2010年09月

2010年09月10日

痛烈なメッセージ

今の住居は壁が薄いんだか、窓が音を拾うんだか、
外の話し声が鮮明に聞こえてきてしまう場所です。

小道を挟んで向かい側には居酒屋が二軒。
どちらも深夜3時ぐらいまで営業しているので
真夜中でも酔っ払いの話し声が耳元で聞こえてくるような感じになります。

わりと住宅街の部類でしょうから、大通り沿いのような車の騒音や
線路際のような電車の騒音などは少ない。

しかしながら、道を歩く人たちの話し声は、まるで部屋の中で話しているかぐらいに
鮮明に、かつ大音量で拾われてしまいます。

となりで話し声がすると本を読むのに集中できなくなる僕としては
この環境は何をするにも不便だったりします。

朝は、5時・6時ぐらいから散歩を始める高齢者たちの会話が聞こえ、
しばらくすると通学の小学生の賑やかな叫び声が聞こえる。

そこから後は、合計4社ぐらいの不用品回収業者の車が
スピーカーを使ってグルグル走り回ります。
そんなに毎日、不用品は出ないもんだと思うんですが…。

そして夕方になると小学生の下校が始まり、居酒屋タイムと重なっていきます。

決して、つねに声が聞こえているわけではなく、
賑やかな時間帯の中でも静かになっている時はありますが、
「この時間帯は絶対に静か」というのが24時間のうちに、ほとんど無いんです。


そんな中で、よく聞こえてくるのが小さな子供の泣き声。

生まれたばかりの子供から、小学校低学年ぐらいまででしょうか。

数年前までは、泣き声に対して、あまり注目をしていませんでしたから
「泣いているなぁ」と思うだけだったり、
忙しければ「ウルサイなぁ」と思ったり、その程度でした。

どんな泣き声も「泣いている」のに違いを意識していなかったんです。

それが最近は、コミュニケーションと向き合う量と質が高まってきたことと、
実際に泣き声そのものを耳にするケースが増えてきたことで
泣き声の違いで受け取るメッセージが変わってきました。

小さい時期の泣き方は、意外とシンプルに聞こえます。
というよりも、細かい差でメッセージに違いがあるんでしょうが
表現の仕方としてはストレートな印象があります。

また、小学校に入るぐらいの時期になると、色々と分別も付き始めているでしょうし、
言葉を使った意思表示が上手くなってきているからだろうと推測されますが、
泣く機会そのものが減ってくると考えられます。

そして、そういう時期で泣くとなると、意味が限られてくる。
ここもシンプルなメッセージに感じられます。

大人に近づいていくにつれて、泣くことの意味も
大人のものと同じになっていくようです。

以前に目撃した小学校一年生ぐらいの男の子は
自転車で張り切った感じの曲芸に取り組んでいました。
お母さんに見てもらおうとしていたように見えました。

そしてコケた。
かなり酷い転びかたで、骨や関節の柔らかい子供だから骨折せずに済んだような状態。

痛みと驚きで泣いたんだと思います。
それは少し精神年齢を戻って、小さな子どもとして母親を呼ぼうとするようでした。
いたってシンプルなんです。
「痛い、怖い、不安だ、助けて」
助けを求める感じでした。

ところがこれが、もう少し幼い時期、
生まれたばかりでもなく、小学校に上がるほどでもない、中間の頃になると
事情が異なっていることが多いみたいです。

もちろん、話すことはできるようになっている時期ですが、
自分の内側に沸き起こる状態を言語化するのに慣れていないと考えられます。
それが衝動的なほど、言語よりも非言語のメッセージに表わしてしまいやすい。
動物的な反応になりやすいということです。

同時に、様々な知恵もつき、体も発達して
色々なことが自分で出来るようになっていますから
多くのことを思い通りにしたいというワガママな感じが高まります。

ワガママになり始めるのは、再接近期と呼ばれる2歳ぐらいで、
そこから色々と我慢をすることを通じて、意識で自分をコントロールするという
社会生活に必要なルールへの順応を学んでいきます。

小学校に入るぐらいになれば、一般的にはコントロールの度合いが高まってきますが、
その前、社会性を学んでいる時期に我慢をしている感じが常日頃から蓄積していたり、
家庭の要因などで不満が蓄積していたりすると、
ふとしたキッカケでワガママっぷりが再発動するようです。

どこかに頭をぶつけたとか、ちょっと嫌なことがあったとか、
そういうときに近くにいる親に対してメッセージを発信するんです。
同時に複数を。

ひとつは単純に、ぶつけたときの痛みへの反応でしょう。
小さい頃に泣いていたときと同じ、そして、
小学校になってからでも泣くときのパターンと同じ部類の反応です。
「痛い、怖い、助けて」というもの。

この我慢を覚えている時期の子供でも、一人でいるときであれば
同様のシンプルな泣き方をして親の元へ帰っていくのかもしれません。

ですが、親がいる前だと事情が違うみたいです。
そこに強烈な「不満」のメッセージと、
親を「自分の思い通りに動かそうとする」ワガママなメッセージが加わります。

時折、声を強く出しながら、駄々をこねるような泣き方と言えばいいでしょうか。

外から聞こえてくる、その種の泣き声は、まるで
「もっと心配しろよ、もっと大事に扱えよ、安心させろよ、バカ」
とでも言っているかのように感じられます。

泣いているんですが、親を責めている雰囲気があるんです。


この他人を責めるメッセージが、間接的な形で表現されているというのは
受け取る側としてみると不快なことが多いんじゃないでしょうか。

別に、僕に向けられた非難ではないんですが、
そのメッセージの質そのものは心地良くはありません。
騒音に対する不満とは違った種類の感じが出てきます。

おそらく、子供が痛みを感じて泣き始めた瞬間に
親が「関心を向けている」というメッセージを伝えていれば
そこまで非難めいた泣き方にはならなかったんじゃないかと思います。

そこですべき理想の対応というのは、存在しないはずです。

仮に、そういう小さなトラブルの場面で、親がいつも気持ちを汲み取ってくれていたら
その子供は、そういうものだとして学習していくでしょう。
大人になっても、トラブルの場面で誰かの助けを期待するかもしれません。

仮に、親が「頑張れ、泣かないの!」と言っていたら
その子供は、自分の力で頑張り、他人には頼らないということを続けるかもしれません。

全ての対応は、ある部分では不完全なんです。
それは仕方ないところでしょう。

だからといって、好き放題に泣かせっぱなしにされると
それを聞かなくてはいけない立場の側からすると、困りものですけど。

2010年09月08日

真剣な話

英会話に通い始めて2か月以上が経過しました。

結構な頻度でスケジュールを組んでいるので密度が高く
多少なりとも変化は感じられる昨今です。

印象としては、英語に必要な様々な要素の中から
そのときに集中的にトレーニングすると効率的なものというのが
あるような気がしています。

それぞれの要素をバランスよく上げていくためには
苦手部分を集中的にトレーニングするようなイメージかもしれませんが、
直接的に苦手部分を練習するよりも、
別のトレーニングの副次的な効果として成果を狙ったほうが
上手くいくケースが多いようです。

このあたりの見極めができると、自習がしやすいですし、
指導する側もハイレベルということになるんでしょう。

例えば、僕の場合、早口のネイティブスピーカーが録音したCDで
使われている単語の簡単なヤツを、同じスピードで繰り返せるようにトレーニングすると、
結果としてリスニングのしやすさが上がっていく感じも体験したりしています。


で、先日、会話のトピックとして「変化」というテーマが上がったんです。
「ビジネスにおける変化」について話し合う前段階として
「人生における変化」で準備をするような流れでした。

ところが、「人生における変化」は僕の専門分野なので
当然、話す内容の質も、話しやすさも、他の分野よりも上回るわけです。

予定されていた流れに沿って進めていくと、非常に深く真剣な話になっていく。
僕の人生の転機や、人生における価値観などが直接的に出てきますから
会話の雰囲気としても、相当に真剣な状態になりました。

そのときにインストラクターはシンガポール出身の中国系の若者。
とても素直で穏やかな雰囲気の人物です。
多くの日本人が好印象を持つタイプの優しげな青年といったところでしょうか。

多分、育ちが良いんじゃないかと思います。
生徒の話を真剣に聞いて、つたない英語でも内面の部分を受け止めようとしてくれる。

そんな彼ですから、僕の話の内容はチョット刺激的だったようです。

レッスンの指示に従ったまでなんですが、随分とシリアスなムードになっていました。

何がキッカケで心理に興味を持つようになったか。
なぜ、生物化学の研究職から、心理やコミュニケーションのトレーナーになったのか。
この先のプランは、どういうものか。

僕にしてみれば当たり前の話ですし、
確信的に「自分の好きなように生きたい」と言い切るようなシンプルな内容ですが、
チョットばかり重い内容だったように反省しています。

僕が知りあってきた方々の中には、僕なんかよりも
遥かに壮絶なドラマを生きてきた人が大勢いますから
割りと気軽なつもりで話してしまったんですが…。

一応、最後に受付の人へ、心配している旨の伝言を残してきました。
文化的に、自分の人生をどの程度話すものなのかが分からなくて気がかりだったので。


まぁ、勉強になったのは、
「自分の中でシッカリと固まっている考えは、他の言語でも説明しやすい」
ということでした。

政治や社会の問題についての意見の無さと比べると、大違いです。

2010年09月06日

ミスを避けるというコダワリ

日常生活の他の局面でもそうだと思いますが、
仕事をする上では「自分が大切にしたこと」というのが
強く前面に表れやすいものじゃないでしょうか。

その仕事が好きでない場合にも、その仕事をしている以上、
そこには何らかの理由があるはずです。

それが仮に「家庭を守るため」などであったら、
「家庭を守る」上で最も大切なことが、日常業務の中で優先されやすいでしょう。

好きなことができる仕事についていたり、
仕事の中にやりがいを見出したりしている場合にも、
自分が大事にしたいことを中心に気分が動くものではないかと思います。

ヤル気の出ること、自分がやりたいと思うこと、自分が求めたい結果。
様々な要因が、本人に自覚されないレベルでも優先されているものです。


例えば、僕が研究職をやっていたときには
僕に最初の技術指導をしてくれたベテランの先輩(20歳以上離れていました)は
いかに「効率よく」仕事を進めていくかというのを大事にしていた気がします。

しかし当時の僕には、そういう受け取り方はできなかったので
その人の技術面のスピードと正確さを必死で学びとろうとしていました。

その人は、はたから見ると几帳面で、コダワリが強く、他人への要求量が多い。
自分がする作業の量を減らしながらも、最大限の結果が得られるように工夫をするので
その人に関わる仕事をしている人は求められる作業のレベルが高くて苦労する。

成果の面でも有名でしたが、一緒に仕事をするのが大変だという点でも有名だったんです。

他の人からすると「そこまで細かくやらなくても…」ということが多かったようですが、
身近で学びとった僕からすると、そこには「長期的に効率よく進める」
ための工夫が目白押しだったように思います。

その人の仕事の作業スペースは、机の上も、実験台の上も
いつも非常にきれいに整理整頓されています。

あると便利なもの、予備の実験器具や装置の部品なども確保されている。

消耗品の使用速度も速くて、経費を節約したい側からすると目の敵でしたが、
仕事で成果を出す以上、文句が言えないというのが実態だったようです。

そこにあったのは、徹底したリスク管理だと思います。
不慮の事態に備えているんです。

実験装置のせいでデータが無駄になるというのは、あり得なかったようです。

ミスが起きる前に、ミスが起きる要因を全て排除していく。
そこには当然、作業上のコダワリが強くなります。
そのことが分からない他人には、面倒くさい人だと思われたことでしょう。

こうした発想は僕の好みにも合ったのかもしれませんが、
それ以上に学んだこととして叩きこまれた印象を持っています。

問題が起きてから対処をするんでは遅いんです。

もちろん、そこには長年の経験もあったはずです。
その過程で痛い思いをして、工夫を積み重ねていった。

しかし、同じように仕事をしていても、そうならない人が沢山いたのも事実です。

考えている量、見ている量、予測している量が違ったように思います。
一つ一つの行動に理由がある人でした。

本当に勉強させてもらった人です。


ただ、僕の場合、その人以上に妙なコダワリの強さがあって
そこが二人の振る舞いを似て非なるものにしていた気がします。

それは、僕が「効率」よりも「最高」を求める傾向と関係しています。
「最高」というよりは「完璧」に近い気もします。

なので、一つ一つの作業のクオリティを徹底的に高めていくことになったんです。

その人から学んだ「ミスをしない」ための工夫の技術に加え
常に「より良い状態」に進めていくような工夫をしていた記憶があります。

時間をかけてでも、その時にできるベストなことを常に心がけていました。
数日後の、ほんの数秒の作業でゴミになってしまうような下準備も
一切の手抜きなく進めていくのですから、相当なコダワリに見えたと思います。

誰かから教わった技術も、そのままにしなかったんです。
どうしたら「より良く」なるかを考えて、常にブラッシュアップをしていた。

今にかける労力は、未来のためのものだったのかもしれません。
同時に、質を向上させていくことが好きでした。

僕の行動の優先順位もハッキリしていたものです。


今の僕の仕事でも、リスクを避ける発想は常に働いています。

「やってみてダメだった違う方法をすればいい」なんて
僕には無責任な印象が避けられません。

もちろん、上手くいかなかったときは違う方法に切り替えますが、
その前に上手くいく可能性を最大限に高めるためにできることがあるはずなんです。

思いつきで適当にやってみて、後から考えるというのは「臨機応変」ではない。
それは「行き当たりばったり」でしょう。

最善の未来を目指して、今できる最大限の工夫をしようというスタンスは
僕の想いとも繋がって、しっかりと根付いている気がします。


僕に仕事を教えてくれたその人とは、しばらくしてグループが変わりましたが
僕の中では、その人が僕の実験技術の師匠であることに変わりはなく、
その人が作り上げた職人的な技術の流派の後継者だと、コッソリと自負していました。

ガスバーナーを使う実験作業で、耐火手袋を使わないというのが1つの特徴です。

他の人は手が火に当たって熱いので耐火手袋を身につけますが
僕に技術を教えてくれたその人だけは、素手のままでした。
素手で作業をするメリットと、そのための工夫を教えてくれたんです。

僕も会社を辞めるまで、その作業は素手で通したものです。

僕が東京へ転勤になって一年ぐらいで、その人は退職することになったので
たぶん、もう素手で火を扱っている人は残っていないと思います。

チョット寂しい気もします。

お世話になった思いが非常に強かった方ですから、
後輩を通じて、手紙と送別の品を贈ってもらったのを覚えています。

多分、退職には会社の事情とかも関係していたんじゃないかと思います。

しばらく自転車の旅に出るという話を聞きました。

ただ、僕の中では、いつまでも師匠にあたる人だったので、当時の僕には、
研究に費やしてきた人生を覚えていてほしい気持ちが強かったんでしょう。

ボールペンをプレゼントしたんです。

「実験のメモにはボールペンを使う」というのも
その人から教わったコダワリの1つでしたから。

「ボールペンなら万が一、紙が濡れても消えないし、
 書き間違えたときに、どこを間違えたかが記録に残る」
そういうところまで配慮していた人だったんです。

今、どうしているんでしょうか。
なかなか会うのが難しくなってしまいました。

僕も、その人が退職してから一年後ぐらいに会社を辞めています。

「長年、会社で新しく入ってくる研究員を見てきたが
 他にはいないタイプだった」と言ってくれたのが思い出です。

会社にいないタイプだった人は、案の定、会社を出てしまったようで。


いつ、その人と偶然の再会をしても胸を張っていられるように
自分の大切にしたいことを続けていきたいものです。

少なくとも、教わった大事なことは、今も僕の中で生きている実感がありますから。

cozyharada at 23:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2010年09月04日

日本とアメリカの「間」

なんでも日本人のコミュニケーションにおける一般的傾向と
アメリカ人のコミュニケーションにおける傾向には随分と違いがあるそうです。

言語とセットになった部分においてです。

つまり、日本人が英語を勉強してペラペラになったとしても
会話中のコミュニケーションにおける暗黙の了解に違いがある、と。

日本人は、この部分を詳しく知らないで、アメリカから色々な技術を導入しています。
科学技術なら問題は少ないでしょう。
しかし、コミュニケーションや心理に関するものとなると
気をつけなければいけないことがあるように思います。


例えば、英語のコミュニケーションの1つの特徴は、日本語のコミュニケーションに比べ
一人が話し続ける時間が長いという傾向があります。

お互いにスピーチをするように、どちらかの話す時間というのが分配される感じ。
話し手と聞き手が交代するタイミングが、英語の場合はゆっくりだということです。

あたかも個人個人に自分の意見を主張する権利が与えられていて
それを尊重することが大切だと言っているかのように。

一方、日本語でのコミュニケーションは一人当たりの発言時間が短い傾向にあり、
一人の一言に対して、相手が一言答えて…といった応答が頻繁です。

まぁ、日本人からすると、それが当たり前なので気づきにくい部分ですが。

まさにキャッチボールと喩えたくなるところでしょう。

言ってみれば、アメリカ人は、ピッチャーとキャッチャーを交代しながら
投球練習を続けるようなコミュニケーションかもしれません。


それに伴って、聞き役のときのメッセージの発し方も違います。

日本人と比べると、黙って話を聞く割合が高いそうです。

ある調査によると、日本人はアメリカ人の約3倍の相槌やうなずきを使う、とか。

日本人で、一般の3倍程度合うなずいたり、相槌をうつ人がいたら
急かされているような気がするかもしれません。
もしくは、ちゃんと聞いていないんじゃないか、と感じることもあるでしょう。

まさに、日本人と英語でコミュニケーションしようとするアメリカ人は
そういった印象を持ちやすいということになります。


また、アメリカ人は、日本人よりも会話中の「間」を嫌うそうです。
会話が途切れるのが耐えられない傾向が強いわけです。

だから、音を出し続ける。
考えるときでも、話しながら考える。
とりあえず、何かを言うようにするんだとか。

なんでも、平均的なアメリカ人は10〜15秒の空白が耐えられないそうです。
一方、中国人は30秒以上の長考で黙り込んでも気にしない、と。

こういうところにも、アメリカと中国の文化的ギャップの大きさが見えます。
僕の見たところ、意識の振り分け方にも大きな違いがあるようですが。

日本人も比較的、考え込むことがありますし、場合によっては
会話が途切れるのが気にならないことが、逆に信頼関係の深さを物語ったりもします。


こういう違いを知っているのといないのでは
言語を学習するときに必要な内容が変わってくるでしょう。

技術的な部分に関連させると、英語でのコミュニケーションには
相手の言ったことを繰り返すことで話を進めさせることが多いとも言われます。

主張を続けさせるという行為が、話し手と聞き手の分担を可能にします。
ここにカウンセラーという立場が作られる。

いわゆるロジャース派の傾聴とかバックトラッキングの発想は
英語のコミュニケーションだからこそ重要な意味が大きかったと考えられます。

日本語のコミュニケーションスタイルからすると
ただのオウム返しを繰り返すのは少し奇妙な感じがあって当然だということです。

文化やコミュニケーションスタイルの違いを意識したうえで
日本人向けの技術にアレンジする工夫も大切な気がします。

2010年09月02日

お得な時間

食事をしている隣の席に、外国人男性の二人組がいました。
英語での会話。

せっかくなので本を読んでいるフリをしながら
コッソリ会話の盗み聞きをさせていただきました。
リスニングのトレーニングとして。

人によって聞きやすさが全然違うのは困るところですね。
修業が必要な気がする一方、拾うべきポイントが掴めていない気もします。


と同時に、英語圏の人々のコミュニケーションスタイルにも興味を持ちました。

日本人の平均的な会話よりも、ペースが合っていない印象を受けたんです。
良く言えば、個人としての振る舞いが確立している。

自分勝手なほどに思えてしまう会話の展開の仕方や、
相槌の少なさ、聞き手本位な質問の仕方、
興味があるか・ないかがハッキリと感じ取れるような態度…。

随分とペースの違うやり取りでした。

もしかすると、職業の話などもしていたので初対面に近い2人だったのかもしれませんが。


この辺の英語文化権の基本的なコミュニケーションスタイルや文化的背景、
非言語メッセージとして意思伝達に利用されている部分と、
感情表現として自然に出ていても、あまり気になされない部分。

欧米スタイルの習慣として根付いている部分に注目すると、
日本人特有の習慣にも気付きやすくなるでしょうし、
共通点としてコミュニケーションの本質なども見えてきそうな気がしています。

ただ、ペーシングの効果自体は重要な印象を受けています。

日本語ほど形式ばった礼儀正しさや、自分の振る舞いへの制御の意識が少ないのか、
本人の内面的な要素が如実に表面へ表れるようです。

普段から意識的なコントロールが振る舞いに行き届いていない分、
技術的なペーシングが効果を発揮しやすいんじゃないでしょうか。

いかんせん、ペーシングをしようと思っても、英語力の未熟さから
早く話すことができないという弱点があるので、
この辺は地道にでもトレーニングをしていく必要がありそうです。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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