2009年10月

2009年10月11日

マンガの名言

先日から映画『カイジ 人生逆転ゲーム』の上映が始まったようです。
それに伴ってか、原作者・福本伸行氏の書籍も書店に並んでいました。

『人生を逆転する名言集』
人生を逆転する名言集
人生を逆転する名言集
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書籍タイトルから察するに、映画と時期を合わせての発売ということでしょう。

この作者は様々なギャンブルを題材にマンガを描くことで有名です。
文字通り”命がけ”のギャンブルが沢山登場します。

その中から「逆転無頼 カイジ」が深夜のアニメで放送されました。
そこから映画化に進んでいったのでしょうか。

かなりキツイ表現も含まれますし、
金銭にまつわる人間のズルさや弱さが色濃く出ています。
感動的という感じではないように思います。

地に足が付いている内容というよりも、
むしろ地ベタを這いつくばっているぐらいの印象さえあります。


その中から出てきた名言集ですから、キレイごとではありません。

作者はギャンブルを非常に知的な作業と捉えているようで、
運に任せることを、自分の責任を放棄する行為のように表現したりもします。

血なまぐさい世界の中で、人が自分の責任で努力を続ける。
その模様もまた、人の心を打つものなのかもしれません。

いわゆる名言集のような本の中では異色の方向性を感じます。
気楽さや優しさ、ホッとするような安心感などとは違って、
必死に生きることを考えさせてくれる気がします。

正確には覚えていませんが、
 人生は思い通りに行かないことが殆どだから面白い
という発想は印象に残ります。

色々な問題があるときこそ、そうした視点が前に進む強さをくれるように思います。

思い通りにいかない悔しさを、なんとかしてやろうと努力する。
もがく。

その工夫そのものを楽しめるようであれば、
気持ちが前向きになるだけでなく、少しずつ前に進めそうです。

2009年10月09日

犬の映画

『マーリー』のDVDを見ました。

マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと (特別編) [DVD]
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僕は犬が出てくる映画を見ると、まぁ大体の場合、泣きます。

『ターナー&フーチ 〜すてきな相棒〜』も、
『ベートーベン』のシリーズも、
『いぬのえいが』も、
『犬と私の10の約束』も、
犬がメインではない『アイ・アム・レジェンド』の犬が死ぬシーンでも、
もれなく、です。

犬が出てきて涙を流さないのは、『バイオハザード』の犬のゾンビぐらいなものでしょう。

中学校に入る直前、我が家に犬がやってきてから12年、
ずっと一緒に生活していましたから感情移入しやすいんだろうと思います。


心理療法でイメージワークをやった場合にも
自分を助けてくれる存在として犬が登場することは多いようで、
それは世界各国の神話や物語の多くに犬が登場することとも関係しているかもしれません。

それだけ犬は人にとって身近な存在だということを感じます。

今回、僕が見た『マーリー』にいたっては、なんの変哲もない
犬と一緒に暮らしている家族の生活を映しただけのような映画です。

確かに、マーリーというラブラドール・レトリーバーがハチャメチャで、
全くといって良いほど飼い主の言うことを聞かず、
色々なトラブルを巻き起こすという点では見ていて飽きませんが、
かなり日常的なストーリーだと言っていい気がします。

実際にありそうな家族。
犬を飼っていれば普通に起きるだろう出来事。
家族に起きる問題も、ありがちな話です。

決して特別ではないシーンが展開されていき、
犬の一生に沿った時間が過ぎていきます。

ほのぼのとしながらも、笑いのに溢れた内容は、
誰にでも共感しやすいものかもしれません。

そんな、ありきたりの内容にも関わらず、
見ていた僕は案の定、泣いてしまうわけです。

重ねることが沢山あったみたいです。


犬の平均寿命は人間と比べると遥かに短い。
映画では、その模様を2時間に短縮してしまいますが、
その過程には家族として心を通わせた思い出が詰まっています。

出逢い、成長、老い、別れ。
人が自分の一生を通じて体験する一連の流れを
犬との関わりで見ることができる。

これは人間同士の関わりでは絶対に体験できないことです。

自分よりも後から生まれ、自分よりも早く成長し、自分よりも早く老いていく。
生命としての一生を、人間よりも短縮しているんです。
人は犬を通じて、それを感じることができる。

大切な存在の一生を間近に感じさせてくれる。
それは意味深い体験だと思います。

別れのときには、色々な後悔が頭に残りました。
それ以上に、素晴らしい思い出が沢山ありました。
悲しみと比例するように、感謝の気持ちがありました。

ある面で考えれば、犬との関わりは
自分自身の一生との関わりを教えてくれているようにも思えます。

自分が最期のときに、自分の人生に対して思い抱く複雑な気持ち。
それと近いものを短縮して感じられるところがあるかもしれません。

ただ、そんな学びのために犬がいると考えるほど傲慢にはなれず、
もっと素直に、自分の心の中に温かさをくれた存在を
いつまでも暖かく感じていたいものだと思います。

もうすぐ命日。
なんとなく実家を訪れたくなってきました。

2009年10月07日

どっちが先か

飛行機に詳しい方から聞いたんですが、
空を飛んでいると不思議なことが起きるそうです。

例えば、墜落事故のあった辺りを飛んでいると
機内の電気が全て消えてしまったり。

そんな話の裏側には、多くの人が
「墜落事故があったところを飛んだから、機内の電気が消えた」
という因果関係を想像する背景が感じ取れます。

場合によっては、「飛行機事故の犠牲者の霊が…」
なんていう考え方もあるかもしれません。


僕はその話を聞いていると、すぐに別の相関関係を考えてしまいます。

話の流れからいえば、
「事故があった場所を通過すると不思議なことが起きる、
 そういう場所には何かが残るんだろうか」
というニュアンスを汲み取るところだろうとは感じながらも、
同時に別の関係が思い浮かぶんです。

順番が違うんじゃないか、ということです。

「そもそも、その場所に何らかの理由で飛行機に不具合を起こす要因があって、
 そのために飛行機に異常が起きて事故に繋がったり、
 以上の程度が小さいときには機内が一時的な停電状態になったりする」

そちらの可能性のほうが妥当だろうという発想が出てきます。

ですから、僕が理由の分からない不思議なことを認めていないわけではなく、
不思議さを求める場所にも相関関係としての妥当性を求めているに過ぎないんです。

「理由が分からないけれども飛行機がトラブルに巻き込まれやすい場所がある」
そのことは十分に不思議なことだと思います。

地磁気の影響か、近くに何かの電磁波を発するものがあるのか分かりませんが、
とにかく飛行機の機械系統に影響する力があるのかもしれません。


この話が、仮に
「以前から、そこを通ると飛行機の電気系統に異常が起きる場所があって、
 何度も停電があったり、計器に乱れがあったりした。
 で、ついにその場所で事故まで起きてしまって、
 その後も、何度も停電とかがあった」
という流れであったら、聞いた人が受ける印象は違うと思うんです。

もっと言えば、次の2つの書き方、

 嵌行機の事故があった場所がある。
  その場所を通るときには、機内の電気が全て消えることがある。」

◆屬修海鯆眠瓩垢襪筏‘發療典い全て消える場所がある。
  その場所で飛行機の事故があった。」

を比較しても、
内容はほとんど同じで、順序の違いに合わせて表現が若干変わっている程度なのに、
受ける印象が随分と違うようだということです。

前に出てきた文章の内容のほうが原因として感じられる傾向があるようです。

自分が先に知っていた情報が前提になって、
次に知った情報は、以前の情報をベースに解釈しやすいのかもしれません。

研究者でも、自分が立てた仮説や、誰かから習った説明をベースにして
実験結果を解釈していく癖を持っている人がいます。

これは注意が必要なポイントだと思います。

僕は習慣的に、新しい情報を入手したら、それを今までの知識に付け加えるのではなく、
新しい情報を含めた全ての知識を対等に整理し直して、
もう一度、自分の知識体系を作り上げることをしようとします。

ですから場合によっては、昨日と言っていることが違う、
なんてことも十分にあり得るわけです。

そんな事態も好意的に解釈をすれば、
「分からないことを、少しでも正確に分かろうとする」姿勢だと思っています。

考え続けられるというのも1つの強みだと言えそうな気がします。

2009年10月05日

気になったもの

新発売みたいです。
気になった商品。
コンビニで買いました。

「和素材工房『米づくり』」。

米づくり

























この日本酒のような外観。
でもペットボトル。
炭酸飲料です。

なんでも米を糖化させたものを原料に使っているんだとか。
日本酒で有名な「大関」が関与しているらしいです。

一番多く含まれている原材料は砂糖ですが、
次は、その米を糖化させたもの。
あとは香料と酸味料だけですから、かなりシンプルな飲み物かもしれません。

とはいえ、実際には「香料」と一言で書かれている中に
色々と工夫された風味付けがなされているわけですから、
味を決めている大半の要素はこっちの「香料」だとは思いますけど。


で、肝心の味は日本酒とは似ていなくて、
チョットだけ甘酒に似た印象があるぐらいのもの。

一般的な日本酒製造のプロセスでは、米を蒸した後に麹菌を植えます。

日本酒造りに使われる麹は、いわゆる米麹と呼ばれるカビの一種で、
Aspergillus oryzae という種類。
これが米のデンプンを糖に分解してくれます。

デンプンが糖化されてくると、そのあたりから酵母が活躍し始め、
糖分をアルコールに変えていくようになります。

この過程で酵母が二酸化炭素を排出するので、
醸造タンクの中はコポコポと泡を出しているわけです。

ちなみに、このように麹と酵母の二種類の働きで1つの発酵プロセスを進めることを
混合複発酵と呼び、日本伝統の高度な発酵技術なんです。

そして、米を麹と酵母がアルコールに変えていく途中で、
副産物として色々な有機酸を作ります。

これが日本酒らしい風味を出していると考えられて、
甘酒のチョット酸っぱい感じは、この有機酸のためでしょう。

おそらく、この『米づくり』という商品でも、
米から生み出される有機酸の特徴を表現しようとしたのか、
若干の酸味が感じられます。

まぁ、炭酸飲料ですから、酸味があるのは良くある話。
ヨーグルトや乳酸飲料に似た酸味があります。

この酸味が米を原料にしたことで生まれた酸味かというと、
製造元のホームページを見る限りでは違いそうでした。

「米粉を酵素によって糖化した液体を使っている」と。

ということは、米のデンプンだけが糖に分解されていますから、
米の他の成分は完全にそのまま。
デンプンだけが糖になっているに過ぎません。

そうすると、有機酸はできませんから、酸味は全て
別に加えた酸味料によるものだと推測されます。

酸味料として、乳酸でも入れているのかもしれません。

トロッとした感じや、白く濁ったところは米糖化液のためかもしれませんが、
あの味の大半は、米とは無関係な香料と酸味料のおかげでしょう。

せめて、砂糖を一切使わずに、米糖化液だけで甘みを出してもらいたかった。
そうすれば、もうちょっと米っぽい印象を感じられたと思います。

日本酒の製造過程で出来るような味わいを
色々と工夫して表現したものなんでしょう。


もちろん、清涼飲料水ですからアルコールは入っていません。
お酒ではありません


























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2009年10月04日

同時作業

僕の意識は、いつも意外と頭のあたりというか、
額の中心あたりにあって、目の前での出来事を見たり、
自分の目の前あたりで考え事をしている感じがあります。

考え事というと論理的に言語で行うような印象もあるかもしれませんが、
実際に言語だけで考え事をすると考えが整理されることは少ないようです。


言語だけで考えていくと、1つの言葉の意味をベースに
思いついたことを言語化しながら直線的に思考が進んでいくので
複数の事柄の共通点を探したり、比較をしたりするのは難しいんです。

言語活動だけに集中して考え事をすると、
考えているうちに当初と全く違う方向に考えが進んでしまったり、
考えが循環してしまってキリがない状態になったりする。

この辺は本人の内的な感覚体験の話なので、
言葉だけで考えているかどうかを実感できる人は少ないでしょうし、
何よりも自分の考え方の状態を他人と比較したことのある人も少ないでしょう。

ただ、言語活動だけで考えようとするタイプも世の中にはいるわけです。

そういう人は、考え事をしているときに自分の中で聞こえる声が大きく、
のど元から声がする感じというか、
自分が言葉を発話しながら意見を出しているような感覚があるかもしれません。
声を出すときのノドの筋肉の状態を感じながら考えるという具合でしょうか。

そうすると、意識の中心がノドのあたりというか、胸の上あたりというか、
声を呑みこみながら言葉にしている状態に近くなると想像されます。

そんな意識の使い方をすると、思考のプロセスで視覚的なイメージや連想が使いにくく、
複数の考えを同時に扱うのは難しいでしょう。

考えが自分の体の中にあるとも言えます。


また、自分の体で感じることを優先する人もいます。
その場合、感じる中心は、ミゾオチやお腹のあたりにまで下がるようです。

そのような感じ方をしながら、同時に目の前にイメージを浮かべる人もいるみたいですが、
そこで活用されるイメージは自分の体に近く、主観的で、
目の前に大きく1つだけがあるような印象になると思われます。

これもまた、考えが自分の体の中にあるというか、
1つの考えの中に自分が入っているというか、
考えを自分から切り離さずに、感覚体験を優先している状態と言えます。


一方、考えの内容を自分の目の前に複数並べて、
映像イメージと言語とを組み合わせながら、
色々な可能性を同時に考える方法を使っている人もいます。

目の前のイメージを動画のように進行させて、結果を予測したり、
他の事柄との関係性を繋げたりするんです。

複数の可能性を同時に扱ったり、比較したり、相関を探したり、
目の前の空間に色々なものを並べながら操作する。

話の展開も目の前に並べて取っておいたりしますから、
論理的な整合性があるかどうかも判断しやすいかもしれません。

一般に「論理的」だと言われる人は、このように
考え事の内容を自分の体の外に出して、複数を並べて、
それぞれを別々に操作できたりする傾向があると思われます。

ただ、そうやって事柄を自分の体の外に置いているわけですから、
自分の体の中に起きることや、感情などは意識しにくく、
出来事に対する自分の気持ちや好き嫌いなどは感じずらいでしょう。

論理的な人に冷たい印象を感じるケースが多いのは、
そうした人たちが体験の対象を体の外(主に、顔の前から離れた位置)に置いて、
自分の体の中で感じることをしにくいためだと考えられます。

同時に複数の事柄を思い浮かべたり、色々な可能性を考えたり、
論理的な展開を予測したりする分、
1つの体験に没頭する度合いが小さいわけです。

「人の気持ちを考えない」というよりは
「気持ちを感じない」という言い方のほうが正確だろうということです。


こういうのは人の生活のあらゆる場面で共通するベースとなる特徴ですから
なかなか変わることがないようですが、
どちらが良いということはないでしょう。

どちらにも効果的な場面と効果的でない場面があるだけです。
その意味では、両方使い分けられるのが理想だと思います。

僕自身は元々、自分の内側で起きていることを感じるタイプだったと思いますが、
小学校の3年生ぐらいから、顔の前で考えを客観的に操作するような傾向が高まり、
理系に進むにつれて、その傾向を更に高めていったような気がします。

現在でも僕は額の前あたりで考え事をしていて、
色々なことを目の前のデスクトップに並べながら
「ああだ、こうだ」と色々な考えを練っているようです。

その一方で、カウンセリングのトレーニングやNLPの体験を続けていき、
自分の体の中で感じるという方向も強まってきている実感があります。

他人の話を聞くときには、話の内容を目の前のデスクトップに並べ、
それに対する関連情報も近くに並べ、内容の関係性をつなぎ合わせながら整理して、
それと同時に自分の体で起きる反応も感じている。

額から上は体の外側に注意を向けて思考し、
目から下は体の感覚を感じる、というようなことをしているわけです。


そんな風に、思考の内容を目の前で複数扱っていながら
五感で感じられることも感じるようなトレーニングをしているせいか、
本を読むときにも、思考の内容以外に感じられる刺激に敏感なんです。

本を読んでいるときに、他の話し声が聞こえたりすると
本の内容に集中できなくなってしまいます。

それが嫌だったんです。

で、最近、その打開策を2通り見つけました。

1つはイヤホンで音楽を聞いてしまう方法。
催眠系のBGMを大きめの音量でかけると、話し声が聞こえなくなります。

ここで歌詞のついている歌だったりするとダメです。
他の場面で聞いていて、何らかの感情と結びついているBGMもダメ。
意識がそちらに向いてしまいます。

なので、あまり意味を感じない音楽が良いようです。
瞑想で煩悩を減らすような効果のあるBGMがあれば、きっと一番良いんでしょう。

もう1つの方法は、逆の発想です。

気になってしまうんなら、全部同時に扱えばいい。
本の内容を理解しながら、自分の意見を思い浮かべ、
周りで聞こえる話し声も理解して、自分の身の回りの出来事も注意する。

全部を同時にできるようになれば、本の理解もできる感じがします。

もちろん、本だけに集中できるに越したことはありませんが、
本に集中できず、内容が理解できないという不満を感じるよりは、
全部を同時にやってしまって、本の理解も進めれば良いと考えたわけです。

これも意外と良い感じ。
特に読みやすい文章の本であれば快適に理解が進みます。

英語の訳本などの読みにくい文章だと、複数同時進行では理解力が落ちますから
イヤホンで音楽を聞く方法にしていますが、
全部を同時にやろうとするのも意外と効率的な方法に感じられました。

本を読むという1つのことに集中しようとするから
他のことが意識に上がるのに不満が沸いてくるんですね。

だったら最初から集中しようとしなければいい。
全部を同時にやろうと意識すれば、不満は大幅に低減されます。

本に集中しようとしている時に聞こえてきた話し声は、
それが注意のメインの対象になってしまいますから
本の内容が理解できなくなってしまいます。

本に100%注ぎたい意識が、周りの話し声に80%取られてしまって
本の内容が20%になってしまう感じ。

ところが、全部を100%にしてやろうと意識すると
全てが均等な印象になりますから、
本の内容よりも周りの声への意識が上回ることはなくなるという理屈です。

どちらも自分の特徴に合わせた対処法じゃないかと思います。

全部を100%というのは結構疲れるんですが。

2009年10月02日

鏡写し

最近、ちょっと気になることがありまして。

「ミラーニューロン」についてです。

サルで発見されたミラーニューロンは、
サルが餌を取るときに活動するニューロンが
目の前の人間が餌を取り上げたときにも活動したことから発見されています。

その後の研究も、「別の対象がやっている行動を観察しているときと、
自分が行動をしているときに同じニューロンが活動している」という内容のようです。

人間の場合は、脳に電極を刺して測定というわけにいかないので
画像診断の類で調べた結果にはなりますが、同様に
他者の行動を確認するときと自分で同じ行動をするときで
同じ部位の活動する様子が観察されるといいます。

他者の行動と自分の行動で同じように活動するニューロン。
確かに、鏡写しのように反応するわけですから、
「ミラーニューロン」という呼び名も、それ相応に感じられます。


ところが、こういう部位が複数見つかっているわけです。
すると、ターゲットとする行動によって、
担当するミラーニューロンがあるということになるのでしょうか?

その可能性もあるかもしれません。

ただ、もっとシンプルに考えると、
「特定の行動パターンごとに、その行動を認識するためのニューロンがある」
ということも考えられると思うんです。

別に自分と他者とを区別したりはせずに、
例えば「手を上げる」という抽象的な概念に対応する部位がある、と。

別にミラーだとかいうのは関係なく、
単純に自他の区別のない抽象的な概念としての行動パターンに対応していて、
その部位が自分でも相手でも同じように反応している。

そういう可能性もあるように思うんです。

実際、自分が行動するときと他者の行動を観察するときとでは
認識以外の部分で様々な違いがあります。
自分が行動するときには色々な筋肉を動かしたり、対象物を観察したりするために
様々な運動に関する部位も活動することでしょう。

ミラーニューロンとして発見された部位は
何らかの行動という抽象的なパターンの概念そのものを担っている。
そして、その行動を自分でするときには別の部位へと連携される。
そんな風に考えてもいい気がします。

他者の行動を見たときに、その行動のパターン化された概念が認識されると、
それに付随した自分自身の過去の体験記憶や、その行動を起こすための部位など
関連した情報が引き出されやすくなることも予想されます。

いわゆるプライミングは、そういうことでしょう。

そのようにして他者の行動を観察したときに、その行動の概念に対応する部位が活動し、
その概念を作ってきた自分の体験記憶から自分の触運動覚の刺激が引き出されてくる。

それを感じられれば共感したことになる、と考えてもいいと思うんです。


ミラーニューロンが共感に関わっているという説もあるようですが、
もしミラーニューロンというのが共感に関わる部位としてあるのなら、
それは特定の概念に対応する部位ではなく、
他者の行動を見たときに必ず反応する部位ということになるはずです。

他者の行動を観察したときに、自分の身体にも同じ反応を引き起こさせるための
特定のニューロンがあれば、それは共感のための部位と言ってもいいでしょう。

しかしながら、複数の個所で発見されていることなどを考えると、
「自分が行動するときと、他者を観察するときで、同じように活動するニューロン」が
直接的に共感と関わっていると考えるのはチョット無理があるような気もします。

僕自身が納得するのは、
「特定の行動パターンの概念に対応する部位がある」
という考え方。

その部位が、間接的に共感と関わっている。

いわゆる共感力のある人は、おそらく
 ,△觜堝哀僖拭璽鵑粒鞠圧憶を、自分の内的な体験を中心に作っていて
  その概念に伴った触運動覚的な記憶が想起されやすい
 ⊆分の中に沸き起こっている反応が意識の前面に感じられやすい
 B昭圓旅堝阿鮠さい概念としてパターン化して認識することができる

というような傾向があるんだろうと思います。

,亡悗靴討蓮△△觜堝阿粒鞠阿鮑遒襪箸に
他者の行動と、それと同じ自分の行動とを全て抽象化して概念を作りますが、
そのときに、自分の行動したときの体験と、他者の行動を観察したときの体験と、
どちらを中心にして概念を作るかという話です。

自分が行動したときの内的な体験を中心に概念を作り上げるということは、
それだけ普段から自分の内的な反応に注意を向けやすい傾向があるということです。
その意味で、△瞭睛討箸盻鼎覆蠅泙后

は、認識する行動のパターンをどれくらい細かく区別できるか、
という風に言い換えてもいいでしょう。

例えば「笑っている」といっても、色々な笑い方があります。
その笑い方の中の、細かい表情筋の使い方を部分ごとにパターン化していれば、
自分がそのように表情筋を使ったときの触運動覚情報にアクセスできます。
すると、より正確な体の使い方を引き出せるわけです。

逆に、共感力のない人は
 ,△觜堝哀僖拭璽鵑粒鞠圧憶を、他人の行動を観察した体験を中心に作っていて
  その概念に伴った触運動覚的な記憶が想起されにくい
 ⊆分の中に沸き起こっている反応に気づきにくい
 9堝哀僖拭璽鵑粒鞠阿大雑把に区別されていて、細かい違いを捉えにくい

という傾向だろうと思われます。

結局、僕が気になっているのは、「ミラーニューロン」と呼ばれているものが
単純に「特定の行動パターンを概念として認識するニューロン」
なのではないかということ。

それであっても重要な発見だとは思いますし、
そのことが共感と関わっている可能性も、上に述べたとおりです。

ただ、ミラーニューロンと呼ばれる部位が
模倣による学習と関係しているというのは違和感があります。

その考え方は、「ミラーニューロン=他者の行動と同じように反応する部位」
という結論があってから生まれたもののように感じられますから。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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