2011年06月

2011年06月30日

スライト・オブ・マウスの勉強会

7月24日(日)に勉強会を予定しています。
午前から午後にかけての日中。

公共施設なので、節電対策として環境は良くないかもしれませんが
頭の中に汗をかくようなトレーニングも楽しいものだと思います。

僕は体質的に「終わった後のビール!」はしませんから、
アイスコーヒーが美味しく感じそうです。


内容は、『スライト・オブ・マウス』にするつもりです。

勉強会で取り上げるつもりは、それほどなく
ブログで細々と紹介していけば良いかと考えていましたが、
リクエストを頂きましたので、やることにしました。

僕が、以前にあるセミナーに出席したとき、
最初の自己紹介で同席していた方が
「本を買ったんですけど、読むのが面倒臭いのでセミナーに来ました」
と言っていたのを思い出します。

セミナーで説明を聞くとか、体験してみるとか、
文字情報よりもスピーディーな印象が出るのには同感です。
(その自己紹介を講師の前で言うかどうかは別にして…)

文字で読んで理解することと聞いて理解することにも差がありますし、
僕個人の実感としては、ビデオ映像とライブの説明とでも
理解のしやすさや習得のしやすさに差がある気がします。

特に、コミュニケーションでは、映像では不可能なレベルとして
ペーシングを基盤とした印象の共有も起きますから、
直接的な関わりのほうが効果は高いとも考えます。

ちなみに、僕に強く影響を与えた指導者たちは
のきなみ、このライブ環境におけるインストールの達人でした。
僕も、常々そうありたいと思っていますが。


ということで、言語パターンとして解説されている『スライト・オブ・マウス』を
体験型セミナー形式で扱うことにしました。

ある程度、ややこしい印象を受ける方が多いようですので
なるべく整理しながら取り組みたいと考えています。

詳しく知らないという方も大丈夫だと思います。
シンプルに、言葉の使い方の技術として学びますから、
他の前提知識をあまり要求しないはずです。

どこかで詳しく学んだことがあるとか、原著で読んだことがある方にも
「日本人向け」という観点で解説を付け加えますので
これまでと違った角度で楽しんで頂けるものと思います。

また、スライト・オブ・マウスというのは介入の技術と言えますから、
「どのように」使うかというのも重要なポイントです。

世間一般では、
「スライト・オブ・マウスとは何か?」
「言語パターンには、どんな種類があるか?」
などの説明がなされるまでです。

「どのような場面で」
「どのような意図で」
「何に配慮をしながら」
「どういう効果を狙って」使うのか?
という説明は少ないでしょう。

勉強会では、そのあたりまで解説します。

僕がどのように使ってきたかという話だけでなく、
他の人が使っているのを分析した観点も含みますから、
比較的、整理しやすいのではないかと想像しています。


”パターンを紹介するから、とにかく使ってみてください”
のような学び方のほうが、本当は親切なのかもしれません。

その人に合った使い方が見つかる可能性があります。
僕が予想もしないような発想だって出てくるかもしれない。

ですが、言葉が相手に与える影響を考えたとき、
「技術として学んだから、とりあえず使ってみて効果を調べよう」
という発想は、僕には抵抗があります。

その”お試し”感覚のコミュニケーションで
相手に深い傷を負わせる可能性が”ゼロ”ではありません。

会話における言葉の持つ力にも意識を向けながら
トレーニングする機会になるよう期待しています。


詳細な案内と、申し込みフォームは
近日中にブログに載せる予定です。

興味のある方は、スケジュールを見ておいて下さい。

cozyharada at 23:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!セミナー情報 | NLP

2011年06月28日

短冊に込められた想い

最寄駅の駅高架下には、いくつかの店が集まっています。
その通路に、七夕の笹が飾られていました。

当然、短冊を結び付けて良いシステムです。

七夕のストーリーから考えて、
誰が願いをかなえてくれるのかは僕には分かりませんが、
多くの人の願い事が短冊に書かれていました。

他人の願い事を覗き見るのは良いことではないとは思いながら
1つの短冊に僕の目が引きつけられました。


「ママが おこりませんように……」


明らかの大人の文字でした。
女性の字。
また、短冊には、グチャグチャっとした絵も少し。

おそらく、まだ自分で字が書けない年齢の子供なんでしょう。
お母さんに伝えて書いてもらった短冊。
自分でも絵を少し書き加えた。

どんなやりとりがあったんでしょうか?

母親が息子に聞いたんでしょうね。
七夕の短冊に書く願い事は何が良いか、と。

そうしたら、
「ママが おこりませんように」。

お母さん、どんな気持ちだったんでしょう。
複雑だったんじゃないでしょうか。

でも、それをそのまま書くことにしたようです。
反省の気持ちも含まれた短冊かもしれません。

母親が書いたと思われる短冊の一文、
文末には「……」で余韻が感じられました。
とても丁寧な文字でした。

自分のことを横に置いて、
子供の願いの内容に関わらず、
その子が心に描いたことをそのまま届けようとした。

母の愛がありそうです。

2011年06月27日

ヤル気を活用する方法

感情や気持ちは、体の中の反応によるものだ
…という話を続けてきましたが、
そのことを理解していると
自分の日々の行動で心がけると役立つ部分も見えてきます。

感情や気持ちは体の中に起こる生理的な反応そのものであって、
その感じがあることに気づけているかどうか、や
それが何に由来するものかを自覚できているかどうか、などは
かなり個人差があるものです。

そして、その生理反応に対して理解できていようが、いなかろうが、
その状態によって自分自身の振る舞いが影響を受けることには
違いがありません。


その時点で、何らかの生理的な状態が体の中に起きている。
その場合には、自分の意識的な行動や無意識的な振る舞いが、
その状態によって左右されるんです。

イライラしている時は、色々なことにイライラしやすく、
楽しいときは様々なことを楽しく感じる、と。

知っておくと役に立つのは、
 体の中の状態と、行動が密接に結びつく
という部分です。

頭で考えて「もっともらしい」と思える理由がなくても
行動には状態が影響してしまうんです。
行動すれば、状態に影響が出るんです。


イライラしているなら、原因に対処しようとするばかりでなく
イライラそのものがスッキリする行動で対処ができる。

楽しい気持ちになれているときなら、
どんな嫌いなことであっても、ちょっと無理して取り組んでみると
その中から楽しい部分を見つけられるようになる。

この「生理状態と行動・振る舞いとの関係」を
単なる性質としてドライに見ていくと、
シンプルに対処することもできるようになるわけです。

「それでは本質的な解決にならない」とか
「本心からの行動ではない」とか考える人もいるかもしれませんが、
現実的に行動した部分には、必ず何かの結果が得られます。

イライラする原因は何も解決されていなくても
気持ちがスッキリしたメリットは得られるんです。

嫌いな作業を続けなければいけない不満は消えなくても、
楽しい気持ちのときにやってみたら、楽しみながら
普段よりも効率的に作業を勧められるかもしれないんです。

現実に得られる結果が変わるんですから、
そのメリットを知っておくのは有効だと思います。


特に、未来へ進んでいこうというときは役立つはずです。

未来へ進もうとするときには
・ヤル気がある、か
・不安がある、か
の、どちらかであることが多いでしょう。

不安というのは、比較的に、「ヤル気」の状態に近いものです。
生理的な状態としては活動的になっている。
けれども、何をしたら良いかが分からない状態。

なので、不安は何でもいいから行動すると
生理的なレベルから解消されやすいわけです。

期末テストが近づくと、良く分からないけど部屋の汚れが気になり、
ものすごく熱心に部屋の掃除をしてしまった…
なんていう話を聞くことがありますが、これが典型例です。

何をしたら良いか分からないけれど、行動を引きだす状態ではある。
だから何かの行動を始めてしまう。
すると、活動的な状態になっているので熱心に掃除をしてしまい、
精力的な行動をしたことで「不安」という活動的な状態が落ち着く。

「不安」と呼んでいた「やり場のないヤル気」の感じは下がりますが、
余計な事をした気持ちが出てきて、今度は「後悔」になる。

…そんな流れと言えます。

後悔してしまうのは、自分の望んでいなかった方向へ頑張って
時間を無駄にしてしまったと感じるからだと想像できます。

それは、「そんなことがしたかったんじゃない」と思うからでしょう。

だったら、「しておきたい」ことをすれば良いんです。
直接的に、「今、やりたいこと」でなくても、
やれたら良いなと思っている行動をする。
普段だったらヤル気が出ないようなことも、
活動的な状態の中では効率的に進められたりします。

堅実なのは、「目標に向かって進んでいると実感できることを
些細なことでも行動に移す」という方法ですが、
これにはリスクもあるので注意が必要です。

実際には対して重要でないことをやっているのに、
行動を起こしてしまうことで、活動的な状態が解消されるからです。

僕が家庭教師のバイトをしていたとき、生徒だった中学生は
テスト勉強として何をしたらいいかが分かっていませんでした。

でもテストが近づくので焦りや不安がある。
何かしら行動を起こしたくなる。
結果、彼はノートを凄く丁寧に美しく書き直す作業をしていました。

それで覚えられるんなら良いんですが、
その方法は彼の勉強にとって役立つものではありませんでした。
もっと重要だったのは、数学の問題を解く練習をすること。

そちらを宿題として出していたんですが、彼は宿題をやらずに
自分のノート整理をやって満足してしまっていたようでした。

それは以前からやって効果を出していなかった方法です。
なのに、それを続けてしまうことに労力を使い、
行動したことで活動的な状態が解消されていった。
しかも「勉強した」という気持ちにはなってしまう。

不安や焦りの状態から行動を起こすときには、
行動がはかどり、行動そのもので気持ちに落ち着きが生まれる分、
何をやるかが重要だということです。

不安や焦りの状態では、
「やると役に立つのは分かっているけれど、やるのは大変」
というものを始めてみると上手くいくことが多いと考えられます。


そして、「ヤル気がある」状態は、さらに有効活用できます。

「ヤル気がある」と自覚できるぐらいの状態では、
少しぐらいの行動では活動的な生理状態は下がらないようです。

どんどん行動に繋げられる自覚がある。
だから「ヤル気がある」と自分で意識できるわけです。

そのときには、同時に沢山のことをしてしまうのが良いでしょう。

1つの目標に対してヤル気が出てきたら、
他の目標も一緒に取り組んでしまうんです。

全く関係ない内容でも大丈夫です。

例えば、英語の勉強にヤル気が溢れてきたら、
運動もしてみるとか、他の勉強もしてみるとか、
健康のために食事のコントロールもしてみるとか。

何かしら自分が積極的に取り組む必要のあることを
同時並行で取り組んでしまうと、全部が効果的に進むはずです。

「ヤル気がある」という生理状態が体の中にあって、
その対象は無関係に行動に繋げられますから。

いろんな仕事に手を広げる人が有名になったりしますが、
それは理にかなっている行動だということです。

「最近、なんだかヤル気があるなぁ!」と感じたらチャンスです。
今までやってみたかったことを全部始めてみても良いぐらい。

「ヤル気がある」という生理状態を活用するわけです。

1つのことを続けて集中力が切れかけたときに
別のことをやって気分転換にもなりますから、
1つにヤル気をぶつけるよりも、むしろ効果的とも言えそうです。

ヤル気があるという時期そのものがずっと続きはしませんから、
そういう時ぐらい集中して頑張ってみるのも良いかもしれません。

2011年06月25日

感情の取り扱い

感情や気持ちは、体の中に起きている反応を
感覚として感じ取ったものに対して名前を付けて呼んでいる
…というのが原則的なところで、
どの感じ方を、どの名前で呼ぶかには個人差があります。

だからこそ、気持ちや感情を言葉で説明するのは難しい。
同じように「悲しい」とか「嬉しい」とか言っても、
その中身として感じているものは別の可能性が高いわけです。

一方、専門用語や学術用語は定義が明確なので
同じ言葉で呼ばれるものは、話す人が違っても
同じものとして理解しやすい特徴があります。

研究者などは専門用語だけでディスカッションできてしまうので
自分の使っている言葉と他人が使っている言葉の中身に
違いがある可能性に意識が向きにくい傾向があるでしょう。

体の中で起きていることを感じ取って
それを感情や気持ちとして自覚している、
というのがポイントです。


ですから、自覚していなくても、体の中には
その感情や気持ちと同じような反応が起きていることがあります。

そして、その感情や気持ちとして自覚される体の反応が
何によって引き出されているかまで、正確に理解することは
非常に難しいものです。

体調が悪くて体の反応が変わっているのか、
何かの出来事に対して体の反応が引き出されているのか。
それすらも理解は難しいものです。

さらに、実際にはペーシングの結果として
お互いの生理状態が近づいていくことも起きているようです。


心理学の実験で、被験者に黙ってアドレナリンを投与して
その後に不愉快な出来事を経験させると
普段よりも過激に怒りの反応を示した、という話があります。

ところが、アドレナリンを投与するときに
「この薬の影響でイライラしやすくなります」と説明すると
同じ不愉快な出来事に対しても、怒りの度合いは下がった、と。

つまり、生理状態としてイライラしたときの体感覚が
体の中に起きていたとき、
それが何に由来するものか自覚できていない場合には、
外で起きている出来事に対して理由を見つけてしまうわけです。

「自分がイライラしているのは、この不愉快な出来事のせいだ!」
そんな風に理解して気持ちを整理しようとしていたとしても
実験においては薬の影響だったという話。

体の中で起きていることが、何によるものかを自覚するのは
それだけ難しいことだと思います。

そして重要なのは、その自覚ができないために、
本来の理由と違った対象に、感情を向けてしまうことになる
という場合があることです。

最初からイライラしていたから、些細な出来事に怒りをぶつける。
クレームを言う人が、クレーム対応の悪さに怒りが強まり
二次クレームに発展していくというのは、まさにこの例でしょう。

最初から不満があるから、次の不満を感じやすい。
特に、言い訳でもされようものなら、それが正論であるほど
正々堂々と不満をぶつけられる対象が無くなり、
不満の感情だけが残ってしまうことになります。

その体感覚としての不満の状態が続いている中で
不満をぶつけられる対象が見つからないと、
別の不満の対象を見つけ出してクレームの方向が変わる。

…そういう流れです。


こうした身体感覚としての感情や気持ちが収まるためには
何かしらの行動に移す必要があります。

感情は行動に繋がる。
そう理解しても間違いではないぐらいでしょう。

行動を通して発散されるんです。
筋肉を積極的に動かすことで体の中の状態が変わるんです。

ここには段階があります。

一番早いのが、体の中の状態が変化したときに
その変化に合わせて行動が変わるタイプ。
感情や気持ちとして自覚するよりも先に、体が動きます。

次が、体の中の状態の変化に気づき、その感情に浸るタイプ。
自分の気持ちを自覚します。
すぐには行動に結び付けないので、長く感情を自覚して、
普段と違う自分の感情や、ネガティブな気持ちになっている自分に
さらに二次的な気持ちが沸く場合もあります。
「イライラしている自分が嫌…」という感じ。

その次が、体の中の状態の変化を自覚しないタイプ。
自分自身の感情的な体の反応に鈍感になっていることもあれば、
出来事を冷静に、知的に理解することで自分を納得させ
「仕方がない」と言い聞かせるように感情にフタをすることもある。
溜めこんでいくようなイメージでしょうか。

…もちろん、混ざったような場合もあって、例えば
感情に沿って、すぐに行動に移しながら、
同時に体の状態も感情として自覚している、とか。

行動にも変えないし、感情としても自覚しないけれど、
生理的な反応としては体の中に強いものが起きていて
他人からは非言語メッセージとして感情が分かりやすい、とか。


望ましいのは、全てをバランスよく使い分けていく形かもしれません。

何でもすぐに行動に結びつけるのでは、
時には衝動的な振る舞いで人間関係を損ねる可能性もあります。
やってから後悔する、というのは苦しいものでしょうし。

だからといって、自覚してばかりでも辛い。
心地良くない体の反応が長期間にわたって自分の中にあれば
それを意識しているだけで、さらに気持ちが滅入るかもしれません。

知的に自分を納得させようとしても、体の中には反応は残ります。
いわゆる「合理化」と呼ばれるものです。

なので、まず自分の身体反応に気づき、感情として自覚する。
それが何によるものかを理解する必要はありません。
理由を自覚して「仕方ない」と考えるようにするのは
合理化で感情を抑え込む方向に進みかねませんから。

気づいたら、自分の状態を落ち着いたものにするよう工夫します。
深呼吸するとか、姿勢を整えるとかで、安定感を取り戻す。
そして、その状態で、その状況を乗り切る方法を考えます。

そして実際に行動してみて対処する。

このままでは、感情は発散されていませんから、
後から別の手段で感情だけを発散させるようにします。

感情の発散は、筋肉を積極的に動かすことで起きやすいので、
走るとか、大声を出すとか、何かを叩くとか、投げるとか、
重いものを持ち挙げるとかして、体の中の鬱憤を晴らすわけです。

スポーツや音楽は、その意味でも有効ですが、
技術に思い入れを持っている場合(上手くやりたいとき)は
結果の良し悪しで気持ちが左右されますから、
できるだけシンプルに筋力を発揮する方法が望ましいでしょう。


常日頃から、体の中の状態を感情や気分として気づきながら、
その状態が生理的なものであると理解をした上で、
体を動かすことを通してメンテナンスをしておく。

今この瞬間の出来事によって引き出されたのではない感情が
現時点の体験の受け取り方に混ざり込んでくるのは
色々な部分で、もったいないことじゃないかと思います。

「物の見方を変える」とか「受け取り方を変える」とか
意識の仕方で日々を明るくする方法もあります。

一方で、気分の良いときは、全てが明るく感じられる
という側面も人間にはあるわけです。

積極的に自分の生理状態を整えるようにしていくのも
日々を明るくする1つのコツかもしれません。

2011年06月23日

体の声を聞く

人の気持ちというのは複雑なものです。

何も当たり前の話をしたいわけではなく、
ある瞬間に起きている気持ちというものが
複雑に入り組んだものになっている、ということなんです。

楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか、腹立たしいとか、
そういった感情がシンプルに1つだけ存在するわけではない。

様々な状態が混じり合って存在しているんです。
それに名前を付けて呼んでいるだけ。

感情や気持ちとは、
 体の中に起きている反応を自覚して、
 その状態に対して特定の呼び名で説明したもの
と言えます。

複雑な身体反応の組み合わせを感じ分けて
自分の感情や気持ちなどの状態を意識している、と。


脳科学の立場から、心を脳の働きとして説明しようとする人がいますが
感情や気持ちを理解するには脳だけでは不可能なはずです。

体からのフィードバックを感情として捉えるわけですから。

身体感覚とか体感覚、体性感覚など、色々な呼ばれ方をする感覚です。
英語でいう「ガッツ・フィーリング」(内臓感覚)が一番近い気がします。
その体の中の反応が、感情や気持ちには不可欠だということです。

言ってみれば、体というのは
「感情が描かれるキャンバス」のようなものです。

ある人が著書の中で、
「人間がこの先、科学を発展させていって
 体の部品を全て機械などで置き換えられるようになったとき
 『自分』とは何を言うのか?」
というような話をしていました。

場合によっては、脳の中に入っている機能を
コンピューターに移し替えられれば、意識はそこにあるんじゃないか?
そんなような話だったと思います。

まぁ、話の主題は「自分とは何か?」の部分にあって
その考え方を補足するための仮説だったんだろうとは思いますが、
その人の、その人らしさには、体の働きも重要なはずなんです。

どういう風な体の反応の仕方をするかという特徴が
例えば、エネルギッシュだったり、落ち着いていたり、
感情表現が豊かだったり、怒りっぽかったり、
様々な特徴と結び付くわけです。

体からのフィードバックがなくなるような機械の体では
感情の動きが無くなってしまいますから、
まさに「ロボットのような人」と言われるような性格になるでしょう。

「自分とは何か?」のような話から、「体を置き換える」設定に
話を進めていくのであれば、脳に対してフィードバックできる機能まで
完璧に再現しながらやっていくことが必要そうです。


これは、仮に再生医療が進んで、臓器や体の一部を
自分のコピーと置き換えられるようになる未来が来たとしても
そこで予測されることは同様です。

例えば、心臓が弱ってきたときに、自分の細胞を元にして
心臓を再生して、新しい心臓と置き換える…ことをしたとします。

すると心臓の機能だけが若いころに戻るわけです。

心拍数も心筋の収縮力も変わる可能性があります。
精神状態によって心拍数が変化する度合いも変わるかもしれません。
おそらく血流にも影響が出るでしょう。

血流中のホルモンの動きも変わったとしたら、
同じ状況で体の中に起こる反応のも変化が出る可能性があります。

心臓を若いものに取り換えたときに、感情のパターンにも
違いが出るかもしれないわけです。

つまり、性格が変わるかもしれない。

それぐらいに、人の心は体の反応にダイレクトだと考えられます。

奇跡的なエピソードの中には、
 臓器移植を受けた人が、ドナーの記憶を受け取る
ような話があります。

鮮明な記憶が移るかどうかは分かりませんが、
例えば、食べ物の好みが変わるとか、
性格が変わるとかいうレベルであれば、
その臓器が置き換わることで、体中の生理反応のバランスが変わり
今までと違う気分や感情が起こるようになるのは
不思議なことではないと思います。

体の機能が変われば、内面にも影響が出るのは当然とも言えます。

その意味では、スポーツで心を育むというのは、
特に、セルフコントロールを高める目的にとって
理にかなった発想でもあるのかもしれません。

イチロー選手の落ち着きには、そうした
体のマネジメント能力の高さも関係している気がします。

2011年06月21日

求められる特性

人それぞれ個性というのがあって、それは全て持ち味で
長所や短所という評価をするのは難しいと思います。

その特性が役に立つ場面と、上手く機能しない場面がある。

重要なのは、その場面で求められることをする上で、
その特性が役に立つかどうか、ということでしょう。

1つの行動や振る舞いの傾向というか、能力や特性が
多くの行動に結びついているのが大切なポイントです。

場面に応じて、違う特性を発揮できれば
柔軟性が高いということになるわけですが、
決して簡単なことではないようです。

例えば、文字を書くときに、
どんな状況でも普段通りに、同じように書く人もいますし、
状況に応じて書く文字を変える人もいます。

研究職として一緒のチームで仕事をしていた方々にも、
いつも読みやすい丁寧な文字を書く人、
いつもスピーディーにサラサラッと文字を書く人、
自分用のメモには汚く素早く、他人に見せるものには丁寧に書く人
…などと個性が分かれていました。

当然、実験をするときにも、
これらの文字の書き方の違いが反映されました。

いつも丁寧な字を書く人は、実験も全て丁寧。
「そこは雑でも良いんだけど…」というものも丁寧です。
ミスはないし、着実で安心感があるものの、
急ぎの作業は得意ではなかったようです。

いつもスピーディーに字を書く人は、
長期間保存されるような書類やサンプルのラベルの文字も
ササッと素早く書きあげます。
「本当は、一目見て識別できるように丁寧に書いたほうが…」
というものも、自分用のメモ書きも同じ文字で書く。

同様に、実験作業も全てスピーディーですから
仕事はどんどん進みます。
スピードが求められる作業は大活躍するものの、
丁寧さが必要な場面ではミスに繋がったり
結局やり直す必要が出てきたり…という部分もありました。

場面に応じて文字を書き分ける人は、
スピードが求められる仕事ではスピーディーに、
丁寧さが求められる仕事では安全確実に、と
作業の進め方を使い分けているようでした。
ただ、求められていることが何なのかが分からないと
ストレスを抱えることもあったようです。

文字の場合には、ペン習字や書道をやっていると
参考にならないことがあります。

それは、文字を書くという作業が意識的になるからです。
文字を綺麗に書くことそのものが目的になっていて
「仕事の場面」という状況と切り離されていることがあります。

個性や特性が表れるのは、
意識せずにやっているときが顕著です。

「頭で分かっていても、ついついやってしまう」
ように、いつものパターンを繰り返すのも
意識していないのになっているという意味で同様です。

自然と自覚なくしている行動や振る舞いにこそ、
その人の特性が色濃く反映されやすいというわけです。


で、繰り返しになりますが、その特性自体には良し悪しがない。
あるのは、状況に対する『向き・不向き』です。

そう考えると、能力や特性を改善しようと努力するというのは、
その状況に向いていない特性を変えようとする行為かもしれません。

物事の可能性を十分に予測して、リスクの対策を考えてから
慎重に行動に移していく特性を持っている人がいたとします。

その人が、とにかく行動力が求められる職場にいたとしたら
状況として期待されている振る舞いが違うわけです。

「考えている暇があったら、さっさと行動しろ!」と言われても
そういう特性の人ではない。

それを「優柔不断で行動力が無い」という短所に捉えるのは
その状況が、素早い行動を求めているからです。

そこは、「行動力がある」というのが長所になる場面なんです。

だったら、行動力をつけるようにしたらいいか?
『それも』できるようになるのは有効だと思います。

場面によって違う振る舞い方ができるようになると
効果的な対処ができるものが増えていきます。

しかし、もしそうなったとしても、その人の個性は
やっぱり「良く考えてから行動する」というところにある。

考えるよりも先に行動することを求められる日々が
ストレスに感じられる可能性もあります。

もしかすると、長くやっているうちに考えることを止め、
「とにかく行動する」という特性に変わっていくかもしれません。

そうなったときには、「慎重に良く考える」という特性が
長所として役に立っていた別の状況で、
上手くいかないことが出てきてしまう可能性だってあります。

状況に合わせていくほうが良いのか、
特性に合った状況にいるほうが良いのか。

これは難しい問題だと思います。


求められる個性とは違う人でも、
そこに夢や希望を抱く場合があります。

本当は人前で何かを主張するのが苦手なのに、
歌が好きだからという理由で歌手を目指す、など。

夢をかなえる喜びもあるでしょうが、
同時に、ストレスも抱えることになるかもしれません。

その人の全ての個性が発揮されるような状況を
自らが作り出して仕事にしていければ、
それは理想的なようにも思えますが、
組織に属するとなると、それも難しい気がします。

場合によっては、個性として不向きなこともあって、
別の場所では長所として評価される個性が
短所としてみなされ、活躍もできず苦しい思いをする、
なんていうこともあるでしょう。

そのときに、環境を変えるほうが幸せなのか
期待していた状況に居続けるほうが幸せなのか、
判断は難しいところです。


一方で、世の中には、社会が厳然と
ある特定の個性や特性を求める仕事もあると思うんです。

お金の管理をする仕事の人は、
「細かいことを気にしない大らかさ」でもって
「あれ、計算が合わないなぁ…、まぁ、いいか!」
というわけにはいきません。

社会に対して、
あるいは個人が相手であっても、
影響力や責任が大きい職業があるんです。

他者の人生に深くかかわる仕事ほど、
求められる特性というのがあると思うんです。

この場合には、夢や信念だけでやってもらっては困ります。

もし、どうしてもその仕事をしたいという強い想いがあるのなら、
求められる特性に自分を合わせていく義務さえあると思います。

関わる相手に迷惑をかけるかもしれないんです。
他の人の一生に悪影響を及ぼしているかもしれないんです。

その自覚があるかないかは重要じゃないでしょうか。

悪影響を与える可能性に対して自覚があって、
それでも自分は、そのことが良いことだと信じていて、
その上でやっているというのなら、
僕はそれを尊重しますけど。

cozyharada at 23:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2011年06月19日

影響を受けた言葉

ターニングポイントを感じるときというのは、
外的な出来事として重要なことが起きていたとしても
自らが「選択した」結果が伴うように思います。

そのときに自分が何を選択したか。

その意味で、そこには何らかの行動があると考えられます。
なので、行動を変える方向に気持ちが動くのは
とても大きな意味合いを持つと思うんです。

常日頃から「思い立ったら即、行動!」という人でさえ、
「ちょっと考える間を置く」という方向に変えるのは
やはり行動を変えるという点で意味のあることでしょう。

何かが変わるタイミングでは、
行動を変えることが重要だということです。

だからこそ、ブリーフセラピーやコーチングでは
行動を変えていくようにサポートをしているわけです。


僕が影響を受けた言葉も、やはり行動に影響するものが多く、
特に、「自分の気持ちに従う」とか「直感に従う」」
という方向へ僕を動かしてくれた言葉がありました。

間違いなく、僕の内面的な安定に対して支えになり、
かつ、道を切り開くキッカケになった言葉だったと思います。

どちらも石井裕之氏から教わった心がけでした。

「チャンスがあったら、すぐYes」
「迷ったら、Yes」

言葉を引用すれば、「現状維持メカニズム」への対策として
心構えに持っておくべき発想だと考えられます。

「現状維持メカニズム」と呼ばれる心の動きを
別の表現で説明すると、「無意識」とか「パート」と関係します。

現状維持という性質に着目すると、それは
「どんなに自分が不満なことであっても
 現在の状態を維持しておくほうが楽」
という発想と繋がるようです。

そこに肯定的意図を見出そうとするアプローチとは違うんです。
僕自身は、現状を維持しようとする肯定的意図に気づくほうが、
意図を自覚したうえで選択ができるようになるので、好みではあります。

メリットがあろうが、なかろうが、関係ない。
単なるメカニズムとして、ドライな性質として
人間の中には、今の状態をキープしようとする力が働く、と。

ホメオスタシスといっても良いでしょう。

そういうもんだから、仕方ない。
それを分かった上で、頑張って変えていきましょう、
という発想が「メカニズム」という言い回しの裏にありそうです。

ですから、とにかく頑張って、変えられることを変えていく。
とにかく行動を続けていくんです。
そういう方法論。

これには大きなメリットがあります。

それは、「自分の意志でやり遂げた!」という達成感です。

多くの心の問題は、『自信』を高めていくことで解消されるものです。
「自分にもできた」「変われた」「続けられた」という経験が
自信に繋がるんです。

そのためには、とにかく行動に移すキッカケが重要。

そこで出てきた言葉が
「チャンスがあったら、すぐYes」
「迷ったら、Yes」
なんじゃないでしょうか。


実際、僕が会社を辞めたときも、辞める決意をした瞬間は
「チャンスがあったら、すぐYes」のタイミングだったんです。

あっと言う間に決めました。

まぁ、僕自身の傾向として、振り返ってみると
重要な転機ほど、アッサリと決めているんですが。

ただ、この言葉がスピードを速め、
自分の選択に対する安心感をくれていたのは
間違いないところでしょう。

そして、
「悩んだら、Yes」。

これには、妙な説得力がありました。

 やりたくなかったら、最初から悩まないでしょう。
 やりたい気持ちがあるから、悩むんです。

…そういう意味があるようです。

やろうかどうか迷った時点で
気持ちの中では「やりたい」方向に傾いている。

そのことを思うと、一歩が踏み出しやすくなります。

少なくとも、やらずに後悔することは減るでしょう。


やりたいようにやる。
好きなようにやる。

そうやって生きるには、まず
「やりたいこと」や「好きなこと」
を知る必要があります。

それを価値観や使命感として見つける手法もあります。
有効な方法でしょう。

ただ時々、言語化してしまった価値観や使命感は
本来の気持ちから離れて、独り歩きする場合もあるんです。

すると、仕方なく嫌々やるような義務感が出てきたり、
誰か他の人の気持ちに振り回されたりすることがあります。

その点、自分の気持ちに気づくだけのやり方はシンプルなんです。
ただ、「今、自分は、何をしたいのか?」
を感じるだけ。

感じるだけと言っても、それさえ簡単ではないものです。
一時の気持ちに流されて、本当の気持ちが無視されたり。

だから、「やりたい」気持ちを探るのが重要なんです。

その1つの方法が、「迷い」に気づくこと。
やろうか、どうしようか、迷う。
これには少なくとも「やりたい」気持ちが含まれている。

その判断材料を持っているだけで
自分の本心に気づきやすくなると思います。

僕にとって、とても大切な心構えになりました。

2011年06月16日

影響を受けた言葉

僕には大きな影響を受けた言葉がいくつかあります。

その中でも、自ら切り開くという意味で大きかったのは
いずれも行動を促してくれるものでした。

最初に影響を受けたのは、中村文昭氏の言葉。

まだ、会社で研究職をしていた頃でした。


当時は研究に一生懸命なところがあって
英語の論文を早く沢山読みたかったんです。

それで速読に通い始めました。
フォトリーディングではありません。

毎週一回、読むスピードを上げるための訓練をしていました。
池袋の教室に通って、帰りにジュンク堂で本を買い込む。

その前から自己啓発書やビジネス書は好きでしたから、
本を読む習慣には、速読のトレーニング的な意味合いがありました。

そこで偶然に出会ったのが、中村文昭氏の本だった記憶があります。

初めて、本を読んで感動したんじゃなかったかと思います。
熱く生きようと思ったものです。

いくつも影響を受けたメッセージがありました。

言葉として心に残り、それを意識して過ごすことになったのは
 「0.2秒で『Yes』」
 「頼まれごとは、試されごと」
の2つでしょうか。

セミナーの仕事に進んでいくプロセスでも
この言葉が重要な意味を持ちました。

自分の能力や経験など無視して、
得られる見返りも無視して、
全ての気軽な依頼にも、即答で「Yes」でした。

その結果、自分自身が経験を積むことができて、
少しずつ評価を得られるようになっていった気がします。

ガムシャラに頑張る時期に、この言葉が必要だったのでしょう。


思えば、その速読教室が、自分のお金で勉強に行った
最初の場所だったんです。

そして、初めて自分の意志で講演を聞きに行ったのが
中村文昭氏でした。

そこから色々と勉強が始まっていったんです。

その意味でも、重要なタイミングだったんだと思います。

2011年06月15日

失敗とフィードバック

「失敗はない。フィードバックがあるだけだ。」
という考え方があります。

研究をやっていた人間には、いたって当たり前の発想です。
「ネガティブデータ」という表現が作られるぐらい、
仮説と異なった結果が得られることは良くある話なんです。

ですから、「『そうではない』ことが分かった」という意味で
得られたものはあると考えるわけです。

そうやって可能性をつぶしていく。


日常の様々な場面において、失敗を嘆きがちな人にとっては
この言葉を意識しておくことが役立つでしょう。

とはいえ、こういう便利な言葉を鵜呑みにするのも危険です。

「失敗をフィードバックに変える」という「失敗から学ぶ」発想にも
注意すべきところがあるんです。


その1つは、感情の取り扱い。

失敗したことによる悲しみや怒りにフタをするのは賢明ではありません。
わだかまりを抑え込むことにエネルギーを消費します。
疲れます。

その消耗感すら無視して、「次こそは!」と力を無理に出そうとすれば
その負担が積み重なっていく場合もあります。

悔しかった、残念だった…、
その気持ちは大切なものです。

それを無視して、望ましい結果が得られなかったときに
「この失敗から何を学んだだろう?」
とすぐに考え始めるのは無理があります。

学びを考えるのは、時間が経ってからのほうが安全です。


このように感情の扱いに注意しないといけないのは、
「失敗だ!」と捉えているからです。

怒りや悲しみなどの感情が動く以上、
本人の中で「残念な出来事」として捉えられているわけです。
「失敗」だと捉えているから、残念なんです。

口では「失敗はない、フィードバックがあるだけだ」
なんて言いながらも、残念な気持ちが沸いてきたとしたら
その時点で、「失敗だった」と認めているんです。

上手くいかなかった結果を「フィードバック」として捉えたら、
「あぁ、こっちじゃないんだ。じゃあ、こうかな?」と
気持ちが自然に次へ進むことが多いでしょう。

少なくとも、好奇心に近い気持ちが表れると思います。

結果が出る前から、
 上手くいかなかったとしてもフィードバックがある
ものとして取り組むことができる。

すると、フィードバックが得られるように行動するようになるんです。

ここが重要です。

「上手くいかない」という状態は無限にあります。
予想していたこと、期待していたことと違う結果は全て
「上手くいっていない」結果と言えるでしょう。

色々とある「上手くいかなかった」結果から
フィードバックとして有効な情報を得る。
そのためには、「上手く失敗する」必要があるんです。

失敗を前提に行動するわけではありませんが、
効果的なフィードバックが得られるように
最初から工夫して取り組んでいると、得られるものが多いわけです。

結果が出る人は、失敗の仕方も上手いんです。


プロゴルファーは、打つ前に毎回同じ動作をします。
狙った方向に、まっすぐ構えられるように練習をします。
姿勢や目線を同じにできるように工夫をします。

これらは全て、毎回同じように打つための手順だといいます。

いつも目標に向いてまっすぐ構えて、同じ姿勢で、
同じようにスイングをして、ボールを打つ。

その結果、予想よりもボールが曲がったとします。

いつもと同じように構えているから、
スイングのどこが違っていたかが区別できるわけです。

スイングの影響だったのか、風の影響だったのかも、
打つ前からフィードバックが得られる準備をしているので
次に活かす学びが得られるんです。

まさに、ミスショットをフィードバックに変えられるんです。

これが素人になると事情が全然違います。

打ったらボールが右に行った。
「おかしいな。ミスショットだ。どうも今日は右に飛ぶ日だな。」
これだって失敗から学んでいるとは言えるでしょう。

ただ、分析が足りません。
では、どうすれば分析ができるのか?

そのためには、分析ができるように
準備をしておく必要があるんです。

ボールを打ってみて、右に飛んでいくミスだったとします。
そこから分析をしようとしても、
・最初から右を向いて立っていたのか、
・スイングが悪かったのか、
・風が吹いていたのか、
を後から思い返して整理するのは大変なんです。

フィードバックを得たつもりが間違って学んでしまう。
本当は右を向いて立っていただけだったのに、
「今のは、打つときに腰が開いたな」
なんて考えてしまえば、次からのショットに悪影響が出ます。

間違ったフィードバックを取り入れ続けると、
どんどんと悪い方向に進んでいく場合だってあるんです。

効果的なフィードバックを得るにも技術がいるということです。


つまり、フィードバックの手に入れ方にも
上手くいかない方法があるわけです。

「失敗はない、フィードバックがあるだけだ」と言い続けながら
フィードバックを得る方法に失敗し続けている。
この言葉を信じているからこそ、逆に
「失敗の仕方に失敗している」ことに気づけなくなっている。

…そういう皮肉な事態は避けたいものです。

フィードバックが上手く得られているかどうかにも
フィードバックをしていく視点が大切じゃないでしょうか。

2011年06月13日

新ホームページ

ホームページをリニューアルしました。

以前のと比べると、シンプルながら洗練されたデザインだと思います。

まだ出来上がっていない部分もありますが、
少しずつ追加されていく予定です。

勉強会の資料や、過去に書いたものなども見られるようにするつもりです。

「お客様の声」として、ご意見をうかがうこともあるかと思います。
ご協力頂けると嬉しいです。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

近日公表

《コミュニケーション講座》
〜言語表現力トレーニング〜


【日時】 2017年6月25日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


概要はこちら>>
次回開催は8月の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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