2012年10月

2012年10月30日

見ている世界が違う

心を”理解する”ための発想として、心理学は
「観察可能」であることを重視したそうです。

それがサイエンスのスタンスだから、と。

ここでいう『観察』とは、必ずしも肉眼による観察だけのことではありません。
顕微鏡や望遠鏡、あるいは計測装置を使って『観察』することも含みます。

ですから、脳波を測ったり、fMRIの画像を見たり、血中濃度を調べたりするのも
サイエンスとして『観察』をしていることになるわけです。

これは哲学が、人の頭の中で進んでしまって
心という目に見えないものをサイエンスから遠ざけてしまったことへ
反論するような意味合いがあったためだと言われます。


にもかかわらず、僕からすると
心をサイエンスで捉えようとした人たちは
人間を全然観察していないように感じられます。

物事を分類するときの条件として「〜が見受けられること」
というのは良くあります(観察されるということ)が、
そもそも、その注目の仕方が大雑把なんです。

本来、サイエンスで機械を使って計測する目的は
人間が識別できる限界以下の情報を区別できるようにするためでしょう。

顕微鏡は肉眼では分からないほど小さな世界の違いを見せてくれます。
望遠鏡は肉眼では小さな点にしか見えないほど遠くにあるものを
拡大することで違いが分かるようにしたものです。

重さを測る「はかり」は、手で持っただけでは正確に言い表せない違いを
100グラムと101グラムの違いとして教えてくれます。

その細かな違いを把握できるように計測装置を使っているんです。
科学者は、そういう仕組みを作ってきたんです。

そうすることで、より細かな違いを『観察』できるようにするために。


一方で心理学で扱われる『観察』できる情報とは
大雑把なものになっていることが多いように感じられます。

つまり、『観察できる』ということが
「パッと見て、分かりやすいほどに、大きく違っている」
という意味になっているんじゃないか、と思えるんです。

例えば「無感情」と定義されるような状態があります。
統合失調症のサブタイプとして観察されると言われるものです。

ですが、僕がそういう「無感情」と呼ばれる症状をビデオで見ると
全く「無感情」とは捉えられません。

多くの場合、「蓄積された悲しみ」と「やりばのない怒り」、「嘆き」が見られます。
僕には、それが『観察』されるわけです。
一般的には「無感情」として、「感情が観察されない」とされるのに、です。

『観察』の仕方が大雑把なんでしょう。
仮に「笑っている」というのを捉えるとしたら
笑っていると判断するために必要な表情筋の変化量が大きいんです。
沢山動いたときにだけ、「変わった」と判断する。

100グラムと101グラムの違いは「変わらない」、
100グラムが200グラムになったら「変わった」と『観察される』感じ。

そういう大雑把な分類のほうが、物事を整理するときに
複雑になり過ぎないので便利だというメリットは分かります。

ただし、それは大多数の人を集合として見るときの観察の仕方であって、
目の前の一人を観察するときの見方ではない気がします。

そこは目的に応じて区別したほうが役に立つと思います。

他のサイエンス分野が計測手段を熱心に開発してきたのと同様に
心理学者自身も、心の内側を細かく識別できるようにする手段を
開発するように取り組んでも良いんじゃないでしょうか。

過去の流れに乗って研究を進めるのは
その分野に認めてもらうために必須なことかもしれませんが、
同時に、新しいことを始めるのも大切だと思うんです。

2012年10月27日

【告知】カウンセリング講座やります

珍しくインターネットで色々なセミナーの紹介ページを眺めました。

それぞれ個性が感じられます。
中には、とても強い想いから発せられるメッセージも見受けられました。

そのトレーナー自身の人生に対する想いが
講座の方向性やスタンスに反映されているようです。

ただ残念ながら、僕にはもう
そうした想いに共感する部分が少ないみたいで。

反論ではありません。
「僕には、そんなことが言えない」というだけ。

いつか自分の考えがまとまったときには
ハッキリとしたスタンスを打ち出すのかもしれませんが、
今の僕には、あえてオススメしたいものは多くないんです。

特にそれが、生き方とか人生とか幸せとかに関わってきた場合には。

ですから、僕の伝えられる内容は、徹底的に技術論です。
ひたすら技術を洗練させていくだけ。

無駄を省き、リスクを避け、最も高確率で
目的にあった結果を出すための方法論とトレーニング。

目的そのものは本人まかせになります。
何を意図したいのかは、その人の価値観ですから。
その人が良いと思うこと、やりたいと思うことのお手伝いをするスタンスです。


そこで扱う中心がコミュニケーションになるのは、
多くの生活の局面でコミュニケーションが関わってくるから。

特に、受け取る側のコミュニケーション能力がトレーニングの大部分を占めます。

カウンセリングを通じて、個人のニーズに合わせたトレーニングをする場合には
幅広い分野に対して技術を上げるお手伝いをしますが、
そこを支えているのが受け取る側のコミュニケーション技術でもあるわけです。

ですから、まず受け取る技術を重視している、ということです。

受け取る側のコミュニケーション技術は、
一対一のコミュニケーションにおいては多くの局面で役立ちます。

とりわけ相手のニーズに合わせて対応をするのには有効な技術でしょう。
ニーズを把握したうえで、求めるものを提供する段階に移れます。

相手の求めるものに応えられるようになるために重要なのが
受け取る側のコミュニケーション能力だというわけです。

ちなみに、プライベートな人間関係では
相手の求めるものに合わせるだけでは自分の気持ちが無視されがちですから
その技術をどのように使っていくかは、やはり人それぞれなんです。

受け取るコミュニケーション能力を高めておいて、
それを使って相手の求めるものを理解できるようになる。
その後で何をするかは、その人の目的によって違います。

ですが原則として、相手の求めるものを理解できるようになっておけば
「自分勝手」や「ひとりよがり」にはならないだろうと思われます。


だからこそ、これまでにも勉強会を通じて
・ペーシング
・ねぎらい
・観察
・焦点化
・リフレーミング
などの技術を中心に扱ってきたんです。

枠組みとしては、様々なカウンセリング技法や
変化をサポートする手法も取り扱ってきましたが、
土台は『相手の求めるものに合わせる』ところに置いています。

○○療法とか、〜セラピーとか、NLPとかコーチングとか
色々な変化の技法がありますが、
それらは全て、この土台の上に成り立つものだと考えているわけです。

同時に、その技術が重要であるためトレーニングも個別になりやすかったんです。
一連の流れとして、変化をサポートするところまで行きにくい、と。

基礎トレーニングをしたうえで、実践的なところまでやろうとすると
技術的に飛躍がありますし、勉強会の時間内でやるのも大変でした。

そこで、そろそろ全体をまとめるトレーニングをやろうかと考えています。

一言でいえば、『カウンセリングのトレーニング』です。

相手のニーズを把握して、
それに合わせた対応まで行う。

本当に実践的な流れを訓練しようというコンセプトです。

変化のサポートの段階には、
シンプルな行動処方や、考え方のトレーニングなども含みます。
そこでNLPや○○療法を練習することは少ないでしょう。

ご希望があれば練習して頂いて構いませんが、
メインの内容は「いかに相手の求めるものを捉えるか」です。

カウンセラーの方、カウンセリングをやろうと思っている方、
誰かの相談に乗る立場の方、お客様のニーズを把握する職業の方…
対象はかなり幅広いはずです。

みっちりトレーニングします。
継続的にやります。
繰り返し練習します。

目標は単純に『上達すること』。
その一点です。

トレーニングの結果として幸せになれるかどうかは
今回の想定の範囲外です。

その点はご了承ください。


形式としては、
 ・一日単位の勉強会
 ・3時間のトレーニング
の両方を組み合わせます。

一日単位でやるほうが、解説の占める時間が増えますし
基礎トレーニングをやる時間も多いはずです。

3時間のトレーニングのほうでは、ひたすら実践形式で練習です。
その上で、1つ1つの技術を徹底的に吟味します。

基礎からシッカリと練習したい方には
一日単位で開催される回へのご出席をオススメします。

一か月に2,3回は開催します。

少人数でやります。

「どうしても、この日にやって欲しい!」という要望があれば
個別にご連絡下さい。
できる限り対応するつもりです。

皆さんの様子を見ながらになりますが、
3,4ヶ月は続くだろうと想像しています。

申し込みのお知らせは、近日中に出す予定です。

11月は
 18日(日)の夜
から始めます。

ご都合の合う方は、まず様子を見に来て下さい。

継続的に取り組んで頂くことで技術もつくはずですが、
流れが染みついて先が見通せるようになると、自信もつくと思います。


こうしてカウンセリング講座を開催することを考えてみると
自分の中にも”強い想い”があることに気づきます。

それは「心は大切に扱うべきものだ」という考えです。

「大切に扱いたい」という意志でもありますが、
実際は、もっと切実な感じがします。

時価数億円の宝石や芸術作品を扱うときに
雑に扱う人はいないと思うんです。

宝石や芸術品の知識が豊富な人はいます。
取り扱い方のトレーニングを受けた人もいます。
しかし、そのことと「大切に扱うか」は別問題でしょう。

何も、恐る恐る取り扱う必要はありません。
壊れない範囲を知っておくのも重要なことです。

それでも気配りは、取り扱い方に表れるんじゃないでしょうか。

そういう『大切な』心の扱い方は、おそらく
このトレーニングの前提にも含まれてくるはずです。

そのことをチョット知っておいて頂けると
個人的には嬉しいところです。

2012年10月25日

流行語

流行りの言葉は、いつの時代もあるものでしょうが
最近、僕が気になるのは『ウチ』という一人称です。

やたらと耳につく。
流行っているんでしょうね。

おそらく大半の女子高生の一人称は、今、『ウチ』じゃないかと感じます。
少なくとも、ここ最近、女子高生風の見た目の人たちが
「私」という言葉を使っているのは聞いた記憶がありません。

僕としては、むしろ「私」という言葉を探すように聞こうとしていますから
『ウチ』だけが気になって耳に入って、「私」を聞き逃している可能性は低い。
なので、『ウチ』の使用率は結構高いんじゃないか、と。

一体どこが流行の発信源だったのかと興味が沸いてきます。

”倖田來未・misono”姉妹の一人称は二人とも『ウチ』だったはずです。
一部関西地域では一般的な一人称なのかもしれません。
マンガ「じゃりんこチエ」も『ウチ』だった気がしますし。

姉妹が女子高生の間で影響力のある人物だとしても
この流行には、それ以上の物を感じるんです。

なんていうか、素直に社会の一般に従うことへの抵抗感のような。

素直に一般的なスタイルに合わせたくない気持ちは
”照れ”のような感情を伴って、良く見られるものだとは思います。
男性の場合、「オイラ」なんていうのは、チョット近いかもしれません。

まぁ、若者言葉としての『ウチ』は、さらに
「社会で”正しい・良い”とされる規範に対する抵抗」
といった意味合いも追加される気がしますが。
 (もし「一般」に合うことが嫌なんだとしたら、
  流行に従うことにも抵抗するでしょうから。)


ラテン語系だったら、文法上、主語を省略することが少ないせいか、
人称代名詞にはバリエーションが無いようです。

日本語は、歴史的にも人称代名詞のバリエーションが豊富です。
そこに地域差として生まれたバリエーションが加わるので沢山の言い方がある。

ですから、こういう一人称の代名詞にも流行があるのは自然なのかもしれません。

とはいえ、なぜか『ウチ』が聞こえてくるとき
なんともいえない気分を味わいます。
ちょっと怖い感じに近い気分。

多分、あまりにも女子高生独自の文化を作ろうとしている印象というか
過剰なまでに他の社会構造から分離しようとしている雰囲気を
僕が勝手に感じているからだろうと思います。

これまでにも流行ってきた女子高生特有の言葉があったようですが、
『ウチ』は、それらとは違った意味合いがある気がするんです。

強烈な世代の断絶が生まれそうな予感とでも言いましょうか。

実際、『ウチ』は女子高生よりも下の世代にも影響がありそうです。

先日、小学生の女の子が『ウチ』と言っていたのを聞いたときは
かなりビックリしたものです。


社会に出てきた若者に対して
「最近の若者の考えは分からん!」
というのは簡単です。

理解しようとすると大変なことが多いんでしょう。

もしかすると、それは理解し始めようとするタイミングが
すでに遅いんじゃないだろいうか、ということなんです。

その人たちが小学校、中学校、高校を過ごしてきたとき
どのような文化にいたのか。

単なる遊びや流行という意味ではなくて
言葉遣いやコミュニケーションスタイルが
どんなものだったかが重要でしょう。

その辺りから知ろうとする姿勢も必要になるかもしれません。

2012年10月23日

ウソの見抜き方の本

この本はオススメです。

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テーマは「ウソを見抜く」なので内容はウソに終始していますが、
観察をするうえで最も重要なポイントが強調されています。

良くある”非言語メッセージ”や”感情”を読みとるタイプの内容だと
「こういう表情・動作のときには、○○だ」と短絡的な結論になるものです。

心理読み物やビジネス書のテイストが強まると
その傾向はさらに増加します。

が、この著者が強調しているのは
『ベースラインを把握して、ベースラインとの違いを捉える』
という部分。

ここが、僕の最重要視する部分と一致しているんです。
(ちなみに僕は『基準を作る』という表現をしていますが)

だから読んでいて「そうそう、そうなんだよねぇ!」と共感できるわけです。

まぁ、その意味では「新しいことを学んでいない」と言われるかもしれませんが…。


基本的なウソの見抜き方は、ウソをつくときにかかるストレスを前提にして
ストレス下で起こる言語的・非言語的反応の特徴を把握することで
「この内容のところでストレスが大きくなったようだ…、ということは怪しい」
と発想するスタイルと言えるでしょう。

ですから、人それぞれストレス下での反応が違うので
ベースラインと反応の特徴の両方を知っておく必要があります。

もちろん、本書はそこを強調しています。

その上で、良く起こりやすい反応のパターンを
チェックポイントとして挙げてくれているんです。

つまり、
 人がストレスのかかった状態になると
 どのような反応をしやすくなるか
という一般論を沢山提供してくれているわけです。

そして、どの一般論が目の前の人に当てはまるかを確認するのは
本人がその人のベースラインを把握したうえで変わってくる、と。

ですから、ストレスがかかったときの
言語的・非言語的反応の知識を増やしたい場合には
ものすごくストレートに役立つはずです。

もちろん、ウソを見抜きたい人も役立つでしょうが。


なお、僕にとって重要なのはウソを見抜くことではないので
もっと様々な種類の感情と価値観を見るようにしています。

何より、僕はウソを見抜きたいとも思いませんし。

ウソをついているかどうかよりも
その背後に何が起きているかのほうが大事だと感じることも関係します。

正義にも興味がないんです。

2012年10月21日

10万

どうでもいいことなんですが、
ブログの総訪問者数が10万アクセスを超えました。

もちろん、のべ人数ですが
結構長く続けていたんだなぁと実感します。

単純に、もっと数字を稼ぐ方法はあったとは思います。

ただ、そっちはそれほど重要ではなくて
なんとなく自分にとってのキリの良い数字という感じです。

毎日、ちょっとずつ貯金箱にお金を入れていたら
10万円貯まっていました、っていうような。


継続することそのものに対しては、
先々の具体的な目標を立てて達成感を期待するよりも
毎回の成果に小さな喜びを感じるほうがモチベーションは沸きやすいようです。

その意味で、僕は毎回のブログ更新に対して
それほどモチベーションが高かったわけではありません。

まぁ地道に続けておこうという程度。
そんなにキッチリした習慣にもなっていませんから。

とはいえ、もし僕がブログの10万アクセスを目標にブログを続けていたら
「どうしたら訪問者数を上げられるか?」
「どんな記事だとアクセス件数が多いのか?」
「どのブログのシステムを使うのが一番効率的か?」
などと考えながら試行錯誤を繰り返していたことでしょう。

そういう改善のための工夫をしたくなるのは
大きな目標に向かってモチベーションを高めたときの特徴です。

同時に、おそらく
「全然、アクセス数が伸びない…」
「こんなペースでは、いつまでたってもダメだ…」
などの気持ちも味わって
続けることへのモチベーションが失われやすかっただろうと想像されます。

そして、段々とヤル気が下がっていく。

上手くいっているうちは、大きな目標を立ててもモチベーションが続きやすいですが
空回りしだすと、その目標そのものが負担になって続きにくくなる。

その目標自体が本人にとって大きな価値のあるものであれば別ですが、
僕にとってのブログのように「なんとなくの行動目標」となっている場合
具体的で大きな数字目標を立てたりすると、逆効果になる可能性があるわけです。

シンプルに継続することだけを目標にして
続いていることが当たり前になるようにしてきた結果、
最初は見えなかった数字を見ることができた。

僕は個人的に、そういう数値目標を立てて何かを続けることを
あまり好むほうではありませんでしたから、
ブログを通じて数字で実感できたことが、新鮮だったんだと思います。

cozyharada at 23:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

2012年10月19日

ミラーニューロンの問題点

これまでにも何回か、このブログの中で
『ミラーニューロン』について書いたことがあったと思います。

僕の基本的なスタンスは、ちまたで言われる(アカデミックなレベルも含め)
ミラーニューロンの機能に対しては、懐疑的です。

というよりも、ハッキリいって
現象の解釈が間違っていると考えています。

それはミラーニューロンに関する論文の実験内容から想像できることです。

多くの主張は、こんな感じでしょう。

人間には『ミラーニューロン』という神経細胞が脳の中にあって、
他人がしている行動を見たときにも、自分がその行動をしたときと同じように
そのニューロンが活動する。
(最初は猿で見つかったものです)

他の研究では、感情を伴った表情の写真を見せたときにも
その感情に対応しそうな脳の部位が活動するケースもある。

例えば、嫌悪感を示す表情を見たときには
嫌悪感を覚える食べ物を食べたときに反応する脳の部位が活動したので、
嫌悪感は味覚としての不快感と共通する仕組みを使って
相手の感情を共感的に受け取っている、など。

そこから導かれる結論が通説になっていて、それは
 ・ミラーニューロンがあるから、人は他者に共感することができる
 ・ミラーニューロンがあるから、人は他者の行動を模倣することができる
といったものです。


1つ目のほうに対しては、まぁ半分ぐらいは合っていると思います。

ミラーリングをして相手と同じ動作や姿勢を取ることで
相手の状態を感じ取ることができる傾向は、現実的に見受けられます。

そうすると、そこを発展させて訓練していけば
相手と同じ動作や姿勢をしているときと同じニューロンが発火することになって
わざわざ詳細なミラーリングをしなくても、
ミラーリングを通じて感じ取れる情報を自覚できるでしょう。

なので、その意味では『ミラー』と言えると思います。

ですが共感は、おそらく、それだけで成り立っていない気がします。
良く分からないですが、ペーシングを通じた同調というのが実感できますから。
この解明には時間がかかるでしょうし、認めてもらうことすら困難かもしれません。

ということで、共感に関しては、ミラーニューロン説は半分ぐらい同意できます。
ただし、ミラーニューロンというものが生まれながらに存在するとは考えていません。


もう1つのほう、模倣に関しては、ミラーニューロンは無関係でしょう。
実際、こっちの説明は危うい。

確かに、人が生まれながらに模倣をすることができるのは、事実として知られています。

生後2,3日の乳児の前で、親が舌を突き出すと
その乳児も同じように舌を突き出すという報告があります。

これをミラーニューロンと関連させようとしているようなんです。

ですが、それは違うと思います。
無関係だと考えます。
無関係だけど、そういう仕組みがあるんです。

もし、これがミラーニューロンによるものだとしたら
生後数日の段階から模倣の時に活動する部位があることになります。

ところが、ミラーニューロンとして知られている部位は複数あります。
それぞれの動作によって活動する場所が違う。

生まれた直後から、そんなに沢山の模倣のための機能を
脳のいろいろな場所に準備させておくでしょうか?

仮に生得的に模倣のための部位が脳の中にあるなら、
それは一か所で代表しておいて、様々な動作の模倣に対して
共通して使っていくほうが自然でしょう。

でなければ、無限に近い数存在する人間の動作の違いを
全て模倣を通じて学習することは現実的に不可能だと思われます。
数が多すぎますから。

舌を突き出すためのミラーニューロン、
嫌悪感を示すためのミラーニューロン、
コップを握るためのミラーニューロン、
物を食べるためのミラーニューロン…
そんな風に沢山の部位を、生まれながらに用意しておけるなら
臨界期の学習が重要になることも説明できないはずです。

生まれながらに持っている模倣のための機能があるとしたら
その部位は限定されているほうが自然で、
だとすると一か所を流用しながら成長していくことになるので
複数のミラーニューロンが見つかることはありえません。

ミラーニューロンと呼ばれるものが、動作の種類ごとに複数見つかっている。
そのこと自体が、それぞれの部位が学習の成果であって
生得的に存在しているものではないことを意味しているといえます。

なのに、
「人が模倣を通じて学ぶことができるのは、ミラーニューロンがあるからだ」
という主張が平然とまかり通っているわけです。

個人的には、生後直後から見られる模倣も
同調のレベルで起きていると想像していますが、
実際に何が乳児の中で起きているかを実験的に示すのは大変でしょう。

仮に、この模倣のときに活動する脳の部位を調べようとしても
生後数日の乳児でfMRIを取るのは現実的ではないでしょうし、
脳の発達がまだ途中ですから、データを比較をすることもできないはずです。

動物実験が許される範囲だと思いますが
実験をデザインするのは大変じゃないかと予想します。


ということで、
「生まれながらにミラーニューロンが存在しているから
 人は模倣することができる」
という結論は、因果に矛盾点があると思うんです。

しかし、ミラーニューロンに関する説明は
どこを見ても同じようなものばかり。

また聞きの情報を更にセミナーで伝えるような人たちが
都合の良い解釈をしているのは良くあることですが、
アカデミックなレベルでも主流なようだったのが残念だったんです。

ところが。

最近仕入れた情報によると、
僕と同じような視点で疑問を持っていた研究者がいたようで、
「ミラーニューロンが生得的なものではない」ことを示すような
論文が発表されていたんです。

まず、人差し指の動きに対するミラーニューロンが特定される。
他の人が人差し指を動かしたときに発火するニューロンで、
かつ本人が人差し指を動かしたときにも発火する。

見ているだけで、自分が動かすときと同じニューロンが活動するのだから
これは『ミラーニューロン』だというわけです。
これまでの話でいうなら。

そこで、被験者に新たなトレーニングをしてもらいます。

他の人が小指を動かしたら、自分の人差し指を動かす。
この作業を繰り返し行って学習をします。

すると、他の人が小指を動かすのを見ただけで、
先程『ミラーニューロン』だった場所が発火するようになった。

つまり、”ミラー”じゃなくなったんです。

推測されるのは、
その部位は「人差し指を動かす」という動作に対応する運動ニューロンであって
視覚情報としてインプットされる他人の人差し指の動きも関連付けられていた
ということでしょう。

そこに小指の動きという新たな関連付けを追加したら、
「小指の動きをみる」という視覚情報にも反応するようになった、と。

結局、なんのことはない、単なる1つの動作に対応する部位だということです。

まぁ、実際には、
「高度な動作に対しても1つの運動ニューロンが特定できる」
ということは興味深いことなんですが、
それは『ミラー』とは無関係だろう、といえるわけです。

動作だろうが表情だろうが、特定の行動パターンが概念化されて
それに対応するニューロンが作られていると考えられます。

だから沢山見つかるんです。

そして沢山見つかってきたミラーニューロンと呼ばれていたものは、
「それがあるから模倣ができる」という仕組みのものではない。

自分のしている動作と、他人のしている動作が同じものだと分類されたから
他人の動作を見たときにも発火している、というのが実態でしょう。

「同じだ」と捉えたときに、自分が同じ動作をするときのニューロンが発火するのは
それによってミラーリングを通じた共感を可能にする仕組みではあると思います。

だから共感に関する説明として半分は合っていると言える。

でも、だからといって
”人は生まれながらに、他人の行動を自分のことのように体験する仕組みがある”
とは言えないはずです。

見つかっていないだけであるかもしれませんが、
それは今までに見つかっている『ミラーニューロン』とは別物です。


そういう話を、論文として示した人たちもいたんです。

僕にしてみれば
 「ほら、やっぱり」
という感じですが、
5年以上前の論文なのに、通説が一向に変わっていないのが残念です。

一般に言われるミラーニューロンの説明は大部分が間違っている。
情報を論理的に整理すると、その結論のほうが説得力があるはずです。

2012年10月17日

10月28日、勉強会

10月・ゼミ形式の勉強会のお知らせ

詳細は先の記事に書きましたので省略しますが、
ゼミ形式の勉強会のご案内です。

お互いに議論を通じて、知識と理解を深めましょうという内容。
今回のテーマは『心理学』に近いものになると思います。

心理学には幅広い内容が含まれますから、
知っておくと役に立つ内容も沢山あります。

意外と興味深いのが「オリジナルに触れる」ということ。

多くの場合、誰かから伝え聞いたり、ある分野の人の解釈が加わったりして
少なからず歪曲された情報をインプットしてしまうものでしょう。

特に”最新”とされる技法を学んだ場合には、
”古い”理論を問題のあることのように習うことがあります。

「傾聴だけのカウンセリングでは効果がない」とか
「精神分析的な原因探しは良くない」とか。

しかし、ロジャースやフロイトそのものに迫っていくと
実際に噂で伝え聞くものよりも、深い洞察があることが見えてきます。

断片的な情報だけを捉えて拒絶するのは、
「”目の動きで何を考えているかが分かる”なんて、NLPはウソだ」
という議論の仕方と同じでしょう。

しっかりと踏み込んでみると見えてくるものがあると思います。

心理学の中にも、そういう側面があるはずです。

ですから、何回かは『心理学』と絡めた勉強をしてみる予定でいます。

形態としては、
 発表を聞いて議論をする
という方式。

一言でいえば、皆で勉強しようということです。
本を読むのでは得られない学びがあるのは確実でしょう。

人の心やコミュニケーションに興味のある方には
面白い内容だろうと思います。

ご都合が合えば、試しに来てみて下さい。



詳細は以下のとおりです。




【勉強会の詳細】

≪ゼミ形式≫
【日時】 10月28日(日) 18:30〜21:30
       ※終了時間は前後する場合があります。

【場所】 北とぴあ 806会議室
    (JR京浜東北線・王子駅 北口より徒歩2分)
    (東京メトロ南北線・王子駅5番出口直結)

【参加費】 ・・・2,000円程度(会場費+α)
       当日、会場にてお支払いください。
       参加費は後日あらためてお知らせします。

【テーマ】 心理学関連




 ※もし発表者をお知りになりたい場合には、
  申し込みフォームの「ご意見など」の欄にご記入ください。


終了しました

今後、この勉強会がどのような形になっていくかは決まっていません。
まずは試しにやってみて、どんなものか感じてみて下さい。

思い返すと、研究職のときには『抄読会』というのをやっていたものです。
研究員が”自主的に”集まって論文を紹介し合うという趣旨の会でした。

当番が決まっていて、交代で内容をまとめて報告する。
もちろん、半ば義務的になっていたわけですが、
それでも自分で担当した回の内容は今でも記憶に残っていますし
ディスカッションそのものが学びになっていたと感じます。

講義を聞いて学ぶ方式もあれば、
お互いに議論をして学び合う方式もあるわけです。

当番とまでいかなくても、自分に課題を設定する意味でも効果的かもしれません。

学びたい人が学び続けられる場となれば何よりです。


それでは当日お会いできることを楽しみにしています。

2012年10月15日

ゼミ形式で勉強をする

以前に開催した『ゼミ形式の勉強会』ですが
次は、10月28日(日)の夜間(18:30〜)で予定しています。


基本的には”ゼミ形式”なので
ご参加の方々がお互いに学び合うのが目的です。

ですから”セミナー”ではありません。

理想的には、色々な発表者がテーマを決めて内容を解説して
それに対してディスカッションしていくような形を考えています。

中には、ビデオを見て議論するような機会もあるはずです。


今回は、その一回目ということで
心理学やカウンセリングあたりをテーマにします。

すでに発表の担当の方にはお願いをしてあります。
これまでに勉強会に参加したことのある方ならご存知のはずです。

本質的には、誰が内容をまとめるかは学びの程度とは関係が薄いと思っていますので
あえてお名前までは出さないことにしますが、
気になる方は「申し込みフォーム」を通じて質問して下さい。
(申し込みは近日中に案内を出します。)

何かを学ぶときには、誰かから教わることも効果的ですが
自ら調べて勉強するのも役に立つものでしょう。

もっと言えば、内容をまとめて説明すること自体が
大きな学びになるのは、多くの方が実感されていると思います。

そして、他人が整理して説明してくれている内容を
自分の知識や体験と関連づけたり対比させたりすると、
新たな視点や気づきが得られたりするものです。

誤解を恐れずに言うと、同じ時間だけ本を読むよりも
他人とディスカッションするほうが効率的かもしれません。

当然、分からないことや新しく疑問が生まれたりすることもあると予想されます。
そこで気になったものを自分で調べると、これが記憶に定着しやすい。
興味を持って能動的に学びとろうとしますから。

なので、ゼミ形式は”勉強の場”として有効だと考えているんです。


スタンスとしては
 ・偏りなく
 ・客観的に
 ・統合的な
理解を目指すつもりです。

だからこそ、幅広い視点からの意見が交換できると望ましいんです。

参加費は、ほとんど会場費の頭割り(+α)ぐらいになる予定です。
ですから、当日まで参加費が不明なのが困りどころ。

どんなに高くても2000円(3時間前後で)だろうとは予想していますが。
(お知り合いと一緒に来ていただくと割安になる仕組みです)


先日、ある本を読んでいたら
「これからは小規模な勉強会から新たなものが生まれる時代になる」
と書いてありました。

その人の予測が合っているかは知りませんし、
この勉強会から何かが生まれるのかは分かりません。

ただ1つ言えるのは、勉強するのが楽しいことに気づき始めると、
楽しく勉強を続けられる場が減っていくように感じる人がいる、ということです。

多分、この形式が楽しい人たちがいるはずです。

まずは楽しいかどうか、参加してみて下さい。

近々、申し込みフォームを掲載します。

2012年10月13日

”原因”を詳しく見てみる

『原因』という言葉の曖昧さには、注意が必要な気がします。

英語の場合には「 cause 」ですが、ここには更に
「 A → B 」のように、「AがBを引き起こす」の意味でも使われる。

つまり、何かを引き起こす”元”を『原因』という、と。
それで、「原因―結果」で、”因果”になる。


ですが、この中には必ずしも、『仕組み(メカニズム)』が含まれていません。

ただ順番があるだけ。
特に心理学の場合には、その傾向が強まります。

「 A → B 」が、「AならばB」の意味になるときが多いように見受けられます。

「 B → A 」ではない。
それは確実にするようには注意しているようですが、
そこすらも注意していない場合もあります。

AとBの間に関連性があるなら、それはただの『相関』なんです。

順番が分からない。
どっちが先か分からない。

全く別の要因によって引き起こされているかもしれません。
「 C → B 」、「 C → A 」となっていて、Cという条件があるから
AとBは同時に起こる。
そういう可能性もあります。

それが『相関』。

なので、『相関』なのか『因果』なのか
…そこに注意するのは、一応、学校教育で習う範囲となります。

とはいえ、『相関』と『因果』を区別できたとしても
『因果』の中身を見ようとしなければ、それは単なる『傾向』に過ぎないと思うんです。

例えば、車を運転するときに「アクセルを踏めば、スピードが上がる」のは当然で
「アクセルを踏む→スピードが上がる」には、順番があります。

これは『因果』と呼ばれます。
「スピードが上がる」の『原因』が、「アクセルを踏む」になる、と。

確かにそうでしょう。
ですが、これはあくまで、目に見える”動作”レベルでしか説明をしていません。

アクセルを踏むと、車の中で何が起きるのか。
どうやってエンジンの回転数が上がって、それがどういう風に動力になるのか。

そういう説明が『仕組み(メカニズム)』だと言えます。


心理学の本などを読んでいると、この辺が曖昧なんです。

「生物学的原因」とか「生理学的原因」とか「社会文化的原因」とか。
色々な『原因』が複数重なり合っている、なんて説明するんです。

「脳の中で何が起きているか」というのは、原因じゃなくて『仕組み』だと思うんです。
「こういう遺伝子を持っていると、このタンパク質の機能が弱まって、
 その機能低下がこんな生理状態を生み出して、こういう症状が出ます」
というのは『仕組み』を説明していますし、かつ「遺伝子が『原因』だ」と説明しています。

心理学の人は、そのように説明に際して中身に注目する発想が少ないのかもしれません。
それはおそらく専門外なんでしょう。

だから、「一人ひとりの中で実際に何が起きているか」という発想が生まれにくい気がします。

 ストレスも原因の1つ、
 文化も原因の1つ、
 遺伝子も原因の1つ、
 家庭環境も原因の1つ、
 トラウマ的体験も原因の1つ…
 色々な原因が重なって、こういう状態になっているんだ!
そんな説明が多いのは、『原因』と『仕組み』を曖昧にしているからじゃないかと感じます。

全てがどうやって絡み合って、実際にその状態を生み出す中身はどうなっているのか?と、
車のアクセルを踏んでからスピードが上がるまでのストーリーを全てするように
『仕組み』を説明する努力は、心理学の主流じゃないようなんです。

僕には残念なことですが、仕方ないんでしょう。

勉強の仕方の方向性が違いますから。
心理学の人は、皆、そういう勉強の仕方をしてきている流れが既にありますし。

ただ、僕の勉強の仕方が化学や分子生物学をベースにしてるだけなんでしょう。
そのトレーニングをした上で、さらに心理学の歴史によって積み上げられた知識も
併せて勉強していかないといけないとしたら、それは大学生には大変過ぎます。

現実的に、実用的に考えたとき、仕方のない部分は色々とあるものですね。

2012年10月10日

スピード

心理療法やカウンセリングを評価する際に
 「どれぐらい短期間で効果を出せるか」
という指標が使われることが良くあります。

注意しないといけないのは、これはあくまで回数の問題であって、
「短時間に」という意味には必ずしもならないということです。

例えば、恐怖症のような場合には15分ぐらいで問題が解決することもあります。

これは、単純なアンカーとしてコントロールできない反応があって、
それが問題となっているために、そのアンカーを変えられることさえできれば
その瞬間に「問題が解決した」と言えるケースです。

それ以降、そのアンカーが作動しなくなれば良いからです。

この場合、アンカーの結びつきが強いために特殊な作業が必要になりますが、
その作業が効率的であれば、短時間で問題が解決できるというわけです。

恐怖症に対して傾聴をしていても、アンカーにアプローチできない限り
効果が薄いでしょうから、話を聞くタイプのカウンセリングと比べると、
一部の技術は圧倒的に「短時間で」効果を出せることになります。

まさに”分単位”で問題が解決されれば、
何年もカウンセリングに通っているケースと比較すると
とても有効なように思えるのが自然なことでしょう。


しかし、これはあくまで
 恐怖症が、そういう風に短時間でも解決できるタイプの問題だ
ということだと知っておく必要があると思います。

問題のターゲットが明確なんです。
その恐怖を生み出す対象をクリアできれば
それで問題が解決する。

一方で、もっと複雑に絡み合った問題もあります。

この場合には、『短期間』で(※「短時間」ではなく)効果を上げるのに
問題の中核を絞り込んで扱う必要が出てきます。

ピンポイントで、一番厄介なところを変えられれば
そこから引き続いて問題が解決されていくケースだと言えます。

それでも、問題が解決されていくのは実際のセッションの後、
日常生活に戻ってからなんです。

日常生活で厄介だったところが変わることで
徐々に良い方向に影響が広がっていって、
時間をかけて状況が良くなっていく。

ですから、たとえ一回のセッションで、そうした変化を生み出したとしても
問題が「アッという間に」解決したわけではありません。

キッカケとなる変化を生み出して、それが長続きして
良い循環を生み出していくように働きかけているわけです。

同様に、家族の関係を調節して、
少しずつ効果が積み重なっていくようにアプローチすることもあります。

これも一回のセッションで関係の調節を行って、
場合によっては関係性を調節するための宿題を出して、
その後の日常生活を通して問題を解決していくものだといえます。

実際の変化のプロセスは、むしろ日常生活のほうにあるんです。
時間がかかっているんです。

一回のセッションをキッカケにして、少ない回数で問題が解決したとしても
それは、そのセッションの1時間で問題が解決したのとは違います。


まして、物の見方や考え方が変わることだけで、本当に
問題だと思っていたことが解決したとしたら、
それは、そういう時期に来ていただけのことです。

もう準備ができていたんです。
それだけの土台があった。
違う見方を受け入れられるキャパシティがあったんです。

「あぁ、そうか!そうですね!」なんて具合に
ハッと気づいた感じで問題が解決したなら、
それは本人の力が十分にあったからだということです。

これを「一瞬で問題を解決する技術」だと勘違いしていると、
無理やり気づかせようと頑張ってしまうことになりかねません。

手を変え、品を変え、色々と質問したり、言葉をかけたり…。
それでコミュニケーションが空回りするような状況があるとしたら、
まだ、相手はその準備ができていないのかもしれません。

もっと先にしておきたい大切なことがあるんでしょう。

あるいは、そんなに簡単に解決して良いほど
気軽な問題ではない可能性もあります。


早く解決すれば良いっていうものではないはずです。

「一瞬で問題を解決する」とか
「アッという間に問題を解決する」とか
そういう謳い文句には注意が必要な気がします。

苦しみから楽になるのは早いほうが良いと僕は考えていますが、
気が楽になってから問題解決までの道のりは
必ずしも早ければ良いってものではないと思うんです。

必要な時間と必要なプロセス、
それと余剰なものとを区別できるのが大事じゃないでしょうか。

cozyharada at 23:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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