2009年11月

2009年11月29日

充実の感覚

オハンロンのワークショップは充実した時間を過ごせました。

ワークショップで教わる内容や、実際に行われるトレーニングとしては
決して新しいものという印象はなかったのですが、
セミナーの学び方は必ずしも教えてもらうだけではありません。
こちらから積極的に学ぶことで得られるものが沢山ありました。

…質問の形で陰ながらセミナーを盛り上げてみたりして。

個人的に大きいのは、オハンロンという人のセラピーに対するスタンスや
彼自身が世の中に対して行っていることの裏側にある想いの部分を
様々なところから間接的に感じることができ、そして
それを本人に質問の形で直接聞くことができたことです。

そのことは彼のデモンストレーションにも表れていたと思います。

技術的なポイントとして見ると、クライアントへの対処の部分で
もっと優先して扱うべきところがあったように見受けられましたが、
それは逆にいうと、彼の技術的側面よりも人への関わり方のスタンスとして
表れているように理解できました。


前提として、オハンロンはセラピーの人なんでしょう。
人生において気持ちがマイナスに行っている人々への対応がベースにある。

人は色々な出来事において気持ちがポジティブに動いたりネガティブに動いたりします。
それは必ずしも感情レベルのことではなく、「自分はOK」と思えるかどうか
という意味合いでもあります。

上手くいけば自分自身に対して肯定的な評価をすることができますが、
何かのキッカケで自分自身に対して否定的な評価をするときがあります。

この度合いの問題です。

人生全般、あるいは、ある期間に自分自身に対する評価が
平均的にマイナスのほうに片寄ってしまうケース。
そのような状態の人たちがオハンロンの視野の中心にあると感じられます。

そのマイナスをプラス方向へ進めていく作業としてセラピーをやってきて、
しかも、そのセラピーという技術を全般的に誰でも出来るような形に変えようとした。

ミルトン・エリクソンは確かに天才的で達人だったのでしょう。
でもエリクソンと同じことができる人は他にいなかったはずです。

世の中には、ほとんどエリクソンと同じことができるようなレベルになった人も
いたのかもしれませんが、それができるようになる人は非常に少ないと思われます。

誰でもエリクソンと同じことができるようになるための方法というのは
確立するのが非常に難しいのでしょう。

自分がエリクソンの弟子として、エリクソンと同じことができるようになれば
エリクソンと同じくらいの人々を手助けすることがオハンロンにもできたかもしれません。

しかし、オハンロンはエリクソンと同じことをしなかった。
エリクソン自身も、「コピーはするな」と言っていたそうです。

オハンロンはエリクソンから学びながら独自のスタイルを作り上げ、しかも
それが誰にでも使える形の簡単で効果的な技術に仕上げてきたと言えるでしょう。

エリクソンと違う形を取りながら、最も忠実にエリクソンの想いを引き継いでいる。
そんなところもあるかもしれません。

実際のところ、オハンロンのセッション中のペーシングの仕方や催眠のときの姿勢は
ビデオで見られるエリクソンの姿に良く似ています。

エリクソンは自分自身の体の障害すらも利用して、
人から警戒されることがないような、相手の心への近づき方をしていたようですが、
オハンロンにも人の警戒心をすり抜けるような穏やかさと謙虚さがあります。

デモンストレーションを見て思うのは、彼の最大の武器は
セラピーの技術ではなく、人が良くなる可能性を信頼し、それに期待しながら
相手を受け入れいていく関係作りの部分だろう、ということです。

オハンロンはソリューション・フォーカスト・アプローチと呼ばずに
ソリューション・オリエンテッド・アプローチと自分の方法を呼びますが、
この理由の大きな部分もクライアントとの関係作りにあると語っていました。

ともすると、ソリューション・フォーカストのやり方は
クライアントではなくて解決策に向いてしまうことがある、と。
オハンロンはクライアントを見ています。


マイナスの状態にあるときのクライアントは、比較的
主訴を分かりやすく訴えられることがありますし、
様々な要因からアプローチしていってもポジティブな方向に進んでいけます。

色々な要因を変えながら、自信を上げていくのが重要だと考えられます。

その意味では、必ずしもポイントを絞る必要もないのかもしれません。
オハンロン自信も「色々とやってみて、上手くいくのを探す」と言っていました。

徹底した共同作業なんでしょう。
オハンロンはメンターにはなろうとしないんだと感じました。

全体的にプラスの状態にありながら、問題を感じるケースでは
マイナスの部分を明確に扱う必要性があります。
ここでは焦点化の技術が重要です。

そういった人々にもオハンロンの手法は応用可能だと思いますが、
オハンロン自身が見ている人たちは違うような気がします。

自分を不幸だと思い、落ち込み、苦しんでいる人たち。
そういう人々が、一人でも多く幸せな方向に進めるような方法を作ること。
それがオハンロンの見ている世界のように感じました。

そのあたりの想いは、オハンロンの技術を使う側である
我々受講生に対しても違う形で語られました。

やり方が1つしかないのは危険だ。
色々な選択肢を持って下さい、と。
やってみて、上手くいくときは、それを使えば良いし、
上手くいかなければ違う方法をすれば良い。

自分の大切にしている想いを声高に語らない人ではあるようですが、
かなり素敵な人柄の人物だと感じました。

2009年11月28日

人柄がにじみ出るセミナー

オハンロンのワークショップ初日。

「ワークショップ」という表題は正確ではなかったようです。
全部が講義を聴く形式でしたので。

体験型のワークを期待していた人には残念だったようですが、
僕の目的はオハンロンという人を間近に感じることでしたから
その意味では十二分に納得ができています。

スゴイ人だと感じました。
奥深い人間性を醸し出しています。

セミナーの内容は「どうしたら幸せになれるか」という抽象的なテーマに対して
学術研究の情報を出しながら、抽象的なままに説明が進むスタイル。

でも、時々交えられる臨床経験の話題になると
会場全体が引き込まれるだけの説得力がありました。

特別に臨場感のある話し方をするわけではないものの
全員を食いつかせることができるのは、
言葉の裏側にある実感の大きさによるものでしょう。

抽象的な言葉で、納得はできるけれども実感しずらいような
一見すると良く言われている「ありきたり」風の内容を語り、
その中に語り手自身が気持ちを乗せられているのは
オハンロンという人の人柄を強く表しているように思えました。

言葉の裏側に蓄えられている深い経験。
人間に対する想い。
人の可能性を信じているところ。

「可能性療法」という言葉の意味が納得できる日でした。

2009年11月26日

大阪にて

明日の金曜日から日曜日まで、大阪でワークショップを受けてきます。
ビル・オハンロンのワークショップ。

エリクソンの弟子でありながら、独自の視点で本を書いているオハンロンのスタンスは
「自分のものを作れ」というメッセージを残していたエリクソンの心意気を
深く取り入れているような印象を受けます。

何より、本を読んでいて発想の生み出し方や整理の仕方が
僕にとって非常にシックリくるものなので、期待も大きいところです。

生で学ぶということに関しては、習ったり体験したりする内容以上に
その講師の全身から発せられるメッセージを受け取ることが
最大の魅力だと僕は考えています。

その意味で、オハンロンは僕が日本に来てほしかった人の
最上位に位置する人物でしたから、今回はとても楽しみなんです。

最近は勉強に行くところも一定になってきていて
馴染み深い中で学ぶことが多かったのと比較すると、
チョット新鮮な気持ちになれている自分に気づきます。

そんな気持ちで勉強に出かけるのも、少し懐かしさを感じたり。
知った顔にも会うのでしょうが、新鮮な気持ちで過ごす時間を満喫したいものです。

2009年11月25日

新規性のカタマリ

テレビを見る時間帯が深夜枠中心になっていたり、
見る番組が限られていたりするため、僕が知っている芸能人は
必ずしも流行りの人ではないことがあるようです。

なので、もしかすると以前から数多くの番組に出ている人なのかもしれませんが、
少し前から気になっている芸能人がいます。

『谷桃子』。
グラビアアイドルだそうです。

ただ、注目すべきは、その内面。
バラエティ番組での突拍子もない言動がスゴイんです。
羞恥心や他人の目を気にする様子が感じられません。

芸能人なので、そういうキャラクターに徹している可能性も考えられますが、
だとしても、あの全力っぷりには只者ではない印象を受けます。

これまでにテレビで見たことのないタイプ。
「天然ボケ」や「不思議ちゃん」、「おバカ」キャラとは違います。

強いて言うと、初めて『鳥居みゆき』を見たときに近いような気もしますが、
そこまでの頭の良さや「分かっている」感は見えてきません。
近いところがありながら、陰と陽ぐらいの対極のイメージもある。

とにかく斬新です。


過激な系統に行くと、見ているのが気恥ずかしくなることがあるものですが、
それを感じさせないところに光るものがあるように思えます。

僕の中では好奇心をかき立てられる人物です。

2009年11月23日

文章を速く読む人

今日の勉強会は刺激的でした。
個人的にも実りのある情報を沢山いただけたように感じています。

ご参加の方々、情報を共有して下さいまして、ありがとうございました。


以前から僕は、NLPの中の『チェイニング・アンカー』という技法は
ストラテジーのインストールのために利用するのが効果的だと考えていましたが、
今回、その考えをより実感できたと思います。

何かの作業を効率的にしたり、上達したりするために、
今までに自分がしていたのと違う意識の仕方を心がけるように努力すると、
確かに継続的な努力によって新しい手順(ストラテジー)を身につけることができますが
それは一般的なトレーニングで体験の量が必要なように時間を必要とします。

特に重要なのが、ストラテジーと呼べるぐらいまで
詳細な意識の向け方の手順を調べたものを取り入れていく場合、
その過程で余計な意識の仕方を入れては良くないわけです。

別のところへの意識が加わった瞬間に、意識の仕方の手順が変わってしまいますから。
せっかく新しい効果的な手順を身につけようとしているときに
目的とする意識の流れの中に含まれていない雑念が入ってしまっては
結果的に別の手順を進めていることになってしまうということです。

そういう意味では、最初に新しい意識の手順を身につけていくキッカケとして
無理やりに雑念を含まない目的通りの手順を記憶させてしまうほうが良い。

記憶させる効率は決して高くはないかもしれませんし、
それだけで完全に身につくわけではありませんが、
始めの一歩を正確に踏み出すことは大きなメリットになると考えられます。

0から100を目指すとき、1が生まれてしまえば流れに沿って進められる。
ところが、新しく何かを始めるときには、100に向かう道筋の1を踏み出すのが
意外と難しかったりするものです。

スポーツなどで基本をシッカリとトレーニングするのは
この最初の踏み出しの部分で余計な癖をつけない効果があるでしょう。

NLPでストラテジーを取り入れていく場合には、
上手くいっている人の意識を、正確な流れで再現する必要があります。
そうでないと別物を身につけて違う結果になる可能性があるからです。

そこで、始めの一歩として、正確な意識の流れを作るために
チェイニング・アンカーで意識の手順を繋げてしまうというわけです。

で、やってみるとコレが確かに効果がありそうな印象でした。


特に今回は、「本を速く読む」という方法が見えてきた部分があり
実りのある時間になったように感じています。

人は内的に感じられる五感の情報に対して
それぞれの得意・不得意があって、意識しやすい感覚情報と
気づきにくい感覚情報とがあるようです。

本を読んで文章を理解する、という一見するとシンプルな内容においても
自分の内側でどのように感覚情報を処理しているかは人それぞれ。

逆に、同じような情報処理をしていても
その処理が行われている際に感じられる感覚情報を
何を中心に意識していくかにも違いがあります。

僕は個人的に、内部の声を聞くの敏感なようです。
内部の映像は意識はしていますが、あまり詳細には捉えていない印象。
映像は抽象化されたものを、そのままボヤっと見ている感じがします。

なので、本を読むときにも自然と声が聞こえるんです。
これは自分が読んでいるというよりも、文字が音になったものが聞こえる感じ。
これが話せないぐらいの早口で聞こえます。
一般的な会話の3倍速ぐらいでしょうか。

文章も文字で捉えるというよりも、句読点ぐらいまでの範囲をガバッと捉えて、
その捉えた範囲の文章が瞬間的に早口の音に変換されます。

僕にとっては、その音を聞くことが「本を読む」という行為。
話してもらっているのを聞いているのと同じ感じです。
同時に、その聞こえてくる内容に対して議論をしている印象もあります。

一方、フォトリーディングや、他の速読の中にも
この文字を音にせずに読むという方法が伝えられます。

今回は、その方法を運よく学ばせてもらえましたが
やっている作業は比較的、僕の読み方と違い部分を感じました。

多分、僕も文章を見た瞬間に内容の把握を始めているんでしょう。
ただし、その音を聞くことに専念している。

それを文字の絵づらだけに集中してスピーディに目を進めていくと、
いつも聞こうとしていた声を気にせずに目を動かしても
なんとなく内容が入ってくるのが実感できました。

速読で言われる「音にしないで読む」ということの意味は
「自分で心の中で音読をして発話をしながら読む」ことを避ける部分ではないでしょうか。

見た瞬間に聞こえてきてしまう感覚を持っている人の場合には
それは文字情報が既に、別の感覚情報に置き換えられていますから
理解を進めていくスピードは比較的速く保たれるように思います。

あとは、眼で文章のカタマリを追いかける速さの問題。
そのスピードを上げれば理解力は落ちるかもしれませんが、
内容把握は十分に可能でしょう。

僕の場合、本を読むことの重要な意味として
内容をインプットして情報を集めること以外に、
本の内容と議論をして自分の考えを整理していくことがありますから、
重要な情報整理の仕方としては、聞こえてくる声と対話する必要がありそうです。

それを必要とせずに、何が書いてあるかを把握する目的であれば、
音を無視して文字だけを写真のように取り込んでいく方法で
効率的に本が読めそうに思いました。


文章をカタマリとして捉えて、その内容を発話を介さずに理解するというプロセスと、
書かれている文章を心の中で発話しながら音読するときと同じプロセスで理解するのでは
随分と情報処理の仕方が違うと考えられます。

おそらく速読のポイント、文章の効率的理解のポイントは
発話の印象を含めずに、受動的に文章そのものを頭に入れていく感覚にある。
それが僕の現状での実感です。

そのときに文章のカタマリを写真のように映像的に意識していくか、
聞こえてくる声のように音声的に意識していくか、という部分には
本人が内的に感知しやすい感覚情報の種類が影響するだけで、
発話の感覚を含めないという作業内容自体は同じなのかもしれません。

本の読み方のタイプを内的に自覚していることとセットにしながら
脳の活動部位などを調べてみると、言語野の動き方にも
違いがあるかもしれないと僕は推測しています。
読書中のブローカとウェルニッケの活動量に差があるんじゃないだろうか?と。

そして個人的には、本を読むときに自然と聞こえてくる声を聞いていたわけなので
周りの話し声がノイズとして非常に不愉快だったんですが、
今回学んだ文字を写真のように取り込む方法を心がけると
周りが多少うるさくても文章の理解が邪魔されにくくなった実感もあります。

僕の場合、文字のカタマリを写真のように捉えて取り込もうとしても
目に入った瞬間に音声が聞こえてしまうんですが、
それを聞こうとしなくても良いという点が気を楽にしてくれました。

本と議論したいときは静かな環境で聞こえてくる声と対話をして、
情報をインプットしたいときは、声を聞かずに文字だけに集中する。
そんな使い分けもできそうです。


もちろん、「文字をカタマリとして捉えて、それを写真のように取り入れる」
という説明だけで、その読み方を実感するのは難しいはずですが、
そのときに何を意識すればいいかが分かると、
なんとなく内容が入ってくる実感が得られるようです。

この意識の向け方が、本を速く読むときの技でしょう。

そのポイントと、具体的な練習法、それからバックグラウンドの理屈を簡単にまとめ、
その方法をインストールするためのチェイニング・アンカーの技術を加えれば
一つの速読術としてアピールできそうなぐらいの内容かもしれません。

タイトルは『本は剥がして読め』とか『はがし読みスピード読書術』とかでしょうか。

本を読む以外の部分も含めて、人それぞれの技や才能を
色々と垣間見て、その一端を感じさせてもらえた時間だったように思います。

2009年11月21日

眼の奥が

以前から偏頭痛はあったんですが、
最近は今までにないタイプの痛みを感じることが多いので
チョット気になるところです。

大体、左目の奥から後頭部にかけて。
強くなると両目になることもある。

偏頭痛は脈打つ感じとか、症状の出るタイミングとかで
典型的な症状として納得感があって、この頭痛は「偏頭痛」だなと思えます。
でも、最近の痛みは調べても良く分かりません。

痛みの出る場所と、季節要因を考えると「群発頭痛」というヤツかとも考えられますが
「非常に痛みが強い」という話にまでは当てはまらない気もしたり。
偏頭痛のピークと同じくらいの痛みなので。


そういえば、去年もこの時期ぐらいにヒドイ頭痛に見舞われたことがありました。
それは確かに典型的な症状として記述されるように
「じっとしていられず動きまわってしまう」という感じだったのを覚えています。

あのときは本当に酷かった。
深夜に救急外来へ行って、痛み止めの点滴を打ってもらいました。

あれが群発頭痛の発作だと考えると、同じ時期に似たタイプの痛みが起きるのだから
分類としては群発頭痛に当てはまるのでしょうか。


頭痛で、うめき声をあげずにはいられないことは
痛みのピークになると結構ありますし、
主観的な体験に基準はつけられないものだとも思うので
やっぱりなんとも言えないのかもしれません。

重要なのは診断して名前をつけることではないはず。
そうは考えても、症状がハッキリすると少し安心するのも正直なところ。

激しい痛みは収まっても、目の奥の痛みが長く続くのは気になります。
また痛みが来るのでは?なんて想像するのも嫌ですから。


僕の注意は常に、目から額にかけての辺りに集中する傾向があるので
疲労が蓄積してくると頭痛に繋がりやすいのは当然だろうと思います。
感覚として自覚しやすいとも思われますし。

意識をお腹のあたりにまで下げる時間を取るのが必要な気がしています。
あとは、目を開けながらも自分の内側に籠っていく方法を身につけるか。

頭痛の肯定的意図も自覚してはいるんですが…。
自分の置かれているところを考えると対処が難しいかもしれません。

cozyharada at 23:41|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2009年11月19日

誰が書いたのか

コンビニの雑誌コーナーの前にある棚に
ビジネス書や実用書の類が置かれていることがあります。

過去に売れた商品をそのまま置いたり、印刷と製本の仕方を変えて置いたりして
売れ筋の本が販売されることが多いようですが、
先日、チョット気になる本を見かけました。

『おとぎ話の深層心理』。

これはメタファーの再学習としても、実際の物語を把握しなおす目的にも、
その物語の意味合いを分析するにも、役に立つのではないかと思って購入しました。

立ち読みするまでもなく、掘り出し物ではないかと期待して
早速レジに持って行ったんですが、なんとも不思議な本でした。

全体的にはユング心理学や精神分析の流れが色濃く出ているようにも感じるものの、
解釈の方向性として極端な印象を受けるものもあったように思います。

「この内容で出版して、それがコンビニに並んでいいのか」と
僕の中には、その大胆さに対する驚きが生まれました。

で、誰が書いた本かと本の中を探してみても
どこにも著者の名前が見当たりません。

一体、どういう位置づけの本なのでしょうか。
なんだか興味がわいてきました。

個人的には昔話そのもののストーリーを数多く読み直せましたし、
その昔話や童話の成り立ちを知ることもできたので良かったんですが。


いや、それにしても
過激な解釈が多かった気がします。

2009年11月18日

「美人薄命」仮説

人の注意は色々なところに向けられるものです。

意識は同時に2つのことをできないというのは必ずしもそうではない。
いくつかのことを同時に作業できます。

その中で、人によって意識しやすいところに個人差があります。
自分の体の外で起きている出来事を観察するのが好きな人もいれば、
自分の頭の中に湧き上がるイメージに敏感な人もいます。
自分の体の中に起こる身体反応を感じることを中心にする人もいます。

このような意識の向く部分には個人差があっても
注意の向け方を心がけていけば、あまり今まで意識していなかった情報にも
気づけるようになっていくはずです。

ただ、これは意識的な取り組みをすれば、という話。
人が普段、生きている中で自分の注意が向いているものに
個人的な偏りがあるなんてことを自覚する人は滅多にいません。

僕がこういうことを知ったのは、NLPを体験して、
それを自分なりに整理して、多くの人を見て、話を聞いて、
その中で気づいてきた過程があるからです。

僕の場合、感覚情報に注意を向けるという発想をNLPで学んでいなければ
こんなことは知らなかっただろうと思います。

ですから、自分の感覚情報への注意の向け方の癖を
他人と比較することなく自覚できている人は少ないと思うんです。
であれば、それを意図的に変えようとする人も少ないでしょう。


ところが、直接的に感覚情報への注意の向け方を変えようとするのではなく、
何かの目的のために、感覚情報に対する注意の癖が変わっていくことはあるようです。

僕は元々、体の内側で起きる反応を素直に感じ取っていた時期がありますが、
理系に進み、生物化学系という観察・分析主体の分野をやっていくうちに、
自分の体の外側に注意の対象の大部分を向ける癖ができました。

最近はコミュニケーションやら心理やらというのを仕事にするようになって
自分の体の内側にも注意が向くようになりましたが、
僕にとっては体の反応を比較的無視していた時期が長かったように思います。

そのような職業的なトレーニングによって注意の方向が変わることはあります。

自分の振る舞いをコントロールする仕事の人は
否応なしに注意の方向が自分の体の外側に向かいやすいでしょう。

自分の振る舞いの全てをコントロールするといえば、
典型的にはミス・ユニバースの代表になるような人たちです。

自分がどう見られているかを常に意識する人たちと言ってもいいかもしれません。
指先の動きや細かな姿勢、体の動かし方の細部にまで注意を向ける人。

それを「周りからどのように見られているか」という視点で観察しますから、
注意は自分の体の外側を客観的にモニターするようなところに移ります。
鏡に写っている自分をいつも見ている状態。

意識的に「美人」を作り出そうとしていくと
注意の大部分が体の外側に向いていくわけです。

人によっては「内面からも美しく」ということを言ったりしますが、
その場合の内面は、自分の考え方とか感情とかを指すことが多いようで、
それもやはり外側からどのように見られるかという発想に繋がっていたりします。

自分の感情さえも、その様子がどのように見られるかという観点で
意識的にコントロールしていく人までいます。

素晴らしいプロ意識だと思います。
それは確かに一部のスキもない美しさに結びつくでしょう。


しかし、感情は複雑なものです。
日常の様々な場面で、自分の体の中には複雑な身体反応が表れます。
生理的な反応が起こるわけです。

このような生理的な反応は、ホルモン類が引き起こす体の状態として
常に自分自身によってモニターできる仕組みがありますが、
強く外側に注意を向けるということは、この反応を無視している傾向と言えます。

体の外側に注意を向ける度合いが高いほど、
体の内側に起きる環境適応のための自然な反応に気づきにくくなるんです。

とりわけ、身体反応の変化は非常に複雑で、
一言で「怒り」の身体反応と呼べないような
色々な想いが入り混じった反応もあるものです。

それを感じないようにするのは、自分の気持ちのある部分にフタをするようなもの。
自分の本当の気持ちや体からのメッセージを聞いていない状態でしょう。

すると、その身体反応がストレス対応のものとして重要であったりすると
体はその反応というメッセージを自覚できるレベルにするために、
反応を強めたり、何か違った形の反応に変えたりする傾向があるようです。

つまり、体の痛みとして表れる。

ストレスを無視していると、体に不具合が出てくるというわけです。

程度問題の差はあれ、例えば、肩コリがあるというのは
肩コリの状態になる前から、目や首や腕に疲労感の身体反応を出しているものです。

それに気づかないか、気づいていても対処できない状況があって無視していて、
その結果として疲労が蓄積してくると、分かりやすいメッセージとして
肩コリという体の症状になって出てくる。
そんな傾向かもしれません。

肩コリになる前の体の反応を敏感に感じ取って、
「疲れてきたから休もう」とか「少しリフレッシュしよう」とか
そういう発想を抱ける人は肩コリになる前に体のケアができてるということです。

弱い身体反応のレベルで意識できるぐらい、常日頃から体の内側に注意が向いていれば
身体的な痛みにまで発展することは少ないと考えられます。

痛みは人にとって自覚しやすい重要な感覚ですから
ストレス対応のメッセージを痛みにして出してくるのは分かりやすい手段なんでしょう。

その痛みにさえ気づかなかったりすると
胃潰瘍のようなストレス性の病気になったりもするのだろうと思います。

運動をすることは、そのようなストレスケアの方法の1つですが、
体を動かして体に蓄積した疲労の状態を取り除く以外にも、
自然の体の内側に意識がいきやすくなる効果もあると考えられます。

僕はヨガを勧められたことが多いんですが、
ヨガをやれば体の内側の状態に注意が向きやすくなり、
それによって自然と体の内側とコミュニケーションする時間が取れるから
という理由もあるようです。

そして、美人の中にも同様にヨガをやる人がいます。
セレブの間で流行っていたりするのも理由でしょうか。

しかしながら、自分がどのように見られているかを常に意識する美人は
ヨガをやっていても自分の体の内側に注意を向けるよりも
自分のポーズが美しいかどうかに注意が向きやすいかもしれません。

すると体を動かすことで疲労は軽減されたとしても、
依然として体の内側に注意が向く機会は得られないままです。

例えるなら、体が「大変だよ」と教えてくれているのに
「まあまあ」と言って、なだめてしまう状態。
表面的なケアはしてくれても本当に大事なメッセージは無視されてしまう。

そういう状況が続くと、体のほうも最後の手段に出るのかもしれません。
痛みでもってもストレス反応を自覚してもらえないとなると
残りはもっと深刻な体の症状になってくる…。

推測ですが、そんな可能性もあるんじゃないかと思います。


美人は「自分がどのように見られるか」という外部の意識を高め過ぎるあまり
自分の体の内側に注意がいかなくなり、体からのメッセージを受け止めず、
体の内部に身体的な問題が蓄積していったりしやすいと考えてみる。

すると「美人薄命」という言葉にも、シックリくる部分があったりします。

全ての美人が短命ではありませんし、
世間で美人と呼ばれる人たちの中にも体の反応を自覚している人もいます。

実際には、自分の体の内側の反応と上手に関わり、
自分の中の問題をケアしていくことで、内面が外見に影響するケースのほうが
僕の身の回りでは頻繁に見て取れるんですが。

プロ意識とはいえ、片寄りがある部分には気をつけるポイントがありそうです。

2009年11月15日

涙の息づかい

「僕の初恋をキミに捧ぐ」という映画が上映中だそうです。
見てはいませんが、ともて悲しげな内容のようです。

テレビでも予告が流れていたりしますが、
この映画の主題歌「僕は君に恋をする」も、また涙を誘う歌です。

僕は聞いていると泣きそうになります。

平井堅という歌手が、そういう系統の歌を歌うことが多いため
その声を聞いた時に、すでに悲しみに浸りやすくなっている部分もあるでしょう。

メロディーラインやアレンジの仕方も、涙を誘う歌に多い傾向かもしれません。

こちらのyoutube のページでも聞けますが、僕が推測するに
この歌のポイントはサビの繰り返しのところでしょう。

繰り返しが印象を強く植え付けるというだけではありません。

この繰り返しのリズム、テンポ、息継ぎのタイミング。
ここが大きいと考えています。

特に、この歌手の歌い方の特徴がそれを強調します。
かなり呼吸音を強く入れるんです。

音楽を聞くこと自体が、もともとトランスに導きやすい効果を持っていますが、
その中に一定のリズムと繰り返されるメロディーラインがあるので
そのトランス誘導の効果は高いと言えます。

さらに呼吸音が入る。

聞いていると無意識に呼吸を合わせやすくなると考えられます。
少なくとも、その呼吸をしている状態が引き出されやすくはなる。

呼吸を中心にしてトランスに導かれ、その呼吸の状態が引き出されるわけです。

そして、肝心の呼吸の状態に関して。
ここで繰り返される音符の長さと呼吸のタイミング、肩で短く強く吸い込む息づかいが
泣いている時の嗚咽の感じに近いように僕は分析をしています。

呼吸に合わせているだけで、悲しい感じが体感できる人もいることでしょう。

作曲の段階でそんなことを意識しているとは思えませんが、
感情を乗せるように曲を作ると、自然に息づかいなども
その感情を反映しやすいものになったりするのかもしれません。

ヒット曲を息づかいで調べてみるのも面白いような気がしています。

cozyharada at 23:03|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2009年11月13日

音源の場所

最近は色々と無料ダウンロードの音声ファイルなどが手に入るので
たまにそういうのを聞くことがあります。

先日、移動中に音声を聞こうとしてMP3プレイヤーに入れて持って行きました。
で、イヤホンを使って聞いてみたんです。

すると話し声が耳元で聞こえます。
頭の上というか、後頭部あたりというか、
頭の中心よりも後ろ側から聞こえる感じがします。

すると全然、内容が頭に入ってきません。

同じ人の話を実際に聞いたこともありますし、
同じく音声をCD教材で聞いたこともあります。
そのときは内容が入ってくる。

なのに、イヤホンで聞くと途端に理解力が落ちる感じがします。

なんというか、自分で頑張って音の聞き方を工夫しないと
それを理解に繋げられない印象があったんです。
まぁ、しばらく聞いているうちに慣れてきましたが。


おそらく、僕は人の話を聞いて理解するときには
自分の前側から声が聞こえてくる状態でインプットしているんだと思います。

そして、そうやって前から音を受け取って、
話の内容も自分の頭の外で組み立てる感じがあります。

体の中に入れて感じるというよりも、目の前に話を組み立てていく印象。
イメージや概念の組み合わせを顔の前に作り上げていくような方法です。

なので、聞いた話というのは自分と違うものとして
客観的に組み上げられていく感覚があるんです。

ただし、僕の顔の前には多分、いつもそういう概念の組み合わせのような構造があって、
それが僕の理解している客観的な情報体系になっているようです。

話を聞くときは、相手の言葉の内容を、僕の顔の前にある情報の体系と重ね合わせて
元あった情報の体系をリニューアルする形で内容が整理されていきます。

そのときに聞いている内容に矛盾があったり、
僕が作ってきた情報の体系に取り込もうとした時に繋がらない部分があると
話の内容と議論するような声が内側から沸きあがるような気がしています。

そういう話の聞き方をして、目の前に客観的な情報理解の体系を作るので
話が聞こえてくる場所というのは、その情報体系を描く場所よりも奥のほう、
前側にあるのが便利なんだと思います。

声の聞こえてくる場所と、自分の顔との間に、理解した内容を浮かべる場所がある。
そんな感じです。


一方、自分の体の中で体験して感じている内容も言葉にするときはあって、
その場合には目線を下げて、胸の中心か胃のあたりを眺めるような状態になり
ノドの奥のあたりでお腹に向かって独り言をつぶやくような心の声が聞こえます。

このノドの下あたりから腹部に向かって、体の中を通すような声を聞くやり方が
僕にとっての主観的な想いを言語化するときなんでしょう。

イヤホンを使って、耳元で声を聞く場合は、若干この印象に近いようです。

実際にイヤホンで聞くときは、後頭部から口のほうへ向かって
声が通っていく印象がありますが、声のトーンによっては
もっと低いところを通ることがあります。

なので、催眠的な声で語られる内容は、イヤホンのほうが体に染み込む感じはします。
イヤホンを使って、お腹に響くような声でメッセージを聞くと
なんだか自分を納得させられているような気分を感じます。

後ろから押さえつけられる感じというか、押し込まれる感じというか、
とにかく必要以上の説得力や受け入れやすさを感じてしまうんです。

この印象が僕だけのものかは分かりませんが、
他にも同じような聞き方をする人はいるだろうと推測されますから
その点では目的に応じて音の聞き方を変えるというのも役に立つ方法でしょう。


僕は本を読むときにも、目の前から心の声として本の内容を聞いていますので、
本を読むという行為は、他の人の話を聞いているときと近いわけです。

こういう理解の仕方をする人は、きっと音声教材をイヤホンで聞くのが
あまり好きではないような気がします。
むしろ自分で、その内容を文章から読んだほうが内容を理解しやすい。

逆に、相手の話を聞くときにも、文字で書かれた内容を理解するときにも、
自分の体の中に声を通して、自分が発話するようにして納得していくタイプの人は
きっと本を読むよりも朗読してもらったのを聞くほうが効率が良いのではないでしょうか。

人それぞれ、文章の内容の理解の仕方があって、
その方法に近い形で情報を客観的にインプットできると
きっと効率的な理解の仕方が可能になると思います。

同じ内容を色々なパターンに合わせて表現して作れたら
多くの人に伝わりやすいものになるかもしれません。
まぁ、技術的にも労力的にも大変でしょうが。


ちなみに、音を聞くという意味で言うと、音楽を聴くときも同様だと思われます。

目の前に置いたスピーカーから聞こえてる音楽と
イヤホンやヘッドホンで聞く音楽とでは随分と印象が違う気がします。

僕は特に、音楽を見るように聞く癖があったので
スピーカーのほうに向いて音楽を聞いていました。
それをイヤホンやヘッドホンにするだけで、かなり体に響く感じになります。

確かに、以前からイヤホンで聞くほうが気持ちが入りやすかったんですが、
それは音の聞こえてくる場所の影響もあったんだろうと思います。

音楽の場合には、体の後ろ側から聞くというケースもあります。
楽器演奏を後ろ側に置いて歌うようなライブを行う人たちは
背中側から音楽の響きを受けることになります。

BGMを後ろ側から聞く状態というのは、かなり体に響きやすく
その音楽の中に包み込まれて入り込みやすい状態だと考えられます。

コンサートやライブで歌手がノリノリになるのには
あのバックバンドの存在の意味もあるように思います。

合唱の人たちが数列に並ぶのも、一体感とともに
全員の声に体が包まれるようにして歌を聞けることで
その歌の中に入り込みやすい効果がありそうです。

後ろからの声というのは、それ自体が力づけの印象を与えるのかもしれません。

こういう調査を実生活に利用できる形にしてみたいものです。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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