2007年10月

2007年10月30日

11月の勉強会

11月の勉強会のお知らせ

11月の勉強会は平日開催とさせていただきます。

お仕事終わりの3時間は疲労感もあるかもしれませんが、
普段とは違った頭の使い方で、効果的な心の交流方法を一緒に学べたら幸いです。


今月のテーマは
『分かりやすい伝え方の技術 〜メタファー・アナロジー・具体例〜』
としました。

先月のメタファーというテーマを考えたとき、
メタファーを使いこなす難しさの1つに
「メタファーというもの自体を勘違いしやすい」
という部分があるように感じました。

なんとなく分かったような気はするけど明確に理解できていない。
そんな思いを抱かれやすいのがメタファーだと思われます。


 天才催眠療法家のミルトン・エリクソンが何故メタファーを多用したのか?
 メタファーが無意識に対して大きな影響力を持つ理由。

メタファーが効果的なのは、よく知られるところでしょう。

しかし、メタファーの目的は分かりやすく伝えることではありません。

コミュニケーションにおけるメタファーの役割。
そこも考えてみたいテーマです。

そして相手に対して分かりやすく伝えるために使うものもあるわけです。
メタファー、アナロジー、具体例、・・・この辺りの明確な使い分けができると
説得力と影響力が大きく変わってきます。


「あの人のメタファーは分かりにくい」という言い方がされることがあります。

そんな場合、それはおそらくメタファーではないのです。
だから分かりにくいのです。

分かりやすい伝え方に必要な要素。
影響力のある内容。
この使い分けを考えてみたいと思います。


お忙しい時間とは思いますが、興味がおありでしたら是非、参加をご検討下さい。


※勉強会の趣旨に関しましては
勉強会070725 ( http://rikei.livedoor.biz/archives/50205495.html )をご覧下さい。



【勉強会の詳細】

【日時】 11月29日(木) 18:30〜21:30

【場所】 四谷地域センター 集会室4
    (東京メトロ丸ノ内線 新宿御苑前駅 下車徒歩5分 【地図はこちら】

【参加費】当日、会場にてお支払いください。
     初めてのご参加の方は、お試し割引きとなります。(ほんのチョットですけど)
    《通常のご参加の方》 ・・・ 5,000円

    《初回のご参加の方》 ・・・ 4,000円(お試し割引が適用されます)
    
    
テーマ:『分かりやすい伝え方の技術 〜メタファー・アナロジー・具体例〜』
    
*学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
 ご了承ください。




日本語で言えば「たとえ」ということがテーマです。
実は色々な「たとえ」方があるのです。

分かりやすく伝えるには、分かりやすい伝え方があるはずです。

分かりやすい伝え方が、話し手の中でハッキリと分かりやすく整理されているか。
それも分かりやすく伝えるための重要なポイントではないでしょうか。


是非、参加費の元を取る以上の学びをお持ち帰りください。



参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。
(*は必須項目です)


終了しました


トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。

いずれの回からのご参加でも、初めて起こしになるときはお試し価格を適用いたします。
その旨をお伝えください。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「備考」欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


また、質問の関しましては、お気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています。


cozyharada at 23:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!セミナー情報 | NLP

2007年10月29日

共感するとき

先日、たまたま通りかかった動物病院の中が目に入りました。

一人の20代後半ぐらいの男性が獣医さんと話している様子が
窓ガラス越しに見えたんです。

獣医の先生は一通りの話をし終えたらしく、
奥の部屋へと入っていきました。
と同時に、その男性は外へ出るべく後ろを振り返りました。

そのときの男性の振り返りかた。
振り返った後の姿勢。
肩の辺りを中心に、腰ぐらいまでに現れた様々な情報が
その男性の胸中を表しているように見えました。

そして、その男性は肩を丸めたまま、動物病院のドアから出てきました。

夜だったので、暗くて顔は見えませんでしたが
なぜかとても悲しい気持ちが込み上げてきました。

そのとき、ふと僕の脳裏に浮かんだのは
「飼っていた動物を亡くしたのかな」
という思いでした。


それが合っていたかどうかは確かめようもないので分かりません。

ただ、なんとなくその男性の姿は落胆しているように見えました。
そして何より、その姿を目にした僕の中に悲しみが沸いてきました。

勝手な推測かもしれません。
全然落胆なんてしていなかったのかもしれません。
何があったかなんて分かるはずもありません。

でも悲しそうな感じがしたんです。

それは僕が小さい頃から犬を飼っているために
悲しそうな雰囲気を共感したということなのでしょうか。

悲しい出来事の話を聞いて共感したり、
悲しい出来事を目の当たりにして共感することは良くある話です。

事情を知らないで共感するというのは少し不思議なことにも思えます。


もらい泣きということがあります。
アクビがうつるということもあります。

NLPやカウンセリングでは「クライアントの感覚が伝わってくる」
というような表現をすることがあります。

「伝わる」という言い方をすると僕のように理系でやってきた人間は
どういう手段で伝わるのかと思ってしまいます。

でも、それを「伝わる」ものと考えずに、
単純に共感するものと考えれば随分としっくりくるんです。

意識的に事情を把握して理解して、自分のことと照らし合わせて
その結果として同じような気持ちを味わうということだけでなく、
もっと無意識的にも共感する能力があるだろうということです。

その無意識的な知覚の仕方は必ずしも視覚によらないのかもしれません。

そんな風に考えると、ある人の様子を見ていたり、近くにいたりすると
無意識的にその情報を受け取って自然と共感するようなことがあるのではないか。
それが、もらい泣きとかではないか。
そういうことを思います。


動物病院から出てきた男性が悲しみに暮れていたのかどうかは定かではありません。
でも、もしかすると僕は無意識的に悲しみに共感していたのかもしれません。

そして、それは思い込みだという可能性もあるんです。
分かったつもりだったのかもしれないんです。

伝わってくる感覚というのは本当かどうか分からないものだと思います。

ただ、その時に湧いてきた僕の中のもう1つの気持ち。
ペットのことに気持ちを強く向けられる心を持っている人に対する暖かい気持ち。
それは確実だったと思っています。

それは僕自身の肯定的な気持ちだからです。
僕自身が持っている、無意識というものへの信頼だと思うんです。

そこを大切にしていきたいものです。

2007年10月28日

独自の魅力

僕がよく行くパスタ屋があります。
NLPのセミナーをやっているところの近くにある店。

結構有名なようです。
昼時は店員さんが大忙しになっています。

パスタ専門ではないので、イタリア料理店と言ったほうがいいかもしれませんが
本当に美味しいパスタが食べられるんです。


僕はとりたててパスタが好きだというわけではありませんが、
誰かと一緒に食事をするときには手軽にパスタということが多いんだと思います。

今まで食べた一番美味しいパスタがその店かというと
そうではないと思うものの、とても美味しいお店です。

パスタ自体が乾麺ですから、生パスタの魅力には勝てない部分もあるんです。
でも、全体的にとても美味しいです。
調理法が良いんでしょうかね。

・・・しかし、小さい頃の僕はどんなスパゲティも必ず少し残してしまう
  変な習性があったのに、今では喜んで食べているんだから不思議です。


で、その店は週末の昼ごろに行くと凄く混んでいるんです。
席数は多いので座れないことは滅多にないように思いますが、
それでも大勢入っています。

おそらく席数に対して店員さんの数と厨房の広さが不足気味なんでしょうね。
店員さんが慌しく働いているのに、出てくるまでにかなり時間がかかります。

店の広さ自体は夜の営業時間の回転数に合わせているのかもしれません。
昼の回転数だと手一杯になってしまうみたいです。

当然、満足のいく接客ではありません。
水すら出てこなかったり、お客さんの入店の順番も不明瞭に扱われたり。

食後のアイスコーヒーなんてストローでチューッと一気飲みしないと
時間に間に合わなくなってしまうくらい慌しいランチタイムを過ごすこともザラです。

でも、皆がその店に行きます。

それは周囲の色々な食べ物屋の中で、
やっぱりその店のパスタがとても美味しいからだと思います。

接客への不満を上回る独自の魅力を持っているんでしょうね。

飲食店は味という要素が非常に大きいと思います。
接客やサービスの良さで有名になっている店も多いですが、
味が美味しければ多少のことに目をつぶってでも食べに行く人は多いようです。

もちろん、接客が悪かったら味が良くても絶対に行かない、という人もいると思います。
一方で、とんでもなく接客がヒドイのに行列の出来るラーメン屋というのもあるわけです。

それはお客さん自身の求めるものと合っているということなんでしょうかね。


ラーメン屋なんかだと店内は少し狭目にする方がいいという話を聞いたことがあります。
外で待っている間は店の管理外だと判断されやすいから、ということです。

店内で待たされると「出てくるのが遅い店」ということになってしまいます。
順番が守られなかったとかいうクレームも出やすいかもしれません。

狭い方が行列も出来やすいですから繁盛店に思われるというのもあるようです。

ただ、うなぎ屋なんかだと話は随分違いますね。

注文してから捌いたら、うなぎが焼きあがるには相当時間がかかるものです。
そのことを知っているから待たされても不満が出てこないわけです。


一般的にいえば不満を感じるような要素であっても、
それが「仕方ない」と思えれば不満にはならないのでしょうね。

例えばそのパスタ屋だと、明らかに店員が一生懸命に慌しく動いている。
手一杯なのが分かるんですね。

だからある程度は「仕方ないか」と思える。

本当はもっと店員を増やして対応して欲しいと思いますが
「美味しいからまぁいいか」と思えてしまいます。

厨房に関しても、同じメニューは数人分まとめて作るようですが、
ランチタイムだからと言ってメニューを減らすこともなく、
ソースを作り置きしている様子もありません。

注文を受けてから、それぞれのパスタを丁寧に作っているみたいなんです。

もしかすると世間にはランチタイム用に種類を減らして
ある程度作った状態で置いておいたものを温めなおす店もあるかもしれません。

そこが時間のかかってしまう一つの要因だと思うんです。

もし、例えば
「当店では全ての料理を注文を受けてから調理し始めますので少しお時間がかかります」
などと店員さんに一言かけてもらえたら、僕なんかは相当に満足度が上がると思います。


欠点を欠点じゃなくする工夫と、独自の長所を持つ工夫。
両方あったら素晴らしいんだろうと思いました。

セミナーも同じなんでしょうね。
僕に出来る工夫をもっと考えてみる必要がありそうです。

2007年10月26日

見抜く力

コールドリーディングは相手に対して
「この人は私のことを分かってくれている」
と思わせる技術と言われます。

そこには話術として、相手に「分かってくれている」と思わせるテクニックや
相手を観察して情報を読み取り、相手を理解する部分があります。

相手を観察するときのポイントとして、石井裕之先生は
Meタイプ・Weタイプというタイプ分けを提案していますが、
これの良さは、単なるタイプ分けではなくて外見的に観察して判断できる
という部分にこそあるような気がします。

つまり相手を見抜く技術としても有効だということです。


一方で、観察力を磨いていくと様々なところから相手の情報は引き出せるようになります。

多くの達人たちは瞬間的・無意識的に観察から判断までをしてしまうために
「どうしてそうなったのか分からないけど『なんとなく』そう感じる」
というような状態になってきます。

そんな人を見抜く達人たちが、見抜きの技術を競い合うテレビ番組があるんですね。
テレビ東京で放送している「メデューサの瞳」という番組です。

毎週水曜日の深夜0:34からという変な時間帯ですが、
内容はなかなか面白いです。

ちなみにテレビ東京以外でも、大阪や愛知などで
違う時間帯で放送されているようです。

勉強にもなりますし、単純に面白いんですね。


1つの特徴は、質問をするというところだと思います。

モニター越しに観察するので、質問が重要なようなんです。

面と向かって接することが出来れば色々な情報が入ってくるのに対して
モニター越しですから、工夫が必要です。

今の僕にはあまり持ち合わせない着眼点での質問ですので、
それがまた勉強になるわけです。

そして、少ない情報量の中から人を効果的に見抜くというのは
採用や人事の人にとっては非常に有効な技術ではないかと思うんです。

本質を見極めつつ、相手から情報を引き出す。
これによって効果的に相手を見抜くことができるのでしょうね。

『メデューサの瞳』
僕が見ている数少ないテレビ番組の1つです。

2007年10月24日

法則

僕は理系でずっとやってきましたし、論理的な考え方や
「科学」ということにたいする理解を深めてきたつもりですが、
そうすると勘違いされやすいんですね。

数字のデータや法則とか分類とかが好きなんじゃないか、と。

むしろ全く逆です。

論理的だとか理屈っぽいとかいうことと科学的なことは別物です。
論理的なのは、むしろ国語力なんです。

確かに数学は論理的です。
それは数学という記述方式、つまり、ある種の言語のようなルールの中で
ルールを守って説明を論証していくから論理的なわけです。

日本語でも論理的な記述の仕方があって、そのルールに従っているから
論理的な話し方だと言われるだけのことなんですね。

それは矛盾を含まないとか、因果関係に飛躍を入れないとか、
そういった実証の正確さに裏づけされているということです。


理屈っぽいということとデータ重視は意味が違います。
まして法則に対しては慎重な対応を取ることになります。

一言でいうと、僕は「物事をあまり信じない」という信念を持っているんです。
世の中のほとんどは仮説だと信じているんです。
変な言い方ですが「世の中のほとんどは信じられない」と信じているんです。

「信じる」というのは根拠を考えることなく
「そういうもんだ」と思うことを意味しますから、
僕がほとんどの事を信じていないというのは、逆に
仮説に対する裏づけを自分の中で一致させているということになります。

だからこそ、巷に蔓延する科学っぽい説明に疑問が沸いてしまうわけです。
論理的じゃないと思ってしまうんですね。


特に法則に関しては、僕には受け入れがたいものを感じる傾向があります。
過度な一般化の雰囲気を感じてしまうんですね。

数字的なデータを含んだ法則は特に違和感を感じます。

僕が「好きそう」って誤解されやすい一番の部分です。

例えば有名な『メラビアンの法則』というのがありますね。
コミュニケーションにおいて
 言葉の内容が7%
 声のトーンが38%
 ボディランゲージが55%
というヤツです。

直感的に違和感を覚えます。

確かに『世界ウルルン滞在記』で言葉の通じない村に芸能人が訪れても
ある程度のコミュニケーションは取れているようです。

でも93%も誤解なく理解できていると言えるでしょうか?

逆に考えたらどうでしょう?
僕は韓流ドラマを日本語吹き替えも字幕も無しで93%理解できるとは思えません。
むしろ50%も内容は分からないと思います。

つまりデータの取り方と意味の解釈の間にギャップが大きすぎるということです。

アルバート・メラビアンは簡単な実験をしてデータを取った。
それをどうやって解釈して意味づけするか。
その部分に論理的な飛躍があるんです。

まぁ、一説によるとメラビアン自身は、言語・視覚・聴覚の情報に矛盾があるとき
どういった影響があるかを調べようとしただけだということですが・・・。

仮にメラビアンの意図した通りの主張が有名になっていたとしても、
本当にコミュニケーションにおける言葉の影響が7%だったとしても、
そのデータ取得がある条件の下で行われている以上
必ず考えなければならないことがあります。

それは背景です。

その実験条件になっている背景です。
状況や前後の脈絡、コンテクストと言ってもいいかもしれません。
背景が変わったときに適用可能なデータなのか。
どこまで拡大して大丈夫なのか。


巷にありふれた法則の多くは、ある実例を元に導き出された経験則です。

経験則なら、それはそれでいいんです。
そこに論理的に飛躍したデータで根拠を出そうとするから違和感があるんです。
「理由は分かんないけど効果ありそうだよ」って言われたら納得するんですけどね。

事例から一般化されて導き出された法則は、例外を示されると破綻してしまいます。

一方、数学の法則はルールの下で証明されたものです。
現代の科学の中にあっては正しいことなんです。

科学自体も仮説ですから、数学的な法則が正しいとは言い切れませんが、
現代の文明社会を矛盾なく支えているという点で説得力が高い仮説だとは思います。

その意味において、純粋に論理的記述だけで導かれた法則と
事例の一般化によって導かれた法則では全く意味が違うんです。

確率論は科学です。
ただし、確率は条件を明確にするという前提があります。
ある背景の中で確率が生まれてくるわけですから、一般化とは違うと思うんです。


僕はむしろ法則が好きじゃありません。

法則や分類を考慮したとき、目の前の事実を見ようとしなくなるからです。
目の前の事実を法則や分類に当てはめようとしてしまうからです。

世の中に同じ物事は2つとしてありません。
必ず何かが違います。

特に人では大事だと思うんです。
目の前の人は必ず全員別人です。

同じ人でも、昨日と今日とでも違うと思います。

違うところに発見があるんです。
違っているから面白いんです。



ちなみに、こんな法則もあるそうです。
名前は知りません。

感情や物事の良し悪しを判断するときに、人が五感をどのくらい使うか、という法則。

 視覚 87%
 聴覚 7%
 触覚 3%
 嗅覚 2%
 味覚 1%

これがどんな実験から取ったデータかは知りませんが、
これを元に料理で重要なのは見た目だ、と主張する人達がいます。

食べ物を食べるとき、味は1%なんですって。
見た目が9割って言われて信じられますか?

視覚と聴覚で94%だったら、テレビで美味しそうな料理を見たら
実際に食べたときと、ほとんど同じってことになっちゃいます。

どうも僕には信じられません。

グロテスクでもスッポン鍋は美味しいです。
目隠しをしてもカレーは分かる自信があります。


何を信じるかは人それぞれですが、
自分の経験も大切にしたと思います。

2007年10月23日

名古屋にて

セミナーをするということで体調管理は責任だと感じます。

が、今日はどうしても体調が優れませんでした。
大袈裟に言うと、表に出てしまうのを止められない状態だったわけです。

肩コリ、首の痛み、それに伴った頭痛、吐き気。
顔から血の気が引いたようになっていたそうです。

仕方ないとは思うんですが、そうも言ってられません。
風邪でもないんですね、きっと。

腰から来ているのかどうか分かりませんが
とにかく背骨が歪んでいると知人の整体師に言われました。

体を大事にしないといけないんですね。
分かってはいるんですが、なかなかどうしたものか困ってしまっています。

ある人からはヨガを勧められました。
・・・なんかインドの修行僧みたいになっちゃいそうです、見た目的に。


会社員時代から自分の体を酷使してきたのは事実です。
でも、それが当然だと思っていましたし、やっていけている自信もあったんです。
そうじゃなかったんでしょうね。

心と体ということで言うと、体を大事にする度合いが足りないんですね。

「もっと気をつけていこう」と思わざるを得ない、
そんな体調でセミナーをやってしまいました。

受講生の方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。



ところで、11月の17,18日に東京で、
11月24日、25日に名古屋で、あるワークショップが行われます。

僕がどの程度関わるかは今の段階では言えませんが、
その内容は非常に良いものだと自信を持ってお伝えできます。

NLPの中から日常のコミュニケーションにおいて本質的な部分を
地道なトレーニングをしながら身につけていくワークショップです。

世間一般で良く行われるようなNLPのスキルを
とりあえず2日間に詰め込むようなタイプのものではありません。

実用的で本質的な内容になっているはずです。
2日間で100%身につけることは難しいでしょうが、
それをずっと意識してトレーニングしていくことで
必ず人生全般のコミュニケーションに役立てられると信じています。

全く初めて、という方から、コミュニケーションを深く学んでいる方まで、
多くの方に必ず学びが得られるように組み立てられています。

セミナー運営側からしたら利益を得るためには工夫の余地があるかもしれませんが、
『コミュニケーションに役立つ』という点においては妥協はありません。

興味とご都合に折り合いがつきましたら、是非ご検討下さい。
オススメです。

終了しました

cozyharada at 23:27|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!セミナー情報 | NLP

2007年10月21日

意外なところを

個人的な話ですが、僕は走ったり跳んだりするのは好きじゃないものの
ゴルフとか野球とか、棒を振り回す系統のスポーツは意外と好きなんです。

物事を理論的に考えるのも習慣になっていますから
ゴルフでも野球でも、スイングということに関しては色々と思うところがあります。

自分でもやりながら人のを見ていたり、プロ選手の真似をしていたりすると
その動きの本質的な部分というか、体の使い方の違いなども分かってきますね。
慣れてくると見ているだけで、体のどこの筋肉をどういう向きに使っているか
というようなことも感じれるようになってきます。

NLPではモデリングといいますが、正確に真似しようとすると
色々なことに気づけるんですね。
特に自分と違う体の使い方を感じてみると面白いように思います。


で、ゴルフでも野球でも、指導する立場の人がいます。
皆さん、それぞれ勉強していたり、経験上の持論だったり、
教える基準を持っているんだろうと思います。

そんなとき、やっぱり教える相手の動きの中に、
目に付く部分というのがあると思うんです。

それをどうするか。

それは個性でもあり、癖でもあります。
良い方向に働く部分と、悪く働く部分がある。

その一部を自分の理論に当てはめたとき、相手の体全体の中に何が生まれるか
ということを考慮する必要があると思います。

ある一部を意識したためにグチャグチャになってしまうことも多いと思うんです。

ただ、本人の中にも自覚として「ここを課題として直していきたい」という部分があったり、
明らかに不調の原因となるような部分があったりもするでしょうから、
動きに修正を加えていくような指示を出すことは良くあるようです。

良い部分を伸ばすということと、直したい部分を放置することは別次元の話だと。


そんなときにどうするか、という話です。

直接的にその部分を意識すると、全体のバランスが崩れたり
意識しすぎてしまって今まで良かった部分がなくなってしまったり。
様々な悪影響が出てくることも多いと思うんです。

時に、それは表面上に現れる現象であって、
その課題となる動きを生み出している原因が別のところにあるわけです。

だからこそ、原因となる部分を見立て、
改善のためにも見立てをする必要があると思います。

その人にとって最も無理なく、かつ根本的な部分に影響を与えられるような
そういった指示の出し方が重要ではないかと。


ありきたりの指導は本人も分かっているはずなんです。

ちょっと違った視点から、全く意識していなかった部分に課題を出す。
その修正点が本質に直結しているとき、大きな効果が現れるようです。

その人の持ち味を活かせる修正ポイントが見つけられるといいのでしょうね。

2007年10月19日

出てこない時

僕はそれほどテレビを見ないのですが、人に勧められてある番組を見ていました。
人気の映画をテレビ放送しますよね。
それを見ていたんです。


それほどテレビを見ないということが、どういうことかと言うと
ずいぶんと前からテレビに出ている芸能人でないと顔と名前が一致しない、
ということになるわけです。

最近のお笑いブームは、もってあと数年とか言われながら
意外と長く続いているようですが、そうなってくると真新しさを出すためか
色々な知らない人が次々に出てくるようなんですね。

会社にいた頃は夜遅くにしかテレビが見られなかったですから
見ている番組は深夜の通販番組か制作費が節約された感じのバラエティ番組ぐらい。

だから、あまり有名じゃない芸人さんなどを見ることが多かったんです。

逆にゴールデンタイムでテレビ的に売り出されているような
キャラ付けがハッキリした最近流行りの芸人さんは知らなかったり。

トレンディドラマも全くと言っていいほど見ませんし
歌番組なども、めっきり見なくなってしまったので
売れっ子の俳優・女優、歌手というのも随分うとくなってしまったようです。

そういうわけで、僕が知っている芸能人というのは多少の片寄りがあるもんですから
僕がたまにドラマや映画で見た芸能人を知っているときというのは
相当に有名な人だと想像されるわけです。


で、その人気の映画を見ていた時のこと。

映画自体もヒットした有名なものでしたし、主役ももちろん有名な人でした。
かなり前からテレビに出ていた人ですし、僕も数え切れないほど見た記憶があります。

でも、主役のその人の名前が出てこないんです。

映画は有名でしたから、映画を見たことがなくても役名は知っていました。
でも役者さんの名前が思い出せない。

顔も声もハッキリと覚えています。
どんな番組に出ていたかも色々と思い出せます。
どのモノマネタレントが真似をしていたかも思い出せます。
なのに名前が出てこない。


度忘れというヤツですね。

全然思い出せませんでした。

「なんとなくカタカナっぽい感じがあったような気がするなぁ、
 でも思いっきり日本人の顔だからカタカナじゃないか?
 伸ばすような音があったと思うんだよな。
 それがカタカナっぽさを感じさせてるだけかなぁ。」

そんなことを色々と思いながら、映画の展開も気になって
結局最後まで見ても名前を思い出せませんでした。


度忘れって意外とありますよね?

「あれ?あれって誰だっけ?ホラ、あの人。なっちゃんの人。えーっと・・・。
 田中ナントカって。あぁ、もう分かんないや。思い出せない。まぁいいか。」

喉まで出かかっているんだけどなぁ、なんて言いながら諦めたりして。

で、そんなときは決まって、しばらくたったある時に急に思い出しますね。
全く関係ないタイミングで。

「そうだ、田中麗奈だ!」
 
そういうのを心理学でツァイガルニック効果って言います。
ロシア人の名前ですね。
英語読みでザイガニック効果と呼ぶこともあります。

気になったことは意識で考えるのをやめても無意識で考え続けている、ということで
何か気になった状態を作り出されると無意識的に答えを探し続けてしまう、
という性質とも言えるようです。

質問を与えられると、ついつい答えを探しに行ってしまう
というのもそれに近いのかもしれません。

これを上手く使って話をしたりすると、聞き手の興味を引きやすい。
そんな使い方もありますね。


ちなみに、僕はその映画を見ている間ずっと、主役を見ながら
名前を思い出そうと努力をしていました。

・・・でも結局、思い出せませんでした。

エンドロールに流れた出演者の名前を文字で見たとき、
「そうだよ。あー、なんでこんなの思い出せなかったんだろう。
 カタカナも伸ばす感じも間違ってなかったんだなぁ。」
と思いました。

思い出せそうで思い出せないのって悔しいですね。

僕はセミナーで受講生の方の名前は覚えようと努力しますが、
完全に覚えられたな、という段階までには少し時間がかかります。

名前を覚えやすい方が印象深いというわけではなく、
単純に名前自体に覚えやすい名前と、そうでない名前があるみたいです。

そしてやっぱり、覚えた後でも、度忘れをしてしまうことがあるんですね。
これはいつも申し訳ない気持ちになります。

まぁ、間違えて覚えてしまうことは滅多にないですが。
やっぱり覚えていたいという気持ちは強いようです。


さて、その映画の主役の芸能人ですが。

ユースケ・サンタマリアさんでした。

2007年10月17日

川の流れのように

何もかも順調に上手くいく人がいます。
頑張っても頑張っても上手くいかない人もいます。

苦しむのはいつも頑張っている人。

頑張らなければ苦しくありませんね。
今のままで良いということですから。

苦しさを感じている人は必ず今の状態から変わろうとして
何かの努力をしているはずです。

変われない人を「努力が足りない」と言う人もいます。
確かにそういう場合もあると思います。

でも「足りない」のであって、していないわけではありません。

そして多くの場合、努力の方向が間違っているようです。
上手くいかなかったとき、同じことをしてしまう。

不思議なものですね。
人は皆、多かれ少なかれ、そうするものだそうです。


頑張る人ほど傷つき、頑張る人ほど苦しむ。

不条理な世の中だと思うこともあるかもしれません。


でも、頑張って傷ついた人ほど、成長できるんです。

傷つきながらも今まで何とかやってこれた。
それを支えていたものがあるからです。

苦しい状況で自分を支えてくれていた何か。
苦しい状況で頑張ってきたこと。
それは確実に成長の証ではないでしょうか。


前に進んでいるときだけが頑張っているときじゃない。
止まっているように見えて頑張っているときはあるはずです。

中には、ただ止まっているだけの人もいます。

進めるかどうか、それは流れの向きとも関わっているような気がします。
流れが前向きか、後ろ向きか。

後ろ向きの流れに逆らって頑張っていたら進まないけど
頑張っただけの何かは手に入れている。

それが素晴らしいことだと思うんです。
それは決して無駄にはならないはず。


ただ、時には自分の向きを変えてみるのもいいかもしれません。
せっかく頑張っているんですから。

2007年10月16日

詳しい分野で

しばらく前から「成人病」という言葉が使われなくなりましたね。
「生活習慣病」と呼ばれるようになっていました。

で、その生活習慣病の要素が高い状態を「メタボリック・シンドローム」と
呼ぶようになってきたそうです。

最近よく耳にしますよね。

ただ、ちゃんと「メタボリック・シンドローム」と呼ぶ人は少ないようで、
略して「メタボリック」と呼ばれることが多いような気がします。

日常会話でもそうですし、テレビでも略して言われているようです。


ところが、僕にとってはそれが凄く引っかかるんです。

「メタボリック・シンドローム」は診断基準のある状態で、
WHOで決められた正式な呼び名ですから構わないんですが、
「メタボリック」だけに略されてしまうと違和感が大きいんです。

そもそも「メタボリック・シンドローム」は日本語にすると「代謝症候群」ですから
代謝に関する要因を評価する基準のようです。
「メタボリック」というのは「代謝の」という意味の単語なんですね。

ということは「メタボリック」と略してしまったときには
「代謝(の)」ということを言われているわけなんです。

そんなことは多くの人にとってどうでも良くって、単なる略語に過ぎないわけで、
ケンタッキー・フライドチキンを「ケンタ」って呼ぶようなものなんでしょうが、
僕にとっては気になってしまう単語なんですね、これが。

というのは僕が研究をしていたときの専門分野がまさに代謝に関わることだったからです。

「メタボリック」という単語のつく言葉があふれていたんです。
そっちの印象が遥かに強く残っているんです。
「メタボリック」という言葉を聞いた瞬間に、
頭の中に代謝経路図(メタボリック・マップ)が浮かんでくるんです。

だから「メタボリック・シンドローム」の話の時には違和感が隠せません。


専門的な情報を持っているとき、その内容の話に引っかかることって
意外と多いような気がします。

その話題からすると細かい部分で、話の流れには影響がないのが分かっていても
どうしても「あぁ、そこんところチョットおかしいなぁ」と思ってしまったり。

NLPでもコールドリーディングでも、英語の言葉をそのままカタカナ語として
使っていますから、似たような単語が良く出てくるんですね。

話の文脈で単語の間違いに気づいて、内容は理解できているんだけれども
なんとなくさっきの単語の使い間違いが気になってしまうことは
結構多くの人にあるように思います。

「メタモデル」と「メタプログラム」がゴッチャになったり、
「サトル・ネガティブ」と「サトル・クエスチョン」で混乱したり。

僕にとっての「メタボリック」という単語は
「それって使い方、おかしいなぁ」と思ってしまう部分なんですね。


僕は理系でずっとやってきていますから、
科学的であるかどうかにも引っかかりがあります。

説得力を出すためだとは思いますが、科学的な雰囲気の説明をしようとして
逆に論理的におかしくなっていたり、間違っている感じがしてしまうんですね。

科学は数学的な証明の他は、大半が仮説で成り立っていますから
正しいか、正しくないかという議論はそもそも難しいわけですが、
仮説の実証の仕方という部分に科学の特徴があるんです。

巷にあふれるような、一見すると科学的っぽい説明の多くは
論理展開の飛躍や実証の仕方の点で不十分な感じが強いように思います。

だから僕は納得できなくなってしまうんですね。
性分でしょうね、これは。

逆に説明とか一切気にせずに、
「どういう理屈かは分かりませんが、経験的に非常に効果的なんです!」
と言ってもらったほうが気持ちが良いんです。

それなら納得するんです。
理屈で説明できないことが世の中に多いことを知っているのも
科学的なスタンスだと思うんです。

理由は分からないけど、良いものは良い。
それでいいと思うんですけどね。

少なくとも僕にとっては中途半端に科学的なことを言われるよりも望ましいです。

良いと思ったその人の経験は素晴らしいわけですから。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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