2008年06月

2008年06月30日

TOTEモデル

名前をつけると「それ」っぽくなるケースって結構ありますね。

言われてみれば当たり前のことと思えるような内容を
1つの法則のように簡略化して名前をつける。
心理学とかビジネス分野で多く見られるような印象があります。

理系はこのあたりがシビアですね。
法則とか定理の類は本質的な情報として整理されていなければ受け入れられませんし、
新規制と進歩性がなければ特許としても採用されません。

オリジナルというのは本来、とても困難なことなはずです。

心理療法では、特に欧米の研究者たちによって
オリジナルの手法が発表されるケースが多いそうですが、
コミュニケーションという人と人との関わりは曖昧なものでもあって
100%同じ内容になることは決してあり得ないわけです。

そのためオリジナルと称される手法の内訳を分析していくと
本質的には似たものになっていることは想像に難くないでしょう。

つまり、やり方として手順をまとめ上げたものというのは
説明の仕方によって変わる可能性が高く、実際の内容として
客観的に見て取れる交流の方向性には通じるものが多いだろうということです。

コミュニケーションにおいて「自分が何を意識して人と関わるか」という部分は
人によって、やりやすさに違いがあるんでしょう。
それが数多くの手法が生み出される理由だろうと考えられます。

相手の目を見て話を聞くことを意識すると良好な関係を築きやすい人もいれば、
相手の立場になって話を聞くことを意識するほうが上手くいく人もいます。
相手の肩に手を置いている想像によって心を通わせる人もいれば、
相手の幸せを祈りながら話を聞くことを大切にする人もいるわけです。

どういう意識を持つか。
それに名前をつけると1つのテクニックになってしまうのかもしれません。


NLPとして本に記載される内容の中にも、名前の効果を強く感じるものがあります。

例えば、「TOTEモデル」です。

聞いたことのない人にとっては凄そうな印象を与えるかもしれません。
でも実際は、ごくごく当たり前の内容です。

TOTEというのはTest-Operate-Test-Exitの頭文字。
入力(Input)から出力(Exit)までの間にTestとOperateを繰り返すというもの。
満足のいく結果が得られるまで、よくチェックして、やり方を変えてみよう、
そんな内容のことです。

失敗ではなく、フィードバックだということですが、
まさに、このプロセスはシンプルなフィードバック制御そのものです。

面倒臭いまでに詳細に説明すれば、大きな意味を持つ部分もあるのかもしれませんが、
詳細に説明しなければならない時点で便利なモデルではないわけです。


上手くいくまで、やり方を変えてみる。
当たり前のことですが、実際には難しいところがあるからこそ
こういったシンプルなモデルが「TOTEモデル」などと名付けられているのでしょう。

人は不思議なもので、上手くいかないときほど特定のパターンで硬直してしまいます。
交流分析でいうゲームなどは、この典型ですね。

ちなみに、目標に対してチェックして、やり方を変えるという手順は
ビジネス分野で良く使われるPDCAサイクルと似ています。

説明の図が違うので、どちらもオリジナルを主張するでしょうが、
僕にとっては同じ内容としか思えません。

どちらにもメタレベルからの学習のステップが入っていない点で
実用性に欠けた説明モデルだと判断します。


TOTEモデルはシンプルなフィードバック制御のモデルだと思います。
サーモスタットと似たようなもの。

例えば、お湯の温度を40℃にキープしようとしたとき、
最初の温度が25℃だったら加温するわけです。
で、温度を計る。35℃。
まだ低いから加温する。温度を計る。今度は45℃。
高くなり過ぎた。加温をやめる。待つ。
温度を計る。42℃。まだ待つ。
計る。39℃。
また加温する。49℃。高過ぎる。
待つ。待つ。待つ。
計る。と、40℃。目標温度達成。

とまぁ、こんな感じですね。
実際には、すぐにまた温度が下がって加温、放置を繰り返すわけですが。

シンプルなフィードバック制御であれば、熱量と加温時間と制御下限を設定して、
39℃以下になったら5秒加温する、というようなルールを作るわけです。
すると40℃付近の温度を行ったり来たりする制御ができます。

でも、実際に人間が考える場合であれば、もっと上手くやるはずです。

最初にある程度の時間で加温して温度を測定し、時間と温度上昇の関係を予測する。
で、設定温度よりも少し手前になると予測される時間だけ加温して、温度測定。
そこからは、こまめに短時間の加温と温度測定を繰り返す…。

といった感じでしょうか。

これもまだTOTEモデルで説明できる範囲です。

ところが、制御工学ではもう少し巧みなことをします。
設定温度との差に応じて加温条件を変えるということです。
PID制御と呼ばれるような方法でしょうか。

温度が低いうちは一気に加温して、温度が設定値に近づいてきたら少しずつにする。
人間が考えそうなパターンをプログラムとして作ったわけです。

こういう具合に、実際にやってみた結果を一通り分析して、
そのプロセスをパターン化することが、学習において非常に重要なんです。

確かにTOTEモデルを繰り返していれば必ず成果には結び付きます。
しかし、より短期間で成果を上げるためにはTOTEモデルで試行錯誤したプロセスを
一通り分析して、そこから上手くいくパターンを学習する必要があります。

具体的な例で説明するとしたら、こういうことです。

例えば、訪問での営業を考えてみます。

まず初対面。礼儀正しく話しかけて「忙しい」と断られる。
二回目の訪問。今度は気さくな雰囲気で話しかけてみる。が、断られた。
三回目の訪問。担当者が不在。対応してくれた若手社員と話す。
 身につけていた腕時計で趣味が合い、話が盛り上がる。
四回目の訪問。先日の若手社員と話しているところへ担当者が来る。会話がはずむ。
 チャンスと踏んで、商談に持ち込む。が、断られる。
五回目の訪問。担当者との話の中から、困っていることが聞き出せた。
 それに見合った商品を販売できた。

これをTOTEモデルという観点で見たら、毎回違うアプローチをしています。
礼儀正しいのはダメ。気さくなのもダメ。不在じゃ話にならない。
会話が盛り上がっても商談とは無関係。困っていることを聞けたら、上手くいった。

結果的には上手くいったので、TOTEモデルとしては完結しています。
目標達成です。

では、別の機会にはどうなるか。
このプロセスで何を学んだかが重要です。

何も学んでなければ、初対面の対応は同じでしょう。
間違った学習をしていたら、上手くいったポイントとして
「困ったことを聞けばいい」という内容を学んでしまいます。

TOTEモデルでは、上手くいくまで違うやり方をすればいい、
というシンプルな考えに基づいて進めていきますが、
その発想で行くと上手くいったときのやり方にポイントがあると考えがちです。

でも実際は、そうとは限りません。

先の例で言えば、何度も足を運ぶうちに
良好な人間関係ができたことがポイントだったかもしれないわけです。

上手くいくまで結果をフィードバックとして活用し、やり方を変えていく。
その途中では、これまでの経緯を全てフィードバックとして活用しなければなりません。

そして上手くいった最後の段階で、
これまでの全てのプロセスを振り返る必要があります。

ここが重要だと思います。
上手くいった時こそ、そこに至るまでのプロセスから本質を学ぶ必要があるはずです。

原因と結果を短絡的に結び付けるのではなく、
複雑なプロセスから意味を見出すということです。

以前に上手くいった方法や、他の誰かが上手くいった方法が
同じように上手くいくわけではないんです。

名前のついた手法を学ぶ時、名前の知れた人の技術を学ぶ時には、
鵜呑みにしてしまうのは危険な気がします。

2008年06月28日

7月の勉強会

7月の勉強会のお知らせ

6月の勉強会は土曜日の夜という日程にも関わらず
多くの方にご参加いただきました。

リフレーミングというテーマは非常に奥深く
3時間では短すぎる印象もありましたが、1つの形にまとめたつもりです。

特に、話し手のフレームを変えることなく、
聞き手が自分のフレームを話の内容からリフレーミングするという手法は
話し手に受け入れられやすく、かつ効果的なコミュニケーションだと思われます。

プロセス・リフレーミングにも通じる部分がありますが、
「分かってもらえた」という思いを感じてもらうためには必須かもしれません。


7月の勉強会では、そのリフレーミングとも関連する形で
「ねぎらい」を中心に扱ってみようと考えています。

一般的な言葉の使われ方としては、「ねぎらい」と言った場合
「がんばってるね」とか
「大変だったね」とか
「よくやったよ」とか
そういった言葉がけとして捉えられることが多いようです。

「ほめる」のは目に見える成果や、良いところがないと難しいと考えられがちですが、
「ねぎらう」のは結果が伴わなくても可能だという意味で使い勝手が良いと言われます。

ところが、実際には「良いところがない」という事態は滅多にありません。
例えば、犯罪者を取り調べしていて反省の色すら全く見えない時であっても、
取り調べの席で座っていてくれている部分に対しては評価ができるわけです。

すると「ねぎらい」というのは目につきにくい良いところ、
あるいは結果以外で評価に値するところに言葉をかける、ということになるでしょうか。

良いところを評価するわけですから、「ほめる」との違いは不明確です。
辞書で使われる言葉の説明と一致させるのは難しいところがあります。

辞書で説明されるような一般的な言葉の使い方として
「ねぎらい」と「ほめる」が曖昧な定義をされているということです。

「ねぎらい」の言葉が日常的には、「よく頑張ったね」という程度の
表面的なコミュニケーションでしか使われていないことを物語っていると思われます。


勉強会で扱いたい「ねぎらい」の技術は日常的に使われるような
「大変だったね」や「よくやってきたね」という言葉とは違います。

もっと相手の心の深い部分に語りかけるコミュニケーションです。

そこには共感的な要素が含まれます。

「共感」と「ねぎらい」の違いも曖昧に感じられるかもしれません。
そこは明確に説明ができます。

と言っても、それはロジャース派が使うような共感という言葉の意味とは違います。

「ほめる」と「ねぎらう」と「共感する」。
勉強会では、これらの言葉の使い分けを説明したうえで、
「ねぎらい」を技術として身につけるためのトレーニングを行います。

そこには「リフレーミング」や「保証」などのコミュニケーション技法も関わります。
併せて整理したいところです。


では、なぜ「ねぎらい」が重要かということです。

この理由はハッキリしています。

それは、ある割合の人々は自分の苦しみや問題、悩みを解決したいと
本心では思っていないからです。

悩みや愚痴や苦労話を聞く時、そこに解決は求められていないことが多いんです。
そんなときにコーチングなどされたら不愉快以外の何物でもありません。

ロジャース派の傾聴なら救われる部分もあるでしょう。
話を聞いてもらえた、ということだけで楽になれます。
でも、話は終わりません。

人が困ったことや悩み事、苦労話などを話すとき、
その裏には分かってもらいたい気持ちがあるんです。
ある感情と結びついたその気持ち。
それをケアしてもらうことを、知らず知らずのうちに求めているんです。

話している本人すら意識できていない分かってもらいたい気持ち。
それを言葉を通じてケアしてもらう。
カタルシスと呼ばれるものは、この段階で起きます。
楽になれます。

そのための言葉がけを「ねぎらい」として扱いたいわけです。

日常的なコミュニケーションでコーチングはしません。
心理療法の技法も使いません。
変化のためのお手伝いは、本人の意思を確認した上でしか行わないのが原則です。

日常的なコミュニケーションで可能な最大限の援助が「ねぎらい」だということです。


3連休の真ん中になりますが、深い心の交流を目指す方には
是非とも学んでいただきたいスキルだと考えています。

日曜日の開催ですので、午前と午後、内容を関連させながら
個別参加が可能なテーマで進めていきます。

詳細は以下のとおりです。



※勉強会の趣旨に関しましては
勉強会070725 ( http://rikei.livedoor.biz/archives/50205495.html )をご覧下さい。


【勉強会の詳細】

【日時】 7月20日(日)
    午前の部 10:00〜12:30
    午後の部 13:30〜16:30


【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅より徒歩10分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)

【参加費】当日、会場にてお支払いください。
     初めてのご参加の方は、お試し割引きとなります。(ほんのチョットですけど)

     ◆午前の部 ・・・2,000円 (午前の部にお試し割引はありません)

     ◆午後の部
     《通常のご参加の方》 ・・・ 5,000円

     《初回のご参加の方》 ・・・ 4,000円(お試し割引が適用されます)
    
    
テーマ: ◆午前の部 『話の聴き方トレーニング』〜リフレーミングを目指して〜
     ◆午後の部 『ねぎらいの技術』
    
*多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、
 学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
 ご了承ください。




「気づき」さえあれば成長できる人は、ごくわずかしかいません。

「気づき」を促進する取組みはストレスをかけます。
ストレスをかけ、袋小路に追い詰められた時に、
今までとは違うやり方に「気づく」ことができるんです。

質問もまたストレスです。
一般的には、質問されて答えないということはありません。
少なくとも答えようとして、考えることはしてしまうわけです。

ストレスをかけ続けていたら、気持ちは離れていってしまいます。

飲み会の席でコーチングをされると不愉快になるのは
相手に質問という暗黙のコントロールを受け、ストレスを感じるからです。

問題の焦点化をするというのは、さらにストレスをかける行為です。
気持ちのレベルで苦しみを抱えたまま、その問題を明確にする。
余計に苦しくなるはずです。

問題を焦点化するときには、必ず「ねぎらい」でバランスを取る必要があるんです。

「ねぎらい」によって気持ちをケアされて初めて、
自分自身で問題を焦点化する力が湧いてくるものです。

気持ちがケアできていないタイミングでの気づきは苦しさを伴います。
気持ちが満たされる関係の中での気づきだからこそ、成長に活かせるわけです。


相手を思う気持ちは素晴らしいものでしょう。
優しさのかたまりのような人もいるでしょう。

全ての人が言葉以外の部分から気持ちを汲み取ることをしていれば
世の中は今よりも円滑で穏やかに動くことだろうと思います。

しかし、残念ながら現実は違います。
思いは言葉にしなければ伝わらないのです。

だからこそ、相手の気持ちを受け取り、言葉として「ねぎらい」を伝える。

相手を思う気持ちの深さも、内に秘めたる優しさも
言葉にして伝えられなければ、なかなか人は受け取ってはくれません。

優しい人ほど言葉にできない想いを沢山抱えているものです。

それを言葉にするのにもトレーニングが必要だと考えますが、いかがでしょうか?


当日、ご一緒に学べることを楽しみにしております。



参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。
(*は必須項目です)


終了しました

トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。

いずれの回からのご参加でも、初めて起こしになるときはお試し価格を適用いたします。
その旨をお伝えください。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています。

2008年06月26日

使役動詞

使役動詞。
 「〜させる」


喜ばせる、
楽しませる、
笑わせる、
感動させる、
元気にさせる、
気づかせる、
決定させる、
変化させる、
成長させる、…。

どれも相手を変えようとしている。
操作しようとしている。

「…を幸せにする」も「…を幸せな気分にさせる」という意味では同じです。


ここには「相手はそのままではダメだ」という前提があるように感じます。
相手がその状態であることを自分が許せないように感じるんです。

使役動詞を使うとき、根本には「相手を自分の思い通りにしたい」
という気持ちがあるような気がします。
自分の都合を相手に押し付けていないかということです。

自然と使役動詞が口をつくこともあるでしょう。
別にそんなつもりで言ったんじゃない、ということもあるでしょう。

でも、言葉は体験と結びついたものです。
無意識のうちに、過去の記憶にある気持ちに適切な言葉を選ぶということもあります。

自分勝手な思いがないか。
使役動詞に気づいたとき、それを振り返ってみるのもいいのではないでしょうか。


少なくとも、僕が尊敬する心の専門家の方々の口から
使役動詞を聞いた記憶は滅多にありません。

指示の内容として「〜させて下さい」と言うことはあっても、
自分が誰かを〜させる、という意味合いでは耳にしないんです。

専門家として相手のニーズを満たすために
「気づかせ」たり、「考えさせ」たり、「答えを出さ」せたりすることはあるようです。
でも、そこにはハッキリとした覚悟を感じるんです。

相手のニーズに応えるため、相手への専門的援助のプロセスとして、
戦略的で作為的な関わりをすることもあります。
ただ、それは責任を伴った行為です。

人と人が関われば、そこにコミュニケーションが生まれ、
その結果としてお互いに何らかの変化が生じるものです。

その変化が大きいか微々たるものかは別にして、変化は必ず起こります。
少なくとも体験の記憶は変わるはずです。
絶対に変化が起こるんです。

そして、その変化が一度起きてしまったら、二度と元には戻れません。

そのことを分かった上での関わりには責任が生まれます。
分かった上で積極的・作為的な関わりをするとしたら、覚悟がなければできません。

自分の関わりによって相手に起こる変化へ責任を取る覚悟です。

もちろん、全ての責任を取るわけではありません。
相手の意思が前提です。
だからこそ、責任の範囲を明確にするために、相手へ確認する必要があるわけです。

「〜させる」と、使役動詞で話すとき、
その内容は相手に確認をとったものでしょうか。
他人の人生を勝手に変えようとしていないでしょうか。


特に「気づかせる」には注意が必要だと思います。

気づくのは時に苦しいものです。
気づきすぎるのも大変なんです。

そして何より、気づいてしまったら、気づく前には戻れないわけです。

自分自身が気づく体験を繰り返してきたら、
自分自身が気づきの苦しみの部分を実感してきていたら、
他人を「気づかせよう」とは考えないものだろうと思うんです。

2008年06月23日

場の力

コミュニケーションにおいては「場」も大切です。

話の内容は文脈によって決まってきますが、
言語的な文脈だけでなく状況に埋め込まれた多くのメッセージを受けて
コミュニケーションの意味が変わってくるんです。

そうした「場」の持つ効果というのは、テレビ番組に強く反映されるように思えます。


最近、このブログに訪れる人の中には「Yahoo!」のキーワード検索で
「深イイ話」と入力して見つけてくる方が結構いるようですが、
この「深イイ話」というテレビ番組では、「場」の効果が顕著に表れています。

「深イイ話」というのは、深くて良い話ということだそうですが
番組中では、ある話題を1分間にまとめたVTRを放映して、
審査員となっている出演者たちが「深イイ」かどうかを判断する形式です。

これが強烈に「場」を形成しているわけです。

普通に考えると1分間の話で感動するというのは難しいものがあります。
感情移入するポイントや、前提情報が不足がちだからです。

その点は、テレビというメディア形態の中で映像表現として工夫されている部分や、
また話題自体も有名人を中心としたものが多いので
前提情報として登場人物の背景を視聴者が知っているということで緩和はされています。

それでも映画で受けるような感動は、通常では得られないわけです。
映画は2時間近くその世界に入り込むことで十分に背景を理解し、
感情移入する準備をさせてくれます。

どんなに「深イイ」話であったとしても、1分間で涙することは難しいはずです。


そして、1分間の話では決して結論は語られません。
それは映画と同じでしょう。

話題を提供する側としては「深イイ」ポイントがあるはずですが、
それはあくまでクライマックスとして終盤に盛り込まれるまでに留められ、
「だから〜ということなんです」とは説明されないんです。

すると必然的に、出演者を含め、1分間の話のVTRを見ていた視聴者自身が
その話から意味を読み取る必要があるわけです。

これが日常会話であったら、まず間違いなく物足りない話題になります。
情報不足の感が否めないでしょう。
自然と聞き手は話を詳しく聞こうとして質問をしたりすると予想されます。

ところが、この番組には1分間で「深イイ話」かどうかを判定するルールがあります。

ある話題を1分間のVTRにまとめ、それだけを見て、出演者が判定をする。
この流れが「場」ということです。

その上、メインパーソナリティーでもある島田紳助氏のコメントが
また「場」を強めています。
それは番組の初回放送時と比べ、ハッキリと強まってきた傾向だと考えられます。

視聴者は察しなければならないんです。

そういう雰囲気が「場」として出来上がっています。
どれだけ深読みできるかが求められているように見えるんです。


つまり、1分間の話をVTRで見て、それだけで感動するかどうかではないということです。

その内容に対して、受け取る側である視聴者(出演者を含む)が
自分の想像力と理解力を活用して、周辺情報を付け足し、心情を推測し、
そこにあるドラマを自分なりに描く。

こういうことが暗黙の了解として求められているわけです。
そういう「場」が出来ているように思います。

それはNLPで考えると、ミルトン・モデルに近い働きです。

あるメッセージを受け取り手が自分なりに解釈する。
曖昧さや情報の省略、不特定さによって、受け取り手が不足分を自分で補う。
それには補いたくなるような「場」が重要だということです。

ちなみに、メタファーというのも通常は、話の長さが大切になります。
そこに含まれるプロセスをパターンとして読み取りたくなるだけの長さが必要なんです。

長めの話を聞いたときに、聞いていた側が自分なりに結論を見出そうとするとき
それを自分の体験や状況と照らし合わせるのがメタファーの効果です。

例外的に、非常に短いメタファーというのも作り得ます。
その場合には、話題が非現実的で、物語としての象徴性を持っていることが必要になります。

例えば、勉強会のときに話題として提供して頂いたもので、こんな話がありました。

  イモ虫が蝶を見上げながら『蝶は空が飛べていいなぁ』と言っていた。

たったそれだけの話です。
でも、これには多くの前提情報があって、それを元にして意味を感じ取れるわけです。

で、この話が少し変わると、意味は全く別になります。

  カタツムリが蝶を見上げながら『蝶は空が飛べていいなぁ』と言っていた。

いかがでしょうか?
登場人物が変わっただけです。(人物という言い方が正しいかは微妙ですが)

さらに少し付け加えたら、また意味が違って感じる方もいるかもしれません。

  カタツムリが蝶を見上げながら『蝶は空が飛べていいなぁ』と言っていた。
  蝶は空からカタツムリを見ながら『カタツムリは家があっていいなぁ』と言っていた。

こんな風に、短い話というのは受け取り手が状況を推測する度合によって
意味合いが変わってくるわけです。

ということは、1分間の話で「深イイ」と感じるかどうかは
受け取り手である視聴者自身に依存していると言えるわけです。

1分間の話だけから「深イイ話」かどうかを判別するという形式は、
視聴者から暗黙のうちに、その話を適当に流すという選択を奪い、
その話を深く受け止めようと意識させる「場」を作っています。

むしろ、出演者が「深イイ話」として受け取れるかどうかを
判別されるようなことになっている。
「よく分からなかった」とは言いにくい状況。

あなたには、この話が「深イイ話」として受け取れるだけの
想像力と感受性と人生経験がありますか?
…出演者はそういう風に問われている、とも解釈できると思うんです。

「場」には強制力があります。
コミュニケーションにおいて「場」の持つ力は大きいわけです。

知らず知らずに従ってしまう「場」の力。
それを客観的に理解できるようになることで、自分にかかる力を弱められます。

そうすることで、自分自身が「場」を作り出すことすらも可能になってくるはずです。

2008年06月20日

うわべの行為

ホスピタリティという言葉が知られるようになり、
インターネットビジネスの普及によってマーケティングの手法が一般化してくると、
顧客フォローと呼ばれるような事柄も、型として有名になっていくようです。


僕が会社にいながら色々なセミナーで勉強していた頃、
出会う人同士で集まるような機会にも自然と顔を出すようになっていました。

セミナーで仲良くなった人同士で開催した飲み会に誰かの友達が来たり、
逆にこちら側が友達として他の会合に呼ばれたり、
新しい出会いが数多くあったわけです。

そういう場所には異業種交流会が好きな人とか、
人脈作りを頑張っている人とか、
名刺交換をお願いされることもありました。

僕自身は、そうした人のつながりを目的に参加していたわけではないので
会社の名刺しか持っていませんでしたし、
名刺だけ交換してロクに話もせずに他のところへ行く人のことを
覚えていることはなかなか難しいところがありました。

そんな人たちの中には独立してビジネスをしている人や
人脈づくりの達人として活動をしている人などもいたようです。

熱心に勉強していたのでしょうね。
本に書いてあることや、誰かに教わったマーケティングの手法を実践していたみたいです。

顔を合わせてしばらくしたころ、会社に手紙が届きました。
手紙をくれたのは一人ではありませんでした。

直筆なのでしょうか、葉書に殴り書きをしたかのような文字で宛名が書かれており、
中身にはパソコンで作ったらしきゴチャゴチャしたものが描かれていました。

内容は挨拶文のような短いもの。
この間はありがとう、とかそんな程度です。
それに加えて、キメ言葉らしきメッセージがついている。

そんなものを一度手書きで書いて、スキャナで取り込んだものが
彼自身の意味のわからない写真とともに、妙なデザインに紛れながら載っているんです。

「誰だ?」と思って差出人を見ると、名刺交換をした相手。

そういうことが何度かありました。
中には名刺に載せていたのと同じ、ペンネームで送りつけてくる人までいました。


すごく困ったのを覚えています。

職場の机の上に置かれていたんです。
当時、会社宛に送られてきた訳の分からない葉書は、
他の公的文書とともに各職場のメールボックスに入れられる仕組みでした。

その後で、職場ごとに郵便物を個人に再配分。

当然、そうなれば多くの人がその葉書を目にするわけです。
場合によっては中身の側が目に留まることだってあったでしょう。

会社宛てに葉書を送るということの意味が全く分かっていないんでしょうね。

その後も、しばらくして同じ人から何回か同様の葉書が届きました。
それと並行して、形式だけのステップメールも。

「出会ってから数か月の間に、連絡をとって印象を残しましょう」
とでも習ったのでしょうか?
接触頻度を上げて、親近感を残す。
そのこと自体は重要だろうと思います。

僕も何かのビジネス書で同様のことを読んだ記憶はあります。

でも会社宛てに葉書を送ることとは意味が違うように思います。


中には、本当に丁寧に手書きで書かれた葉書をくれた人もいました。
出会った場所での内容や、個人的なメッセージなども入っていました。
絵手紙になっている人もいました。

心を込めて、ということが似合う人からだったので
「ご丁寧にありがとう」という気持ちが沸いてもきました。
…が、会社宛ては、やっぱり困りました。

年賀状くらいなら良くあることかもしれません。
挨拶状として見受けられやすい形だからです。

それをパーソナルなものにしていったときに考慮すべきことがあるというわけです。

事務的なものと違って、心を込めた手紙はパーソナルな度合が増していきます。
会社に送るということは、ある程度、公的な要素が出てきます。
公私混同ということが、相手の会社でどれだけ重要かを知っておく必要があるはずです。

名刺交換に応じてくれたから、そこの住所には何を送ってもいい、
そんなはずはないと思うんです。

相手の事情が良く分からなければ、リスクを考える必要があると思います。

封書で送っていれば、意味が全然違うのではないでしょうか。

確かに値段は葉書よりも高いです。
でも逆効果な葉書を送るくらいなら、送らないほうが良いでしょう。
「郵便物で印象を残す」という戦術を使う決断をしたのなら、
中途半端なことをしてリスクを抱えるのは困りものだと考えられます。


メルマガやニュースレターには接触頻度を上げて
印象を残すという意味があるのだろうと思います。

それは、対多数の関わり方です。

受け取る側も、大勢に向けて書かれていることが分かっています。
雑誌を読むような気分に近いだろうと思います。

どんなに心を込めようとしても、特定の誰かを相手にはできないわけです。
内容や体裁に心を込めることが精一杯かもしれません。

事務的な要素が強い郵便物も同様です。
受け取る側は多数が相手になっているのを前提とするはずです。

そんな事務的な郵便物だろうと思って開いたとき、
そこに、小さな紙切れ1枚に一言個人的なメッセージが添えられていると
それは喜びを感じられます。

僕の臨床催眠の先生はそういう人でした。
たった一言ですが、直筆でメッセージを添えてくれていました。


直筆というのはパーソナルな関係を示唆しているわけです。

だからこそ、ホスピタリティを大切にしているようなサービス業では
顧客に対してパーソナルな関係を続けようと努力するのでしょう。

商品を購入してもらった後に、担当者が直筆の手紙を送る。
そこには個人的なメッセージも含むわけです。

手紙をもらった側は、その人のことを思い出します。
自分を気にかけてくれたことを感じるでしょう。

その人を思い出しながら、その人だけのために、
その人だけへのメッセージを送る。
心をこめて、ということです。

当然、時間はかかります。

もしかすると、誰かと同じ内容でもバレないかもしれません。
それでも、その人だけのためのメッセージを考える。

その時間が相手への想いとして反映されるんでしょう。

その人を個人として対象にしているというのが前提になるんです。

たとえば、クレームに対して返ってきた手紙が、印刷の封筒だったりすると
それは個人扱いをしていないということになります。

直筆にしてこそ、個人扱いということです。


「直筆」と「手書き」を勘違いすると逆効果になりますね。

送り主が相手のことを考えて、相手一人のために、というのが直筆です。
「印刷よりも手書きのほうがいい」という意味ではありません。

印刷だったら、最初から受け取り手は多数を相手にしていることが分かります。
手書きということは「相手一人のために」という前提を含んでいるわけです。

手書きなのに、内容が不特定多数を相手にしているのも意味がないですね。

封筒の綺麗さ、文字の美しさが手書きの良さではありません。
本人が心を込めているから「直筆」として良さがあるわけです。
相手その人だけのために直接書かれているから「直筆」なんです。

「手書きの手紙がいい」とか、表面的にしか物事を捉えられないと
他人にやり方を真似した時に逆効果になることさえあるようです。

誰かの言ったことを鵜呑みにする。
すると本質を逃し、上っ面ばかりを捉えることになります。

情報の本質をつかむことが大切だと思います。

有名になったやり方をそのまま真似る。
まさにそれこそ、「有名無実」の行為じゃないでしょうか。

2008年06月15日

冒険の主人公たち

エリクソン催眠で有名なスティーブン・ギリガンは人生を旅のようなものと捉え、
そのために必要な3つのエネルギーとして「力・思いやり・ユーモア」を挙げています。

この3つのエネルギーをバランスよく活用していくことが大切だということです。

これはセラピー的な視点からでも、自己成長的な視点からでも
人を見ていく上で有効な指標になるように感じます。
結局、バランスが大事だということになるわけです。

で、こういった素養が人生という冒険の旅に必要だという考え方は
冒険モノのストーリーを見ていくと同様に見て取れることがあるようです。

たとえば、有名なゲームでドラゴンクエストというシリーズがありますが、
その中では登場人物のキャラクター設定以外にも職業という要素があります。
(僕がやったのはファミコンのドラクエ犬阿蕕い泙任世辰慎いしますが…)

その職業と呼ばれるものに、3つのエネルギーが反映されている印象を受けるんです。

おぼろげにしか記憶していませんが、たとえば
戦士とか武道家とか、そういった格闘を得意にする性質は「力」、
僧侶や占い師などの回復や癒しに関わるのが「思いやり」、
魔法使い、踊り子などが「ユーモア」といった感じでしょうか。

ギリガンの言う「ユーモア」は文字通り、物事を笑い飛ばせるような陽気さもありますが、
柔軟性やクリエイティビティといった知的創作活動の要素も含んでいます。
ユーモアは視点を変える行為ですから、個人的には
「頭の柔らかさ」といった表現がシックリくるような気がします。

もちろん、物語として描かれるドラゴンクエストのシリーズには
登場人物のキャラクター設定があって、そこに内面の描写も加わってきますから、
職業と呼ばれる能力特性と3つのエネルギーが一致しないこともあると思います。

たとえば、やんちゃで自由な戦士もいれば、冷静沈着な戦士もいる、とか。

ただ最も象徴的に、職業という能力特性を考えてみると
戦士・僧侶・魔法使いという組み合わせは、的を得ているように見えるわけです。

3つのエネルギーを象徴的に描くと、ドラゴンクエスト(特に掘
の職業というのは主人公の内なる一部と受け取れるだろうという話です。


ちなみに神話などの物語中では、魔法使いというのは主人公の仲間というよりも
メンター的なスタンスで出てくることが多いようです。
賢者とか老師とか仙人とか、そういったイメージなんでしょうね。

そんな物語中に出会う登場人物は別にして、
主人公の仲間達に
 「パワフルに前へ出ていく戦士」
 「思いやりのある優しい僧侶」
 「ユーモアと知性にあふれた魔法使い」
の3人がいる場面を想像すると、
人生という冒険の旅がイメージしやすいように思うんです。

そして、自分の中の3人の仲間たちのレベルを見つめてみる。
仲間たちはバランスよく成長しているだろうか、と。

いつもは戦士に頑張ってもらっていたけど
こういった場面では魔法使いに頼ったほうが上手くいくかもしれないな、
などと振り返ってみる。

そんな見方も面白いんじゃないでしょうか?
ゲーム好きの人はシックリくるかもしれませんね。

cozyharada at 23:46|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2008年06月13日

こだわりの方向

サービス業に求められるものは様々なように思います。
それはお客様側の求めるものが様々だからでしょう。

理想的には全てのお客様の個人的ニーズに応じて
全て個別対応でサービスを提供できたら完璧なわけです。

でも、それは難しい。

何でも屋と言っても本当の意味での「何でも屋」ではないわけです。
やはり専門性は出てくるほうが普通でしょう。

となると、しいて挙げるとすればホテルのコンシエルジュというのが
かなり個別対応をするサービス業となるでしょう。
それも高額なホテルに限られるかもしれませんが。

もちろん、コンシエルジュは自分で全てを対応するわけではありません。
「美味しいフランス料理が食べたい」と要望を受ければ、
自分で料理をする立場ではないからです。

あらゆる要望に応える立場のサービスというのは個人の範疇ではなく
専門家のネットワークを利用することで成し得るものだということです。


かと言って、何でも相談にのって、適切な専門家を紹介するというのでは
職業として成立させるのは難しい部分もあるのかもしれません。

それに近いのはインターネット上のアフィリエイトでしょうか。
それでも、ある程度は自分で調べる人も多いでしょうし、
インターネットの情報量も膨大なわけですから
何でも案内するというのは難しい部分があるように思います。

そして何よりも、専門家を選んだとしても、
100%満足できるサービスに辿り着けるかどうかは保証されないわけです。


やはり現実的には、できるだけ多くの人が満足するサービスをすることになるのでしょう。

リピーターを気にせずに、一度きりの売り上げを優先する方法もあると思いますが、
多くのサービスは顧客満足を考えているはずです。

例えばレストランで考えてみると、ランチメニューを用意して外に看板を出す、
というのは初めて来店してもらうための工夫だと考えられます。

安い値段の表示とメニューリスト、サラダ・ドリンク付などの情報が
来店前から見られるようになっている店は、
初めて来店する機会を増やすためにしていると判断できます。

それに対して、実際の料理の味や接客態度、店内の雰囲気などは
満足度に関わっていて、二度目以降の来店に重要な要素だと言えるはずです。

もちろん、評判や口コミで初めて店に来るお客様もいるわけですから
料理の味や接客などが客数を増やすことにも関わるのは言うまでもありませんね。

飲食店であれば、一見の来客数を増やすことに目一杯専念して
味を中心とした満足度を無視する、ということは滅多にないでしょう。

逆に味さえ魅力的であれば、その他の要素がカバーできることもあるようです。
ラーメン屋など典型だろうと思います。
店主の態度がヒドイのに行列ができる店などザラにあります。


また、同じ飲食店でも業態によっては求められるものが違うように思われます。
同じ業態であっても人によって求めるものは違うようです。

高級フランス料理店とラーメン屋では料理以外にも違うところが沢山あるでしょう。
そして、同じラーメン屋によっても、店の雰囲気は様々です。

居酒屋だってそうです。
にぎやかで楽しい雰囲気も店もあれば、静かで落ち着いたところもある。

それは個性なわけです。

満足してもらうためには様々なサービスが考えられます。
でも全てのお客様に満足してもらうことは難しい。
だから特徴を出していくのでしょう。

人気の居酒屋には、とにかく元気な店員がウリのところがあるようです。
サプライズも用意して、店中を巻き込んで大袈裟な演出をする。
その店に行くと元気が貰えるような、そんな店。

それは1つのサービスとして徹底していると言えます。
ハッキリ分かりやすい特徴です。

当然、好き嫌いがあるはずです。
居酒屋で楽しい雰囲気になることが目的ならマッチするんだろうと思いますが、
静かなところで語り合いたいときには不向きかもしれません。

それは客側の選択です。
個人の好みや状況に応じて選択するわけです。

特徴を明確に打ち出していくと選びやすくなるというメリットが考えられます。
客層を絞り込むという結果にもなるのでしょう。


極端なまでに特徴を示すことができれば、
それは大きな武器になるはずです。

居酒屋やアミューズメント系であれば、とにかく盛り上げるという接客も
特徴を打ち出す効果的なサービスだと思います。

高級レストランであれば、気品あふれる振る舞いや接客姿勢、
豊富な知識といったものが、求められるサービスかもしれません。

高級レストランでアミューズメント系のような盛り上げ方をされても
場の雰囲気に合わないのは当然です。


こういったことは、セミナーでも同じなんだろうと感じます。

どういう方向に特徴を打ち出していくか。

とにかく気分を盛り上げてくれるセミナーもあります。
会場全体を一体に巻き込んでいくコンサートのような雰囲気のもの。
ひたすら講師の話に引き込み、会場を拍手の渦にする映画のような雰囲気のもの。

かと思えば、非常に真面目で学校のような講義を聞くセミナーもあります。
一方的に講義が進むもの。
受講生側が積極的に学び取ろうとするもの。

少人数で相互交流的なものもあります。
積極的に参加していくワークショップ形式のものもあります。

セミナー形式は、それ自体が1つの特徴だと考えられます。

そして、セミナーもサービスと考えたときには様々な要素が関わってきます。
満足度は必ずしも内容だけに対してではないでしょうから。

会場の内装や音響、BGMなども満足度に関わる要因でしょうし、
スタッフの対応もサービスの一部でしょう。
水やコーヒーが出されるセミナーもあります。

細かな要素が受講生側の満足度に関わっています。
満足してもらおうという心意気は素晴らしいはずです。
ただ、そこに不一致感があると問題ではないかと思うんです。

例えば、会場全体で盛り上げて参加者の気持ちを鼓舞するようなセミナーであれば、
関わる人はスタッフを含めて、参加者の気持ちを考えるべきだということです。

参加者の気持ちを奮い立たせるために内容が組まれ、
会場や音響、様々なアイテムを使って雰囲気作りがなされているのに、
スタッフ自体の気持ちが奮い立っていないというのは不一致だと思います。

真面目な勉強のようなセミナーであれば、
資料の作りや、机の整頓のされ方なども大切でしょう。

確かに、水やコーヒー、お菓子などを振舞ったり、お土産を配ったり、
そういうのは満足度を上げる要因にはなるようです。

でも、それらが「おもてなし」や「思いやり」の心を伝えるようなセミナーであったら
十分に気をつける必要があるように思うわけです。

コーヒーが嫌いな人もいる。
お菓子だって好みがある。
お土産は邪魔になることもある。

配慮の大切さを伝えるのなら、配慮ができている実例を示す必要があるということです。
そうでないと不一致感を与えてしまいます。

もしかすると不一致にならないように気をつけている間は
まだまだ特徴がハッキリ打ち出せていないのかもしれません。

自分のウリとなる特性をハッキリさせられていれば
自然と選ぶ行動が、特徴となる方向性と一致してくるような気がします。

特徴は「こだわり」の結果として生まれてくるのかもしれませんね。

自分が仕事で「こだわりたい」部分と、「どうでもいい部分」を吟味すると
自分の方向性が見えてくるのではないでしょうか。

2008年06月10日

音楽が呼び起こすもの

NLPではアンカリングを技術として学びます。
その他の分野においてもアンカーとトリガーの関係は知られているようです。

記憶は断片情報が関連付けて整理されているということから
ある情報をキッカケにネットワーク上で関連性の強い記憶が
引きずられて蘇ってくるということです。

そうした情報同士の繋がりがアンカーであって、
トリガー、つまり引き金となる情報によって別の情報が引き出されるわけです。

情報というのは映像であったり、音であったり、匂いや体の感覚だったりしますが、
トリガーとなる情報も種類は問いませんし、蘇ってくる要素もそれぞれです。
アンカーされて蘇ってくるものもまた、それぞれと言ったところでしょう。

ただ、アンカーされやすい情報の種類というのは、色々な人を観てきた結果からすると
人によって決まっているようにも思えますが、
一般に記憶と言ったときには状況を映像的に思い浮かべることが多いので
アンカーを実感しやすいものも状況や出来事の記憶になりそうです。

誰しもあるだろうと思いますが、何かの音楽を聴いたときに当時の状況を思い出したり、
懐かしい場所に行ったときに長らく忘れていた出来事を思い出したりするものですね。


で、僕は最近、まさにそのアンカーを思いっきり体験しました。

僕が使っているICレコーダーは音楽も入れられて、それをイヤホンで聴けるんですが
先日そのICレコーダーを使うためにデータを整理しようとしたんです。
それで、中に入っている情報をチェックしたわけです。

音楽以外の講演CDなども色々入っていましたが、音楽も入っていました。
そして、なんとなく他にも音楽を聴きたくなって、CDを引っ張り出して来たんです。

僕は決して音楽好きではないと思いますので、それほどの量のCDはありませんし、
持っているCDも結構、偏っているような気がします。

たぶん、一番偏っているだろうなぁと思うのは、
「タモリ」とか「清水ミチ子」とかでしょうか。

まぁ、それはさておき、僕が持っている音楽CDというのはチョット前のヤツばかりなんです。
最近は全然買ってないわけです。

そして、そのCDを見ていると、当時の自分が何を感じていたのかも思い出せます。

基本的には暗いヤツが多いですね。
聴いていて楽しくなるような曲はまずありません。


その中でも、僕が先日聴いたのは、
こういう心の勉強を始める前の時期に良く聴いていた歌手。
「柴田淳」という人です。

最近は全然聴いていませんが、会社にいた頃は頻繁に聴いていました。
山口にいた頃、車の中では必ず流れていましたから。
なぜかそのCDだけは買っていた記憶があります。

とにかく悲しい歌が多いんですね。
当時はそれが好きだったわけです。

今、それを聞くと印象は随分と違います。
好きな要素は沢山ありますし、それは今も変わらない僕の好みの部分なのでしょうが、
その暗さや悲しさは今となっては必要がなくなってきているようです。

むしろアンカーとして、当時の色々な記憶が蘇ってきたりしました。
景色、出来事、人、そして体の感覚。
久しぶりでした。

悲しいときに、あえて悲しい音楽を聴くという人は多いように思います。

感情というのは無視するよりも出し切ってしまったほうが切り替えやすいものです。
その意味では、悲しいときに悲しい音楽を聴いて
思いっきり悲しみを味わい尽くすというのも効果的な方法なわけです。

僕は個人的に悲しみが得意分野のようですから
自分の生活の中に悲しみに浸る時間を作っていたような気がします。


また、改めて聴いてみて感じたのは、音楽というのものが持つ性質に関してです。
音楽には不思議と人の心を動かす働きがあるようだということです。

だからこそ、人は自然と音楽を作り出し、伝統的に築き上げてきているのでしょう。
芸術の1つとして、音楽には人を感動させる何かがあるのだと思います。

僕の聴いていたその悲しい歌の数々は、いずれも歌詞を全て無視しても
音楽として表現されたものの中に悲しい景色を含んでいるように感じます。

その景色は曲を聴いていると自然と浮かんでくるイメージなんですが、
こういうのは人が誰しも元々持っていた共感覚的なものかもしれません。

なお「悲しい景色」という表現の中から既に、人が情景や音の響きに対して
感情を想起されやすい性質があることが推測できます。
人の感覚器官というのは、何やら不思議な繋がりを持っているのでしょうか。

そうした人の感覚器官同士の関連性に伴った身体感覚の変化が引き起こす心の動き。
それが芸術が人の心を動かすものではないかと思います。

芸術というのは人が生まれながらに持っている感覚的なアンカーなのかもしれませんね。

cozyharada at 23:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2008年06月08日

6月の勉強会

6月の勉強会のお知らせ

今月はスケジュール的に開催日を決めるのが難しかったんですが、
今までにない変則的な日時での開催となりました。

詳細は以下をご覧ください。


さて、今月のテーマですが、とても本質的な内容を扱うつもりです。
本来は丸一日、丁寧にやれば2日ぐらいかけてもいいほどの重要性があります。
「話を聴く」ということのトレーニングも何度か行っていますが、
そこにも通じる大切なポイントと言えます。

4月、5月と「インクルーシブ・コミュニケーション」をテーマにしました。
また、「気づき」をテーマにしたときもあります。
その過程に必ず含まれている内容を扱います。

リフレーミングです。

これまでの勉強会でも何度となくリフレーミングという単語は出てきたかと思います。
その際に大まかな概念的説明はあっても、
リフレーミングそのものを丁寧に考える時間は意外とありませんでした。

ところが、リフレーミングとは非常に深いテーマです。
その深さをお気づきの方もいるかもしれませんが、
言い換えれば、その深さまで辿り着くのは一筋縄ではいかない部分もあるわけです。

だからこそ、リフレーミングというものを整理して理解し、
それを使いこなすためのトレーニングを行うことが重要だと考えられます。

リフレーミングはポジティブ・シンキングとは違います。

ポジティブ・シンキングが時に人を苦しめることになる理由に関しては
「インクルーシブ・コミュニケーション」でサブパーソナリティという考えを
ご理解いただいた方には納得していただけると思います。

人の心の中には様々な自分がいるわけです。
ポジティブ・シンキングというのは、苦しんでいる自分を無視しているんです。
何よりもポジティブに考えようとしている自分に気づいている状態なのが問題です。

リフレーミングというのは、物の見方を広げることで
気持ちの上で楽になることを言います。
苦しんでいる自分を無視するのではなく、許せるようになるわけです。

つまり、リフレーミングとは本人の中で起こるものだということです。

勉強会で扱うのは、主に言葉がけの方法ということになりますが、その場合でも
リフレーミングは言葉がけの結果として相手の中に「起こること」と捉えるのが大切です。

相手に受け入れられないリフレーミングも当然あるでしょう。
その部分の見極めも勉強会の大きなテーマとなるはずです。


リフレーミングと似た印象のものに「ねぎらい」や「保証」があります。
言葉がけの方法には定義として違いがありますが、
「ねぎらい」や「保証」の結果として、相手の中にリフレーミングが起きることもあります。

また、あらゆる心理臨床の目指すところもリフレーミングと言えます。
リフレーミングという言葉を使っていなくても、
リフレーミングのプロセスを経ることなく改善に向かうことはありえません。

「楽になる」ということを目的とした場合、
コミュニケーションにはリフレーミングが欠かせないわけです。

「ねぎらい」に関しては、その次のテーマに組み込もうと考えています。


勉強会で「リフレーミング」に対する見方が変われば、
それもまたリフレーミングと言えますね。

お時間の調整が難しい時間帯かもしれませんが、
ご興味とご都合に折り合いがつく方は、是非ご参加ください。
 ※今月は土曜日の夜の開催になります。


※勉強会の趣旨に関しましては
勉強会070725 ( http://rikei.livedoor.biz/archives/50205495.html )をご覧下さい。


【勉強会の詳細】

【日時】 6月28日(土)
     18:30〜21:30


【場所】 北とぴあ 901会議室
    (JR京浜東北線・王子駅 北口より徒歩2分)
    (東京メトロ南北線・王子駅 5番出口直結)

【参加費】当日、会場にてお支払いください。
     初めてのご参加の方は、お試し割引きとなります。(ほんのチョットですけど)

     《通常のご参加の方》 ・・・ 5,000円

     《初回のご参加の方》 ・・・ 4,000円(お試し割引が適用されます)
    
    
テーマ:『リフレーミング』
    
*多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、
 学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
 ご了承ください。



一見するとシンプルに見えるものが奥の深いものだというケースは頻繁にあります。

リフレーミングをシンプルに理解しようとすれば、
ある程度の体験学習まで含めても30分程度で学べるはずです。

実際、多くのNLPの団体ではリフレーミングに時間を割かないと聞きます。
それはリフレーミングの奥深さを実感してもらうまでに
ある程度のプロセスを通る必要があるからかもしれません。

シンプルさゆえに起きてしまうことのように思います。

大まかにすることと、分かりやすくすることは違います。

ゴチャゴチャと混濁した状態では底のほうまで見ることはできません。
深いところまで見るためには、スッキリと澄んだ状態にすることが必要です。

リフレーミングの奥深さを他の方と共有していただけたらと思います。
是非、参加費の元を取る以上の学びをお持ち帰りください。


参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。
(*は必須項目です)


終了しました

トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。

いずれの回からのご参加でも、初めて起こしになるときはお試し価格を適用いたします。
その旨をお伝えください。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています。

cozyharada at 23:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!セミナー情報 | NLP

2008年06月06日

プロフェッショナルの理由

「Professional」という単語の日本語訳は「専門家、専門的職業」、
形容詞としては「専門の、職業上の」ということになります。

「プロ」ということをハッキリと定義するのは難しいですが、
「職業的」というニュアンスが入っていることは重要なポイントだと思います。


例えば、対人援助職などの場合、職業的に人の援助をするわけです。
ボランティアではありません。

職業として対価をもらうからこそ、
提供するものに100%の力を注げるという部分もあるでしょう。

そして、それは職業として仕事をしている時間のみに限定される部分でもあります。
24時間ずっと援助者であるかというと、その必要はないんです。
これは重要なポイントです。

もちろん、24時間体制で仕事に対応するケースはあるでしょう。
深夜でも仕事として急に対応しなければならないことはあるはずです。

しかし、それは職業的な時間を24時間体制で受け持つということであって、
24時間ずっと援助者であるという意味ではありません。

仕事の時間を離れれば、個人の私的な時間になるわけです。
この私的なときにまで援助者でいる必要はないということです。

むしろ無意識のバランスを考慮すると、24時間ずっと援助者であり続けることは
偏りを生んで、ストレスの原因になることさえあり得ます。
福祉に携わる方々が抱えがちな部分だと言われます。


重要なのは、意識的な度合いだと思います。

頑張って自分をコントロールしている時間は調整する必要があるということです。
24時間ずっと自分自身をコントロールしていては無理があるわけです。

お笑い芸人のプライベートが暗いというケースはよくあるそうです。
これも職業的に人を笑わせる部分で、意識的な努力が大きいことを物語っています。

とはいえ、プロと呼ばれる人達が必ず職業的要素を意識しているかと言えば、
そうではないと思われます。

例えば、医者や救急救命士であれば、急病や事故の現場に出くわしたら
苦しんでいる人を放ってはいかないでしょう。
ほとんどの人が「今は仕事じゃないから」とは考えないでしょう。

それは必ずしも職業としての関わりではないかもしれませんが、
自分の役割というのを明確に持っているからではないかと思います。
意識的に努力して心がけるものではなく、自然と表れるものでしょう。

僕自身は勉強が好きなほうですから、プライベートな時間に勉強するのは
かなり楽しんでやっているところがあって、職業的な自分とは違うように思います。
でも、それが仕事のベースにもなるわけです。

テレビを見ても、漫画を読んでも、心とかコミュニケーションという部分は
自然と気になってしまうところがありますから、
それは意識的に心がけなくても自然に表れる部分なんでしょう。

一方で、自分の時間として生活をしているときには
コンビニの店員の顔すら見ないこともあります。
「コミュニケーションでは相手の目を見るのが大切だ」と知っていても
自分の時間を自分の好きに使いたい気持ちもあるわけです。

そういう意味で言うと、プロは24時間ずっと知らず知らずのうちに
自分自身の仕事を表に出していながら、
その一方では仕事を離れた私的な自分も出していると考えられます。

ごく稀に、聖者と呼ばれる人達は24時間ずっと聖者をして、
公私の区別がないような生き方をしているようですが、
まぁ、そんな人は世界に数えるほどしかいないでしょう。

人は職業的自分と私的な自分のバランスをとるほうが普通です。

あの天才催眠療法家ミルトン・エリクソンだって離婚しているわけですから。


24時間、365日ずっと専門家であり続けるというのは、確かにプロの姿勢でしょう。
ただし、それは24時間ずっと専門家を心がけ続けることとは違うように思います。

必要に応じて、いつでも自然に専門家に戻れるベースを持っている。
いつも自分のどこかに専門家としての振る舞いが表れてしまう。
そういうことのような気がします。

つまり、「自分は〜だから」と意識して、自分の振る舞いを変えているうちは
プロフェッショナルではないということです。

プロフェッショナルの人達が語る「24時間、365日」というのは
私的な自分を持たずに、ずっと職業的自分でいるという意味ではないように思います。

それはきっと覚悟の表れです。
自分の生き方の表明です。

「professional」という単語は「profession」から来たものです。
「profession」とは「宣言」という意味です。

プロというのは、公に自分のすることを宣言しているわけです。

「私は医者です」と宣言しているプロは、「いつでも医者として行動できます」と
言っているようなものじゃないかと思うんです。

「いつでも医者でいられるように心がけています」とは別物です。
資格を取って、「自分は〜だ」と思いながら行動をするのとは意味が違います。

わざわざ心がけなくても、染み付いているんです。
その染み付いた自己認識を宣言するのがプロじゃないでしょうか。

「これから頑張ります」じゃないんです。
「こうやって頑張ってきました。だから、これからも頑張ります」なんです。

それは決して、常日頃から「自分は〜だ」と心がければ済むものではないはずです。
「自分は〜だ」と強く覚悟しなければならなくなった出来事があったはずです。

経験によって刻み付けられた覚悟こそがプロの「profession」だと思うんです。


覚悟は経験が作る。

母親の覚悟ができると女性は変わります。
「母は強し」などと言われます。

自分の子供が生まれるまでは、小さい子供が騒いでいると「うるさい」と思うわけです。
でも自分に子供ができると、他人の子供でも「元気でいいわね」となるわけです。

それは母親の覚悟ができたからでしょう。
母親としての自分が、他の子供まで愛おしく思わせる。
素晴らしいことだと思います。

でも、それは「私は母親です」と、ある日突然に宣言をしても無理なはずです。
コウノトリが子供を連れて来て、ある朝起きたら母親になっていた、なんていう状況では、
いくら「私は母親になります」と宣言しても母親の覚悟は手に入りません。

子供が生まれると女性が母親になれるのは、
長い時間をかけて命を育み、出産という経験を乗り越えるからでしょう。
その体験が母親の覚悟を作るのだと思います。

覚悟は経験によって生み出されると思うんです。

自己認識、つまり「自分は何者であるか」というBeingレベルは
経験によって変化していくものだということです。

プロとは一朝一夕になれるものではないように感じます。

cozyharada at 23:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《心を調える実践会》

【日時】 2017年10月15日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回開催は11/5の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード