2012年05月

2012年05月31日

懐かしの”環状オリゴ糖”

『ヘルシア五穀めぐみ茶』を飲んでみました。

僕は結構、”十六茶”とか”爽健美茶”とかの味が好きなので、
ヘルシアの”五穀めぐみ茶”も好きな部類でした。
どうしても苦みと渋みは強いですが。

それでも『ヘルシア緑茶』の衝撃的な苦みと比べると、ずっとマイルド。

ヘルシアを忘れて飲めるぐらいに感じます。

それには、もちろん、ハト麦、とうもろこし、発芽玄米などの
香ばしさと甘みが関わっているとは思います。

ですが、成分中に含まれる『環状オリゴ糖』の効果もあると考えられます。

多分、この『環状オリゴ糖』のせいで、ヘルシアのお茶は
お茶であるにもかかわらず、ある程度のカロリーがあるはずです。


環状オリゴ糖といえば、一般的には『シクロデキストリン』です。

『シクロ』が『環』、『デキストリン』が『グルコース(ブドウ糖)』の繋がったもの。
シクロデキストリンは、グルコースが繋がって輪っか状の形をした物質です。

輪っかを作るグルコースの数によって、輪の大きさが変わります。
ここが、ポイントです。

輪っかの大きさによって、内側に入り込める物質の大きさが変わるんです。
ですから、内側に閉じ込めたい物質に合わせて、
環の大きさ(グルコースの数)を選ぶと、ある程度は
狙った物質だけを閉じ込められる、というわけです。

グルコースが繋がったものは”デンプン”に代表されるように
アミラーゼなどの消化酵素で分解されます。
(「食物繊維」といったときは、分解されにくい形をしていますが)

なので、口から摂取して体内に運ばれると、シクロデキストリンから
その中に内包されていた物質が出てくることになります。

おそらく、ヘルシアの場合は、茶カテキンをシクロデキストリンで囲っているのでしょう。

カテキンの重要な機能は「抗酸化作用」です。
「抗酸化作用」というのは、裏を返せば、
 その物質自体が酸化されやすい
ということなんです。

他のものが酸化される前に、その物質が先に酸化されてくれるので
他の物質が酸化されるのを防いでくれる、というストーリーです。

ビタミンCは、まさに抗酸化作用の代表ですが、非常に酸化されやすいものです。

一般的にペットボトルのお茶にはビタミンCが含まれていますが、
これはお茶の成分が酸化されてタンニンが沈澱しないように
もっと酸化されやすいビタミンCを、「抗酸化作用」の目的で入れていると言えます。

ヘルシアの肝は「茶カテキン」で、これも「抗酸化作用」を持ちますから
できるだけ酸化されないようにガードしておきたいはずです。

実際、ヘルシアのシリーズは、ペットボトルの口を開けてから
長時間かけて飲んでいると、徐々に味が変わってきます。
カテキンが酸化されていると思われます。

そこで、茶カテキンが酸化されるのを防ぐために
シクロデキストリンで囲っておいて安定化している、ということでしょう。


そんなことを大学一年の「工業化学総論」で、応用生物科学の先生に教わりました。

もう随分と前の話です。
10年以上前に退官されて、その後は、
どこかの専門学校の校長先生だか顧問だかをやっていました。

特別に授業の面白い先生だったわけではありませんでしたが、
なんとなく生物系の内容が楽しく思えたので、結局、その先生の研究室に入ったんです。

沢山飲んでも、お腹を下さない加工牛乳、その名も「アカディ牛乳」の話や、
人口イクラの作り方、ポッカの「キレートレモン」の手伝いをした話など、
身近なところに溢れる生化学を勉強していたものです。

…勉強、という感じではなかったかもしれません。
ただ、「へぇー」と話を聞いていただけ。

その身近で生活に密着した感じが好きだったのかもしれません。

そして、当時習ったことを今でも鮮明に覚えていたりします。

忘れないのは、日々、そういうことを考えているからのような気がしました。
考えない内容は忘れていっているようですから。

当時は好きだった無機化学の内容は、もう名称ぐらいしか思い出せません。
大学の時に行った旅行は、”日本全国の窯元を巡る”焼き物探索一人旅でしたから
無機化学でセラミックとか、石のことを考えるのも興味があったんです。

しかし、今に思うと、興味があったのは焼き物の芸術サイドの部分であって、
その芸術面を化学的に扱ってみたかっただけに感じられます。

僕はきっと、芸術的側面を持ちつつ、生活として間近に感じられるものを
科学的(化学的)に見ていくのが好きだったんでしょう。

もし、無機化学のほうに行っていたとしたら、きっとセラミック関係の会社に就職して
その後でやっぱり会社を辞めて、陶芸家にでもなろうとしていたかもしれません。
それで人間の芸術活動を理解したくなって、心理学とかも始めて、
結局は同じようなところに来ていたような気がします。


自覚があろうが無かろうが、『なんとなく好きでやっていること』にこそ
その人の本質的な願望があるのかもしれません。

自分の好きなものの中の、自分の好きなところ。
それを色々と全般に調べていってみると、本質的な共通点が見えてくると思います。

また、頻繁に思い出される内容は忘れにくいはずですから、その意味では
その中に、思い出すための理由があるとも考えられます。

ですから
 あまり強烈な体験だったとは思わないのに、なぜか、ずっと記憶に残っていること
も、思いつく限り書きだして、印象に残っている部分をピックアップしていくと、
そこでもまた共通点が見えてくるんじゃないでしょうか。

もちろん、その共通点を大事にするように意識していけば
自分の選択や進み方に自信を持てるようになるでしょう。

ただ、それ以上に重要だと思うのは、
そうした自分にとって大切で、なんとなく好きなことをすることで
心身のバランスを取りながら、日々を快適に過ごせる、という部分です。

以前は良くやっていたことを、引っ越しや仕事の変化が理由で
やめてしまってから、少しずつ調子が悪くなっていくようなケースは多いようです。

逆に安定感のある人は、以前やっていた習慣が続けられなくなると
共通点のある別のことを知らず知らずのうちに始めていたりします。

自分の好きなことを、具体的な行動や物としてではなく、
「それを通して何を楽しんでいるのか」の観点で知っておくと
色々と日常に活かせるはずです。

せっかく好きなわけですから、堂々とやりたいものだと思います。

cozyharada at 23:59|Permalinkclip!NLP | 心理学

2012年05月28日

「自分の範囲」と意識状態の関係

久しく偏頭痛が出ていなかったのですが、かなり重めの状態になりました。
普段は一晩寝て、翌朝起きると楽になっていることが多いのに
今回は二日目まで続く状態。

かなり色々なところに支障が出るのが忙しいときは大変だと感じます。

まぁ、忙しい時のほうが偏頭痛にもなりやすい印象がありますから、
負荷の量と関係しているのであれば、限界を教えてくれているのかもしれません。


偏頭痛としての痛みが治まってきたあたりでも
ボーっとした感じは、しばらく続きます。

で、振り返ってみると、このボーっとした感じ自体は
セミナーの翌日ぐらいには結構な頻度であるようなんです。

どうやら、程度の軽い状態がボーっとした感じで、
ひどくなると痛みに繋がる…というところなんじゃないか、と。

ボーっとした感じというのは、どうもシャッキリしないというか
五感の使い方が受動的になっていて、情報を取りにいっていない感じです。

自分の体に対する意識も下がっていて、姿勢も歩き方も適当。

なんていうか、半径1mぐらいのカプセルの中にいて
カプセル内には薄くガスがかかったようなイメージです。

体の外の世界が曖昧に感じられて、音も映像も不鮮明。

体の内側の感じもドンヨリしていて細かい情報が分からないんです。
すごく大雑把に体の不快感だけが感じられます。

体の範囲というか、表面部分に対しても曖昧になっていて
自分の身体が少し、周りに溶けだしてしまっているような感覚です。

もっと広い範囲にまで自分の体の感覚が広がっていると、
それはそれで安定感があって、リラックスした良い感じがしますが、
溶けだしている範囲が、周りに50cmぐらいの状態なんです。
…喩えていうと。

これが不鮮明な感じ方を表現しているんでしょう。
シャッキリしないわけです。

カプセルの感じも透明度が低く、濁ったプラスチックみたいで
こいつも決して心地良くない。

強く意識が向くのが首や肩の痛みと重み、そして頭痛。
頭にこもった熱。

ドヨーン、ドヨーンと鈍く遅くなった印象があります。


それで思ったんです。
これはセミナーで頑張った後と逆の状態かもしれない、と。

セミナーの最中には意識の範囲が人のいる空間全体にまで広がります。
そこまでがクリアになっていて、感度が上がっている状態なんです。

化学で使う測定機器に喩えると(例えばHPLC)、
低い濃度まで分析できるように感度を上げながら
それでいてベースラインがピシッと安定している状態です。

偏頭痛のあるとき、ボーっとしてくるときは、それが逆。
ベースラインの線自体が太くなっていて、ギザギザしていて、一定にならない。
しかも検出感度も悪いので、よほど高濃度じゃないと検出できない感じです。

感覚的には、10倍以上の差がある気がします。

デスクワーク中心でシャキッと仕事を進めていたり、
勉強に集中しているときが、僕のスタンダードになっているようです。
そこを基準に考えているみたいです。

で、偏頭痛になると半分以下…多分1/4ぐらいに感度が落ちます。
全部がボヤーッとしてくるんです。
多分、目の開き方も減っているでしょう。

全てが”のそーっ”と、スローダウンした感じです。
自分だけ周りの世界よりもスローになっている印象。

この状態で温泉にでも浸かっていれば気持ちも良いんでしょうが、
それで渋谷の街中を歩くとなると大変です。

単純に言えば、「疲れている」ということなのかもしれません。

普段は、すれ違う人も流れる景色も沢山の情報を処理しながら
頭が回転している状態で道を歩いている気がしますから。

音楽でいうと、一小節に入っている音符の数が違うと言えます。
街中が8ビート、つまり8分音符が8つで一小節として流れているとしたら
快適な状態で生活しているときの僕は16ビートぐらいです。

8分音符を2つに分けて聞いている感じ。
「ワン・ツー・スリー・フォー…」を「ワ・ン・ツ・ウ・スリ・イ・フォ・オ」と。

そんな風になってきたのは、5年前ぐらいからかもしれません。

で、そのリズムが、体調が悪くなると落ちるわけです。
4分の4拍子で、しかも短調になったみたい。

ちなみに僕はテストとか、何かの本番とかになって気合いが入ると、
アドレナリンが出るのか、さらにスピードが倍ぐらいになる感覚があります。
32ビートです。

時間制限のあるテストなどでは非常に役立ってきたと思いますが、
反面、スポーツには不向きでした。
練習のタイミングと大幅にズレてしまうからです。

大学の頃、皆で野球をやっていたときなどは、気合が入ると
普段のタイミングでバットを振ったつもりが速く動き過ぎてしまうんです。
だから、あえて重いバットでスイングを遅らせる必要があったり。

「ダブルプレーのチャンス!」と思ったら、ベースに入ってボールを捕ったつもりが
まだボールが来る前に、捕球から送球の動作までしてしまったこともあります。

周りがスローモーションになって、自分だけ速く活動している感じ。

当時は、自分が気合いを入れると32ビートになるなんて意識していなかったですが、
それによって助かっていた部分、失敗していた部分の両方があったようです。

今、セミナーをやっているときも32ビートか、それ以上に内面のスピードを上げて
意識に上げる情報の範囲も空間的に広げている感じがあるので
普段よりも沢山のことを処理しているんだと思います。

カウンセリングでも処理量は上がりますが、空間的に感じ取る範囲が
セミナーと比べると狭くなるので、処理スピードを一番上げるのがセミナーなんでしょう。

それで、久しぶりに処理スピードを目一杯に上げるようなことをして
負荷がかかり過ぎた結果、疲労を含めて偏頭痛になった。
…そんなところかもしれません。

スピードを上げ過ぎたから、スローな時間を数日とることで調節しているのでしょうか。


そう思うと、ある程度は仕方ないと感じられてきますが、
それでもやはり現実的に困るところもあります。

そこで今回の発見は、空間的に半径1mの範囲で境界がボヤけているなら
それをシャープに戻せば良いんじゃないか?ということです。

関わってきたクライアントの方々の中には、常日頃から境界がハッキリせず
感受性が強い反面、人ごみのストレスに弱い方もいました。

その場合、バリアを張るようなイメージで対処するケースが多かったんですが、
それだと僕の体調不良時のカプセルみたいなもので、
負荷は減ってもパフォーマンスが落ちるデメリットもあったかもしれません。

もちろん、僕のケースは疲労もあって速度を遅くするほうが目的でしょうから
カプセルの中の空間を濁らせてドヨーンとしておくのが重要なんだと思います。

それと比べると、感受性の高い人は透明度の高いカプセルで対応していたはずです。
身を守りつつ、それほどドヨーンとはしない。
ですが、日頃感じているものを遮断すると「何か下がった」感じがあっても自然でしょう。

そこで役立つのが、
 そもそも広がっている空間を狭めていく
という方法。

自分の範囲を、自分の体の表面までにして、体表面の境界を意識する。
すると、世の中との繋がりが減って孤立感(自立感)が強まり
周りとは無関係に自分をシャッキリさせることができます。

僕の場合、曖昧に広がってしまった範囲を意図的に狭めるつもりになると
途端に世界がシャープに感じられてきて、頭も体もスッキリしてきます。
情報処理スピードと、体の中の感覚への感度が上がる感じ。

痛みや重みからも楽になるようです。

僕にとって、一人で効率的に仕事をしているときの感じに近いんですが、
そのように自分の空間意識を変えるだけで、体験の雰囲気がガラっと変わります。

自分の体の範囲をキッチリ意識できるように自分の空間範囲を限定すると
自他の区別が強化されますから、周りに振り回される度合いも減りますし、
人ごみのストレスにも耐えやすくなると思います。

「なんだかボーっとしている」
「シャッキリしない」
「自分の中がドンヨリした感じ」
…そういうときには、あえて自分の体の”範囲”を意識してみて
自分を小さく押し縮め、密度高く圧縮するイメージをしてみるのも効果的でしょう。


まぁ、僕の場合は、疲労回復のためにドヨーンとしているんでしょうから
そこで無理にコントロールしてしまっては意味がないかもしれませんが。

cozyharada at 23:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2012年05月26日

「臨機応変」と「その場しのぎ」

僕の父は「柔軟性」とか「融通が利く」とか「臨機応変」というのが好きでした。

今は、あまりその言葉を聞きません。
単純に、父の前で何かをして教わる、という場面が減ったからでしょう。

僕の価値観としても、「柔軟性」や「臨機応変」は非常に重要なものとなっています。
というよりも、僕としては、ずっと大事にしてきたものだった気がします。

実際、今の自分のセミナーでは、その場の受講生に合わせて内容を変えるとか、
一人ひとりの個性に合わせて、課題や強調する部分を変えるとか、
そういったことは最善を尽くすために欠かせない部分です。

ブログを書くときも、内容は決まっていません。
書いているうちに方向性は変わります。

コミュニケーションでいえば、「人の顔色をうかがう」とか「八方美人」とか、
そんなのは癖になっていますし、「自分らしさ」なんて考えようともしません。

その瞬間に対応を変えられる柔軟性を大事にしているんだと思います。


ですが、一方で、僕には非常にコダワリの強い部分もあります。

それは自分にとって大切な『結果』を出すためのプロセスで表れます。
自分が設定した基準というか、「このクオリティには、この結果が必須」と思うと
その『結果』に対して固執することが多いんです。

どうでも良いときは気にしません。
「勝手にすれば?」とか「何でもいい」とか、途端に無頓着になります。

自分にとって重要な『結果』にはコダワリがあるわけです。

ただ、その『結果』のためには、途中のプロセスは柔軟で構わないんです。
というより、むしろ、『結果』に固執するからこそ、どんな手段を使っても
色々と手を変え、品を変え、求める『結果』に近づこうとする。

シンプルに言うと、「諦めが悪い」んでしょうね。

ですから、僕にとっての「柔軟性」というのは
『結果』にコダワリを持ちながら、「そのためなら対応を変えるのは当然」
という意味での柔軟性なんです。


ところが、父の捉えていた「柔軟性」はニュアンスが違いました。

ダメなら、やめる。
上手くいかないときは、諦める。
何も考えないで適当にやってみる。
やってみてから考える。
細かいことは気にしない。

そういうスタンスが「柔軟」なようでした。

ですから、その先にある価値観は、「スピード」だったんだと思います。
「スピード」を大事にする姿は、今も見て取ることができます。

僕は、出来上がったあとの状態を『結果』として捉えますから、
そこに至るまでの時間は早いに越したことはないですが、
そのために『結果』が無視されるのは嫌なんです。

僕は終了した後の状態を見ているんだと思います。
自分の手が離れた後も、その『結果』は残り続けるわけです。

そこを意識すると、「スピード」のために、細かいことは気にしない」
というわけにはいかなくなります。

「何も考えないで適当にやってみて」、取り返しがつかなくなったら
その部分は後までずっと残りますから。

だからスピードのためだけには妥協できないところがあったんです。

一方、父は「スピード」を重視して、早く完成させたい。
それで、とにかくやってみる、行動してみる…というのが優先されるんでしょう。

すると、上手くいかないところが出てきます。
「細かいところを気にしない」、「良く考えないで、まずやってみる」
ことをしていった結果、歪みが出てくることが良くありました。

そのときに登場するのが「柔軟性」であり、「臨機応変」であり、
「融通が利く」だったんだと思います。

とりあえずやってみて、上手くいかなかったら、
そのときに「柔軟に」対応すれば良い。
だから、イチイチ考えて、丁寧にやるのは「融通が利かない」と判断する。


ですが、僕にとってそれは「行き当たりばったり」に思えたり
「その場しのぎ」に思えたりしていました。

今でも僕にとっての「臨機応変」や「柔軟性」は
事前に予測を立てたうえでの対応の幅にあります。

上手くいく選択肢が沢山あって、それを自由に選べるのが「柔軟」で、
事前に予測できていなかったことが起きたときに、その場で状況を判断して
その先の展開を予測し直すのが「臨機応変」という感じがします。

求める『結果』のために、常に最善のルートを通っていく。
予測した中から最善を選び、予想外の事態には、改めて最善のルートを作り直す。

それは、スピードのために、「予測の前にやってみる」のとは違うんです。


特に人間関係では、僕にとっての「臨機応変」や「柔軟性」は
物凄く重要な要素になっています。

それは、僕にとっての「行き当たりばったり」や「その場しのぎ」、
「何も考えないで、まずやってみる」では満たされません。

とりあえずやってみて、結果を見て判断する
…その結果が、もし、取り返しのつかないものだったら。

そう思うと、予測を立てて、最善の可能性を選ぼうとしたくなるんです。

うっかり相手を傷つけてしまった、というのは嫌なんです。

問題回避型と呼ばれようが、融通が利かないと言われようが、
人間関係では避けたいミスが沢山あるんです。


まぁ、あえて傷つけてやりたくなる人も、世の中には見かけますけど。

2012年05月24日

日米の情報伝達の違い

日本の学校の授業は、先生が一方的に講義をするのが主流だと思います。

生徒に手を上げて答えさせたりして参加の意欲を高める工夫はあっても
内容は先生の側に導かれます。

授業の前に先生は、内容をまとめておいて、
教科書よりも簡潔に要点だけをまとめたものが説明されます。

小中学校ぐらいだと、場合によっては、教科書のほうが簡潔になっていて
先生が補足情報を加えていくこともあるかもしれませんが、
テストに出る部分は教科書一冊全部ではないわけですから、
先生のほうがポイントを絞っていると言っても良いと思います。

なので黒板にも、まとめた情報を書いてくれます。
生徒にとっては、黒板を写すのが学校の勉強とさえ思えるんじゃないでしょうか。

歴史であれば年表に近づけて板書してくれたり、
理科だったら、覚えるべきポイントを図式化しながら書いてくれたりします。

その意味で、日本人は、まとめられた情報を理解するのに慣れているはずです。

それは会社のプレゼンや会議などにも引き継がれ、
資料には話の内容を要約したり、ポイントを整理したものが書かれます。

「図にして分かりやすくポイントを整理する」というのは
日本人にとって伝える手段として馴染みのあるものなわけです。

実際、本を読んでいても、日本の書籍の図表は
コダワリをもって作りこまれていたり、見やすかったりします。
見せ方には、マンガ文化の影響もあるかもしれませんが。

つまり、知って欲しいポイントが先に整理されていて、
それに沿って話を進め、情報を追加して理解を深めてもらう。
情報量が段々と増えていく形で学んでいくスタイルと言えます。


一方、アメリカの学校では、小学校の頃から既に、
先生は黒板をあまり使わないそうです。

生徒は自分でポイントを整理しながらノートを取る。

洋書の図は、日本の本と比べるとヒドイものが多いですが、
そもそも図式化することに慣れていないのかもしれません。

さらに、授業の始まりは本題ではなかったりします。
色々とディスカッションをさせて自分の考えを整理させて、
それと対比できる状態で、まとまった理論を説明する形です。

情報を与える前に、引き出すほうがあるわけです。

しかも漫然と個人の意見だけを聞くのでもありません。
事前に教科書を読んでくるように宿題が出ます。
副読書がある場合も多いそうです。

データによると、アメリカの大学生は、平均で
日本の大学生の4倍ぐらい本を読まされるとか。

何かのビデオを見て、本を読んで、先に詳しい情報を詰め込む。
それから授業に出て、意見を交換する。

ディスカッションによって学生同士で意見を交換させたり、
質問を振って考えさせることで多くの意見を引きだしたり。

いずれにせよ、学生は、自分の考えを明確化するのと同時に
他の人の意見を聞いて、テーマに沿った情報量を増やします。

と同時に、宿題段階の情報よりはポイントが絞られ
内容の整理は進んでいると考えられます。

その後で、先生が方向性を示しつつ、授業を進めていく。
色々と対比された考えをベースに、まとまった理論の位置づけが整理される、と。

ですから、情報量は最初に増やされて、そこから段々と減っていって
まとまったポイントに絞られていく流れだと言えます。


つまり、日本とアメリカでは、勉強における情報整理の流れが逆だということです。

ポイントが先に伝えられて、それに情報を付け加えて理解を深めていく日本。
先に情報量を多くしておいて、それを、まとめ上げてポイントを掴ませるアメリカ。

『勉強』という場においては、こういう違いがありそうです。


にもかかわらず、文章にしたり、議論をしたり、話で情報を伝えたりする場合は
傾向が逆になるように思えます。

日本人は、色々な可能性を上げて、具体的な状況を思い浮かべながら話を進め、
最後に、「うーん、だから、こんな感じ?」といって、まとまった意見に辿り着きます。

ビジネスの場面だと、「結論から先に言って」なんて言われたりするのは
普段のコミュニケーションの傾向が違っているからでしょう。

これは単純に伝え方の問題だけではありません。
結論がハッキリしないところとも関係します。

色々な事情があるんです。
多くの側面に注目して、色々と感じたことを伝えて、
良かったこと、悪かったこと、複数の可能性や選択肢…
とにかくテーマに関係することは、一度、思考のプロセスに上がるわけです。

それで、全部をひっくるめて結論を出そうとする。
色々な立場、色々な気持ちが考えに入っていますから、
どれか1つだけに注目して、他を無視するのは違和感があるのかもしれません。

すると
「うーん、どっちとも言えないかなぁ…」
「こっちはこうだし、”でも”、そっちだと…。
 だからといって、こっちには、こんなところもある…。”でも”やっぱり…」
「まぁ、強いて言えば、こっちのほうが良いような気もするけど、”でも”…」
という感じの答えになりやすいはずです。

一般化して、一まとめにできない事情に目が行っているんです。
例外があることに最初から気づいているから、100%の断言がしにくい。
強いて出した結論も、反対意見を聞けば「そう、そういう部分もあるから…」なんて。

「日本人は意見がない」と言われてしまうのは、この傾向と関わっている気がします。


これが英語になると、まず結論です。

そして重要なのは、少しずつ詳しくなっていく、というところ。

日本人が「結論から先に言え」と言われると
「先日の会議で話題に上がったプランの件ですが、A案が良いと思います。
 なぜかというと、実は先日…」
という具合に、結論の後は、一気に具体的な出来事に話が戻ったりします。

そこから話は色々な可能性や立場に移り、全ての情報を提示した後、
全部をひっくるめた結論へと、一気に辿り着く。
ただ、その結論部分だけが最初”にも”来ているだけになりがちです。

英語では、一気に具体例に行っては良しとされません。

「今回のケースでは、A案が良いと考えます。
 その理由は、A案のほうがコストメリットが高いからです。
 特に、海外市場を考えた場合には、A案の、この部分がコスト削減に有効です。
 コストメリットの高さは、次の3つの点で説明できます。
 1つは、製造面です。
 もう少し詳しく言うと、海外で製造することで、人件費と輸送費を抑えられます。
 人件費が抑えられるというのは、具体的には、…」

…こんな感じの流れ。
本当はB案のほうが環境に優しいとか、仕事の負担が少ないとか、
今いる社員の仕事を脅かさないとか、色々なポイントがあるかもしれません。

そこまで踏まえたとしても、「コストメリットが最優先です」という立場を説明すれば
あとは、他の要因には触れずに話を進めるのが一般的です。

すると反論の側は、「いや、そうじゃない。環境に優しいほうが重要だ」と主張して
「なぜなら…」といって、そちらの説明を少しずつ具体化していくことになります。

ある側面にだけ注目して、「そこが大事なんです!」と主張する。
あとは、その大事な理由を説明する。
これが「分かりやすい」とされるんです。

そのほうが、その意見を言っている人の価値観がダイレクトに分かるからでしょう。

ですから、便宜的に注目する価値観を変えれば、
ゲームとしてディベートができるわけです。

賛成・反対の立場を変えても議論ができるんです。

それは賛成の立場の時には無視していた部分に注目して、
そちらだけのメリットを説明していけば、反対意見としての主張になるからです。

つまり、アメリカ式の、英語における主張の伝え方というのは
まず最初に「結論としてポイントを絞る」ことをしている、ということです。

そして、そこから徐々に具体化していく、と。


日本の意見の伝え方は、
 具体的な事情を色々と考えて、話に挙げ、全体を網羅してから
 一気に、全てをひっくるめたポイントに絞り込む
という流れ。

アメリカの意見の伝え方は、
 先に意見のポイントを絞り込んでから
 あまり他の立場には目を向けずに、情報を補足していく
という流れ。

見事に、授業のスタイルと逆なんです。

日本の意見の伝え方は、アメリカの学校の授業のスタイルと似ていて、
アメリカの意見の伝え方は、日本の学校の授業スタイルと似ている。

なかなか興味深いところだと思います。

理由は分かりません。

1つの可能性としては…、

 学校で先に結論を教えてもらう癖がついている日本人は、
 自分で結論を導いて、ポイントに絞って説明する練習をしないため、
 出来事主体の”結論後回しスタイル”で話すようになる。

 アメリカでは、学校の頃から多くの情報から自分の意見をまとめ上げ
 それを他人と対比させながら、自分の立場を主張する練習をしているから、
 ”ポイント絞り込みスタイル”の話ができるようになる。

というストーリーも想像できます。

が、個人的にはシックリしません。
”何か見落としている側面がある気がします”
…まさに日本人的発想の傾向でしょうが。



ちなみに、アメリカの授業形式で、ポイントを絞るのを後回しにする傾向は、
セミナーなどにも引き継がれていると思います。

NLPのセミナーなどでは典型的に、解説をせずに
「じゃあ、まずは体験してみましょう」なんてやることが多いようですが、
それは単純にトレーナーが、そのスタイルで習ったからでしょう。

おそらく日本で最初の頃にやった人は、アメリカのセミナーに参加したでしょうから、
そこで”アメリカで一般的な授業形式”で行われているセミナーを体験して、
その流れをそのまま日本に入れたんじゃないかと思います。

もちろん、そのスタイルは、日本人にとっても効果的です。

ただ、『どういう効果があるのか』を分かって、意図的にそのスタイルにするのと、
単純にそれで習ったから同じようなスタイルでやるのとでは意味が違うと思います。

僕は、状況と目的に応じて、どちらにも違った効果があると思いますから、
それを使い分けられたほうが良い、という立場です。


個人的な体験談としては、両方の授業スタイルを味わってみると、
それぞれの効果は別物の印象を受けています。

平均的に授業への意欲を高めさせるのはアメリカ式でしょう。
考える力や自分の意見を伝える力を養えるのもアメリカ式だと思います。

ですが、情報を対比させたり、色々な立場を考えたり、
与えられた情報を整理して、まとめたりするのは、
日本式の勉強が良いような気がします。

まとめ方の見本を見せてもらっているわけですから。

何より、情報を伝達する上での正確さは、日本式のメリットでしょう。
学校教育では”正しい”情報もあります。
間違って覚えてしまうと、後々の学習を阻害する場合も多いわけです。

そう考えると、正確に情報を教え込んでいくには
考えさせるアメリカ式よりも、先に整理したものを伝える日本式のほうが
効率的に学習ができるんじゃないかと思うんです。

教育に求めるものによっても、この辺りの違いは影響するような気がします。

人へ影響を与える分野だからこそ、良く考える必要があると僕は思います。

2012年05月22日

新学期が始まりました

大学の春休みが終わって、夏学期が始まりました。

二期制なので、夏学期は自由裁量らしいです。
長い夏休みにしても良い、という風潮。
まぁ、夏休みを取る場合は、インターンに行くとかが一般的なようですが。

なので、形式上は「夏休みの期間中に授業をやる」という体裁。
つまり、春学期・秋学期と比べると期間が短いんです。

にもかからず、取得できる単位数は同じ。
そのために、一コマの時間が長くなっています。

だから1.5倍ぐらい、ハードなスケジュールになっているわけです。


今回も心理学の単科受講で、入門的な授業にはなりますが、
今度はアメリカ人の教授なので、授業スタイルはアメリカンな模様です。

宿題の量も多く、授業においてもディスカッションが豊富になるとのこと。

忙しさが増しますが、まぁ、トレーニングとしてやってみようかというところ。


同時に、夜間に開催されているカウンセリングの講座も受けてみました。
全10回で、傾聴を中心とした内容のようですが、
全部を英語でやることになるので、その練習としては良いか、と。

自分自身のカウンセリング経験からしても、
自分が使っているフレーズや質問は、学ぶ前には使わなかった日本語ばかりです。

ですから、カウンセリング用の言葉は体験学習で学んでいくのが自然で
かつ、状況とセットにして身につけられるという点で望ましいかと考えています。

このカウンセリングの講座は受講するかどうか、ギリギリまで迷っていました。

ところが、実際に講座に出席してみて、久しぶりに楽しめているのに気付きます。

初回の始まる前、自分の体の中に「楽しみにしている」感覚がありました。
「あ、この体の感じは”楽しみにしている”んだなぁ」と理解しつつ、
久しぶりに何かを学ぶことを”楽しみにしている”感じに対して、
自分で「そんなに楽しみだったのか…。そりゃあ、良かったねぇ。」と伝えておきました。

もちろん、内容は100%納得できるものではありませんし、
異論の大きいものでもあります。

しかしながら、一流派として学ぶにあたって、
その道でトレーニングを受け、研鑽を積んできた人と接するのは充実感があります。

心意気が感じられるし、机上の空論ではない。
精神論寄りではありますが、だからこそ反発しようもないのかもしれません。

「理想論だけど、それは大事ですよね」と思えますから。

そして内容が傾聴を中心としたカウンセリングであるだけに
そこには”分かったつもり”にさせるような都合のいい理論はありません。

重要なのは精神論。
1、一致感をもって、心からの対応をする。
2、無条件の肯定的関心を向ける。
3、正確な共感を示し、相手の枠組みを理解する。

そりゃそうだ、という内容ばかり。

「無意識が…」とか「潜在意識は…」とか、
「幼少期のトラウマが…」とか「禁止令によって、ビリーフが…」とか、
そんな枠組みでクライアントを理解する理論が無いようです。

とにかく、全く異なった個人を、丸ごと理解して、共感しましょう、という趣旨。

おそらく、そういう精神論は日本に伝わっている
ロジャース派のカウンセリングでも習うところでしょうし、
それを示すためとして、『積極的傾聴』の”技術”を学ぶんでしょう。

ただ、日本とアメリカの心理療法業界で大きく違うのは、
アメリカの心理臨床は非常に厳しい制限を受けていて
師匠からスーパーバイズを受けるのが一般的だということ。

つまり、精神論のような傾聴の技術であっても
職人芸的な細かいポイントに関しては、師匠から直接の指導を受けながら
技術レベルを徹底的に向上させようとするわけです。

重要なのは、「型を学んで、型どおりにできるかをテストする」ようなことではなく、
「心構え的な理想論を実現していくために徹底した個別指導をする」ところ。

そこに「クライアント中心療法」ではなくて
「パーソン・センタード・アプローチ」の趣旨がある気がします。

実際、ロジャース自身が、以前に打ちたてた「クライアント中心療法」を自ら離れ、
晩年の新たな形として「パーソン・センタード・アプローチ」を提唱した。

それこそが、”傾聴”を中心とした技術の重要性から、
”心と心の触れ合い”を中心とした精神論の重要性に
移っていったことを示している気がします。

そして、一人ひとり、個別の人間として、”本物の”関わりをしていくのなら、
その指導にあっても、個別の対応になるのが自然というものでしょう。

「人は皆違う」、「違いを尊重して傾聴しましょう」なんて言いながら、
それを教える側が、誰に対しても同じように教えるなら、
言っていることと、やっていることが全く違ったものになってしまいますから。


細かな技術に関して大きな期待があるわけではありません。
言語的、文化的な違いを理解し、英語モードの幅を広げたいのが1つの目的。

同時に、実際に初回の講座を受けてみて沸いた期待は、
細かいトレーニングを積み、カウンセリングを実践してきた人が
何をしているのかに触れてみたい、ということです。

「どんな意図を持ってやっているのか」
…そこさえ明確になっていれば、あとは好みとポリシーの問題ですから。

自分のスタイルと違っても、1つの方針として尊重できる気がします。

自覚して、意図を持って、選んで何かをしている人は、
意見を聞いていても楽しいだろうと思います。

そのレベルでも楽しみが増えればと期待しているところです。

2012年05月20日

どこでもブタ〜

どうでもいい話なんですが、チョットだけ。


外で食事をしていたときの話です。

僕が注文を終えたあたりで、隣の席に
女子大生ぐらいの二人組がやってきました。

「どうしようかなぁ。」
 「魚にしようかなぁ。」
「カツにしようかなぁ。」
なんて話をしてメニューを眺める。

そして、二人が注文をするために店員を呼びました。

一人は”ロースかつ定食”にしたようです。


豚にも色々な種類がありますが、そこで使われていたのは
「四元豚」という種類。
三元豚とか四元豚とか、最近は結構、目にすることがあります。

で、その”ロースかつ定食”は正式名称
 「四元豚のロースかつ定食」
だったようで、
丁寧に、その人は商品名を読み上げました。


「”よじげんブタ”のロースかつ定食。」


『四次元豚』。
言い間違いでした。


ファンタジーですねぇ。

2012年05月18日

ダイエット戦略

何かの体験をするときに、どのように五感を使って
何に注意を向けながら作業を進めていくか。
…その五感レベルでの注意の向け方の手順を『ストラテジー』と呼びます。

NLP用語です。

ストラテジーが違えば、体験の中身が違っているわけですから
当然、結果が変わってきます。

名目上、同じとされる行動をしているときでも
体験している中身が違っているわけですから、
それは別の行動をしていると言っても良いぐらいです。

跳び箱の得意な人と、そうでない人では、別の行動をしているんです。
まず何に注意を向けて、次に何に注意を向けて、それから…という順序がある。
「何を、どの順番でするか」の違いが、結果の違いを生み出している、ということです。

跳び箱ができない人は、「できない」んじゃなくて、
「跳び箱を失敗する手順」を毎回、確実に成功させている、とも言えます。

その意味では、「失敗」という概念はなくて、
ある結果を出すために適した手順があって、
「跳び箱」において、「理想的に飛び越える」というのは、
その1つのパターンに過ぎないんです。

正確には、「跳べない」ではなくて、
どういう結果になっているかを述べる必要があります。

「跳び箱の前面にぶつかる」のか
「跳び箱の上に座る」のか
「降りるときに、お尻が跳び箱に当たる」のか。

それぞれを成し遂げるためのストラテジーがあって、
「跳び箱の上に座る」ためのストラテジーを使っている限り
「跳び箱の上に座る」という結果が出ることが自然なわけです。

それが、そのストラテジーが機能している証拠です。

「跳び箱を跳び越える」には、そのためのストラテジーを学び
それを実際に使えるようにする必要がある、という話です。


で、そのストラテジーの観点からすると、
色々な人の”個性”にも説明がつきます。

「才能」と呼ばれるものの大部分も、ストラテジーの違いで説明ができるはずです。

当然、行動レベルの習慣は、ストラテジーが直接的に関係する分野となります。

巷には、数多くのダイエット法がありますが、
その多くは「痩せる」ことに重きを置いているように思えます。

注意しておきたいのは、ストラテジーは短時間を細かく分割して扱うものだということ。
大雑把に「痩せる」ストラテジーとか、「太る」ストラテジーなんていうのは、あり得ません。

体重が増えるときには、体重を増やす要因となる数多くの行動習慣が重なっています。
それぞれの行動の習慣に、ストラテジーがあるんです。

「食べ過ぎる」とか、「運動不足」とかいう言い方でも大雑把過ぎるぐらいです。

一言で「食べ過ぎる」と言っても、色々な種類の行動があります。

例えば、
 「たくさん頼み過ぎてしまって、勿体ないから、満腹なのに全部食べてしまう」
ということを良くやる人の場合、
・たくさん頼み過ぎてしまう
・残すのは勿体ないと感じる
・勿体ないと感じると、食べずにはいられない
・満腹感を自覚しても無視する
・食後に満腹の苦しさで後悔する
などの色々な行動パターンが含まれます。

…この全てにストラテジーがあるわけです。

そして、どこか1つのストラテジーが変われば、
このケースの「食べ過ぎ」が解消される可能性があります。

他にも、
 「口に食べ物が入っているのが好きで、常に何かを食べている」
とか
 「(カロリーが高い)特定の何かの味や歯ごたえが好きで、毎日食べてしまう」
とか
 「苦しいぐらいの満腹感を感じることで満足するので、一食の量が多い」
とか
 「早食いで、満腹感を感じる前に、たくさん食べてしまう」
とか
色々な「食べ過ぎ」が考えられます。

それぞれの「食べ過ぎ」の行動パターンの中身によって
ダイエットのための対処法も変わるほうが自然でしょう。


「常に何かを口に入れていたい」人の場合、
ガムを噛むぐらいでも満たされるのかもしれません。
味のほうが大事なら、カロリーが低くて、歯ごたえがあって、長持ちするもの…
例えば、スルメとか、煮干しとか、茎ワカメとかで、気分が紛れる可能性があります。


「特定の味や歯ごたえが好きで、食事以外に食べてしまう」のなら
逆に、メインの食事ならコントロールできる可能性もあります。
ケーキが好きならケーキを食べる。
その代わりに、他でバランスを取る、と。

この場合、味で満足する可能性が想定されますから、
多少は我慢できることもあり得ます。
なので、一週間のうち6日間は小さくてカロリーの低いもので我慢して
1日だけ我慢したご褒美として、超高級なケーキを2種類食べる、
といった習慣なら続けられるかもしれません。

この間食パターンの場合、買う行為にも意味がある場合がありますから、
買いだめをせずに、どうしても食べたいものを1つ選ぶようにして、
食べる日に食べる分だけ買うのが功を奏すケースも想定できます。
「悩みに悩んで買う」というプロセスを楽しめれば、結構違う気がします。


また、「苦しいぐらいの満腹感が好き」という場合には、(男性に多いようですが)
食事の回数を減らすとか、カロリーの低いものでお腹を膨らませるとか、
そんな工夫が上手くいくかもしれません。

特に、「お腹がすいたから何かを食べる」という意識ではなく
「何時になったから食事をする」という意識がある場合、
「一日三食じゃなくても大丈夫だ」と実感できると、食事の回数が減らせます。

その上、口に入っていることが好きでなく、特定の味が好きなのでもなければ
間食の習慣も無い可能性さえあります。
それで、シンプルに満腹感だけが好きなのだとしたら、
回数を減らして総摂取カロリーを減らすだけでも効果が期待できそうです。


「早食いで、満腹感を感じる前に、たくさん食べ過ぎてしまう」場合も
一食の量が多過ぎるところに狙いを絞れば、
「苦しいぐらいの満腹感が好き」なケースと同様の対策が役立つかもしれません。

現実的には、この両方がセットになっている男性は多いと思います。

ちなみに、この「早食い」の場合、用意する一食の量を少なくしようとするのは
上手くいきにくいと考えられます。
満足感が得られにくいからです。

「早食い」は、あくまで、食事のプロセスが進行しているときの状態です。
「早く食べたくなる」ストラテジーがあるわけです。

その後で、「食事を終了させる判断」のプロセスが訪れます。
この食事終了の基準にもストラテジーがありますから、
ここによっては、「足りない」と判断して、「追加する」に繋がる可能性があるんです。

そもそも食事に満足感を求めていない人の場合、
早食いでも食べ過ぎる心配はありません。
出たものをパッと食べて、それで終了。

「食べ過ぎ」に繋がるのは、そこで満足したいからだと言えます。


ですから、どのような行動パターンで「食べ過ぎ」をやっているとしても、
共通するのは「食べる」行為そのものに満足感を求めている、という部分です。

ということは、「食べる」行為の満足感を感じるためのストラテジーを
痩せている人がやっているものに変えてやれば、
食べ過ぎることを避けながら満足できる可能性がある、とも考えられます。

間食のケースでは、
「好きな、美味しい味を味わいたい」という欲求がベースなら、
それを我慢するのは難しくても、普段の食事のほうには
その満足感を求めていない場合があり得ます。
それなら、普段の食事であればコントロールできるかもしれない、と。

「口に何かが入っている」ことで満足感が得られるなら、
口に入れておくものの種類をコントロールしても大丈夫かもしれません。

ところが、ここに
 「ある程度の喜びの体験の量を重ねると、満足する」
という基準があると、コントロールが難しくなります。

間食のケースでも「ケーキを”沢山”食べたい」となると
我慢の仕方が変わってくる、ということです。

…ちなみに、本当に「たくさん食べたい」としたら、
 その場合の満足の基準は”満腹感”にあります。
 ただ、間食に”満腹感”を求める人は少ないはずですから、多くは
 「ケーキの美味しさの満足感を”沢山の時間”味わっていたい」
 が正確ではないでしょうか。

で、ここまでくると、共通点が見えてきます。

『少ない量で、長時間、食事の満足感を感じ続ける』。
これが満たされる必要がある、と。

シンプルな「満腹の苦しさ」が満足の基準になる人の場合は、
先に挙げたように、カロリーの低いものでお腹を満たすことが役立ちます。

「満腹の苦しさ」も基準に加わっていても構いませんし、
そうじゃなくても構いません。

「早食いで、満腹感を感じる前に、たくさん食べ過ぎてしまう」場合には
「満腹の苦しさ」は、むしろ後悔の材料になるでしょう。

ただ、「早食い」だから、量を減らしてしまうと
『長時間、食事の満足感を感じ続ける』
という基準が満たされないので、物足りなくなってしまうわけです。

ケーキなどを沢山食べたい場合も、すぐに食べ終わったら物足りないはずなんです。
『長時間、食事の満足感を感じ続ける』ことができないですから。

だから、良く言われるわけです。
「良く噛んで、ゆっくり食べましょう」って。

これが正論ですし、役に立つと思います。
何より、痩せている人の多くが、これをやっていますから。


しかし、それでは満足できないから問題なんです。

そこにストラテジーの違いがあります。

普段の食事を「早食い」してしまう人も、ケーキなどをゆっくり食べられない人も
食事で「満足感」を感じるためのストラテジーの中に『喜びを感じるプロセス』があって、
その『喜びを感じる』ための五感の使い方が、特徴的だと考えられます。

よく噛んで、ゆっくり食べる人がやっていない注意の向け方があるんです。

それが、
 「口の中いっぱいに食べ物がある喜び」
もしくは
 「一気に沢山の食べ物がノドを通る喜び」
です。

単純に「のど越し」重視、というわけではありません。

「のど越し」を大事にする人は、麺類やビールを好む傾向が強いようです。
それとは種類が違います。

ここで言っているのは、食道を無理に押し広げながら、
一気に”ゴックン”と飲み込む感じのほうです。

同じように喉に注意を向けていても、感じている感覚の種類が違う、と。
「早食い」になりやすいのは、この”無理やり、ゴックン”のほう。

おそらく、「口の中いっぱいに食べ物がある」のも重要なはずです。

特に、ケーキなどの甘い物の場合は、余計にそうでしょう。
そんなに喉の圧力は生まれにくいはずですから。
口の中に沢山あると嬉しいんです。

この感じを喜びの基準としている場合、一口の量を減らして
時間をかけて食べようとすると満足感が減ってしまいがちです。
物足りないわけです。

この傾向の人がやるのが、大口に食べるということ。
一口が大きい。

「ほおばる」という言い方がありますが、この人たちは大口に食べても
文字通り「頬が張る」ことはありません。

口の奥のほうに食べ物を持っていきますから。
頬のある横側に食べ物を入れるのではなく、奥に入れるんです。
口の手前から奥まで、全体的に食べ物が沢山ある状態。

舌の全ての部位に食べ物が接していて、
喉の奥のほうにある食べ物は、鼻腔へ香りを届けやすくしてくれます。

逆に、喉の奥に食べ物がある分、噛んでいる途中から
食べ物は、さらに喉の奥に運ばれて、早いタイミングで飲み込まれやすい。

結果として、一口の量が多い上に、あまり噛まずに早く飲み込むことになり、
「早食い」が完成します。

芸能人でいうと、”ギャル曽根”の食べ方が、この典型です。

早く飲み込んでしまうし、早く食べ進んでしまうので、
その喜びを感じている『時間』が短くなって、『満足感』の量が少なくなりやすいわけです。
なので、沢山の量を食べないと、物足りなくなってしまう、と。


ということは、これを変えるためには
五感レベルでの感じ方が変わるように工夫する必要があります。

そのコツは、体全体の使い方まで変える、というところです。

つまり、小食で痩せている人の食べ方を真似するわけです。

ポイントの1つは姿勢。
姿勢を正して、背筋を伸ばします。

これによって、注意が体幹の内側に向きやすくなって、
胃の中に食べ物が入っていく感じを意識しやすくなるわけです。

すると食べながら満腹感が高まっていくのが感じられるはずです。
胃のあたりが暖かくなって、その心地良さを楽しめるようになれば
食事の喜びの基準が、「胃に食べ物が入って満たされる感じ」に移る場合もあります。

これだと「味わう」喜びへの要求度合いも下がってくるでしょう。
ただし、空腹感も強く意識するようになるので、
「お腹がすくとのが我慢できない」という状態になるデメリットも想像できます。

2つ目のポイントは、「脇をしめて、顎を引く」です。

背筋も伸ばしていますから、テーブルに近づいて座ることになるでしょう。
すると肘は体の側面に来ます。

そこで脇を開けない。
肘を体の側面にくっつけておく感じ。
二の腕が胴体に縛り付けられているイメージです。

たぶん、テーブルから離れていたら食べ物に届きません。
なので近づく。
すると自然と目線は下を向きます。

そして、そのまま、顎を引いた状態で食べるんです。

こうすると、まず、視野が狭くなります。
目の前には食べ物ばかりが見えるはずです。
早食いの人からすると、今までよりも食べ物が大きく見えるでしょう。
ズームアップした感じ。

それも手伝ってくれますが、
脇をしめた体の状態そのものが動作の大きさを制限しますから
一口のサイズが自然と小さくなるはずです。

お箸で挟む食べ物の量が減るんです。
口に運ばれる量も減ります。

すると物足りなくなりそうですが、ここで顎を引いていることが機能します。

背筋を伸ばして顎を引くと、ノドのあたりが閉まってきます。
口の中の空間も小さくなります。
下顎を下げられる度合いも減るので、口を大きく開けられなくなるんです。

自然と口に運ぶ量が減るはずですし、
また少しの量でも口の中に食べ物が沢山ある感じがするはずです。

顎を引くことで、早食いの状態と比べると、食べ物が口の前側に集まります。
小さく噛むことにもなります。
喉の近くに食べ物が行きにくくなるので、飲み込むまでの時間も長くなります。

意図的に「飲み込もう」としないと、ずっと噛んでしまいそうなぐらい。

飲み込む瞬間も顎を引いていると、喉が閉まりますから
ノドを押し広げて食べ物が通っていく感じは体験できると思います。

むしろ、この姿勢と体の使い方で、一口の量が多かったら
苦しくて飲み込めないぐらいじゃないでしょうか。

また、顎を引くと反動で、鼻とノドの繋がった部分が開きやすくなりますから、
口の中の食べ物の香りも、鼻腔に上がっていきやすくなるはずです。

これで、『少ない量で、長時間、食事の満足感を感じ続ける』
ことが可能となります。

結果的に言えば、「一口を小さくして、少しずつ、ゆっくり、良く噛んで食べる」だけですが、
それでも満足感を感じられるようにするには、
姿勢や体の使い方を変える必要がある、という話です。


ちなみに、ギャル曽根を見てもらえば分かると思いますが、彼女は逆です。

姿勢は、それほど悪くはないものの、顎を上げて食べます。
なんなら、下顎を下げるのではなくて、上顎を上げることで口を開くぐらい。

脇を開けて、食器を高い位置に持ち上げ、
食べ物を一気に、口の奥のほうまで運び入れます。

そのままの状態で噛めば、顎が上がっていることで生まれる傾斜も手伝って
自然と食べ物はノドの奥から飲み込まれていくようになるでしょう。

それなら早食い・大食いになるのも自然なことです。
まぁ、胃が大量の食べ物を受け付ける部分に関しては、この限りではありませんが。

一方、同じ「食いしん坊タレント」でも、”ホンジャマカ・石塚英彦”氏は別です。

彼は、脇をしめて、割りと顎を引き気味で食べます。
一口の量は小さいはずです。
体が大きいから相対的にそう見える部分もありますが、
裏を返せば、もっと大口でも良いのに、少しずつ食べるんです。

なので、決して「早食い」ではないだろうと推測されます。
もしかすると、本来は「大食い」ですらなかったのかもしれません。

番組でレポーターをやるうちに、量を食べ続けることに慣れてきただけかも。

ただ、少なくとも食べること自体に喜びを感じているでしょうし、
美味しいものを味わっている喜びが重要な価値になっているようですから、
普段も一日中、何か美味しいものを食べ続けていたいのかもしれません。

その場合、「食べるのをやめたい」と考えないでしょうから、
そもそもダイエットをしようとは思わないでしょうが。


実際には、「食べ過ぎ」だと考えている人の中にも
色々な食習慣のうち、いくつかが組み合わさっていることがあるようです。

それぞれの習慣に対して、満足感をキープしながら
一日の総摂取カロリーが減るように工夫していけば
体重は自然と減ってくるんじゃないかと考えられます。

特に、満足感を考えた場合、
「口いっぱいに頬張らないと満足できない」
という傾向が、
「少ない量でも満足できるようになる」
ことを妨げる場合が多いようです。

その場合は、『姿勢を正して、脇をしめ、顎を引く』が効果的だと思います。

現に、小食の人は、大体そうやって食べていますから。

オススメです。

cozyharada at 05:19|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2012年05月16日

ゼミ形式の勉強会について

詳しくは、こちらに書きましたが
ゼミ形式の勉強会(『研究会』)について
ご意見を聞かせて下さい。

机に向かっての意識的な学習が多くなります。
ディスカッションが中心ですから、あまり長時間は大変かと思います。

なので、最大でも3時間ぐらいのつもりです。


余裕があれば月に2回ぐらい、少なくとも月1回は開催したいものです。

1回は、勉強会の日に重ねてしまうかもしれません。
その場合は、頭脳労働が一番”張り切って”やる必要があると思いますから
午前中にゼミ形式、午後にワークショップ形式の勉強会、夜間に実践練習
…といった感じでしょうか。

勉強会とは別で開催する場合には、
‥斃貌の夜
∧親の夜
を考えています。

ということで、ちょっとご意見を教えて下さい。

メールアドレスをご存知の方は、
直接、メールで教えてくださっても助かります。

時間帯は夜間(18:30ぐらい〜)で考えていますので、
・ご興味について
・参加可能な曜日
を教えて下さい。

「もう絶対に参加したい!でも、この曜日じゃないと…」
といったようなご要望がありましたら、別途ご記入ください。

もちろん、全ての方のご要望にはお応えするのは難しいでしょうから
その点はご了承ください。

ご関心があれば、是非ご一報をお願いします。

終了しました

こちらのスタイルでは教材を元に、頭での理解を深めるのが中心となります。

特に、逐語になっているものや、実際のセラピーのやり取りなどを分析して
ディスカッションしていく作業は面白いと思います。

福祉系だと「事例検討会」が良く行われるようです。
これが、コミュニケーションの流れを理解したり、
全体の目的を意識して取り組めるようになったり、
”結果オーライ”にまとめる能力を養ったりするのに効果的だと言えます。

…これをゼミ形式の『研究会』で、やろうということです。

また、実際の個別技術の練習はトレーニングとして行うのが効果的です。
個人の傾向や特徴に応じて、使い分けられる振る舞い方を広げていって
より幅広い状況、様々な相手にも、効果的に関われるようにしていくわけです。

…こちらは、練習の場として『実践トレーニング』で行う、と。

その上で、個々の技術や、特定のコミュニケーションの側面について
ポイントをまとめて、整理して、枠組みとして理解していくことができると、
状況に応じて最適な方法を選びやすくなります。

…こちらが、今までの勉強会で扱っていたスタイル。
例えば、”リフレーミング”なら、”リフレーミング”について理論的に整理をして、
効果的な”リフレーミング”で必要なポイントをピックアップした「枠組み」を紹介、
その「枠組み」を実感できるように実習をしていく。

こうしたものが組み合わさると、より実際に使いやすいものとして
定着しやすくなるだろうと思います。


実際のコミュニケーションは流れの中で進んでいきます。
ですから、流れを捉える視点が必要です。

どんな場面で、どんな意図を持って、どんな関わりをするか。
それを意識できるようにすると、自分自身のコミュニケーションに対しても
流れの中で理解していくことがしやすくなるはずです。

すると、自分の本当の目的に向けて、
自分のコミュニケーションの中身を選択していけるようになります。

例えば、自分の一時的な不満を解消するために
相手に向かって直接、不満を爆発させたメッセージを発したとします。
それは、その場における本当の目的には沿っていないかもしれません。

もし、その相手と良好な関係を望んでいて、
望んでいるからこそ、自分のことを分かって欲しいと期待していて、
その期待が叶わないことで不満が沸いていたのだとしたら…。

そのコミュニケーションの目的は、
一時的な不満の感情を発散することではないでしょう。

そのやり方は、目的としている「良好な関係」には不適切かもしれません。

ハッキリと自分のコミュニケーションの目的を理解していて
その場のコミュニケーションの流れを自覚できていれば、
目的に沿ったやり方を意識的に選択することができる可能性が高まります。

だからこそ、コミュニケーションの流れを頭で理解できるようになることも
役に立つ要素だと言えるわけです。

それが”ゼミ形式”の1つの利点です。


しかし、頭で分かっていても、実際にどうやって対応したら良いか分からない。

そこで必要になるのが、技術の習得です。

「こんな場面では、こういう技術が使えるんじゃないか」と思い浮かぶようにする。
そして、その技術の使い方のポイントを理解しておく。

そのためには、通常の勉強会でポイントを掴んでおくのが役立つと考えています。

もちろん、技術を使いこなすためにはポイントを押さえながら練習をするのが有効です。
『実践トレーニング』で、数を練習することで、
”スムーズに”できるように経験を積んでいくと良いと思います。

実際には、コミュニケーションですから、経験そのものは日々を意識して過ごせば
経験を積むための場面は多々あるはずですが、
練習の場には、練習特有のメリットがあります。

それは、「結果を恐れずに、やってみても大丈夫」ということです。
日常だったらリスクが大きそうなことも、練習でなら試せることもあります。

そうやって、幅広いコミュニケーションの方法で経験を積んでいく、と。

すると”技術のポイント”と”実体験としての経験値”が重なってきます。

闇雲な経験には指標がありませんから、結局のところ
「なんとなく」とか「降ってくる」とか「思いつき」とかでの対応になるでしょう。

そこで”技術のポイント”や”枠組み”を整理しておくと
経験を理解する上での指標が生まれてきます。

エッセンスが定着してきて、その枠組みを「利用して」
その技術を使えるようになっていくわけです。

この”枠組みの理解”と”経験値の蓄積”の相互作用が
『勉強会』と『実践トレーニング』の意図です。


そうやって技術が身についてきて、流れを意識できるようになれば
自分の目的に応じて、技術を使い分けられるようになる、ということです。

アンケートで伺いたいのは、この「流れを意識できるようになる」のに効果的な
”ゼミ形式”の学びの場について、です。

もちろん、単純に興味があるから、でも結構でしょうし、
自分で本を読むのはチョット…という理由でも良いと思います。

一回出てみて様子を見ていただくのも良いかもしれません。

どうぞ気軽に検討してみて下さい。

2012年05月14日

オツマミ風味の”こんにゃくチップ”

ファミリーマートで、こんなものを発見しました。
好奇心買いです。

こんにゃく













”こんにゃく”をベースに味付け・加工がしてある製品。

ゼリー感覚で甘い味付けになっていたものは、
ドラッグストアのダイエット食品コーナーなんかで見たことがありました。

しかし、これは一風違います。
おつまみ感覚なんです。

1つは”スルメ味”、もう1つは”ほたての貝ひも味”。

こんにゃくですが、乾燥させてあるので歯ごたえはシッカリしています。
ですから、その「おつまみ感覚」が良く出ている感じです。

とはいえ、スルメのガサガサした固さには程遠いので
”スルメ味”のほうは、ちょっと実際の”スルメ”とは違う印象です。

何も教えられずに食べたら、何だか分からないかもしれません。


しかし。
秀逸なのは”ほたての貝ひも味”のほう。

歯ごたえは、水分の少ない”こんにゃく”が、
まさに”ホタテ貝のひも”の干物にソックリ。

味付けも良く再現されています。

こちらは、何も言われずに出されたら
「ホタテ貝の”ひも”のオツマミだな」と思う人も多いと思います。

もう、これだったら本物のホタテ貝のひもを食べても大差がない程です。


逆に、だからこそ、「なぜ、これを食べる必要があるのか」
という部分で大きな疑問が沸いてきてしまいました。

栄養表示を見ると、ゼロカロリーなわけではありません。
味付けに糖分やアミノ酸を多く使う分、そこそこのカロリーがあります。

もちろん、一般的なお菓子などよりは低カロリーでしょうが、
実際のところ、本物の「ホタテ貝のひも」も結構な低カロリーなんです。

同じぐらいの大きさのパッケージで比較すれば、
多分、その差、数十キロカロリーぐらいでしょう。

しかも、本物の「ホタテ貝のひも」は、かなりタンパク質含量が高いのに対して、
こちらの商品は”こんにゃく”ですから、その栄養はゼロに近い。

低カロリー高タンパクの「ホタテ貝のひも」をオツマミとして食べるか
さらにチョット低カロリー、低タンパクの「こんにゃくチップ」を食べるか。

選ぶのは個人の趣向だとは思いますが…。

僕は、食べたい時は本物に行ってしまう気がします。
「こんにゃくチップ」を選ぶ理由が、あまりにも小さいので。


すごく頑張って味も歯ごたえも再現されていて
商品開発としては文句なしに見事な出来栄えだと思います。

「こんにゃくチップ ”ほたての貝ひも風味”」は本物に近いものを達成しています。

世の中には、色々な「○○味」の商品がありますが、
その中でも飛びぬけて再現度合いが高いでしょう。

ただ、その再現した対象が…。

再現するメリットが低いのが残念な気がします。


何かのゲームで、
「どちらが本物の”ホタテ貝のひも”でしょうか?」
なんていうクイズを出すのであれば、もってこいかもしれませんね。

cozyharada at 23:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2012年05月12日

新企画!

今までの勉強会とはスタイルの違う”勉強会”を企画しています。

カウンセリングからセラピーを中心とした内容を皆で勉強します。

ただただ実技の練習をする回もあれば
ゼミ形式で、発表やディスカッションをする回もあります。

「研究会」の色を出したいんです。


特に、これまで色々と学んできた方にとっては
アウトプットの形で整理ができるので有効です。

定期的に参加することで、カウンセリングやセラピーの全体像が掴めます。

様々な技法が何をしているのかを比較・検討できますし、
そこからセラピーの本質も見えてくるはずです。


ゼミ形式の時には、教材として書籍やビデオなどを題材にします。

余力があれば学術論文でも構いません。

発表の担当を決めて、相互に学びを深めていきます。

原則的に、同じ教材を扱って、担当部分を決めて発表と討論をします。
ご自身の強みの部分をまとめて発表するのも結構です。

その場でロールプレイやワークに発展する場合も考えられます。

ビデオ教材の場合には、見ながらディスカッションすることも想定されます。

ですから、ご参加の立場としては”受講生”ではなく、”研究員”という感じでしょうか。


費用は実費+α ぐらいの予定です。
セミナーではありませんから。

勉強したい人の動機づけが主目的かもしれません。

予定が合う、合わない、ということもあるでしょうから
使った資料や、『研究会』の模様を録音した音源などは、
ご希望の方に自宅学習用として配布するつもりです。


「何かのセミナーに通う」とすると、ある1つの理論をベースに学ぶことになります。

ただ、そうすると、どうしても偏りが出やすいものです。
その理論体系の中から、物事を眺めるようになる。
当然、その理論そのものの、同じ土俵でしか見ない可能性があります。

しかし、色々な物を客観的に比較をしていくと
全ての理論の外側にいられるんです。

そこから共通点が見出せる可能性も上がります。
本質が掴みやすくなると思います。

それは、いわゆる”良いところ取り”ではないんです。

”良いところ”を取ろうとすると、技術を学ぶ側が”良い”と思ったところを
ピックアップして集めていくことになります。

結局、自分の好みで収集したコレクションになる危険性があるんです。

一方、あらゆる技法が何をしているのかを理解し、分析し、使えるようにすると
自分の好みとは関係の薄い、偏りの小さいデータベースを作れます。

すると、自分の好みで技術を選ぶのではなく、
相手に合った技術を選べるようになるでしょう。

自分が得意だから、自分が使いやすいから、この方法ばかり使う
…というのは、それに合わない相手が出てくる可能性が避けられないと思います。

そのやり方が合わない人が自分のところに来ない仕組みを作っていれば、
相手が合わないやり方を押し付けられることもなくなるでしょうが…。

もちろん、1つのやり方を極めるのも現実的にはメリットがありますから
それはそれで大事なことだと考えています。

ただ、この研究会では色々なテーマを、色々な角度から考えてみたいだけです。

そうすると、本質の部分が密度の高い情報として定着して
自由に使いこなせる発想となっていくと予想されるからです。

そして、その重要性を実感したとき、
コミュニケーション全般で心がけるところも変わってくるでしょう。

トレーニングの効果も変わってくるはずですし、
日々のコミュニケーションがトレーニングの機会になっていくと考えられます。


まぁ、そういう意図はともかくとして
とにかく皆で色々なことを勉強してみませんか、
という話です。

能動的に学ぼうとするのも楽しいものだと思います。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《心を調える実践会》

【日時】 2017年10月15日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回開催は11/5の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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