2013年06月

2013年06月28日

【セミナー】コミュニケーション講座(7月)

ご案内: 7月14日(日)開催

 〜日常生活とカウンセリングに活かす〜
   対人コミュニケーション講座ver. 2



6月に開催した『対人コミュニケーション講座』と関連した内容で
違った角度からのコミュニケーション技術を扱います。

前回の内容に馴染みがなくても取り組めるものですので、
6月にご参加でない方でも、是非お越しください。

今回のほうが、相手に主眼を置いた内容になります。
より援助的だといえるかもしれません。


【前置き】

6月の講座では
『エッセンシャル・コミュニケーション・スキル』
と、ご案内をさせていただきました。

実際、ご参加の方からは、
「本当に人間の本質の部分だと思う」
とのご感想もありました。

裏を返すと、
「気軽にできる内容ではない」
と。

当たり前の方法なんですが、皆、自覚していないだけなんです。
ですが、それに気づくのはチョット重い。

かなりコミュニケーションに向き合ってからでないと
その方法を使う気持ちには、なりにくいのかもしれません。

確かに、この観点だけでも家族療法が成立するぐらいでしょうから。

前回に紹介した方法が独特なのは、
世間で扱われるコミュニケーション技術の大部分が
「相手を主役にした関わり方」を扱っているのに対して、
『自分の気持ちも大事にする関わり方』になっているからです。

カウンセリングやセラピー、コーチングは
援助としてクライアントを主役にするコミュニケーションです。
営業だって、接客だって同じです。

主役は相手。

職業的なコミュニケーションだから、
相手だけを中心にして考えられるんです。

一方、日常で体験される厄介な人間関係では、
主役は相手だけではありません。

自分の気持ちもあるから、関わり方が厄介になるわけです。

その点の問題を解消するための方法論を紹介しました。


繰り返しになりますが、そのためには
人間関係と心の動きに、真正面から向き合うことになります。
その心労は、決して軽くないようです。

もしかすると、「ここに向き合ってでも…!」という動機が生まれるには、
その前の段階として
「厄介な人間関係を乗り越えたい」と実感している必要があるのかもしれません。

つまり、予防的に取り組もうとする人は少ないようだ、ということです。

なので、リクエストを受けるまでは封印しておきます。


【では、今回の内容は?】

より援助的なコミュニケーションに活かせる方法にします。

根本的な趣旨は変わりません。
『意図を伝え合う』です。

相手の意図を汲み取る。
自分の意図を伝える。

この、あまりにも当たり前なことを
カウンセリングの場面に適用します。

体裁として、カウンセリングを想定していますが
技術の応用範囲は幅広いはずです。

そのままの方法をコーチングにも使えますし、
部下の指導、接客や営業、教育、介護、仲裁には直接役立ちます。
もちろん、親しい間柄にも役立てられるでしょう。

カウンセリングを想定するのは、
問題の奥にある気持ちが表れる場面のほうが
その意図を察する練習がしやすいからです。

コミュニケーションの練習内容としては、
 ・自分の関わり方の意図を先に予告する。
 ・相手の行動の意図を汲み取って、言葉をかける。
 ・相手の感情の奥にある期待に対応する。
 ・相手が言葉にしきれていない想いを汲み取って、言葉で応答する。

といったものになります。

相手が発した言葉に対応する練習ではありません。
言葉になっていない気持ちに対応するトレーニングです。

例えば、
”辛いことがあっても我慢して一人で頑張る”ような様子が見えたら、

「○○さん。想像ですが、
 色々なことをご自分の力でやり遂げてこられたんじゃないでしょうか。
 それって、誰にでもできることじゃないと思います。
 皆に気を遣ってくださっているところもおありですよね。

 そうした方と関われて、私もとても嬉しいですし、
 こちらとしても助かるところが沢山あります。

 同時に、私の気持ちとしては、
 もっとお役に立てることがないかなぁって思っているんです。
 ○○さんに頼ってもらえたら、私も『良かったなぁ』って感じますし、
 ○○さんが気がねなく過ごしてくださるのが私の目標でもあるんです。

 何かありましたら、小さなことでも結構ですから、
 是非、お気軽に教えて下さいね。」

…という具合の対応になります。

もちろん、もっと短い一言で対応するケースもあります。

言葉になっていない意図に対応する練習です。
『気配りの技術』とでも言いましょうか。

カウンセリングの流れの中では
『力づけ』の方法として活用できます。

言葉の内容に引っ張られずに、少し違った角度から返答するわけです。
これには慣れが大切です。
普段は、すぐ相手の言葉に対応してしまう癖がついていますから。

それを一呼吸待てるようになるだけでも
対応の幅が広がるはずです。

練習が効果的です。
まずはキッカケとして、本講座をご活用いただければ何よりです。

ご参加をお待ちしています。



◆今回の講座で得られるもの

●感情を読みとる観察力

●意図を推理する着眼点

●自分の意図に気づくための方法

●相手の意図に対する効果的な言葉がけ

●自分の意図の伝え方



◆お持ちいただくと役立つもの

●ICレコーダー

必須ではありませんが、ICレコーダーのような録音機材をご持参いただくと
振り返りの作業が効果的になります。

ご自身の実習の模様を録音して、振り返るのが目的です。

ビデオをお持ちいただいても構いません。

もちろん、復習のために全体を録音してくださっても構いません。

★ご希望の方には、複数を相手にしたコミュニケーションを
 吟味して頂くことも可能です。

 全てのご期待に応えられるわけではありませんが、
 ご要望はお気軽にお伝えください。




【講座の日時は以下の通りです】



【セミナーの詳細】

〜カウンセリングに活かす〜対人コミュニケーション講座ver. 2

【日時】  7月14日(日)
       9:30〜16:00


       ※開始時間にご注意ください 
       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。

【場所】 五反田文化センター 第一会議室
    (JR山手線・五反田駅より徒歩15分)
    (東急目黒線・不動前駅より徒歩8分)

【参加費】 ・・・15,000円 

       当日、会場にてお支払いください。


    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。




終了しました

人は残念ながら、一度に1つのことしか言えません。

しかも、その言葉の内容は、よく吟味されたものでもありません。
大抵は、瞬間的に反応として表れてしまうものです。

身近に学習してきたやり方が、真っ先に言葉になるんです。

それは必ずしも、本人の大事な思いを反映していないんです。

人には沢山の気持ちがあって、
そのどれもが本心です。

「本当の気持ち」という言い方は
それが1つであるかのように錯覚させますが、
本心は沢山同時に存在しているんです。

その複数をどれだけ捉えられるか。

その中に、特に分かってもらいたいものがあるのでしょう。
それに対応できたら、どうでしょうか?

言葉になっていないけれど、内側に存在している大事な気持ち。

その気持ちと会話することができれば、
コミュニケーションの可能性は大きく広がると思います。

「人の心」というものへの理解も深まるんじゃないでしょうか。

『本心は複数ある』
…これが肝です。

その観点でトレーニングします。

大事な内容だと考えています。
チョット新鮮な体験になるかもしれません。

2013年06月26日

ようやく

Facebook を始めました。
やっと登録した段階です。

何をしたらいいのかサッパリ分かりません。

新しいメールアドレスを取ってから登録したからか、
あまり詳しい個人情報を載せていないからか、
取り立てて動きもなく静かな感じ。

まぁ、そんなに積極的に使うつもりもありませんが。

個人的には、色々なところで表示されるメッセージの
コントロール感の強さにギョッとしているところです。

ぼちぼち始めていきますから、
詳しい方はよろしくお願いします。

…というスタンスで良いのかも分からないぐらいですが、
 誰かを探すこともままならない状態なので、ご容赦ください。

2013年06月24日

世界をリアルに見るには

眼球に光が入ってくる部分にレンズ(水晶体)があって、
中を通り抜けた光は奥にある網膜に当たります。

この網膜に光受容体である『錐体』と『桿体』が配置されていて
それぞれが光を感知すると視神経を通って信号が脳へ伝えられる。

大雑把にいうとそんな流れで光を検出しているわけですが、
錐体と桿体には性質の違いがあります。

錐体には、いわゆる三原色(RGB)に対応した三種類があって
そのおかげで色を検出できるけれど、感度は高くないので
明るいところでしか色は分からないことになります。

一方、桿体は一種類で色の検出はできない。
その代わり、感度が高く、暗いところで物を見るのに活躍します。

そして、錐体は網膜のほぼ中心(水晶体の反対側)に集中しているので、
中心視野のみで色を伴った詳細な画像が分かる。

周辺に行くほど桿体だけになっていくため、
周辺視野では正確な情報は取れず、色も検出できません。


にもかかわらず、
僕が見ている世界は、全てカラーです。

視野の端っこのほうは、確かにボヤけていて不鮮明ですが
それでも一応、カラー画像を保っている。

ということは、記憶されている情報を使って、自覚しない範囲でも物を判断し、
その物の色を記憶から引っ張ってきて映像を構成していると考えられます。

本当は色なんて感じていないはずなのに、
その色が見えているように思っている。

スゴイことだなぁと思います。

よく錯視の例を出して
「人間は現実を体験していない」
といった話が展開されることがありますが、
視野の全体に色があるような気がしていることのほうが
もっと驚くべき話じゃないかと個人的には感じるんです。

錯視は、人間が三次元で奥行きを判断したり、
光と影の世界の中で物を見てきた経験をベースに、
物事を認識するための工夫だと言えます。

陰影や奥行きを理解するために必要な能力として身につけたものでしょう。

あるいは、脳のレベルで起こる経験の結果とは無関係に、
視細胞の性質として起きてしまうタイプの錯視もあります。

それと比べると、周辺視野でも色があるように感じるというのは、
世界を変化のないものとして処理をするための
一種の”手抜き”のようなことじゃないかと思うんです。

何でもかんでも実物を知覚していたら情報量が増えてしまいます。
全部処理していたら大変ですし、重要な変化に向けられる注意の度合いも
相対的に下がってしまうかもしれません。

であれば、景色の大部分は短時間では大きく変わらないものとして
わざわざ注意を向けないように処理しているほうが効率的でしょう。

つまり、記憶に頼って、新しい情報を入れない、と。

周辺視野のほうが、そのように記憶に頼っている度合いが高いはずです。
だから、本当は色がないのに記憶から色を補って世界を作り出し、
注意に上がる度合いも低くなるため変化に気づきにくくなる。

手品は注意から外れたところでタネを駆使しています。
中心視野に注意を集めることで、周辺視野の変化が
意識に上がるように処理されないで済んでいると考えられます。
だからタネに気づかれない。


そうすると、「周辺視野で変化に気づく」というのは難しいことになります。

観察力を高める上で周辺視野を活用するという発想は
言葉の使い方としてチョット違うような気がします。

むしろ、中心視野を広げる感じ。

一か所にズームインしてしまうのではなく、
ズームアウトするようなつもりで見ることを言いたいんじゃないでしょうか。

そのためには、観察の対象が中心視野の範囲に入りきる必要があります。
ちょっと離れないといけないわけです。

離れると小さな変化は、さらに小さく見えるようになることになりますが、
どんなに小さくても変化を「変化」として識別することができれば、
離れて観察することに問題はありません。

全体を中心視野に入れる。
小さな変化に気づく。

これが観察のコツの1つかもしれません。

そのために重要な心がけは
「常にどこかで変化が起きている」
と思って探し続けること。

記憶に頼った世界を見ていると、変化はありません。

常にチョットずつ変化しているものとして世界に注意を向ける。
見ている世界から記憶の度合いを減らしていく。

それがコツじゃないかと思います。


ただし。

あんまりやり過ぎると疲れます。
見えている世界が気持ち悪くなります。

自分の呼吸や心臓の拍動によっても、筋肉の観念運動によっても
体は微妙に動いているんです。

世界に対する目の相対的な位置は、微妙に動き続けています。

ビデオカメラの手ブレみたいなものです。

でも、人間の視野は(普通は)一定している。
”手ブレ防止機能”のように、記憶を頼りに
見えている世界を再構成するからです。

あまりにも記憶の度合いを減らしていくと、
そうした”好都合”な機能も下がってしまいます。

世界が常に揺れて見える。
色は光の散乱度合いによってチラチラと瞬いて見えます。

止まっている景色を認識できなくなるかもしれません。

これは、あまり気持ちの良いものではありません。

現実を見る度合いは高くないほうが楽。
ただ、それだと気づけるものが少ない。

どっちを、どれぐらい優先するかということでしょう。

cozyharada at 23:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2013年06月22日

幸せの感じ方

行動経済学で有名なダニエル・カーネマンは
幸せの研究について、ある意見を提唱しているようです。

それは、一般的な『ポジティブ心理学』とチョット違う観点。

ポジティブ心理学が示してきたような幸せの研究の仕方では
「現在のその瞬間」の幸せの程度を調べることが多いのに対して、
カーネマンは、それでは不十分だ、と。


ポジティブ心理学として扱われる研究結果として、
「現在のその瞬間の」幸せ程度と、様々な人生の要素との相関を調べると
「収入と幸せには相関がない」とか「人間関係と幸せには相関が強い」とか
そういったお話になることが知られています。

「相関がある」ときは、まぁ、なんかしらの関係があるだろう、ということで
それなりに意味のあるデータだと言えるのかもしれませんが、
「相関がない」ときの解釈は気をつける必要があります。

つまり、「収入と幸せの程度には相関がない」というのは、
「収入と幸せの程度は無関係」ということですから
「収入が多くても幸せになれない」という意味ではないんです。

収入が多くて幸せな人も、収入が多くて不幸な人も(主観的な評価として)
逆に、収入が少なくて幸せな人も、収入が少なくて不幸な人もいる。

あらゆるバリエーションがあって、全部ひっくるめるとバラバラになって
「データがグチャグチャです。意味のある解釈はできません。」
ということが「相関がない」ことになります。

言い換えると、「本当に無関係かどうか」は分からない。
もう少し条件分けをしたら、実は「〜の場合、収入が多いほうが幸せ」
といった可能性もあるわけです。

もしかしたら、収入以外の全ての要素が完全に同じだった場合、
「収入が多いほうが幸せ」という結果が出るかもしれません。

「人間関係が良いほうが幸せ」という結果に関しても、
「人間関係の良さ」が「幸せ」に重要だという意味ではない可能性もあるんです。

「幸せ」の評価には複数の要素が絡んでいて、総合的な評価になっているけど
「人間関係」を良く保てている人は、
「全体的に、多くの要素で満足度の高い生活を送っている」
ということかもしれないわけです。

そこら辺は、研究の手法として調べようがない部分。

とはいえ、多くの人が感じるように、個人的に
人間関係が良いほうが幸せだというのは納得できる部分ではありますが。


で、カーネマンは、その幸せの評価において、
「今ここの瞬間を体験する自分」と「思い出す自分」と
2つの「自分」が関わっていると考えているそうです。

それぞれの「自分」が感じられる幸せの種類が違う、と。

言うまでもなく、「今ここの瞬間を体験する自分」にとっての幸せは
「今、楽しい時間を過ごしているから幸せ」という種類のもの。

一方、「思い出す自分」にとっての幸せは
記憶によって、印象の残り方によって左右されると言えます。

で、主観的に体験する幸せには、この「思い出す自分」のほうの
記憶によって影響を受ける部分が大きいはずだというんです。

これは僕も同意します。

逆に、僕が考慮すべきだと思うのは、
「今ここの瞬間を体験する自分」が感じている幸せの程度が大きいほど、
「思い出す自分」によって引っ張り出される記憶の種類も変わる、ということ。

今が幸せなら、過去の幸せな記憶を思い出して味わって
それも全部まとめて幸せを感じられるし、
今が不幸だと感じていると、過去の苦しかったことを色々と参照して
全体的に不幸を感じることになるはず。

相互に影響し合っていると考えられます。

両方が大事だとも言えるし、どっちを満たしても幸せになれるとも言える。
そういうことじゃないか、と。


もちろん、「今ここ」の体験だけに集中してれば
そこにある喜びをひたすら感じ続けることができる
…といった観点もあるでしょう。

つまり、「思い出す自分」ではなく、「体験する自分」に専念することで
人は常に幸せでいられる、といった考え方です。

逆に、過去の幸せだった時間を沢山思い出すことで
幸せを感じることだってできる。

それはもしかすると、「あの頃は幸せだったなぁ…」とノスタルジーを感じて
今の苦しみを対比される場合もあるかもしれないけれど、
「それでも充実した人生だった」と総合的な「豊かさ」に繋げることはできるでしょう。

もっといえば…、

後から振り返ってみれば、苦労した時間だって
意外と楽しかったような気がしてくることもあるわけです。

苦労しているときは、それを感じられなくても。

もし、
「今の苦労があと二週間でピタッと終わります。
 それからは順風満帆になります。」
と言われたら、
「…そう思うと、この苦労している状態が終わってしまうのも
 なんだか少し寂しい気もするなぁ」
なんて感じるかもしれません。

順風満帆なときが何年も続いたころには、
「なんだかんだいって、あの頃のもがいていた時期が
 実は一番充実していたのかもしれないなぁ」と思うこともあるんじゃないでしょうか。

今ここの瞬間を味わうことの中には、苦しみも含めて
「それもなかなか味わい深いものだ」と思えるようなところがあるような気もします。

つまり、
 「思い出す」ことを想定すればこそ、
 「今ここの瞬間を体験する」際の味わい方も変わってくる
ということです。

「思い出す」ことを雑念のように振り払って
「今ここ」に専念しようと頑張るだけが方法ではないでしょう。

思い出に浸るやり方だってあるし、
思い出を想像することで「今」の感じ方に影響を与えることもできる。

『自分の不幸は蜜の味』
究極的にはそう思えると、豊かな味わいが待っているのかもしれません。

cozyharada at 23:25|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

2013年06月20日

英語deエリクソン

エリクソン催眠を英語で練習する勉強会に行ってきました。

元々は雑談の中から「やってみましょうよ」という話になったもの。
ミルトン・エリクソンの教材として手に入る本やビデオには
まだまだ日本語に翻訳されていないものが沢山あるので、
ゆくゆくは、そういう勉強につなげたいですね、と。

僕の考えとしては、
・催眠のトレーニングをしたい人
・英語を身につけたい人
…両方の側面に効果アリだろう、というところです。


催眠の重要な要素に『リズム』があります。

別に、言葉の内容なんて分からなくたって、
リズムと声のトーン、姿勢や表情によって
トランスに誘導するのは簡単なんです。

むしろ、言葉の内容よりも、非言語のほうが重要だと思います。

で、リズムや抑揚、間の取り方などを考えると
日本語よりも英語のほうがやりやすいところがあるはずです。

もちろん、日本語でも「お経」のような感じにすれば
自然とトランスに導きやすくはなると思いますが、
逆方向、つまり抑揚の豊かな表現でトランス誘導するケースは
あまり見受けられない気がします。

抑揚のつけ方によっては、日本語の場合、
不自然さが残るんじゃないでしょうか。

まぁ、本質的には、クライアントが「不自然だなぁ」と感じているなら
それを観察して抑揚の調整をしていけば構わないわけですが、
そうした柔軟性を発揮できることは多くないようです。

どちらかというと、自分が習った「催眠って、こういうもの」
という印象のやり方から抜けられない人のほうが多い。

固まりやすいんです。

その理由の1つに、
 催眠の学習がトランス下で行われる
ことが挙げられるでしょう。

かなり早い段階で、自動化が進んでしまうということです。
意図的に身につけたものではなく、うつってしまった癖のような要素が多い。
気づかないうちに真似してしまうんです。

ちょうど、小さい子供が親の真似をしながら行動を身につけていく感じです。
街中で親子を見つけたら、よく観察してみて下さい。
歩き方、姿勢、話し方、食べ方、言葉遣い…
本当に多くの事柄が親の影響だと分かるはずです。

(男性の親子のほうが分かりやすいかもしれません。
 日本の場合、女性のほうが仲間内のプレッシャーが強い傾向があるようで、
 ある時期から、同世代の文化に染まることを心がける人が多いのでしょう。
 そのため、女性ほうが青・少年期から修正した行動が多くなるようです。
 結果として、娘の振る舞いの中には母親と違うものが見られると思われます。)

そのように、人は意識的に何かを身につける場合だけでなく
知らず知らずのうちに身につけてしまったものもあるわけです。

そして、トランスという状態は、気づかないうちに
周囲の影響を受けて、それを学んでしまいやすい性質があるようです。

だから、催眠を学ぶときには、教わる人の影響が強く表れる。
全く自覚しないうちに、声のトーンや抑揚、言葉遣いなどを学んでいるんです。

これは気づかないで身につけてしまっている分、
自分の振る舞いとしても自覚しにくいところになります。

変えようという発想すら思い浮かばない。
自分が何をしているかに気づいていないからです。

そのため、催眠のトレーニングを日本語で進めていくと
どうしても最初の延長線上になりやすく、
一度ついてしまった癖を変えるのは大変だろうと考えられます。

もちろん、自覚できれば話は別です。
でも、催眠の誘導をする場合、催眠者もトランスに入りますから、
その状態で自分が何をしているかを自覚するのは困難です。
自覚したら、トランスから覚める方向に進むので。

つまり、自覚できない癖があり、
癖を変えるために、それを自覚しようとすることすら難しい、
という状態になっている、と。

それでは、クライアントに合わせて柔軟にやり方を変える、
ということも難しくなるでしょう。
他のバリエーションを身につけにくいわけですから。

そこで、やっと英語で催眠を練習するメリットが表れるわけです。

英語でやれば、新しいこととして自覚せざるを得ない部分が多々あります。
これまで催眠をやってきた人でも、英語になると
もう一度初心者に戻れるんです。

英語特有の豊かなイントネーションや、
単調ではないながらもリズムを生み出せる感じも、
英語を使って練習すれば身につけやすいと思います。

その場合、重視すべきポイントはリズムと抑揚です。
言葉の内容は、さほど気にしなくて良いところでしょう。

ということは、朗読でも良いんです。

読むことに慣れていなければ、ゆっくり読んで5分ぐらいの誘導スクリプトを
じっくり時間をかけて把握してから練習しても良いでしょう。

どういう発音なのか、どこで区切るのか、どこを繋げて一気に読むのか、
どんな意味合いの部分なのか…などなど、準備をしてから、取り組む。

そして、その5分のスクリプトだけを何度も練習します。
練習として心がけるのは、読み方のほうですから。

これなら催眠の重要な要素、『リズム』を強調して学べるでしょう。

もし、催眠の言語的な側面に興味があれば
エリクソンのスクリプトを分析してみても良いと思います。

英語じゃないと効果を発揮しない手法なんかも含まれていますから。

別に、全員が同じように練習しなくても良いでしょうから
それぞれが心がけたいところを扱っても面白いんじゃないでしょうか。


そして、英語を練習したい人にとっては、
まずこの音読が効果的です。

催眠の場合、リズムとイントネーションを強調しながら、
それでいて、ゆっくりとしたスピードで語られることが多いんです。

ですから、どうしても単調になりがちなところを
わざとらしいぐらいにして練習できる。

実際、改めて気をつけて聞いてみると、
ネイティブのアナウンサーや、ドキュメンタリーの解説音声などは
かなり強調されていることに気づくと思います。

日常会話よりも、ずっと抑揚がついているんです。
そこまでやっても、別に不自然じゃないということです。

むしろ、よほど気をつけないと日本人は単調に話しやすいようです。

そういう癖を変えるには、わざとらしいぐらいに強調するのがコツ。

それも、スピードをゆっくりにすることで、その抑揚をつけやすいはずです。
これが1つ目のメリット。

次に、催眠という状況だと、ゆっくり話せるというのも重要です。

つまり、ある程度のスピーキングができるなら
自分で自然な催眠誘導を練習してみても良いということ。

その場合、ネイティブの話のスピードに合わせたりしなくて構わないんです。
むしろ、ゆっくりなほうが望ましい。

ですから、落ち着いて、自然と浮かんでくる言葉を紡ぎながら
スピーキングの練習ができてしまうわけです。

スピーキングの練習として効果的な方法として
”ひとりごと”を話し続けるというのがあるようですが、
これは事実上、気軽にできるものではないでしょう。

例えば、原稿を読まずにスピーチをやるなんていうのは
その意味で効果的なはずなんです。

とにかく、積極的にアウトプットを続けられますから。

英会話だと、このアウトプットの形に違いがあります。
会話なので、返答というニュアンスが強くなる。
通じてしまえば、言いたいことを言いきらなくても話は進んでいく。

それよりも、練習という観点からすれば、極端な話
1時間ずっと一人で言葉を発し続けているほうが効果があると思います。
経験の量が多い分、効果的だということです。

ところが、聞き役がいる状態で、長時間一人で話し続けるのは
なかなかプレッシャーがかかるものでしょう。
相手が話したそうにしているのも見て取れてしまうかもしれません。

それが催眠の練習の形になると、途端にプレッシャーから解放される。
ゆっくりで構わないんです。
間があっても、構わないんです。

会話ではなく、自分が一方的に発話し続ける練習ができます。
言葉の繋がりとして、記憶のネットワークを強化できるんです。
言葉が連想されやすくなる効果が期待できます。

相手はただ、目をつぶって聞き続けてくれますから、
何も気にせず、発話をし続ける練習ができるんです。

スピーチほど、内容を気にしなくても大丈夫ですし、
人前で話すというプレッシャーもありません。

スピーキングの経験量を増やすには、もってこいだと考えられます。

そして3つ目に、催眠の練習をすると、
トランスで学習が進むため記憶に残りやすい
ということも挙げられます。

先ほども説明しましたが、トランスの場合、
自然と身についてしまうことが多いんです。
学習の仕方が自動的になりやすい。

実際、催眠誘導の練習を日本語でやっていても、
何度も練習したフレーズは気づかないうちに覚えてしまったりします。

それを英語でやれば、何度も練習するうちに
英語のフレーズとして覚えてしまえるわけです。

催眠の練習では、間を取りながら、ゆっくりと言葉を発しますから、
フレーズ単位で発話するケースが良くあるんです。

一文節ほど長くもなく、かといって一単語でもない。
ある程度の意味のまとまりを、まとまりとして発話する。

英語学習の観点からいえば、その意味のまとまりを覚えて、
必要なときに、まとまりとして思い出せれば楽なんです。

そのまとまりをフレーズとして、繰り返し練習できる。
そして、その練習がトランス下で行われるため、
「いつの間にか覚えてしまっていた」という結果が期待できるんです。

もちろん、教材を使えば、自分が持っていないバリエーションとして
色々な言い回しを身につけていくことも可能なはずです。

この際、「ん?この言い回しは”馴染みがない”な…」という印象が
とても役立つと思います。

”馴染みがない”フレーズこそ、何度も読んで練習すると
それを”馴染みのある”フレーズに変えていけます。

すると、いつか、あるタイミングでパッと思い浮かんでくるようになる。

極めて自然な言語習得のプロセスを進められる、
といった感じでしょうか。

催眠特有のヘンテコな言い回しだけを学んでしまうかというと、
その心配もあまり無い気がします。

エリクソンのスクリプトを使えば、特にメタファーの部分など
日常に結びついたフレーズも沢山含まれていると思いますから。


ということで、英語で催眠を練習すると
英語を身につけたい人にも
催眠のトレーニングをしたい人にも、
どちらにもメリットがあると言えます。

興味のある方は、参加してみて下さい。

多分、フェイスブックとかで探せると思います。

2013年06月18日

昔ばなし

ネット検索をしていたら、自分のブログの記事が出てきました。

2007年の記事。
もう6年近く前の内容です。

いやぁ、我ながら若かった。
未熟ながらも、なかなか熱い想いが感じられました。

懐かしいものです。

NLPもコールドリーディングも、心理療法の勉強も
とにかく楽しかった頃。

純粋に勉強することが楽しくて、
新しい知見が得られるのが嬉しかった。

そして実践できる場があったから、色々と経験もできました。

知識収集と実践とを組み合わせ、
「ああでもない、こうでもない…」と考察する日々。

上手く立ち回らずに苦しんだ時期でもありましたが、
だからこそ、勉強できること、実践できることが嬉しかったんでしょう。

何も分かっていなかったから、何も気づかず、何も見えずに、
ただ前のほうに向かっていたような気がします。

そういう喜びには、もう戻れないんですね。
ちょっと郷愁を感じます。

知ってしまったら、もう知る前には戻れません。
分かってしまったら、もう分からなかった頃には戻れません。

それは、なんとも寂しいもの。

まぁ、小学校の頃のように無邪気にはしゃげないとか、
大学生の頃のように元気に飲み会で盛り上がれないとか、
そういった感じと同じようなものなのかもしれません。

…ちなみに、僕が無邪気だったのは小学校2年生までで、
大学の飲み会でも大声を出すことなんてありませんでしたが。

2013年06月15日

予告フェイスブック

ついに重い腰を上げて、Facebook をやることにしました。

…まだ始めていませんが。

Twitter は字数制限的に、やらない気がします。
どのようにブログと区別するかは考え中。

プライベートは載せないんじゃないかと予想しています。
そっちは英語バージョンで別アカウントでも使うかもしれません。

始めたら、こちらでもお知らせすると思います。

ちょっと教えてもらってから始めるつもりなので
あくまで予告まで。



それから、7月のセミナー・勉強会は

○7月14日(日) 日中
○7月28日(日) 日中

で予定しています。

1つは【観察力アップ】をテーマに。
もう1つは【対人コミュニケーション】がテーマになると思います。

並行して、夜間でカウンセリングの実践練習もやるかもしれません。

詳しくは、また追ってお知らせします。

2013年06月13日

「泣けます!」

笑顔や幸せは素晴らしいことでしょうが、
悲しみや憤りに対する喜びというのもあるものじゃないでしょうか。

新作映画の宣伝で「泣けました!」とか言っているのも良く見かけます。

もちろん、中には良い話に感動して泣いたものもあると思われます。
その一方で、悲しくて泣いてしまうものだって沢山あります。

悲しい話を見たり聞いたりして、それに感情移入して涙を流す。
その行為を、価値のあるものとして体験する人が大勢いるわけです。

涙を流せるっていうのは良いもんだ、と感じているということでしょう、きっと。


ところが、それはあくまで他人の話だから「泣ける」という評価になって
”心が動かされる”ことで感動できるものに受け取られるようです。

いざ自分のことになったら、「泣ける」とは言わないんです。

はたして本当にそうなんでしょうか?

よくよく心の内側を探っていくと、
その悲しんでいる自分のことが好きな部分にも気づけるはずです。

よーく味わってみると、
「あれ、意外とこの感情に浸っている自分も嫌いじゃないかも…?」
なんて思えるところがある。

「悲しみや不満があるから、幸せが分かる」
という比較の問題ではなくて、
「悲しみや不満そのものを喜びと感じられる」
ところもあるんじゃないか、っていう話です。


ほとんどの悩みは、いずれ解消されていくものです。

事情が変わって問題がなくなることもあれば、
もっと他に気になることができる場合もあります。
頑張って問題を乗り越えるということもあります。

やがては無くなってしまう悩みなんです。

そして、その悩みの中で体験する感情は、
意外と「それを味わっている自分も悪くない」と思えるようなものかもしれない。

「こんなにも、もどかしい思いを味わえるのは、今だけだ」
「これほどの悲しみを感じられるのは、今だけだ」
…そんな風な喜びもあるんじゃないでしょうか。

新作映画の試写会の感想のように
「いやー、もう泣けました!号泣しっぱなしです!この悩みサイコー!!」
なんて感じ方も1つの選択肢かもしれません。

2013年06月11日

説明の仕方

ある種のセラピー技法の中には、
前世があることを前提にしたようなものがあります。

ここで言っているのは「前世療法」のように
最初から「前世の話を扱いますよ」と謳っているものではありません。

むしろ、表面的には全く、そういう雰囲気を出さないでおいて
実際の手順が始まると「前世との関係」などを質問し始めるタイプです。

世の中には、「前世」という考え方を肯定している人もいれば、
そのことに対して拒否反応に近い考えを持っている人もいます。

その点で、ただ”幅広く対応できるように”という発想で
手順の中に、前世のことも視野に入れる余地を入れているのなら、
まぁ、その考え方は分からないでもありません。

が、同時に、それによって「前世なんてない」と考えている人に対しては
手順の中で当然のように問われる「前世との関係」の質問が、
その方法論そのものへの抵抗感を生みかねないとも考えられます。

そのように世間で様々な受け取られ方をしている内容については
慎重な取り扱い方をしておくほうが無難じゃないかと思います。

「この点は意見が分かれそうだな」と思われる部分は、
事前に技法の説明として、触れておくのが良いんじゃないか、と。

催眠療法の人が、
「催眠っていうのは特別じゃないんですよ。
 ニワトリになったり、勝手にコントロールされてしまったりするような
 そういうものではないんです」
といった説明をしておくのに近いでしょう。

鍼灸の治療院に行ったときに「これは気の流れが…」と説明されれば
違和感なく納得できる人であっても、
病院でMRIの画像を見ながら「これは気の流れが…」と言われたら
ちょっと奇妙な感じがするんじゃないでしょうか。

物事には様々な説明の仕方がありますが、
説明を受ける側には先入観に基づいた期待があるはずです。
こういう話だろう、こういう説明は出てこないだろう、という期待が。

その範囲を出てしまうと、人によっては抵抗を感じる場合もあるようです。

そういうこともあって、僕がNLPを説明するときは…

「人の行動や感情の奥にある”心”というものを
 ”プログラム”に喩えて理解しよう、っていう方法です。
 ”上手くいっていないのは、あくまでプログラムなんだ”って考えると
 気が楽になりませんか?
 上手くいかなければ、そのプログラムだけ変えればいい。
 自分が変わらなくても、相手が変わらなくても、
 ただ、その上手くいっていないプログラムだけ変えればいいんです。
 そのための視点と方法を扱っているのがNLPです」

といった感じになっています。

「プログラム」というのはNLPが勝手に使っている発想であって、
全員に共通しているものではありませんから。

「人はプログラムなんて単純なものじゃないだろう!」
っていう人もいるかもしれません。
だから事前にお断りをしておくわけです。

しかも、「プログラムに”喩えて”」という具合に「喩え」なんだと説明して
受け入れやすさを高めようとも考えています。

自分にとって正しい説明の仕方や、
NLPの業界として正確な説明の仕方もあるだろうと思います。

自分が整理をするための説明だったら、
好きなように正確な表現を追求すると良いんでしょう。

ですが、知らない人に伝えるときには、
相手に与える印象のほうが優先されることもあると思うんです。

『何が一般的に、”あたりまえ”として受け入れられていて、
 自分の説明が、その”あたりまえ”と、どのように関係しているか』

これを吟味しておくのが伝える上で重要なんじゃないかという話です。


ちなみに、「前世」に関しては、僕は曖昧なスタンスです。

「前」という表現が、時間の流れをシリアルなものという前提にしていますから
そこに受け入れ難さを感じます。

「別の人生」とか「別の回」とか言ってくれれば、抵抗は減る気がします。

何より僕は、「今の人生をやり直す」という話を聞いたことがありません。
理屈で考えれば、「別の人生」があるなら、「今の人生のやり直し」があったって
自然なことじゃないかと思えてなりません。

「私の人生、今回で741回目なんです」
とかいう人に出会ったら、俄然、信じられるようになるんですけど。

cozyharada at 23:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2013年06月09日

たれないソースさし

最近すごく感心したことがあります。

それは、こちらの”ソースさし”。
中濃ソースの入れ物です。

醤油さし2



















近所のチェーン店の定食屋で使われていた品物なんですが、
これが実に素晴らしい。

ほぼ確実に、「液だれ」しないんです。

ソースが、です。
ソースなのに、たれないんです。
容器を伝わってビンが汚れることがないんです。

何度もランダムにスピードを変えながら試しましたし、
注ぎ口に残っているソースの量も変えて試しましたが、
僕がやってみた限り、確実に「スー…ッ」とソースがビンに戻っていく。

一般的な容器であれば、注ぎ口の周りから下側につたって
ポタポタのテーブルを汚してしまったり、
ビンにつたってビンそのものにソースが付着してしまったり、
ときにはソースが”つらら”のように固まってしまったりするものです。

何度も、そういう光景を見てきました。
そして、この店舗が以前に使っていたソースさしも例外ではありませんでした。
やっぱり注ぎ口の周りから液だれして、汚れが溜まっていく。

ところが、この新型容器は違う。
どれだけ乱雑に扱っても、注ぎ口に残っていたソースが
自然とビンの中に吸い込まれて戻っていくんです。

たれない。

これは見事な『発明』です。

原理としては、ただ表面張力と管径とのバランスが最適なだけで、
 重力の結果として下側に回る液を容器内に引っ張りこめるだけの
 表面張力の強さを維持可能な表面積を用意している
と表現できてしまいますが、
アイデアとそれを実現させた形状が絶妙なんです。

この注ぎ口は、下側がこのように(↓)くびれていて、溝になっています。
ソースはこの溝を伝って出てくるわけです。

醤油さし1





















そのとき、この溝への出口の大きさが小さいため
あまり大量にはソースが出てこない仕組みになっています。

ドバッと一度に出てこずに、静かに少しずつ出てくる。
どんなに傾けても、この口径が一度に出られるソースの量を制限しているんです。

そして、その少しずつ出てくるソースは、そのまま
この溝を伝って出ていき、料理の上に注がれます。

一度に出てくる量が決まっていますから、
溝に沿って流れるソースの量も一定。

この溝が細いために、一定量のソースが溝の表面に触れる面積は大きく、
十分な張力が確保されて、ソースは常に溝の間に留まろうとします。

傾ける角度が大きくなると溝の先端部分(注ぎ口)まで
ソースは溝を伝って降りていくことになり、
その先端部分に少しずつ溜まっていく。

そこで溜まったソースは、先端部分との表面張力が支えきれない重さになったとき
ポタッと一滴になって落ちていくわけです。


そして、ここからがポイント。

ソースを注ぎ終わって、ビンの傾きを戻して立てると…。

この先端部分と溝の中に残っていたソースが
一般的なソースさしの場合と違う動きをするんです。

普通のソースさしは注ぎ口が、ただの穴になっています。
その場合、穴から出て外側に残ったソースは、重力で下に落ちていき、
注ぎ口の下側に向かって集まっていくことになります。

そして、注ぎ口の下側に”しずく”として落ちそうなほど溜まっていく。

ソースは粘度が高いので、この”しずく”になるまでソースが下がり切るのに
ある程度の時間がかかります。
通常、その時間内にソースのビンはテーブルに置かれる。

で、テーブルの上で、注ぎ口に残っていたソースは徐々に下へ集まってきて、
そのまま一滴のソースとしてテーブルに垂れるか、
注ぎ口の下側を伝ってビンに付着するか、
”しずく”として垂れそうなままギリギリを保って、乾燥して”つらら”になるか、
そのあたりの結果になるんです。

一方、このソースさしでも、注ぎ口に残ったソースは
その重さによって下側に集まっていくところまでは同じですが、
集まった先が溝になっているところに違いがあります。

細い溝に集まってくることで、ソースと管壁との接触面積が大きくなり
十分な表面張力が確保されて、そもそも
”しずく”として落ちそうな溜まり方をしないんです。

ですから、仮にそこに残ったとしても”つらら”状にはならない。
溝全体の間へ均一に留まっていることでしょう。

実際は、さらにそのソースに加わる表面張力が
溝手前の出口部分で最大になるんだと想像されますが、
ビンの中に残っていたソースが元の場所に戻る動きに引っ張られるように、
その溝の間にあったソースもビンの中へと引っ張られていくんです。

まるで、ビンの中から吸い込んでいるかのようです。

重力で液滴として下に垂れるよりも、
ビンの出口の接触面積とソースの粘度が作り出す表面張力のほうが強く、
それに引っ張られるような動きをするんでしょう。

もっと出口の穴が大きければ空気の通り道ができてしまって
ソースは溝に残ったままになってしまう可能性があります。

逆にもっと出口の穴が小さければ、ソースの流れるスピードが遅くなって
出入りの動きに時間がかかってしまうと思われます。

この出口の穴の大きさと溝の細さが絶妙だから、
ソースはビンの内部に”垂れ”ようと動いていく、と。


もう、本当に見ていて気持ちが良いぐらいです。

ソースが自らの粘性で、ビンの内側に引っ張られて戻っていく様は、
まるでビンが吸い込んでくれているようにも見えるし、
ビデオを逆回しにしているようにも見える、不思議な光景です。

実に良くできています。

おそらく、中身がウスターソースや、とんかつソースだったら
この穴の大きさと溝の細さでは対応できないのでしょう。

この中濃ソースの粘度にマッチした形状だと思われます。

そういう巧みな調節度合いも見ていて面白い。

思いつけば、あとは微調整の繰り返しだけなんでしょうが、
これを形にしたのは素晴らしい発明だと感じます。

「当たり前」を最初に形にするプロセスは、人類の大きな財産じゃないでしょうか。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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