2013年04月

2013年04月29日

内面の自由のために環境が不自由になる

今の住まいの近所は、路上喫煙者が多いんです。

最寄駅の近くはもちろん、住宅街に入ってきた道でも
かなり多くの人が、歩きながらタバコを吸っています。
自転車に乗りながらタバコを吸っている人もザラにいます。


で、僕は以前に撮ったMRIの結果から、脳の血管に奇形があるらしく
脳幹に流れる血流が一般よりも不足しやすいと想定されるそうです。

なので、ちょっとしたことで卒倒しやすい、と。

たしかに、熱射病での貧血などは無かったのに、
急激な精神的ショックや、瞬間的な血流の変化、
自律神経のバランスの崩れなどがあった際に
”ホワイト・アウト”を経験したことが何度かあります。

献血した後のマズイ気の失いかたも、それが関係しているのかもしれません。

まぁ、それは生まれつきというか、発育過程で起きたことですから
もうどうにもならない部分なので、自分で気をつけるしかありません。

医者からは、タバコは受動喫煙でも血管が収縮して
脳幹への血流が不足すると倒れる可能性があるということで
注意するように言われています。


ですから、僕が道を歩く際には、他の人たちの挙動に
細心の注意を払っているわけです。

歩くときの片手の動きが小さいとタバコを持っている場合が想像されますし、
歩きながらタバコを吸う人に良くある歩き方にも気をつけています。

具体的にどう気をつけるかというと、
僕が自分の歩くスピードや場所、道順を変えることになります。

単純に煙を避けるわけです。

前を歩いている人がタバコを持っているのを確認できたときには、
違う道を選択するようにするか、
息をとめたまま走って追い抜いて、その人の前を歩くようにするか、
風の流れが強ければ、距離を大きめに空けることで対応する、といった具合です。

風向きや風の強さによって煙の滞留時間や
自分に向かってくるかどうかも変わりますので、
空気の流れも読みながら歩いているといえます。

信号待ちの場合でも、隣に喫煙者がやってきたら
風向きを見ながら大きく離れるか、別の信号まで移動します。

一番やっかいなのは駅前。

喫煙スペースがあって、「路上喫煙は取り締まります」の看板があっても
あちらこちらでタバコを吸っている人がいますから、
僕にできるのは息を止めて歩き抜けることぐらいなもの。

交番の前でも警察は注意しませんし、
なんとかしてと頼んでも無視されたので
もう僕にできることはありません。


ただし、近所のコンビニでは、灰皿の位置を動かしてもらうことはできました。

以前は自動ドアのすぐ脇に灰皿があったので、店長に事情を説明。
が、全く話を聞く意志が感じられず、数日たっても対処されないので
本部にクレームを言って上からの命令で対応してもらった形です。

このコンビニのケースは、僕にできる範囲の働きかけが上手く機能しましたが
駅前の警察のケースは、自分で何かできる範囲を超えてしまっているので、
ただ諦めて、息を止める選択をしているわけです。

まぁ、実際には、そのコンビニでも灰皿から随分と離れた入口付近で
タバコを吸っている人がいるケースが多々ありますから、
そちらに関しては、コンビニに入るのをやめることで対処しています。

なお、直接本人にお願いする選択肢もあるかもしれませんが
数が多くてキリがないので声をかけるつもりはありません。
正論で逃げ場がなくなると”逆ギレ”するような人も混ざっていますし。

ですから、基本的に僕は
自らタバコの煙を避けるように行動しているということです。

ライターを開ける音なんかにも、相当敏感になっています。
「カチャッ」って聞こえるだけで、ライターの可能性をチェックしてしまいますから。
それが携帯電話を開く音だったりする場合もあるんですが。


ちなみに、僕は歩きながらタバコを吸う人のマナーがどうとか
喫煙スペース以外でタバコを吸うことについて、とやかく言うつもりはありません。

僕は「正しいかどうか」には興味がありません。

単純に僕の生命活動を脅かすリスクが高いので
自ら回避するだけのことです。

どんなに急いでいたって、交通量の多い車道を信号のない場所で横断せずに、
遠回りして横断歩道のところまで行って青信号を待つようなものです。

あるいは(あまり良い喩えではありませんが)、
海外旅行に行ったときに、人通りのない夜道を一人で歩かないのと似ています。

危険だから避けるんです。

近道だとかいったメリットがあるとしても
危険と天秤にかけたら、安全な遠回りを選ぶ。
それだけです。


ところが最近、僕の中で
そうした歩きタバコをしている人を避けるのと同じように、
受け取りたくない非言語メッセージを発信している人も
避けたいと思う気持ちが高まってきています。

受動喫煙と同様、「受動コミュニケーション」みたいなことにも
避けたいタイプのものがあるんです。

分煙されていない店に入らないのと同じように、
僕には入れない店が結構あります。

もしかすると、周りからしたら、僕の動きは挙動不審かもしれません。
周囲の人の非言語メッセージを素早く観察して移動しますから。

不便に感じることもありますが、きっと慣れていくんでしょう。

おそらく、ベジタリアンの人が
肉を食べないことを不自由と思わないのと同じように。

2013年04月28日

コーチング・クリニック6月号

4月27日発売の『コーチング・クリニック』(ベースボール・マガジン社)
にインタビュー記事が載っています。

テーマが『調整力』ということで、感情のコントロールについての内容です。

COACHING CLINIC (コーチング・クリニック) 2013年 06月号 [雑誌]
COACHING CLINIC (コーチング・クリニック) 2013年 06月号


書籍『心が思い通りになる技術』で触れた内容と関係するので
興味があったら読んでみて下さい。

定期購読誌なので、あまり一般的な書店には置かれていないかもしれませんが
アマゾンでは買えるみたいです。

よろしければ。

2013年04月26日

「間違っている」ことに対して

世の中に100%正しいことはない。
全ては仮説だ。
…というのが僕の基本的なスタンスです。

でも「間違っている」ことはあります。

筋が通っていない、矛盾が含まれている…
などが「間違っている」の基準です。

なので、「間違っていなそう」なことか
「間違いが含まれている」ことか、
という違いで物事を捉えている気がします。


とはいえ、そういう日本語の使い方をしていると面倒臭いですし、
なかなか共通認識をしてもらえないので、
「間違いが含まれている」ことのほうを
「間違っている」という日本語で呼ぶことにしています。

そっちは一般的な認識とズレが少ないと思うので。

ですから、僕は「間違っている」という言葉を普通に使います。

ここで重要になるのが、
『良し悪し』や『善悪』との関係。

僕の中で、「間違っている」かどうか、と
「良いか悪いか」は無関係なんです。

「それは間違っている」と判断するときでも
「だから良くない(悪い)」という意味ではないんです。

間違っているから面白いこともあるし、
間違っているから可愛らしいこともある。
間違っているから役に立つことも、
間違っているから意義がある場合もある。

それは、「長いから良くて、短いから悪い」わけではないのと同じです。


そのため、カウンセリングの際に、クライアントの発言内容に矛盾があっても
それを「悪い」こととしては捉えていないつもりです。

むしろ、その矛盾にこそ、その人にとって大事な何かがあるんだろう、
と想像して、その裏にある想いを読みとろうする気持ちが沸いてきます。

一方、情報発信者の立場にある人が「間違っている」場合には
僕は不満を感じます。

そこには責任があると考えるからです。
その発言が受け取り手にたいして影響を及ぼすからです。

ただ個人的に嫌いなんです。

『良し悪し』の基準ではなく、『好き嫌い』の基準なんです。

僕は人工甘味料の入ったコーヒー飲料は『嫌い』なので飲みません。
「微糖」なんて表示されていると、かなり警戒します。

味の問題です。
僕の味覚の好みは、コーヒーと人工甘味料の組み合わせを
「マズイ」と判断します。

不快なものとして捉えるんです。
嫌いなんです。

でも、世の中には、同じ商品を好きな人もいる。
その人たちに「それはオカシイ!」なんて言うつもりがないのと一緒です。

好みの違いということです。

同様に、同じ種類の人工甘味料でも、
清涼飲料水や紅茶に入っている場合は大丈夫です。
むしろ積極的に、そちらを選ぶぐらい。

僕の味覚の好みは、そっちの組み合わせは『好き』と判断して
コーヒーとの組み合わせを『嫌い』と判断する。

それぐらいのことです。

僕は、情報発信者として責任ある立場の人が
「間違っている」ことを伝えている場合が『嫌い』なわけです。


最初から「この発信者は間違ったことを言う」と知ることができれば
そこに近づかなければ良いだけの話なんですが、
現実はそう簡単ではありません。

本人も間違っていることに気づいてないようですし、
わざわざ「私は間違っていることを言います」とも言わないでしょう。

ちなみに、僕は立場上、「間違っている」情報なのに
決められたカリキュラムだから伝えなければいけないことがあって、
そういう場合には「…と言われています」と語尾を変えて逃げていたものです。

で、そうなると、「間違っている」かどうかは聴いてみないと分かりません。

「間違っている」と判断するのは拒絶しているからではないんです。
ちゃんと理解しようとするプロセスを通したからこそ、
その中に「間違い」を発見できるんです。

頭ごなしに拒否するのでもなく、かといって無条件で鵜呑みにするのでもない。
受け入れるかどうかは別にして、理解しようとするから「間違い」に気づく。

それは「理解する」、「分かる」という状態そのものが
「筋が通っていて納得できる」ことを表現しているからだとも言えると思います。

僕は全ての情報に「筋が通っていて、矛盾がないか」どうかを気にしながら
相手の話を聞こうとする癖があるようです。

そして「筋が通っていて、矛盾がない」ときに、
「なるほど、そうだ」と納得する。
これが「理解した」とき。

つまり、「間違っている」ときというのは
「理解しようとして聞いていたのに、理解できなかった」ときでもあるんです。

そのときに、「間違っている」と感じる。

コーヒーの喩えに戻ると、
口に入れて味わってみたら「うわ、これ人工甘味料が入っているじゃん!」
って後から気づいてしまう感じです。

嫌いなものを間違えて口に入れてしまったようなものです。
場合によっては、無理やり口に入れられたように感じることもあります。

そんな不快感なんです。
嫌いだから。

自分が、自分自身の楽しみのために理解しようとしているからこそ
「間違っている」ことに気づくのが嫌なのかもしれません。

クライアントの話は、自分の楽しみのための理解ではありません。
目的が違います。

このあたりに重要な差があるようです。

クライアントの話が「間違っている」のは『好き』。
責任ある立場からの情報発信が「間違っている」のは『嫌い』。

そういう好み。

繰り返しになりますが、その『好み』は『良し悪し』じゃないんです。

ただの『好き嫌い』なんです。

お願いですから、僕のコーヒーの中へ勝手に人工甘味料を入れないで…
そんな感じ。

2013年04月24日

【セミナー】カウンセリング講座(5月)

ご案内: 『ホンネを引き出すカウンセリング』講座


これまでに重ねて開催してきたカウンセリング講座、
引き続きのご案内です。

出版記念セミナーの関係でご案内が遅れましたが
日程はブログの片隅に出ていた通り、
 5月5日(日)
です。


 ※本講座のコンセプトに関しては、こちらをご覧ください>>
 ※(概要説明の回にも、補足説明をしてあります。補足説明はこちら>>


これまで、カウンセリングの基本的な流れを扱ってきました。

この講座でいう「カウンセリング」とは
「サービス内容を絞り込むプロセス」、「ニーズ把握のための会話」
といったニュアンスです。

そのために、

 ・土台としての『ペーシング』
 ・会話の方向性のコントロールとしての『焦点化』
 ・クライアントの痛みに応じた『力づけ』
 ・クライアントの作業の習熟度に合わせた『明確化』

を小分けにして練習してきました。


実際にカウンセリングを行うと、そのあとに
”お手伝い(サービス提供)”の時間があります。

そっちが本来の目的ともいえるかもしれません。

ですから、自分ができるサービスの中身が分かっていると
ニーズ把握のための会話を進めるにあたっても
方向性が掴みやすくなるわけです。

「どのぐらいまで絞り込んだニーズを聞けば
 適切なお手伝いができるだろうか?」
ということが、カウンセリングの最中から意識できるからです。

その意味もあって、前回から「お手伝い」の中身、つまり
変化のための技術を扱い始めました。

ここでは、カウンセリングのあとにセラピーやコーチングといった
内面的な変化のサポートや、特定のパフォーマンス向上のトレーニングなど、
物販や情報提供ではないサービスを想定しています。

世間一般でイメージされるカウンセリングには
そうしたサポートが含まれているとも思いますので。

ですが、何よりも重要なポイントになるのは
そうした変化の技術のトレーニングを積んでおくと
カウンセリングのプロセスそのものに役立つ、という部分です。

変化のサポートとして取り組む内容(ワーク)において
クライアントは自分の問題を明確に見せてくれて、
それが解決されていく流れを示してくれます。

そういう流れが頭の中で把握できていれば
カウンセリングの会話中に「何を聞くべきか」がコントロールできます。

「このレベルの情報は、あとのワークの時に聞けば良い」
「ワークを決めるにあたって、この情報は把握しておいたほうが良い」
…そういうコントロールができるようになるんです。

さらに、変化のためのワークを使いこなせるようになるほど
同じことを自然な会話を通じてやることもできるようになっていきます。

それに伴って生まれてくる『ワークを使うか、会話だけでやるか』という問題。
この現実的なメリットについても、今回は補足する予定です。

 これ、仕事として、コーチやカウンセラー、セラピストなどをやる人には
 非常に重要な観点になると思います。

 コンサルタントや、体を扱う人、物を売る人であれば
 さほど関係がない部分かもしれませんが、
 「変化のサポート」となると事情が特殊ですから。

そして、もう1つ。

変化の技術としてのワークを練習する大きなメリットがあります。

それはペーシング観察が上達するところです。

非言語レベルからの同調も実感しやすいでしょうし、
また、それを言語化することでワークの進みをスムーズにできます。

結論から言ってしまえば、ワークが上手くいかないときは
「ただ、クライアントのペースに合っていないだけ」ということが大半です。

クライアントに起きていることへ合わせられれば、
そこから次の展開が生まれてきますから。

型にこだわり、クライアントを見ていない…
それを避けるのが、変化のサポートにおける重要なコツだと感じます。

ですから、変化技術をトレーニングしておくと
成果を出すために自然とペーシングと観察をする必要が出てくるわけです。

それで、その練習を重ねれば、ペーシングも観察も自然と上手くなる、と。


以上のような意図から、今回のカウンセリング講座では
『変化の技術』を実際に、いくつか練習していただく予定です。

もちろん、カウンセリングとの関連で行いますから
カウンセリングの技術も併せてトレーニングすることになるでしょう。

ということで、今回のテーマは『”まとめ”と変化の技術』となります。


型を掴めてきている時期には、感度と精度を上げるために
効果的なトレーニングになるものと期待しています。



技術が最短で向上するようにトレーニング法を工夫する
 というのが、この講座のウリだと考えています。

 ワークのやり方を説明して、ただやってもらうだけ…ではありません。
 効果の高い実習になるように工夫して進めます。
 しっかりと課題意識をもって取り組んでいきましょう。




◆今回の講座で得られるもの

●非言語メッセージに対する観察力

●感情に対する言葉がけのバリエーション

●会話の方向性をコントロールする技術

●クライアントの取り組みを強化する言葉がけ

●状況把握と内容整理のための質問力

●内容整理の”型”

●流れのポイントを捉える着眼点

●「変化の原理」に基づいた技法のバリエーション



◆お持ちいただくと役立つもの

●ICレコーダー

必須ではありませんが、ICレコーダーのような録音機材をご持参いただくと
振り返りの作業が効果的になります。

ご自身の実習の模様を録音して、振り返るのが目的です。

ビデオをお持ちいただいても構いません。

現時点では、全体の中で収録した内容を使うことを目的としていませんが、
自分自身が何を言ったか、どのような展開だったかを思い出すためにも
利用価値の高いツールだと言えます。

もちろん、復習としても役立ちます。

★ご希望の方には、録音したファイルの内容に対して
 こちらからもフィードバックいたします。

 いくつか気づいた点を記録して、送付する程度ですから
 それほど詳細なものは期待しないで下さい。
 
 方法などは当日にご相談下さい。




カウンセリングの技術を個別に練習して、
変化のサポートにおいても体験を重ねていくと、
日常の様々な場面で”人の見え方”が変わってくるかもしれません。

今まで気にしていなかったことが自覚できるようになり、
その背後にあるものも窺い知れるような感じ。

その人の現状や個性、その先の展開などを想像すると
「今、自分がどこまで関わるのが望ましいか」なども
なんとなく選べるようになるんじゃないかと思われます。

それが合っているかどうかは問題ではありません。
自分の選択に基準が生まれるんです。

やみくもに何でも解決しようというのでもなくなるでしょうし、
どうしていいか分からずに思い悩むこともなくなる。

「このぐらいで関わっておけば大丈夫だろう」と思える感じです。

すると余裕を持って人と関われるんじゃないでしょうか。

必要な範囲でのみ技術を使う。
プロとして援助をする場合には、最大限の努力をする。

そういう使い分けもしやすくなると思います。

技術を磨き、知恵を積み上げるような場になれば何よりです。

是非お越しください。



講座の詳細は以下の通りです。



【セミナーの詳細】

≪『ホンネを引き出すカウンセリング』講座≫【第5回】

【日時】  5月5日(日)
     《日中:第6回》   10:00〜17:00
 
     《夜間:実践練習》 18:30〜21:30 

       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。
       ★申し込みフォームに、ご希望の時間帯(日中/夜間)をご記入ください。


【場所】 滝野川会館 303集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅より徒歩10分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)

【参加費】 
      《日中:第6回》 ・・・15,000円 (フィードバック料を含む)
      《夜間:実践練習》 ・・・5,000円

       ★日中の講座にご参加の方は、無料で夜間の実践練習へご参加頂けます

       当日、会場にてお支払いください。


    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。




終了しました

コミュニケーションには色々なことが起きています。

多くの人が気づいていないことが。

それを自覚して、コントロールして、使いこなす。
すると技術になります。

結果が予測できるようになるんです。

たまにホームランも打つけど、三振ばっかり…
というような方法は、技術としては少し物足りないんじゃない気がします。

打率10割は無理でも、高確率にしていくのが技術だと思うんです。

何かの名言や、お決まりのフレーズで人の心を打つのも
関わり方として1つのスタンスかもしれませんが、
相手に合わせた関わりをするのが重要な技術じゃないだろうか、と。

適当にやらないようにする。
少しでも確実性を上げられるように努力する。

その努力を続けたいと思える誠実さを持った人だから
最終的に技術と違った部分でも人に影響を与えられるんじゃないでしょうか。

コミュニケーションの中で起きていることを
技術に変換していくトレーニングが、この講座の趣旨です。

世間では一般に言われていないことも
技術として習得できるんです。

使っても、あまり気づかれないと思います。
効果だけが伝わるような感じでしょうか。

あるいは、他の技術を支える重要な土台となりながらも、
他の人たちには表面上の技術しか見えない…
といった事態になる場合もあるでしょう。

なかなか広めにくい技術なのかもしれません。

でも、役には立ちます。

人と関わる以上、知らないうちに成果を上げてくれる基礎技術です。

使ってください。

今後も練習の場を設けますので。

2013年04月23日

お礼とご報告

出版記念セミナーには、おかげさまで多くの方にお越し頂きました。
ありがとうございます。

懐かしい方々にも会えたので、とても嬉しかったです。

「セミナー」なんて言いながら、実際は
こちらがお祝いしてもらっているだけのような気分で
ありがたさばかりの時間でした。


セミナーの内容は、時間の制約や形式から
あまり濃密なトレーニングにはできませんでしたが
気軽な雰囲気だけでも楽しんで頂けていればなぁと思っている次第。

思い返せば、僕が頻繁にNLPの資格取得セミナーをやっていたころも
僕が最も重視していたのは「ゆるい雰囲気」だったものです。

NLPの内容は、それ自体でも役に立ちますが
個人的には”方便”として使っていた部分があったんです。

伝える内容や実習は決められているわけですから、
まぁ、ある程度、どこでやっても同じようなことは体験できます。

知識に関しても、覚えるかどうかは人それぞれですし、
どれだけ知りたいかも、興味があるなら本を読むでしょうから。

僕が勉強会やカウンセリング講座で扱っているのは、むしろ
技術を磨くためのトレーニングであって、方法の紹介ではないので
その意味で、資格取得セミナーには違った位置づけがあったんでしょう。

僕にとってNLPの資格取得セミナーは、
グループセラピーのようなものでしたから。

受講生同士の交流や、ワークでの体験内容の広げ方など、
色々と工夫をしていました。

なので、休憩時間なんていうコンセプトはありません。

受講生にとっての休憩時間も、僕にとっては
重要なセラピーのプロセスとして工夫する対象でした。

とにかく、セミナールームで体験する全てのことが、NLP的に表現すれば、
プログラムを変えるための効果的な体験であって欲しかったんです。

そして、プログラムは状況に依存しますから、
セミナールームという場所も日常的なものにしたかった。

セミナー会場が非日常の特殊な環境になるほど、
そこで使われるプログラムと、日常生活で使われるプログラムが
別物になってしまう可能性が高まります。

セミナー会場ではテンションが高くてノリノリで前向きなのに、
いざ会社に行くとイライラしてばかり…。

別に、そういうスタイルも構わないとは思います。
趣味の世界を別に持っていて、そっちではイキイキしている…
なんていう人は、世の中に沢山いますから。
それで毎日のバランスが取れているライフスタイルも素敵なものです。

でも、僕が会ってきた受講生の皆さんは
NLPのセミナー会場を趣味の世界にする目的ではなかったと思います。
何か、日々の生活に対して変えたいところがあった。

だから、日常に影響が出るようなプログラムの変え方を重視していたんです。

その観点からすると、僕は個人的に
セミナー中、ニックネームで呼び合うのも避けていたぐらい。

セミナー専用の名前を持ってしまうと、その自己認識の元に
セミナー会場での体験を分類していく可能性がありますから。

バイリンガルが日本語を話すときと、英語を話すときで
全く性格の違う別人のようになるのと似ています。
そうすると全体に影響が出にくいと想像されます。


経験上、全てのNLPをやった人が、いつまでもNLPに興味を持ち続け、
そこで知った技術や方法を使い続けるわけではありません。

人それぞれ本当に大事なことがあるでしょうから。

スキルの名前だって忘れてしまったりする。
何をやったかも、あやふやになっていく。

それでも、そこで体験した内容にインパクトがあって
その体験が抽象度の高いプログラムに影響を与えていれば、
その人の人生全般に、長期にわたって効果を生み出します。

NLPのことなんてスッカリ忘れていたとしても、
その人のプログラムには変化が残っています。

日々が楽になるような、生きることへの希望が少しでも高まるような
そういった方向の変化をセミナー全体を通して生み出していく。

それには必ずしもNLPの内容は必要ではなかったのかもしれません。

むしろ、そこで起こる人の心どうしの触れ合いや
自分の心と向き合ってみようと自然に思えるようになる雰囲気が
そうした持続的な変化を生み出すのではないでしょうか。

だから、僕にとってのNLPセミナーは
徹底的に「気が楽になる」方向で組み立てられていました。

全てのルールは撤廃したかった。

学校を想起させるような宿題や机は、その目的には合わないわけです。
学校を思い出すものがあると、学校時代の勉強モードのプログラムが出てきて
そのプログラムの下でしか体験が整理されなくなってしまいます。
日常生活への影響が生まれにくい。

何より、ルールなんてなくても、それぞれの人が誠実になって
お互いを大人として尊重するように配慮ができれば、
その場に問題なんて起こらないことを体験してもらいたかったんです。

僕の役目は、とにかくルールを疑うことの見本になることでした。

「こうあるべき」という姿を取り除いていく。
だから変な座り方もするし、「ゆるい雰囲気」作りに精を出していた。

自覚から生まれる選択と自由。
そんなところを重視するために、
ルールを外した場でのコミュニケーションを生み出そうとしていました。

一般的な生活では体験できないその交流が
何よりのセラピー効果を生むと信じていますから。

…この辺は、催眠の師匠から受けた影響かもしれません。
 
 トランスの中で人が自然と生み出すバランス調整の効果。
 それはルールに基づく意識的な機能によって普段は妨げられているので
 催眠によるトランスで解放されたときに調整機能が生まれるということです。

 同様に、そうした意識的なルールによる制御を取り払うと
 自然と内面がバランスを取り始めるんじゃないか、と。

 まぁ、その効果は沢山の場面で実感してきたわけですが。

ですから、僕のNLP資格取得セミナーは「ゆるい」感じだったんです。
ゆるい雰囲気で気軽に過ごす。
でも、一人ひとりの人間として相手を尊重して関わる。
そんな場づくりを大事にしていました。

出版記念セミナーで、そこまでの雰囲気を作れたかどうかは分かりませんが
そういう方向で取り組んでいた自分が懐かしかったです。

あれはトレーニングのためのセミナーではありませんでしたから。



ちなみに、宿題を出したり、あだ名で呼び合ったりするセミナーが
全て問題だと言っているのではありません。

そこに意図があるかどうかが重要です。

僕の知り合いのトレーナーは、NLPを使い続けてもらうことで
日常生活に影響を生み出そうとしています。

そういう意図なんです。

だから、セミナー会場だけでなく、
日常の場面でのNLPのスキルを使う必要がある。

それによって、日常生活の場面で登場するプログラムに影響を与えよう、と。

だから宿題が重要になるわけです。

手段が違うんです。

自分が習ったトレーナーが宿題を出している人だったから
それが当然だと思って宿題を出しているわけではないんです。

ここは重要なポイントでしょうね。

cozyharada at 23:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | セミナー情報

2013年04月20日

動機があるかどうか



【ご連絡】
カウンセリング講座のご案内は少し待機中です。
日程はブログの左隅に出ていますのでご参考になさってください。

数日以内に載せるつもりです。




自分にできないことをサラッとやっている人を見ると
そこに能力や才能などを感じることが多いようです。

実際は、その人の内側で、すごく頑張って努力したり
心がけたり、痛みに耐えながらやっているところもあるかもしれない。

ただ周りからは、それが見えないだけ、という状態。

そういうのを見ると、「スゴイなぁ」と感じます。


でも、その人が本当にスゴイのは、
それだけの想いを持ち続けて
それをやっているというところじゃないでしょうか。

「そうしたい」と思う動機がある。
それが無くならない。

そのことが何よりの個性なんじゃないかと思います。

世の中には、
「我慢しながらでも、なんとかしてそれをやろう」
とは、とても思わない人たちが沢山いますから。

何が合ってもニコニコしているとか、
誰にでも愛を注ぐとか、
人のために自分のできる最大限のことをするとか、
相手の気持ちを理解するとか…。

そういったことは、「やりたい」と思わない人にとっては
全くどうでもいい話になるはずです。

嫌なことをされてもニコニコしていられれば素晴らしいと思うかもしれませんが、
ニコニコできずに嫌な顔をしてしまったことを後悔しているとしたら
そこには、「ニコニコしていたい」という動機があるわけです。

それは、
「嫌なことをされたら腹を立てるのが当然で
 文句をいうこと以外には注意が向かない」
という人とは、全く別物だといえます。

「いつでもニコニコしていられる人と 
 ニコニコしていられずに後悔している人」の差は、
”いつもできるかどうか”です。
頻度の差です。

「ニコニコしていられずに後悔している人と
 嫌なことをされたら腹を立てるのが当然な人」との差は、
”動機があるかどうか”です。
あるか・ないかの違いなんです。

この2つの差は大きい。

「ない」人が、「ある」になることは、滅多にないでしょう。
よほど影響力の強い体験をするぐらいしかないと考えられます。
その変化が起きるとしたら、劇的なんです。

一方、「いつもできるかどうか」の差は、トレーニングの範疇です。
必ずしも「心がけ」や「技術」だけでなく、内面と向き合うようなことを含め
自分の中の何かを育んでいくかの問題なわけです。

種はあるんです。
芽も出ているんです。
あとは、それが花を咲かせるまで成長するだけのこと。
自然な流れだということです。

でも、そこに芽が生えていなかったら、種すら植えられていなかったら、
いくら時間をかけても花は咲きません。


あの人のためを思ってやったつもりだったのに裏目に出てしまった…
気持ちが理解できずに傷つけてしまった…。

そういう後悔があることが、とても素晴らしいことだと思うんです。

それは、もう芽が出ているということですから。

何も美しいのは花だけではありません。
新芽のもつ生命力や、茎がグングン伸びていく”たくましさ”、
青々とした葉っぱの瑞々しさ、
運ばれるのを待ちながら種をつけている豊かさ、
寒々とした土地の上でも立ち続けて放っている歴史の重み、
あらゆるプロセスに、人は美意識を感じられると思います。

できない悔しさや後悔は、
他人から強制されても身につかない
その人らしい才能だという話です。

自然と許せてしまうことではなく
苦しみながらも許そうと思える姿勢を「慈悲」と呼び、

相手を喜ばせられることではなく
傷つけてしまったことを後悔できる姿勢を「優しさ」と呼ぶ。

そんな考え方。

2013年04月17日

向き・不向き



【ご注意】 出版記念セミナーにお申し込みくださった方へ

※このブログの申し込みフォームが、たまに不具合を起こす場合があります。
 
 お申し込みいただいた方へは、24時間以内に
 確認のメールを送信しております。

 もし、申し込みフォームを送信してから24時間以内にメールがない場合には
 お手数ですが、もう一度ご入力いただくか、
 下記メールアドレスまで直接ご連絡ください。

   info@hrd-lab.com (アットマーク@を半角に変えて送信ください)



この前、久しぶりに会社の時の先輩と会ってきました。
懐かしくて楽しい時間でしたが、同時に複雑なところもありました。
色々な人生があるなぁ、と。

それで、入った店がバルというか、バーというか、パブというか、
レストランというか、ビストロというか、洋風居酒屋というか…
色々な種類のお酒と西洋料理を出してくれるところだったんです。

僕は遺伝子レベルでアルコールを受けつけませんから
いくら色々な種類のお酒が並んでいても注文することはありません。

ところが、たまたまカウンターの席しか空いていなかったために
ちょうど目の前にバーテンダーがいる場所に座ることになりました。

それが、なんとも僕にとっては苦痛。

どのビンが何なのかも知らないし、どれがどんな味なのかも知らないのに
目の前では休む暇もなく様々な種類のお酒が作られていくんです。

その動きが気になって、気になって…。

もちろん、会話を妨げるほどではありませんが、
僕の注意の数十パーセントは、バーテンダーの動きに向いていました。

話もしたい気持ちがありますから、手っ取り早い解決策は
「普段より注意を向けられる総量を増やす」ということ。

セミナー中ほどではないにせよ、かなり意識のレベルを上げた時間になりました。

しかも、カウンターですから、体の向きがバーテンダーのほうを向いているんです。
否応なしに視界に入ってくる。
これが実に厄介。

一度の滞在で、
「何がどこにあって、どういう仕事をする必要があって…」
みたいなことは、かなり覚えてしまった気がします。

もちろん、商品名と使うお酒の種類は名称として把握していないので
そこは覚えないといけないわけですが。

まぁ、それでもきっと、バイトで入れば、そこそこ動けるんじゃないかと思うほど
バーテンダーの仕事内容とお酒の作り方が脳裏に焼き付いています。


どうやら僕は、こういった慌ただしい作業を目の前でやられると
それを全力で観察して覚えようとしてしまう癖があるみたいで
全く落ち着いて過ごすことができないようです。

天ぷら屋ぐらいの落ち着きと真剣さが溢れていれば
もっと違った雰囲気として楽しめるとは思うんですが。

バーテンダーを見るために店に入ったわけじゃありませんから、
困ったものです。

2013年04月15日

【緊急のご案内】出版記念セミナー:4/23(火)

『心が思い通りになる技術 NLP:神経言語プログラミング』(春秋社)
出版記念セミナーを開催します。

4月23日(火) 19:00〜21:00

場所は御茶ノ水・秋葉原近辺です。

お仕事帰りの方も、是非お越しください。


内容は…

 本に書かなかったこと

です。

ちょっと大事な話をします。


面識のある方は、同窓会気分でお越しくださっても嬉しいですし、
本を読んで「はじめまして」の方は、好奇心からいらっしゃっても
疑問を解消する目的からいらっしゃっても、お会いできるのが楽しみです。

どうぞ、お知り合いを誘って来てください。
(多少は興味のありそうな方のほうが良いかもしれませんが…)

どなたかと一緒にお越しの場合は
まとめてお申し込みくださっても大丈夫です。


お申し込み方法は3通り。

,海舛蕕離瓠璽襯▲疋譽垢鬚澗乎里両豺隋
 → 直接、メールで「参加」とご記入ください。
   件名には「出版記念」の文字を入れていただけると助かります(なくても大丈夫)。
   一緒にお越しになる方がいたら、その旨もお願いします。

△海離屮蹈阿らお申し込みの場合:
 → 下記メールフォームにご記入ください。

フェイスブックなどで知った場合:
 → 「この人は参加するだろう」という方、もしくは
   直接お知らせをもらった方に、参加の旨をお伝えください。

 ※のケースでお知り合いの参加を知った方へ…
  恐縮ですが、当方までご一報ください。
  ご協力、お願いします。
 

”お祭り気分”というわけではありませんが、
気楽に顔を出してもらえたら嬉しいです。

定員は余裕を持って設定していますから
沢山の方をお誘いください。

お会いできるのを楽しみにしています。



 ≪セミナーの詳細≫

【日時】  4月23日(火)
       19:00〜21:00
 

       ※終了時間は多少前後する場合があります。

【場所】 ホテルマイステイズ御茶ノ水コンファレンスセンター Hall C
    (JR「御茶ノ水」駅下車聖橋口 徒歩5分)
    (JR「秋葉原」駅下車電気街口 徒歩6分)  
    (丸の内線「淡路町」駅下車 A3出口 徒歩3分)
    (千代田線「新御茶ノ水」駅下車 B2出口 徒歩5分)  
    (都営新宿線「小川町」駅下車 A3出口 徒歩3分) 
    (銀座線「神田」駅下車 6番出口 徒歩8分)

【参加費】 
      ・・・3,000円 

       当日、会場にてお支払いください。


    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。


終了しました


「ねぇ、来週の火曜日、夜ちょっと空いてない?」
ぐらいの気軽な感じでお越しください。

内容は、ちゃんとやります。

cozyharada at 23:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!セミナー情報 | NLP

2013年04月12日

不協和

社会心理学に「認知的不協和理論」というのがあります。

手短にいうと
「自分の中に矛盾するところがあると気持ち悪いから
 考えの一部を変えて正当化する」
という傾向のようなものでしょう。

たとえば、
「2時間並んで食べたラーメンが、あまり美味しくなかった」
とします。

すると「2時間並んででも食べたい」という考え、「2時間並んだ」という行動と、
「美味しくなかった」という結果(考え)とが、自分の中で対立します。

この状態が「認知的不協和」。

そして、それを解消するために何かを変えるわけです。

この場合、「あー、損した!もう二度とあんな店いかない」という形で
自分の間違いを認める方向性も考えられます。

ですが、「2時間並んだ」という部分が影響を及ぼしてくるんです。

人によっては、この「2時間並ぶ」という行動には
「2時間並んだのだから価値があるはずだ」という考えが伴います。

そして、「無駄にした」ということが「自分の愚かさ」を反映していると捉え
その愚かさを受け入れたくない人もいるはずです。

そうなると、「無駄にした愚かさ」を感じないために
考えを変えることで正当化して、自分を守るケースが出てきます。

例えば、
・「いや、よく思い返してみると、独特で新しい味だったな」
・「確かに、奥底に何とも言えない絶妙な風味があったなぁ」
というように自分の味の感想を変えることもあるでしょう。

あるいは、
・「あんなラーメンでも、上手く宣伝すれば行列を作れるのか。勉強になった」
・「並んでいる人の顔ぶれを見れば、ミーハーなラーメンだって分かっていた。
 やっぱり並ぶ店は選ばないといけないな。良い勉強になった」
と「並んだ」ことを「無駄」と判断しない形で正当化するパターン。

どこかの考えを正当化するということです。


そう考えると、高額なセミナーに参加する時点で
「高いお金を払って、長い時間を費やしたのに無駄になった」
ということを認めるケースは少ないと想像できます。

ですから、何十万円も払うセミナーの場合、
あまり満足度が低いということは起きにくいわけです。

あとは、セミナーの中で、普段の自分なら絶対にやらないような
不快な体験があった場合も同様です。
奇声を発するとか、変な踊りをするとか、街中でモノマネをするとか。

その行動が自分にとってハードルの高いものだったのであれば、
「あそこまでやったのだから、得られるものがあった」と
正当化されることが多いでしょう。

例えば、会社や地域の伝統行事の中にも、
最初は皆やりたくないと思っていたはずなのに
一度やらされてしまうと、その苦痛を正当化して
「あの行事は意味がある」なんて考えるようになったりする場合もあります。

そうすると、自分も過去に体験した行事なのに考えを正当化してしまって
今度は運営側として「これは意味があるんだよ」なんて言いながら
新人たちに行事への参加を強制する側に回るわけです。

当然、外から見たら意味の分からないような行事であっても
その集団の中では維持されていくことになるでしょう。

まぁ、中には心理療法的な観点から意義のある儀式も沢山ありますから
一概になんでも特殊な体験に問題があるとはいえませんが。

少なくとも、自分にとって嫌なことをやってしまった後には
その体験に対する評価が肯定的なほうに変わるケースが多々あるという話です。


そして、一度そういう好みが生まれると、そのような捉え方が自然になってきます。
常に、その正当化が維持される方向で物事を認識するようになる。

仮に、大学で心理学を専攻して、大学院にいって博士号まで取得したとしたら
そこまで自分が費やしてきた労力を否定するのは大きな不協和を生みます。

であれば、外の世界から見たら矛盾したところや変なところがあっても、
正当化して認めなかったり、そもそも気づかなかったりするかもしれません。

ですから、一般論として
 専門家は自分の専門分野へ費やしてきたコストがあるため
 その分野の中にある問題点を認めにくい
という危険性があるといえます。

もちろん、「危険性」ですから、その危険性そのものを自覚したうえで
自分の専門分野を客観的に捉えている人もいます。

ただし、残念ながら、そういう人たちは異端扱いされる傾向が見受けられます。
裏を返すと、それだけ偏りが生まれやすいということなのかもしれません。

例えば、ロジャース派のカウンセラーとして何十年もやってきた人であれば
教わって、実践してきた技法が何よりの拠り所になっていることでしょう。

当然、その技法が「効果を発揮する状況と、裏目に出る状況の違い」
といった分析は、なかなかやりたいものではないと思われます。

上手くいかなかったケースを体験すれば、
その理論そのものを疑うのではなく、
自分の技量の未熟さを想定することでしょう。
あくまで、その理論の範囲で。


逆に、気軽に「良いとこ取りです!」なんて言えるということは
それほど1つのことに集中して取り組んできていない、
というメッセージにも受け取れるかもしれません。

深く取り組めば、その内容に対して思い入れが生まれますし、
それを否定するような他の方法論も同等に扱うのは苦痛になるでしょうから。

色々なものを客観的に分析して、全ての長所・短所、状況別の対応など
底にある原理に目を向けて捉えていても「統合的」にはなると思いますが、
その場合、あまり「良いとこ取り」という表現にはならない気がします。

何より、自分が費やしてきたコストの無駄を認めながら
全てのことを外から眺めて分析するのは大変でもあるでしょうし。

それは、拠り所を持たないということなので。
正当化する人たちから離れる、心理的なコストもあるわけです。
好き好んで孤独な道に進む人は多くないと思います。

現実的に、専門家は役に立っています。
専門家に見えない落とし穴があったとしても、
それを修正しろと要求するのは酷なことでもあります。

世の中の大部分は、そうした専門家の支えで成り立っています。
上手く噛み合わないところや不満を生むところがあっても
それで成り立っているんです。

ホンの少数、その矛盾に耐えられない人がいる。
専門家から嫌われる人たちです。

でも、その人たちを好きな人たちもいます。
これまた少数派ですが。

大変なほうは少数派なんです。

そういうバランスです。

cozyharada at 23:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

2013年04月10日

想像力を養う

ふと「あー、楽になりたいなぁ…」って心の中で呟いたら、
もうひとつの声が
「人の苦しみを分かるためには仕方ないでしょう」
と。

体験したことでなければ理解できないわけではないけれど、
苦しみを感じようとする動機と想像力は
自分の苦しみを通じて養われていくのかもしれません。


苦しみを受け入れる度量があれば楽になるのでしょうか。

それは「楽をする」こととは違うようです。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

日程確定

《心を調える実践会》

【日時】 2017年12月23日(土)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分

詳細は後日>>
次回は2018年の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
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  執筆・講演…

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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