2009年09月

2009年09月30日

コッソリの美学

「コミックバンチ」に連載されているマンガに『コンシェルジュ』というのがあります。
ホテルのコンシエルジュの活躍を描いた内容です。

その主人公は、海外の有名ホテルで伝説のコンシエルジュとして知られていた人物で、
彼が日本のホテルにやってきて、そこで色々な難題に応えていくのが毎回のパターン。

僕自身、最近は読む機会が減ってきてしまっていますが、
一時期は、かなり気に入って読み込んでいました。

そんな中で僕の印象に残っているのが、
主人公が部下の新米コンシエルジュに語りかけるシーン。
正確な言い回しではありませんが、こんな内容のセリフでした。

 最高のサービスというのは、お客様から言われる前にするものです。
 そして、お客様はサービスされたことにすら気づかれない。
 そういうサービスが理想です。

というような内容が印象に残る時点で、僕の美意識とマッチしているんだと思いますが、
サービス業で、この方向に努力できる人というのは多くない気がします。

過剰にお客様を喜ばせようと努力する方向に行ってしまうケースは目にしますが、
それが全てではないし、それが好きではない人もいるはずです。

ビジネスとして考えた場合には、特徴を明確に打ち出しているわけですから、
とにかくお客様を喜ばせよう・驚かせようと大袈裟にサービスする方向性は
特定のファンを作ることができてメリットになるとは思います。

でも、それは満足してもらえるかという観点からは
リスクを伴う行為だとも考えられるわけです。

驚きや予想外の喜びを感じてもらうようなサービスは、
そのお客様の価値観にマッチすれば大きな感動を呼べるかもしれません。

その場合には、そのお客様が普段から意識しやすい価値観に触れているということです。
喜びが感じられるのは、本人が普段から大切だと意識しやすいことを
他人から満たしてもらった場合と考えられます。

例えば、車で店に行ったとき、店の人が駐車場に車を止めてくれたり、
帰るときには店の前に車が移動されてきていたり、
真冬であれば車の暖房がついて暖かい状態にしておいてくれたり…、
そんなタイプのサービスがあります。

至れり尽くせり、という感じにも聞こえますが、
これが嬉しい人と、そうでない人がいるような気がするんです。

どういう価値観にマッチすると嬉しいのかは僕には分かりません。
なぜなら僕は、その手のサービスが嬉しくないから。
むしろ嫌いだったりします。

今は車に乗らなくなりましたが、僕が山口にいたころは車を持っていましたから、
その時のことを思い出してみても、やっぱりそんなサービスは不愉快です。

僕にとって、車は1つの生活圏で、大事なものなわけです。
「誰か別の人が運転して車をぶつけられたら…」という不安がないでもありませんが、
それ以上に勝手に許可もなく自分の車を動かされることに抵抗があります。

自分のいないときに、見ず知らずの誰かが自宅に入って、
勝手に家の中を掃除されてしまったような、そんな気分。

まして、車の座席の位置なんかを動かされてしまった場合には
もう違和感があって余計に不愉快になると思います。


ホテルで荷物を部屋に運んでもらうのも、実は好きじゃありません。

盗まれるとかの心配はしていませんが、
どんな風に扱われるんだろうという疑念があるのは確かなところ。
ベースとして他人を信頼していないんでしょうか。

それもあるかもしれませんが、僕の場合は、
その人の荷物の扱い方を見たうえで安心するか不安になるかが決まります。

荷物の中にパソコンとかを入れていたら余計にそうです。
雑に扱われるぐらいなら自分でやりたい。

そんなときに一言、
「お荷物の中に壊れやすいものをお持ちですか?」
なんて確認してもらえたら、すごく安心できると思います。

もちろん、確認することなく丁寧に、慎重に
持物を扱っている様子が見て取れれば僕は嬉しいでしょう。

こういったことは、何か特別な喜ばしいことを大袈裟にやってもらうよりも
不快な気分を感じさせないというサービスと言えるかもしれません。

他の所ではやってくれないような特別扱いのサービスも嬉しいでしょうが、
とても高度に当たり前のことをやってくれるサービスも大切だと思います。

人によって当たり前の基準が違うわけですから、
多くの人の当たり前を満たすことは大変な作業です。

しかも当たり前のことは普段から意識されやすいものではありません。
やってもらって当然と感じられる場合だって多いでしょう。

当たり前のことは、それがなされていなかったときに
始めて意識に上って、不快感として認識されます。

喜びを感じる場合とは逆に、普段はあまり意識されにくい価値観や信条が
他の誰かの行動によって妨げられたときに自覚されるわけです。
本人が望んでいることにさえ気づいていないものです。

そこを満たすことも大切なサービスじゃないかという話です。


誰から聞いたかは忘れましたが、
「〜しない優しさ」という表現を使っている人がいました。

「〜する優しさ」だけではなく、「〜しない優しさ」もある、と。
相手が嫌な気持ちになるようなことはしないのも優しさだという説明でした。

LABプロファイルというタイプ分けには
「目的志向型」と「問題回避型」という両極の分類がありますが、
その説明に当てはめると、問題回避型のサービスや優しさもあるだろうということです。

それが好きな人が問題回避型かといえば、必ずしもそうではないでしょう。
単純にリスクを回避しているわけではないと思います。

相手が心の奥底で望んでいることを、より多く気づき、それを満たしていく。
その作業は、相手のことをよく見ていないと難しい気がします。

「こんな風にしたら喜んでもらえるだろう」という発想は
相手のことを知らなくても生み出せます。

多くの人が喜びを感じるポイントには共通点もありますし、
1つの工夫が大きなプラスの評価に繋がることもあるでしょう。

「自分はこんな風にしてもらったら嬉しい」と感じる内容をやっていけば、
自分と同じような価値観を持った人たちが喜んでくれて、
そういう人たちがファンとして集まってきてくれるかもしれません。

それと比べると、不快感を感じさせない工夫というのは地味なものです。
プラスに感じられることは少ないわけですから。

何よりも相手に気づかれることもありません。
喜んでもらうことも少ないでしょう。

しかしながら、マイナス要因のない環境には
どこか居心地の良さが感じられるものじゃないでしょうか。

そういうところには自然と人が集まるような気がします。

2009年09月28日

境界領域を埋めるために

脳科学と一言でいっても、その中には色々な専門分野があるわけで、
得られている知見を統合して理解するのも、専門家によって意見が違いそうです。

とりわけ人間の脳の機能を調べる場合には、脳波などの画像解析系統の他には
人体実験するわけにいかないところもありますから、
実際には猿や猫やマウスなどの実験結果を元に推測している内容もあるようです。

その点、病理学の知見から得られてくる脳の損傷と機能との関係は
かなり直接的な情報を与えてくれると考えられます。


そんな中で得られた知見として、言語野の存在があります。

言語野には、運動性言語野として知られるブローカ野、
感覚性言語野として知られるウェルニッケ野があり、
それぞれの損傷で起きる言語活動も違っています。

ブローカ野は発話に大きく関わり、
ウェルニッケ野は言語理解に関わっている。

その部位の損傷と機能との関係から、その結論が導かれているわけです。

そして、PET や fMRI などの画像診断においても
言語と関連する活動部位として研究されている。

ただ、ここで脳科学だけで考えていくと
短絡的な結論が導かれるケースがあるように思うんです。

というのは、脳の研究をしている人にとって、多くの場合、
人間が表面的、意識的に行っている作業の内容は
人によって全く別物かもしれないという可能性が考慮されていないからです。


例えば、文法理解と脳の活動部位の関係を fMRI で調べた研究では
「文法を理解するときにはブローカ野が使われる」
という結論が導かれているようですが、
これは実験方法と結論の関係に飛躍が感じられる内容なんです。

同じ英文を見せて、スペルのミスを探す課題と文法上のミスを探す課題をさせたとき、
文法上の課題を見つけるときにはブローカ野が優位に働いていた、という話。

このような実験は被験者によって結果が変わる可能性が考えられます。

被験者が文法の詳しい専門家であれば、文法上のミスを探すときに
字面の間違いから見つけるかもしれないし、過去の記憶のパターンと照らし合わせて、
直観的にミスを見つけてしまうかもしれません。

ところが、被験者が文法なんて普段は全く意識しない人であれば、
文法上のミスを探そうとすると、頭の中で行う作業として、
心の中で一度ひとり言として発話をしてみて、
自分が普段使う言い回しかどうかで判断するかもしれません。

同じ「文法の間違いを探す」という言葉で表現される作業も
人によって頭の中・心の中でやっている内容が違う可能性があるんです。

英語圏の人の場合、スペルの記憶は映像で処理する場合が多いというのが
NLPの知見として調べられていますから、
「スペルの間違いを探す」という課題は視覚を使って
映像的になされていることが多いだろうと想像されます。
(ちなみに日本語の漢字の場合には、書くときの体感覚で判断する人が多いそうです)

それと比べると、文法の間違いを探す行為は、内容が別物です。
活発に働く脳の部位も違って当然でしょう。

その中でブローカ野が活発に働いていたのなら、
まずは被験者に「文法の間違いを探すとき、どんな手順で何をしていたか?」
と尋ねてみて、より具体的な本人の中での作業内容を調べる必要があるはずです。

そこで文法間違いを探すときに、心の中で文章を発話してみていたとしたら、
それは「ブローカ野は文法に関係する」という結論ではなく、
「ブローカ野は病理の知見で得られていたように、発話の作業と関係する」
という結論に導くほうが妥当だと思います。


他にも、例えば「本を読む」という行動だって、
人によって心の中・頭の中でやっている内容が違いますから、
「本を読むときに活発になる脳の部位を探す」という実験は不正確だと考えられます。

本を読むときに、心の中で音読するような感じで
自分が話す感覚を利用しながら内容を理解する人もいれば、
心の中で自然と文章を読む声が聞こえてきて
他人の話を聞いて理解するように文章の内容を把握しようする人もいます。

両社では作業の内容が違うのですから、
同じ「本を読む」という行為であっても働く脳の部位は違うでしょう。

実験の仕方を工夫すれば、もっと詳細な理解ができると思うんです。


NLPには人が当たり前にやっている行動を分解して記述する方法があります。
文法の間違いを探すときの方法も、本を読むときの方法も、
NLPの表現を使って調査すれば、より明快な結論を引き出せると思います。

とても重要な着眼点があるんです。

脳科学の研究者も言語学者も気にしていない重要な着眼点がNLPにある。
それをベースに調査が進んでいったとき、
これまでにはなかったような統合的な見解が得られるような気がします。

そこをアピールできるような機会があれば良いんですが。

2009年09月27日

携帯電話用イヤホン

携帯を変えてしばらくたったので、イヤホンを使い始めました。

といっても、最近の形態には付属のイヤホンがないので
Bluetooth 接続のものを選びました。

なんでも携帯に防水機能がついているらしく、
通常の接続部でイヤホンを使うと、その防水性能がなくなってしまうとのこと。

それで無線でイヤホンを使える Bluetooth にしたというわけです。

僕は外の『雑音』は気にならないほうですが、
他人の話し声が聞こえてくると内容が気になってしまうので
音楽を利用して周囲の話し声を遮ってみようかなと考えたんです。

ノイズキャンセリング・ヘッドホンにしたら外部の音が静かになるかとも考えましたが、
試してみた結果、細かいザワザワした『雑音』は確かになくなりますが、
話し声は全く無関係に聞こえてしまうので選択肢から外れることになりました。

むしろ雑音がなくなって話し声がクリアになってしまうので逆効果なほど。

耳栓も似たような感じになるので僕には合わないようです。

で、持ち運びしやすいように携帯の音楽再生機能を使ってみることになった、と。


携帯はしまったままで、イヤホンと操作部だけで使えるのでなかなか快適です。
新幹線の中の話し声は音楽でかき消してイライラせずに済むかもしれません。

ただ、名古屋から東京までの間、音楽を聞いているだけで
携帯の電池が半分くらい減ってしまうのはチョット早過ぎの気がします。

電話として使えなくなってしまう。

最近の携帯は電池の消耗が早いんでしょうか。
それとも Bluetooth を使っているから、無線分の電池の消耗もあるんでしょうか。

とにかく電池を工夫しながら使わないといけなそうです。

あとは、飲食店でコーヒーを飲みながら本を読むときに、
知覚の席の話し声がうるさいときが使いどころ。

これで集中して聴けるようになればいいんですが。

2009年09月25日

無意識に訴えるCM

サントリーの「プレミアムモルツ」のCMがよく出来ていると思います。
あれは人の意識しにくい魅力を巧みについています。

電車の車内広告でもTVのCMでも、ビールの部分以外が全て白黒です。
そしてビールだけが黄金色に輝いている。

あのようなイメージの仕方というのは
人が大好きなものを思い浮かべるときに近いんです。

NLPでいうところのサブモダリティの組み合わせとして
本人にとって非常に魅力的なものは、その人の内的なイメージのパターン記憶として、
魅力的なものだけが背景から極端にアピールされるように整理されることが多い。

というよりも正確には、対象物のサブモダリティだけが極端に強調されて
背景から切り離されるようにパターン化されて記憶されたものを、
その人が「魅力的」だとか「大好物」だとかの言葉で説明している、
というところでしょう。

その意味では、プレミアムモルツのCMは「ビールが魅力的」というメッセージを
言葉ではなく、人が無意識に整理しているパターン記憶に当てはめて
映像的に伝えているわけです。

もちろん、人によって強調の仕方は違いますから、
あの広告の「背景は白黒、メインの品物だけ鮮やかなカラー」という表現方法が
マッチしないタイプの人もいるでしょう。

それでも「強調されている」ことは伝わりますし、
もし「白黒とカラーの組み合わせ」で魅力をパターン化して表現している人がいれば、
その人にとってはもう抗えないほどのメッセージになると思われます。


あの形式であれば必ずしも有名人を使う必要もないかもしれませんが、
有名人に意識を向けやすい人であれば、ビールの魅力的な映像が
よりサブリミナルに働きかける可能性も想像できます。

一般的な人が無意識的に感じている部分を敏感に感じられる人が作ったんでしょう。
一見すると当たり前のようなアピールに感じられたとしても、
NLPを知っている人からすると意味深い表現方法だと言えます。

ああいう広告が出てきたこと自体が僕にとって興味深いんです。
人の感性に深く気づき始めている人が増えてきているのかもしれません。

今後に注目です。

2009年09月24日

閉店ガラガラ

実を言うと、5日間の研修日程を終えて一番強く感じたのは、
相当な疲労が残ったということだったりします。

コミュニケーションのトレーニングには疲れる部分があるのを改めて感じます。
普段と違うことを意識するわけですから。


僕は、この仕事をして、特に1年半ぐらい前に1つの重要な学びを経てから
色々なことに注意が向きやすくなってきているような気がしています。

元々、道を歩いていると知人から「原田さん、ガン見してますよ」と言われるほどに
色々なものを見ているほうだったようですが、
最近はその注意の内容が移り変わってきているようで。

飲食店に入れば、隣に座った家族の会話が、つい気になってしまったりします。

先日も、おばあちゃん、母親、子供という3人が隣の席に座りましたが、
その歩き方や話し方の態度、声のトーンなどから、
彼らの関係性や心情などが頭に浮かんできてしまうんです。

本当は、本を読むほうに集中したいのに。

まず、母親がおばあちゃんに話しかけるときの気取った声質から
義理の母親だろうということが頭に浮かぶ。

しばらくすると、おばあちゃんが母親に敬語で話しかけている部分に気づく。
孫に話しかけるときには過度に嬉しそうだったりするので、
「これは久しぶりに孫を連れて、おばあちゃんの家にやってきたところだろうか」
なんてことを推測し始めます。

そして、母親の発音に時折、混ざりこんでくる「ず」の発音から
「このお母さんは中国出身か?
 それにしては全体的な発音がスムーズだから、ハーフかもしれない」
なんて考えたりして。

その後、おばあちゃんが母親に「中国では七五三みたいのはあるんですか?」
などと聞いたので、中国の関係を確認し、
どうやら今日は子供の七五三の写真を取りに来ていた日らしいと確信を深める。

おばあちゃんは孫が話しているタイミングになると
非常に柔らかい雰囲気になって、孫が可愛くて仕方ない感じを強く発する。

お母さんも子供と話すときは、義理の母への注意を減らすようにしていて
その瞬間だけは親子の日常に戻って気を紛らわそうとしているように見える。

母親と子供のやり取りが続けば、自然と子供は大きな声で話し始め、
母親とおばあちゃんの両方に向きながら話すようになる。
5歳ぐらいなら全員の関心を引いていたい気持ちがあるもんだなぁ、と思う。

母親とおばあちゃんが、ある程度安心した状態で話に熱中してくると
子供は急に大きな声で独り言を言い始め、二人の関心を引こうとする。

全員の食事が済んできたあたりから、おばあちゃんが母親に対して
自分の人生観を語り始めるのを聞くと
「置かれている状況が違うから、今のお母さんには
 その話の意味は分からないだろうなぁ」という思いが頭に浮かぶ。

すると最初は相槌を打って聞いていた母親も、徐々に黙って頷くようになり、
明らかに受け入れがたそうな、面倒くさそうな雰囲気を発し始める。
でも、おばあちゃんは意識ではそれに気づかないらしく
伝わらない不満を解消するように話す量を増やしていく。

「あーあ、嫌がっているところで分からせようとしても悪循環なのに…」
なんて、その話し声の大きさに辟易としてくるわけです。
お母さんは相当な不満を姿勢や呼吸で伝えていてる。

そうしていたら子供が突然”アイス食べたい!”と大きな声でアピール。

これはさっきの注意を向けたい感じのときとは声のトーンが違います。
小さな子どものほうが場の雰囲気を感じ取る能力は高いのかもしれません。
「あの子はお母さんの嫌な空気を感じ取って、場を変えようとしたのかも」
なんて人間関係の相互作用の面白さに興味が向いていく。

…そんなことが頭に浮かんできてしまえば、なかなか自分の世界で集中できません。

研修を受けに行くときは、主体的に全力でそれをやろうとしますから
相当な気疲れをするんだろうと思います。

福祉の研修のときは、狭い部屋に120人ギュウギュウ詰めでしたから
それもまた気疲れの要因だったかもしれません。
120人もいれば色々な人が来ますし。

そんな時間が続いた後は、僕は自然と人に合わないようにするみたいです。
開いていたシャッターを閉じるように。

ただ、まだその時間が足りない気がしています。

2009年09月23日

短期集中特訓

普段の土日や休日は、たいていの場合、セミナーが入っていますが
このシルバーウィークと呼ばれた5連休は、自分の勉強のために費やすことができました。

最初の3日間は8人だけの宿泊でのワークショップ形式。
あとの2日間は120人の講座形式。

どちらも『面接』というコミュニケーション技術を学ぶための場ですが、
扱う内容の質が違います。

一方は、クライアントの自己決定をベースに進めていき、
クライアント自身が変化していくために行う内容。
クライアントの行動や能力が変わることで、問題を解消していく流れになります。

もう一方もクライアントの自己決定を尊重しますが、
専門職としてクライアントの置かれている状況を調整していくことが目的のため、
サポートの体制を整えるための情報提供も大きな位置を占めます。

後のほうは福祉の面接ですから、場合によっては
クライアントの自主的な変化を期待するのが難しいこともあるわけです。


そうなると面接を通じて聞きだす情報の種類が違ってくるんです。
当然、質問の仕方も変わってきます。

中核となる部分に切り込んで、そこから全体の解決に導くやり方と、
問題状況の全体を把握しながら中核を見つけて、全体の調整をするやり方。

真逆のアプローチにも見えます。

もちろん、その中にも共通点があり、
どちらの方法で面接技術を磨いていっても役に立つことは間違いないでしょう。

ただ、両方知っていると圧倒的に対応の幅が広くなると思います。

というのは、両方の極化した技術の方向性が、
クライアントの質によるところがあるからです。

クライアントに力があって、自ら問題を解決していくことができる場合、
それに必要なサポートとしての面接技術は、クライアントの問題を絞り込み、
取り組みべきポイントへの気付きをもたらすことを狙うことになります。

逆に、クライアントが置かれている苦しい状況の中で、力を失い、
自らの力だけでは解決できないような状態になっている場合には、
面接を通じて状況を詳しく理解して、問題を整理して、
クライアントの気持ちを把握しながら解決の方向性を探っていくことになるでしょう。

どちらも共同作業ではあるけれども、
クライアントと面接者の頑張る部分の量と質が違うわけです。

クライアントに力がある場合には、面接者側が頑張る量は減っていきます。
クライアント自身が頑張るわけです。
そのかわり、面接者は相手の気付きを促進するための技術という
質の部分で最大限の努力をすることになります。

一方、クライアントが力を失ってしまっている場合には、
面接者が量としてサポートをしていく必要が出てきます。
積極的な力添えと、情報の把握を、面接者側が大量に努力するということです。

実際には、面接中に、心の痛みに対するケアを行うこともありますから、
その点においては両者の違いはありません。

クライアントが抱えている本質的な痛みをコミュニケーションを通じて手当てする。

これは、問題の中核を見出し、その部分に語りかける技術ですから、
中核となる部分を見つけるという意味では内容に差はありません。
…そこに至るプロセスには違いがありますが。


このようにクライアントの力によって、努力する方向が質と量で違ってくるわけです。

技術として、量を減らして質を追求するタイプの面接方法を学ぶと、
クライアントの力がある場合には的確なサポートが可能になるでしょう。
逆に、量でサポートするタイプの面接方法を学ぶと
力を失っている相手をサポートすることができるようになるはずです。

その意味で両極からのスタートだと思うんです。

ただ、「スタート」と言っているのは、どちらにも共通している部分があり、
一方の技術を磨けば、情報収集の質と量のバランスを調整するだけで
どちらにも対応できるようになっていくと考えられるからです。

実際、力を失ったクライアントを前提にした福祉系の面接技術においても、
クライアントに力がある場合への対応というのも学びます。
その時には、クライアントが頑張って自分の望む形に問題を解決していきますから
面接者が情報収集の量で努力する必要性が減っていくようです。

そして、福祉系の面接で量としても情報を集めていくとしても、
技術が高まるほどに必要とする情報の量が減っていくようにも見えます。
少ない質問で中心的な情報を集めることができるようになるわけです。

ですから、どのような方向で技術を磨いていっても
洗練された技術が辿りつく形は限りなく近いものになりそうに思えます。

福祉の面接技術を学ぶ場面で、講師の関西大学の教授が
「カウンセラーは福祉の相談援助者には必ずしもなれないけど、
 福祉の相談援助者は必ずカウンセラーにはなれる」と話していましたが、
僕には、どちらも同じことのように感じられます。

どの方向でも面接技術を磨けば、できることは広がっていくでしょう。


ちなみに、僕自身の課題としては、質を追求する流れに向いている感じがしていて、
そのためには、どうしても少人数制のワークショップが効率的に思えてきます。

福祉のグループスーパービジョンも、色々な規模で行われるようですから、
少人数制で技術的なトレーニングを交えながら研修がなされていくことを期待しています。

福祉の相談援助の仕事は、その厳しさに対して
成果が分かりにくいというのが残念だと奥川幸子先生が話していました。
それにお金を払う人も少ない、と。

ただその一方で、相談援助の仕事には
「知的な喜び」と「情緒的な喜び」がある、とも。

この喜びは、他では得られない。

素敵なコメントだと感じました。

僕は、情緒的な喜びのほうに偏りがちな福祉の世界で
堂々と「知的な喜び」と言葉を発してくれるスタンスが好きだったりするんです。

声の出し方が似ていると、考え方のスタンスも近かったりするんでしょうか。

2009年09月21日

都内で修行中

初めて都内のホテルに泊まりました。
品川プリンス。

ホテルの会議室でワークショップを受けてきたんです。
非常に濃密な時間でした。

品川という立地は、全国各地からやってくるのに便利なようです。
東海道新幹線は品川にも泊まるし、飛行機できたら羽田から京浜急行で一本。

ただ、僕にとっては電車で数十分の距離なので、
ちょっと宿泊していることに不思議な感じもしました。
通いでもいいのかなぁ、と。


それでも、連休中の品川駅近くや品川プリンスホテルの敷地内は
外国人を含めた多くの人々が集まっていたため、妙な観光地気分もあるんです。

ホテルも非常に混雑していて、メインの朝食のレストランは
長蛇の列で30分待ちになるほどでした。

人の雰囲気は街によって違う感じはありますが、
この連休中の品川は、またさらに普段では見かけないような特有の雰囲気だったんです。

その意味では、普段と切り離された異空間で、
専門的な勉強に集中できたという部分はあったように思います。

ちなみに、僕が泊まったのは35階の部屋。
眺めも良くて、綺麗な空間で、なかなか快適に過ごせました。

部屋での宿題もはかどる。
やっぱり静かで落ち着きのある部屋というのは集中力を切らしにくいものですね。

35階















肝心の学びの内容も、沢山の気づきと技術的な課題意識が得られましたし、
手法に関しても得るところが多かったと感じています。

次回の勉強会にも活かせそうなアイデアが浮かんできました。

連休期間の残りの2日は、日本社会事業大学での研修。
福祉系の援助面接を学びに行ってきます。

5日間の修業期間みたいなものですね。
早くも復習したい気持ちでいっぱいです。

2009年09月18日

10月の勉強会

10月の勉強会のお知らせ

今回のテーマはコミュニケーションの中でも中核を担う部分。
『話を聞く』ということです。


コミュニケーションにおいては「伝える」というのも重要な部分ですが、
多くの場合、「伝える」の目的は「伝わる」ではないはずです。

そのことを自覚していないケースが多いようです。

「伝わる」ことが起きた結果として、「相手に影響を与える」ことが目的でしょう。
それは「相手を動かす」かもしれないし、「相手を説得する」かもしれません。
「相手の気持ちを変える」のこともあれば、
「相手からの反応を期待する」ことをしているときもあるでしょう。

日常生活の雑談で、たかが愚痴を言うときでさえ、人は自覚しないうちに
自分がメッセージを伝えた後の結果を期待しているものです。

愚痴をこぼして、相手から「へぇ…」と素っ気ない態度を取られると不快になるのは
相手からの反応を目的にして、愚痴を「伝える」ことをしているからです。

「伝える」方法に意識が向くときというのは、
自分の意図したとおりに相手が反応してくれる状態を、
「伝わった」と捉えているのではないか、ということです。


ところが、実際には相手の反応は、相手自身が選択するものです。
伝わっていても、自分の意図どおりに相手が反応しないことは良くあるはずです。

営業にせよ、交渉にせよ、議論にせよ、教育にせよ、
一方的に「伝える」ということは、相手に受け入れられない可能性があります。

「話し合い」とは言いながら、お互いの意見をぶつけ合うだけでは
上手くいかないこともあるのは、経験されたこともあるのではないでしょうか。

話し合いの中には、お互いに折り合いをつける部分があるようです。
その際、お互いの大切にしたい部分を明確にしておくことが肝心でしょう。

自分が譲れないところを意識しておく。
相手の大事にしたい部分を聞き出していく。
この両方ができていないと、相手にとって受け入れがたい自分の要求だけを
一方的に伝えるということにもなりかねません。

相手を理解して、相手に合わせて伝えていくことができれば、
多くのコミュニケーションは円滑になるような気がします。

その意味で、相手を理解するプロセスとして
「聞く」作業が大いに役立つだろうと考えられます。


「話を聞く」ことの目的は、相手の伝えたい内容を理解することだけではありません。
相手を理解することが含まれます。

仮に、二人の人が完全に同じ内容の話をしていたとしても、
話している人がどういう特性で、どういう人生を過ごしてきたかによって
同じ話の内容が持つ意味合いが大きく変わってくるはずです。

ですから、今回の勉強会で扱う「話を聞く」という技術においては
様々な観点から相手を理解していく部分が重要になります。

相手の話している内容を広げる方法、
相手の話している内容のもつ意味を理解する方法、
相手の特徴を読み取る方法…。

色々な技術を組み合わせて、「聞く」部分をトレーニングしてみようと考えています。

それは相手の話してくれることを親身に聞くだけでは足りない
自分から積極的に理解してこうとするスタンスを生み出します。
質問によって大切な情報を引き出すわけです。

そして、意図をもって質問をできるようになってくると
質問をした後の影響も予測できるようになると考えられます。
聞くべきか、聞かないべきかも選択するようになるでしょう。
聞き方を工夫するようになるかもしれません。

相手に合わせた対応で、相手を理解していくということです。


できるだけ少ない時間で、できるだけ多く、相手のことを理解する。
そんなトレーニングだとお考えください。

人は、様々な場面で自分なりの癖を持っています。
話を聞くときにも、当然、様々な癖があります。

普通にしていたら、自分なりの聞き方を続けるケースが多いんです。
よく使う質問や、聞きたくなる内容が決まっていることがあるわけです。

色々な方向に理解の幅を広げ、今まで自分がやっていたのと違う聞き方ができると、
今までとは分からなかったところまで相手のことが分かってくると思います。

 時にそれで、知らないほうが楽だったことまで気づいてしまうかもしれませんが…。

地道なトレーニングになるはずです。
大きな気づきが得られる内容ではないかもしれません。

それでもコミュニケーションにおいては大切なテーマではないでしょうか。
人との関わりに興味のある方のご参加をお待ちしております。


  ※最近は多くの方からお申し込みを頂いています。
   定員を設けていますので、ご注意ください。
   定員を超える場合には先着順での受付とさせて頂きますのでご了承下さい。


  ※勉強会の趣旨に関しましては、こちら(勉強会070725)をご覧下さい。


詳細は以下のとおりです。


【勉強会の詳細】


【日時】 10月12日(月・祝)

     ◆午前の部 10:00〜12:30  
     ◆午後の部 13:30〜16:30


     ★午前、午後いずれかのご参加も可能です。


【場所】 北とぴあ 802会議室
    (JR京浜東北線・王子駅北口より徒歩2分)
    (東京メトロ南北線・王子駅、5番出口直結)


【参加費】当日、会場にてお支払いください。
     
     ◆午前の部 ・・・4,000円
     ◆午後の部 ・・・5,000円  
     ◆午前・午後両方ご参加の場合 ・・・7,000円

    
    
テーマ: 『聞き方の技術』
     〜会話から相手を理解するためのトレーニング〜


 *多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、
  学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
  ご了承ください。




話を聞くという作業は、あまりに日常的ではありますが、
同時に様々な内容を同時こなす複雑な作業でもあります。

その日常性のためか、ポイントが分かりにくいためか、
話を聞くときに強調されるものは精神論になりやすい傾向も感じます。

心を込める。
受容する。
共感する。
相手の立場になる。
…どれも大切なことですが、具体的に何をすれば
そのことが相手に伝わるかが説明されないことが多いようです。

自分の考えを相手に伝えるために「伝え方」へ意識を向けることはあっても、
自分が相手のためを想って接していることが相手に「伝わる」ための技術には
意識が向きにくいのでしょうか。

また、話を聞く作業が、多くの人にとって当たり前の内容であるため
全体的にトレーニングをしようとする傾向も見受けられます。

料理でいえば、数多くの料理を作りながら、徐々に
全体の技術を向上させていこうというスタンスです。

スポーツでいえば、いきなり練習試合をさせるようなものです。

しかしながら、個別の技術をトレーニングしていくほうが
全体的な技術の底上げになることも少なくないでしょう。

野球なら、キャッチボールやノック、バッティング練習など、
特定の内容を集中してやるのは当然の流れです。

話を聞くという場合も同様だと思います。
技術を細かく分けてトレーニングする。

その作業が、全体のレベルを上げてくれるはずです。

残念ながら、話の聞き方の技術を個別に練習する機会は
なかなか日常生活では巡り合えないものです。
もちろん、一人自宅で練習するわけにもいきません。

何人かで集まって、お互いにトレーニングする。
それが効果的ではないでしょうか。

今回はそんな練習の場だと思って、ご参加頂ければと思います。


参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。
(*は必須項目です)


終了しました

トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています

2009年09月16日

いろは歌で練習

『色は匂へど』

以











呂











波











仁











保











部











止












練習はじめました。

2009年09月14日

言語≠意識

心理系の勉強をしていると必ず出てくる「意識」という言葉。
「無意識」や「潜在意識」とセットにされることも多いようです。

自分の「意識」というものに関しては、特別に何かの勉強をしていなくても、
普通に「注意を向ける」という意味合いにおいての「意識する」という言葉や
「気を失う」という意味合いで「意識がない」と使われたり、
それほど特別な言葉ではないものとして耳にするものだと思います。

で、多くの心理系の説明や、自己啓発系の説明の仕方だと
「意識=言語」なんていう言われ方が多かったりするんです。

なるほど、確かに言葉は自分の意識で選んで話している気がしますし、
自分の心の中で考え事をするときも言葉を使ってやっているようです。
言葉にならないメッセージ(非言語メッセージ)が、
自分自身の無意識的なメッセージだと考えることもできそうです。

その意味では、確かに「意識=言語」のような感じがしないこともありません。

ただ、その説明の仕方をしていくと、言葉を覚える前の乳幼児や動物には
意識がないということになってしまいます。

じゃあ、赤ちゃんや動物は無意識で生きているのか、ということです。

もちろん、「意識」という言葉の定義がハッキリしないので難しさがあるわけですが、
一般的に使われる「意識」の意味から考えると、
動物であっても「意識を失った」状態になったりしますし、
赤ちゃんでも明らかに「特定の何かを意識している」ように見えることはあるはずです。

つまり、「意識=言語」ではなく、言語活動の大部分に意識が密接にかかわっている、
あるいは、意識を失うと言語活動も停止する、という関係だろうと考えられるわけです。

逆に、言語活動の中にも無意識の部分が沢山あるでしょう。

僕自身の考え方でいえば、「意識」とは、
今現在の時点で自分が認識している部分、といった感じでしょうか。

なので、「無意識」は意識していないところ全て、となります。
「無意識」のものも認識した瞬間に「意識」になるということです。

心理や自己啓発の分野で言われる「無意識」というのは
僕の考えでは「日常生活で、あまり意識されない部分」になります。


ここで強調したいのは、言語があるから意識があるわけではないということ。
我々は、言語で意味づけをしているから意識化できるわけではない。

言語活動を持たない動物だって、「危険なもの」という分類はできているわけです。
意味づけをしていると言えるでしょう。

このような「認識」や「意識」に関する議論は古くからなされてきているようですが、
その中で使い勝手が良かったのが、おそらく
 「事実を体験して、体験を言語で意味づけする」
という説明の仕方だったと思われます。

『一般意味論』のアルフレッド・コージブスキーは、そのことを
「一次体験」と「二次体験」という言葉で説明しています。

五感を通じて知覚した情報そのものには意味づけがなく、それを「一次体験」と呼び、
その体験内容を言語で意味づけしたものを「二次体験」と呼ぶ、と。

人間は、とかく意味づけをしたがる生き物で、
事実をそのままに認識せずに、何らかの意味づけをする傾向があると考えるんです。

NLPにも、この考え方は取り入れられています。
『NLPの前提』と呼ばれる考え方の中に「地図は領土ではない」というものがありますが、
これはまさにコージブスキーの考え方そのもの。

現実(→領土)を知覚した人は、それぞれの心(脳)の中に、
現実を元にして受け取った体験(二次体験、→地図)を作り上げる。

人それぞれ、同じ出来事であっても、違った受け取り方をするということです。
二次体験の内容は人によって違う。
その体験の違いを作り上げるのが、人それぞれの言語による意味づけの仕方。
そんな考え方です。

この考え方はNLPが作られた当時から、現在に至るまで大切にされていますし、
人がそれぞれ違った体験をしていることは、とても本質的なテーマでしょう。

ただ、NLPの前提に「地図は領土ではない」という言葉が使われているからといって、
コージブスキーの考えたモデルまで一緒に大切にする必要はないと僕は思います。

なぜなら、コージブスキーが生きていた時代よりも、
現在では多くの知見が得られていて、
何よりもNLPそのものが発展してきた中で得られてきた情報も沢山あるからです。

NLPの考え方、NLPで扱う内容を正確に表現して、理論として整理しようとしたとき、
 五感で受け取った「一次体験」を、言語で「二次体験」に意味づけする、
という説明の仕方には無理が出てくると思えるんです。

NLPのトレーナーの中には、この「一次体験」と「二次体験」の考え方を
大事にしている人がいるようですし、実際にそのことを書いた本もあります。

そのうちの有名な一人は、創始者、元になった考え方など、
そこに中心となって関わった人たちや伝統に対して敬意を持っているように見えます。
先達や偉人への尊敬を忘れない人物なのではないかと僕は考えています。

その姿勢は素晴らしいことだと感じますが、
僕のスタンスはサイエンスなので、誰が言ったかよりも、
矛盾がないかどうかのほうが遥かに大切なんです。

僕が理解してきたNLPの体系と、他分野の知見とを組み合わせても、
「一次体験」と「二次体験」という説明の仕方よりも
上手い説明の仕方が見つかってくるんです。


その点、脳科学の分野で有名なアントニオ・ダマシオは
NLPをやっていない(…と思います)にも関わらず、
NLPで扱う概念に近いものを敏感に感じ取り、
体験の意味づけの仕方と言語の関係を説明しています。

ダマシオは「体験」という言葉を使わずに「マップ」と呼んでいるようですが、
これは体を通じてインプットした情報を、脳内に描く作業を想定していると考えられ、
それを、パソコンがデータをモニターに映し出す作業と同様に
「マッピング」と呼ぶためだろうと推測されます。

つまり、五感を通じてインプットした色々な情報を一まとめにして
脳内に描きだす(マッピングする)ということです。

で、このマップが言語を使う前に行われていて、
その時点で、言葉に頼らずともマップだけで意味づけされている、というんです。

五感を通じてインプットされた情報をそのままマッピングし(一次マップ)、
それを組み合わせて二次マップを作り、二次マップを元にして
一次マップの中の特定の情報を強調する、と。

その作業で意味づけがなされると書いています。

そして、強調されたマップに対して言語を当てはめる、と

なので、言語化されていなくても意味づけは終わっていて、
言語化は言ってみれば「三次マップ」になるというんです。

その説明の仕方は、僕が理解しているNLPの概念と一致しています。
「五感による一次体験と、言語で意味づけされた二次体験」という説明よりも
ずっとNLPの説明のモデルに一致していると思います。

ただ、ダマシオの本の中の説明は、英語の訳本だということを差し引いても
具体的に理解するのが難しい書き方をされているので、
NLPをやっていない人には実感をしずらいのではないかとも感じます。

この辺は、NLPのサブモダリティの概念をしっかり理解すると納得できるでしょう。

僕なりに例を挙げて補足説明すれば、「凄い」という印象を持つとき
人は心(脳)の中のマップに「凄い」の感じを強調していく、ということになります。

例えば、
 イチローが9年連続200本安打の記録を達成した。
 イチローは「凄い」。
のケースであれば…。

そうなったとき、イチローがテレビに映っている場面を見ながら、
その場面を視覚と聴覚を通じて脳にインプットします。
インプットされた情報は、そのまま一次マップに描かれる。
脳内で、テレビを見ている場面のビデオが流れるような感じでしょう。

で、それに対して自分の中の反応パターンが呼び起されて、身体的な変化が起きる。
その変化を再び感じ取って、それを反映させた二次マップが脳内に作られます。
イチローのニュースを見る前の自分と、見た後の自分の身体的な変化が知覚されるんです。

そして、イチローのニュースが自分に身体的な変化を引き起こしたという流れを受けて、
元々のインプットであった一次マップのイチローのニュースを
強調した形でマッピングしなおす。

このときに脳の中には、イチローのニュースの映像や音声のある部分を
何らかの形で強調した、ビデオ映像のようなものが流れます。

人によっては、イチローの姿だけが鮮明で、背景がボヤけるようになったり、
イチローのニュース映像が物凄いアップに歪められたり、
イチローの姿に後光が差したようになっていたり、
色々な具合に強調されていくでしょう。

さらに、その強調のされ方に対して、新たな身体反応が生まれることがあります。

こうした全ての強調のされ方のパターンに対して、
それぞれの人が「凄い」という言葉を割り当てているわけです。

強調のされ方のパターンにごとに、
「凄い」とか「大したことない」とか「カッコいい」とか「尊敬」とか
色々な印象が分類されていて、我々はその分類に当てはまる強調のされ方を感じたとき、
それを言葉で説明することになります。

つまり、
 意味づけは脳内に作られるマップの強調のされ方で起きている
というわけです。

言語は、強調による意味づけのパターンに当てはめて区別されるものと言えます。


NLPは、サブモダリティによる印象づけということを発見して、
その考え方をベースに色々な手法を開発してきています。

それを発見したリチャード・バンドラーは、やはり天才の一人だと思います。

サブモダリティの発見は、人間の言語活動を理解していくうえで
非常に重要な内容だと思われますが、残念ながら
その知見は決して広がってはいないようです。

ダマシオもNLPのサブモダリティの概念を取り入れて説明をしていたら
もう少し具体的で納得しやすいモデルを提唱できたのではないでしょうか。

NLPの手法自体は、自己啓発や心理療法の方向性以外では、
多少、受け入れにくい特殊な内容を含んでいるように感じられます。

しかし、NLPの中のサブモダリティと内的表象の考え方は
ダマシオの意識の説明モデルとともに、
言語学の分野に大きな影響をもたらす可能性がある気がします。

これを広げていくためにも、NLPの「理論」の部分が役立つと思うんです。

…ただ、僕は論文を書くのが好きではないので、 言語学の人と対談をして、
 共著に名前を入れてもらえるぐらいが丁度良いんですが。

おしらせ
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《心を調える実践会》

【日時】 
  2017年12月23日(土)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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