2010年06月

2010年06月30日

輸入文化のコミュニケーション

日本にはアメリカ生まれのものが沢山輸入されます。

手に触れる物品だけでなく、ビジネスでも心理でも自己啓発教育でも
考え方や技術などが取り入れられることが多いようです。

確かにアメリカのほうが、そうした考え方が
進んでいるということもあるのかもしれません。

僕にとって馴染みのあるコミュニケーションや心理療法の分野であっても
多くの手法が海外から発信されているものです。

そこには生み出す人の文化的背景もあるような気がします。
オリジナルを主張していかないと評価が得られない土台があるみたいですから。
名前をつける必要があるのでしょう。

逆に日本では、日本人の誰か個人が開発した技術や考え方よりも
欧米で広く活用されているものを取り入れることが好まれるようです。

海外で実績があるのだから大丈夫だろう、ということなんでしょうか。

もちろん、NLPもコーチングも輸入物です。
その中には、英語やアメリカの文化に基づいた部分があるように思えます。

仮にビジネスの分野であれば、何かの考え方を応用してやってみて
完全に取り入れられなくても結果が出れば大成功なわけです。

コーチングやカウンセリングでも、やってみて上手くいくものを使えば良い
という発想も大事だとは思いますが、人の心を扱う以上
僕自身の好みとしては、もっと技術として洗練されていて、
相手にマッチする可能性が高いものにしていきたいという想いがあります。

だからこそ、言語や文化の違いを知っておくことは大切なように感じるんです。


例えば、英語というのは話者依存性が高く、
話し手自身が相手に伝わるように工夫しながら話すことが求められます。

日本語は言わなくて良いことは言わないし、
お互いに読み取ることの大切さも多くの人が感じるところでしょう。
だから「空気が読めない」なんて言葉が広まったんだと思います。

その一方で、英語と日本語では、非言語メッセージを含まない言葉そのもので
表現できる情報の量が大きく違います。

日本語の言葉は繊細なんです。
言い回しを工夫することでニュアンスの違いを出せる。

英語はもっとシンプルな構造のようですから、ニュアンスや気持ちの違いは
アクセントやイントネーションといった非言語の部分で意味づけられたりする。

日本語と比べて英語のほうが抑揚があって、表現豊かに聞こえるのは
この言葉だけでは足りない情報を非言語で補う必要性とリンクしているんでしょう。

まして、話し手が分かりやすく表現する必要性があれば、
言葉の言い回しに加えて、非言語メッセージの部分で情報を表現して
相手に分かってもらおうとするのも自然なことだと思います。

日本人は感情表現が小さいようなことが言われる時もありますが、
それは大袈裟にしていないだけであって、着眼点の違いなんじゃないでしょうか。


そして、この分かりやすく伝えるという話し方の中には
結論を先に言うとか、話の展開を予告するとか、
全体を伝えてから詳細な情報で補足をして主張を裏付けていくとか、
いわゆる論理的な話の展開が使われるようです。

日本語よりも、この傾向が強い。

「私が今、言いたいことは、〜ということです。
 その背景には、…といった事情があります。
 〜だといえる根拠は、以下の通りです。
 1つはA、2つ目はB、3つ目はCになります。
 まずAに関しては、……です。
 それには〜〜のような理由があります。
 具体的には――
 … 
 …Bについては…
 …
 …最後に、Cにおいては…
 …、
 以上のことからも〜だと言えるのです。」

こんな感じの話の進み方が使われることが多い。
日常会話でも結論を言ってから理由を伝える場合が多いと言われます。

こういう話し方をしていれば、当然、
マインドマップなどは非常に使いやすいはずです。

マインドマップは中心にテーマを書いて、
そこから枝を伸ばしていって、末端に行くほど細かい情報になっていく構造。

日本語の話し方をマインドマップにしようとすると
聞き手のまとめ方によって構成が変わっていきやすいでしょう。
同じ話を聞いても、描く人によって違ったものになるかもしれません。

その時点で話されている内容が、何に繋がる情報なのかが不明瞭になりやすいんです。

英語は予告があり、先に大枠の情報が提供され、
それをサポートするための詳細な情報で理解を進めさせようという
ハッキリした流れがある。

放っておいても、中心からマインドマップを描いていけば
テーマ→ポイント→根拠・具体例などのように枝が伸びていくわけです。

で、同じテーマの中で、どのようなポイントが話されるかも予告されていますから
最初にいくつぐらいの主要な枝が伸びるかも予測しやすいですし、
その時点で話されている内容が、何を伝えるための情報なのかも整理がしやすいでしょう。

話を聞きながらマインドマップを描いていけば
自然に論理的でポイントの整理されたものが出来上がる。

話を聞きながらメモをとっていくと、それがマインドマップであろうがなかろうが、
「今、話したこと」というのが表面的に意識されます。

紙面上には、話された順番に文字が書かれていく。
当たり前のことですが、大切なポイントです。

何も考えずにメモを取っていくと、話された言葉が順番に
紙の上から下に向けて並んでいくだけになります。

日本語でマインドマップを効果的に描こうとすると、
話した順番ではなく、話の意味や内容、抽象度、位置づけなどを考慮しながら
相手の話を関連付けて整理していくことになるはずです。

それが英語の場合には、聞くままに描いていくだけで
綺麗にマップの形が整理されていく。
そんな話し方をする言語だということです。

マインドマップのメリットは論理的な構成を整えるところではない
という意見もあるとは思いますが、言語の特徴として見たときには
紙面の使い方としても、頭の中の余白の作り方としても
英語の話を聞くときのほうがスッキリと使えるように思います。

逆にいうと、日本人が英語を理解するときには、
日本語のように、内容や気持ちを察するように聞くのではなく、
頭の中にマインドマップを描くようにして論理展開の構造を捉えながら
主張を把握していくのが効果的なんじゃないでしょうか。

普段から、主張と根拠を論理的に意識しながら情報交換をしてれば、
それは議論のような会話が起こりやすいのも当然な気がします。

同様に、日本人のコミュニケーションスタイルについて理解を深めようとしたら、
日本人の日本語のコミュニケーションを知っているだけでは不十分なのかもしれません。

外から日本語を眺めて分析してみることの重要性を感じます。
それが分かってくれば、輸入物ばかりではない日本人向けの技術や考え方も
自然と洗練されてくるように思います。

2010年06月28日

ゲームに見る「英雄の旅」と「リソース」

あまり僕はテレビゲームをやっていなくて、それほど詳しいわけじゃないんですが、
ロールプレイングゲーム(RPG)と呼ばれるタイプのゲームは
人生を冒険に喩えながら、上手く反映しているところがあるように思います。

最後にやったRPGは、ファミコンのドラクエ犬世辰燭呂困任垢ら
聞きかじりの情報になってしまう範囲内でも、人生となぞらえたくなります。

まぁ、もともと「ロールプレイング」という時点で「役割演技」なので
自分以外の人生をゲームで楽しむというのが1つのポイントなのでしょう。

そして、冒険という設定がまた、人生との関係を考えさせるようです。

それは非現実的な世界を楽しむだけでも、
未知の世界への探究心を掻き立てられるだけでもなく、
自分の人生を生き抜くことそのものが冒険のように感じられるところが
多くの人に共通しているのだと思います。

「ヒーローズ・ジャーニー」という考え方が納得できる場面かもしれません。

ただ、一般的なゲームと大きく違うのは、主人公であるはずの自分の、
冒険の目的が分からないままに旅が始まっているところでしょうか。

僕の知っている古いドラゴンクエストの場合には、
悪いヤツを退治して帰ってくるというシンプルな目的がありました。
それをゲームの冒頭で教えてもらえる。

それがドラクエ犬任蓮⊂し違っていたように記憶しています。
それぞれの登場人物には、当初さまざまな旅の目的がありました。
その旅人たちが物語の展開の中で出会い、共通の目的を見つけて
旅を共にすることになる。

この辺のストーリー展開も、なんだか人生を思わせるところがあります。

一時的に仲間になった人物が、目的を1つの目的を達成すると
主人公たちから去っていって、別の道に進むこともありました。
ゲームのエンディングも、皆が離れていったような気もします。

 なんとなく始まっている人生という旅。
 その中で誰かと偶然に出会い、目的を共有する場合がある。
 そして共通の目的が達成させるまで、その縁を元に旅を共にする。
 
 お互いの目的が満たされ、新たな目的が別の方向性になったとき、
 旅人は別れを告げて別の道を進んでいく。

そうした出会いと別れを繰り返しながら、
人は自分の道を進み、旅を続けているのかもしれません。


もう一点、ゲームの中には様々な特徴を持った人物が登場します。
これも人生を反映している気がするんです。

そうした特徴の中には、個人の性質として決められたものもありました。
力の強いヤツ、すばしっこいヤツ、頭の良いヤツ…。
それぞれの個性に合わせて、活躍できる方向に成長させていくのも
ロールプレイングゲームの楽しみの1つなんでしょう。

ドラクエを始めとするいくつかのゲームの場合には「職業」という発想があって、
それぞれの職種によって使える技能や個性が変わってきます。

例えば、「戦士」なんていうのは、力を使って格闘をするのが得意分野で、
特に武器の扱いが上手く、数多くの武器を使えるという特徴があったりする。

もちろん、すばしっこいヤツが戦士をやっても良いけれど、
力のあるヤツが戦士をやったほうが個性が活かせたりする。

この辺りも、自分の能力に合わせて仕事を決めるという
人生の一面を思わせるところでしょう。

で、最新のゲームに近づいて、設定が高度になるほど
職業の持つ意味合いも進化したらしいんです。

職業ごとに「特技」という考え方が登場します。

ロールプレイングゲームでは「魔法」というのも1つのポイントになっていますが、
魔法とは別に「特技」というのが出てくる。

例えば、「戦士」の場合には、通常は一回に一匹の相手にしか攻撃できないのが、
複数の敵に対して同時に攻撃をしかける技を習得したり、
仲間を応援して元気づけたりする特技を身につける職業もあるようです。

日常生活であれば、専門職として仕事をしているうちに
技能を身につけていくプロセスと似ていると思います。

カウンセラーであれば、相手の話を整理する技能や
リフレーミング、思い込みを変える質問など、技能を駆使するわけです。
最初は上手く出来なかったものが、
熟練するにつれて高度なことができるようになっていく。

当然、職人芸的な超一流の技能は、限られた才能の人や
長い間ずっと同じ職業を続けている人にだけ身につけられる。

ゲームにおける「特技」も、その辺りを上手く反映しているようなんです。

ある職業になって、経験を積むと習得できる技能があり、
さらに経験を積むうちに新たな技能を習得していく。
もちろん、後で習得する技能のほうが高度で価値のある技になっている。

超一流の職人芸は、当然その職業を続けていなければ身につきませんが、
成長の速度が、熟練するほどに低下していくというのも面白いんです。
ある時期、急激に成長する頃合いもありますが、本当に高度な特技は
同じ職業で経験を沢山積んで地道な活動を続けてからでないと身につかない。

一方、ある職業を一定のレベルまで習得して初めて
次の段階に進める上級の職業というのもあったりします。
例えば、戦士と武闘家の両方をマスターしてからでないとなれない職業があったり。

そうやってなった上級の職業には、やはり
それだけでしか身につけられない高度な特技があるんです。

上級の職業になるためには、条件として決められた複数の職種を
マスターしている必要があるようなんですが、
この「マスターしている」というレベルは最終レベルを示してはいません。
ここも興味深い。

まったくの駆け出しでは条件に満たないけれど、
完全に一流のレベルまで習得している必要もない。

当然、非常に高度な特技を身につけるまで経験を積んでから
次の職種に変わっていっても構わないのでしょうし、
そのほうが色々な特技が使えるんだろうとは思います。

ただ、それは大変。
沢山の経験を積む必要があります。


こういったゲームの中には、様々な職業を経験し、
色々な特技を身につけていくプロセスがあります。

身につけた特技は失われることなく、その人物の強みとして残っていきますから、
どんな職業を経験し、そこでどの程度までの特技を身につけて
次の職業に移っていくのかが、成長の中身を決めていくことになります。

最終的になりたい上級職を狙って、最低条件だけクリアしていくのも作戦でしょうし、
1つの職業を徹底的に極めるのも意味のある方向性でしょう。

徹底的に時間をかけて、数多くの職業を完全に極め、
ありとあらゆる特技が使えるようになりたい人もいるかもしれません。

ただ、これはゲームなので、時間制限がないという特徴があります。
沢山経験を積めるかどうかは、ゲームをやっているプレイヤーが
ゲームにどれだけの時間を注ぎ込むかに関わっています。

もちろん、人生においても1つの仕事を他の人の2倍のスピードで
2倍の時間かけて、合計4倍の経験を積むようなことも可能かもしれませんが、
どんなに頑張っても人生には時間制限があるんです。

ゲームのように、1つの職業を完全にマスターしてから次の職業には変われません。
プロ野球選手で三冠王を取ってから、プロゴルファーとして4大メジャーを制覇して、
弁護士の資格を取って弁護士として活躍したのちに、会社を経営して長者番付にのり、
お笑い芸人としてM−1で優勝し、化学者としてノーベル賞を取って
映画監督として大ヒットを飛ばしながら電車の運転手をする…
なんていう人生はあり得ないでしょう。

その一方で、ゲームと違うのは、人間社会では「教わる」という経験があることです。
師匠や先生に技能を教わることができる。
それによって習得のスピードを速めることができます。

そうした学習の効率を上げながら、限られた時間の中で
個性を活かしつつ技能を身につける。
そして、自分の個性と技能を組み合わせて、自分らしさを活用していく。

そんな風にして磨きあげた自分だけの持ち味が
その人の人生という冒険の旅を支える強みになっているのでしょう。


自分には、どんな個性があることに気づいてきただろうか。
自分は今まで、どんな技能を身につけてきただろうか。
そして、この先、どんな技能を身につけていくのだろうか。

そうやって考えた上で、自分の旅を見つめてみるのも興味深いように思います。

cozyharada at 23:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2010年06月26日

タイプ分けのタイプ分け

世の中には、色々なタイプ分けがあります。

大きく分けると、それらは
 ・人を大まかに分類して、理解を簡単にしようとするもの
 ・人の細かい特性を見て、相手を少しずつ理解しようとするもの
というように、2つに分類できると思います。

「大まかに分類して理解を簡単にしようとする」というのは
極端な例だと、血液型別の性格分類のような場合です。

A型の人は几帳面で神経質、O型の人は大らかで大雑把、といった感じでしょうか。

僕はあまり血液型の話は詳しくなくて、どちらかというと
血液型を決める遺伝子や、タンパク質に結合している糖鎖の種類とか
そういった分子レベルの話のほうが情報量が多いぐらいです。

血液型別の性格分類は、相手の血液型を聞いて、
その情報を元に相手の性格を推測して、
相手を理解するのを簡単にしようとするものでしょう。

「あの人はA型だから、几帳面な性格のはずだ」といった具合い。
また、その人の几帳面な部分を見たときに「やっぱりA型だ」と安心したり。

こうしたタイプ分けは、相手をシンプルに理解して、
分かったつもりになることで自分が安心しようというスタンスだと言えます。

で、僕は、その手のタイプ分けが好きではないので
ここで例を数多く挙げるほど批判ばかりになってしまいますから
とりあえずは、よく耳にする血液型ぐらいにしておきます。

手短にいうと「〜タイプ」というのを数種類用意して
全ての人をそれに分類して当てはめてしまうものです。

なぜ、僕がその手の分類を嫌うかというと、
それは人を分かったつもりになって、
実際の目の前の人を見なくさせる手段だからです。

全体的な傾向を理解して、世の中の動向を把握したりするような場合には役立ちます。

例えば、新しく会社を立ち上げる時期には
情熱的で、行動力があって、目標意識が強い人が活躍し、
その会社が安定してきた頃からは
冷静で、分析力があって、問題解決能力の高い人が活躍する、
といった感じ。

これは、もう最初から全てが全体的な傾向の話だけで進んでいますから
大雑把な分類であっても問題は起きにくいでしょう。
当然、例外的なものもあるでしょうが、最初から傾向の話ですから
「そういうことが多い」という理解で構わないと考えられます。

ところが、こうした大雑把な人の分類の仕方を
特定の個人との人間関係に当てはめた場合、それは問題になってくると思います。

目の前の相手が例外的な人である可能性があるからです。

この手のタイプ分けは、複数の特性をセットにしていることが特徴です。
「情熱的で、行動力があって、目標意識が強い」のを1つのタイプにする。

ただ、世の中には「情熱的で目標意識が強い」特性を持っていても
自分から何かを始めるような行動力を持ち合わせない人もいます。
夢を情熱的に語ることで、周りの人を巻き込んでいく人などでしょうか。

ところが、「〜タイプ」だと思って当てはめて見てしまうと
「情熱的で目標意識が高い」から、当然「行動力がある」はずだと
勝手に想像してしまう危険性があるんです。

これが問題なんです。

人を大きく数タイプに分類した時点で、
目の前の人を見ながら、相手そのものを見なくなるんです。

多くの人が経験する話に当てはめると、
初対面で「良い人そうだ」と印象を持って関わっていたら
長く関わっていくうちに予想外の嫌な部分を見てしまって
「こんな人じゃないと思っていたのに…」なんてガッカリする、
というのに似ています。

自分の中の特定の人物像に当てはめて相手を見ていて、
目の前の相手を見なくなるんです。

一般的に、人は他人をそうやって理解するものです。
過去のパターンに当てはめて推測しながら関わるんです。

良く言われる「人間関係では第一印象が大事」というのは、そのためでもあります。
相手は一瞬のうちに過去のパターンに当てはめて、自分のことを判断してしまうんです。

そんな特性が誰にだってあるにも関わらず、
数少ないタイプに分類して人を見るようにさせるという行為は
ますます目の前の人を見なくさせる問題を含んでいると思うんです。


特性という考え方自体が、人の振る舞いを全体的に眺めて
傾向を見ていくことで生まれるものです。

「この人は、初対面の人に対して自分から話しかけに行くことが多いなぁ」
という印象が
「この人は『積極的』な人だ」
という特性を見させるわけです。

実際には、「初対面の人に対して自分から話しかけに行った」
という出来事を見たのですが、そこから特性の判断に移行していく。
それは推測なんです。

ただ、この推測は当たることが多い。
なぜなら、人は自分の行動をパターン化しているものだからです。

一瞬一瞬で求められる行動を、全て意識的に判断していたのでは
考えることが多すぎて大変ですから、人はそうした日常的な行動に慣れて
パターン化した対応を取るようになります。

その意味で、行動のパターン化された特徴は
似たような状況では、同じような行動を取らせると考えられるわけです。

もちろん、例外的なことがあるのは当然ですが、
傾向として強く表れる特徴というのが目につくのは実際に良くあることでしょう。

なので、細かい特性を見ていく行為は、
相手を理解していく上での1つの材料になるわけです。

「この人は以前に、初対面の人に自分から話しかけに行っていたから
 きっとそういう積極性を持っていて、今日も話しかけるんじゃないだろうか?」
と推測することができる。

外れたら、外れたで、違いに目を向けて更に細かい情報が得られます。

特性という見方は、その人を細かい部分に分けて見ていく行為なんです。

アメリカのプロファイリングの手法の中には、コンピュータを使って
人の特性を100以上の要素に分解して整理するものがあるそうですが、
特性に注目するということは、そうやって細かい要素の集まりとして
人を理解していく行為だと言えるでしょう。

最初に挙げた2通りのうち
「人の細かい特性を見て、相手を少しずつ理解しようとするもの」
というほうは、人を細かく見ていく方法ということです。

ここで重要なのは、その特性同士の関係性を
あまり積極的に考えないという部分。

「積極的に話しかける」傾向と「目標意識が高い」傾向の2つは独立していて
「積極的で目標意識が高い」人もいれば、「積極的で目標意識が低い」人も
「消極的で目標意識が高い」人もいると考えるんです。

喩えて言うと、
「数学と物理が得意でも、化学は苦手」といったところです。
もう一方の、少ないタイプに当てはめる発想だと
「数学と物理が得意」なら「理系」だから「化学も得意なはずだ」
という具合に考えてしまう。


これらの違いは非常に大きいと思います。

「目の前の人を理解するために、その人の特徴を見ていこうとする」発想と、
「目の前の人の大まかな特徴から、その人をタイプに当てはめて
 そのタイプの人として接していこうとする」発想。

「あの人はA型だから、私とは気が合わない」といって
関わることを避けてしまうのは、人間関係の可能性として勿体ないと思います。


まぁ、血液型に関していえば、あまりにも広まり過ぎていて
几帳面な人を見たときに「A型っぽい」と表現する人もいるようなので、
事実上は「几帳面」か「大雑把」かという特性に注目している可能性も考えられます。

場合によっては「A型っぽくない」なんていう言い方もされますから
完全に血液型の情報だけで接しているわけではないのかもしれません。
「A型だから気が合わないと思っていたけど、
 実際に接してみたら意外と話が合った」という感じかもするのでしょう。

それぐらいに参考程度の情報だったら問題ではありません。
楽しみとしても良いでしょう。

ですが、気をつけないと、タイプ分けを過剰に利用する人がいるのも事実です。

人を、いとも簡単にタイプに分類して分かったつもりになる。
それで目の前の人のことなんて何も見ていない。

そんな風になってしまうリスクを含んでいることは知っていたほうが良いと思います。


確かに、実用的で役に立つタイプ分けもあります。

石井裕之さんが提案した「Meタイプ」と「Weタイプ」という分類は
大きく2つの方向性に人を区分していこうという発想ですが、
真っ二つに分けるものではありません。

程度問題で考えるんです。
「Meタイプが70%ぐらいかな」といったように。

NLPであれば、視覚・聴覚・体感覚の中では
「視覚が一番強そうだ」といったように見ていきます。

この手の分類は、複数の特性を関連付けていますが、
ただ分割して分かろうとするのではなく
程度に注目しているのがポイントでしょう。

程度を意識しようとすると、判断基準を求めて
相手を理解しようとする意識が高まります。
相手へ気持ちが向きやすくなるんです。

特に、Meタイプ・Weタイプや、視覚・聴覚・体感覚の分類などは
相手の外見的特徴を元に判断していく部分もポイントです。

相手を観察する必要性があるんです。

ここで相手に気持ちを向けることができる。

大切なのは、目の前の相手を良く見て、相手を理解しようとする度合いです。

石井裕之氏はMeタイプ・Weタイプを通じて
目の前の相手を観察させることを意図していたそうですが、
その意図が伝わり切らなかった部分もあったのではないかと思います。

NLPでも、気をつけないと
「私は視覚優位だから…」というような決めつけが出てしまいます。

大事なのは、タイプに分類して分かったつもりになることではなく、
相手を分かろうとして目の前の相手を良く観察するということでしょう。

昨日と今日では、違っている可能性だってあるんですから。

2010年06月24日

7月の勉強会

7月の勉強会のお知らせ

4月以来、久しぶりの勉強会になります。

今回のテーマは『リフレーミング』。

これまでにも何度かリフレーミングを扱ってきていますが、
毎回リフレーミングに対する視点を違った形で説明してきました。

ただ、いずれにおいても共通するのは図を使って理解するという部分。


本来の広い意味では、『リフレーミング』というのはプロセスであって、
本人の中で物事の見方が変わることを言います。

ですから、何かの作業をした結果として「リフレーミングが起こる」
と表現するのが正確なわけです。

例えば、
「今までずっとアイツに腹を立てていたけれど、向こうの立場になってみれば
 仕方ないところもあったのかもしれないなぁ…」
という具合に、見方が変わるのがリフレーミングというプロセスです。

で、そうしたリフレーミングのプロセスを意識的・積極的に取り入れていこう
といった発想が、より日常的な意味で使われる「リフレーミング」と言えるでしょう。

自分自身で、物事をリフレーミングして捉えていく、と。

特に、コミュニケーションにおいては、1つの言葉がけの技術として、
相手の物の見方を拡げるような言葉を「リフレーミング」と呼ぶこともあります。

正確に表現すれば、「リフレーミングの言葉がけ」となりますが、
一般的に「リフレーミングする」などと言う場合には
相手に対して「リフレーミングが起こるような言葉をかける」ことを指すようです。


このように「相手に対するリフレーミングの言葉がけ」を考えた場合、
相手の考えや気持ち、置かれている状況などを話の中から理解し、
それに対して物の見方が変わるように効果的な言葉を探す作業が求められます。

この一連の作業は、コミュニケーションの技術として見ると
言葉を理解して、言葉の使い方を工夫する…、
つまり言語的なコミュニケーションの上手さのように受け取られやすい。

言葉巧みな人ほど、リフレーミングも上手い、
そんな発想が出やすいものではないでしょうか。

だからこそ、これまでの勉強会でリフレーミングを扱ってきたとき
リフレーミングの着眼点を工夫できるように図を使ってきたわけです。

それは、リフレーミングの言葉がけによって、
相手の記憶(頭、心、体)の中で、どんな情報の再構成が起きているか
というプロセスを説明しようとしたものでもあります。

今回の意図は、通常、言葉を使って工夫しがちなリフレーミングの作業を
違った観点から扱うという部分にあります。

結論を言ってしまえば、
 サブモダリティを使ってリフレーミングする
ということです。

サブモダリティというのは、五感で識別される情報のことですから、
今回扱うのは、言葉のレベルだけではなく
視覚情報や聴覚情報などを利用したリフレーミングと言えます。


この考え方を理解して頂けると
・相手にあったリフレーミングの言葉を選びやすくなる
・今までの自分と違ったリフレーミングの言葉のパターンを探せる
・リフレーミングの結果として起こる変化の方向を選択できる
・リフレーミングすべきタイミングを意識できる

などの効果が期待されます。

「イメージは浮かぶんだけど、言葉を駆使するのはチョット…」といった方には
強みを生かせる可能性があるので、かなりオススメです。

同時に、NLPにおける「サブモダリティ・チェンジ」の本質的な理解にも繋がるはずです。

人の持っている行動パターンや、プログラムされてしまったような振る舞いに対して
リフレーミングの言葉によって、どのようにアプローチするか、ということです。

 もう1つ予告しておくと、NLPや心理学で使われる「フレーム」という言葉の意味を
 明確にしていきたいところもあります。

 それは良く言われるような「認知の枠組み」などのシンプルな言い回しではなく、
 フレームが何をしているものなのかを説明する内容です。

 そこまで説明すると、NLPで扱われる「プログラム」の内容を
 「ビリーフ」や「価値観」などと曖昧な説明の仕方をすることなく
 記憶のメカニズムだけで説明できるようになるはずです。

 …この部分は興味のない方が多ければ省略するかもしれませんが。



今回は、サブモダリティの概念を利用しながら「リフレーミング」への理解を深め、
実際にリフレーミングの言葉がけの技術を磨くことが趣旨になります。

クリエイティブな作業が予想されますので、
積極的にアイデアを探し出す時間が、効果的なトレーニングになると考えられます。

夏の暑い時期での開催になりますが、
頭の中に汗をかくような作業も、爽快な疲労感を味わえるものではないでしょうか。

ご興味とご都合が合いましたら、是非ご参加ください。


<ご参加に際しての注意事項>

※サブモダリティの概念の説明などは省略するつもりですので、
 NLPへの知識と経験のある方のご参加をお薦めします。

※ただ、視覚的なイメージが浮かびやすい方であれば、
 事前知識がなくても取り組みやすいかもしれません。
 NLPや、イメージを活用した心理的取り組みに不慣れな方の場合には
 ご自身の視覚イメージの浮かびやすさを元にご検討下さい。

※諸事情により資料作成にかけられる時間が限られていますので
 ご用意できる資料が不十分になってしまう可能性があります。

 その点をご理解いただいた上で、ご参加ください。



  ※最近は多くの方からお申し込みを頂いています。
   定員を設けていますので、ご注意ください。
   定員を超える場合には先着順での受付とさせて頂きますのでご了承下さい。


  ※勉強会の趣旨に関しましては、こちら(勉強会070725)をご覧下さい。


詳細は以下のとおりです。




【勉強会の詳細】


【日時】 7月19日(月・祝)

     ◆午前の部 10:00〜12:30  
     ◆午後の部 13:30〜16:30


     ★午前のみのご参加も可能です。
      「午前」あるいは「両方」でお申し込み下さい。



【場所】 北とぴあ 902会議室
    (JR京浜東北線・王子駅 北口より徒歩2分)
    (東京メトロ南北線・王子駅 5番出口直結)


【参加費】当日、会場にてお支払いください。
     
     ◆午前の部 ・・・4,000円 
     ◆午前・午後の両方 ・・・7,000円

    
    
テーマ: 『リフレーミングとサブモダリティ』


 *多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、
  学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
  ご了承ください。




リフレーミングで大切なのは、物事の考え方よりも
物事の「受け取り方」です。

そこには意識的に心がけて見方を変えようとするのとは違った意味があります。

仮に、凄く辛い出来事があったとします。
その苦しさを感じている真っ最中に
「この出来事は何を教えてくれているだろうか?」と考えて
意識的にリフレーミングしようとするのは危険です。

自分の中にある苦しさから目を背けることになります。
向き合っていないんです。

ところが、時間が経って、数多くの経験を積んできたあるとき、
ふと過去を振り返って「あのときの出来事があって良かった」と思えたりする。

この「思える」という自発的な感じが大切なんです。

悪いことを良く見ようとするのではなく、
良いところばかりを見ようとするのでもなく、
悪いところも好きになれる状態。

それには生き方の姿勢のようなものが反映されるようです。
人生や世の中を信じている度合いのようなものでしょう。

全てのことを「大丈夫だ」と実感できていると
自然と体験内容がリフレーミングされてくるはずです。
当然、他者に対しても、その視点で関わることができます。

効果的なリフレーミングの言葉を生み出すには、何よりも自分自身が
全ての物事を実感としてリフレーミングできている状態が役立つということです。

その意味でも、自分自身が多くのことをリフレーミングしておく経験に価値があります。

多くの人の視点を取り入れて、リフレーミングの幅を広げるトレーニングは
日常とは違った意義のある時間になるものではないでしょうか。

参加をご希望される方はこちらのフォームに入力してください。
(*は必須項目です)


終了しました

トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています

cozyharada at 23:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!セミナー情報 | NLP

2010年06月22日

ストロングな味

先日、想像していたことが、すでに商品化されて発売されていました。
強炭酸で少量のコーラです。

ペプシ ストロング ショット


























『ペプシ ストロング ショット』。
強炭酸でカフェインが強調されているようです。

飲んでみると確かに炭酸は強めですが、炭酸ガスが上手く分散しているので
あまりギスギスした感じではなく、泡は細かい印象を受けます。
飲んでみると炭酸が強かったことが分かるような雰囲気。

味自体はペプシのままですが、ちょっと辛めな気もします。
もっとガツンと濃い方向に持っていっても面白いと個人的には思いました。

やはり同じようなことを考えるものなんですね。
奇抜すぎれば商品にはならず、誰でも思いつくのでも魅力がない。

ちょっと予想を上回るぐらいを選ぶというのは、飲み物の商品開発に限らず
コミュニケーションでも大切な要因でしょう。

相手が期待していることを少し上回る関わり方ができると
良好な関係を築きやすいものだと考えられます。

まずは相手を知ることが大切なのかもしれません。

2010年06月20日

定番商品

夏が近づいてくると、コンビニの飲み物コーナーの中身が変わってくるようです。

コーヒーでは、アイス用や量の多いもの、サッパリとした味の系統になり、
清涼飲料水としても商品の入れ替えが増えてくる気がします。

もしかすると自分の興味の問題として多いように感じているだけかもしれませんが、
夏と冬とで勝因のラインナップを変えるのも自然なことでしょうから
さわやかな風味の飲み物が新しく商品化されることも少なくないと思います。

中でも、僕が気になるのはコーラの類。

20年前ぐらいは、もう、コーラといえば「コカ・コーラ」のことを指すぐらい
僕の中では他のコーラを見た記憶がないほどだった気がします。

知っていることとしてはペプシの存在や
ドクターペッパーの独特の味というのもありましたが、
ペプシを見るのはファストフード店や映画館ぐらいだったと思います。

それがペプシを普通に自販機で見かけるようになり、
「ペプシマン」のあたりから人気が出てきて、
ゼロカロリーが流行り出したあたりにはペプシは相当の地位を築いていたようです。

僕の中では、コカ・コーラの赤いラベルのヤツは味が強くて
よほど疲労感のある状況でないと手を出さなかったんですが、
ペプシはダイエットペプシを含めて、よく飲んでいた記憶があります。

ペプシネックスが売られ始めたのは、僕が会社員時代、東京の研究所にいた頃でしたから
それまでは普通の味のペプシを好んでいたものです。

それからコカ・コーラから「コカ・コーラ・ゼロ」が発売されて、
コーラであってもヘルシーで甘すぎない系統に進んできたように見えます。

その中で、最近また色々なコーラ製品が出ているようで、
その幅の広がりに興味が沸いています。


素材派コーラという謳い文句のグリーン・コーラ。

グリーンコーラ


























こちらは、「コーラの味」という感じではなく、
色々な香り成分が混ざってコーラの風味を作り出しているといった様相。

喩えると、カレー味といったものと、
スパイスが色々と混ざり合ったカレーとの違いのような感じでしょうか。

同時に、コーラ味のアイスや飴などを思い出させる味でもありました。

味の方向性はともかく、コカ・コーラかペプシかという大きな対立と
サッパリ、ローカロリーの志向とは別の方向性として
素材の味わいというのを強調したのは興味深かったです。


もう1点面白かったのが、こちら。

コーラゼリー


























コーラ味のゼリー飲料です。

思えばファンタのゼリーが売られたときには
炭酸入りのゼリー飲料というのに驚きを感じたものですが、
二酸化炭素ガスの移動量がゼリーに閉じ込められることで小さくなることを除けば
炭酸ゼリーというのも無理ではないのかもしれません。

口に入れたときに炭酸の感じはチョットだけ感じられます。
コーラ風味の柔らかいゼリーが、微炭酸を含んでいるような味でした。


どちらも僕がリピーターになる可能性は小さそうですが、
コーラという狭い範囲で、圧倒的な競争相手がいるところに
新しい発想で入り込んでくるのは面白いとは感じました。

逆方向として、少量のビンに入ったような濃厚・強炭酸のコーラなんていうのも
もしかすると出てきたりするかもしれません。

あとは、栄養剤に近い方向性なども。
ユンケルやアリナミンなどと同じ棚にコーラが置かれるときが来たりして。

2010年06月18日

学習のエッセンス

人が生きている間にしていることの全ては、広い意味で
『学習』と『アウトプット』に当てはめて考えることができると思います。

「勉強」と言ってしまうと、机に向かってやるタイプの
学校での勉強を思い出すかもしれませんが、それに限ったことではありません。

運動をするのも、そのやり方を学習するから効果的にできますし、
料理をするのも、絵を描くのも、歩くのも、言葉を話すのも同じです。

人間関係の基本的なスタイルは、主に両親との関わりを通じて
自覚のないままに学習されています。

人間関係を通じて学習されるのは、その前提にある社会としてのルールや習慣、
さらには日常生活の過ごし方など、文化として受け継がれているものも含まれます。

人が当たり前に生活を送ることができるのは、その生活の基盤になっている全てのことを
自分にとって効果的なやり方として学習しているからです。

しかも、その学習は一生続きます。
もちろん学習の効率や量は年齢が小さい時期のほうが上回るでしょうが、
学習されたことのブラッシュアップは続くはずです。

例えば、誰かに会って「おはよう」と挨拶をすることだって
幼少期に学習したパターンを続けている一方で、
その対応パターンを止める方向に進んでいない以上、当たり前のこととして
そのパターンが強化されていっていると考えられます。

パターンが効率化され、洗練されていっていると言うこともできますし、
それ以外ができないように固着していると言うこともできます。

年齢を重ねると物覚えが悪くなるとか、頑固になるとか世間で言われるのには、
そうした今まで学習してきたパターンばかりを
無自覚なままで使い続けるところにも理由があるでしょう。

全く新しい何かを学習する機会だけでなく、既に学習したことを使っているときにも
そのやり方が効率的な方向に強化されるか、そのパターンから外れるか、
どちらかの方向には学習が常になされているわけです。


そして、そのように学習したことは他者との関わりを通じてアウトプットされます。
学習したことを使うと、その結果が他人に影響するということです。

野球であれば、自分がボールの投げ方を学習したことで
それを利用してキャッチボールをすることができます。

料理を学習すれば、その料理を作って誰かに食べてもらうことができます。

言葉を学習すれば、他の人と会話をすることができます。

それに接した相手は、その体験を通じて、さらに学習することもできる。

家庭の味のようなものは、そうやって受け継がれていく代表的なものかもしれませんし、
社会の習慣やマナー、文化などは、学習とアウトプットが繰り返されて
受け継がれていると言っても良いでしょう。

中には自分が学習したけれども、それが他者との関係には
ほとんどアウトプットされないような類のものもあるとは思います。

そのことを誰かが続けても他人への影響が少ないようなもの。
例えば、他の人からはゴミにしか思えないようなモノを収集して、
それを誰にも話さず、あるときに自分で全て捨ててしまうようなケースです。

これを一生持ち続けて、家族の誰かに見られたりしたら
「あの人は、こんなものを集めていたのね」なんて影響があるかもしれませんから
全く誰にも知られないというのが原則ではあります。

そう考えると、どんな趣味であっても、その趣味を持つ仲間はいるでしょうし、
本当の意味で自分だけで完結する行為というのは極めて少ないと考えられます。

自分が何かをしたら、それが他人に影響するというのは当たり前に近いことなんです。
そして、その自分のした行為の影響を受けた他人は、その経験を通じて学習をする。
積極的に教えた自覚がなくても、他人の学習に影響を与えているんです。

アウトプットとは、そういう意味です。


自分が活きている間に学習したことを、自分の中で咀嚼して
自分なりの学習結果として作り上げ、それが他人へアウトプットされていく。

そこでアウトプットされる結果は、自分の人生を通っていることで
他の誰かのアウトプットとは必ず違っています。

誰かに学習され、その人からアウトプットされるものは、
学習される前のものとは違っているんです。

ある有名な先生が教えていることを誰かが学習して
その人がそれを伝えたとき、その内容は受け継がれているわけですが、
同時に元の先生の教えと全く同じではないんです。

色々な学派や宗派が生まれていったのには、そうしたことが関係するのかもしれません。

その受け継いでいく学習の内容が身近な生活習慣や文化的なものであれば
自分を通ることで与える変化の度合いは大きくない場合が多いでしょう。

ほんの少しずつ変化を加えながら、伝統のように受け継がれていくものがあります。

その一方で、たった一人の人生を通ったことで劇的な変化が生まれることもある。

歴史に名を残した人たちは、それまでに受け継がれてきたものを学習し、
自分の中で新しいものを作り上げ、それをアウトプットした、ということです。

その新しさとアウトプットの影響力の程度が、
歴史に残る度合いと関係するのでしょう。


これらの学習とアウトプットのなされ方にも様々な抽象度があります。

ある会社独特の仕事の方法のようなものは、かなり具体的だと言えます。
「ウチの会社で働いていくには、こうしたらいい」とか
「この会社で成果を出すには、こんなコツがあるんだ」とか
そういった情報が一人の仕事経験を通じて学ばれ、後続に伝えられていく。

同じように仕事で成果を出そうと考えたときに、ある人はビジネス書を読み、
業界の有名人の講演を聞き、セミナーで勉強したりします。
そして自分の仕事にどうやって活かすかを考える。

…典型的な学習とアウトプットの流れですが、
誰かから教わる情報というのは、その人が経験から導き出した学習の結果ですから
体験そのものを通じて学習するよりも抽象度が高くなります。

それは効率的である一方、その学習結果をアウトプットに繋げるには
学習した本人の工夫も必要になります。
単純にインプットされた他人の学習結果を自分の体験と結び付け
自分なりの学習結果として整理できたとき、それがアウトプットに利用できる。

そうした仕事のノウハウのようなものは、かなり具体的な学習といえます。
アウトプットの形が具体的な行動に落としこまれます。

何かの道具や飲食物を作ったりする仕事も、その仕事内容が学習されて
学習の結果が仕事の成果に反映されるという意味ではアウトプットになります。

スリッパという道具の使い方を学習し、ダイエットに運動が必要なことを学習し、
多くの人は継続的な運動が苦手なことを学習した人が、
スリッパのかかとの部分を取り除いた「ダイエットスリッパ」を発明しました。

学習の結果を発明品としてアウトプットした例です。

もう少し抽象的な学習になってくると、工学の分野などが考えられます。
理論を学習し、それを応用の形にアウトプットする。

さらに抽象度が上がると、理論を学び、新たな理論をアウトプットすることになります。

いわゆる学問の世界では、多くの人の学習の成果が
理論という1つの場所にアウトプットされ、
より洗練された理論として学習される、というサイクルが繰り返されています。

手で触れるような形はないものの、大昔からずっと受け継がれてきているんです。
かなり抽象的なレベルで。

一人の人が思いついた自分の仕事が上手くいくコツのような具体性と比べると
学問の世界で引き継がれている理論の抽象度は非常に高い。

抽象度が高いからこそ、非常に多くの範囲の具体的な事柄に応用することができます。
その一方で、日常生活から離れている印象もある。
学校で勉強している時は、何に役に立つんだか分からないと感じやすいものでしょう。

学問で受け継がれているものは、何千年にも渡って
多くの人が学習とアウトプットを繰り返してきた学習結果の集合体といえます。

もちろん、文化や生活習慣もそうです。
当たり前に生活する中で学んだことがお互いに影響しあい
1つのバランスを保ちながら受け継がれてきている。

ちょっとした言葉遣いやコミュニケーションのスタイルは
そうした具体的な生活そのものの学習結果も反映されています。

同時に、学問の成果を実生活に応用する人たちが
環境のレベルから生活を変えていきます。
それもまた文化に影響を及ぼす。

抽象度の高いところを学習し、抽象度の高いままにアウトプットする人もいる。
抽象度の高いところを学習し、具体的な環境にアウトプットする人もいる。
具体的な環境から学習して、抽象度の高い理論としてアウトプットする人もいる。
具体的な環境から学習して、具体的なアウトプットをする人もいる。

それは好みや特性と関係するのかもしれません。
善し悪しはない気がします。


喩えて言うなら、香り成分のようなものでしょうか。

バニラの香りを例にとると、バニラから香り成分だけを集めて
バニラエッセンスを作ることができます。

エッセンスは高濃度で、精製されていて、純粋に近い。
沢山のバニラ・ビーンズを集めて、ほんのチョットしか作れません。

バニラ・エッセンスは量に対して高額になります。

そのバニ・ラエッセンスを元に、さらに精製して
バニラの香りの元(バニリン)だけを作る人もいます。

バニラ・エッセンスを使って、バニラの香りづけをしてアイスを作る人もいます。

一方で、バニラ・ビーンズのままを使ってアイスを作る人もいます。

本当に美味しいバニラアイスの中には、バニラ・ビーンズを使ったものもあります。
それもまた高額で扱われることになるでしょう。

抽出されたエッセンスは、そのプロセスの価値と、応用可能性を考えれば
自然と高額になっていくものです。

その一方で、高品質な原料を使って、高品質なものを作れば
それもまた価値のあるものになっていく。

エッセンスであれ、原料であれ、高品質なものに価値が出ることが多いようです。

一般的に何かを勉強するときは、エッセンスを学ぶことになりますから
勉強そのものの値段は高額になりやすいものです。

あとは、そのエッセンスが高品質なものかどうか。
そのエッセンスを、どう使っていくか。

そういうところが肝心なのかもしれません。

cozyharada at 23:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2010年06月16日

枠から出る

ルールに縛られるのが嫌で、そのルールの枠組みから飛び出る人たちがいます。

ルールの枠組みから飛び出た人たちも一人でいるのは寂しいのでしょうか。
嫌だったのはルールに縛られることで、人と関わることではなかったのかもしれません。
むしろルールを嫌う人ほど、表面的ではない熱い心の触れ合いを求めているのかも。

すると、ルールの枠組みから出た後で、似たような人たちと関わることになります。
以前のルールの枠組みとは違う場所で、新たなコミュニティができる。

皮肉なことに、そうした新たなコミュニティの中にも、自然とルールは生まれてしまう。
それも、時として非常に厳しいルールが。


ルールから出る1つの方法は、そのルールが決めている内容を
自らの意思で、するか・しないかを状況に応じて選択するということ。

たとえば、赤信号で道路を横断するのはルールに反していますが、
車通りのない見晴らしのいい道路で赤信号を待つかどうか。

様々な影響を考慮したうえで、どうするかを決めるわけです。

「赤信号だから」という理由だけで渡ってはいけないと思うのは不自由なことですが、
「外国で見てきた自分勝手な道路の歩き方が嫌だったから、赤信号は無視しない」
と決めたうえで選択して信号を守るなら、それはルールから出ているのかもしれません。

本当に自由な選択ができるとしたら、
「今日は、〜という状況だから信号を守らない」
と毎回、自分の意思で選択する必要があるのかと思うと
それはとても大変なことに感じられます。

少なくとも、ルールやマナー、決まりごとの類は
そうすることで社会が上手くいくとか、その中に他人への配慮を含めているとか、
背後に本来の意図を持っているはずです。

そこを意識して、ルールで決められた行動をするときの意図と影響を意識すれば
ルールに縛られるのではなく、自分の意思で行動できると思います。

「なぜ、ルールを守らなければいけないのか?」という質問は、
問いかけ方が少しズレているんです。

「何のためにルールを守るのか?」
「ルールを守ることで何をしようとしているのか?」
そんな方向で問いかけてみると、裏側の意図が見えてくるんじゃないでしょうか。

2010年06月15日

習慣を取り戻す

しばらく睡眠不足が続いていました。

疲労もあったところへ書き物が重なって、チョットしんどい状況でした。
自分のパフォーマンスが落ちているのが実感できてしまう。

セミナー中の瞼の重さは場の空気として伝わってしまっているし、
文章を書いていてもスピードや正確性が著しく低下する。

校正のために読み直したとき、あまりにも内容が整っていなくて
自分でビックリしてしまいました。

頭痛まで重なってしまうと、どうにもならないので
効率的な睡眠と疲労回復が必要そうです。


研究職時代に自分がどうやって体調を管理していたかを思い返したりします。

…食事や規則正しい生活も大事そうですが、
多少なりとも体を動かしていたのが良かったのかもしれません。

「一日の終わり」という感じのリフレッシュ時間があったのも大事な気がします。

区切りをつける感じ。
これは意味がありそうに感じます。
山口でも東京でも、どちらの研究所のときにも寝る前の決まった習慣がありました。

それによって気持ちがリセットされ、リズムができていたのかもしれません。
寝る前に少し体を動かしていたのも、一日の生活で滞った血の流れに
効果的に刺激を与えていたとも思えます。

以前は、今ほど頭痛も肩コリも無かったですから。
会社にいた頃は、あんなに変な姿勢で毎日デスクワークだったのに
腰痛にさえならなかったですから。

まぁ、年齢的なものもあるのかもしれませんが。

体に意識を向ける時間と、毎日の習慣。
そのあたりを心がけてみようかと思います。

cozyharada at 23:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2010年06月10日

色々な名前

細かく区別がつくということは、そのセンサーが違いを鋭敏に察知し、
その違いのパターンを記憶の中に整理しているということです。

日本人にとっては「白」という一言でまとめてしまう範囲も
イヌイットの言葉では非常に細かい「白色」のボキャブラリーがあるそうです。

2つを比べたときに違いを感じ取れるという場合は感覚の問題ですが、
1つを認識したときに、そのものを正確に分類するというのは
パターンを持っているかに関係します。

「紅色」と書かれた絵具と、「茜色」と書かれた絵具を2つ並べたら
その色味の違いは分かるはずです。

「茜色」のほうが少し暗い感じだというのを意識できれば
ラベルを隠して2つを見せられた時にも、どちらが「茜色」かが分かるでしょう。

ところが、沢山並んだ赤系統の色の中からランダムに選びだされた一本を見て
それが「茜色」かどうかを判断するのは難しいでしょう。

名前で区別できるということは、その特徴をパターンとして認識できている
ということです。

多くの日本人の場合、「赤」という特徴のパターンが幅広く設定されていて
「ピンク」でも「紫」でも「オレンジ」でもない範囲を
「赤」のゾーンとして区別していると考えられます。

「暗い赤」とか「オレンジに近い赤」とか、「赤紫」とか
そういう言い回しで大まかながらも、「赤」の中の違いを意識することはできても
赤系統の色を細かく呼び分けられる人は多くないと思います。

それは絶対音感の無い人が、高い音とか低い音としてしか区別できないのに対して
絶対音感を持つ人が、「ミ」などと言い当てられるのと同様です。


これを人間の感覚とパターン認識の能力とは無関係に識別することもできて
それが数値的に計測するという方法です。

「茜色」だったらRGBで、どれくらいの割合なのか、
「ミ」の音だったら、周波数が何Hzなのか、
といったこと。

これは万人共通の基準を作る方法ですが、
人は経験によって細かい区別をつけられるようになっていく
というのも面白いことだと思います。

優れた美術館の学芸員は、絵画を見ただけで
使われている絵具の種類を言い当てられたりするそうです。

細かい違いに気づき、その特徴を元にパターンとして区別する
このパターン認識の細かさは専門家の1つの特徴と言えるはずです。

いわゆる直観というのは、この細かい違いをベースにしたパターン認識ができていて、
そのパターンに名前が付いていないときに起きるものです。
パターンとして「分かる」けれども、「茜色」のように呼び名をつけたこともなければ、
「RGBで何%ずつ」といった客観的な情報で説明したこともない。
だから「なんとなく」になるわけです。


これに対して、文化的に呼び名をつけてしまうことで
区別がしやすくなるということもあります。

「赤」に関する細かい呼び名と、その色を頻繁に見ていれば
「茜色」も「紅色」も「朱色」も区別できるようになります。

誰かから基準になるパターンを示してもらっておけば、
あとは、そのパターンに当てはまるかどうかの区別を訓練すれば良い。

言語が学習を効率的にするのは、実体験からパターンを作るよりも先に
パターンそのものを教えてもらえるから、とも言えるでしょう。

絶対音感と呼ばれるものも、音の周波数が2倍になる範囲を
12段階に分割した基準が先に与えられたから身につけられるものです。
世界の文化の中には1オクターブが12よりも細かい段階に分かれている所もあるので、
そこに行けば12音階の絶対音感は音痴扱いされるはずです。

経験から自分の中に自然と基準が作られていってパターンを学習する場合と、
決まりごととして共有されているパターンの基準を知って
それに当てはめるように経験を分類していきながら学習する場合とがある。

学校教育の多くは、先に基準を教えてもらって経験を当てはめていくほうで、
社会に出てから仕事を現場で学ぶというのは、
経験からパターンを生み出すほうに当たります。


で、このパターンを先に与えてしまうというほうに関していえば
その基準を設定して、特定のパターンに名前をつけた時点で
オリジナルの区別をつくることもできるわけです。

茜色と紅色の中間の色を「〜色」ということにしよう、と。

それを大々的にやってのけたのが『フェリシモ』の500色の色鉛筆。
色鉛筆で表現される色調を500種類に分けたんです。

パソコンの大雑把な色表現が254色ですから、それよりも細かい色彩がある。
そのグラデーション具合といったら、実に美しいものです。

使うつもりはなくても、つい欲しくなってしまうような。

しかも、この500色には変わった名前がついているのも有名なところ。
自分たちの配合で作った色合いに対して名前をつけるのですから
それは新たな基準のパターンを提供しているということです。

もっとも、商品開発に携わった人であっても
色の名前を隠した色鉛筆を一本見せられて、名前を当てるという作業は
きっと相当な困難だろうと推測されますが。

そこには遊び心や心象風景も加わっているようで
500色の名称を一通り眺めているだけでも楽しめてしまいます。

例えば、心の中に景色が浮かんできそうな名称としては
「大正ロマンの紅藤」
「夏祭りのほおずき」
「浜辺で拾った桜貝」
「お姫様と毒リンゴ」
「午前7時30分の露草」
「粋に着こなす黄八丈」
なんていうのもあります。

変わり種で評判なのは
「ポケット一杯のキャラメル」
「お昼寝するチャウチャウ犬」
「黄昏のスフィンクス」
「勝利に酔う土佐犬」
「傷心のティラミス」
などでしょうか。
別に「勝利に酔う」とか「傷心の」が無くても、同じ色味になりそうな気がします…。

あとは、もう名前だけでは色が想像すらできない系統として
「クラリネットの音色」
「ナイチンゲールの歌声」
「ため息のベール」
「清少納言のあこがれ」
「鹿鳴館の舞踏会」
「ヘリオトロープの香り」
「カンパニュラの夢」
「神話の中の悲哀」
「ラフレシアの謎」
「謎めく無人島」
など。

なんだか詩的な言葉ですが、色のイメージは浮かびません。

「ためらい」や「ジェラシー」なんて感情の名前になってますから。

なかでも、ビックリしたのは
「お父さんがつくった笹舟」
という色。

これ、緑系統じゃないんです。
グレー系統。

お父さんの作った笹舟、一体どれだけの時間が経ったのでしょうか?
枯れちゃったんでしょうか?
だとすると、どんなストーリーを想像してつけた名前なんでしょう。

誰かの独断なのか、色名を決める会議があって決めたものなのか、興味津津です。

名前を付けて細かく分類することでオリジナルが作れる。
世の中には、そんなものが沢山あるように思えます。

僕も、何かのワークに粋な名前でも付けてみたら良いのかもしれません。

cozyharada at 23:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《心を調える実践会》

【日時】 2017年10月15日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回開催は11/5の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード