2013年11月

2013年11月08日

食べ方教室

世の中には料理教室やレストランの批評など
「何が美味しいか」を元にした活動が沢山あります。

料理教室では「こういうのが美味しいんだ」という基準をもって
”美味しい料理の作り方”を指導してくれる。

グルメライターや料理コンテストの審査員は
「これが美味しい」という基準で、他人の料理を審査する。

本当は、個人の好みとかもあるはずなのに
「これが美味しい」というものを決めるにあたって
ある程度の共通認識があるはずなんです。

しかもそれは、「大多数の人が平均的に美味しいと感じるだろう」
という世間一般の評価ではなく、”味の違いが分かる”人たちが
美味しいものの中から特に美味しいものを選び出す作業です。

料理人はホンのチョットの塩加減や火加減で生まれる味の違いを調べ
審査する側は、その些細な違いで美味しさを比べる。

共通認識としての「美味しさ」の基準に基づいて判断されるんです。
その基準が”分からない”人は、”向いていない”ということになるんでしょう。


ちょうど世間一般の人が
「私、この絵が好き」、「あの歌イイよねぇ」、「この服カワイイー」
などと好みを語るのとは別のところで、
専門家が「より良い」ものを判断するのと同様です。

美術作品でも、歌のオーディションでも、ファッションでも
「良いもの」が専門家によって審査されます。
そこには専門家が共有している基準があるんです。

そして専門家ではない世間一般の人たちは
その専門家が良いとするものを参考にして判断します。

だから「ダサい」とか「古い」とかいった評価が生まれるんでしょう。

「でも、好きなんだから良いじゃん」といって済ませられる人は構いません。
が、社会生活をするうえでは、ある程度、共通認識としての基準に
合わせられる能力も求められることがあります。

絵ではそういうことも少ないかもしれませんが、例えば
文字とか、歌とか、服装とかだと共通の基準が求められることはあるものです。

「あの人の字はカワイイ感じで好きだなぁ」という好みとは別に
「社会人としてお詫びの手紙を書くのには不適切だ」という見方もあるでしょう。

だからこそ、「ペン字講座」とか「歌のレッスン」とか
「イメージコンサルタント」とかいったものが利用されると考えられます。

つまり、
・専門家が繊細に判断する「良いもの」の基準がある
・その基準を元にした一般的に「望ましいもの」が社会的に決まる
・この基準を満たすための効果的な方法を伝える仕事が生まれる
といった感じ。


ですから、料理教室がやっているのは、
 一流とされる料理人と評論家が共通認識として持っている
 「美味しさ」の基準の尺度において、
 「美味しい」レベルを上げるための方法提供
といったことになるんでしょう。

その一方で、やっぱり好みの問題は残ります。
「料理教室ではこれが美味しいものとして習ったけど
 私の好みはこっちです」
なんていう意見が出てくる可能性は十分にあります。

もちろん、それで好みに合わせてアレンジするのも構わないんでしょう。

が、もう1つの観点として
 その美味しさの基準を判断する方法を学ぶ
というものがあるはずです。

つまり、ワインでいうところのソムリエ教室のようなものです。

ソムリエ教室ではワイン作りは学びません。
ワインの味わい方を教わります。

こういう風に香りを楽しんで、こうやって口の中で味を広げて
ここの味覚と嗅覚の違いを楽しむんです…という具合に
体験の仕方をトレーニングしてもらえる。

同様に、
 こういう風に食べ物を口に運んで、口の中のこの辺に食べ物を置いて
 口のこの部分を動かすようにして噛んで、この感覚に注意を向けるんです
…といった、食べる時の体験の仕方を教えたら
専門家が美味しいと評価するときの基準が理解しやすいと思うんです。

他人の食べ方に興味を持つ人は多くないかもしれませんが、
多くの人は、いつもの自分の食べ方で食事をしているようです。

マナーとかの話ではありません。

どうやって口を動かすか。
どれくらいの量の食べ物を、口の中にどうやって運ぶか。
それを口の中のどこに置いて噛むか。
どの感覚体験に注意を向けているか。
これによって感じられる”味わい”は変わってくるものです。

口の奥のほうを広げて鼻に空気を抜きながら
目と鼻の間ぐらいに注意を向けて食べると、
食べ物の匂いが良く分かります。
特に、噛んだ瞬間に広がる匂いに良く気づきますから
生臭さに対して苦手意識を持つことがあるようです。

逆に中華料理では、土地特有の水質の影響があるのか
生臭さを感じやすい食べ方ではなく、口の前のほう…
舌と歯のあたりを中心にして食べることが多いように見受けられます。
その分、調味料のバランスや歯ごたえが重視されるんだろうと思えます。

寿司を例にとっても、
トロやサーモンを食べるとき、
光りものや貝類を食べるとき、
白身を食べるとき、…など
それぞれ違った食べ方をしたほうが良いんじゃないかという気がします。

それは裏を返すと、好みが分かれているということです。
好みの違いがあるのは、食べ方が違うから。
その美味しさの特徴をより多く感じられる食べ方をしていると、
それが好きになる、というわけです。

もっといえば、食べる量だって食べ方と関係しています。

よく「30回噛んで食べましょう」なんて言いますが、
僕の食べ方だと30回も噛もうとしたら、残り20回は口の中が空っぽです。
何もないのにモゴモゴと口を動かさないといけません。

それはきっと僕が、歯よりも外側(ほっぺた側)に食べ物を置かないからです。
そのうえ、口の奥よりで味わう傾向が強いので
食べ物は常に喉に近いところにあるんです。
喉の奥へ流れていって、飲み込まれるのが早いのが自然な状態だということです。

大食いタレントの「ギャル曽根」は、さらにこの傾向が顕著です。
一口が大きい。
一気に口の奥に食べ物を入れます。
でも、ほっぺたが膨らみません。
奥歯で噛みながら、その都度すぐに飲んでいる感じなんでしょう。

一方、ほっぺたが膨らむ感じの食べ方をすると
長い間噛んでいることが可能です。
文字通り「頬張る」感じ。
ハムスターがほっぺたに食べ物を蓄えるような、あるいは
飴玉をほっぺたに入れておくような状態。

ああやって、食べ物を歯よりも外側(舌と反対側)に置いておきながら噛むと
噛み終わった食べ物が少しずつ口の内側(舌の上)に落ちてきます。
良く噛んだものだけが舌の上にやってくる。

そして、飲み込むタイミングも舌の上の食べ物を喉の奥に移動させてからです。

もしかすると、ガムを噛むのに似ているかもしれません。
なかなか舌の上に食べ物を落とさない。
そうすると30回ぐらいは噛めるような気がします。

ただし、その食べ方では体験しにくいタイプの味わいもあります。

ですから、どの食べ方が良いといった話ではないんです。
目的に応じて食べ方を変えられると、色々なことができる。

ダイエットしたければ、それに適した食べ方があるし、
健康のために良く噛んで食べたければ、そういう食べ方がある、と。

和食の食べ方、蕎麦の味わい方、寿司ネタごとの口の動かし方、
中華料理の噛み方、スイーツで幸せを感じる注意の向け方…
色々な使い分けができると楽しみの幅も広がるんじゃないでしょうか。

何より、一般的に設定されている美味しさの基準を理解できます。
専門家がやっている味わい方を教われば良いんですから。


そういう料理観賞教室とか、誰かやったら良いのになぁと感じます。

「元ミシュランガイド審査員が教える!
 料理が100倍美味しくなる食べ方のコツ」
みたいな本やセミナーがあったら、僕は手が伸びてしまいそうです。

2013年11月06日

木簡

年に一度の書道の展覧会への出品。
もちろん、様々な書道展の募集がありますが、
僕は教室で勧められる団体のものにしか出していません。

新年に六本木の国立新美術館で開催される展覧会だけが
僕にとって唯一の発表の場のようなものです。

同じ教室には年に何回も出品する人もいますし、
複数の団体に登録して色々と作品制作に取り組んでいる人もいます。

賞を取りたい人なんかも、やっぱりいるようですし。


ただ、僕の目的はそこに無いんです。

そもそも書道を始めたのも、モデリングしたかったからでした。
達人のやり方を間近で観察できる機会は、さほど多くありません。

有名な人になると教わりに行くこと自体が大変です。

その点、書道は割とオープンなようで、
有名な書家でも普通に生徒をとってくれることがあります。

まぁ、テレビにばっかり出ている人の中には
有名であるという理由だけで教室を満席にしている人もいるようですが。

その上、偶然にも、僕の教わっている先生は
それぞれの生徒の前でお手本を書いて渡してくれるんです。

これが良い。
生で一流の技を見られる。

リズムや指先の力の入れ方、関節の動かし方、体全体の運び方…
紙の上に書かれたものだけからは分かりようのないものを
実際に見ることができるんです。

そして、自分でも真似をしてみる。
練習は模倣です。

多分、僕は教室の中でも、徹底的に真似をしようというスタンスをとっている
数少ない生徒の一人だろうと思います。

皆さんの目的は上手くなることや、良い賞を取ることのようですから
書かれた美しいお手本をベースに、素敵な文字を書く練習をするんでしょう。

僕は書き上がった文字という結果よりも、
その結果が生まれるまでのプロセスに興味があります。
「どういうことを内的に体験していると、このような結果になるのか?」つまり、
「何を感じながら、何を心がけて筆を動かすと、こういう書になるか?」と。

それを学んでいくのが書道を続けている大きな理由です。

その意味では、「習字」じゃないんです。
字を習っているわけではない。

また書の芸術をやろうというわけでもありません。
別に表現したいものがあるのではないですから。

書家のやっていることを習得するという目的。
それを「書道」と呼んで良いのか分かりませんが、
その他の「〜道」でも、師匠からプロセスを盗む段階が重視されるみたいですから
ある意味で僕のやっているのは、まさに「書道」なのかもしれません。
「習字」でも「書芸術」でも、ましては「筆文字アート」でもなく、「書道」という。


で、書道においては”臨書”という作業が大切にされます。
古典の名作を模倣する作業のことです。

この場合、紙に書かれたものだけを頼りに
昔の達人が「どういう筆使いをしていたか」を読みとり、
それを再現するように練習することになります。
(臨書にも色々な種類がありますが、僕にとってはこの解釈が重要なんです)

先生の筆使いと書き上がる線質を学びつつ、
自分の身体でも「どういう風に筆を動かすと、どんな線になるか」
をパターンとして認識していく。

すると、昔の人の文字を見ても、
「多分、こういう筆の動きをしていたのだろう。
 すると、こうやって体を動かす必要がありそうだ。」
という推理が浮かぶようになります。

それを元にして、古典の臨書をするんです。

そして、僕の場合、年に一回の書道展にはこの臨書から作品にします。

普段の半紙での練習ではなく、2m近い長さの大きな紙で
普段よりも大きな字を、普段よりも沢山書くんです。

半紙での臨書が線質や文字のバランスを習得するものだとしたら
臨書作品制作には、もっと全体感や雰囲気、白黒のバランスなど
芸術的要素が加わってくるようです。

ですから、作品のほうが「書芸術」の度合いが高いんでしょう。
良い賞を取る人は、この芸術としての美しさが求められるみたいに思えます。

ですが、僕は依然として模倣に重きを置いています。
書芸術への関心は低めなんだと思います。

この場合、先生の書いたお手本から学ぶのがメイン。
全体のバランスの取り方や芸術性の出し方を学ぶ。
普段の半紙での臨書では学べない部分を模倣したい。
…そんなつもりで作業を続けます。


その中でも、やはり個人的な好みというのがあるんです。

特に古典の臨書は、歴史上の有名な作品を模倣しますから
僕の中に自然と、敬意のようなものが芽生えてきます。

中国の唐の時代に書聖や大家と呼ばれた人たち、
日本で三筆と呼ばれた人たち…。

有名どころの凄さは、きっと上手くなるほどに実感されるのでしょう。

そういう予想もあるからこそ、迂闊なことをしたくないんです。

作品制作ですから、全体としての芸術性が求められます。
ただの模倣では良いとされません。

紙のサイズが違い、使っている道具が違い、
全体の文字数も配置のバランスも違います。

その中で、古典の雰囲気を感じさせながら
1作品としての完成度も求められてくる。

この古典への忠実さと作品としての完成度のバランスの取り方が
臨書作品の良し悪しを判断するときの基準になっているんだと思われます。

繰り返しますが、それでも僕の関心は模倣のほうに重きがある。

ある程度は、先生がアレンジしてくれたお手本を”模倣”する形で
作品としての芸術性にも歩み寄ることができるとしても、
それを妨げるものとして「古典への敬意」が僕の中に沸いてきます。

去年は空海の臨書だったので、その敬意たるや最大限に近いものでした。
なので、先生のお手本よりも空海の原本に目が行ってしまう。

できるだけ空海に近づけたい、と。

それは本来、半紙の臨書ですることであって
作品制作の趣旨とはズレてしまうのかもしれません。

空海は一枚の手紙全体としてバランスを取っていたでしょうから、
一部を切り出したものを作品にしたときには、
ただその部分だけを真似したところで違った雰囲気になってしまうのも当然。

でも、できるだけ真似したかったんです。
だから近づける努力ばかりをしていました。

そして、それが楽しかった。
歴史上の人物と交流しているような気分が味わえました。


一方、今年の臨書作品は木簡の予定です。
”木簡”というのは、紙が発明される前の記録媒体。
木の板を薄く、小さく加工したもの。

誰が書いたものかも良く分からないんです。

歴史上は古いものとして価値があるんでしょうが、
内容や作者に価値があるタイプのものではないはずです。
時代に意味がある。

しかも、僕が今回書いている文章は、何やら
漢方薬の効能の説明書きのようなもの。

「胸の痛みや寒気がするときには、人参と菖蒲と…をそれぞれ…」
といった感じの内容です。

僕からすると、全く敬意を感じません。

短歌や詩にでもなっていれば意味を感じようとするでしょうし、
歴史上の偉人が書いたものであれば、その人への敬意が生まれます。

が、今回のは
どこのだれが書いたんだかも分からない
ただの薬(健康法?)の覚書のようなもの。

「忠実に模倣したい」なんて気持ちは全然ありません。
失礼ですけど。

なので、今回は全体のバランスや雰囲気の練習ができそうです。
先生を模倣しながら、半紙の臨書ではできないトレーニングができる。

その辺が今までにない面白さの部分です。

好き勝手に遊べるような”書”も、気楽で良いものだと感じています。

人参





















(ちなみに↑が「人参」の部分)

2013年11月04日

【セミナー】セラピー技法ダイジェスト

ご案内: 11月24日(日)開催

 カウンセリング講座・応用編
 《セラピー技法ダイジェスト》



この講座の目的は、各種心理療法の技術を
実習を通じて網羅的に知ることです。

様々な技法を体験しながら、
それぞれのメリットや使いどころを整理します。

特に重要になるのが、
 どういう場面で、どういうときに、どの技法を使うか
という判断です。

カウンセリングのプロセスを通じて
クライアントが取り組みたいテーマが絞り込まれます。

その上で、どういう「お手伝い」をしたら良いか。
どういう技法を使うと、その「お手伝い」になるか。
…この部分が実際のポイントです。

その際、技法を選ぶためには技法の効果を把握している必要があります。
「こういう変化が必要なわけだから、この技法が良いだろう」
といった判断をするには、「どんな変化が起きるか」を知っている必要がある。

覚えていたいわけです。
それには体験しておくのが効果的です。


流れとしては、
 ・技法を紹介する
 ・やり方を整理する
 ・実際に練習してみる
 ・どういう効果があって、どういう目的に適しているかを振り返る
 ・使えそうな事例を考えてみる
といったものを予定しています。

こうすることで応用の対象が染みつくはずです。

ご案内の段階で、具体的な技法の名称までは紹介しませんが
大まかな整理の仕方はお伝えしておきます。

仝方を変える
行動や反応パターンを変える
4蕎陲鮴依する
の着眼点を中心とします。

,鰐簑蠅悗琉嫐づけを変えるだけで解消されるもの。
リフレーミングを引き起こすために何をするか、という技法となります。

△蓮具体的な行動や反応パターンを変えたいとき。
気づきを促したり、アンカーを変えたり、対処法はいくつかあります。

は問題と関連した感情を直接的に扱うものです。
´△帆箸濆腓錣気辰燭蝓△修料阿亡蕎陲鮴依しておくときに使われます。

いずれにせよ、クライアントの「お手伝い」の方向性を
・見方を変えることで問題が解消されるのか
・具体的な行動や反応を変えることで解決されるのか
・感情を整理することが最優先なのか
といった観点で分類できれば、対処の仕方も見えてくるようになるでしょう。

「〜療法」といったものに興味のある方も
この観点で整理してみると全体的な理解が可能になるはずです。

とはいえ、今回は実習を通じて、体験レベルで納得するのが目的です。

一部の方法は専門的な援助の関係性でないと不自然かもしれませんが
日常的な人間関係でも使えそうな方法も紹介する予定です。

「どういうときに使えばいいか」を念頭において体験されるようお勧めします。

かなり迷いは減るだろうと期待されます。


また、夜間の実践練習も、これらの技法の体験が中心になると思います。
体験の量も大切な要素ですから、お時間が合えば併せてご参加ください。

カウンセリング講座へご参加くださった方、
心理療法の技法にご興味のある方、
他者の悩み解決の支援に関心のある方など、
お越しをお待ちしています。



◆今回の講座で得られるもの

●様々なセラピーの技法の紹介

●各種技法の効果と目的の整理

●”お手伝い”を前提とした問題の分類の仕方

●問題の種類とクライアントの希望に応じた技法の選び方

●技法の性質の体験的な理解

●結果をまとめ上げる力



◆録音・録画に関しまして

個人的なご使用でしたら、録音や録画はご自由にどうぞ。
復習にご利用いただくのも良いかと思います。

特に今回は、総括的な内容となりますので
復習によって理解が定着しやすいものと考えられます。

工夫してご活用ください。




講座の詳細は以下の通りです。



【セミナーの詳細】

≪カウンセリング講座・応用編〜セラピー技法ダイジェスト〜≫
 (併設:『ホンネを引き出すカウンセリング』講座・実践練習)

【日時】  11月24日(日)
     《日中:セラピー技法ダイジェスト》   10:00〜17:00

     《夜間:カウンセリング講座:実践練習》  18:30〜21:30
 

       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。
       ★申し込みフォームに、ご希望の時間帯(日中/夜間)をご記入ください。


【場所】 滝野川会館 304集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)

【参加費】 
      《日中:セラピー技法ダイジェスト》 ・・・15,000円 
      《夜間:カウンセリング講座:実践練習》 ・・・5,000円

       ★日中の講座にご参加の方は、無料で夜間の実践練習へご参加頂けます

       当日、会場にてお支払いください。


    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。




終了しました

クライアントに同じ人は二人といませんし、
同じクライアントでも全く同じ問題を扱うことはあり得ません。

その意味で、全てのセラピーは毎回違うわけです。

しかし共通するプロセスは見出せます。
それがあるから、エキスパートほど簡単そうにやってのけるんでしょう。

しかも、クライアントを理解する能力が高く、経験を知恵に昇華し、
クリエイティブな感性も磨いてきたカウンセラーや心理療法家の場合、
その手法のバリエーションは無限にあるように見えるものです。

「どういう着眼点から、その手法になったのか?」と
見ている人からは想像もできないようなこともあったりします。

多くの場合、それはクライアントに合わせられるから起きるバリエーションです。
クライアントの個性に合わせる。
クライアントの置かれている状況に応じる。
クライアントのペースに同調する。

そうすることで最適な対応が毎回違ったものになるんです。

ですから、学習する側としては厄介です。
なかなか意図が見えてこない。

沢山経験していくうちに、分かってくるプロセスもあります。
型のようなものが見つかってくる所までは充分に起こりえる。
人間には、そういうパターン抽出能力がありますから。

ですが、「どういう意図でその型を使ったのか」や
「クライアントの何に注目して、その発想に至ったのか」
「同じような種類の問題なのに、さっきと違う型を選ぶ目的は何か」
といった『型の選び方』に関しては、見出すのが大変です。

質問しても「なんとなくです」、「直観です」などの答えしか返ってこないもの。

そうすると、見よう見真似で経験を積んでいくうちに、
型を使いこなす度合いではエキスパートと同じように”見える”のに
奥にある意図が全く違っていて、ポイントを逃してしまうことも起きてきます。

パッと見は凄そうに見えるんです。
その場で柔軟に対応して、上手くやっているようにも見えます。
クライアントの側にも、やっている以上は満足感が得られるものです。

どの型も、どのような問題にだって適用できますから
そもそも1つのやり方を通すことだって可能なんです。

ですから、やってみれば表面的に上手くいっているようには見える、と。

ただ、『クライアントの望む変化に沿っているかどうか』に疑問が残ります。

…もっとも、その疑問を持たずに活動している人たちからすれば
 エキスパートの技術と同じものを使っていると解釈されるわけですが。

だからこそ、
 クライアントに対して、どういう効果を引き出せば
 その問題が解決されて、本人の望む方向に進むか
を把握するトレーニングに価値があるといえます。

そのためには、それぞれの技法の効果を理解しておいて、
お手伝いの内容と対応させておくのが効果的です。

それをやる講座です。
特に今回は体験を重視する予定。
「ここを変えたいとのことだから、このアプローチが良さそうだ」
と判断するための土台作りだといえます。

量稽古については、今後の「実践練習」もご活用ください。

とても大切な内容だと思います。

色々なセラピーを受けたり、様々なセミナーに行ったりする際にも
この着眼点で見ることができれば多くのものが得られるはずです。

人の支援に興味のある方は、是非お越しください。

2013年11月01日

ロビン

中学校だか高校だかの英語の教科書に
「 Robin 」というタイトルの話が載っていたのを覚えています。

「 Robin (ロビン)」は日本でいう「コマドリ」の仲間。
イギリスなどでは特に一般的な鳥だそうです。

英語圏の人が「 bird 」といって真っ先に思いつくような種類の鳥。
大きさや形からすると、日本人にとってのスズメのようなものでしょう。
(最近はカラスやハトのほうが多いようですが)


で、その物語の内容を正確に覚えているわけではないんですが、
大雑把にいうと、こんな感じでした。

 少年たちが外で遊んでいると、地面に一匹の傷ついたロビンを発見する。
 
 「ケガをしている。もう飛べないね。かわいそうに。」
 といった感じで、苦しませるのは気の毒だからと
 少年たちは安楽死させてあげることに決めます。

 とはいえ、手ごろな道具があるわけでもありません。
 そこで、近くにあった石を使うことに。

 石で叩きつけるようなやり方は残忍に思えたんでしょう。
 少年たちは、石を上から落としてロビンに当てることにしました。

 石を上から落とす。
 なかなか命中しません。

 たまたま当たったときも命を奪うまでには至らず、
 いたずらに痛めつけているような時間が続きます。

 ですが、もう少年たちに後戻りはできません。
 ロビンが息絶えるまで、石を落とし続けました。

 その結果そこには、うず高く積まれた石の山ができました。

…と、結構キツイ内容だったんです。
だから記憶に残っているんでしょう。

挿絵があったかどうかも定かではないんですが、
僕の中にはピラミッド状に積み上げられた小石の山が
まるでロビンの墓標のようになっているイメージが残っています。


そして授業では、こういうのが「 innocent 」なんだ、と教わりました。

ミスチルの「イノセント・ワールド」でお馴染みの「イノセント( innocent )」です。

「無実な」とか「無害な」とか「純真な」といった
ポジティブな意味合いで使われることもありますが、
「世間知らずな」、「無知な」、「うぶな」のように
否定的な意味合いで使われることもある単語です。

ちなみに、東京都知事のオリンピック招致のプレゼンも
相当に「 innocent (いのせント)」な感じがありましたが、
その語呂合わせは偶然です。


話を戻すと、
この「ロビン」というストーリーに描かれているのは
 ”純真”であると同時に”無知”な少年たちが生み出す残酷さ
だったのだろうと思います。

もちろん、少年たちの行為は善意に基づくものと言えるでしょう。
良かれと思ってやったはずです。
とても純粋な優しさかもしれません。

しかし、結果は残酷なものとなってしまった。

子供の純粋さには、先を予測できないが故の危険性も伴う、という話です。

良かれと思ったことが裏目に出るのは、大人になっても起きることですし、
どれだけ気をつけていても完全に避けられるものではないでしょう。

ただ、どういう結果が起きうるかを予測するほど
善意が裏目に出てしまう可能性は下げられると思うんです。


「子供のように純粋な気持ちで人と関わる」なんていうと聞こえがいいですが
実際には非常に大きなリスクを伴っていることも忘れられない気がします。

「好奇心をもって人と関わる」というのも同様です。
好奇心から生まれた質問が、相手を傷つけることだってあるんです。

”気づかせる”つもりが、”傷つける”になってしまったら…。
そういう結果を予測して言葉を選ぶように心がけない限り
好奇心には「 innocent (イノセント)」な状態に通じる危険性があるはずです。

小さな子供が”好奇心”から残酷に虫や小動物を殺すのも良くあることですから。

好奇心から質問を見つけること自体は悪くないとしても、
見つかった質問を無邪気に(イノセントに)言葉にしてしまうのは
注意が必要なところじゃないでしょうか。

好奇心で質問を見つけるプロセスには子供のような”純真さ”が役立つとしても、
その質問をしたことで相手に与える影響を予測して
言葉に出すかどうかを選ぶプロセスには、”無知”では困るんじゃないか、と。

純粋な気持ちから無邪気に石を投げつけていないか?
そういう注意をするのも大切だと思うんです。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
瞑想のモデリング


【日時】 
  2018年10月21日(日)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

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次回は年末ごろの予定


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《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


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《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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