2008年01月

2008年01月07日

ガイドという在り方

もらい泣きというのがありますね。
映画を見て感動して涙するのも、もらい泣きに近いものがあるのかもしれません。

NLPや心理系のワークショップでも涙を見ることがあります。
それだけ心の深い部分に働きかけるような取り組みをしたということでしょう。

一方でいわゆる自己啓発系と呼ばれるようなワークショップの中には
個人のトラウマを引っ張り出して、そのときの苦しい体験を再び味わわせ
感情を発散させるタイプのものもあります。

そうすると、そのときの悲しみを強く味わって涙を流すわけです。
「そうだ、こんなに苦しかったんだ・・・」
という具合に。

で、その後で効果的な取り組みをして、その体験を乗り越えてくれれば良いのですが、
そういうわけでもないことが多々あるようです。

もちろん、それで満足する方がいる以上、意味のあることですし、
効果的な取り組みと、感情を揺さぶる取り組みとの差は、判断が難しいでしょう。


1つ重要だろうと思うのは、トレーナーとかガイドとか
ファシリテーターとかセラピストとか呼ばれる立場の人、つまり
実質的にワークショップを運営している人が泣いているかどうか、です。

涙を見ることのあるワークショップというのは、ある意味で刺激が強いわけです。
参加者同士で影響を及ぼしあうわけです。

1人の参加者がある取り組みの中で涙を流した。
するとそれを見て、もらい泣きする他の参加者が出てくることがあるんです。

それは意味のあるプロセスでしょう。

共感して涙することもあれば、見るに耐えないと感じる方もいます。
それは、その人の時期が大きく影響しています。
どちらも自然なことです。

ただ、涙を流すとき、そこには無意識のレベルで動かされた部分がある。
つまり、目にした他者の体験が自分の心にも響くものだったということです。

それは、これから乗り越えるべき課題だったのかもしれませんし、
他者の体験を目にしながら自分と照らし合わせて共感したのかもしれません。
自分も一緒に乗り越えて、感動の涙を流したのかもしれません。

それは参加者同士のプロセスであれば意味があることです。

でも、運営している人はそうではないと思うんです。


運営している以上、ガイドであるべきだろうと思います。
何かに取り組むとき、多くの場合、それは初めての体験でしょう。
それをガイドするのが役目だと思います。

そのガイドが一緒になって涙を流していては困る部分があると思うわけです。

確かに人によっては、運営者なのに一緒に泣いてくれたと感銘を受ける人もいるでしょう。
その一方で不安を覚える人もいるはずです。

なによりも、ガイドがもらい泣きをするときというのは、
その内容がガイド自身にとっても乗り越えられていなかった可能性があると思うんです。

ガイドはガイドで、そういう体験を目の当たりにすることで
一緒に成長していく部分も大きいと思います。

でも僕はガイドとして泣きたくないんです。


僕の尊敬する先生はワークショップで絶対に涙を見せません。

僕が参加者として泣くことはあります。
他の参加者の方も大勢が涙します。
普段は人前で涙を見せないであろうリーダーのような立場の人が、そこでは涙を見せます。

それでも、その先生は涙を見せません。
ただただ、優しく包み込むような目で見守ってくれています。
賞賛と尊敬を向けてくれているような暖かい眼差しで。

もしかすると、もう見慣れているのかもしれません。
全て乗り越えた課題を目にしているから涙が出ないのかもしれません。

僕にはあの優しい目が何よりも印象的なんです。
一緒に泣いてくれるよりも遥かに嬉しい眼差しです。


縄文杉を見た人は感動して涙を流すこともあるそうです。

しかし縄文杉への道案内をするガイドの仕事の人は、もう涙を見せないでしょう。

それは見飽きて縄文杉に感動しなくなったからではないと思います。
飽きたのならガイドなどという仕事はしないと思います。
きっと今もなお縄文杉の魅力を味わい続けているのではないでしょうか。

涙を見せることはなくても。


ガイドという立場を考えたとき、僕は涙を見せないでいたいと思うんです。

2008年01月05日

信じるとは

年末にテレビドラマ「ライアーゲーム」の再放送を見てから
原作のマンガ「LIAR GAME」も読んでみました。

ドラマとは話が違っているところが多々あるので、こちらも楽しめます。

で、そのマンガ中の主人公たちのやり取りで印象的な部分がありました。

主人公は「ライアーゲーム」つまり「嘘つきのゲーム」にあって
ただ一人正直で人を信じることを大切にしている人物です。

その主人公が協力を得ている天才詐欺師は大学で心理学を専攻していたという人物。
僕としては、こういった鋭い眼力と推理力を持った人物による心理戦が面白いわけです。
コールドリーディング的な見抜き方もあったりして。


その詐欺師が主人公と話している中で
「人を信じる」
ということについて語る場面があります。

主人公はとにかく人を信じるわけです。
全ての人は良い人だと。

それによって物語中では何度も騙されます。

そのような流れで詐欺師が主人公に言うんです。

 人を疑うのは悪いことではない。
 それは相手を知ろうとする行為だ。
 
 人を信じるという場合、相手のことを無視していることが多い。
 相手のことを考えずに、自分がこうあって欲しいことを信じている。
 それでは思考停止だ。

もちろん正確な表現ではありません。
とにかく多くの人が相手を疑わない、つまり信じると言ったとき、
それは自分にとって都合のいいように相手がしてくれるだろうと
勝手に甘い期待を抱いて何もしていない状態になってしまっている、と。

厳しい言い方ですが、確かにそういうことは多いと思います。


相手のことを理解しようともしないで勝手に期待して
その通りにしてくれなかった相手に「裏切られた」と逆恨みする。

程度問題はあっても誰しもがやっていることでしょう。

 こうして欲しいのに、してくれなかった。
 「なんで分かってくれないの!?」

 相手が自分の望むように行動してくれなかったとき
 スネたり、怒ったりして、相手の行動を変えようとする。

それは信じているのではないと思います。
期待しているんです。

相手が自分と同じだろうと勝手に判断して、まさに思考停止の状態ですね。

それは親密な関係ほど自然に起こってきます。
これだけ仲がいいんだから相手は自分と同じだろうと考えてしまう。

親密であるとは同一であるように近づいていくプロセスなのかもしれませんが、
それによって相手と自分を過度に同一視してしまうことがあるようです。

自他の区別がつかなくなるわけです。
だからこそ自然と上手くいかない場面が出てくる。
「信じていたのに裏切られた」という感じを味わうんでしょう。

当然、そのときに自分と相手の違いを思い知らされるわけです。
そこで「この人は私と合わない」と捉えるか、「裏切られた」と捉えるか、
「別の人なんだから仕方ない」と捉えるか、それは色々だと思います。

親しい人ほど期待してしまうのは人の性なのでしょうか。
親子関係でも多く見られるはずです。
親子でも他人なんです。
自分と相手は違うんです。

自他の区別をつけるというのは、相手のことが分からないという前提に立っています。
分からないから知ろうとすることができるわけです。

疑うというのは確かに深く知ろうとするプロセスに近いのかもしれません。
ただ、その場合の「疑う」は「信じる=期待する」に対する
反対の意味としての「疑う」だろうと思います。

つまり無条件に思考を停止して自分の都合のいいように受け入れるということではなく、
しっかりと相手のことや情報そのものを吟味して理解するために考えるということです。
それを「疑う」と言えば、確かにそうかもしれません。

多くの「信じる」が、思考停止して自分の都合のいいように期待することだとしたら、
それよりは「疑う」ことで相手を理解することのほうが遥かに大切だと思います。

裏切られたと傷つくのが嫌だったら、疑ってみればいいわけです。
それをしないのは甘えや怠惰、思考停止だと言われれば反論はできない気がします。


金八先生の主題歌にもなった海援隊の「贈る言葉」でこんなフレーズがあります。

 信じられぬと 嘆くよりも
 人を信じて 傷つくほうがいい
 求めないで 優しさなんか
 臆病者の 言い訳だから

これは深いですね。

「信じられぬ」も「求めないで 優しさなんか」も共通するものを感じます。
そこには期待があるんでしょう。

「信じられぬ」は疑うことではないはずです。
期待して裏切られたときに出てくる言葉です。

「人を信じて傷つくほうがいい」と思えるようになったら
本当に人を信じ始めているのかもしれません。
そこまで思って相手を信じようとしたとき、
逆に「裏切られた」とは感じないのかもしれません。
傷つかないのかもしれません。

相手がどうあってもいい、そのままでいい。
最終的には相手は大丈夫だ。
それが「信じる」ということなのかと思いました。

本当に「信じる」ことができたとき、決して裏切られることはないのかもしれませんね。

2008年01月03日

新年の光景

あけましておめでとうございます。
2008年ですね。

今年がどのような年になるのか。
それをどれくらい気にするかは人それぞれですが、
どのように気にしていくかには個人の志向が表れるようです。

未来志向で目的志向の人であれば、今年一年の目標や成果が気になるでしょうし、
問題回避・安全志向の人であれば、今年一年を心配するかもしれません。

そのような時期だからでしょうか、
テレビでも雑誌でも年始には占いが取り上げられることが多いように思います。

今年一年を占う。
それによって安心することも気をつけることもあるわけですが、
普段は全く占いなんて気にしないという人も
この時期に占いを大々的に扱われると気になってしまうことはないでしょうか。


そんな占いや、おみくじと並んで新年の名物ではないかと思うのが・・・
バーゲンです。

僕はバーゲンセールで買い物をするほうではありませんが
テレビで様子を見ていたり、新年の朝方に店頭へ並ぶ人達を見ると思うことがあります。

とりわけ福袋を狙ったり、お目当てのブランドへ駆け寄る姿を見ていると
その興味はさらに高まります。

「一体、何を求めているのだろう?」
ということです。

誤解の無いように言っておきますが、
バーゲンで買い物をすることに否定的なのではありません。

価格が安くなったときに欲しいものを買うのは賢い選択だと思います。

買い物を楽しみ、欲しいものを手に入れる。
それは素晴らしい満足感を得られると思います。

僕が気になるのは、必死になっている人達です。
バーゲンや福袋の買い物をしながら必死な雰囲気を感じることがあるんです。
何か怒っているような、不満があるような、苦しげな様子に見える場合。
楽しくなさそうだということです。

せっかく欲しいものを、お買い得な値段で買うわけですから
楽しいのではないかと不思議に思うんですね。

確かに真剣に選んでいて笑顔ではない人もいます。
ただ、そういった人達は少なくとも必死ではありません。
充実した雰囲気を感じます。

気になるのは切迫したような、楽しくなさそうな人達です。

どうも目的が変わってきてしまっているのではないかと思うんです。

欲しいものを買う。
それが欲しかった理由があるはずです。
会社に着て行く洋服なのか、お出かけ用の靴なのか。犬と散歩するときの防寒具なのか。
鑑賞したかったり、コレクションだったりでも良いと思います。

目的があって買うと思うんです。
その目的が買うことそのものにズレてしまっている場合もあるんじゃないでしょうか。

もちろん、僕がそういった人達に何かをしようとか思うわけではありません。
注意を促したいわけでも、冷ややかに見ているわけでもありません。

目的が買うことそのものにズレてきたとき、おそらく無意識的には
買うという行為によって得ている何かがあるはずです。

普段は大人しくしている人が自分の衝動を解放する場であったり、
日頃は味わえていない競争心を満たすものであったり・・・。

そういった無意識の意図は素晴らしい。断言します。
ただ、そこに気づければ、その目的は別の行動でも満たせるわけです。
せっかく買い物をするからには、
買い物だからこそという目的があるほうが望ましいと思うんです。


こういったことは何にでも当てはまるでしょうね。
自分自身の行動の目的を明確にしておくのが重要だということです。

目的に向けた行動が、いつの間にかそれ自身として目的にズレてしまう。

占いを気にするときだってそうでしょう。
ポジティブな占いの結果によって自信を持って目標へむけて行動できたり、
ネガティブな結果によって慎重に行動できるようになったり。

人生における何かに対して占いを活用するのと
占いの結果を基準に人生をコントロールされるのとでは意味が違うと思うんです。


心とかコミュニケーションとかいうのも同じです。

人の心を大切にする。
良好なコミュニケーションをとる。
それが目的です。
人間関係が目的です。

そのために心理学とかNLPとかコールドリーディングとか色々あるわけです。
活用していくことが前提だということです。

分かりやすいように分類したり、ケーススタディを考えたりするのも、
色々とワークを体験したり、テクニックとして名前をつけたりするのも、
目的は実際に使ってみることにあると思うんです。

少なくとも僕はそうやって実用をベースに考えているつもりです。

例外だって沢山あるでしょう。
うまく分類できないことだってあるでしょう。
それはそういうものです。数学でさえ不完全ですから。

実用的な視点から考えれば、上手くいかなかったら方法を変えれば良いんです。
手法の素晴らしさを実証することが目的ではないんです。


目的を明確にすること。
一年を考える新年のこの時期だからこそ、意識してみたいと思います。
「自分がする行動の本当の目的は何だろうか?」

色々なことが気づかせてくれそうですので。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

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《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

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次回未定


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《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


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【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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