2012年06月

2012年06月30日

有名だからといって

エビングハウスの忘却曲線というのを、たまに本で目にしたことがありました。

人が、どれぐらい記憶を忘れていくかという実験をデータにしたものです。

心理系読み物や、脳科学風の読み物に出てくることが多い気がします。
このデータをもとに、人の忘れやすさを説明していたりするようです。

例えば、一日経って忘れなかったことは、一か月経っても忘れにくい、なんて。

グラフになっていて、記憶したものが忘れられていく様子が
曲線として見られますから、なんとなく説得力のある感じがするんだと思います。


エビングハウスは、1900年代初頭になくなっています。
100年以上も前の実験結果が、いまだに重要なデータのように引用されているわけです。

もちろん、どんなに古くても、しっかりしたテータもあります。

が、エビングハウスのデータは実験内容も含めて
かなり現実的ではありませんし、忘却していくスピードを表現したとは言いにくい気がします。

エビングハウスは精力的に実験をやった人物の一人です。

短い音声からなる、意味のないアルファベット並びを膨大な数の組み合わせで作り、
なんと420個もの、全く意味のない単語に似たものを全部覚えます。

それでテストをしながら全部覚えて、100%の正解率になったら実験スタート。

そこから一切復習をせずに時間を過ごして
ある時間が経過したらテストをして正解率を測定する。
つまり、420個のうち、何個を覚えているかを数えていったわけです。

で、これを繰り返して、
20分後、60分後、9時間後、1日後、2日後、5日後、1ヶ月後で正解率を測定。
その結果が、「エビングハウスの忘却曲線」です。

この実験の被験者は、エビングハウス自身です。
一人だけ。

個人の記録が有名な実験データとして、100年たった後も
忘却に関する重要な知見のように扱われているんです。

一人歩きしている印象を受けます。


実際は、もっと意味のあるものを覚えますし、
他の記憶と関連させながら覚えるので
そこまで忘れやすくもない、という説もあります。

そもそも、エビングハウスの実験は、20分後に覚えていたものは、
一回復習をしたことになります。

覚えていたものほど、復習を重ねていくことになるので記憶も定着しやすいでしょう。

それに、最初の時点で、なぜか覚えやすかったものと、
覚えにくかったものもあるはずです。

想像ですが、一か月経って残っていたのは、100%の正解率になるまでの段階でも
わりと初めのほうから覚えやすかったものじゃないかと思えます。

忘却を実験してデータに取っていくのは難しい作業だとはいえるでしょう。
上手い実験が作りにくいかもしれません。

しかし、そのことと、100年以上前に、たった一人の被験者で取っただけのデータを
今もまだ重要なデータとして扱っていくのは別な気がします。

エビングハウスが記憶の研究における偉大な人物なのは否定しませんが
だからといって、ずっと頼っていいデータだとは、僕には思えないんです。

”それっぽい”実験結果を、どのように引用していくかは
引用する側の責任じゃないでしょうか。

『的確に疑う』のは、トレーニングが求められる、1つの大切な技術だと思います。

cozyharada at 23:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

2012年06月27日

歯医者に行きました

詰め物が取れたのは土曜日の夜でした。
ですから、急いで電話予約というわけにもいかず、
インターネットで以前通っていた歯科医を検索しました。

すると、ネットから申し込める仕組みがついていました。
それで予約をしました。
最短でできる日です。

そして当日のその時間を迎え、歯医者に行ってみると
予約されていないとの答え。

まぁ、歯科医の受付にコミュニケーション能力は期待していないので、
じゃあ一番早い時間帯はいつなのか?と聞きました。

すると、
 どうやって予約したか?
とか
 予約確認のメールが届いたか?
とか、そんな話ばかり。

自分のところのパソコンに連絡が来ていない以上
予約を申し込んだ形にはなっていないということでした。

予約確認のメールは届いていませんでしたが
予約確認画面には、しっかりと記録があったのは間違いありません。

まぁ、取れてないなら、それで良いんですけど
時間の合間を縫ってやってきたわけですから、
一番早くやってもらうのは、いつになるのかを聞きたかったんです。

時間によっては、そこで課題をやりながら待つこともできましたから。

ところが、「読めません」の一点張り。

何も正確に知りたいわけではなくて、何時間ぐらいなのかとか、
場合によっては、最短で予約できる日を決めても良いはずです。

そもそも、僕が初診でその歯医者に行ったときは予約無しで行って
1時間ぐらい待って当日に診てもらった記憶があります。

予約を取るから帰って、別の日に出直してくる
…ということではなかったんです。

だったら、同じようにできるんじゃないか、と。

それでも「読めません」と。
「もう予約が一杯ですし、急患の方がいらっしゃることもあるので
 どの時間になるかが分からないんです。」

歯医者の急患っていう意味も良く分かりませんが、
救急車で運ばれてくるわけではないでしょう。

むしろ、詰め物が取れて、一刻も早く治したかった僕だって
急患扱いになるんじゃないのか?と思いました。

まぁ、受付の人には決定権はないでしょうから仕方ないかと考えていると
院長にあたる歯科医に話しに行ったようです。
奥から話し声が聞こえました。

どうもイライラしながら受け答えている模様。
怒りが滲み出ている声でした。

受付の人は委縮し始めて、なんだか怒られているような構図。

多分、いつもあんな感じで”命令”しているんでしょう。
語気は荒く、言葉遣いも命令文で荒々しい感じでした。

それが待合室まで聞こえている。

…この時点で、僕は相当、この歯科医に対して不満が高まっています。

僕がトレーナーとして関わってきた歯科医の皆さんは
コミュニケーションを大切にする人ばかりでしたし、
物事を自分の責任として捉える傾向の強い人ばかりでしたから。

もう1つの理由は、ホームページに
「患者さんとのコミュニケーションが…」うんぬん、と
丁寧な対応を売りにしているようだったところにあります。

それで、その院長が出てきて
「こちらのパソコンに記録が残っていないので
 予約をしたことにはなっていないんです」
と言いました。

もう自分の責任逃れみたいなことしか言わず、
どうすれば最短でやってもらえるのかの話もさせてくれません。

挙句、だんだんとキレ始めてきて。
歯の状態のことは、一度たりとも聞かれませんでした。

患者のことよりも、自分のスケジュールのほうが大事なようでしたから
もう、その歯医者には二度と行かないことにして帰ってきました。


思えば、あの歯医者に始めていったのは4、5年前だったと思います。

僕が観察やペーシングの本質と思えるものに気づいたのは
歯医者の治療を終えて、しばらくしてからだったんです。

今思うと、あの頃は未熟だったなぁと感じます。

今なら、歯医者の建物に入った瞬間に違和感を感じているでしょう。
本当にゼロから歯医者を選ぶ段階だったら、候補に挙げていないと思います。

まして、あの歯科医の風貌と声を聞いたら、
僕の求める診察は得られないはずだと判断するでしょうし。

当時は分からなかったんですね。
ネットで調べて、それなりに評判が良さそうで
「丁寧に説明してくれる」という情報を頼りに行きました。

かなり言語情報に片寄っていた時期です。

当然、治療の内容なんて評価できませんから。
振り返ると、何も考えずに通っていたことに気づきました。


それが、いつの間にか、僕がサービス業を選ぶときの基準は
コミュニケーションの内容に移り変わっていました。

今の住まいに引っ越すときにも、沢山の不動産屋を渡り歩いて、
結局、一番コミュニケーションが心地良かった人から
物件を選ぶことにしていましたし。

「この人が一生懸命やってくれているんだから」という想いが沸いていたものです。

飲食店もそうです。
僕が良くいく食事処は、明らかに、優秀なホールマネージャーがいるからです。

家電量販店で、すぐに買うか、しばらく待つかの判断基準も
対応してくれた店員のコミュニケーションによります。

そして、そのコミュニケーションを判断するのにも
あまり時間がかからないようです。


ということで、新たに歯医者を探し直すことにしました。

ホームページを色々見て選んでみようか、と。
口コミは気にしません。

1つには、ホームページに、経営意識が反映されると思いますので。

特に歯科医の場合、医療行為の側面とサービス業としての側面が
両立していないと上手くいきにくいだろうと想像します。

その意味で、治療への想いと、経営に対する工夫が
ホームページの作り方から伺えると感じます。

何より重要なのは、歯科医の顔写真。

ハッキリ言いますが、僕は人を見た目で判断しています。

ただし、大雑把に見た目の印象を感じるのではなく、
詳細に分析して、沢山の情報を見た目から取るようにしています。

僕にとっては、話を聞くのも、見た目の情報も、重要度は変わりません。
話の内容だって、文章だって、どれぐらい活用できるかは場合によります。

沢山の内容が書かれていても、本心を表していない文章であれば
その文字情報に、どれだけ価値を置けるかは分かりません。

重要なのは、見た目なのか、声の印象なのか、話の内容なのかではなく、
どの種類であっても多くの情報を得られているかどうか、です。

判断に使える情報量を増やしたいんです。

そのためには、僕にとっては写真が重要です。
写真は実物とは違いますが、それでも写真に出ているものはありますから。


それで新しい歯医者は、ホームページのデザインと内容の工夫、
伝えたいメッセージの統一性、治療に対する想いを読みとるようにして選びました。
もちろん、顔写真も重要です。

行ってみると、設備も新しいところでしたし、
何より運営上の工夫がシッカリしていました。

歯科医の技術は分かりませんが、経営者として優秀なんでしょう。

ただ、一人ひとりの患者の気持ちを大事にするタイプではない印象。
むしろ関心の対象は、『患者の口の中』といった感じでしょうか。

話しかけると、少しだけ面倒くさそうに答えますから。
多分、自分のリズムが崩れるのが嫌なんじゃないかと推測しました。

それだけ、忙しい中を、治療のクオリティを考えながら動いている気がします。
患者本人よりも、ずっと患者の口の中を気にかけている人だと思います。

それが感じられれば、僕としては満足です。

2012年06月25日

分類の基準となる違い

学校で「 The color of fear 」という教育ビデオを見ました。

テーマは人種差別。
なかなか衝撃的な内容でした。

正直にいうと、アメリカで暮らしたことのない僕には
「本当に、そんなことが起きているのか」という部分で驚きで、
感情的に激しく動かされるほどではありません。

もちろん、そんなに難しい問題をここで口にするつもりもないですが。


僕が逆に印象に残ったのは、
 アメリカ人がどういう違いを意識しているのか
 自分がどういう違いを意識しているのか
というところです。

実際のビデオの内容は、8人のアメリカ国籍の男性が
自分の経験を元に自由な会話を進めていくようなものです。
テーマを人種差別の問題としているとは思います。

ですから、ちょっとエンカウンター的な雰囲気もある。
参加者はセラピストや、ダイバーシティ・トレーナーだそうですし。

それで、登場人物のカテゴリーとしては、
コーカサス系アメリカ人(いわゆる”白人”として扱われています。)
アフリカ系アメリカ人
ラテン系アメリカ人
アジア系アメリカ人
でした。

アジア系の人は、中国系と日系4世でしたが、
やっぱり日本人の僕としては、日系4世と言われると
その人の情報は少し多めに覚えてしまいます。

ただ、正直なところ僕には、こうした分類の違いが良く分かりませんでした。
頑張って区別しようとすると基準を探せる印象はありましたが、
自分にとって非常に慣れていない作業だというのが実感です。

ラテン系のうちの一人は黒髪で肌の色は白い。
中国系の人は、まあアジア人の顔立ちではありますが
むしろアジアっぽさを感じるのは、髪型とかの要素でした。

日系4世の人は、さすがに僕が日本人を見慣れているせいか
パッと見た印象として、日本人にいそうな”部分”もありましたし、
一方で、平均的な日本人には少なそうな部分も見えました。

そういう、いわゆる民族特有の違いを強く意識すると
確かに4つのグループなのかもしれないと思えてきますが、
今度は逆に、そのレベルの違いを意識すると全員が別に感じられます。

同じアジア系アメリカ人でも、日系と中国系の違いが分かるのはもちろん、
ラテン系でも全く別の民族のような顔立ちでしたし、
アフリカ系でも相当な違いがありました。

もっというと、コーカサス系として扱われている、いわゆる白人であっても
顔立ちの系統は別のようでした。

それはちょうど、ヨーロッパでも民族の違いが見て取れるようなレベルです。

ですから、違うといえば違うんです。
しかしながら、その違いを意識すると、僕には
もっと細かいグループ分けになってしまいます。

そして、グループ分けを意識せずに見てしまうと
僕には全員が「アメリカ人」に見えます。

全員が、アメリカで生まれ、アメリカ文化で育ち、アメリカで教育を受けている。
ですから、全員に共通したアメリカ人の雰囲気があるんです。

表情にしても、目つきにしても、ジェスチャーにしても、姿勢にしても。
英語を聞くまでもなく、雰囲気は全員アメリカ人です。

ルーツやアイデンティティとして繊細な部分もあるかもしれませんが、
単純に僕の判断基準だけの話でいえば、8人全員がアメリカ人に思えたわけです。

それは僕からすると、サッカーのハーフナー・マイクも、野球のダルビッシュも
芸能人のShellyやベッキーも日本人にしか見えないのと同じ感じでしょう。

文化や言語活動などのコミュニケーションを通じて作り上げられてきた
内側にあるものは、自然と”見た目”に表れているんだと思います。

どうやら僕は、何かしらの振る舞い方や、
内面的な状態を重視して見ているようです。

そこに共通点を見出して、その共通点で「らしさ」を判断する、と。


誤解のないように言っておきますが、
その「らしさ」は、あくまで沢山ある要素の1つのつもりで捉えています。

絵を描くのが好きな人には、その「らしさ」に対応した共通点がある気がします。
音楽を好きな人にも、そういった共通点があります。

肩コリのありそうな人にも、歯ぎしりのありそうな人にも、共通点があると感じます。
生臭い食べ物が苦手な人には、声の出し方に傾向があります。

僕は、そういう傾向を重ねる形で人を見ているようです。
もちろん、生臭い食べ物が嫌いだと知っても、それ以上の意味がないのと同様に
僕にとっては国籍や民族も重要ではないみたいです。

では偏見が全くないかというと、そんなこともありません。
そういう特徴の中に、いくつか、「それらしさ」を感じると抵抗が出るものがあります。

それが経験から作られた反応だろうというのは自覚がありますから、
その自分の中にある分類の仕方に気づき、その分類と結びついた反応を自覚して、
その反応が目の前の相手に対して感じているものではなく
過去の経験のイメージに向けているものだと区別をしながら接するのが大事な気がします。

出てしまう反応に関しては、プログラムのようなものでしょうから。
頭で分かっていても、出てしまうのもは出てしまう。

目の前の人を、過去の経験と区別するのは、意識的にできるところだと思います。


人は皆違う。

ただ、そのスタンスで自分が接しようとするだけでは不十分なのかもしれないと思いました。

なぜなら、
自分が「人は皆違う。一人ひとりに違った対応をする」ように心がけていることと、
他の人が、本人の中の分類に当てはめてイメージだけで対応する場合があることとは
別のことだからです。

もし相手が、何かしらの分類のために不当な対応を受けた経験があったのなら、
自分がどう対応するかとは無関係に、相手にはその経験があったからです。

自分が気にしていない部分でも、相手が経験を元に気にかけているのであれば
自分としてもそこに注意を向けられるだけの感受性は持っていたいものだと思います。


それにしても、こういうビデオを学校で見せるというのが
あまり日本では馴染みのないところだったので、文化の違いを感じました。

「知らなかった」と言えないだけの事情があるのかもしれません。

ちなみに、そのビデオはネットで検索すると見られます。

古いビデオで一本10万円ぐらいだったと言っていましたが、
今は、ネットで見れられてしまうんですね。

cozyharada at 23:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

2012年06月23日

歯が気になります

奥歯の詰め物が取れました。

10年前ぐらいに虫歯の治療をした部分です。
銀色の金属のヤツがポロリ、と。

元の場所のもどすと、結構シッカリと止まってくれているようですが
まったく予想もつかないタイミングで、また外れます。

おかげで、意識の30%ぐらいが、ずっと口の中に向いています。

日常生活には支障がありませんし、痛みがあるわけではないものの
口の中に注意が向き続けているだけで、普段と違う状態であるのが分かります。

普段よりも見る度合いが減っていますし、こうして文章を書いていても
ある程度の意識は口に向いたままになっているんです。

集中力が奪われているのが自覚できます。

色々なパフォーマンスが落ちている感じです。

こういうことがあると、いかに自分が普段
広く注意を向けているかが実感できます。

これは早く歯医者に行かなくてはいけませんね。


ちなみに、応急処置ができないものかとネットで検索してみると
同じような質問に歯科医が答えているものが結構見つかりました。

名前を明かさずに答えている人の中には、
いかにもインターネットの情報交換サイトで見られるような
厳しい口調で正論を書き連ねたものもありましたが、
歯科医として名前を出している人は、真逆のように丁寧でビックリしました。

「急に詰め物が取れてしまっては困りますね」
「詰め物が取れてしまった状態で数日を過ごすのは不安ですよね」
なんていう”ねぎらい”のメッセージが。

「でも大丈夫です。虫歯は数日では悪化しません。
 口の中を清潔にしながら、取れた側で食べ物を噛まないように気をつけましょう。
 歯医者さんに電話して、事情を説明して急ぎの対応をしてもらって下さい。」
…なんていう感じです。

かと思うと、伝えている情報の中身は一緒なのに
人を叱りつけるような雰囲気の文章もあったり。

応急処置を調べている人の気持ちは、
「困っている状態を、なんとかしたい」
というものじゃないかと思います。

安心したいわけです。
不安を解消するのは行動ですから。

だから「応急処置で対処する」という行動をとるために、
「調べる」という行動をとっているはずです。

ですから重要なのは、不安を解消できるところでしょう。

その意味では、専門家から「大丈夫です。安心して下さい。」
と言ってもらえることほど、心強いことはないと思います。


まぁ、僕の問題は痛みや不安ではなく、
「また外れないかどうかを気にしてしまう」ことと
もし外しっぱなしにするなら「ポッカリ開いた穴が気になる」ことですから
本当に応急処置を知りたかったわけなんですが。

飲み込んでしまうのは嫌ですし、話しているうちにポロっと取れるのも嫌です。

何より、外れないように気を遣って、仕事のパフォーマンスが落ちるのが困ります。

さっきも、普段ぶつけないところに足をぶつけました。
かなり気が散っているんだと思います。

こうなると救急の歯科医みたいなところを期待してしまいます。

2012年06月20日

感情の表しかた

最近、学校の関係で麻布へ頻繁に行きますが、
六本木、麻布、広尾あたりは外国人の割合が高いですね。

僕の住まいの近所も比較的、外郭人比率が高いですがアジア系が中心です。

一方、麻布のあたりは西洋人が多い。
非常に頻繁にすれ違います。


それで先日、おそらくアメリカ人と思われる人のケンカを見ました。
カップルです。

あのケンカの仕方は日本人では見たことがありません。
逆に、海外ドラマや、テレビのバラエティ番組で見るようなシーン。
「本当に、ああやってケンカするんだ…」という感じでした。

片側3車線の道路を挟んで、反対側の歩道でケンカをしていたんですが、
僕を含めて、もう至る所から日本人がケンカに目を奪われていました。

僕は、まぁ、好奇心を持って眺めていましたが
大半の人は驚きを隠せない様子でした。
迫力が違いますから。

6車線分を挟んでも、女性の怒鳴り声が聞こえます。
その振る舞いと言葉の内容から、「アメリカ人」と判断したわけです。


何があったかは分かりませんが、女性の側が男性を一方的に責めているようでした。

何か気に障ることを言ったのか、許せないことをしたのか、
裏切りと取られるような隠し事がバレたのか…。

ですが、「責めている」なんていう生易しいものではありません。
暴行です。

全力で殴っていました。
フルスイングです。

男性は何も言わずに、とにかく顔を殴られないように身を守るばかり。
なんとか女性の腕を取って止めようとしますが、
止めようとするほど女性は暴れまわり、大声を発します。

そして、ひとしきり暴れた後、さらに大声で罵声を浴びせながら
女性は男性から少し離れていきました。


すると突然、その場に座り込み、
今度は大声で泣き始めます。

これまた全力です。

男性は離れたところから茫然と見ていました。


こちらも、ずっと見ているわけにはいかないので
その後どうなったかは分かりませんが、
推測としては仲直りでしょう。

本当に嫌なら、殴るだけ殴って立ち去るでしょうから。

座り込んで泣いたということは、孤独感を味わっている可能性が高いと思います。

とすると、男性が泣いているところへ近寄って、謝って、慰めると
それで大騒ぎが終わるんじゃないか、と。


感情の動きとして分かりやすいと感じました。

怒りは筋肉を使うと発散されます。

大声を出して、全力で殴って、疲れるまでやり切ると
シューっと体の中から力が抜けていきます。

すると悲しみが全身を満たします。
怒りの奥底にあった悲しみが前面に出てくるわけです。

怒りは力を生み出すエネルギーでもありますが、
それを出し切ると、力も抜けていくということです。

そこに、自分の存在感を損なわれたような孤独感があると
怒りや不満に目を向けることなく、悲しみだけを感じ始めます。

この状態だと、もう怒りは発散しきっていますから
怒りを向けていたはずの張本人であっても、許す準備ができてきていると言えます。

悲しみと孤独感を癒してくれる相手は、やはり、その相手に求めるでしょう。

もう怒りが体から無くなっていると、謝ってもらったときに、
それを受け入れやすくなります。

それで仲直りしやすいんじゃないか、ということです。


一方、これが日本人でよく見るケースだと、
怒りをそこまで発散しきることがありません。

そして、怒りを向けられたことに対しての不満も出てきますから、
言い返すか、黙り込むか、すぐに謝るか、その場を立ち去るか…
色々な手段をとりながら、間接的な攻撃(仕返し)が始まります。

怒りは溜まったままになりやすいわけです。

そして、怒りが残っている状態だと、謝られたとしても
それを受け入れようとしないことが多いものです。

相手の立場を考えるなんてことも厳しいでしょう。

悲しみに移ると、思考が働きやすくなりますから
自分の悲しみを感じながらも相手の立場に目が向いたり、
謝ってもらったときに、その言葉の内容に注目できるようになったりします。

ただ、悲しみに移るためには、その前に、怒りを発散しきる必要があるわけです。


より健全なやり方としては、相手に直接怒りをぶつけるのではなく、
自分で怒りの感情そのものを発散して、クールダウンする方法が考えられます。

どうやらアメリカ人の場合には、そこで相手に直接、怒りをぶつけて
体から怒りが無くなるまでアクションを続けることがあるようです。

このときに、相手の男性が途中で我慢の限界に達して
反撃をしたり、途中で逃げ出したりすると、”復旧”の目処は立たなくなりそうです。

怒りが発散するまで、やられ続けるのが大事なのかもしれません。


ある意味で分かりやすいコミュニケーションだと思いましたが、
過激だと感じましたし、なんだか「ズルい」ような気持ちにさえなってしまいました。

”無意識”のカタマリみたいな感じで…。

僕は、”意識”というのが、人間らしくて大切な気もしているんでしょう。

2012年06月18日

カウンセリング”経験”が役立つ場合

コミュニケーションにおいて、
 相手を自分とは完全に別の人として捉えて、相手の立場になって考える
というのは重要な部分だと思います。

しかし、頭で分かっていても、できるかどうかは別問題。

そこでNLPでは、ポジション・チェンジと呼ばれる技法を使って
できる限り、自分を切り離して、相手の立場を体験しようとします。


自分の気持ちを切り離すと、相手の立場に入ることができるという発想には
そもそも、「意識していない範囲で、相手の気持ちや状況を感じ取っている」
という前提があって、だからこそ、本気で相手の立場だけに注意を向けたとき
今まで意識していなかったことが分かるようになるわけです。

確かに、その側面はあります。

情報としてインプットしてはいても、自分の立場や自分の気持ちに注意を向けるあまり
相手のことは気づかないようにしている、と。

普段から、相手がどういう行動をしているかなどは、
近くで見ていれば知っていることかもしれません。

どういう言葉を良く使っているか、何を言っているか、どんな態度か、
どういう出来事に対して、どんな反応をしているか…
などと断片的な情報はインプットされているわけです。

ただ、そもそも理解しようとしていない状況においては
その断片の情報は、バラバラのまま保存されていると考えられます。

それを、相手の立場になって、相手に意識を向けて、
その人の人物像を意識の中心に据えて、
これまでの情報を全てそこに統合していったとき、
今まで理解できなかった全体像が浮かび上がります。

断片では意味が分からなかったものが、全体として繋がりを見出されると
まとまった意味合いが見えてくる、という話です。


ということは、結局のところ、自分がピックアップできていた情報だけが
判断材料になっている、と言えます。

もちろん、それでも意識していなかったことに気づくわけですから
重要な意味があります。

ただ、そのことと
「どれだけ相手を理解しているかどうか」というのは
区別する必要があるでしょう。

自分がピックアップできていた情報だけが活用されるのであれば
どれだけ普段から相手に関する情報を取れているかがカギになります。

そこで1つのポイントになるのが、
「知らないことは見逃されがち」だという部分。

例えば、ブランド品に全く興味のない人の場合、
相手の持ち物がブランド品なのかどうかさえ分かりません。

すると、仮に、高級ブランドのカバンを持っていたとしても
「カバン」という大きなカテゴリーでしか捉えられないわけです。

その上で、さらに「カバンなんて持っていたかな」ぐらいのレベルで
意識から外れていきます。

せいぜい取り戻せるのは、「あぁ、カバンを持っていたなぁ」という程度。

鮮明に映像的な記憶が蘇れば、そのブランドのデザインも思い出すかもしれませんが
デザインが映像的にハッキリと浮かんでいても、その時点で同様に
ブランドの知識がなければ、やっぱり気づくことはないわけです。

逆に、「あぁ、カバンを持っていたなぁ」ぐらいにしか捉えていなかった人が
あるときにブランド品について知る機会があって、詳しくなったとしたら
相手に関する記憶が鮮明に蘇ったときに
「あ!あの人は、このブランドのバッグを使っていたんだ!」
と気づくかもしれません。

それと同じように、過去の人間関係について振り返って
当時の相手の立場を考えてみたとき、自分自身が当時よりも知識と経験を増やしていれば
当時は気づけなかったことに、今の知識を前提として気づける可能性が出てきます。

よくある話で言えば、自分が上司の立場になってみたときに初めて
新入社員のときの上司が見せていた態度の意味に近づける、とか
自分が子供を育てるようになって初めて
親が自分に向けていた気持ちに近づける、とかです。

経験と知識が増えると、相手の立場を理解するための視点が増えるわけです。
気づくかどうかの前に、気づきの素材の量を増やせるんです。


その意味で、相手の立場を理解してコミュニケーションを取りたいのであれば
直接的に相手のことを理解しようと努力をするだけでなく、
一般論として知識を増やしていくことが役立つと考えられます。

実際に、その相手が一般論に当てはまるかどうかは重要ではありません。

当てはまるはずはないので、一般論を基準にして
どこが、どのように、どれぐらい違うのかに注意が向けられます。

基準があるから判断ができるようになるんです。
基準があるから、着眼点が生まれるんです。

僕の場合、カウンセリングのトレーニングと実際のセッションの経験が
日常的な人間関係にも役立っていると思います。

幅広い年齢層、幅広い立場の人から、個人的な話を聞きます。
それを客観的な情報として蓄積していくと、
自分が経験したことのない内容でも、一般論としての知識を増やせます。

自分が持っていなかった着眼点を教わる機会も沢山あるということです。


そう考えると、コミュニケーションの技術や方法を学ぶだけでなく、
そもそもの経験として、自分以外の人生の片鱗に触れることが
非常に有意義だということになります。

カウンセリングのトレーニングは、カウンセラーになる人だけでなく
多くの立場に関する情報をクライアントから教えてもらえる点で
全ての人のコミュニケーションに役立つと思います。

特に、受講生同士の立場になると、年齢や社会的地位は意識されず
大人同士の人間関係が期待されます。

すると、例えば、親との関係に”わだかまり”がある人が
自分の親に近いような年齢の人を相手にカウンセラー役をやることで
親の立場の考えに触れることもできます。

自分の話でもない、自分が改善したい関係性の相手でもない、
第三者の立場から、しかも共感的に話を聞くことになる。

その少し「ひねった」情報収集の結果、
素直に、客観的に、かつ自分が意識している人物に対しては共感的に、
自分を取り巻く関係性に目を向けられるようになります。

「そうか…。ということは、あの人の場合も…。」
という発想が出やすいわけです。

それは技術レベルで得られるカウンセリングのトレーニングの効果ではなく、
カウンセリングの『経験』を通じて多くの立場に触れられるという
また別の観点からのメリットだと思います。


苦手な相手、改善したい人間関係があるのだとしたら、
カウンセリングのトレーニングを通じて、
自分が関係性を改善したい相手と似通った立場のクライアントから
色々と話を聞かせてもらうのが役立つ気がします。

2012年06月16日

恐怖のギター教室

近所にギター教室の看板を見つけました。

元々のデザインも相当なものだと思いますが、
雨にさらされて、さらに風合いが変わっています。

guitar school













なんとも”おばけ屋敷”っぽいサブモダリティが表現されている気がします。

これを見て、どんなギター教室を想像するでしょうか。

cozyharada at 23:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2012年06月14日

傾聴の技術

最近、週に一回、2時間のカウンセリング講座に参加しています。

「 Basic Counseling Skill 」と題した講座で、
内容としてはロジャース派のカウンセリングを丁寧に扱う形。

大学の生涯学習プログラムか何かのヤツなので
英語でカウンセリングの練習をする感じです。

受講生の半分はネイティブで、ビジネスとしても学びとしても意欲的な人たちなので
かなり素直に受講生気分を味わって楽しんでいます。


講座の内容そのものは知識的・技術的には知っているものですし
これまでにトレーニングを積んできた範囲のものです。

ですが、それが外国人相手になると少し事情が違うようです。

もちろん、言語的なレベルでの”もどかしさ”もありますが、
それ以上に、日本人とは違った感情の表れ方があるようで
新鮮な体験ができます。

悲しみや怒りといったシンプルな反応は共通点が多いと感じますが
その生理反応に対する処理の仕方には、日本人と違いがある印象を受けています。

客観的に観察をする分には読みとれる反応が
ペーシングとしては感じにくいところがあったり。

まぁ、言語的に自分が努力をしなければいけない度合いが高いために
ペーシングが難しくなっている可能性もありますが。


それでロジャース派のカウンセリングをトレーニングしているわけですが、
おそらく僕が知っている日本のロジャース派のトレーニングとは趣旨が違います。

表面的な技術は重視しません。
もちろん、形としては「話の内容をオウム返しする」という点で同様です。

ただ、それはあくまで形として設定するだけ。

その形を通して、いかにクライアントと結びつきを深めていくか。
この「クライアントとの結びつき」が非常に強調されています。

いかに心を深いレベルで通わせて、信頼関係を築くかがテーマのようです。

それは一緒にいて心地良いとか安心感があるといったレベルのラポールではありません。
また、カウンセリングを進めるにあたって必要なレベルのラポールを維持しながら
問題解決のプロセスに進んでいくというスタイルとも違います。

クライアント自身が問題を解決することを望んでいるのであれば
カウンセリングやセラピーの1つのゴールは、その解決の手伝いとなります。

ただ、その解決のための手順に移るまでに
力づけのためのケアが求められる場合があります。

その際にはラポールを築きながら、質問をして内容を把握して、
適切な言葉がけで、相手に力づけをするわけです。

そうやって問題解決の準備をして、実際に解決のプロセスに進む。
そして、解決のための取り組みをして、問題解決をゴールとする。

1つには、こういうスタイルがあります。

この場合、ラポールや信頼関係そのもの、クライアントとの結びつきは、
そのものが目的なわけではありません。

問題解決に必要なレベルの関係性と、クライアントの気持ちのケアは求められますが
ポイントは、クライアント自身が問題解決に取り組める状態を生み出すことです。

その意味では、「仲が良い」必要はないんです。
セラピストやカウンセラーが、好かれる必要はないんです。

クライアントの人間関係の中で、大切な人ランキングの上位に入る必要はありません。
むしろ、入らないようにしながら、クライアントの自立を促す側面さえあります。


一方、今習っているロジャース派のカウンセリングは
「来談者(クライアント)中心療法」というよりも
ロジャースが晩年に志向した「パーソン・センタード・アプローチ」なんでしょう。

ですから、関係性そのものがカウンセリングの目的になるようです。

カウンセラーが、クライアントにとっての重要な人物になります。
深い絆を作ります。

映画『グッド・ウィル・ハンティング』のマット・デイモンとロビン・ウィリアムスのように
契約関係を超えた、人と人との繋がりを目指すスタイル。

それは、ある種の問題を抱えた人たちにとっては何よりも重要な要素でしょう。

つまり、表面的な症状や、行動レベルの問題ではなく、
ストレスや、人間関係の衝突から生まれるような気分障害でもなく、
生まれてからほとんど、満足に人の温かみに触れられなかったことで
ずっと心に苦しみを抱え続けているようなケースでこそ、
最も求められる部分じゃないか、と。

人との深い絆や繋がりを十分に感じられていないことが
問題そのものとなっている場合には、
関係性そのものを目的としてカウンセリングをすることが重要になると考えられます。

ロジャースの理論によると、
「無条件の肯定的関わりが不足していることが、心の問題を生む」
といった考え方のようですから、
その意味では、カウンセリングを通じて、時間をかけて、
無条件の肯定的関わりを積み重ねていくことそのものが
セラピーのプロセスになっていると言えます。

表面的な問題行動や症状に対処するのが目的ではないわけです。

また、家族療法のように、その繋がりや絆を家族で強められるようにするのでもない、と。
カウンセラー自身が、その強い繋がりの体験を提供するスタイルなんでしょう。


本当に、そのレベルの関わりをカウンセラーが提供する必要があるケースは
日本にどれぐらいあるのかは分かりません。

僕自身は、カウンセラーがその役目をするのは
最後の手段じゃないかとも考えています。

エリクソンは、そういうレベルの繋がりが必要なクライアントに対して
家族やパートナーを作る方向で介入をしていたように、僕には思えます。

すきっ歯から水を飛ばす練習をさせた女性のケースは
完全にそういう目的だと思います。

 自殺をしようとしていた女性に、歯の隙間から水を飛ばす練習をさせて、
 その女性に気があったと思われる同僚の男性に水をかけさせる。
 その”イタズラ”をキッカケに恋人ができて、強い繋がりを実感できた。
 …そんな話じゃないでしょうか。


ただ、学生を相手にする場合には重要な可能性があります。

「両親にも分かってもらえない、先生にも分かってもらえない」
といった気持ちを抱えて心を閉ざしている子供であれば、
人生の一時期に、そうした信頼できる大人と接する経験は重要な気がします。

その意味で、スクールカウンセラーにとっては、ロジャース派も効果的だと思います。

特に、言語的に自分の気持ちを整理するのが上手くない時期には
質問で何かを引き出して、”気づかせよう”とするアプローチよりも、
ただ何でも話を聞いてくれるカウンセラーのほうが良いのかもしれません。

場合によっては、何も話さなくても、ただ傍にいてくれることが
支えになることもあるでしょう。

その場合、「オウム返し」は、それによって話を促したり、確認したり、
話を聞いていることを示すための技術ではないんです。

「私からは会話をリードしませんよ。でも聞いていますよ。
 この時間は、あなたの好きにしていいんですよ。ここはそういう場ですから。
 あなたがどうあっても、私はあなたのために、あなたと一緒にいます。」

そんな『無条件の肯定的関わり』のメッセージを届けるための手段が、
表面的には、オウム返しに表れているだけじゃないでしょうか。

それを求めている子供が、学校にはいるような気がします。

あとは、どれぐらい、そのような”絆づくり”そのものを目的としたカウンセリング
(パーソン・センタード・アプローチ)の技術的なトレーニングを、
日本で受けられるのかどうか、というところ。

それは表面的な技術のトレーニングとは違うはずです。
もっとミッチリと、トレーナーから個別指導を受けていくようなものだと考えられます。

多分、「クライアント中心療法」の技術とは違うレベルのトレーニングのはずです。

日本の現状は、どんな状態なんでしょうか?

2012年06月11日

6月の勉強会

6月の勉強会のお知らせ

事前にお知らせしていましたが、
6月の勉強会は3種類をセットで行います。

午前は、ゼミ形式の研究会。
午後は、通常の勉強会。
夜間は、実践トレーニング。

個別にご参加頂くことも可能です。


内容の説明は少し手短にさせていただきます。


◆研究会(ゼミ形式)について :午前の部

今回は初回ということもありますので、概要や趣旨の説明と
気軽なディスカッションを交えながら、題材を決めるようなこともします。

同時に、セラピーを統合的に説明する枠組みを紹介します。

この研究会では、カウンセリングやセラピーの教材(書籍など)を用いて
実際に、どういうやり取りがなされているかを研究してきます。

そこには、コミュニケーションとして効果的な側面もあれば
「問題解決」という変化のために効果的な側面もあります。

今回は、こちらから、
 変化を引き出す技術としてセラピーを分析したときに
 セラピーとは何をしているのか?
ということを解説します。

1つの観点には過ぎませんが、今後、様々な技法を見ていく上で
参考にしてもらえる内容だろうとは思います。

ただし、全てのセラピーを統合的に使うための方法論ではありません。

なぜ、このセラピーが効果があるのか?
なぜ、この技法を使うと変化が起きるのか?

そこに共通して存在する原則のようなものを説明することで、
どんな技法であっても、効果が発揮される理由が分かるはずです。

逆にいえば、何を狙った技法なのかが見えてくるでしょうから、
その技法で効果を上げるためのポイントも判断できるようになると考えられます。

もっと慣れてくると、どういう相手、どういう問題に対して
その技法が効果的なのかも想像できるようになると思います。
結果的に使い分けがしやすくなる可能性もあります。


内容としては、以上のように、(これまでの勉強会でもやりそうな)
 「セラピーが効果を発揮するための原則」
といった部分を扱いますが、
今回で重視したいのは、そのスタイルです。

こちらはセミナーではなく、『ゼミ形式』ですから
ご参加の皆さんには、そのスタイルに馴染んで頂きたいと考えています。

つまり、気軽に意見が言えて、気軽に質問ができて…という感じ。

「講師がいて、受講生がいる」という形態ではありません。

その日の発表者はいますが、基本的には全員がフラットに議論するイメージ。

それによって、皆さんで学んでいきましょう、と。


音源は公開していく予定ですので、
絶対に自分の存在を知られたくない方は黙って見学でも構いません。
(その場合は、音源を聞くのと同じでしょうけど…)

ボイスチェンジャーまでは用意できませんので、
名前が上がらないようにしたい方は、本名でなくても結構です。

もちろん、公開の範囲は限定されますので
むやみやたらにyoutubeで公開されるわけではないことは付け加えておきます。



◆勉強会について :午後の部

6月の勉強会のテーマは
 『共感と力づけ』
とします。

技術的に扱う範囲は、コミュニケーション全般の内容です。
個別の技術として扱います。

もちろん、カウンセリングやセラピーを行う上でも必須の技術だと思いますが
研究会が事例検討なのに対して、勉強会は技術の習得を重視します。

技術の習得には、闇雲な練習では効果が低い場合があります。
むしろ我流で妙な癖がついてしまうこともあります。

ある意味で、コミュニケーションは必ず我流だとも言えますから、
特定の場面、特定の人には効果的でも、
別のところでは上手くいかないことがあるものです。

だから、
「なんで、あの人は、○○さんと上手くやれるんだ?」
「なんで、○○さんにだけ、あの人は心を開くんだ?
 ○○さんって他の人からは微妙な意見を聞くのに…」
ということもあり得るわけです。

その意味で、新たに技術を習得しようというのは
自分のやり方以外の方法もできるようにすることで、
柔軟な対応を可能にしようという発想なんです。

そのためには、今までの自分のやり方とは違ったものとして
区別して使い分けられる必要があります。

そこで、内容を意識化できるようにするための
技術のポイントが重要になるんです。

勉強会では理論的な解説や、技術のポイントを整理することで
今までとは違った対応方法を意識化して使える土台を作ります。


今回は、その観点から『共感と力づけ』を扱おう、と。

最近の流れに沿って、カスタマイズしながらのトレーニングになります。
テーマに沿った課題をご自身で設定して頂けましたら、
それに応じてトレーニング方法を工夫していきます。

同時に、こちらからは、いくつかの技術を整理してお伝えします。

『共感』に関しては、最近あみだした便利な方法があるので
それを紹介して、皆さんで練習していきます。

「感受性が高い人のストラテジー」と言っても良いかもしれません。

もう1つは『力づけ』のトレーニングとして
フィードバックの技術を解説して練習します。

どういう力づけを狙って言葉を発しているのかを意識できるようにします。

自分の発するメッセージが相手に、どういう効果をもたらすのかを自覚する
ということです。

これが分からずにやっていると、
気の利いた言葉を使えていることで満足してしまったり、
相手が喜んだり、感動してくれたりする反応だけで満足してしまったり、
といったことが起きてきます。

その瞬間は「なんか、良いことを言ってもらえて嬉しかった」と感じながらも
家に帰ってみたら「…あれ、でも、そんな話じゃなかったし、何も変わっていない」
ということが相手に起きているのだとしたら、
自分の言葉がけの意図がズレていたのかもしれません。

自分の『力づけ』に狙いを自覚できるようにしよう、というのがコンセプトです。

ということで、
午後の部の勉強会では、
 ・共感しやすくするためのコツ
 ・力づけのメッセージのパターンと選び方

を扱います。



◆実践トレーニングについて :夜間の部

こちらは練習を目的として開催します。

トレーニング内容に対するサポートは行いますが
セミナーではありませんので、技術的な解説はありません。
(質問があれば解説します)

何を練習したいかも、皆さんの意見に基づいて決まります。

事前に、「これを練習したい」ということを教えていただければ
過去の資料を準備できる可能性もありますので、
ご要望がある方は、申込みフォームの『ご意見など』の欄にご記入ください。

「これが上手くなりたいから、何か良いトレーニングを教えて」とリクエストされれば
それに合わせた方法を考えますし、
「前にやった、このトレーニングをやりたい」というのであれば
それをそのままやってもらっても構いません。

「こういうときは、どうしたら良いでしょうか?」でも結構です。

また、
「とにかく練習をしたい」という方は、
同様の趣旨の方と集まって、離れて練習をしても良いでしょうし、
「自分のやり方にフィードバックが欲しい」という方は、
工夫をしながら少しずつ練習をしていくこともできます。

基本的に、自由にコミュニケーションに関する練習をしましょう、ということです。



…内容は以上です。

コミュニケーションの学習には、
技術や知識の向上よりも意味の深いところがあると思います。

それは、誠実に相手と関わる部分です。

日常のコミュニケーションには、様々な要素が絡み合います。
忙しさや仕事の事情が反映されたり、個人の気持ちがぶつかったり。

それはコミュニケーションをテーマに掲げて仕事をしている組織でも
いとも簡単に起きる事態です。

だからこそ、そうした”しがらみ”の無い相手と
一人の人として純粋に関わっていくプロセスそのものが
なかなか味わい深いものに感じられるのでしょう。

練習は練習なんです。
同時に、練習だからこそ体験できるコミュニケーションもある。

それだけでも、お越しいただく価値はあるような気がします。


今回は、初めての3部構成です。

「全部は疲れそう…」という方もいるかもしれませんが、
頭の使い方を変えられるように内容を組んでいるつもりです。

また集中した取り組みそのものの効果もあるかと思います。

ご都合が合いましたら、是非まとめてご参加ください。



<ご参加に際しての注意事項>

※NLPの専門用語の説明などは省略するつもりですので、
 NLPなどに対する知識と経験のある方、もしくは
 過去に勉強会でトレーニングを積まれた方
のご参加をお薦めします。

 ☆気がかりがありましたら、お問い合わせください。

※内容が広範囲にわたりますので、資料での補足が難しい可能性があります。
 ご希望の内容がある場合には、お申込みの際に「ご意見など」の欄にご記入ください。




  定員を超える場合には先着順での受付とさせて頂きますのでご了承下さい。

  ※勉強会全般の趣旨に関しましては、こちら(勉強会070725)をご覧下さい。


詳細は以下のとおりです。




【勉強会の詳細】

三部構成
【開催日】6月30日(土)

【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)

 ※申込フォームの『参加時間帯』の欄に、「午前」、「午後」、「夜間」の区分でご記入ください。
  (例1) 午前と午後の2つにお申し込みの場合: 「午前+午後」など。
  (例2) 午前、午後、夜間の2つにお申し込みの場合: 「全部」など。



研究会:午前の部≫
【日時】 6月30日(土) 10:00〜12:30
       ※終了時間は前後する場合があります。

【参加費】 ・・・2,000円
       当日、会場にてお支払いください。

【テーマ】 セラピーを統合的に説明する枠組み


定期勉強会:午後の部≫
【日時】 6月30日(土) 13:30〜17:00
       ※終了時間は前後する場合があります。

【参加費】 ・・・5,000円
       当日、会場にてお支払いください。

【テーマ】 『共感』と『力づけ』の技術


実践トレーニング:夜間の部≫
【日時】 6月30日(土) 18:30〜21:30
       ※終了時間は前後する場合があります。

【参加費】 ・・・4,000円
       当日、会場にてお支払いください。

【テーマ】 フリー〜コミュニケーションに関する内容の範囲〜



 *多くの方にご興味を抱いて頂けるようになってきましたので、
  学びの密度を考えて、一定数で募集を打ち切らせていただくことがあります。
  ご了承ください。




コミュニケーションのトレーニングのメリットには
お互いがクライアント役も体験する、という部分があります。

喩えてみると、お互いにマッサージをするような感じでしょうか。

ある整体師の方に言われたことがあります。

「マッサージは自分でやるより、やってもらったほうが気持ちが良い」

カウンセラーやセラピストという職業も、
それぐらいのスタンスで良いのかもしれません。

坊主頭にするだけだったら、自分でバリカンを使えばできます。
シャンプーなんて、自分で毎日できるものです。
髪の長い人だって、自分でセットできるものでしょう。

でも、美容院に行く。

自分でやるよりも、やってもらったほうが綺麗に仕上がるから。
やってもらったほうが気分が良いから。
やってもらったほうが早く終わるから。

カウンセリングやセラピーの中にも、そういう側面がある気がします。

サービスとしての側面です。

人からやってもらうこと自体に価値があるんじゃないか、と。

自分の過去を振り返って、何度か思ったことがあります。
「自分が自分のカウンセリングをしてくれたら…」

どんな技術を駆使しても、気持ちを整理する方法を使っても
自分に自分でペーシングしてもらうことはできません。

自分で自分の気持ちを大切にすることは、言うまでもなく重要ですが、
それは他人に大切にしてもらったのとは違う体験なんです。

他人は、そもそも別の人なんです。
分からないはずの人なんです。

そして、誰もが自分を一番大切にしているものです。

にもかかわらず、自分以外の誰かが自分のことを分かってくれる、
自分のことを大切にしてくれる。

他人だからこそ感じられる喜びがあるわけです。

もし本当に全ての人の心が繋がっていて、分かりあえる世界だとしたら
そこには、分かってもらえる嬉しさも、大切にされる喜びも無いはずです。

他人と関わるから得られる何かがあるんです。

そう考えると、コミュニケーションに向き合ってみるというのは
とても価値のあることだと思えてきます。

トレーニングの中にも、そうした価値が含まれていれば何よりです。

終了しました

トレーニングには色々あります。
無意識にアプローチする手法であれば、一度の取り組みで効果が出る場合も多々あります。
一方、話術や聞く技術のように、地道なトレーニングによって効果を発揮するものもあります。
この勉強会では地道なトレーニングが主体と考えていただいて良いかもしれません。


是非、お互いの頭を上手く利用し合いましょう。

今後、参加者のご様子を伺いながら、徐々にクローズドな会合にしていく方針です。
ご興味がおありの方は、お早めに一度ご参加下さいますことをお勧めいたします。


また、お気軽にお友達やお知り合いをお誘いいただけると喜ばしいです。
学びの幅が広がるとともに、勉強会が新たな学びの機会となっていただけることを
心から願っているためです。


【その他のご連絡事項】
ご自分の学びのアウトプットとして、勉強会で発表したいことがある方は
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。
お時間などの相談をさせていただきます。


勉強会の最中には、質問をお気軽にドンドンして下さい。
話題を遮っていただいて構いません。

その時によって、どんな情報が関連して出てくるかは分かりません。
質問に答える側としても、その時間は非常に有意義なものです。

また、テーマに関して事前にご関心の強い点がありましたら
申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。

調査して勉強会にあたります。



それでは当日お会いできることを楽しみにしています。

2012年06月09日

文化と価値観

コーチングや自己啓発系で使われることが多いんですが、
『人生の輪』というのをやったことのある方は、どれぐらいいるでしょうか?

人生を8つの領域に分けて
・仕事・キャリア
・お金・経済
・健康
・家族・パートナー・恋人
・人間関係・友人・知人
・学び・自己啓発
・遊び・余暇
・物理的環境
のそれぞれに対して、自己採点をする、と。

それで、その点数を見ながら自分の人生について考えてみましょう
というわけです。

人によっては、その点数を見ながら現状に感謝するでしょうし、
人によっては、もっと点数を上げたいと意欲が沸くところもあるでしょう。
また、場合によっては、「ここは、ないがしろにしていたなぁ」なんて
反省して気持ちに変化があるかもしれません。

そういう自分を整理するための観点として、8つの項目を使うわけです。

ちなみに、円を8等分して、それぞれ軸上に8つの項目を書いて
点数に相当する位置を線で結んでいくことでレーダーグラフができます。
その歪んだ円形が『人生の輪』と呼ばれる所以なんでしょう。


ですが、おそらく、この発想もアメリカからの輸入製品だと思います。

この8つが人生で重要だなんて誰が決めたのか?
一般的にアメリカ人は大事だと考える分野なんでしょう。

別に「遊び、余暇」とか「物理的環境」なんてどうでもいい、
という人だっているかもしれません。

例えば、日本には伝統工芸の職人で人間国宝のような人もいますが、
そういう人たちにとって、この8つの分野は、そもそも同じ重要度ではないはずです。

仕事に対する比率が高い可能性があります。

また、主婦として家事や子育てに忙しい人にとって
「仕事・キャリア」という項目は、手放すことを選択した分野かもしれませんし、
別の人にとっては、そもそも気にしてすらいない分野かもしれないわけです。

確かに、一般的に人生の局面を広げてみていけば
この8つの分野は大切に捉えられることの多い分野でしょう。

占いであれば、悩みの分野は「仕事」、「夢」、「健康」、「人間関係」
のどれかに当てはまるなんて、コールドリーディングでは考えますから。


推測ですが、アメリカの自己啓発に来るような人たちは
この分野を全部高めたい欲求があるんじゃないでしょうか。
あくまで傾向として、ですが。

例えば、アメリカ文化では、どんなに仕事が上手くいっていても、
家庭が上手くいっていなければ問題があると考える価値観があるようです。

職場に家族の写真が置いてあるとか、定時に家に帰って
家族と一緒の時間を大切にするとか、週末は家族と過ごす、とか。

日本に来ている野球選手が、オフシーズンは家族のために過ごす
という話はスポーツニュースなどで良く耳にします。

遊びや余暇で楽しみを見つけると良い、というのも、
文化に根づいた価値観の1つじゃないでしょうか。

友人と楽しい時間を過ごす、なんていうのも
過剰に外向的であることを求めているアメリカ文化の一側面だと思います。

場合によっては、一人で楽しむ趣味を持っているのだとしたら、
趣味を充実させるほど、友人や知人との交流は薄れるかもしれません。

この8分野を1つの基準としていることが、そもそも
文化に根づいた特定の価値観のヒエラルキーを反映していると思うんです。

つまり、アメリカ文化においては、
「人生の幅広い側面において充実していることが”成功”だ」
というような意味です。

あまり片寄っていることが良しとされない文化的価値観があるように感じます。

例えば、大学の入試基準でも日本のように試験成績だけでは決まらない、とか。
スポーツやボランティア、社会・文化活動、人間性、社交性など、学業成績以外も
バランス良く”優秀”とされる人が、入試で選抜されるらしいですから。

日本は、試験や職業ですら、むしろ逆です。
テストの点数だけで、他人の人生に大きく影響する職種の資格が判別されたり、
大学であれば「一芸入試」なんていうのさえあります。

「一芸に秀でていて、その道では超一流」というのが
日本では高く評価されるような文化背景があるように思えます。

そうした背景の差を考慮することなく
『8つの人生の側面で満足度を測る』という発想を
そのまま取り入れるのは、僕には疑問があります。


もし、そうした吟味をしたいのであれば
もっと無作為に選べるように価値観の項目を沢山用意しておいて、
 まず、そこから10個ぐらい重要度の順位づけをして、
 次に、それぞれに対する満足度を評価していく
というのが良いんじゃないかと思います。


まぁ、それでも実際には、評価は主観的になされますから、
「何パーセント満足か?」という質問に対する答え自体に
その人の価値基準が反映されているとも言えます。

なので、そもそも重視していない分野は、他人と比べたら低く評価されそうでも
本人の中では高い満足度をつける可能性があります。

だから、それほどリスクは大きくなく、
個人個人が自分に都合よくアレンジしながら解釈してくれる
というのが実情でしょう。

ツールがどうこう…よりも、本人が自分に都合よく使ってくれているので
文化的背景の違いが、それほど気にならないで済んでいる、ということです。

例えば、
「毎日なんの痛みも不快感も無く、体調万全で快適な体の状態が100%」
という人もいれば、
「あのときの苦しかった状態に比べたら、こうやって生活ができているだけで100%」
という人もいる。

「自分にとっては仕事が全てだから、遊びの時間がなくても気にならない。
 だから、「遊び・余暇」は実際には何もないけど100点」
そんな風に言える人もいるかもしれません。

だから、そもそも重視していない分野に関しては
評価のための基準が低くなっていて、あまり意識に上がらない可能性もある、と。

そういう許容範囲があることで、誰がやっても、あまり問題なく使えている気がします。

ですが、それは同時に、やっている本人が気づかないうちに
「そうか…、遊びや環境も大事だよなぁ…」
なんて価値観の優先順位に影響を与えている可能性もあります。

はたして、それは無自覚なままでやって良いことなのでしょうか?

僕には抵抗があります。

むしろ個人的には、
『どういう風に生きてきたから、この価値観を重視しているのか?』
という形で自分を見つめていくほうが
ずっと、自分にとって本当に大事なことに気づけると思います。


世の中には、役に立つ手法が沢山あります。
しかし、「どのように役に立っているのか」というメカニズムを理解せずに
闇雲に使っていくのは、危険場合もあるかもしれません。

誰かに役に立つ方法が、別の人にも役立つとは限らないわけですから。

cozyharada at 23:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《カウンセリング講座》
〜セルフイメージの整え方〜


【日時】 2017年4月23日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    303集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


詳細はこちら>>
次回開催は6月の予定


《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜

終了しました

【日時】 9月15日(月・祝)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


詳細はこちら>>


《勉強会》 
終了しました
    
【日時】 3月16日(日)
  夜間 18:30〜21:30


【場所】 滝野川会館
     304集会室

     JR上中里駅より7分
     JR駒込駅より10分
     南北線西ヶ原駅より7分

【テーマ】 変化の流れを考える

>詳細はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード