2008年03月

2008年03月30日

マンガというメディア

コミュニケーションということを考えたとき、
表面的な言葉の内容以外の部分意に込められたメッセージが大切ですね。

僕が先日、マンガ『鈴木先生』について書いたのも、
表面的な言葉の意味以外に、多くのメッセージが表現されているからでもあります。

中学校で起こる問題。
物語の流れは、主人公・鈴木先生の思考の時系列に沿って進んでいきますので、
読む側からすると一緒に謎解きをするような場面もあるわけです。

すると、話の展開や物語のリズムに沿って読み進めた場合には
問題に対するヒントがなかなか掴めないんです。

それはヒントが言葉ではなく、絵の中に描かれているからです。

時には、その絵はヒントではなく答えそのものだったりもするんですが、
答えが分かる前に漫然と読み進めた場合には、決して気づけない答えだと思います。

これは推理小説ではあり得ないはずです。
絵がありませんから。

小説であれば、文字情報で全てを伝える必要があります。
いかに読み手に状況をイメージさせるかというのも筆者の技量でしょう。

推理小説を面白くするには、おそらく話の展開を混乱させつつヒントを散りばめ、
論理的にパズルのピースを繋ぎ合わせるようにして謎解きの面白さを出す、
といった工夫があるような気がします。

でも、『鈴木先生』はマンガですから、その必要がありません。

意識しなければ認識できないような絵の一部に、答えがそのまま出ているわけです。
答えを知っていれば認識できる。
知らないと認識できない。

人は見ようとしないと、意識的に見ることはできないんです。

例えば、部屋の時計で「今、何時か?」を確認したとします。
そのとき、時計の針の位置はハッキリと見るわけです。
そして時間を認識する。

でも、その時計のメーカーは覚えていない、ということが多いと思います。
文字盤を見れば、通常その中心にメーカー名が書いてあるでしょう。
それは意識をしないと見えないんです。

見えていても意識に上がらない。

だから、マンガで謎解きをする場合、普通に読み易いスピードで読み進めたのでは
なかなかヒントにさえ気づけないわけです。
絵の中にヒントがあると思って読まない限り、気づけないはずです。

それはマンガを読むときには通常、絵を鑑賞しないからだと考えられます。

絵を見ながら字を読む。
そのとき、絵はなんとなく眺めることが多いのではないでしょうか?

文字を読み、話の内容を把握すると、絵は背景になります。
すると絵は印象として無意識的に捉えられやすくなるわけです。
サブリミナルに印象を与えると言ってもいいです。

だからこそ、絵で言葉の内容以外のメッセージを表現するのが重要だということですね。

マンガの魅力の1つは、そこにあるように思います。


マンガはサブカルチャーとして位置づけられることもあります。
最近でこそ、日本のアニメやマンガが海外で高く評価されることもあるようですが、
マンガの評価は文学作品とは違う位置づけのようにも感じます。

映画や絵画は芸術、小説は文学、なのにマンガはサブカルチャー。
これは一体、何なんでしょうね。

もちろん、娯楽性の程度は映画、小説、マンガのいずれにおいても
それぞれの作品ごとに評価の違いがあるでしょうが、
マンガは軽い娯楽として捉えられる印象を受けるのは僕だけでしょうか。

子供が「マンガばっかり読んでいないで・・・」と注意されたり、
サラリーマンが「大の大人が電車の中でマンガなんか読んで・・・」と
冷ややかな目で見られたり、そういった評価を耳にしてきたせいもあるかもしれません。

ただ、単純に情報伝達のメディアとして考えたとき、
マンガという手法は1つの有効な方法だと思うんです。

文字だけで書かれた本。
情報の多くは文字で表現されます。
それは言語を記録する手段として文字が便利だからでしょう。

論理的な内容を記述する分には、文字記録はかなり正確に表現できると思います。
でも、気持ちや感情を表現するには工夫が必要です。

小説や文学作品の妙は、まさに文字で微妙な情景を描くところにあるでしょう。

文字では決して表現できないものが世の中には沢山あるわけです。
それを文字で表現しようとしたとき、そこには読み手の世界が反映されます。

文字で書かれたものを読むとき、読み手は自分の好きなように
状況を思い描くことができるわけです。
自分の世界を作りながら、話の内容を読み進めることができる。

これが文章の魅力かもしれません。

一方、映画は沢山の情報を含んでいます。
外国語の吹き替え版では文字情報も現れますが、それはセリフの書き換えなので、
原則的に文字を使わずに場面を表現していると言えます。

映像と音と声で、状況を伝える。
とても多くのメッセージを込めることができるわけです。

空気の流れや温度、匂い…、身体的な感覚は表現できませんが、
状況の中へリアルに入り込みやすいのが映画の特徴です。
現実に近い世界を感じることができるとも言えます。

文章に比べると、人物の心情は間接的に描かれることになります。
文章であれば「悲しげな表情」と書けますが、映画では役者がそれを演じるわけです。

かなり具体的な情報を伝えられるのが映画の魅力ではないかと思います。

それぞれに対して、マンガは中間的な印象がありますね。

文字と絵の両方で表現する。
状況を絵で表現し、時には音や声を文字の形で表現したりもします。

絵の上手い漫画家は、文字の無いコマで、見事に心情を表現することもできるようです。

静止画ですから、時間の流れは読み手に任される部分が大きいでしょう。
しかし、切り取られた場面の意味は、動画よりも静止画のほうが大きいかもしれません。


映画、小説、マンガ、それぞれの表現方法に持ち味があるように感じます。

僕もたまに小説を読みます。
面白い小説は夢中で読みますが、僕の場合は集中力が続きません。

映画も見ます。
2時間程度を長く感じることもあれば、短く感じることもあります。

マンガは最近でこそ減りましたが、大学くらいまで頻繁に読んでいました。
絵が見やすく、文字が多いマンガを好んでいた気がします。

どうやら僕には、マンガというメディアが合うみたいです。

小説は自分で全ての状況をイメージしないといけない。
情報が少ないのが物足りなくもあります。
僕は結構、視覚情報で色々なものを判断する傾向も強いようなので。
ともすると登場人物の名前とキャラクターがゴチャゴチャになってしまうんです。

それに対して、映画は受動的でも進んでしまう。
展開のスピードが自分のタイミングではない感じもします。
自分のタイミングよりも遅れると間延びして退屈な気持ちが沸いてきますし、
早ければ不完全燃焼の感じも出てきます。

マンガは丁度いいんですね。
自分のタイミングで進められる。
絵の情報も取り入れられる。
足りない情報を補うために自分が世界をイメージする度合いが適度なんです。

状況をイメージするのに苦労し過ぎることもなければ、
漫然と、ボーっと流れてしまうこともないわけです。
自分が集中して読み取ろうとする度合いが丁度いいんでしょう。
だから長時間にわたって集中力が維持できるようです。


でも、もしかするとそれは僕に限ったことではないのかもしれません。

漫画喫茶というのが、これだけ街に溢れているんですから。

一方的に聞く授業は眠くなり、家でやる自習は集中しにくい。
でも塾でなら勉強が進む。
そんなこととも似てるような気がしますね。

2008年03月28日

『鈴木先生』

先日、あるワークショップで一緒に学んだコンサルタントの方に薦められたマンガ、
『鈴木先生』。

これは面白いです。

鈴木先生 (1) (ACTION COMICS)

コミュニケーションとか心理とかを学ぶ人にとっては必読と言えるくらい。

2巻あたりからドンドン面白くなっていきます。
その面白さの要因の1つはリアリティ。
マンガだからこそ描ける過剰なリアリティが見て取れるんです。

コミュニケーションにおいて大切な言葉以外のメッセージが
その過剰なまでに表現された絵の中に、痛ましいほどに込められています。

読み手が共感する登場人物に対しては、おそらく
読んでいるうちに心と体に反応が現れてくるだろうと思えるほど。

実際、僕は何度か胸が苦しくなりながら、
何とも言えない苦々しい感情を味わったりもしました。

そして時々感じられる爽快感。
これもまた魅力のようです。

このように読み手の心を動かすのは、描かれている状況のリアリティと
過剰なまでの心情描写によるところが大きいと思われます。

ただし、このマンガの絵は決して精密で写実的なものではありません。
独特のタッチで描かれており、上手いのかどうかも良く分からないんです。
でも、絵を見れば、その人物の心境を感じ取れる。

ここだけでも読む価値があると思えるほどもマンガですね。


内容は中学校の先生を主人公とした学園ドラマ。

しかし、そこにあるのは一般的な学園モノでも、
熱血教師モノでも、常識ハズレの先生を描いたモノでもありません。

理想の教師像に向かって努力をする、ごく普通の人間が描かれるんです。
正論や熱いメッセージで感動を誘うようなものとは一線を画しています。

1人の一般的な人間である主人公が、理想的とも言える教師像を示していきます。
当然、その裏には人間らしい弱さが出てくるわけです。
そのうえで教師という立場に真正面から向き合う。

主人公がやっている教師像はコミュニケーションのスタイルとして
非常に素晴らしいものを持っているように感じます。

中学校の中で起こる様々な問題に対しての主人公の取り組み方が
とても勉強になるんです。

見る。
聞く。
考える。
疑う(自分自身の考え方さえも)。
伝える。

頭ごなしに生徒をしかりつけたり、
問題を別のところに転移してみたり、
自分の価値観や美学を押し付けながら感動的な話をしたりはしません。

主人公の中にも教育に対する美学は見られます。
しかし、それは既存の教育において流されてきた問題点を明確にし、
生徒である子供たちの立場から見て筋が通っていることを最優先するものなんです。

自分が育ってきた時代の価値観やルールを押し付けるのではなく、
常に生徒の立場から見て納得できるかどうかを意識する。
そんな先生がいたら人気があるだろうなぁ、と思います。

何よりも立場が明確です。
学校の先生として、教育者として、自分の立ち位置をハッキリさせています。
このことが主人公の「鈴木先生」を良い先生にしながら、
かつ個人としての「鈴木さん」の精神的なバランスを保つのにも
役立っていると見て良いと思われます。


物語の内容に触れないように書いても、なかなか伝わらないかもしれませんが、
『鈴木先生』というマンガが面白く、そして勉強になる、ということだけでも
感じ取っていただけたら幸いです。

ちなみに、僕自身の中学校時代を思い返してみると、
マンガに出てくるような問題が起きていたような記憶はありません。

僕が知らないところでは起こっていたのか、
それとも最近の中学校の状況が変わってきているのか、
色々と思うところがありますね。

2008年03月25日

言葉の魔術師

コールドリーディングには色々な技術が含まれています。
その主役は話術だと思いますが、一方で「見る」ということも非常に重要なはずです。

僕はその両方においてコールドリーディングが実際に役立っているのを感じます。

話術としてのコールドリーディングには切り返しの妙という部分もあれば、
内容が外れないように言葉を選ぶ巧みさという部分もあります。
もちろん切り返しのときにも言葉選びは重要です。

となると自分の発言の中の単語を吟味する必要が出てくるわけです。

そこで鍵になるのは単語の具体性。

占い師が具体性を下げてリーディングをすれば、
「あなたには『悩み』がありますね?」
という言い方になります。

悩みがあるのは当たり前です。
だから占い師のところへ来るんですから。
仮に冷やかしだったとして、顔を見れば判断もしやすい範囲でしょう。

もう少し具体性を上げると(限定的にすると)、こうなります。
「あなたは『人間関係で悩んで』いますね?」

『人間関係の悩み』ということで、単なる『悩み』よりも具体的になるわけです。
外れるリスクは高まりますが、当たったときのインパクトは上がってきます。

もっと具体性を上げれば
「あなたは『職場の人間関係で悩んで』いますね?」
となるし、さらに上げれば
「あなたは『上司との関係で悩んで』いますね?」
となってくる。

言い当てる内容が具体的なほど、相手には「この人は分かっている!」と
思わせることができるわけですね。

つまり、コールドリーディングは話の具体性を上手にコントロールしながら
相手の内容と外れることを減らしつつ、かつ具体的事実を当てていくことになります。


これは催眠に共通する部分があるんです。

NLPではミルトン・モデルと呼ばれますが、
エリクソン催眠の言語パターンは相手に「No」の返事を出させないところに
その特徴があります。

Yesセットを繰り返していくと警戒心が下がる。
つまり意識の警戒的機能が低下して、トランス状態になっていくということです。

おそらくエリクソン自身は巧みな話術で相手に対して
「この人は分かってくれる」という信頼感を与えながら、
「No」という返事を出させないように話を進めていたんじゃないかと思いますが、
NLPのミルトン・モデルはシンプルになっています。

「No」を出させないところが強調される印象があるんです。

「悩みがありますね?」であれば
「何か好ましくないものをお持ちではありませんか?」
というような具合。

「ある感覚」といった感じで、曖昧な表現を使うわけです。

でも、あまりに曖昧だと何を言っているのか分からない印象も出てしまいます。

まぁ、催眠誘導に関して言えば、何を言ってるのか分からない状態が
トランスへ導くのに有効なプロセスでもあったりするわけですが。


ということで、コールドリーディングの話術をトレーニングすると
相手に「No」と言わせることを避けるだけでなく、
「そう、そうなんです!」と積極的な「Yes」の返事を得ることも可能なんです。

この言葉の選択は非常に重要だと思います。
それは相手に負担をかけず、安心感を生み出すためです。
ラポールのために大切だと思うんです。

「分かってくれた」という気持ちは大きな意味を持ちます。
ずっと抱えていた気持ちを分かってもらえたとき、
心がスッとするような感覚にもなります。
いわゆるカタルシスが起こることもあります。

やりきれない思いほど、分かってもらえた時の喜びは大きいでしょう。

しかし、相手の本当の気持ちを分かるのは難しくもあります。
分からないからこそ、分かろうとすることができるわけですが、
質問して分かっていくのにも技術が必要です。

そして、時間もかかりやすいでしょう。
相手を本当に分かろうと思ったら、沢山聞くことがあるはずですから。

そんな時にもコールドリーディングは役立ちます。
相手に「分かっている」と思ってもらうことができるわけです。

全てを分かるのは無理でしょう。
本人だって無理です。
他人が全てを理解するのは、もっと無理です。

だから、少しでも分かるために「話の聞き方」をトレーニングする方向性と、
実際には分かっていないけれど「分かってくれている」と思ってもらうために
「話術としての言葉選び(コールドリーディング)」をトレーニングする方向性、
この両方が必要なんだろうと思います。

言葉というのは本当に奥が深いものですね。

2008年03月23日

主張する人、しない人

心のこととかコミュニケーションとかを学んでいくと
学ぶ課程でそれぞれの人に大切な価値観が生まれてくるように感じます。

それは経験を通じて実感として感じたものかもしれないし、
有名な誰かが言っていた言葉や、名言・格言などと結びつけたものかもしれません。

とりわけ多くのことを学び、心というものを考えようとする人ほど
哲学的な方向に向かっていくような印象を受けます。

哲学は本質的に論理的であって、反証を繰り返すことで正当性を高めるような
徹底した姿勢を持っているものだと思いますし、
現代分析哲学は数学と変わらないような式が出てきたりもするわけです。
 (まぁ、数学そのものが哲学的とも言える気がしますが)

つまり哲学的な思想や世の中の本質を語ろうとするような場合には
徹底的に客観的な視点から分析し、そのことの正しさを論証できるべきだと思うんです。

でも、それはとても大変な作業でもあります。

「私はこう思うんです」と主張するのは簡単です。
ただ、それはその人だけの個人的な価値観である可能性が否定できません。
いくら例を出されたところで、いくら喩え話で説明されたところで、
客観的に納得できないものは本人だけの主張でしかないわけです。

もちろん、僕はそれを反論してアラを探すつもりはありません。

青年の主張や、NHKでやっていた「真剣10代 しゃべり場」で若者が語る内容を
論理的に批判しても仕方ないと思うんです。

主張を述べる人は、その人の人生経験の中で大切だと感じてきたことを話すわけで、
それはその人にとっては大切なことに違いないからです。
たとえ、他の誰から見ても納得できないことであったとしても。

すると、その意見に対して自分の主張を述べても、それは議論にはならないはずです。
お互いに自分の価値観を主張しあうわけですから、
双方が価値観を認められないという不満を持ち、相手を攻撃して終わります。

言い負かされたら自分の価値観を否定されることになるわけです。
それは苦しいことです。
誰も負けたくないでしょう。


そうなると、そういった主張を聞くことになったとき、
聞く側からするとできることは『ただ聞く』だけで精一杯です。

「あぁ、そう思うんですね。そういう考え方もありますね」と。

そこで運よく、自分の主張と一致すれば、「そうそう!そうなんですよ!」と
話は盛り上がり、同志と出会ったような喜びを感じることもあるでしょうが、
そんなことは一部にしか過ぎないはずです。
そもそも他人同士なんですから。

むしろ「この人は私と同じ考えを持っている」と期待して
主張が食い違ってきたときに受けるショックのほうが大きくなることさえあります。

何よりも、主張する人というのは、本人が気づいているかどうかは別にして
自分の主張を認めてもらいたいという欲求を持っています。
承認欲求です。

聞き手に期待しているわけです。

その期待に聞き手が応じるには、主張に同意する必要があるということです。
「そうそう。私もそう思います。その通りですよね」と。

でも、もちろん相手の主張に納得し続けることなんて不可能です。
聞く側の人だって、色々な経験をして生きてきているんです。
その人にも大切な想いがあるんです。

その価値観に嘘をつきながら、相手の主張に同意を続けるのは難しいでしょう。

だから、どうしても「そういう考え方もありますね」と受け取るのが精一杯。

相手のプロセスを大切にすれば、
「深い考えに辿り着いたんですね」
と、言うこともできると思いますが、
いつも同じようなことばかりも言っていられないでしょう。


それが現実的なところだと思います。

たぶん、僕の中にはそういった現実を大切にしようとする部分とか、
世の中一般と結びつけて考えたときに一致しているかを大切にする部分とか、
そんなものがあるような気がします。

それは理系として培われた部分もあるかもしれませんね。

より正確な言い方をすると、自分の中にある全ての情報に対して
整合性がとれていない考えは持たない、ということでしょうか。

そういうことがベースになって、僕は人から分析的だとか言われるのかもしれません。

だから「理屈っぽい」とか「論理的だ」とか言われることは
それほど嫌いではないんです。

セミナーやワークショップで話をしていても、
僕は絶対に自分で正しいと思っていることしか話していません。

それは自分の思いを熱く語るということではなく、
自分がインプットしてきた全ての情報に対して整合性のあることを話すということです。

そして役に立つかどうか。
自分が大切にしている考えよりも、相手に役立つかどうかが優先されます。

また、このブログを読んで下さっている方から言われるのも
「客観的に分析している」という印象です。

僕としては結構好き勝手に思ったことを書いているつもりですが、
単なる主張には終わっていなかったことに安心もしました。


こうして思うのは、僕は今現在の時点で、真理を伝えたいと思っていないということです。
自分で確信していることは無いんだと思います。

色々な情報と照らし合わせて根拠を説明できるから仮説として一番可能性が高い、
という意味で「正しそう」と判断しているに過ぎません。

僕は心に関しても、人に関しても、真理は求めていないんでしょうね。

僕は理解したいんです。

「心とはどういうものか」「人間とは何なのか」ではなく、
「目の前の人の心は今どういう状態か」ということを。

「心とはどういうものか」を理解して、それに当てはめたくないんです。
目の前の人の情報を統合して、理解したいんです。
それが僕の主張です。

目の前の人への理解を深め、多くの人から学んでいったとき、
いつか真理に辿り着くことがあるのかもしれませんが、
そんなことはずっと後でいい。

分からないから、分かろうとできる。
分からないから、考える喜びがある。

分からないのがスタート地点なんです。

自分の考えはまだ途中だという意識もあります。
それ以上に自分の中で納得しているんです。
今この瞬間には、絶えず完結しているんです。

新たな情報が入ってきたら、それを含めて完結させることを繰り返しています。
だから自分の中だけで満足できるのかもしれませんね。

別に誰かに分かってもらいたいと思いませんから。

それがあるから僕は自分から強く主張しない、という部分もあるかもしれません。


ちなみに。

カリスマは主張します。
自分の考えやポリシー、信念、価値観を主張します。
主張には影響力があります。

それに付いてくる人がいるんです。
自分の価値観で人の価値観に影響を与えられると、相手は付いてくるようになります。

その主張の説得力がカリスマの要素の1つです。

その意味では、僕はカリスマになりたくないんです。
別に自分の主張を分かってもらいたいわけじゃないので。
さほど伝えたい想いがあるわけではないので。

僕は聞かれたときに答える傾向が強いんでしょうね。

だから僕にはカリスマもあまり必要ないみたいです。
カリスマの主張に同意し続けることにも無理が出てきますから。

主張したい人、思いを伝えたい人、分かってもらいたい人は
カリスマを目指すのも1つのやり方かもしれませんね。

2008年03月20日

3っつめ

おかげさまで今日のワークショップも充実した時間となったように感じます。
話を聞くというのは実に奥深い行為ですね。

同様の内容を今後も行っていきたいと思います。
何度やっても学びは尽きないはずですので。


さて、こうやって心理系のワークショップなどをやっていたり、
自分でも色々なセミナーなどに出たりすると、多くの方に出会えます。

その中には様々なことを勉強されている方がいらっしゃいますね。
僕はオーラとかチャクラとかは詳しくありませんが、
精神修行としてのヨガと関連があるようですので人に共通する何かが
その中にあるような気もします。

少なくとも、体の中心線上には急所と呼ばれる部分が集まっているそうですから
その意味ではチャクラと呼ばれる部位に重要な意味があるのも理にかなうのかもしれません。

で、その中に「第六チャクラ」と呼ばれる場所があるそうです。
額の中心。眉間。
よく「第三の目」とか言われるヤツですね。

「三つ目が通る」の主人公が絆創膏を取ると目が出てくる、あの場所です。
「ドラゴンボール」だと天津飯の3つ目にあたります。
お釈迦様はその場所に螺髪があったようです。

その眉間のチャクラと結び付けられて説明されるのが脳内の松果体です。

松果体の細胞が目の光受容細胞と似ている動物がいるため、
網膜の細胞と松果体が進化的に同じ起源だとする説もあるようです。

実際、ムカシトカゲというトカゲの一種は第三の目を持っていることで知られます。
頭頂部にも目があるんですね。

と言っても、ギョロギョロと動くようなものではなく、
光を感知することができる程度の原始的な器官。
それも幼生の頃だけで、成体になると分からなくなってしまうのだそうです。

そのムカシトカゲの第三の目が、松果体のあたりの細胞からできていて
それが本当の目の名残りだとも言われたりします。

そういったことを考えると、人間の松果体にも第三の目の機能がありそうだ、と
推測したくなる気持ちは分かりますね。
真横から見ると位置的にも額の奥の辺りになりますし。


催眠誘導のときにも、意識を額の裏の辺りに向けると
トランス状態になりやすくなるという意見が多いです。
それはなんとなく実感できる部分でもあります。

トランスが深まってくると、額のあたりがヒンヤリしてくる感覚を味わったり、
ちょうど第三の目のあたりがモゾモゾと感じられたりもします。

歴史的・経験的に、額が重要な位置であることは説得力を感じますね。


ちなみに僕は考え事をするときに、額の辺りをペシペシと叩く癖がありました。

最近は減ってきているような気がしますが、研究をやっていた頃は
考え事をするときに目をつぶって額をペシペシ叩くことをしていたものです。

自分の世界に入り込んで集中するのに都合がいい感じがするんです。

その癖を誰かから指摘されると、僕は決まってこう答えていました。
「目を閉じて、第三の目も閉じて、集中しているんです」

癖に理由なんて感じていませんでしたから、
手っ取り早く会話を済ませるために、そんな答え方をしていたわけです。

もしかすると、本当に第三の目を閉じるために額を押さえていたのかもしれませんね。

2008年03月17日

未来に起きること

テレビで「ペイチェック」という映画をやっていました。
見た方もいらっしゃるのではないかと思います。

ペイチェック 消された記憶

僕は数年前にビデオで借りて見た記憶があります。
今に見直すと、少し違った視点で面白さを感じました。

ちなみに「ペイチェック(paycheck)」は「給料」という意味らしいです。

多少、ネタをバラしてしまう感じもありますので、
知りたくない方は、この先を読まないで下さい。



で、
簡単にまとめて話を説明すると…、

主人公が自分の未来を知るという話です。
タイトルにある通り、主人公は記憶を消されるわけですが、
その前に自分の未来を見ているという部分がポイント。

記憶を消される前に自分の未来に起こる危機を知り、
それを乗り越えるための道具を自分宛てに送るんです。

その20個の道具は、至って普通のものばかり。

タバコとか、ライターとか、ヘアスプレーとか、クリップとか、
クロスワードパズルの切り抜きとか、どこかの鍵とか、マッチとか、
どこにでもあるようなものが重要なアイテムなんです。

つまり、自分の未来の危機を乗り越えるために役立つ道具でありながら、
主人公の記憶を消してしまった連中に怪しまれない必要があったということです。

もちろん、どのタイミングで、どの道具が役立つのかは分かりません。

でも主人公は上手いこと工夫しながら、その道具をベストな使い方で役立て
ピンチを乗り越えていきます。
この展開が面白いんですね。


ハラハラするようなアクションシーンが魅力の映画なのでしょうし、
決して感動する名作というわけではないと思いますが、
素直に楽しめる映画だと思います。

そして、数年前に見たときには感じなかった印象。

それは自分の内面の変化に伴って生まれてきた解釈です。
メタファー的に捉えることがあったんです。

それは、何か人生を喩えたことのように思えました。

 人は多くの苦難にぶつかる。
 でも、その時に必ず役に立つものが近くにある。
 それはその時にならないと分からないし、努力しなければ使いこなせない。
 柔軟性を発揮しながら、苦難を乗り越えようとしたときに
 初めて役に立つ何かに気づくことができる。

我々は色々な道具を持っているんでしょうね。
でも、それは他の誰かに気づかれないような、
一見すると何でもない、ごく普通のものに見えるものかもしれません。

映画の中では危機を乗り切るために、20個の限定された道具から工夫します。
「20個の中の何かが役立つ」と知っているから
道具を工夫して乗り切ろうとできた可能性もあります。

しかしながら、普通に生活している中で
苦難に対して20個もの選択肢を見つけることなんて滅多にありません。
そんなに広く見てはいないでしょう。

肝心なのは、映画の主人公が「この道具のどれかを使えばピンチを乗り切れる」と
信じていたことではないでしょうか。


「乗り越えられない課題は与えられない」などという言葉はよく耳にします。

ただ、なかなかそれを確信できる人は多くないでしょう。
そうは思っていても苦しいものです。

この映画の主人公のように、
「どれかを上手く使えばピンチを乗り切れる」と信じることができていたら、
本当に乗り越えられない課題はないのかもしれません。

自分の身の回りにあるものから、工夫して役立つものを見つけ出す。
それは努力以外のなにものでもないわけです。

乗り越えたいと心の底から思えたとき、
ありきたりの道具から役立つ使い道が見つかるのかもしれませんね。

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2008年03月15日

色に表れる

先日、色に関して気になることを聞きました。

「原田さんって、オレンジ色とか好きじゃないのでは?」

チョット考えました。
まぁ、オレンジが嫌いなわけではない。
柑橘類は好きです。

配色としてもオレンジを避ける傾向には無いと思っています。

が、身につける物として考えた場合、オレンジはほとんど持っていません。
黄色も少ないですが、黄色以上にオレンジは少ないです。

全体的な色味として言うと、黄色から茶色ぐらいまでは好みから外れている気がします。

赤は好きです。ピンクも嫌いではない。青・緑は好きな部類。黒系統もそうです。

手っ取り早く言うと、デビルマンの配色が好きなんですね。
緑・青・赤・黒。


カラーセラピーとかオーラソーマとか、色と心を関連付けたものは数多くありますが、
そういった考え方をすると好みの色にも意味があると考えられます。

僕にオレンジ色が好みから外れていることを指摘して下さった方は
僕の普段の服装を見た上での感想だったようですが、
オーラソーマなどをやっている方なので色の意味も解説してくれました。

黄色は「主体性・認識」の色だそうで、「開放的」「楽天的」「交際好き」など、
オレンジ色は「生命力の中心」の色で、「自然の状態」「生命力」などを意味するのだとか。

なんとなく分かる気がします。

小さい頃に見ていたヒーロー物だと、
イエローはひょうきん者でムードメーカー的な役割をしていたように思いますし。

黄色系の意味を言われると、確かに自分には少ない要素のようにも感じます。

そして、これまでに何度か「原田さんはデビルマンみたいな人だ」と言われたことも。

心と色を結びつけて考えると、確かにデビルマンの要素があるかもしれません。
デビルマン自体も好きでしたしね。


僕の個人的な考えとして、色と心の関係はあるように思いますが、
だからと言って、僕がオレンジ色や黄色の服を着ていれば性格が変わるかというと
一概にそうは思えない部分があります。

ただ、自分の内面的な変化が起きて、その結果として色の好みが変わってきたとなれば
そこには大きな意味があるように思います。

それは色に限ったことではありません。

人の心は様々なものに反映されます。
微妙な行動は内面をよく表しています。

それらの微妙な変化を意識的に変えていくことで、
無意識レベルまで自分を変化させていく、という考え方もあると思います。

一方、別にその方法でなくても良いだろうという思いもあるわけです。

人に変化をもたらす方法はいくらでもあります。
好みと効果を考えて選べば良いと思うんです。

診断薬と治療薬は同じである必要はないと思うわけです。

結核はツベルクリンでチェックして、BCGで予防接種する。
小さい頃にやりましたね。

2008年03月13日

3月の勉強会

3月の勉強会のお知らせ

今月は告知が遅くなってしまいました。
テーマで迷っている部分があったんです。

ですが今は、テーマ決定を遅らせていて良かったと確信しています。

そのぐらい役に立つテーマです。
勉強会というよりもトレーニングの要素が多くなるかもしれません。

3月の勉強会は土曜日開催ですが、2部構成にしようと思います。
関連性はありますが、どちらか一方でも学びになるはずです。


まず午前中ですが、こちらは『話の聞き方』のトレーニングです。
3月20日に行う【対人コミュニケーションの枠組み】で扱う内容を
反復練習することになります。

スキルトレーニングには地道な繰り返しが必要なことは言うまでもないと思います。

20日のワークショップに来られない方にもご参加いただけます。
ただし、理論的な背景は省略しますので、実践的学びが中心になることをご了承ください。
トレーニングに必要な情報は提供しますので、ワークショップ参加者にも復習になるはずです。

*こういったトレーニングは今後も継続的に行いたいと考えています。


そして午後の内容は、『人の見抜き方』です。

人を見抜く方法は色々とあります。
コールドリーディングもその1つです。

今回は「相手がその瞬間に感じている気持ち」を見抜くことを中心に行います。
当然、その人の個性が前提になりますので、全体的な観察も含まれると思われます。

例えば、心理学では腕を組む仕草を防御と読み取ります。
しかし、それは決めつけです。
誰が、いつ、どのような状況で、どのような形に腕を組むかで意味が違うはずです。

仕草1つをとっても、そこから見抜くには色々と工夫が必要なのです。
そのためのトレーニングを行っていきます。


年度末の慌しい時期かもしれませんが、是非ご検討ください。



※勉強会の趣旨に関しましては
勉強会070725 ( http://rikei.livedoor.biz/archives/50205495.html )をご覧下さい。



【勉強会の詳細】

【日時】 3月29日(土)
     午前の部 10:00〜12:30
     午後の部 13:30〜16:30


【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅より徒歩7分
     JR山手線・駒込駅より徒歩10分
     東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
      【地図はこちら】

【参加費】当日、会場にてお支払いください。
     初めてのご参加の方は、お試し割引きとなります。(ほんのチョットですけど)

     ◆午前の部 ・・・2,000円 (午前の部にお試し割引はありません)

     ◆午後の部
     《通常のご参加の方》 ・・・ 5,000円

     《初回のご参加の方》 ・・・ 4,000円(お試し割引が適用されます)
    
    
テーマ:◆午前の部:「話の聞き方トレーニング」
    ◆午後の部:「人の見抜き方」

    
*学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
 ご了承ください。




メラビアンの法則というのがあります。
話の内容が7%、残り93%は言葉以外のメッセージだという説明です。

実際に93%が非言語のメッセージかどうかは疑問が大きいですが、
言葉以外のメッセージを受け取る能力を磨くことは重要です。

人の話を聞くとき、本心は言葉以外の部分に現れるからです。
非言語は無意識のメッセージなのです。

そこに気づける人は、「分かってくれる人」になれるわけです。

カウンセリングの基礎を築いたカール・ロジャースも
意外なほど非言語のメッセージを受け取っていました。
ロジャース派のカウンセリングでは言葉にバックトラッキングするだけなのに…。


相手の本当の気持ちを聞くことの大切さに気づいている方にご参加頂きたい勉強会です。


当日に、ご一緒に学べることを楽しみにしております。
是非、参加費の元を取る以上の学びをお持ち帰りください。



参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。
(*は必須項目です)



好評のうちに終了しました。
ありがとうございました。



トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。

いずれの回からのご参加でも、初めて起こしになるときはお試し価格を適用いたします。
その旨をお伝えください。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「備考」欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


また、質問の関しましては、お気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています。

2008年03月11日

花粉症対策

高校の一年生か二年生の春、僕は花粉症になりました。
それ以来、症状はヒドくなる一方。

会社に入って山口県で仕事をしていた頃は多少楽だったような気もします。
関西はスギよりもヒノキのほうが多いようで、時期がずれていたんでしょうね。

4月くらいに東京行きの飛行機に乗ったとき、
機内に入った瞬間に東京で持ち込まれた花粉に直撃した記憶もあります。

僕の花粉症の症状がどの程度であったかというのを客観的にお伝えするのは難しいですが、
目のかゆみ、涙、鼻水、くしゃみ、ノドのかゆみ…、などなど
2月末ぐらいから5月終わりぐらいまで、仕事に集中しにくい時期がありました。

そして、東京に転勤になってから、その症状は更に厳しくなりました。
都内でも花粉の多い地域だったようです。
それから薬を飲み始めました。

市販薬で過ごした年もありましたが、皮膚科・アレルギー科の病院で
1月末くらいから薬をもらうようになって、少し楽に過ごせるようになった記憶があります。

去年も2月になる前から『クラリチン』を飲んでましたし。


でも、今年は薬を飲んでいません。
例年とは違い、1月末に病院へ行くこともしませんでした。

3月中頃に近いこの時期、例年だったら薬を飲んでも苦しさがあった頃です。

なのに、今年は大丈夫です。
薬は何も使っていません。

天気予報などで花粉の飛散量を見る限り、この時期はもう十分に花粉が飛び回ってるはずです。
でも今年は非常に楽なんです。

まぁ、朝起きてすぐとか、時々かゆみを感じることはありますが、
「花粉症です、苦しいです」と言った状態とは全く違っています。

薬を飲んでいないのに、なぜ今年の花粉は大丈夫なのか?

実は今年、僕は主にNLPや心理療法で使われている手法を用いて
花粉症対策をやっているんです。

それが今まで非常に功を奏しています。
この先も大丈夫そうな気がしています。

それぐらいに効果が出てるんです。

花粉症ですらも、無意識とのコミュニケーションが大事だというのを実感します。

具体的な方法はブログに書いてお伝えできるものではありませんが、
長年、花粉症で困っているという方も実践的な取り組みで大幅な改善は期待できます。

cozyharada at 23:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | セミナー情報

2008年03月09日

短期的ということ

箱根でビデオは大活躍でした。
懸念材料であったマイクも。

外部マイク無しでは周囲の音を大きく拾ってしまったようで、
時間をかけてマイクを選んだことが大正解になった気がします。
いい買い物でした。


学びの内容は非常に濃密だったんですが、
その中でも、いくつか非常に深く心に突き刺さることがあったんです。
それは自分自身の課題でもあるわけです。

そして、学びというか、自分自身の方向性として重要なポイントにも気づきました。

それはスキルということについてです。

人の心を扱うとかコミュニケーションを学ぶとかいったとき、
精神論が大きな意味を持ってくることが多々あります。

「人を幸せにしたい」とか「人を救いたい」という想いが大事だとか、
相手に寄り添うことが大切だとか、心構えを伝えるケースが多いわけです。

一方で、コーチングやカウンセリング、NLPや催眠などの中のある部分においては
技術を伝えることに終始する場合もあります。

もちろん、気持ちと技術の両方が大事だと思います。

ただ、『技術を磨いていく』というプロセスそのものが
相手に対する気持ちの表れだとも言えると思うんです。

逆に言えば、技術よりも心構えや気持ちが大事だと言ってしまうのは
相手のことを本当に想っていることなのだろうか、と疑問を持つということです。

技術は自分のために磨くわけではないわけです。
自分が関わっていく相手のために磨いていくんです。
それは関わる相手のことを考えられなければ続けられないことではないでしょうか。

確かにコミュニケーションの技術を学んでいくことは自分のためでもあります。
上司としてマネジメントに活用したり、営業に活かしたり、
自分自身の利益のために学ぶことも良くある話でしょう。

しかし、その技術を徹底的に磨き上げていこうという姿勢は
『相手のために』という想いがなければ絶対にできないことです。


それが最も端的に現れるのが時間です。

カウンセリングでも、コンサルティングでも、福祉の相談援助でも、就職相談でも…、
気軽なお悩み相談から深い人生相談まで、人の話を聞く時には時間がかかります。

1分で話が終わる場合もあれば、10年、20年とカウンセリングを受け続ける場合まで
時間の長短に関わらず、話を聞いている時間があるわけです。

そこには必ず話す人の気持ちが込められています。
その本当の気持ちを、いつ気づくことができるだろうか、という話なんです。

カウンセリングに何年も通い続けるということがあります。
その人はその何年もの間ずっと、その悩みで苦しみ続けているんです。

その悩みを話すとき、本当の気持ちを分かってもらえるまで
ずっと話さなければならないんです。

そういった悩みが数回の面接で解決できたら、それだけ早く楽になれるわけです。
それが一回の面接で解決できたら、もっと早く楽になれるわけです。

短期療法というのは、そういった意味で素晴らしい方向性だと思いますが、
その前に、悩みの中から本当の気持ちを把握するという重要な部分があるんです。

いち早く本当の気持ちを理解し、その課題に対処していく。
それには明らかに技術が必要です。
精神論など全く役に立たない部分です。

相手の悩みを聞いて、20分で本当の気持ちをケアして課題を明確にするだけでも
そこには技術が必要なわけです。
それを5分、3分、1分と短縮していくには、それ以上の深い技術が必要なんです。

それは一朝一夕に身につくものではない。

どうして僅か数分で本当の気持ちに気づくことができるのかと言えば、
それは相手が無意識に発しているメッセージを正確に受け止められるからです。
それは技術なんです。

いくら相手のことを大切にしていても、本当の気持ちを表すメッセージを見逃していては
相手の気持ちには届けないんです。

聞き手が相手を大切に思っていたとしても、相手の気持ちは空回りしているんです。
だから技術が必要なんです。

相手が上手く表現できていない本当の気持ち。
それを捉える技術は「相手の気持ちをできるだけ早く理解しよう」
という気持ち無しには身につかないでしょう。


悩みを誰かに話すということ自体が努力だと思います。
時には勇気を振り絞って話すこともあるでしょう。

それを受け止めるんです。

その時間が短ければ短いほど、話す側は早く楽になれるんです。
悩みを話すという苦しさからも早く開放されるんです。

短期解決を目指すための聞き手の技術は
悩みを話す人の気持ちを考えた、相手に対する想いが無くては絶対に身につきません。

1分でも早く、と心がけたとき、技術も努力も集中力も並大抵ではないはずです。
それは相手への優しさだと思うんです。

僕はこれからも、技術を磨くために努力を続けようと思います。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


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《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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