2009年07月

2009年07月30日

8月の勉強会

8月の勉強会のお知らせ


今回のテーマは「夢、目標、願望、予定」といった未来の出来事です。
人は未来を想像する能力を持っています。
そこの扱い方をテーマにしてみよう、と。

これまでにもブログで何度か触れていることもあって、
今回は、あえて詳しい説明を省かせていただきます。

 世の中には夢や目標を達成しやすい人がいる。
そこにある違いを見つけて、自分の中に取り入れようというわけです。

勉強会という扱いをしていますが、実際のところ
『願望実現ワークショップ』のようなものとして捉えていただいてもいいかもしれません。

イメージに注意を向ける時間が長くなります。
その点はご理解いただいた上で、ご参加ください。


既存の願望実現、目標達成系のセミナーとは、
基本的なコンセプトが違う
と考えています。

むしろ、他の目標達成法が何をしようとしているのかを理解するキッカケとして
発想が広がっていく可能性もあると思います。

目標をノートに書いたり、夢を毎日イメージしたり、特別な方法で願い事をしたり、
色々なやり方で効果が出る人と出ない人の根本的な違いもご理解いただけるはずです。


午前中は、基本的な理論的裏付けの説明と、効果を強めるための実習、
午後は実際に、夢や目標を現実化するための手法を体験していきます。

形式としては午前・午後で分割してのご参加を可能にしておきますが、
こちらとしましては午前・午後両方のご参加をオススメします。

もちろん、午前中で理論だけ知れればOKという方のご参加も構いませんし、
「実際に夢だけ叶えば良い」というスタンスで午後からのご参加も構いません。

ただし、かなり影響力のある手法だと考えられますから、
その目標を達成してしまったために問題が起きてしまう可能性も否定できません。


何かを変えれば、他にも影響が出るものです。
その影響に対する配慮を含めながら、進めていくことになります。

未来を決めるときには、自分で選択に責任を取り、
その結果に対しては後悔しない
というのが大人として当然の原則です。

今回のテーマの影響力をご理解いただいた上で
ご参加下さいますようお願いいたします。


今回の開催日は、世間一般では、お盆休みの終わりごろの時期になります。
何かと時間を取りにくい頃だとは思いますが、
ご興味とご都合とが合いましたら、是非、お越し下さい。

豊かで自由な人生のお役にたてる内容だと思います。


  ※最近は多くの方からお申し込みを頂いています。
   定員を設けていますので、ご注意ください。
   定員を超える場合には先着順での受付とさせて頂きますのでご了承下さい。


  ※勉強会の趣旨に関しましては、こちら(勉強会070725)をご覧下さい。


詳細は以下のとおりです。


【勉強会の詳細】


【日時】 8月15日(土)

     ◆午前の部 10:00〜12:30  
     ◆午後の部 13:30〜16:30


     ★午前、午後いずれかのご参加も可能です。


【場所】 北とぴあ 802会議室
    (JR京浜東北線・王子駅北口より徒歩2分)
    (東京メトロ南北線・王子駅、5番出口直結)


【参加費】当日、会場にてお支払いください。
     
     ◆午前の部 ・・・4,000円
     ◆午後の部 ・・・5,000円  
     ◆午前・午後両方ご参加の場合 ・・・7,000円

    
    
テーマ: 『夢の実現方法』


 *多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、
  学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
  ご了承ください。




個人的には、未来に明確なビジョンを立てるのは好みではありません。
自分の将来を楽しみにしている部分があるんだと思います。

その一方で、自分の未来の中に、「これだけは譲れないだろう」と
確実に成し遂げていきたいポイントもあります。

もしかすると、気軽に思いつく夢や目標を達成することよりも、
自分が人生で本当に成し遂げたいものを見出すことのほうが大切かもしれません。

ただ、それに気づくには、とりあえず前に進んでみるのも大事ではないでしょうか。

色々と自分が達成したい方向へ進んでみる。
自分にとって「より良い」と思える方向へ進んでみる。
進んだところで、新たな道が見えてくるかもしれません。

その意味でも、目の前の目標に向けて
着実進んでいく方法を知っておくことは役に立つのではないかと思います。

目線を未来にまで拡げてみて、初めて気づけることもあるはずです。

お盆休みの時期に、日常の現実から少し離れて未来を見つめてみることは、
普段の生活に彩りを与えてくれるキッカケになりそうな気がします。

数年後にお会いしたとき、この日の目標へどのように進んだかを
お聞かせ頂けることを楽しみにしています。


参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。
(*は必須項目です)


終了しました

トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています

cozyharada at 23:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!セミナー情報 | NLP

2009年07月28日

「さようなら」のつづき

僕は「さようなら」という言葉が、あまり好きではありませんでした。
言われると無条件に身体反応が表れます。
胸にグッと突き刺さる感じ。

何か、もう会えなくなるような印象があったのかもしれません。

箱根にいたとき、ふと思い立って「さようなら」の元の言葉を調べてみました。


「おはようございます」や「こんにちは」であれば
ある程度、元々の言葉や、使われていた意図も推測がしやすかったんです。

「おはようございます」は「お早うございます」ということから
朝の時間帯に出会ったとき、「お早いお出かけですね」とか
「お早いお目ざめですね」とかいったニュアンスだったのではないでしょうか。

「こんにちは」は「今日は」ですから、
「今日のお加減はいかがですか?」というような意味合いが推測できます。

ただ、「さようなら」というのが想像しにくかった。


調べてみると「さようなら」は「さようならば」から来ていて
「左様ならば」という漢字になるようです。

「左様でございます」という言葉から察すれば
「さようなら」は「そういうことであれば」という意味合いになりそうです。

「そういうことであれば…」
「それでは…」
というように、「さようなら…」の後に含みがあるわけです。

「それでは、また会いましょう」ということなのか
「それでは、今日はここで一端お別れにしましょう」なのか
「それだったら、もう二度と会うことはありません」なのか。

「さようなら」の先に、本当のメッセージがあるんだろうと思ったんです。


そう考えてみてから、「さようなら」という言葉の響きだけで
無条件に苦しい反応をする必要もなくなったように感じられます。

日本語の意味を、敏感に考えてみたい気持ちになりました。

2009年07月27日

ただいま

箱根から戻ってまいりました。

心を通わせ合った仲間と離れるというのは寂しさや侘びしさを感じるものです。
その交流が深いほど、別れの寂しさも大きくなるでしょう。


茶道では「一期一会」の考え方が大切にされます。
茶道と関わらないところでも、一期一会の精神を大切にしている人もいるかと思います。

一方、茶道には「侘び・寂(わび・さび)」という美学もあることが知られています。
きらびやかに豪勢なものでなくても、質素な雰囲気の美しさといったところでしょうか。
自然に近い風合いなのかもしれません。

だからといって、それは決して手抜きではない。
その中に絶妙なバランスで美しさを感じさせるものがあるのでしょう。


この「侘び・寂」という言葉。
文字の意味から考えれば、そこには「侘びしさ」と「寂しさ」があると考えられます。

果たして、それは道具や環境に対する説明だったのでしょうか。

人との別れの「寂しさ」。
どんなに大切な関係であっても必ず別れはあるという「侘びしさ」。
そんなことが前提にあるように僕には思えます。

人との関わりに暖かみや喜びを見出すだけでなく、
そこにつきものの「寂しさ」や「侘びしさ」を感じるからこそ、
そうした気持ちを反映させられるような美しさが好まれたのではないかと思うんです。

そして、この「侘びしさ」と「寂しさ」を実感できるからこそ、
今のこの出会いの一瞬を大切にしたいという「一期一会」の精神が
自然と生まれてくるのではないでしょうか。


…そんな想いを強めました。

2009年07月25日

雲の中

昨日、今日と、箱根はずっと嵐の中にいるようです。
昼間でも太陽を見ることはない。

一面が霧に覆われ、台風のように強い風が吹き荒れる。
窓を閉めていても外から風の音が聞こえてくる状態。
強風に霧がうごめく様子は、なかなか刺激的な見た目です。

090725













箱根の山の中ですから、芦ノ湖の水分が生み出す霧でもあるのでしょう。
その霧は、下から見れば、山にかかった雲に思えるはず。

下界は晴れ渡っていても、ここは雲の中。

そして寒い。
夏とは思えないほどの涼しさで、半袖ではヒンヤリと寒さとして感じるほどです。

標高が高くなるほ気温は下がるもの。
高い山の上に行けば、気圧や酸素も薄くなっていく。

高いところほど、そこに上ろうとする人も少なくなっていくのかもしれません。

雲よりもずっと高いところに行けば、雨に会うこともないのでしょうか。
それでも昼と夜は移り変わっていくのですが。

cozyharada at 23:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2009年07月24日

箱根に行ってきます

8月の勉強会のテーマを決めました。

午前、午後で内容を分けるかどうかは少し迷っていますが、
以前にブログに書いた「未来に『予定』を作り出す方法」を扱います。

丁寧にやると、これだけで結構な時間を取るはずなので
よりパワフルな方法にするか、基本的な原則で分かりやすく収めるか…、
その辺が考えどころではあります。

願望実現や目標達成に興味のある方は是非、ご都合をつけて頂ければと思います。
既存のどの方法よりも説得力があるはずです。

少なくとも僕は、この考え方だけで今までの成功法則や願望実現法に対して
大まかな説明ができてしまいそうな感触を持っています。
まぁ、興味がそれほどないので、色々と調べるということはしていませんが。

最近の僕の発見の中では世の中的にインパクトの高い内容のような気がします。

研究職時代の感覚に例えると、この発見で論文を書けば
しばらくの間、一定の評価を維持できるのは確実だろう、というぐらい。
「Nature」には載らないだろうけど、「Nature Biotechnol.」なら行けそうな感じです。

危険性があるぐらいに効果が高いのではないかと思ったりしていますから
効果的な方法へとブラッシュアップするのをご一緒できればと考えています。

詳細な案内は近日中に出す予定です。
日時は8月15日の日中。



では、24日から27日まで、箱根のワークショップに行ってまいります。

cozyharada at 23:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | セミナー情報

2009年07月21日

内容の組み立て

最近、少しだけNLP関連の内容を英語で読んでみたりしています。
が、なかなか理解が大変です。

日本語を読むときとは、目で文字を追うスピードも違うし、
聞こえてくる声のトーンも場所も違います。
これでは理解力がないのも当然の気がします。

そこで久しぶりに、自分が研究職をやっていた頃を思い出して
大腸菌の生物化学系の論文を読んでみました。

すると、こちらはスルスルと読めるんです。
聞こえてくる声のトーンは変わりません。
スピードが速いのは慣れもあるのかもしれませんが、
一度に識別している文字の量にも大差はない。

ただ、学術論文のほうが直線的に読める感覚があります。
前から順番に見ていくと内容が分かるような感じ。

それに比べると、心理関係の英語の文章は全体の展開が掴めていない印象があります。
おそらく、この部分がカギになっている予感がします。

学術論文のときには、全体としての知識体系みたいなものがあって、
その中の大腸菌の項目に関して細かい情報を付け加えていく印象。

それほど、細かく理解する必要もなければ、
逆に大切にすべきポイントも分かりやすいんです。
まぁ、学術論文の英語の使い方の特徴かもしれませんが。

一方、NLP関連の内容の場合には、全体像が掴めないままに
内容を組み立てていかなければいけません。
前の文章との関連や、話題の方向性など、「意味」に抽象化するのが大変です。

以前、英会話をやっていたときに先生から勧められて
小学生以下向けのペーパーバックを読んでいたことがありますが、
感覚的には、それに近いものがあります。

学術論文の文章の展開は、1つ1つ着実に情報を付け加えていく形なので、
地道に前から読んでいけば知識が増えていく感じがします。

僕には英語に限らず、日本語の論文や報告書作成などの経験から
情報を直線的に繋げていく話の進め方が根付いているような気がしました。

「話し方が論理的」だと言われるのは、こういう部分が関わっているのかもしれません。


もちろん、意味の分からない単語が出てくるというのも困るところではありますが、
話の構造として理解のしにくさがあるのは、実際問題として僕には重要です。

思えば、洋書のままでも理解のしやすい文章というのもあります。
それは著者によって違います。
興味深いのは、その著者の本が日本語訳されたものは、
同様に読みやすかったというところ。

英語で読みにくいと感じた人の本は、日本語訳されたものを読んでも
理解しにくいところが多かった印象もあります。

それはずっと、翻訳者の問題かと考えていましたが、
どうやらそれだけではなさそうです。

元の英語の文章の段階から、文章同士を組み合わせて形作っていく内容が、
どのような構造でなされるのかも人それぞれの理解に影響するのかもしれません。

少し、英語の文章を理解するための工夫をしてみたい気持ちになりました。


…ただ、個人的には、英語を読んでいるときに聞こえてくる心の声が
あまり綺麗な英語の発音をしていないことが気になります。
まずは音読して、良い発音を心の中で出来るようになるほうが先かもしれません。

2009年07月19日

未来の「予定」は作り出せます

未来のことに対して持つ印象。
夢とか、願望とか、目標とか、予定とか、決意とか。

そういったものには、本人の中で基準があるはずです。
心の中で、その事柄が起こる度合いが定められている。

夢というのは、未来の1つの出来事でありながら、
それが実際に自分の未来に起こるかどうかの確証が低い場合でしょう。
むしろ、人によっては、起こると想定していない可能性すらあります。

一方、予定という場合には、かなりの確立でそれを実行することが決まっている。
よほどのことがない限り、未来に実現することになっているはずです。

実現する可能性をパーセンテージで表せば、
数字のレベルで表現できるぐらいに、未来に起こる可能性への印象が違うと思われます。

そして、それをNLPで考えれば、そこには明確なサブモダリティの違いがあるはずです。

例えば、月曜日に会社に出勤するという場面を予定としてイメージしたときと、
5年後の目標として達成した場面をイメージしたときとでは、
その映像や音声の特徴に違いがあるはずだと考えられるわけです。

そうでなければ、我々は、その感覚的な違いに気づけません。
そのことを「夢」や「憧れ」と呼ばずに「目標」と呼ぶほうがシックリくるだけの
無意識的、感覚的な一致感を選べるだけの基準があるはずなんです。

その違いを利用してやれば、「夢」や「目標」を、
未来の「予定」に変えることもできると考えられます。

理想を言えば、「予定」ではなくて「夢」のままになっている理由を見出し、
その「夢」を「予定」に変えるだけのリソースを探して関連付けてやると良いでしょう。
「夢」のイメージの内容を修飾するサブモダリティが
「予定」のときの修飾の仕方に変われば、それは相当な確率で実現されるはずです。

それが難しければ、サブモダリティを直接的に変えてやって、
「夢」として捉えられる要素を「予定」として捉えられる要素へと
置き換えてやることでも効果が期待できます。

まぁ、一般的なNLPのスタンスで言えば、後者だけでも十分に意味はあるわけですが。


世間一般のNLPのセミナーや、願望実現系のセミナーなどでは
あまり行われていない作業ではないかと思います。

もちろん、僕がアイデアとして思いついた以上、
他の誰かも同じ発想をする可能性はあるでしょうが、僕はその話を知りません。

関心のある方がいれば、次回の勉強会あたりでやってみてもいいかもしれません。
ご要望があれば、コメントやメールでのお問い合わせなどをどうぞ。

僕の実感としては、未来のことに対して予定されている感覚というか、
そうなるだろうと思い込んでいる感じを持った内容が、いくつかあるようです。

途中の道筋に変化はあっても、そのポイントだけは必ず通りそうな、
そんな途中経過という印象でしょうか。

本人の未来に対する捉え方を利用せずに、未来のイメージだけを浮かべても
目標を達成するのには効果が出ずらいこともあると思います。

NLPにも目標達成系のワークは、いくつかありますが、
どれも未来の実現可能性の部分を明確には考慮していないので
効果の出る人と出ない人に分かれるのが当然じゃないでしょうか。

場合によっては、「目標」ということでイメージしたものが
最初から本人の中で、高い実現可能性を持った内容として捉えられていれば、
それは目標をイメージしたことで達成できたわけではないかもしれません。

しっかりと原理の部分に目を向けていけば、
人それぞれに合わせた効果的な方法が生み出せるはずだと僕は思っています。

cozyharada at 01:57|PermalinkComments(5)TrackBack(0)clip!NLP | セミナー情報

2009年07月17日

モノづくり

日本テレビで放送されている「未来創造堂」が、意外とお気に入りです。

前半部分のゲストのコダワリも面白いですし、
メインパーソナリティーの木梨憲武氏の芸術的感性が
上手くマッチして盛り上がりを感じさせてくれるようです。

ただ、それ以上に見逃せないのが、ドキュメンタリータッチに描かれる
「コダワリのTVR」のコーナーで放送される
「○○の未来を切り拓いた男」という内容。

モノづくりへのコダワリが前面に表現されていて
技術屋のカッコよさが心に響くんです。

内容によって面白さにも違いはありますが、
1つの目標に向かって工夫を続ける姿勢は分野を超えて共通するところ。

問題を1つ1つクリアして、最終的に結果が得られたときの感動は
本人が感じられるもののホンの一部とはいえ、共感できる気がします。

大抵の技術開発は、思考錯誤の繰り返しなのかもしれません。
理論や仮説では予想しきれない事態を、創意工夫で乗り越えていく。

想像通りに完璧なプランで成果を出したときの満足感も憧れではありますが、
紆余曲折を経てドロ臭い努力のすえに完成した達成感もまた
なんともいえない技術屋の醍醐味なんでしょう。


僕の中には、そうしたものに感じる何かがあるようです。
それは素養や持ち味といった部分かもしれません。

理論だけでなく、現実的な技術に意識が向きやすい。
何かを作り出すということにも喜びを感じられる。

その一方で、番組で取り上げられる人たちのように
技術屋として1つのことを続けていくという方向には
僕の中で満足しきれなそうな部分もあるんです。

もっと全てのことに共通する原理のようなものも知りたい。
全てを知りたい欲求が僕の中に流れています。

自分には続けられない予感を感じる作業を成し遂げる人たちだからこそ
僕は、憧れに似たカッコよさを彼らの中に見ることができるような気もします。


このように感じるものは、全員に共通することではないはずです。
育ってきた環境や、遺伝的な要因や、様々な要素が複雑に絡み合って
自分の生きてきた中で培われてきたものだと思います。

自分が「面白い」と思えることは、その人にとって大切な何かを反映している。
そんな風に考えると、人の持ち味というのが見えてくるのかもしれません。

自分が好きなこと。
自分が好きだったこと。
やってみたいと思えること。
見ているのが好きなこと。
逆に、自分には絶対に出来ないこと。
他の人は喜んでいても、自分には興味が沸かないこと。

自分の周りと、自分の過去。
「なんとなく」の好き嫌いや、興味の対象と向き合ってみると
そこには自分自身を語ってくれる色が見えてくるようです。

cozyharada at 23:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2009年07月16日

練習なのね


                    ひ
                    ら
                    が
                    な
                    の
                    れ
                    ん
                    し
                     ゅ
                    う

なのね


















            。


cozyharada at 23:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2009年07月15日

「分からない」≠「間違っている」

僕はずっと理系で勉強をしてきました。
大学から生物化学系の研究をして、研究職として仕事をするようになりました。

今、心理やコミュニケーションといったセミナーをしたり、
カウンセリングなどをするようになって、よく言われることがあります。

たぶん、一番多いような気がするのは
「なんで理系だったのにコミュニケーションなんですか?」
という質問でしょうか。

その前提には「理系はコミュニケーションが苦手」または
「理系はコミュニケーションや人の心には無関心」のような意味合いがあるようです。

それ以外に言われるのは
「理系だから理論的」とか「科学で説明できないことは認めないんでしょ?」とか
そういった理系に対するイメージの内容でしょうか。

理系の人にも色々とあるとは思いますが、
僕の考えるサイエンスのスタンスには
 「世の中を最も上手く説明できる理論を考える」
という部分があります。

科学が正しいというのではなく、
今の理論で最も世の中を上手く説明できることを「科学」と呼ぶ。
そんなニュアンスでしょうか。

実際、科学のほとんどは仮説です。
風邪薬が症状に効く理由だって分かっていないことが多い。
飛行機が飛ぶときの揚力だって、仮説の域を出ないんです。

だからといって、風邪薬なんてありえないとか、
飛ぶ理由も分からないのに飛行機に乗れないとか、
そんな考えを持つことはありません。

科学の説明の仕方は、幅広い様々な情報と照らし合わせても
矛盾がないように検討されています。

他にも可能性はあるけれど、1つの仮説としては
最も上手く色々なことを矛盾なく説明できる。
それが「多分、正しい」だろうと考えるだけなんです。

僕の考え方の中には「その説明の仕方が一番的確だろうか」という発想があるわけです。
それは用心深さでもあるし、可能性を狭めないための心がけでもあると思います。

だからこそ、分からないことは分からないと言い切れるし、
分からないなりに「こういう風な仮説で説明すると上手く辻褄が合う」という具合に
自分の頭で考えてみようとするのでしょう。

その仮説も、説明しきれない別の事例が出てくれば抵抗なく変えられますし、
常に最も上手く説明できる仮説をアップデートしているようなところもあります。


科学で言われないような、一般的には信じられないような、
不思議な出来事があったとき、それを認めないタイプの人間ではないつもりです。

ただ、適当な説明をして分かった気になるのが嫌いなんです。
分からないなら、分からないと言えばいい。
「理由は分からないけれど、そういう風になるんです」という説明でも
全く問題はないはずだと僕は思います。

それを科学とは全く別の理論体系で説明をされても、
その説明の仕方の説得力を検証する手立てがないんです。

例えば、写真に何かの影が写り込んでいたとして、
それを心霊写真だと説明するのは簡単です。
その写真に対して霊の世界の理論で説明を加えることもできるでしょう。

ただ、他の可能性だってあるかもしれないはずなんです。
その写真をとった周りの状況。
カメラや写真の性質。
その写真を撮ったカメラの状態。
色々なところに理由は考えられるんです。

仮説は信憑性とともに評価されるべきだと思います。

その写真を撮ったカメラのレンズが汚れていただけかもしれないし、
たまたま、その写真を撮ったときに偶然、カメラの前を虫が飛んだのかもしれません。
その仮説の可能性がどれくらいあるかを考える必要があると思うわけです。

色々な仮説を考えてみても説得力のある説明ができないということになれば、
「それは不思議ですね」という感想になるんです。

幽霊なんていないんだ、と言っているわけではありません。
幽霊だと説明した瞬間に、他の可能性を捨ててしまっていることに反発があるんです。

幽霊だと決めつけたら、本当は幽霊じゃなかったものまで
勝手に幽霊扱いされて正しく検証されなくなってしまうかもしれません。

新種の生物が偶然、写真に写り込んでいたのに、幽霊として片付けられてしまったら、
その新種の生物を発見するチャンスもなくなって残念なことになってしまうし、
本物の幽霊に対しても失礼なことでしょう。

分かったような説明をしてしまうと、詳しく誠実に向き合えなくなる気がします。


ユングは体験を通じて、「人の心が繋がっている」とか
「無意識には世界中で共通している部分がありそうだ」とか、
そういった実感を持ったんだろうと思います。

僕も実感レベルとして、人が自然と思い至りやすい共通した発想や、
人間同士の様々な相互作用があることを意識しています。

僕の実感とユングが同じ対象を示しているかは分かりませんが、
ユングは自分の体験から感じた人間の性質を「普遍的無意識(集合無意識)」と
読んで説明してみたのでしょう。

それはユングの仮説です。
残念なことに説は理論となった瞬間に、その内容が一般化されてしまいます。

ユングが感じていた心同士の繋がっている感覚とは全然違う出来事まで
「集合無意識で繋がっている」という説明の仕方は表現できてしまいます。

一度「集合無意識」というものを想像して、それを理論のように考えてしまうと、
その後は「集合無意識」を前提にして、それを理由に別の発想が進んでしまいます。

ユングが言いたかったこととは違う部分、
もしかすると「それは別に心が繋がっているからではないだろう」と
反論されてしまうような出来事も「集合無意識」の理論は
それっぽく説明してしまうかもしれないわけです。

最近、良く耳にすることに関して言えば、シンクロニシティも同様です。

人の心が相互作用していることは僕の実感として感じられるものです。
不思議なほど、共鳴し合うように同じ発想に辿り着くことはあるようです。

ただ、そうしたこととは全くの別物として、
自分が関心を持っていることだけが目について意識されやすくなる、
という性質も無視してはいけないと思います。

僕は最近、書道への関心が高まっていますから、
街中で見かける筆文字に敏感になっているところがあります。
電車のドアの広告に「水虫に殺菌力」という文字があったのに気づきましたが、
これは僕が書道を始めたこととシンクロして作られた広告ではないでしょう。

僕が書道への興味を高める前から、その広告は貼られていたかもしれません。
ただ、興味がないから気づかなかっただけで。

自分が関心を持ったことは目につくようになるものです。
「自分が興味のあることばかりが周りに起こるようになった。
 シンクロニシティですね。」
という発想は必ずしも的確とは言えないと思うんです。

むしろ、安易にシンクロニシティというものを分かったつもりになってしまうことで、
人間同士が共鳴し合うような感覚的な体験を実感できなくなる可能性もあるでしょう。

仮に、たまたま誰か知り合いが、自分が欲しかったものをくれたとする。
「欲しかったものが偶然に手に入った」と考えれば
シンクロニシティに思えるのかもしれません。

でも、もしかしたら相手は、普段から自分のことを良く見ていてくれて
「こういうのだったら喜んでくれるかな」と想像して
一生懸命にプレゼントを選んでくれた可能性だってあるんです。

「自分のことを良く分かってくれていた、興味を持ってくれていた」と考えれば
それはシンクロニシティではなく、感謝の対象になるはずなんです。

分かったつもりになって、そのことで何でも説明してしまう癖をつけてしまうと
本当に大事なことを感じ取れるチャンスさえも当然のことのように
アッサリと流してしまうかもしれません。

それは勿体ないと思います。

分からないから知ろうとして、誠実に向き合えるようになる。
僕は、そのスタンスを大切な事として考えています。

cozyharada at 23:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般
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 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
〜言語表現力トレーニング〜


【日時】 2017年6月25日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


概要はこちら>>
次回開催は8月の予定


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《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


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《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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