンガ『ワンピース』なんて人気が高いですが、
個性の強い登場キャラクターが、仲間として、敵として
関係性を展開していく姿は、その観点からも
多くの人の心を捉えやすいと考えられます。


ユングの考えた元型として有名なのは、
アニマ/アニムス
グレート・マザー
オールド・ワイズ・マン
トリックスター
などでしょうか。

ユングが考えたかどうか定かではないけれども
元型という発想を元に発展していったと思われる
『元型心理学』なんていうのも一部では人気です。

元型の考え方を土台に、ジレットとムーアが提案して
自己啓発系などで人気になったのが
「王、戦士、魔術師、愛人」という4つの元型の理論。

ドラゴンクエスト3なんかは典型的に、
この4つのキャラクターで最初の冒険がスタートします。

ユングの考えのみを元型とするかどうかは意見が分かれるところですが…
人が自然と認識する人の個性、
多くの人が共通して「ああ、そういうのあるよね」と感じる個性の描き方、
ということに注目すれば、パターンはいくらでも見出せるものでしょう。

あとは、どこに注目して、どれぐらい細分化するかの問題。


僕にとって個人的に印象的なのは
・小さくて賢いキャラクター
・大柄で温厚で力持ちのキャラクター
というコンビです。

子供の頃から好きだったマンガやアニメ、映画には
思い返してみると、この組み合わせがあったようです。

実際、自分としては
「大柄で温厚で力持ち」
のほうが好きで
そっちに注目しながら見ていました。

キン肉マンなんかは代表的でしょう。
強くて優しくて、おっちょこちょいな主人公キン肉マン。

僕にとってはキン肉マンばかりに目が行っていましたが
いつも隣には参謀役としてミート君がいました。

小さくて賢いキャラクターの典型だと思われます。

ハッキリと、その二人だけが際立った主人公コンビ
となっている必要はありませんでした。

むしろ沢山の登場人物の中に
そういうコンビ的な立ち位置があると気になる。
そんな傾向だった気がします。


マンガ『バカボン』に出くる
「はじめちゃん」と「バカボン」。

『サイボーグ009』に出てくる
「001」と「005」。

『三つ目がとおる』に出てくる
「写楽保介」と「和登千代子」。

もしかすると『スターウォーズ』の
「R2-D2」と「C-3PO」なんかもそうかもしれません。
(C-3POは強くないですが、温厚な感じはあります)

似たようなパターンは沢山ありそうに思います。

なんとなく、こういう組み合わせなんかも
元型的に多くの人の心の奥にシェアされているのかもしれません。

cozyharada at 23:10|Permalinkclip!NLP | 心理学
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 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
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【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

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《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

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《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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