2010年01月

2010年01月31日

ドラゴンボールとドラゴンクエストの違い

言葉は、何かしらの概念に対して付けられたラベルだと考えることができます。
そして概念は体験によって作られる。

現実に『犬』そのものに対応する生き物は存在しなくて、
『犬』という概念に当てはまる個別の「〜犬」の「ナントカ」という名前のが存在する。

『犬』という概念は、その人が見たり聞いたり触ったりしてきた
具体的で個別の犬の経験を通して、「一般的に『犬』とは、こういうものだ」と
典型的なイメージを作り上げたものだということです。

その人の中にある典型的な『犬』のイメージに対して
「イヌ」という音で、【犬】という漢字で説明される『犬』の概念があって、
それが「犬」という言葉になっているという考え方です。

そうすると、体験してくる犬の種類によって、人それぞれ
典型的な『犬』のイメージは違っていることになります。

小型犬ばかり見てきた人の頭の中にある典型的な『犬』イメージは小さいものでしょう。
日本犬のイメージは耳が立っていて、
欧米では耳が寝ているイメージが一般的かもしれません。

忠犬ハチ公は日本でも海外版「HACHI」でも耳が立った犬種ですし、
スヌーピの耳は垂れ下がっています。
…あいにく、日本版「フランダースの犬」こと「スノープリンス」では
 犬種まで秋田犬に変更されていましたが(時代背景的には当然かもしれません)。


同じように「川」というものに対しても、日本人がイメージしやすい清流の小川と、
アメリカ人がイメージしやすいハドソン「river」のように大きな川と、
南米の人がイメージしやすいアマゾン川と、中国の黄河とでは、
どれも典型的な「川」イメージとしては大きな違いがあるはずです。

元々は別の生活環境で生まれた概念に対応する言葉が
その地域によって特有のイメージを作っていたとしても、
共通する意味合いが理解できれば、お互いに翻訳することは可能です。

「川」というのは、水が綺麗であろうが濁っていようが、
流れの幅が広かろうが狭かろうが、流れが急だろうが穏やかだろうが、
「海にまで繋がる淡水の流れ」であれば「川」と呼べるわけです。
だから「川」は英語なら「river」に訳すことができる、と。

「犬」が「dog」なのも、「イノシシ」が「boar」なのも同じです。

「ネズミ」が「rat」と「mouse」に分けられるのは
英語文化では大きさによって呼び分ける習慣があるからであって、
それだけ英語文化圏ではネズミの存在が重要だった時期があったからかもしれません。

英語では「牛」が「cow」「ox」「cattle」「bull」「crummy」「bovine」などと
細かく呼び分けられますが、それも牛が重要だからだと考えられます。

日本でも「米」を「うるち米」と「もち米」に分類し、
さらに「うるち米」も品種別に呼び分けますが、
それも「米」が重要だったからでしょう。


このように、別の言語であっても、共通点を見出せるものに対しては
(細かく分けるかどうかは別にして)、
同じ概念として対応する単語を探し出して、翻訳することができるわけです。

「トラ」も「ウサギ」も「ヘビ」も「馬」も「羊」も「猿」も「鶏」も
同じ動物を見て、その概念を理解できれば、特定の呼び方で呼べるようになる。
言語が違っても、対応する呼び名を考えれば、翻訳できます。

ところが。

ここまで出してきた動物は全部、干支の動物ですが、
「竜(龍)」に関しては微妙な印象を受けます。

場合によっては「竜」と「龍」で使い分けるのかもしれませんが、
元々の中国の漢字としては書体の問題で同じものを意味するんだとか。

僕は日本の神話や伝承に対して詳しくありませんから、
日本において「龍」というイメージがどれだかあったのかは知りません。

ただ、僕の中のイメージとして言語化すると、
「龍」は「ドラゴンボール」の「神龍」のような、
マンガ日本昔話のオープニングに出てくるような、
細長くてウロコがあって、ヒゲが生えているヤツになります。

日本でも「龍神」が祀られることがあるような記憶がありますし、
水の中に龍が潜んでいるような話も耳にした気がします。
鯉と龍をなぞらえるケースもあったように思います。

ただ、水の底(地底)に潜んでいた龍が空に上がっていくという一連の流れは
易でも使われる考え方だそうですから、日本における「龍」のイメージは
中国から伝わってきたものかもしれません。

ちなみに、中国ではアロワナを龍になぞらえる文化もあるようですが、
日本の鯉とともに、ヒゲとウロコ繋がりなのでしょうか。

一方、「dragon」と言った場合、「ドラゴンクエスト」に出てきた
「ドラゴン」の姿が映像として浮かんできます。
四本足で首が長くて、尻尾があって…という形。

どちらかというと「恐竜」っぽいような「トカゲ」的なイメージでしょうか。
巨大なトカゲである「コモドオオトカゲ」は「コモドドラゴン」とも呼ばれたりしますし。

羽は生えていても、生えていなくても、どっちも「dragon」な印象があります。

まぁ、多分にマンガやゲームの影響を受けているでしょうが、
そもそも、そうしたマンガやゲームの登場キャラクターとしての「ドラゴン」は
欧米の神話をベースにしているはずですので、間違ってはいない気がします。

「dragon」に対応する「ドラゴン」は、トカゲの大きいような形で
羽があったり無かったりしますが、火を吹くこともあるヤツだということです。

元々、日本で言われていたであろう「龍」は東洋文化としての「龍」でしょうから、
マンガ日本昔話のオープニングに出ていたような龍が近いと思います。

で、僕が最も気になるのは、両方が似ていないというところなんです。
「龍」と「dragon」には共通点が少ないというか、別物に思えてしまいます。

仮に「龍」は東洋的な細長いヤツ、「竜」はトカゲっぽいヤツ、とでも決まっていれば、
「dragon」の訳は「竜」ということで落ち着くかもしれませんが、
どうもそうではなさそうな印象も受けます。

辞書を見る限り、「龍」を英語訳すると「dragon」なんです。

逆に、
 「龍」と「竜」は、ほとんど同じで、細長いヤツ。
 ただし「竜」は「恐竜」の意味で使われる場合もある。
 「dragon」は日本語でも「ドラゴン」。
という説明の仕方もアリだと思います。

欧米の大聖堂にくっついている「gargoyle」は「ガーゴイル」ですし、
沖縄の屋根の上にいる「シーサー」は「シーサー」ですから。
「dragon」は「ドラゴン」でも構わないんです。
日本のカラオケは、英語でも「karaoke」ですし、
昆布の「旨味」に対応する英語も「umami」です。

なのに、誰かが「dragon」を「龍(竜)」だと訳した。
そういう人が歴史上にいたはずなんです。

概念的なイメージの中で、どこかに共通点があったんでしょうか。
僕にはピンときません。

最近、そんなことが気になりました。

2010年01月29日

残念なことに

風邪を引いてしまいました。

ちょうど一年前の同じ日にインフルエンザで病院に行っていた記録が残っていたので
なんだか妙な感じがしました。

この時期は僕の中で要注意なのかもしれません。

僕の中で「風邪」と呼ぶのは熱が上がったときを指しているようなので、
普段の頭痛は風邪とは捉えていません。

様々な体調不良の状態の中で、発熱を伴うものを風邪と呼ぶ癖があります。
どうやら、僕の経験上、発熱があったときには特別な状態だったのでしょう。
学校を休むとか、お風呂に入ってはいけないとか。

そうやって考えると、人によって「風邪」と呼ぶ状態も
きっとそれぞれ違っているんだろうという気がしてきます。

そして、それは医者によっても違う可能性がある。
ともすると、自然治癒で対処できるレベルの内科的な体調不良は
全て「風邪」と呼んでいるかもしれません。

ですから、僕の中で「風邪」は自分の回復力で直すものというイメージがあります。
薬に関しても、症状を緩和する作用と、腸内環境を整える作用ぐらいでしか
信頼していないので、あまり内科には行かないほうなんです。

体調不良を押してでも仕事をしなければいけない状況だったりすれば
症状を抑える薬を飲みますが、原則的には体を休ませるほうを優先する傾向です。


ただ、今回は発熱が長引くと厄介なのと、インフルエンザの可能性も心配だったので
病院に行くことにしたんです。

僕は仕事上、多くの人と関わりますから、インフルエンザにかかったりすると
自分の体調が回復しても数日間は感染拡大のリスクを考えて
自宅待機しなければいけなくなってしまいます。

なので、僕の最大の関心事はインフルエンザかどうかを調べることでした。

発熱だって僕の意識にとっては苦しいことですが、
身体のレベルでいえば免疫系の働きとして意味のあることのはずです。

無理矢理に解熱剤で熱を下げたからといって、それは治ったわけではない。
ウイルスか細菌か分かりませんが、病原体の働きを弱めることと、
表面的な症状を弱めることは意味が違うと僕は考えています。

解熱鎮痛剤を飲むかどうかを選択するのは本人だと思っているわけです。


ところが、その医者ときたら、患者である僕の話を全く聞こうともしません。
問診票に記入した内容を読んで、それに対して診断を下すだけ。

一瞬たりとも目が合うことはありませんでした。

内科医おきまりのような聴診器でのチェックも、扁桃腺を見ることもせずに、
問診票という紙に書かれた文字しか見ていないんです。

その筆跡から患者の状態が分かるとでも言うんならともかく、
目の前の患者の顔色ぐらいは見たらどうかと思うんですが…。

ミルトン・エリクソンがそこにいたら、きっと、こんなことを言ったでしょう。
 「患者は机の上にはいませんよ」

で、全然こちらを見ることもなく、紙の上だけを見て診断を終えようとしたので
こちらからインフルエンザの検査を願い出ることにしました。

すると、「あぁ、腹痛があるんならインフルエンザじゃないですよ」と一言。
文字で書かれた腹痛の程度すら確認もせずに。

インフルエンザの検査を願い出る人にも色々といるはずです。
僕は仕事への影響を考えて疑わしきを排除する必要があった。
人によっては漠然とした不安から検査を頼む人もいるでしょう。
マスコミで報じられた新型インフルエンザのイメージは恐怖も植え付けたでしょうし。

どんな理由で言っているかの推測はできなくても、
「何かしらの動機があって言っている」ぐらいの発想は持って欲しい気がします。

−「何か心配がありますか?」
 「仕事をしても大丈夫な保証が必要なんです」
…時間にして、ほんの数秒。

こうしたことは、コミュニケーション技術とか、患者への気持ちとかの問題ではなく、
そもそもの発想として気づかないでいることで起きるのだろうと感じます。


こんな医者は特殊なケースかもしれませんし、
日々の忙しさの中では仕方のない部分もあるのかもしれませんが、
もうちょっとコミュニケーションや、人の気持ちの部分も
考えられたらなぁ、と思いました。

診断のために患者から情報を得ていく部分でも
患者の気持ちを安心させていく部分でも、
医療におけるコミュニケーションの重要性を改めて感じた出来事でした。

2010年01月26日

絵の描き方

先日、セミナー中に『牛』の絵をホワイトボードに描きました。
適当に描いた割に、意外と牛っぽい感じに仕上がったので自分でもビックリ。

実は、牛の絵を描こうとしたこと自体は以前にもあって、
そのときは急いでいたために大雑把な姿を描いたんです。

そうすると、パッとしません。
辛うじて『牛』という程度。
ホルスタイン的な模様にしたり、角を強調したりする必要がありました。

一方、先日のほうは、数十秒ぐらいかけて一頭を描いたので
ペン運びも倍以上ゆっくりとすることができて、
細かいラインの凹凸で写実的な感じの牛を描けたようです。

僕の場合、少し時間を長めにとっても、写実的に思い出しながら描いたほうが
全体の形としても、それっぽい絵になる傾向があるみたいなんです。

前者の大雑把な形というのは、マンガ的というか、イラスト的というか、
『牛』に必要な最低限の情報だけを盛り込んで表現されるものですが、
後者の詳細な形というのは、写真的な雰囲気で、
実物の牛をデッサンとして描いていくような表現と言えるかと思います。


僕が絵を描こうとすると、写実的に思い出そうとするほどに
鮮明な映像が頭の中に浮かんできます。
その傾向は部位に集中するほどに強くなるので、
細かい部分に注目しながら描き込み、全体とバランスをとる方法になります。

もちろん、どんなものでも鮮明に映像を浮かべられるわけではありませんが、
多くの場合、どこかで見た写真やテレビ動画のような映像が浮かびます。

その姿勢や角度は、僕の頭の中で勝手に置きかえられていますから
厳密な過去の記憶の1シーンではなくて、ある程度一般化されたものと言えますが、
一般化された記憶が詳細な映像情報を持っているようなんです。

もっと正確にいうと、詳細な映像情報で作られているイメージの記憶にアクセスして、
それを頭の中に思い浮かべるのが得意分野らしい、ということです。

…ちなみに、それを鮮明に浮かべられることと、それを絵に描けることは別問題で、
 絵を描くためには、また別の作業が必要になります。


つまり、僕の頭の中では、抽象度の低い写実的な映像情報が再構成されやすいわけです。
普段から、そのような外部情報の取り方をしているために、
具体的・写実的で詳細な情報が記憶の中に残りやすいのでしょう。

いわゆるサヴァン症候群であるように、極端に写実的な絵を描ける人というのは、
見たものの情報を一般化することなく具体的なままで保持できていて、
その映像記憶にアクセスして、鮮明に思い浮かべられるものと考えられます。

僕に具体的な情報を詳細に捉えようとする癖があることは、
観察を好んだり、生物化学系を専門にしたこととも関係していると思います。

一方、世の中には、抽象度の高いマンガ的な映像情報が作られやすい人もいます。
写実的ではないけれども絵が上手い人や
可愛らしい絵をサラサラッと描ける人というのは、
そもそもが一般化された特徴を捉えるのが得意な傾向と言えるでしょう。

そのものの見た目の特徴を強調して捉えながら、
近いジャンルのものと共通する部分はシンプルにまとめる。

『牛』であれば、四本足で、丸みを帯びた胴体、顔は長め…ぐらいの情報は
他の動物と共通している部分ですから、この辺はシンプルに描くことになります。

カバであっても、馬であっても、羊であっても、大きくは変わらない構図があって、
それをベースにして特徴を際立たせていくのだろうと推測されます。

牛の場合には、その顔に角をつけて、白黒の模様を入れて、鼻輪をつける。
胴体にも白黒の模様を入れるぐらいでしょうか。

このように抽象的な特徴を捉えてマンガ的に映像を思い浮かべられる人というのは
同じカテゴリーに共通する一般的な特徴も映像化できるように思います。

動物、とか植物とかいった大雑把なカテゴリーでもマンガで描ける。
で、個別の特徴も一般化されたイメージで捉えられていて、
それを大雑把なカテゴリーの映像に加えていく形で細かい分類ができている。

実際には、こういうマンガ的な映像の浮かべ方であっても
同時に三次元的な立体としての様子も含まれていますから、
シンプルで可愛らしくて絵がうまいという場合には
極端な特徴づけと立体的・動作的な表現が組み合わさっていることが多いようです。


まとめると、僕のように詳細な情報を具体的なままで思い出しやすいタイプは
細部の形の集合体として全体の映像が作られ、写実的な絵になりやすく、
特徴をシンプルに捉えて思い出しやすいタイプは、分類された特徴の情報(角や白黒など)
を組み合わせることで全体の映像が作られ、マンガ的な絵になりやすい、ということです。

この映像的な特徴自体が記憶の中で整理されていなかったり、歪められていたり、
過度に一般化されていたりすると、そもそも頭の中に
そのものの「それっぽい」イメージが浮かんでこない可能性が出てきます。

絵が苦手な場合には、イメージが浮かばず、
何を描いてい良いか分からないことがあるわけです。

別の可能性として、そもそも映像情報にアクセスすることが苦手で
記憶の中から映像を探し出して思い浮かべられないケースもあるでしょう。

イメージワークなどをやろうとしても映像が浮かばないとか、
目標達成のシーンを描こうとしても描けないとか言いながら
マンガ的な絵を描くのが上手い人がいたりしますが、その場合には、
具体的で詳細な情報よりも、一般化された特徴を捉えやすい人だと考えられます。

そういう人は、マンガを描く画力を持っているわけですから、それを活かして
静物画やデッサン、風景画などを細かく描く練習をすれば良いはずです。

また、映像情報へのアクセスが苦手な場合には、
何かを思い出して絵に描くというトレーニングから始めるのが良いと思います。


映像で整理されている情報も、概念記憶のネットワークという意味では
全てに共通しますから、言葉を話すときの特徴とも関係してきます。

マンガ的な絵を描くのが得意な人は、詳細な説明よりも
特徴を捉えて一般的に話すほうが上手い傾向が見受けられます。

僕は言うまでもなく、情報を詳細に捉えて分析するほうですから、
顕微鏡のような視点を持っていると言えるかもしれません。
その場合には、絵も話し言葉も、詳細な部分を意識しやすいわけです。

ということは、自分が得意ではない方法の絵を練習することで
会話の時の情報整理のパターンにも影響が出てくる可能性が考えられます。
かなり効果的な手法だと思います。

僕の場合には、抽象的なものを説明するときに、その中から同類と共通する情報を探し、
同時に、特徴的な情報を項目ごとに列挙していくようにすると良いのでしょう。

『牛』を説明するときに「角があって、鼻輪がついてて、白と黒のブチ模様の動物」
という具体に。

チョットそんなことも意識してみようかと思います。

2010年01月24日

iPod 買いました

ようやく iPod を購入しました。

これまでは携帯で音楽を聞くことはあったんですが、
iPod 用のスピーカーとは接続するのに色々用意する必要があったので
いっそのこと iPod nano を購入したというわけです。

新幹線での移動中に周りの話し声を遮断するために音楽を聴くことがありますから
結構活躍してくれるような気がしています。

充電がどの程度持つのかはチョット心配ではありますが。

携帯で音楽を聴いていたときは、大阪からの片道で
電池が全部なくなるような状態でした。
電話ができなくなってしまうので、困ります。

最近の携帯は予想以上に電池の消耗が激しいように思います。
色々な機能が付き過ぎているんでしょうか。
操作が遅いのも処理能力以上の機能が付いたからのように思えますし。

その点、iPod は比較的快適です。
目的が明確なのかもしれません。

直観的な操作がウリということを聞いていましたが、
あれは慣れるまで直観的に予測できる操作法ではありませんでした。

形状が予測させる操作法ではない。

その操作パターンみたいなものが掴めてくると分かってくるのでしょうか。
予想だにしない操作法もあったので、単純に、デザイン性の追求のように感じます。


ジェームズ・ギブソンは、物が動物に対して機能や性質の特徴を示しているとして、
物が動物に与える意味のことをアフォーダンスと呼んでいますが、
これは使用する本人の経験が生み出していると考えられます。

触ることもなく、見た瞬間に「堅そう」だとか、「動きそう」だとかを予測する。
その性質を経験から推測して、その推測に合わせて、意識的に考えることなく
操作をしてみるというわけです。

例えば、ドアノブの形によって、回すのか、倒すのか、押すのかが予測される。
一般的な経験上、こうやって操作するのだろうと予測をしています。

僕が仕事で足を運ぶことの多いセミナー会場には
ある会社のコーヒーメーカーが置いてありますが、
この機械は、デザインの持つアフォーダンスと操作法が一致していません。

ボタンを押してコーヒーを選ぶときに、ボタンの形状のデザインが
多く人にとって「押す」ことを予測させないんです。

コーヒーを注文するためのボタンよりも
近くにある商品説明のパネルのほうが、ずっと注文ボタンっぽいデザインをしていて、
多くの人が、そっちのパネルを押してしまいます。

そのコーヒーメーカーのデザインは、多くの人の一般的な経験からでは
操作法を予測しにくいようなものになってしまっている、ということです。

また、その部屋の入り口のドアの取っ手も、その形状から予測すると
手前に引いて開けようとするのが一般的なデザインになっています。

手前に引いて開けるタイプのドアにつけられていることが多い取っ手だということです。

もっと正確にいえば、左右方向へ引いて開ける「引き戸」につくことが多い形ですが、
ドア全体の形が、自然と「引き戸ではなさそう」な印象を与えてくれますから、
その次の予測として「手前に引く」という動作を引きだすと考えられます。

多くの経験から、「この形だったら、こうやって操作するのだろう」という
扱い方のパターンを、我々は当たり前のように持っているわけです。

ペットボトルのフタを逆方向に回したり、上に引っ張ったりして開けようとはしません。
一般的なデザインと、その機能の経験から、扱い方を予測する。
初めて見るものに対しては、今までの経験をベースに操作法を推測するんです。


ただ、iPod という機械は、そのアフォーダンスが特殊な気がします。

iPod シリーズや、もしかするとそれ以外でもアップル社の製品を使っていた人には
予測しやすい操作法なのかもしれませんが、
初めて使うにはチョット分かりにくさがあるようです。

その分、iPod や、その他のアップル製品に慣れて、
当たり前のアップル社製品の特徴や操作法のパターンを掴んでしまうと、
あのデザインへの愛着とともに、使用感までがセットになって刷り込まれていく。

完全にオリジナルを突き進み、ファンを増やしていくという意味では
他と違うデザインと操作法の対応を作ってしまう方法も効果的なのかもしれません。

どこらへんまで意図して作っているのかに興味が高まります。

2010年01月22日

技術を選択する技術

書道を習い始めて約半年。

小学校以来の再開ですが、「門前の小僧、習わぬ経を読む」という言葉にあるように
母が書道をやっていた関係もあってか、半年で随分と変わった自覚があります。

一流の凄さが見えてくるようになり、自らの未熟さが克明に感じられるようになり、
ようやく「趣味で書道をやっています」と言えるぐらいのレベルにはなったつもりです。

線質のバリエーションのような技術の種類は増えた気がします。

お手本を見ながら、この線を書くためには、このように筆を動かして、
そのためには手をどのように動かして、どこに力を入れて…
ということが少しずつ感じられ始めてきた実感。

楽しい時期だと思います。

1つ1つの技術を上げるためには限りない修行が必要でしょうが、
技術の種類を知り、「0」を「1」にする段階を進んでいると
以前に出来なかったことが出来るようになる喜びを感じられます。

筆で文字を書くときの筆使いのバリエーションが増えた。
組み合わせるための技術が増えてきた実感があるわけです。

ところが、この正月に年賀状用の「虎」や「寅」の字を書こうとしたとき、
今までとは別次元の難しさに直面したんです。

これまでは、なんとなく綺麗に筆で文字を書く技術として
小学校の頃に習っていた書道の経験を使っていたに過ぎませんでしたが、
扱える技術に幅が出てくると、色々な表現方法の可能性が出てきます。

全体のバランスを考慮しながら、どのような線質で文字を書きあげるか。
ここには、お手本を真似している段階には感じられない難しさがあります。

客観的に良さを判断する基準がないわけです。
上手くいっていると言えるかすら自信がない。

筆使いのバリエーションという技術の幅が広がっても
それを「どのように組み合わせ、どこで使うか」という部分は未熟そのものですから。

書家の先生には、それがあるんです。
どの筆運びで、どのように表現するかを決められる。
それが芸術性とも言えますし、創作活動の腕とも言えるでしょう。

つまり、お手本を見ながら筆使いを学んでいる段階は、
あくまで個別の技術の「練習」であって、
自分で表現する段階が、技術を応用する「実践」だということです。


スポーツでも仕事でも芸術でも料理でも、色々な技術を沢山学びます。
上手くいくための工夫を繰り返し、技を増やし、磨いていくわけです。

おそらくイチロー選手には、ヒットを打つための技術のバリエーションが
大量にあるだろうと思います。

ショートゴロで内野安打にする技術、バントヒットにする技術、
軽く当てて内野の頭を越す技術、フライを内野と外野の間に落とす技術、
一塁線を鋭く打ちぬいていく技術、三塁線ギリギリに流し打ちする技術…。

完全に真芯でボールを捉えて、鋭い当たりを外野まで飛ばすだけであれば、
彼は、もっと簡単にできるんじゃないでしょうか。

しかし、それでは野手の正面に飛んだときに捕られてしまう可能性がある。
ゴロなら速く一塁に辿りつけばヒットですが、フライは捕られた瞬間にアウトですから。

バッティング・センターで打っていて楽しいのは、
バットの芯でボールを捉えた感触かもしれませんが、
それと「ヒットを打つ」という結果は別物です。

そこまで考えた上で、イチロー選手はバッティングをしているようです。

テレビで聞いたことがありますが、彼はホームランだけを狙えば
年間30本は打てるだろうという話をしていました。

ただ、それはイチローに求められる結果ではない。
だからホームランを狙わないのでしょう。

イチロー選手にはホームランを狙って打てる技術もあるそうです。
実際に、狙って打ったホームランも沢山あるのだとか。

となると、あとは、
 「どのような状況で、どんな球に対して、どのバッティングをするか」
ということがポイントになってくるはずです。

持っている技術は沢山あるのですから、それを適切な状況で使いたい。
どの技術を選ぶか迷っていて、ミスをしてしまったら、元も子もありません。

イチロー選手の凄さは、1つ1つの技術の高さもさることながら、
それぞれの技術を適切な状況で使い分けている部分にもあると考えられます。


技術を学ぶ場面では、あらゆる領域で、このことが関係してくると思うんです。
どの技術を、どの状況で使うか。

同じ技術を持っていても、状況に応じた適切な使い分けができるかどうかで
得られる結果は変わってくるでしょう。

もちろん、1つの技術を徹底的に磨き上げ、
どんな状況でも、その技一本で対応するという選択もあります。
その場合には、自分の技術で対応できないケースは断るのが前提になります。

その一方で、技術の種類を数多く身につけていると安心するのも人情というもの。
専門家としての自信であったり、臨機応変な対応をするための準備であったり、
色々なことができる喜びであったり、様々な要因が考えられます。

カウンセラーやセラピスト、コーチなどであれば
会話を中心にした様々な技法から、イメージワークや催眠まで
幅広い手法を使っていくことでしょう。

NLPは、そのものの中に沢山の技術が盛り込まれています。

営業や接客、販売、採用、コンサルティング…、
コミュニケーションを通じてなされるものにも沢山の技術があります。
質問や言葉かけ、フレームワークなど、数えきれないぐらいの手法があるでしょう。

コミュニケーションで優れた結果を出すためには、
効果的な言葉をどれだけ知っているかよりも、
どのタイミングで適切な言葉をかけられるかのほうが
はるかに重要なはずです。

こうした「状況に応じて適切な技術を選ぶ」技術が、
ほとんどの領域で説明されていない気がします。

逆にいえば、だからこそ成果を出した人は、
自分のやり方を正しいものとして説明したくなるのかもしれません。

本来は、技術を使う本人と、技術を使う相手と、技術が使われる状況が違えば
効果的な技術の種類は変わってくるほうが当然でしょう。

NLPやコミュニケーションに限らず、
「状況に応じて適切な技術を選ぶ」方法を整理していくことが
能力開発や教育という領域において大切になっていくのではないでしょうか。

2010年01月20日

ちょこっと炭酸

発見。
そして案の定、すぐに買ってみました。

ただ、一人で飲みきれないような予想があったので
セミナーに行く前に買うことに。

チョコレート風味の炭酸飲料。

炭酸チョコレート


























一度は飲んでみたい味でしたが、一口で十分に堪能できました。

予想よりもチョコレート風味が薄かったのが残念。
甘さを抑えて、ガッツリとカカオドリンクだったら
もっと美味しく飲めそうな気はします。

コストが上がってしまいますが。


こういう製品を見ると、どんな開発会議がなされているのかに興味が沸いてきます。

飲み物業界は商品の入れ替わりが激しく、定番商品以外は
すぐに消えていってしまうのが普通のことだそうです。

なので、「ペプシ〜味」のように期間限定発売と、
最初から生産数を決めて作ってしまうのも1つの手段なんでしょう。

売れずに消えていくよりも、「期間限定」の言葉で目を引けますから。
作ったロットを多く売る形で利益を求めるのかもしれません。

一ヶ月限定販売で、毎月新商品が展開されていくようなシリーズがあれば
コレクター心もくすぐりますし、先が楽しみになって面白いかもしれません。

キリンの「世界のキッチンから」は比較的それに近いスタンスでしょうか。
シリーズ化しながら興味深いものを入れ替えていく。

開発の労力はかかりますが、最初にシリーズを決めてしまえば良いので
そんなに悪い方針じゃないと思います。

今年はトロピカルドリンクの年、なんて決めて
毎月違う味わいが紹介されると、僕は一通り買ってしまう気がします。


ただ、このチョコレート味の炭酸飲料は、
どういう経緯で商品化されたのかが気になって仕方ありません。

意外と、鶴の一声で、お偉いさんの好みにハマってしまったとかだったりして。

2010年01月19日

2月の勉強会

2月の勉強会のお知らせ

今月は実用的なコミュニケーションの部分に関して2本立てです。

人を見るときの着眼点
コミュニケーション中に自覚して行う作業

どちらも過去の勉強会で触れたことのある内容を
アレンジと実践を交えながら取り組んでいく形になります。


『着眼点』に関しては、昨年の3月に扱った
『特性分類』を補う内容としてお伝えします。

これは観察に限らず多くの場面に共通して言えることですが、
自分自身の中の基準点や目の付けどころがハッキリしてくると、
それまでには「なんとなく」で片づけていたものが
高い精度で見極められるようになるということが良くあるものです。

芸術作品でも食べ物の味でも趣味の分野でも、
自分の好きなものは善し悪しの区別がつきやすいのは
自分の中に精度の高い基準が生まれているからです。

その基準を自らの経験から生み出していくこともできる一方で、
誰かから聞いた基準をベースに見極めるための経験を積んでいくことも可能です。

僕の見立てとして、野球のイチロー選手は基準を明確にしているように見えます。
自分の中にいつも基準を自覚し、それと照らし合わせながら修正していく。
基準の精度を上げつつ、習性の精度も上げることを繰り返してきたことが
9年連続200本安打という世界初の記録に結びついたのでしょう。

コミュニケーションにおいても、自分の中に基準となる着眼点を持っておくと
相手との関わり方を選びやすくなるはずです。

今回扱う内容は、コミュニケーション上での着眼点に関したものです。


その特徴を説明しておくと、それは人間のプログラムが作られる上で関わっている
プログラムの前段階としての特性です。

パソコンに例えるなら、OSのようなものでしょうか。
Windows7やら、Vista やらXPやら、MacOSやら Linux やらと色々ある。

そして、それぞれのOS上で動くプログラム(アプリケーション)が違う。
ワープロソフトや、プレゼンテーションソフト、画像編集ソフト、など
目的に応じた色々なプログラムが、それぞれのOSによって動きます。

OSごとに特徴があり、中には特定のOSでしか使えないプログラムもあるでしょう。
MacOSの画像加工や映像表現は綺麗だとか、OSごとの強みもある。

コミュニケーションのトレーニングも、コーチングや心理療法で扱うことも、
ワープロや画像編集ソフトの使い方を練習したり、
使いやすいものにバージョンアップしたりすることに喩えられそうです。

ところが、人によってOSにも違いがある。
インストールしようとしたワープロソフトが動かないかもしれないんです。

これが、心理療法やNLPのワークをする上での重要なポイントになります。

同じ手法であっても、人によって効果の出方が違う。
クライアントに合わせた手法を選択する必要があるんです。

この手法の選び方が、1つの腕の良さの理由になるでしょう。
もちろん、1つの手法を誰にでも使えるように工夫をしていくスタンスもありますが、
人それぞれの特徴に合わせた手法を選べる効率の良さもあるわけです。

今回の勉強会で扱う『着眼点』というのは、この「人それぞれのOS」の違いの部分です。

物事を理解するときの癖や、感情的な反応の癖、
人への関わり方の基本姿勢なども見えるようになるはずです。


この視点は僕が持っていたものを一年前に整理しようとして工夫したもので、
結果的にユングの視点と似た雰囲気を持つ内容になっていました。

それから約一年、自分の中で基準の精度が上がっていくにつれ、
もう少し細かく分けたほうが良さそうな部分が見えてきました。

そして昨年の途中で、言語の構造について自分の中で大きな発見があったことで、
それを踏まえた着眼点が追加されていったようです。

今回は、一年前に整理したポイントに、いくつか追加の視点を加え、
人を理解していく上での基準を作り上げていきます。

 ※ちなみに、NLPでメタプログラムと呼んでいるものとは全くの別物です。
  その違いも明確にしながら解説をするつもりです。


さて、もう1つのテーマ、『コミュニケーション中に自覚して行う作業』というのは
1月の勉強会で少しだけ触れた内容に関係したものです。

人は対人コミュニケーションの最中に、色々なことを意識します。
相手の話の内容を理解するために自分の経験を思い出したり、
相手の話を聞きながら相手の身になって感情移入したり、
相手に言われたことから自分の感情が動き、その気持ちを表現したり、
場合によっては「ちょっとトイレに行きたくなってきちゃった…」なんて思ったり。

自分がコミュニケーションの最中に、当たり前のようにやっている内容は
意外と人によって違うものです。

そして、その違いが表面的なコミュニケーション・スタイルや、
コミュニケーション中に自分が意識的にしやすいことと関わってきます。
共感するのが得意なのか、話を整理するのが得意なのか、相手を理解するのが得意なのか。

一般的に、共感するのが得意な人は、相手の話を整理するのは難しかったり、
相手を観察するのが得意な人は、自分の気持ちを自覚するのが難しかったりします。

コミュニケーションの最中に人がやっていることは色々とあるわけですが、
どの作業が得意か、どの作業を普段していることが多いか、という部分では
個人差が結構あるものなんです。

まずは、自分の傾向を自覚して、自分の得意分野を活かし、
それに加えて、自分が普段自覚していない作業内容をトレーニングしていきます。

その結果、できることが広がります。
コミュニケーション能力のベースが上がります。

野球やに喩えれば、バットをボールに当てるのが得意な人を想像すると良いでしょう。
ヒットは打てるけれども、足が速くない。
強みを活かせば、バッティングで活躍もできると思います。

そこから、筋力トレーニングをして、ボールを遠くに飛ばせるようになる選択もあります。
一方で、走るトレーニングをして、走力を上げる選択もあります。

ただ、ここで苦手分野だった足の遅さを改善するように努力すると、
足の速さで長打になったり、内野安打が増えたりしてバッティングの成果が上がり、
守備でボールを追いかける速さも上がって、守りでも活躍できる可能性があります。

ここで重要なのは、盗塁のタイミングを練習したり、
守備練習をしたりするのとは違うということです。

特定の技術を向上させるのではなく、苦手な能力を向上させるんです。
それによって、色々なところで底上げができるようになる。

ある程度、自分の中で得意なことが見えてきて、
自分の強みとなる能力を結果に結び付けられるようになってきている人ほど、
自分の苦手分野の能力を上げることが役に立つことがあります。

リフレーミングが苦手な人が、リフレーミングの技術を学ぶのではなく、
リフレーミングを考えるのに必要な能力を上げるためのトレーニングをするようなもの。

本来、こうしたトレーニングは、地道に、繰り返し続けたいものです。
まずは今回、そのトレーニングのキッカケを始めてみようという趣旨です。


勘の鋭い方はお気づきかもしれませんが、
両方のテーマには繋がった部分があります。
2つを同時に取り組めると、より役立つだろう考えての組み合わせです。

いずれか一方のご参加も可能ですが、ご都合がつきましたら
是非、両方にご参加いただきたいと思います。

この着眼点を持ち、このトレーニングを一年続けたとしたら
コミュニケーション力が相当上がるものだと自負しています。

会場の都合とトレーニングの質を考えると
ご参加いただける人数には限りがありますが、
多くの方の強みや特性を、お互いに学び合える場になれば幸いです。


  ※最近は多くの方からお申し込みを頂いています。
   定員を設けていますので、ご注意ください。
   定員を超える場合には先着順での受付とさせて頂きますのでご了承下さい。


  ※勉強会の趣旨に関しましては、こちら(勉強会070725)をご覧下さい。


詳細は以下のとおりです。




【勉強会の詳細】


【日時】 2月11日(木・祝)

     ◆午前の部 10:00〜12:30  
     ◆午後の部 13:30〜16:30


     ★午前、午後いずれかのご参加も可能です。
      「午前」、「午後」あるいは「両方」でお申し込み下さい。



【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)


【参加費】当日、会場にてお支払いください。
     
     ◆午前の部 ・・・4,000円 
     ◆午後の部 ・・・5,000円 
     ◆午前・午後の両方 ・・・7,000円

    
    
テーマ: 午前の部…『コミュニケーションの着眼点〜特性分類〜』
     午後の部…『コミュニケーション力ベースアップ・トレーニング』


 *多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、
  学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
  ご了承ください。




NLPでは人の特徴を、五感の使い方によって分類したりします。
視覚が優位な人、聴覚が優位な人、体感覚が優位な人、と。

それに、言葉での整理が得意な人という見方を加える方法もあります。

3つに分類するにせよ、言語優位なタイプを加えて4つに分類するにせよ、
この特徴の見立て方は不正確な部分を含んでいる気がします。

とりわけ、外から他人のタイプを察するときの特徴づけの方法は
随分と情報が入り乱れてしまっている印象を感じてしまいます。

NLPがどのように発展してきたかという歴史に関しては
僕はあまり興味を持っていませんので詳しくありませんが、
もしかすると初期段階での説明の仕方に後から色々と加えていったのかもしれません。

メタプログラムも、後から色々と追加されていった分野のようです。

特徴を見るだけであれば、着眼点や分類の仕方によって
色々な流派が出てきても構わないでしょう。

今回の勉強会で紹介する着眼点も、他の理論体系に反対するものではありません。
別の視点を取り入れることもできるだろう、ということです。

ただ、重要なのは「相手に合わせる」ために何ができるか?
ということではないでしょうか。

相手の特徴を知り、自分の特徴を知る。
そこに違いがあることが分かる。

では、どうやって、その差を埋めていくか。
根本的な部分が違う場合ほど、相手に合わせること自体が難しくなるはずです。

今回のポイントの1つは、その部分です。

相手に合わせるために、自分のやり方を変えられるようなトレーニングも行うわけです。


自分らしさとは、他人との比較の中で生まれてくるもののようです。

その一方で、他人と比べてばかりというのも寂しいものでしょう。
自分の中に基準が持てれば、それに越したことはないかもしれません。

そのための1つの方法が「自分自身で色々なことができるようになる」
というものだと思います。

今までの自分と違うやり方、他の人のやり方も出来るようになる。
両極端が意識的にできるようになれば、
自分にとって心地良いグレーゾーンが見つかってくるでしょう。

両極端の性質を知り、両方ができるようになっていくためのトレーニング。

そんなことができれば面白いのではないかと考えています。

週の中ごろの祝日ですが、ご興味とご都合が合えば、是非お越しください。

参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。
(*は必須項目です)


終了しました

トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています

2010年01月17日

新しモノ好き

コンビニに行くと、いつも新商品に目が止まります。

とはいえ、どんな類の商品でも、というわけではありません。

たぶん、スナック菓子やカップ麺でも色々な商品の移り変わりがあると思いますが、
そちらは棚の前すら通らないので、買うことは滅多にないんです。

僕が日常的に気にするのは飲料品。
ペットボトルの飲み物は色々と試している気がします。

以前は、缶コーヒーも一通り試していた時期がありますが、
最近の好みはドリップ式のコーヒーに移ってきているので
自販機でコーヒーを買うとしてもカップのやつを選ぶことが多いようです。

あとは、セミナー中だけ食べるアメの類でしょうか。
アメは予測のつかない味を表現していることがあるので、興味がわきます。


先日も、僕が「新しいモノ好き」な印象を持っている方と話しましたが、
僕が興味を引かれるのは「新しい」かどうかではなく、
「どんな味か想像できない」部分のようなんです。

なので、数年前にはデパートの地下の生鮮食品売り場で
珍しい野菜や果物を買ってくるのが流行っていたことがあります。

ドラゴンフルーツとかスターフルーツとか、
トロピカルで味が予想もできないような果物は楽しかったものです。

鮮度の良い、生食用のトウモロコシなんかも飛びついて買った記憶がありますし、
トマトに力を入れていた時期もあります。

ただ、珍しい野菜や果物、美味しいトマトなどは、
普通の野菜や果物と比べると10倍以上の値段がすることもあったからでしょうか、
ブームはいつの間にか過ぎ去ってしまいました。

当時は、茶道をやっていた時期でもあったので
お茶で使う和菓子を買いにも行っていましたから、
合わせて振り返ってみると、『ゆっくりと味わう時間』が大切だったように思います。

会社が忙しくバタバタしていた自分にとって
一人になって、口の中と鼻の奥の感覚に集中する時間が
大きな気分転換だったのでしょう。

最近は、心と体に関して、内面に意識を向ける時間が増えてきたためか
「ゆっくり集中して」という意味合いが減ってきた気がします。


今も残っているのは「どんな味だろう?」という好奇心の部分。
その好奇心は、目や耳で仕入れるものではなく、舌と鼻で仕入れるものなんです。

ですから、Windows7が出ても、それほど気になりません。
パソコンを買い替えようかな、という気持ちと連動すると気になり始めますが、
いつも新しいものを気にしているわけではないんです。

昨年に携帯を買い換えてしまいましたから、
最近は携帯のことも全く気にしなくなっています。
もう売り場に足を運ぶことさえありません。

でも、僕の味覚と嗅覚は好奇心に満ちている。

NLPでは表象システムといって、視覚・聴覚・体感覚で分類するケースが多いですが、
一部では4-Tuple といって、視覚・聴覚・触覚・味覚+嗅覚の
4種類で扱うこともあります。

その点でいえば、僕は味覚+嗅覚タイプのようです。


で、最近、買ってみた新商品がこちらの2点。

カテキン緑茶


























梅カルピスソーダ


























僕の中では、カルピスソーダ梅味は結構なお気に入りです。
梅ガムとカルピスを合わせて、炭酸を加えた感じ。

一方、ビタミンカテキン〜のほうは、至って普通の緑茶でした。
まぁ、当たり前なんですが。

成分表示のところを良く読まずにイメージで買ってしまったのが失敗。
10kcal程度はあるように書かれていたので、
糖分が入っているだろうと推測してしまいました。

でも、その実態は「環状オリゴ糖」と書かれている
「シクロデキストリン」に由来するものだったようです。

シクロデキストリンは食物繊維で輪っかを作ったようなもので、
多分、その中にカテキンを閉じ込めて抗酸化作用を長持ちさせているのでしょう。
カテキンの苦味も抑えられているかもしれません。

ビタミンCにしても、普通の緑茶でも酸化防止剤として入れていますから、
分かりやすく言うと、ソフトなヘルシア緑茶みたいな感じでしょうか。

まぁ、ペットボトルの緑茶に良くある味です。

僕は緑茶に甘みを加えたヤツが結構好きなので、期待してしまったんです。
思い込みで判断してはいけませんね。

まぁ、一度味をみてみたいという欲求は満たされたので、良しとしていますが。

cozyharada at 23:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2010年01月15日

上から理解する人

世の中には、ものすごく言葉の定義にコダワリを持つ人がいます。
辞書的な情報整理の仕方とでもいいましょうか。

僕の場合は違います。
言葉を思い浮かべると、それに付随する映像イメージや体の感覚がよみがえる。
それも具体的なものではなく、抽象的に整理された五感の情報として。

なので、抽象的な単語(勇気、成功、信頼…など)を想像すると
映像的にも抽象的なイメージがそのまま浮かんでくるので、
それを言葉で説明しようとすると難しいんです。

例えば、「動物」という概念を説明しようとした場合にも
抽象的なボヤーっとした動物の映像が浮かんできます。
犬や猫やゾウや牛のように特定の動物が浮かぶのではなく、
曖昧でヘンテコな、マンガで描かれたような動物のイメージが出るんです。

どちらかというと、「動物」と言われると、
特定の身近な存在が浮かぶ人が多いようです。
犬を飼っていれば、自分の飼い犬が浮かぶようなことでしょう。

僕の場合は、相手の話を聞くときに、このボヤーっとした曖昧なイメージが
鮮明で特定されたものになっていくように質問をするので
自分勝手な理解をしているかどうかをチェックしやすいようです。


僕がやっている言葉の理解の仕方は、
五感の情報の組み合わせで概念のネットワークができていて
それぞれの概念に対して言葉のラベルが貼られている感じです。

非常にNLP的というか、NLP的にはオーソドックスというか。
NLPをやったからそうなった、というよりも、元々そういう整理の仕方をしていたから
NLP的な理解の仕方がスムーズだったんだろうと思います。

そんな風に五感の情報だけで概念ネットワークを作っていると
抽象的な単語の1つ下のレベルの単語を探すというのが大変です。
(そのこと自体は一般的だとは思いますが)

例えば、「成功」という言葉は色々な場面で使われますから、
いわゆる成功法則で言われるような経済的に豊かな状態になることもそうですし、
お好み焼きを綺麗にひっくり返すように、難しいことが上手くいくのも「成功」です。
リスクの大きいギャンブルのような取り組み、
例えば野球の盗塁が「成功」というのもある。
リスクはなくても、初めて出来た経験も「成功」と言うでしょう。

まず、「成功」という言葉が使われる具体的な場面を想定して、
その中で捉えられている「成功」の概念を抽象的に取り出して、
それから、それを言葉で説明しようとする。
そんなステップを踏まないと「成功」のすぐ下のレベルの言葉は出てきにくい。

「成功」とは何か?と聞かれたときに、
「本人にとって難しいことができること」と定義を説明するのは
なかなか簡単な作業ではないということです。

辞書に書かれているのは、まさに、このレベルの説明。

で、世の中には、こういう辞書的な説明が得意な人がいるんです。
普通に、抽象的な言葉を、もう少しだけ詳しい抽象的な言葉で説明できる。

言葉のラベルだけでネットワークができているような印象を受けます。
ペーシングをしながら話を聞いていても、映像的なイメージが浮かびません。
僕からすると内容を把握するのが結構大変。

メインのグループ分けの特徴が言葉の定義なんでしょう。
言葉を別の定義で説明するネットワークができていて、それがメインになっている。

「石」とは「岩」の小さいもの。直径が〜cm程度。それより小さいと「砂」という。
…なんて具合に言葉を理解している感じでしょうか。
たぶん、「岩」や「砂」の説明をしても同様になると思いますが。

五感の情報をベースにすると、「石」は小さくて固い塊。灰色系統のことが多い、
…という具合でしょう。

科学では、同じレベルの言葉を使わずに説明する習慣がある気がします。
「石」を説明するときに「岩」や「砂」を使わない。
「無意識」を説明するのなら、「意識」や「心」を使わない。

科学的には「石」は、ケイ素と酸素からなる化合物に、金属類が混ざった固体。
純粋な酸化ケイ素は石英(水晶)となり、混ざる金属イオンによって色が変わる。
地中深い場所で高温高圧のマグマとして液体になっていたものが、
地表に表れて冷やされることで生まれる。
その冷やされ方の違いで結晶化の仕方が変わり、色や形、固さなどの違いが生まれる。
…そんな感じ。

多分、僕は科学をやっていた関係で、何かを説明するときには
別のレベルの情報を組み合わせて考える習慣がついているんだろうと思います。
「石」そのものを説明せずに、「石」にまつわる情報を説明する。

それを映像的なイメージを使いながらやっているんです。
上の「石」の説明は、僕の中で全て映像で浮かんできます。


ですから、「石」を「石」と同じか近いレベルの「岩」や「砂」を使って
説明する方法には慣れていないんでしょう。
辞書的な言葉の説明は、そこに映像イメージが浮かびにくいこともあります。

僕には、そのタイプが合わないといってしまえば、それまでですし、
一般的にコミュニケーションをする上では少数派だとも思います。

僕が職業的にクライアントとして関わるとすると、
そういう人に合わせた対応を考えるので、物凄く困るわけではありません。

ただ、僕の話を聞いてもらう相手がそのタイプだと
会話が噛み合いにくい印象が避けられません。

相手に合わせる方法もありますが、聞いてもらう相手に合わせて
自分の内面にあるものを語るというのは、えらく複雑な作業ですし。

1つの解決策は、おそらく、その言葉を一度上のレベルにチャンクアップして
上のレベルで比較して区別する方法だろうと思います。

「成功」を説明するために、僕は「成功」をチャンクダウンしてから理解しますが、
先にチャンクアップしてしまうということです。

「成功」の上のレベルとして、「結果」のようなものを想定する。
やってみた結果ということです。
それに対して、「成功」と「失敗」に分ける。

あるいは、成功法則で言われる「成功」であれば、
「すでに上手くいった段階」と考え、「まだ上手くいっていない段階」と区別する。
チャンクアップされた言葉は「過程」でしょうか。

そういう発想の取り入れていくことも、役に立つ可能性がある気がします。
好きではないんですが、できるに越したことはないでしょう。

NLPをやっている以上、苦手だったことは違うストラテジーを利用することで
できるようになっていくことを身をもって示したいところでもありますし。

ちょっとチャレンジですね。

2010年01月13日

頭に血が上りやすいタイプです

個人的に、今年の1つの大切なテーマは
【頭の血を上手く流すこと】
になりそうです。

どうやら僕は頭に上がった血流が、首から上で滞りやすいようで。

考え事をするときに、首から後頭部にかけて赤くなることを
これまでに何人かの方に指摘されています。

頭に血が上って熱くなるという感覚ではありませんが、
頭部全体がボワーッとした感じになったり、重たい感じなったりすることが多いですし。

肩コリ、首のコリが強いのも、血流の悪さを反映しているとすると
首から上の辺りに血が滞りやすいだろうとも考えられます。


会社にいたときに転倒して頭部のMRIを撮ったことがありましたが、
そのとき偶然に発見された血管の奇形も、もしかすると関連があるのかもしれません。

頭部まわりの血管の奇形そのものは、意外と良くあることらしいですが、
僕の場合は、頸椎動脈が細くて、一般的には無くなるはずの血管を使って補う部分と、
脳幹に向かう血管が細くて、前頭葉への血流が多い部分と、
2つの注意点を指摘されています。

頸椎動脈の細さは、分岐の部分に血が滞留しやすくなるようで
動脈瘤になる可能性があるんだとか。
定期的に検査したほうが良いみたいです。

脳幹へ向かう血管が細いのは、通常と違うルートで血を流しているらしく、
一般の人よりも脳幹への血流量が不安定になりやすいそうです。

脳幹は生命維持や身体機能そのものに関係する部位なので
めまいや立ちくらみを起こしやすいのは、そのせいだろうという話でした。

その血管が過度に収縮したり、詰まったり、負荷がかかったりすると
全身の運動機能にも影響するかもしれないので注意が必要だそうです。

医者いわく、タバコは血管を収縮させるので絶対にダメ。
まぁ、僕は元々タバコを吸いませんから気にはなりませんが、
他人のタバコの煙もドクターストップされてはいます。

とはいえ、脳幹は大事な部分なので複数の血管が集まっていますから
他のルートからの血流で機能は補えていると推測されます。

MRIの結果では、前頭葉に流れた後で戻ってくるルートが
メインになっていそうな様子との話でした。

僕の考え過ぎ傾向は、前頭葉への血流とも関係しているんでしょうか。

なんとなくですが、MRIの結果からしても
頭部の血流が戻ってきにくい雰囲気を感じます。


ある程度、体のケアを意識していますので定期的に整骨院には通っていますが、
世間一般に合わせた方法だと、下半身への施術が多いみたいです。
聞こえてくる他の人の治療内容は、僕と随分違います。

高級マッサージチェアのベッド版みたいな「ローラーベッド」でも
ほぐすための中心部分が下半身に行っている印象を受けます。

通常は、日常生活で立ったり歩いたり、直立の姿勢をとっていることで
心臓から送り出された血流が重力に逆らって戻ってこなければいけないので、
足に血が溜まりやすいわけです。

立ち仕事の多い人は足がむくみやすかったり、
疲れてくると頭の働きが鈍ってきたりするのも、
下半身に流れていった血が戻ってきにくいからと考えられます。

心臓からポンプのように送り出される血圧だけでは
足先から戻してくるのに負荷が大き過ぎるため、
ふくらはぎ辺りの筋肉のミルキング・アクションと呼ばれる運動によって
足先の血を心臓まで送り戻すわけです。

足が疲れてくると筋肉の働きも弱まり、ミルキングの力も低下して
下半身の血液が戻ってきにくくなる。

それで一般的な身体疲労のための施術には、下半身のマッサージが多いんでしょう。
僕以外の人たちの多くは、足のマッサージを受けているようです。


ところが、僕は小学校の頃から、休日に寝過ぎたりするだけで
頭が痛くなることが多かったんです。

体が疲れるようなイベントの後、泥のように眠る。
すると起きてから決まったように頭が痛くなる。

家にいてゴロゴロしている時間が長くても、やっぱり頭が痛くなります。
学生時代、休日に家にいると、それだけで頭が痛くなっていたので、
休みの日も理由をつけて外出するように工夫していたものです。

逆に、会社員時代、一日の合計睡眠時間が3時間を切るような生活を続けていたときは
普段の生活の中で頭痛が起きることは少なかったのを覚えています。

年末年始やお盆休み、ゴールデンウィークなど、長い休みがあると
普段の睡眠不足と身体疲労を補うように一気に睡眠をとる。
すると体の疲れは取れていくのに、慢性的に頭が痛くなるんです。

目の下にクマがあるぐらいのほうが、頭痛は起きにくいらしい。
重力で血を下げられるような直立の姿勢をとっている時間が
僕の体の特徴には必要だったのかもしれません。

実際、頭が重いような状態や、肩・首のコリが強いときには
休もうとして横になるほうが逆に痛みも大きくなってしまいます。

痛みが強いから整骨院に行って、施術台に横になると、痛みが酷くなる。
頭の中で心拍数が分かる感じに、グワングワンとなってきます。


色々と思いを巡らせるほどに、頭の血を下げる工夫が必要に感じてきます。
モチベーションが高まって僕には好都合です。

とはいえ、「これならやってみよう」とスムーズに思えるものも多くないのが現状。
僕の中のイメージとしては、背中側を通して血流を下げたいところなんですが…。

自分で続けたいと思えるものを探していくのが今年の1つのテーマでしょう。

まぁ、そんな風に気持ちを向けること自体も大切な要素なんだとは思っています。

cozyharada at 07:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP
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《カウンセリング講座》
〜セルフイメージの整え方〜


【日時】 2017年4月23日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    303集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


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《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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