2013年03月

2013年03月10日

期待が影響に変わる

人は結構、お互いに影響を及ぼし合っているものです。

言葉を介さなくても、表情とか声のトーンとか、
もしかすると他の何かの媒介とかによって、
一方の気持ちや状態が相手に伝えられるわけです。

一瞬の感情の変動であれば、チョットその瞬間だけ不満が表れて
それが声のトーンに乗っていたとしても、相手が気づかないことはあります。

コミュニケーションの受け取り手としてトレーニングを積んでいると
そのような見逃しの可能性は減ってくるでしょうが、
特に訓練をしないで生活していれば、
相手の瞬間的な感情の変化に気づかないのは特別ではないでしょう。

しかし、これが何度も表れたり、最初から最後までずっと続いていたりすると
その影響力は高まっていきます。

何かへの不満があって、それがずっと続いているとしたら
「今日の課長、機嫌悪いわね」なんてことになるわけです。
多くの人が気づけるようになります。

そして、その「不満」のメッセージを受け取って、
それに応じた対応をするようになるはずです。

「今日の課長は機嫌が悪いから、あまり近づかないようにしよう」とか
「これの報告をしないといけないんだけど、伝え方は気をつけないと…」とか
「この前のミスの報告は、明日にしようかな…」とか。

同様に、ある人が「ウキウキしている(喜び)」としたら、
その喜びの感情もメッセージとして他人に伝わります。
そして、それが他人の振る舞いに影響を及ぼす。

「今日は課長の機嫌が良いから、この間のミスの報告をしておこう」とか
「今日は気さくに話しかけても大丈夫そうだ」とか
「あの件の提案は、今のうちにやってしまったほうが良いかな」とか、
そういった違いを生み出すわけです。

当然、そのような振る舞いの違いには、実際に会話をする際の
体の姿勢や声のトーン、身体反応なども含まれます。

不満のある人へ話しかける声のトーンや、近寄っていくときの歩き方と、
喜びに溢れた人へ話しかける声のトーンや近寄り方は、自然と別物になるものです。

逆に言えば、こういう使い分けを自然にしないと
「空気が読めない」と周りから言われるようになってしまうでしょう。


ある人の気持ちや感情、想いが、その人自身の振る舞いを左右する。
それが非言語のメッセージや行動内容、発言内容に表れる。

そのメッセージを受け取った他の人は、気持ちや状態に変化が生まれ
行動や発言などにも変化が出てくる。

そういう影響があるんです。

こうした影響は、受け取り手が自覚して対応を変える形で表れることもありますし、
受け取り手が全く無自覚なままで自動的に対応を変化させる形をとることもあります。

機嫌の良し悪しぐらいなら自覚して対応を変化させる人もいますが、
もっと咄嗟のストレスフルな状況となると自動的な対応になることも多いようです。

最初にメッセージを受け取った人が無自覚なまま対応を変える。
それを再び、最初の発信者が無自覚なまま受け取って対応をさらに変化させる。
…相互作用が始まるということです。

ケンカが始まると「売り言葉に買い言葉」となる、
クレーム対応の仕方によってクレームがドンドン悪化していく、
気まずい関係を取り繕おうとして空回りする…。
色々な「悪循環」があると思います。

そういう影響は無自覚なレベルで進行するんです。
しかも、かなり多くの場面で。


自信がある人は、自信のある雰囲気を発して、
周りの人はその雰囲気を感じ取って「自信のある人に対する関わり方」をする。
結果として、その人はカリスマ的な立場になったり、
周りの対応を見て「やっぱり自分はスゴイ」なんて自信を高めたりするわけです。

優しい人は優しい振る舞いをしますから、
周りからも優しい人として扱われる。
色々な期待を受けるようになって、優しさを発揮する機会も増えていく。
結果として、さらに優しい人としての立場を確立していきます。

相手を「ダメな奴だ」と思っていれば、そのような態度が自分の振る舞いに表れ
そのメッセージが相手に影響を及ぼします。
プレッシャーとして受け取られたり、侮辱と受け取られたり。
相手はヤル気を失ったり、委縮してパフォーマンスが落ちたりして
結果的に上手くいかない可能性を高めてしまう。
「ダメな奴」という見方が、さらに相手を「ダメな奴」にしてしまう。

「うちの部下は自分の意見を言わない!」なんて怒っている上司が、意外と
「おい!もっとハッキリ言いたいことを言え!
 自分の考えもないようじゃ社会人失格だろう!」
なんていう言い方をしていたり…。
その態度が部下を何も言えなくさせてしまう、というケース。

心理学では『自己成就的予言』なんて呼ばれるものに当てはまりそうです。

言語的、非言語的メッセージなど、多くの媒介を通じて
本人の内面にあるものが相手へと伝わって、影響を及ぼす。
それが評価や予測、期待になっている場合、自己成就的予言と呼ばれるのでしょう。

ですが、多くの点で人は相互に影響をし合っているんです。
そして、その相互作用に無自覚なことが圧倒的に多い。


それがカウンセラーやセラピスト、コーチ、トレーナー、研修講師などでもあるんです。

「クライアントの涙がカウンセリングが上手くいった証拠だ」と思っているなら、
その期待が数々のメッセージを通してクライアントに伝わり、影響を及ぼします。
泣く方向へと進ませているわけです。

何も、涙が不要だと言っているのではありません。
涙が自然と流れることはありますし、それが価値のあることも多いものです。

一方で、必要以上に泣かせようとするカウンセラーや、
泣かせたいセミナー講師がいるんです。

それは映画を作るときに、「どこで感動してもらうか」というのと似ているかもしれません。
製作者の意図だということです。

映画は製作者の想いを表現して、観客に参加してもらうコミュニケーションです。
その意味で、観客はコミュニケーションの主体ではありません。
観客は聞き役であって、話し手の内容に感情移入して涙するわけです。

それに対して、カウンセリングの主役はクライアントじゃないでしょうか。
そのクライアントの体験を涙の方向に導くような影響をカウンセラーが発している。
その影響の出し方に対して、無自覚だという話です。

セミナーの場合、講師によって意図があるでしょうから
感動してもらうことを意図して組み立てても構わないとは思いますが、
その背後にどんな考えがあるのはか気になるところです。

一回のセミナーに感動してもらうことが目的なのか、
クライアントが日常生活に戻ったときに役立つのが目的なのか。

セミナーで生涯の友人と出会う、なんていうのも素敵なことでしょうから、
そういう意図で感動的な場を演出するのは意味のあることだと思います。

重要なのは、そうした意図を自覚してやっているか?ということ。

意図が自然と影響していくことがありますから。

カウンセリングでもセミナーでもコーチングでもセラピーでも営業でも教育でも、
あらゆるコミュニケーションにおいて、
自分が「思っていること」を自覚するのが重要だという話です。

自分がどこからか仕入れてきた勝手なイメージの世界に
相手を巻き込んでいっている可能性がある。

頭では
 「カウンセリングにおいてはクライアントの進みたい方向に合わせるだけ」
と説明しておきながら、同時に
カウンセリングに対する勝手なイメージとして
 「クライアントが心を開き、涙を流せることが素晴らしい」
という想いを持っていたとしたら、
クライアントは結局、涙を流しながら心を開く方向に導かれていって
進みたい方向ではないところに行ってしまうことがあるわけです。

そういう矛盾のないように、自分の想いを自覚しておくことが大切だと思うんです。

2013年03月07日

夢がかなうには

世の中には、色々と『成功法則』やら『引き寄せの法則』やら
夢や目標が叶うための方法論が沢山あるようです。

根拠や説明の流れは良く分かりませんが、少なくとも
「それで夢がかなった」という話が前提にあるのかもしれません。


しかし、その一方で、
あれだけその方向性の情報が発信され続けるということは、
「その方法で夢がかなう人は全員ではない」という可能性も想像されます。

つまり、色々な方法が紹介されていても(だいたい共通点があるようですが)
それが上手く機能する人と、しない人がいる、ということです。

もちろん、時間の枠組みとして、もっと先の未来で夢がかなう場合もあるのでしょう。
ですから「まだ達成されていない(けれど、その夢は必ずかなう)」となる。

そのような可能性を踏まえたとしても、やはり夢や目標の達成しやすさには
「どれぐらい早く」、「どれぐらいの確率で」という点で
個人差があるような印象を受けます。


そうすると、視点を変えれば、こういう発想も可能になるんじゃないでしょうか。

「達成される夢・目標と、達成されない夢・目標がある」

つまり、その人にとって達成されることと達成されないことが両方ある。
もっといえば、達成される時期も、その人にとって決まっている。

成功法則や夢がかなう方法を試して「上手くいった」と実感できた人は
ただ、本人にとって「達成される夢」を目標として設定していたに過ぎない、
…という考えです。

運命論のようですが、
 なんでもかんでも達成されるわけではない
ということを強調したいんです。

重要なのは、誰も「興味のないことは夢や目標として捉えない」ということです。

例えば、僕は今のところサッカーに興味がありませんから
「メッシと握手がしたい」という夢は思いつきません。
子供の頃から「サッカー選手になりたい」とも思ったことはありません。

「投資で何千億円という金額を動かしたい」とも思いませんし、
「カリブ海の島でのんびり暮らしたい」とも思いません。

人には、それぞれ関心のあることと、関心のないことがあるわけです。
なぜか好きなことがあるんです。

そして、それらの関心ごとに対して夢や目標が生まれてくる。

こういう流れがあります。


ところが、社会で生活をしていると
「達成しなければならない目標」や「期待されている目標」とも遭遇します。

あるいは、周りの人に影響されて生み出される夢なんかもあるかもしれません。

「達成したい」と思っていることの中にも色々な種類があるんじゃないか、と。
その色々な種類の中に、「達成される夢や目標」が含まれている。

夢や目標が叶う人というのは、
 「達成される夢や目標」を「達成したいこと」として捉えている人
なんじゃないかという話です。

言い換えるなら、
 「達成される夢や目標に気づいている人」
のような感じ。

もしかしたら、本当に心の奥底から「達成したい!」と感じていることは
自然と達成されるようになっているのかもしれません。

成功法則や目標達成の方法なんかを使わなくても
本当に心の奥底で望んでいることは叶うのかもしれません。

むしろ重要なのは、その「心の奥底で望んでいること」を
自分の夢や目標として自覚できるかどうか、なのかもしれません。

つまり、成功法則が上手くいった人は
達成される夢を自覚できていた人であって、
「心の奥底で望んでいること」に気づけた人だった、
と考えることもできるんじゃないか、ということです。


その意味では、
 究極の成功法則とは
  「心の奥底で本当に望んでいることに気づき、
  それを夢や目標として設定する」
 こと
…なんていう考え方もあるんじゃないでしょうか。

まぁ、そこまで考えてしまうと
別に自覚していなくたって達成されていくことになるわけですから
わざわざ夢や目標なんて必要ないことにもなってしまいますが。

違いがあるとすれば
 「達成したい夢や目標」として自覚していれば、
 それが達成されたときに、より喜びを感じられる
ということです。

cozyharada at 23:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2013年03月05日

促す結果として

コミュニケーションの技術というと
「何を言うか」に気持ちが向きやすいようです。

そうすると、その一方で、「何も言わない」とか「ただ聞く」とか
そういった受動的な方向性の発想も出てくるのでしょう。

ロジャース派と呼ばれるカウンセリングのように
クライアントの話したいことに付き添って「一生懸命に聞く」と。

余計な意見や介入は挟まずに、ただクライアントに任せるというわけです。

あるいは、素直に好奇心を持って関わり
クライアントが自分に気づくサポートをするような発想もあります。

どちらも
「主役はクライアントであって、聞き役が導くようなことはしない」
という主張で共通するといえます。

聞き役側が質問の技術を駆使してゴールに導いたり
問題が解決するような発想の転換をサポートしたりはしない。
…そういうスタンス。


こうやって説明すると、なんだか安全で優しいアプローチに聞こえるかもしれません。

いや、実際に多くの”その流派の人たち”は、そう信じている気がします。

でも本当は、そこが危ない。
重要なことが見逃されています。

それは
『クライアントには自分の思考の流れを選ぶことはできず、
 何に気づくかも、今それに気づきたいかも選ぶことはできない』
ということ。

聞き役側が「ただ一生懸命に聞く」ことや「好奇心を持って関わる」ことは、
明らかに『促している』んです。

「その話を続けて下さい」と許可を出しているんです。
もっとハッキリ言えば、それは間接的な要求です。

「質問をされたら、答える」のが自然な流れになっているのと同様に、
「促されたら、そのまま話し続ける」のが自然な流れなんです。

質問の奥には”答えて下さい”という命令があり、
同様に、促すことの奥には”そのまま話し続けて下さい”という命令がある。

もちろん、質問よりはマイルドですが、だからこそ
知らないうちに思いもよらないところまで深入りしてしまう可能性もあります。

ただ”うなずく”とか、”相槌をうつ”とか、
”バックトラッキング(オウム返し)”するとか、”要約する”とか…、
それにも影響力があるんです。

しかも、それがどこまで影響するかは
聞き手側にも話し手側にもコントロールできない。

質問なら答えの範囲を予測できることがありますが、
「ただ話を聞く」の場合、『相手が勝手に気づいてしまう』ことを制御できません。


人によっては、
 「クライアントは、気づきたくない時には、気づかない。
  気づきたくない段階では、話をそらしたり、
  深いところまで話さないようにする。
  クライアントの自然なプロセスに任せればいい。」
などと説明することもあるようです。

それは誰が言い始めたんだか知りませんが、
間違っています。

クライアントは気づきたくないときでも、気づきます。

質問によって気づかせなくたって、
ただ話を聞いているだけで気づいてしまうときがあります。
まだ気づきたくなかったときにでも、気づいてしまうことがあります。

そうすると
 「いや、でも、クライアントが気づけたのだから
  それは気づける時期に来ていたということだ。
  気づくことが苦しかったとしても、
  それは大丈夫な時期だから気づいたわけで、
  その気づきは、その人の人生にとって重要だ。」
といった意見も出るようです。

ここで途端に他者目線に切り替わる。
普段は、「全てはクライアントが中心です」とか言っているのに。
「気づいてしまったことでクライアント本人が苦しい思いをしている」
ということが無視され始めます。

究極的に言えば、
どんなに苦しい気づきであったとしても
それはその人の人生全体で見れば、確かに重要でしょう。

きっと将来、その気づきを活かして、
人生を味わい深いものとすることでしょう。

日常でも、そういうことはありますし。
誰かの一言が心に突き刺さり、そこから大きな一歩を踏み出すとか。
親や教師、上司や友人から学んだことが人生の糧になっているとか。

そういうスパンで見たら、どんな気づきだって意味のあるものになります。

問題は、それをカウンセラーがやっているところにあります。

「たまたま親友に言われた言葉が心に突き刺さり
 大事なことに気づくキッカケとなった」
というのは貴重な体験だと思います。

が、その親友の関わりには技術はないんです。
偶然なんです。

「本心で真剣に向き合ったから、そういうことが起きた」という説明も可能ですが、
だっからカウンセラーも”本心で真剣に向き合う”ことさえしていれば
技術の工夫は要らないのか?という話になります。

本気で誠実に関わることの大切さと、
技術として使い分けられることは別のレベルの話じゃないでしょうか。

結果が予測できない方法は、
技術と呼ぶにはリスクが大きいと思うんです。

真剣に関わってさえいれば、結果が予測できないようなことをしても良い…
そんなことを言うのなら、最初から手法については気にせずに
ただの精神論だけで十分な気がしてしまいます。

そして、それは別にカウンセラーがやらなくてもいい。
家族や友人でもいいでしょう。

個人的には、そういう真剣な関わりが持てる相手は
カウンセラーじゃないほうが望ましいとさえ思います。

だって、カウンセラーはプロとしてお金を貰っているわけですから。

プロとしてお金をもらって援助をするのであれば、
「何に気づくか分からない」という意味で結果を予測できない
『促す』方法は、技術として頼りにするには危険すぎる気がするんです。

気づくことが目的の援助では話が別ですが、
カウンセリングという局面においては、気づかないほうが楽なこともあるはずです。

その視点が重要なんじゃないかというのが僕の考えです。

2013年03月03日

意外と「詳細なタイプ」ではない

絵を描いてみました。

ずんぐりとして見えますが、元の画像を見ながら描いたものなので
その馬そのものが、そんな感じだったんです。

僕の頭の中の馬のイメージは、もっと足がスラッと長い感じですから
自分で見ていても違和感があります。

Horse













まぁ、その馬の内容そのものが重要なのではなくて、
こういう感じで、詳細な絵を描こうとするときに僕が直面する事態があります。

丁寧に描きこもうとすると、かなり途中の段階で飽きるんです。

最初は楽しく描いているんですが、
そのヤル気が最後まで続きません。

多分、完成のスピードが遅くて、嫌なんだと思います。

全体像が見えてくるというか、絵が出来上がる感じというか
そちらに気持ちが向いているんでしょう。

細かい影なんかを描きこんでいる時間は
進みが遅いようで楽しめないみたいです。

「細かい作業が嫌い」というわけではなく、
その作業内容と得られる成果との間に自分なりの予測があって、
そのスピードが期待に一致しないと不満になってくるような感じ。


思い返せば、小学校・中学校・高校と
美術の時間の作業も、先生に注意されるぐらい速かったものでした。

細かい作業を少しずつ確実に進めていくというのが耐えられず、
それなりの形を短時間で仕上げることばかりしていた気がします。

公園に出かけて水彩画を描くようなイベントのときも、
予定時間よりもずっと早く仕上げて、後は公園内で遊んでいました。

水彩画の方法も習った覚えがありませんでしたから、
僕にとっての絵具の使い方は油彩に近くて、
濃いままの絵具をベタベタと重ねて描いていたんです。

構図や対象物の形は正確な”骨格”で写し取って、
あとは適当にその”もの”の雰囲気を絵具でペタペタ、と。

そうすると、それっぽい絵が短時間で出来上がっていたんです。

そんなにヘタな画じゃなかったと思いますが、
「これは水彩画ではない」
という理由で、僕の中学校時代の美術の評価は
ちゃんとルールに従っている生徒よりも低かったものです。

心の中で不満を感じながらも、何が悪いのかさえ分かっていませんでした。

高校に入ったら、美術の先生が自由な人だったので
僕の適当なやり方を認めてくれて、高い評価をもらえるようになりました。

皆よりも圧倒的に早く終わる。
細部を厳密にやれば、もっとできるんだろうけれど
全体の雰囲気として「これでもOK」というフィードバックをもらい、
一人だけ他のことをして美術の時間を楽しんでいたんです。

皆がデッサンをやっている間、なぜか僕だけ版画をやっていたり。


「こうじゃなくてはいけない」というルールも好きではなかった気がしますが、
そのルールに従うかどうかは大した問題ではなかったと思います。

とにかくチョットずつ細部をやる地道な作業の繰り返しが嫌で
自分が「できあがり」と思えるまでのプロセスを
できるだけ短時間でやるのが好きだったんです。

そこには「進展のスピード」が速いときに感じられる喜びがあったんでしょう。

自分が「良い」と思える基準が、無邪気で無自覚なままに存在していて
それが「ダメだ」と言われる理由が理解できていませんでした。

大事なことと、どうでもいいことの差がハッキリしていたのかもしれません。

またいつか、そういう気持ちを思い出しながら
本格的に絵を描いてみたいと思っています。

油絵をやりたいなぁ、と。

cozyharada at 23:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般
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 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
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【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

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【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

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《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

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【テーマ】 変化の流れを考える

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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