2009年12月

2009年12月30日

直面するエネルギー

人は、自分の内面の状態に気づくことができても
その状態が何によって起こっているものかまでは、
なかなか自覚するのが難しいものです。

電車の中でイライラしていた状態を引きずったまま会社にいって
部下の仕事の失敗に対して吐き出してしまったり。

セミナー会場の圧迫感や匂いの不快感を
セミナーの内容への不満に投影してしまったり。

自分の内面に深く気づくのは大変かもしれません。


ところで、NLP「でメタプログラム」と呼ばれる人間の性質の分類法に
(NLPでは人間の最上位のプログラムだと言われていますが…)
「目的志向型」と「問題回避型」の両極に注目するものがあります。

何かを行動したり、考えたりする時に
○目的・目標とするところを意識しやすい人
○問題を回避しようとするところを意識しやすい人
がいる、と。

単純に「目的型」と「回避型」と呼んだり、
「目的追求型」「問題回避型」と訳されたりすることもあるようです。
何かに「向かっていく」感じか、何かから「離れようとする」感じか。
そんなイメージでも良いでしょう。

進んでいきたい目標に目を向ける傾向と
避けたい現状の不満に目を向ける傾向という分け方です。

こうした傾向は、僕には表面的なものに思えるので
その傾向を作り出す内面的なプロセスは色々とあると思います。

物事の時系列や因果関係を幅広く意識できる人であれば
現状の不満を回避することと、回避した結果として進みたい方向を意識することは
あまり大きな差としては自覚されないでしょう。

言葉の言い回しとしては「〜にならないように」という注意が出るかもしれませんが、
それも現状の不満を避けるためだけに使われる言葉ではなく、
目標達成に向けたリスクマネジメントとして出てくることもあります。

多くの関係性を同時に考えられれば、
あまり強い目的志向の雰囲気は出ないとも考えられます。
複数の可能性を考えるので、目的が1つに特定されにくいからです。

一方、物事に1つ1つ集中して取り組み、その瞬間を最大限に体験していく人は
物事の因果関係を同時に捉えるというのが難しいものですから、
その状況によって目的志向の傾向と、問題回避の傾向が強く表れると考えられます。

その瞬間に目的に意識が向いていれば、そのことに集中する。
その瞬間に問題に意識が向いていれば、そのことに集中する。

不満ばかり口にするや、不快な対応に文句を言いたくなるときなどは
問題状況に集中して体験している状態と言えます。
そうなると、問題回避すらしようとしていない状態でしょう。
問題志向とでも言ったほうが良さそうなぐらいです。

2つに分けようとすれば、問題について話をしているので
「問題型(問題回避型)」に分類されるのかもしれませんが、
その問題から「離れようとしている」かと言われれば、必ずしもそうではない。

問題に集中している時は、逆に目的を意識させることで
「目的志向」の発想に導くこともしやすかったりします。

1つの出来事に集中して入り込む傾向がある場合には
「目的型」も「問題型」も強く表れるということです。
そのタイプの人が何かの目的を強く意識すれば、
自然と「目的型」の雰囲気は強く出てくるでしょう。

「目的」か「問題」か、あるいは「向かう」か「避ける」か
だけでは説明できない部分もあるということを分かった上で、
傾向の分類を利用するのが大切だと僕は思います。


また、一般的なイメージからすると
「目的志向型」のほうが目標に向かってモチベーションを高く持ちそうですが、
変化に向かって進んでいくエネルギーの強さと、
「目的志向」・「問題回避」の傾向は無関係です。

目的を強く意識していながら、目の前の一歩が目的と結び付けられず
なかなか前に進めないような人もいます。

目的を意識しているつもりが、本当の問題から目を背けているだけで
現状維持を続けていくこともあります。

問題に強く入り込んで、身動きが取れなくなってしまうこともあれば、
問題を回避しようとして強烈なエネルギーを発揮することもあります。
強い後悔がエネルギーになって変化を引き起こすことは多々あるものです。

物事の関係性を幅広く捉えて、リスクマネジメントを上手くできる人は
目的に向かってガンガン進むようには見えないでしょうが、
一歩一歩着実に前に進んでいくこともあるでしょう。

前進していく、変化していく力があるかどうかは、
目的志向、問題回避とは関係なく、その人の自信やセルフイメージと関係します。

重要なのは、自分がどうなりたいかを、自分自身と向き合って気づいていくこと。

そのためには、目標・目的を設定して行動を起こし、
それを少しずつ修正していくという方法もあります。

ダイレクトに、自分にとって最も重要なテーマへ目を向けて
本質的な不満や欲求を満たしていく方法もあります。

どちらにせよ、自分と向き合って、自分の進んでいる方向を吟味するのが肝心です。
そして、自分と向き合うのは負荷のかかる行為です。
エネルギーが要ります。

ですから、自分と向き合うエネルギーを持っていて、
変化への強い動機がある場合には、自分の不満に目を向けるほうが早いわけです。

エネルギーがない場合には、エネルギーを上げていくほうが優先されます。
そのときには自信をつけていくプロセスが役立ちます。
コツコツと目標に進んでいる実感が自信に繋がることもあります。

「目的を意識するか、問題を意識するか」よりも
「どれだけ自分と向き合える状態か」のほうが大事だということです。
そこに合わせて関わるのが大切だと思います。


特に、ある程度エネルギーがあって、
前に進んできた結果として自信をつけてきたような人が
目的志向の傾向を強く持ち続けてしまうと、
自分の内面と向き合う部分が少なくなってしまうことがあります。

自分と向き合いながら目標に向かって進み続けていけば
何を自分の目標と設定するかが見えてくるでしょうが、
1つの目的に向かって進んできた流れのままで目的を持ち続けてしまうと
自分の内面と向き合うことをしなくなることがあるようです。

 仮に大きな不満を2つ持っている人がいたとします。
 その人が1つの不満をベースに、目標を設定して目的志向で進んでいく。
 目標が達成されるたびに次の目標を設定して、満足度も上がっていきます。

 それでも目標に限度はありませんから、次々に目標が更新されるでしょう。
 その方向では十分に満足が得られてきていても、
 更新された次の目標を達成することが目的になります。

 その一方で、もう1つの不満のほうには目が向けられていないまま。
 自分と向き合うプロセスを十分に取っていれば、
 もう1つの不満を満たす方向での目標だって設定できるはずです。

 でも、自分と向き合うことを十分にせずに、目的志向だけを強め過ぎると
 いつまでも違った方向で目標を達成し続けていくことになってしまうかもしれません。

目標や目的は、現状から離れたところにあります。
目標と現状の両方を意識することが重要ではないでしょうか。

目標や目的ばかりに集中していると、現状の自分の気持ちに向き合えません。
現状の不満ばかりに集中していると、どうなれれば良いかという目標が見えません。

両方が大事なんです。

人は自分の気持ちを明確に意識するのが難しいようです。
不満があっても、それを違う形で対処しようとしてしまうことはザラにあります。

現状の気持ちに向き合い、それに見合った目的を決める。

その意味において、「目的志向型」が「問題直面の回避型」になっていないか、
「問題回避型」が「目的意識の回避型」になっていないか、
十分にチェックする必要があると思います。


どうやら昨今は不安の多い時勢のようです。
多くの人が漠然とした不安を抱えている。

それに対して、その不安に直面できずに何かの目標に意識をズラす人もいます。
不安な気持ちに浸ってしまって、嘆き苦しむ人もいます。

全体が不安に満ちて、エネルギーを失いそうに見える状態だからこそ、
力のある人が不安の状態に向き合って、本当の目的を探すタイミングなのかもしれません。

願望実現や目標達成は素晴らしいですが、
不安の中核に直面していける人も大切だと思うんです。

今後は、そういう技術が求められていくような気がします。

その会話は
「あなたの目標は何ですか?」とか
「あなたの抱えている問題は何ですか?」
とかから始まるものではないでしょう。

きっとこんな感じです。
「今回、取り組みたいご自分のテーマは何ですか?」

cozyharada at 17:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2009年12月28日

顔と名前

忘年会がありました。
結構な大人数で。

一年を振り返ると、今年も大勢の方々に出会ってきたことを思い返します。
何月には誰がいたかなぁ、なんて想像すると、沢山の顔が目の前に浮かびます。

ただ、去年以前の方になると、顔は浮かぶけれども
誰と誰が同期の仲間たちかというのまでは分からなくなってしまったり。

そんなときは、顔の浮かぶ人と一緒に過ごした部屋を思い返します。
その部屋に大勢の人がいた場面を思い返し、動画で再生しながら
カメラの位置を動かしていく感じ。

すると、「あの辺に○○さんがいたなぁ」なんてことが浮かんできます。
その方法が、誰と誰が同期かを思い返すのに効果的みたいです。


しかしながら、残念なことに顔が浮かんでも名前まで出てこないときがあります。

名前は経験に対するラベルとして僕の中に定着していますから
沢山の経験を1つのラベルに結びつけるのが思いだしやすくするポイントのようですが、
『顔から名前』という順番で出てきにくくなってしまうと
その引き金だけで名前を探すのが難しい状態にハマってしまいます。

名前の文字を見て顔を思い出すのは楽なんです。
ラベルから経験を引き出すので、沢山の情報が釣られてきますから。

で、僕が通常のパターンとして名前を思い出すときは音を引き金にするんです。
誰かが名前を呼んでいるような声の響き。

そして、自分で名前を呼んでいる時の声の感じと、
その名前を発声するときの体の感じを引き金にします。

なので、「こんな音の雰囲気だった」とか「や行だった気がする」とか
そういうところまでは出てきやすいんです。

そのやり方で出てこないときが厄介。
思い出せそうで思い出せない、あの気持ち悪い感じになってしまいます。

まぁ、それを気にしなくする方法もありますが、
僕の個人的な趣向としては、思い出せないものは何としてでも思い出そうとするんです。


忘年会から帰ってきたときも、例の気になる状態に陥っていました。
あの人の顔は浮かぶけど、名前は何だっけ?と。

どの部屋で、どんな関わりを持って、どのワークをやって、
どんな仕事をしている人で、どんな表情や姿勢をしていたかは浮かぶんですが、
名前が呼べない感じ。

もし、名札の束や名簿があって、これまでの受講生の方々の名前を
文字で全て見ることができれば、きっと思い出せるとは思います。
でも、自宅にそれはない。

そこで思いついた方法が、『日本人のよくある名字ランキング』のサイトを見ること。

大体、上位5000ぐらいの名字がありますから、
上のほうから1000ぐらいまでをパーっとスクロールしていけば
引っかかるヤツが出てくるだろう、と。

結局、そのときは「あ行」か「や行」ぐらいまでしか出ていなかったものが、
「内山」という文字を見た瞬間に、気になっていた名前が出てきました。

まぁ、「内田」さんだったんですけど。

僕の中の、その人に関わる体験記憶から、文字情報の引き金を使って
ラベルを引っぱり出すことができたわけです。

字面というか文字の印象というか、そうした視覚的なものと
「うち」という音の響きが探していた情報とマッチしたのでしょう。


思い出しにくい名前というのは、決して珍しい名前ではないことが多いので
上位1000ぐらいの名字を探せばいいんです。
たいして時間はかからない。

普段と違う引き金を使うと、思い出しにくかったものが出しやすくなると思います。

記憶術の中には、全く無関係な情報を1つの引き金情報に結びつける方法がありますが、
現実的に利用価値の高い情報を記憶の中に定着させていくためには
沢山の引き金から思い出されるように情報を整理するのが良いような気がします。

人の名前を覚えるのは良いトレーニングにもなりそうです。

2009年12月26日

1月の勉強会

1月の勉強会のお知らせ

2010年最初の勉強会は、シンプルに核心に迫ります。

コミュニケーションの中で、どこまで相手に踏み込んでいくか、という部分。
『問題の焦点化』の方法です。

職業的なコミュニケーションにおいては欠かすことのできないポイントであって、
プライベートなコミュニケーションにおいても役に立つ内容です。

人は自分の目標や課題、問題や悩み、不満などについて話をするとき、
自分自身でさえ、その話の内容で求めていることが分かっていないものです。

カウンセリングや福祉の相談援助に来る方のように
そのテーマが複雑に絡み合ってくれば、
自分の本当の要望に気づくことは、さらに難しくなるでしょう。

絡み合った問題の中核を把握して、相手と話し合った上で取り組む方向を決める。
特に、今回は健康度が高く、力のある相手に対して、
短時間のうちに本質的な問題に絞り込んでいく方法を扱います。


例えば、「英語を話せるようになりたい」という目標があったとします。
この目標は、本人が自分の中にある漠然とした要求を感じ、
それを解消するための方法として本人なりに最適だろうと思って選んだ内容です。

仮に「不景気な時代だから、英語でも話せたほうが仕事上で有利だろう」
と考えて「英語を話せるようになる」という目標を立てたのだとしたら、
本質的な部分では「漠然とした将来への不安」を感じているかもしれません。
さらにその奥底には「自分の存在価値への不安」があるかもしれません。

別に英語である必要はないわけです。
同じ内面の状態を解消するために、資格を取ろうとする人もいるでしょう。
不安を感じないようにするために、日々の業務を一心不乱に取り組む人もいるはずです。

その内面の状態を感じ取りながら、何をしたら良いかが見つからない場合には
漠然とした不安として問題が語られるかもしれませんし、
目先の状況と結びつけて解釈がなされたら、
「不況で人員が削減されて、仕事の負荷が増えて耐えられない」
といった問題として意識されるかもしれません。


日程のご都合などで勉強会に参加いただけない方のためにポイントを説明してしまうと、
大きく分けて
 ー分の内面の奥底で求めているものが、本人にも自覚できていない
 △修陵弋瓩鯔たしていくための方法が分からない

という2つの段階に分けて考えると分かりやすくなるでしょう。

『焦点化』という作業は、)椰佑自分の内面の要求に気づき、
その要求を△匹里茲Δ癖法で満たしていくかを決めるプロセスと言えます。

ここを切り分けて考えるだけで、相当シンプルに取り組めるはずです。

なお、職業的にコミュニケーションをする場合、ここでの△良分で、
自分が提供できるサービスを通じて要求を満たす提案をすることになります。

心理療法やNLPでは、△陵弋瓩紡个靴撞史,筌錙璽、課題を行い、
それによって内面的な変化を引き起こして要求を満たしていきます。
ですから、その場合には3番目のポイントとして
 「その要求を生み出している本人の中の内面的課題」
も考えることになるわけです。

こののポイントとしての内面的課題が、一般に
「ビリーフ」とか「信条体系」とか言われる部分と繋がります。

これら3つのポイントを押さえておけば、いわゆる『問題の焦点化』、つまり
コミュニケーションを通じて相手の本質的な要求を把握するプロセスが
混乱することなく進んでいきやすくなるでしょう。

今回の勉強会では、この3つのポイントを把握しやすくするための着眼点として
発達段階に関しても解説をする予定です。
一般論として知識を持っていることが役立つケースは多々あります。


ハッキリ言ってしまえば、今回の勉強会におけるメインの内容を
すでに公開してしまっているようなものですが、
こうした言語的な説明にトレーニングを通じて体験的学習を加えていくことが
実感を伴った理解につながるものですから、ここで先に説明してしまえるんです。

地味な作業ながら、やるべきことを明確に把握してしまえば
自信をもって取り組めるようになると思います。
厄介なのは、「やりたいことは知っているつもりなのに、
できているかどうかも分からず、何をしたらいいかも分からない」
という状態でしょうから。



そして、プライベートなコミュニケーションの場合には
相手自身が、実際には問題解決を望んでいないままで話を始めることもあります。
すると、聞く側の対処の仕方は、もっと複雑になっていきます。

コーチングやNLP、カウンセリングの質問は、
「変わろう」という意志がある相手に対しては効果的ですが、
日常的なコミュニケーションの場面ではダイレクト過ぎて、
聞いてしまっては野暮な内容のものもあります。
どんな言葉をかけるのが適切かを良く考える必要があるでしょう。

何より、本人が漠然とした要求にしか気づけていない状況で焦点化を急ぐことは
過度な負担をかけることになりかねません。
相手が期待していることに合わせていくのが大切です。

この点に関しては、焦点化の段階で「どこまで深く入っていいのか」
感じ取りながらコミュニケーションをするトレーニングを積むことで
ある程度の対処法が掴めてくると考えられます。

プライベートなコミュニケーションで悩み事を聞くのは、本当に難しいものです。
だからこそ、原則を押さえておくことが外せません。


以上のように、今回の勉強会の内容を予告してきました。
内容は『問題の焦点化』に関して。

タイトルは『潜在的な問題とニーズを把握する』とでもしましょうか。

前向きに「変わろう」という意志を持っている相手に
対応していくには欠かせない技術でしょう。

そして、自分の本当の要求を満たしてくれる人が
その他一般の対応と、大きな差を持っていることは言うまでもありません。

身につけるためには地道なトレーニングが必要な技術ではあると思いますが、
だからこそ機会を見つけて取り組んでいただきたい内容でもあります。

2010年は、新春の特別ワークショップという形を取らずに
普段通りの勉強会の体裁で行います。

地味な取り組みは、気楽にやったほうが負担も少ないでしょうし、
形式のシッカリしたセミナーだと「学びとろう」という
期待が強くなり過ぎるケースもあるような気がするためです。

新年の初めに、本格的なコミュニケーション・トレーニングの第一歩として
ウォーミング・アップ程度のつもりで気軽にお越し頂けましたら幸いです。

勉強会の日程が近い段階での告知ですが、
ご都合がつきましたら、是非ご参加ください。


  ※最近は多くの方からお申し込みを頂いています。
   定員を設けていますので、ご注意ください。
   定員を超える場合には先着順での受付とさせて頂きますのでご了承下さい。


  ※勉強会の趣旨に関しましては、こちら(勉強会070725)をご覧下さい。


詳細は以下のとおりです。


【勉強会の詳細】


【日時】 1月11日(月・祝)

     ◆午前の部 10:00〜12:30  
     ◆午後の部 13:30〜16:30


     ★午前の部のみのご参加も可能です。
      「午前」もしくは「両方」でお申し込み下さい。



【場所】 滝野川会館 303集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)


【参加費】当日、会場にてお支払いください。
     
     ◆午前の部 ・・・4,000円  
     ◆午前・午後の両方 ・・・7,000円

    
    
テーマ: 『潜在的な問題とニーズを把握する』
     〜テーマを焦点化する技術〜


 *多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、
  学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
  ご了承ください。




カウンセリングの流派によっては、親身になって相手の話を聞くことを大事にします。
相手の気持ちを共感しようとするものです。

相手が困ってきたこと、その中で抱えてきた気持ち、様々に入り乱れた内情を
丁寧に聞いていくわけです。
そして本人が自分で気持ちを整理し、気づきを得て、解決に進んでいく。

また、心理療法の中にも、コツコツと時間をかけながら努力する方法があります。

問題の本質が何であるかよりも、目前に困っていることを少しずつ解消していく。
それを繰り返すことで、「自分で問題が解決できる」という自信が生まれます。

着実に前に進めるように力づけの手助けをするスタンスと言えそうです。

本質的な問題を焦点化するという発想は、それらの方法とは随分と違います。
相手に負荷をかけるやり方でもある。
本人の力を必要とする方法でもあるでしょう。

だからといって、それが共感や力づけのような優しさを伴わないものかと言えば
そうではないように思えます。

本人は自分の力で何とかしようと頑張ってきた。
その中でも困っているところがある。
そんな状況で、一分でも早く問題解決ができるような手伝いをするわけです。

これ以上、苦しまなくて良いように。

時間をかけて大切に取り組むという優しさもあるでしょう。
それは量の取り組みです。

一方で、一刻も早く前に進めるように努力する優しさもあると思います。
時間をかけない代わりに、質を重視した取り組みをするということです。

時には親身になって寄り添ってくれるだけで十分な場合もあります。
時には解決の手伝いをしてもらうことが役立つ場合もあります。

であれば、両方できるに越したことはないと思いませんか?

参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。
(*は必須項目です)


終了しました

トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています

cozyharada at 23:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!セミナー情報 | NLP

2009年12月25日

特別な賑わい

クリスマス前後の街中は、商売チャンスを活かそうと頑張っているように見えます。
ケーキとチキンは、一年でも最も売れるタイミングでしょう。

一方で、和食系統の居酒屋などは客足が鈍い様子。

道の色々な場所で、サンタクロースの格好をした人たちも見かけられます。
コカコーラ色の衣装をまとった店員が特売品のケーキを店先で売ったり、
スターバックスでもプレゼント用の商品を出店で売っていたり。

飲み屋の近くには普段と違う呼び込みの人もいました。
中には、サンタクロースの格好のままで道端に座り込んで、
缶コーヒー片手に煙草で一服、という様子も。

普段であれば気にならなかったかもしれない姿も
サンタクロースの衣装が違和感を際立たせていたようです。


欧米の文化圏では、もっとクリスマスが神聖なものなのでしょうが、
日本においては、かなり現実的でビジネス的に意味のあるイベントのように感じられます。

お祭りにおいても宗教的な意味合いをあまり感じることなく
シンプルに楽しむためのイベントとして遊ぶ人も多いと推測されます。

本来は儀式としての意味合いを含んでいた行事が色々な文化圏から取り込まれ、
お祭り騒ぎのイベントに変わって取り込まれていく。
日本には、そんな文化があるのでしょうか。

不謹慎だとか、金儲けに踊らされているとか、経済効果がどうとか、
色々な見方ができるとは思います。

ただ僕は、現代の日本人が何かにつけて、お祭り騒ぎを楽しむこと自体にも
大切な意味合いがあるように思うんです。

その行事の意味なんて関係なく、単純に気分を晴れやかにする。
開放的になったり、街全体が少しウキウキしたような雰囲気になること。
それが日頃の日本人の国民性にとって
必要なバランスの取り方ではないか、ということです。


国民性という表現の仕方とは少し違いますが、
例えば、渋谷と新宿と銀座と六本木では街を歩く人々の雰囲気が違うように、
ある程度の広い範囲で人々をまとめて見たときにも
全体から感じ取れる人柄や気分の共通点みたいなものがあるわけです。

そういう点で言えば、日本人は全体的にマジメに働いている様子がある。
平日の人々の雰囲気は決して陽気とは言い難く、真剣さや必死さが見てとれます。
セカセカしている人もいれば、落ち着いている人もいますが、
どちらにしても陽気でお気楽という感じではないでしょう。

日本人全体の雰囲気として、マジメに過ごしている時間が多いと考えられます。

週末は多少、気楽な雰囲気が出るようにも思えますが、
どちらかというとリラックスの方向に雰囲気は移るようです。
平日の疲れを癒すような感じなのかもしれません。

また、土日とはいえ、日本人は仕事をしているケースもありますので
欧米のようにハッキリした休みの日ということもないように思えます。

日本人の雰囲気がガラっと変わって感じられるのは
週末に近い曜日の夜中でしょうか。
居酒屋や繁華街の酔っ払いの様子は、そうしたマジメな状態から離れ
ダラーッと緩んだ様子に見えます。

ピンと張り詰めていた糸が、ゆるんだような状態です。
大騒ぎして楽しそうな雰囲気に見えるかもしれませんが、
その内面は意外とダラけているはずです。
ドローンとした鈍い感じ。

日本人は、全体的に張り詰めたマジメ状態と、それを緩めたリラックス状態の間を
行き来する日常を送っていると考えられるわけです。


で、それが特殊なイベントの時になると、一気にテンションが上がる。
普段の張り詰めた感じとも、ダラーン、ドローンとしたリラックスとも違った
気持ちが引き締まりながらウキウキと弾む状態です。

いわゆるお祭り騒ぎのテンション。
マジメやリラックスとは異なった、陽気に楽しい感じでしょう。

普段あまり前面に出して感じていない陽気な雰囲気を、
街全体の雰囲気として実感していくタイミングが
日本人が沢山取り入れてきたお祭り騒ぎ的なイベントのようです。

そうやって普段あまり表現していない部分を前面に出す時期を取ることで
全体的なバランスを取って心身の調整をしていると考えられます。

クリスマスなどのイベントごとは、マジメな日本人にとって
とても大切な欲求を開放して表現させるための「言い訳」とも言えそうです。

普段とは違う特別な日として、「クリスマスだから」という言い訳を用意する。
そうして普段は抑えている部分を認め、開放し、許していくプロセスが
健康的に生きていく上で大いに役立っているのでしょう。

「自分を許す」という部分においては、間接的でビジネスベースの現実的な方法ですが、
本来の宗教的な意味合いに、多少は近寄っているとも言って良いのではないでしょうか。


それにしても、30人ぐらいのサンタクロースの行列を見たときは
ちょっと妙な感じがしました。

最後尾を一人だけトナカイが歩いていたんです。

通勤ラッシュのようにサンタクロースでギュウギュウ詰めのソリを
一匹のトナカイが頑張って引いている様子をイメージすると
なんだか滑稽な映像になってしまいました。

cozyharada at 23:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2009年12月23日

誰の言葉か

心理、自己啓発、成功法則系のセミナーや本に触れていると、
「チャンスの女神には前髪しかない」
というような表現を耳にすることがあります。

前髪しかないから、通り過ぎた後にチャンスを掴もうとしても遅い。
後悔するよりもチャンスだと思ったら、すぐにやらなくてはいけない。
そんな意味として説明されます。

で、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿の中にも
「幸運がやってきたら、迷わず前髪をつかめ。
 後ろ髪はないのだから。」
という文章が見つかります。

どうやら、元々、レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉らしいです。
それが独り歩きしている状態。


気の利いた言葉だと思いますし、「なるほど」と思わせるところもあります。
セミナーなどで引用されるほど共感されやすい言葉なのでしょう。

自己啓発や成功に興味のある人には、
チャンスを逃して後悔する人が多いのかもしれません。

こういった名言のような言葉の中には、誰が言ったものか定かでないまま、
何度も引用され続けて有名になっていったものも多いようです。

一方で、有名人の言葉として語り継がれるものもある。

レオナルド・ダ・ヴィンチといえば、「超」がつくほどの有名人でしょうから
彼の残した言葉ということになれば、聞いた人も先入観から
とても価値のあるメッセージのように感じることが予測されます。

にもかかわらず、意外と、誰の言葉かを知らないままに広まっている様子。

たまたま最初に言い始めた人が、どこかで読んで
記憶の片隅に残っていた程度だったのかもしれません。
それを聞いた人が言い広めていったような流れだったりすると、
誰の言葉を引用したものかが不明瞭になままで名言として有名になるでしょう。

とはいえ、誰かがレオナルド・ダ・ヴィンチだということを調べたときに
その情報が付加された形で広まっていっても良さそうに思うんです。

1つの可能性として、レオナルド・ダ・ヴィンチには
他に有名な作品があり過ぎるのではないか、と考えられます。

「モナ・リザ」や「最後の晩餐」など、名画として知られるものが有名。
それが絵という形になっていますから、なんとなく知った気にもなれる。

アインシュタインの言葉になれば、「相対性理論」という言葉は分かっても
その意味までは実感して分かる人は少数でしょう。
すると、アインシュタインの凄さを分かった気になりたい人などは
アインシュタインが言っていた言葉を名言として引用したりするのではないか、と。

レオナルド・ダ・ヴィンチに関していえば、他に有名で
しかも分かったような気になれる作品が残っているため、
名言があったとしても、そこに「その人らしさ」を求めなくなる、ということです。

言葉以上のインパクトがある作品を残したため、
その人の名言という捉え方のインパクトが薄くなっていったように思うわけです。

それぐらいに価値のある作品を残せる人生は凄いものですね。


それに、そもそもレオナルド・ダ・ヴィンチが
幸運にまつわる言葉を残していたとしても、
その言葉の裏側にある真意までは分かりません。

結局、その言葉に触れた人が自分にとって納得できる意味を読み取るだけのことです。

言葉が都合よく解釈され、真意を捻じ曲げられた名言もあったかもしれません。

気の利いた言葉は心に残りやすいとは思います。
だからといって、軽々しく、誤解を含みながら言いふらされた名言は
ちょっと気の毒な気もします。

名言を引用するとき、多くの人は、その言葉だけを話すわけではありません。
何かの話の流れの中で、名言を追加する。

ということは、話し手自身の考えや想いを補足するために
過去の名言の言い回しの上手さと、その人のネームバリューを
借りているに過ぎないわけです。

別にそんな名言を利用しなくても、自分の考えだけを話せばいい。
それをもっと大事なこととして伝えようとしたとき、
有名人の名前や名言の見事な言い回しを利用しようとするのでしょう。

場合によっては、元々その言葉を発した人の気持ちを無視した形で。

その意味でも、名言を残しながらも名前と結び付けられて
広められることがなかったレオナルド・ダ・ヴィンチは、偉大な人物だと感じます。

2009年12月21日

興味本位で

セミナーの昼休みに、コンビニに寄ることが多いんですが、
先日、名古屋のサンクスに行ったとき、研修をやっていました。

実際に店員が営業時間中に接客をしている様子をチェックしている人がいる。
当然、店員もいつも以上に気合を入れてやっていました。

まぁ、過剰なものは不自然で心地よくはありませんが。


この間、新商品を見つけたので買ってみました。

イチゴ大福














僕は新しいものの味を知りたいという好奇心が強いので、
興味を持つと「食べたい」ではなくて
「食べてみたい」という気持ちから商品を手に取ります。

同じものを食べ続けるよりも、ちょっとずつ色々なものを食べるほうが好きなんです。

コンビニは商品の回転が速いので、チェックしていると色々なもので楽しめます。
といっても、お菓子の類は味の想像がつくので、実際に買うことになるのは
どんな味なのか想像がつきにくいものに限定されるんですが。

この『ハイチュウ・いちご大福味』もそう。
どのくらい「いちご大福」なのかに興味があったわけです。

個人的には、イマイチな感じ。

前に売られていた「わたあめ味」のほうが良くできていたと思います。

「いちご大福」と言いながら、その味は
イチゴのフレーバーと、あずきフレーバーが混ざっただけのもの。

いちご大福は、小豆あんの中に生のイチゴが入っているものですから、
食べると、小豆あんの味とイチゴの味が別々に感じられるわけです。
口の中で混ざることになっても、最初から混ざっているわけではない。

味を感じるタイミングに時差があります。
そこを表現しないと、イチゴ大福味とは感じにくい気がします。

小豆あん味の層と、イチゴ味の層を分けるとかしたら
もうちょっと違った印象になったでしょうに…。
イチゴ味の層を酸味を多くして、水分多めな状態にできれば、
かなりリアルだったのではないかと思います。

まぁ、短期的にしか発売しない商品でしょうから
そこまで製造ラインを変えることはできないんでしょうが。


奇抜な味を表現した飴などを売るのは、
最初からロングヒット狙いではないのかもしれません。

話題作りか、珍しモノ好きを相手にしているんでしょうか。

ファンになって固定客を、という狙いよりも
「面白そうなものなら何でも」という趣向をもった人たちが
ある意味で固定客になっているとも考えられそうです。

色々な商品開発の方向性があるものですね。

cozyharada at 23:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2009年12月20日

光と色

レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉は、その膨大な量の手稿から辿ることができて、
その日本語訳が岩波文庫の『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』や、
レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上   岩波文庫 青 550-1
レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上 岩波文庫 青 550-1
クチコミを見る

『知をみがく言葉』(青志社)などで読むことができます。
知をみがく言葉 レオナルド・ダ・ヴィンチ
知をみがく言葉 レオナルド・ダ・ヴィンチ
クチコミを見る


そんなレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を読んでいると
彼が観察を非常に大切にしていたことが感じられます。

徹底的な観察に基づき、現象を理解しようとするスタンス。
そこを感じ取れるのが、僕がレオナルド・ダ・ヴィンチに惹かれる1つの理由でしょう。

手稿を描くときの内面と、絵画作品を描いたときの内面には違いがあるように見えます。
手稿を描くときは、観察から理解までのプロセスを重視し、
一方、絵画作品を描くときは、それを応用して
自分の理解したことを1枚に集約しようとするような雰囲気が感じられるんです。

手稿は個人の世界、絵画は世の中との関わりを意識しているような印象。
抽象度の違いもあると思います。

で、僕は観察をベースに置いている点で、より強く敬意を抱くんだと思います。
そこが気になる時点で、僕自身が観察を大事にしようとしていることの表れでもある。

僕にとって「眼」は最も重要な体の一部であって、
見ることは本当に好きな行為でもあります。
緑の中で心を癒そうとしても、植物を観察したくなってしまうほど。

常日頃から、僕の身体感覚として、体の中の意識の中心は眼の辺りにありますし。

レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉にも見ることを意識した文章が多いようです。
好みの問題以上に、人が「見る」という行為に頼りやすい性質もあるかもしれません。


そんなレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉の中に色について述べられたものがあります。

「色の質は、光の助けを借りて見るしかない。

 とすれば、その色がどのようなものか、真に確かめようとすれば、
 明るい光の中で見なくてはならないことになる。

 影の多いところでは、影自身の持つ色に影響されてしまう。

 色の真の質は、明るい光の中で見よ、と画家たちには言っておきたい。」


おそらく、この言葉は実際に光と色の性質をメモしたものだと推測されます。
絵を描くときに、色を扱い方を注意する必要性を述べているのでしょう。

暗いところと明るいところで、同じ色として描いてはいけない。
それは「同じ色のはずだ」という思い込みを元に対象を見て絵にするのではなく、
実際に目で感じられる色を直接的に絵に反映させるということのように思います。

人が見えているものを素直に受け取っていないことを実感していたのでしょうか。
認知の仕組みも敏感に感じ取っていたようです。


同時に、僕はこの文章をメタファーとして受け取りたくなる部分もあります。
人に対しても同じではないか、と。

 人の個性や持ち味は、それを正しく知ろうとしたときには
 「光」のもとで感じ取る必要がある。
 「影」の状態や、「影」の近くでは、影響が出てしまう。

「影」というのは、本人の状態や気分が良くないときなど。
本人が不調なときもあれば、周りの人が落ち込んでいたり、
足を引っ張っていたりするケースもある。
上手くいきにくい状況が続いているときのようなイメージです。

逆に、「光」というのは、本人の状態が良かったり、
周りに良い影響を与えてくれる人がいたりする状況でしょうか。
上手くいきやすい状況が続いているイメージ。

本人が「光」の状態のときだけでなく、その人にとっての「光」になるような人が
近くにいることも含んだニュアンスとして考えてみるということです。

誰かの良さを判断するときには、その人自身の調子の良いときを元にして見る。
もしくは、その人の本来の良さを引き出せるような
「光」にあたる関係性がある状態から判断するわけです。

自分が他人の良さを引き出せる「光」になれば、
関わる多くの人が、その色の本当の美しさを表せる気がします。

「世界に1つだけの花」じゃありませんが、
人それぞれ違った色の花を咲かせるものだとしても、
その色の美しさを感じられるのに十分な「光」も必要じゃないでしょうか。

目の前の人が、その色を十分に見せられていない状況があるとしたら、
もしかすると自分の光が十分に明るくないのかもしれません。

自分の色を表現するのと同時に、
自分自身の「光」としての明るさを上げていきたいものです。

cozyharada at 23:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2009年12月19日

ノドの奥

何年ぶりかに魚の骨がノドに刺さりました。

社会人になってからは、そんな記憶がないものですから
相当久しぶりの違和感でした。

コソコソ、チクチクと痛い。
ノドを動かしたりすると余計に刺さっている痛みが分かったり。

嫌な思い出とか、恐怖体験とかの類として、
 鰻や魚の骨がノドに刺さってから食べられなくなる
という話を何度か聞いてきましたが、この体験は結構嫌なものですね。

刺さっているのが分かるけれど、どうやっても取れない。
もどかしさもありますし、なんとなくずっと気になってしまう。

「ご飯を丸飲みすると良い」なんてアドバイスを受けて
頑張ってやってみても取れなかったりして…。
努力が報われない感じも嫌な気分にさせるかもしれません。

おそらく放っておいても自然に取れるのでしょうし、
人体は異物に対する反応をしてくれることだと思います。

消化されて溶けてしまうということは想像しにくいので、
痛みが出ないように覆ってしまってから、新陳代謝で無くなっていくのでしょうか。

そんなことをイメージしながら気にしないようにしても
ふとしたタイミングで痛みを感じてしまうと、また気になりだしたりしました。


なので、ノドに自分の指を突っ込んで取ることしました。
指先の感覚とノドの感覚を頼りにしながらの数分間の格闘。
無事に取れたみたいです。

かなり奥のほうでしたが、ギリギリ指が届く位置だったのがラッキー。

一般的には、ノドの奥に指でも突っ込もうものなら
「オエッ」と吐き出そうとする反応を体がするようですが、
僕はそれがコントロールできるので大丈夫。

コツがあるみたいです。

歯科医で困るのは、治療しようとしても口の中に器具を入れられない患者だと聞きます。
そんなときに催眠が効果的だったり。

僕の場合、感覚をコントロールすることで吐き気を感じなくさせていますから、
催眠でも色々なアプローチで効果を出せそうに思います。


ちなみに、僕は自分の意思で食べた物を吐き出すというのが苦手です。
指をノドに入れるだけでは戻せません。

オエッとなる感覚を感じるように工夫すると、それなりに出来ますが、
そこから実際に吐き出すところまでやろうとすると別の制御がかかってしまうんです。
きっと吐くほうにもコツがあるんでしょう。

哺乳類で吐くことのできる動物は多くはないそうですが、
吐くことができる動物ほど、食料を探すときに有利なわけですから
自然界では1つの強みとして生き残ってきた能力のようです。

ウッカリ、毒の入った食べ物や、毒キノコなどを食べてしまったときには
体が自然に頑張ってくれるかもしれませんが、
僕の場合、急いで出さなければいけないときには苦労しそうです。

毒には気をつけないといけませんね。

骨が刺さることへの警戒心よりも、毒物への警戒心のほうが強いことを自覚しました。

cozyharada at 02:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2009年12月17日

ボトム寄りの人として

NLPでは「人には色々なレベルのプログラムがある」と説明しています。
価値観とか、信念とか、習慣とか…。


一般論として、抽象度の高いモデルを先に考えて、そこからトップダウン式に
実体験として感じられる具体的な出来事を説明しようとするやり方は、
そのモデルに執着するあまり、説明が強引になるケースがあるような気がします。

具体的な出来事を分析して、そこからパターンを見出してモデルを作るやり方は
地味で時間がかかりますし、多くのことを説明できる抽象度まで上げていく過程で
何度も矛盾を包括しながらモデルの修正を必要とされる難しさを持っていると思います。

僕が研究職時代に扱っていた生化学の分野でも
生体活動をモデル化してシミュレーションしようとするトップダウン側の人たちと
具体的な生命現象を実験的に解明しようとするボトムアップ側の人たちがいました。

どちらもそれぞれの課題を抱えていて、両者が1つになるのには
かなりの時間がかかりそうな印象を感じていたものです。


NLPも1人の人物が体系化したものではありませんから
色々な人の着眼点が含まれていて、統一的な理解が難しい部分もあるようです。

元々のNLPは、心理療法家たちの言語パターンの分析から始めたものですから、
かなりのボトムアップ型のスタンスで進んでいたわけです。

それらの言語パターンは実際に有効だった質問や語りかけの内容ですから
応用の仕方によっては非常に効果があるモデルになるのも当然でしょう。

ただ、良く使われる質問や言葉かけのパターンとして分析した結果、
「どのようなコミュニケーションの流れの中で」、「何を目的として」使うか
という観点が抜けている印象は否めません。

通常のコミュニケーションでは、会話の流れを捉えた上で
その先の会話の展開を予測しながら言葉を発するものです。

相手の言葉に対して文法的に正しいだけの返答をする方法はいくらでもありますが、
文法的に正しくても意味としてコミュニケーションが成立しなければ
空気の読めない人と言われてしまうはずです。

「時間が分かりますか?」と聞かれれば「はい、分かります」ではなくて、
「今、○○時です」と答えるほうが求められた形だということです。

その会話がなされる場面として、どういう流れがあって
どんな感情を持っていて、何が期待されているかによって、
効果的な言葉は変わってくるわけです。

ですから「〜できません」という言葉に対して
「もしできたとしたら、どうですか?」という質問をする方法は、
ある場面で有効であったとしても、逆効果にすらなるときもあるんです。

ただ単純に、言葉のパターンを分析した対象の心理療法家たちは、
クライアントが「〜できません」と言った後に、
「もしできたとしたら?」という質問をするケースが多かったというだけでしょう。

あえて、その質問をしなかったときだってあったはずです。
それが、言語パターンとして分析すると、「発言→質問」の一対一対応になってしまう。

「どういう流れで使うか」というレベルまで体系化しようとすると
作業としては難しくなってしまいますし、具体的な場面に限定し過ぎると
今度は心理療法の場面以外では使えない技術になってしまう可能性もあります。

技術として、広く使える可能性を残しながらパターンを抽出した結果として
コミュニケーションの流れを無視したものになったのかもしれません。


NLPの中には、このように「役に立つことが最優先」といったフシが感じられ、
全体として理論的な整合性が取れている必要性を無視してきた印象も受けます。

元々はボトムアップ型の分析結果だったところに
トップダウン型で理論を説明しようとする人も混ざってきたのでしょうか。

まとまりの弱い感じのする部分もあるようです。

「無意識」や「プログラム」といった言葉で説明すると、
なんとなく「そんなものなのか…」と受け入れてしまいやすい。

仮に違和感があったとしても、それをNLPの考え方のモデルと捉えれば
正しいか間違っているかではなくて、1つの思想になります。

心理学の言葉で説明するか、脳科学の言葉で説明するか、NLPの言葉で説明するか。
そんな説明のための用語の問題として片付けられます。

NLPには時々、そういうNLP用語を使った便利な説明モデルがあって
そのトップダウン型の説明の仕方が、具体的な技術と繋がりにくい場合がある気がします。

僕自身は生化学の分野で徹底的にボトムアップの研究をしていましたから、
観察して分析するというスタンスが好みです。

というよりも、そのスタンスが好きだったから生化学を選んだのかもしれません。

今の仕事もセミナーやカウンセリングを通じて、人を観察することが多い。
日常でも世の中を観察するスタンスは変わらない気もします。

なので、僕としてはNLPのボトムアップのスタンスに期待があります。

誰かが作ったモデルに当てはめて世の中を見ようとするのではなく、
世の中に起きていることを見た結果として、少しずつモデルを作っていく。

土台を広げて、シッカリとさせていく作業も必要だと思うんです。
土台を確実にしないまま、上だけを大きくするのは無理がかかるでしょうから。

2009年12月16日

一緒にスベる技術

ビジネスで上手くいくためには、顧客に合わせて上手にスベる必要がある。
そのことを、あるコンサルタントの方に学びました。

「スベる」というのは、その人の表現ですが、
「ズレる」とか「間違える」とかのほうが一般的な表現かもしれません。

人は普通、自分の本当の欲求に気づいていないものです。
自分が何を求めて、その瞬間の言動を決めているのか。
その奥底で求めている欲求が、形を変えて意識されて、問題や目標として表れてきます。

心理の分野から考えていけば、人の深いレベルの欲求を知ることもできると思いますが、
だからといって、それに気づいている必要もないでしょう。
知らなくても良いことに直面するのは大きなエネルギーを必要としますから。


セラピーをやっている人たちの中には
過去の心の傷を癒していく方向性を取る人もいますが、
必ずしも心の傷や満たされなかった想いは、そのもので癒す必要はありません。

幼少期に親から十分に愛されたと感じられなかった不満から
大人になって他人から認められようと仕事を頑張る、
というようなケースは沢山あるものです。

それで仕事で十分な評価を得ることができると
不足していた承認の気分を埋め合わせることができます。

発達心理で言われる発達課題のようなものは
タイミングがズレたとしても、後から埋め合わせ可能なわけです。

算数に喩えると、小学校の時に苦手だった文章問題が
中学で方程式を頑張ったら自然とできるようなった、という感じでしょうか。

達成できていない発達課題はツケのような形で後にまで影響する一方で、
やり方次第では別の方法でツケを埋め合わせできるということです。


心の中の満たされていない部分や傷として残っている部分は
形を変えて表面に表れてくる。

その形を変えて現れてきた願望や不満を満たすように取り組んでいけば、
表面的には満たされた状態になります。

ただ、本当に求めているものとズレた形で満たそうとしているわけですから
十分に満たされたという感じを味わうには相当な努力が必要なこともあります。
いつまでも満たされない状態を味わい続ける人もいるようです。

「十分なはずなのに満たされない」と感じる場合には
求めていた欲求が間接的に満たされて、次の本当に大事なことに気づけることがあります。
大金持ちになった人が、哲学や人生観にシフトしていくケースなどは、そうでしょう。

世間から見ると「もう十分だろう」という程なのに、
本人だけが「まだ不十分、満たされていない」と感じる場合には
求めているものがズレている分だけ欲求が達成されにくい可能性が考えられます。

「もっと、もっと」と続けていけば満たされる時がきて
別の本当の欲求に気づくケースもあるかもしれません。

逆に「いつまでたっても満たされない、求めているものが違うのか?」と
自分の願望がズレていたことに気づくケースもあるでしょう。

ダイエットに成功してモテたいのであれば、「モテたい」というほうが本質的です。
ダイエット以外の方法でモテることだってできるはずです。

もっと言えば、「モテる」という状態だって何のために、の部分があります。
チヤホヤされたいのなら、それによって感じられる気持ちを求めていると考えられます。

ダイエットの目標を達成したはずなのに、チヤホヤされないから気持ちも満たされない。
それで次にファッションのほうで努力を始める。
で、すごくオシャレになったのに、やっぱりチヤホヤされない。
それで人を引きつける話術を勉強して、少し人気が出てきて…。

そんな風に、本当の欲求を満たすために、ズレた行動を続けることは良くあるわけです。


一方で、的確に対処できれば、どの部分でも本質的な欲求が満たされることがあります。

心身の不調は分かりやすい例でしょう。
精神的なストレスが体の一部に負荷をかけ、
その影響が別の体の部分の痛みとして表出する。

あるいは、仕事上の都合で決まった姿勢を続ける必要があって
そのときの負荷が体に溜まり、陰鬱な気分になってくる。

例えば、パソコン仕事で眼精疲労が溜まっているとき、
良いメガネを使うことで、全体的にスッキリしていくこともあります。
目が疲れやすい姿勢を直すことで、バランスが取れてくることもあります。
運動不足を解消することで、良くなっていくこともあります。
骨格や筋肉の歪みを直すことで、良くなっていくこともあります。
食べ物や生活習慣を変えて、良くなることもあります。
的確な薬を処方してもらうことで、良くなることもあります。
仕事への不満を上司と相談して解消することで、良くなっていくこともあります。

心身の繋がりに対して、どこからアプローチしても良いはずなんです。
効果的なやり方であれば、どれでも全体的に良い方向にいく。

日常の行動や、個人的な目標についても同様です。

ダイエットに成功して、内面的にも自信がついて、
大勢の人にチヤホヤされることはなくても、
身近にいる大切な人間関係から認めてもらう経験をする。
それによって上手く欲求が満たされる、というケース。

オシャレの方向では上手くいかなかったけれど、
お笑いの方向では活躍できて、求めていた気持ちが満たされてくるというケース。

どの形に進んだ時に欲求が上手く満たされるかは分かりませんが、
求めている気持ちが満たされれば、何を用いても良いと思います。

その上手くいきやすい形というのが、その人の才能かもしれません。


本当に求めているもの、深いレベルの欲求を、どのようにして満たしていくか。

催眠やNLP、自己啓発系のワークの中には、
そこをダイレクトに扱う方法があります。

前述した「大金持ちが哲学的な方向にシフトする」ような場合に近いぐらい
自分の欲求を満たすことのできる方法。
それによって別の本当の欲求に進めるようになる。

そして、その本当の欲求というのも、やっぱり1つの表面化した形に過ぎません。
その人にとって一番大事なものというだけのことです。

社会の常識やルール、親や学校から与えられてきた価値観を鵜呑みにするのではなく、
自分自身の体験を通じて実感として大切にしたいと思えた価値観。
それが反映された欲求でしょう。

「スベる」とか「ズレる」とかいうのは、価値観の違いという言葉に変えられそうです。

自分の深いレベルの欲求を満たすために、何かの形に表面化させていくとき、
誰かから与えられた価値観にズラして意識することもできます。

「モテるためにはダイエット」という世間の価値観のところへズラして表面化させ、
その結果としてダイエットを目標にするようになる、などのケースです。
ファッションやブランド品、高級車などもそうかもしれません。

商品を手に入れた先に求めている内面にこそ欲求があって、
それを間接的に満たすために商品を購入する。
そのときのズレが人それぞれ違っているから、商品が沢山あふれているわけです。

ビジネスの上手い人は、そのズレを敏感に感じ取って
内面の欲求を間接的に満たせるような商品を提供しているという話です。

ズレた欲求に対して、一緒にズレてあげられる人。
もっと言えば、ズレを通して、本当の欲求まで満たしてあげられる人。
そういう人がビジネスで活躍しているのでしょう。

広告宣伝は、顧客のズレ具合に合わせた商品を紹介する行為となるでしょうか。

最近は、どの方向にズレていくかを教え込みながらビジネスをするケースもあります。
今までの世の中には知られていなかった魅力を教えながら商品を提供する。

任天堂のWiiなどは、ゲームに魅力を感じなかった世代の人々に
ゲームを通じて感じられる深いレベルの欲求を教えてあげたわけです。
家族との繋がりを感じるにはゲームでなくても良いはずだったにも関わらず、
「ゲームでも欲求が満たせるんですよ」という教育をしたと考えられます。

ゲームで家族団欒というのは、会話だけで家族団欒ができる人たちにとっては
随分とズレた欲求の解消方法に見えるかもしれません。
もっとコミュニケーションに目を向けるという解決方法もあります。

それでも、ゲームを通じて欲求が満たされれば、役には立っているんです。
上手くいくための方法としてゲームが役立ったという事実は動きません。

心身の不調を解消するために、整体に行くか、温泉に行くか、
カウンセリングにいくか、転職するか…、様々な対処法の中から
何を選ぶかという問題と、似たようなものです。

となると、後は好みでしょう。
その人の好きな方法、その人にって上手くいく方法で欲求を満たせばいい。

違いがあるとすれば、自分が「好き」な方法を選んでいるかどうか、ということです。

ファッションが好きなら、ファッションの方向で欲求を満たす。
車が好きなら、憧れの車に乗ることで欲求を満たす。

自分が好きなのではなく、周りに合わせた結果として
気づかないうちに選んでしまっているとしたら、
いつまで経っても満たされない感じを味わい続けるかもしれません。

才能を持った体、価値観を育んだ環境に生まれてきた自分にとって
好きなズラし方で欲求を満たせるようになること。
それができたら楽しいでしょうね。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

日程更新

《コミュニケーション講座》
〜内容は後日〜


【日時】 2017年8月20日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


概要はこちら>>
次回開催は9月の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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