2014年04月

2014年04月08日

なぜホタルイカは光るのか?

インターネット上で
「なぜホタルイカは光るのか?」
という疑問文を目にしました。

この疑問文に対しては、どのような回答があるのでしょうか?

見てみると、大きく分けて2つの方向性の答えがありました。


1つはメカニズムを説明するもの。つまり、
「ホタルイカは体内に『ルシフェラーゼ』という酵素の一種を持っていて
それが『ルシフェリン』という化合物の一種に働いて発光反応をする」
といった感じです。

どういう仕組みで光るのか?、光るときには何が起きているのか?と、
発光の現象を化学反応のレベルで説明したパターンです。


もう1つはメリットを説明するものです。
ホタルイカが光ることによって、どんなことが達成されるのか?と。

例えば、
.曠織襯ぅは光ることによって外敵を脅かして身を守っている
▲曠織襯ぅは光ることによって空の明るさと同化して身を隠している
ホタルイカは光を使ってコミュニケーションをしている
などの説です。

こちらは目的論的だといえます。


角度を変えて考えると、
1つ目のメカニズムの説明は、光る「まで」に注目していて、
2つ目のメリットの説明は、光った「あと」に注目している、
ということです。

「光る」という現象の説明は、
「どのようにして」光ることが達成されているのかを述べています。

いわば、
 〜が…になって、○○が△△となることで、光る
といった具合。

説明は「光る」で終わります。

一方、メリットの説明は、
光ることによって「どのようなことが起きて、そこにどんなメリットがあるか」
に焦点を当てている。

もう少し擬人化すると、そこに目的があるということです。
「光る」ことによって、こういう目的を達成している、と。

ホタルイカが光ると、他の魚はビックリして逃げる。
その結果、ホタルイカは食べられるリスクを回避できる。
すなわち、ホタルイカは身を守るために光っているのだ。
…といった感じ。

説明が「光る」から始まるんです。

人間の場合には、結果を予測して自分の行動を変えることがありますから、
そこに目的があると考えられます。

例えば、
「初対面で笑顔を示すのは、それによって後の良好な関係が期待できるからだ」
などです。

ある行動を選択する際には、その行動の結果を予測していて、
その予測された結果にメリットがあるから、その行動を選択する、ということです。

つまり、目的を達成するために行動を選んでいて、
選ぶ理由は、期待される結果に含まれている、と。

同様に、
「ホタルイカが光るのも、光ることで期待されるメリットがあるから」
という説明の仕方が目的論的なパターンといえます。

生物学的には、「光ることで起きた結果が生存に有利だったから
ホタルイカは光る能力を遺伝的に維持してきた」と解説されますが、
そのメリットを人間と同じように解釈すると、あたかも
目的があるかのように説明されることになるわけです。


ということで、
「なぜホタルイカは光るのか?」
という質問に対しては
.瓮ニズムを説明する答え方
▲瓮螢奪函別榲)を説明する答え方
とがある、といえます。

「なぜ?」と聞かれていますから「理由」を答える流れですが、
この答え方を踏まえると「理由」には2種類あるように感じられそうです。

「理由」には「メカニズム」と「メリット」の2通りがある…かのうような印象。

しかし、英語のアカデミック・ライティングでは
「メリット」のほうだけが理由として捉えられるようです。

正確には、「どんな価値が得られるか」というメリットです。
理由は『価値観』で答えるものだ、と。

「なぜ( Why )?」で聞かれたら、価値観で答える。
それが言語的、論理的な決まりごととされるようなんです。

一方、メカニズムのほうは「どのように( How )?」に対する答えとされます。

ということは、ホタルイカが光るメカニズムは「仕組み」であって
「理由」ではない、といえます。

質問の仕方としては
「どのようにしてホタルイカは光るのか?」
というのが適切で、
それに対する答え方が
「ホタルイカは体内にルシフェリンを持っていて、
 ルシフェラーゼがATPの加水分解と共役する形でルシフェリンを酸化して…」
といった形になるわけです。

細かくいえば、「なぜ?」という質問には
選択の結果として達成される価値観を答えるわけですから、
意図的に選択しているとは言いにくいホタルイカに対しては
「なぜホタルイカは光るのか?」と聞くことさえ、少しズレているのかもしれません。

それでも、光る結果としてのメリットに注目している回答のほうが
「なぜ?」という質問に対しては望ましいと考えられそうですが。


おそらく「なぜ?」という疑問詞は使い方が難しいんでしょう。

それほど厳密に心がけて使い分けている人も少ないようですし、
そうした中で育ってくれば子供の頃には特に使い分けにくいと思われます。

しかも、メカニズムとメリットとの差を明確に自覚するのは
幼少期には難しい作業だろうと考えられますし。

となれば、
「なぜ空は青いの?」
といった形の質問をしたくなるのも仕方のない話。

「どのようにして空の色は青色になっているの?」なんて聞く子供は
チョット子供らしくないかもしれません。

何より、そうした区別を自覚しないままでコミュニケーションをしていれば
「なぜ?」という質問に対して、相手がどんな答え方をするかは
予測するのが難しくなるはずです。

その意味でも、「なぜ?」という質問の代わりに
もっと自分が知りたいことを明確にする形で質問ができるようになると
誤解の少ない会話が可能になるんじゃないでしょうか。

2014年04月06日

専門家のコミュニケーション

先日、花粉症の薬をもらいに皮膚科に行きました。

30〜40代ぐらいの医師でしたが、目が合ったのは1秒未満。
パソコン画面に入力しながら話をしていました。

話し方にしても、どこで覚えたんだか、奇妙な声のトーンで
言うべきことを声に出すことを目的とした発声。

「事務的」だったら、まだ内容の伝達そのものには意味がありますが、
上の空で独り言をいうような口調になるのは、一体どこで何を経験して
どのような学習をしてきた結果なのかと不思議なほどです。

日常会話でそんな声の出し方をする人は見たことがありませんから
おそらく医者モードになったときだけ、そういうスタイルになるんでしょう。

それが当然のこととして疑問にも上がらなくなっているとしたら、
アパレル店員特有の「いらっしゃいませー、どうぞご覧くださーい」とか、
とにかく元気に声を出しておくことを売りにしている居酒屋とか、
高齢者を子ども扱いする介護職員とかと似たようなものなのかもしれません。

多くの人にとってコミュニケーションは、
わざわざ気にするものではないのだろうと思われます。

その分野では当たり前として済んでいることが沢山あって
他の分野からしたら驚くような実情が色々とありそうです。
コミュニケーションはそのうちの1つに過ぎないということ。

例えば、最近何かと話題に上がる学問や研究の分野でも、
そこでは当然のこととして気にされていなかったものが
世間一般の人たちの発想からすると常識外れと判断されます。

そして、そうした事態の奥底には、部外者では想像もできないような
複雑な事情が絡んでいることもあるようです。

その分野を知らない人から見れば、
「これぐらい、やってくれて当然だろう」
というような範囲も、
その分野の人たちにとっては馴染みのない内容かもしれないんです。
そこの事情では、むしろ「やらない」ほうが自然だったかもしれないんです。

複雑に入り組んだ専門分野特有の事情。
専門的だからこそ軽んじられる専門外の能力。
両方が絡んで、特殊な世界が作られるのではないでしょうか。


そもそも世間一般が持つ専門家への期待は
あまりにも大き過ぎるような印象を受けます。

専門家の専門性だって人それぞれ違いがあります。
その上で、専門外の範囲は世間一般の常識とは異なっている。

世間的に持たれている「こうであって欲しい」という期待は
専門分野の実情とは随分と差があるように思えます。

何より、専門家に一般的な期待を押しつけるのは
酷なことになる場合さえあります。

コミュニケーションのことまで考えていられない人だっているでしょうし、
コミュニケーションのことを考えなかったからこそ
その専門家になれた人だって大勢いるように見えます。

そこにある程度の仕方なさがある以上、専門家を利用する一般の側こそ
専門性を上手く利用する技術が求められるのかもしれません。

2014年04月04日

誰も悪くない

人の振る舞いの大部分は無自覚で、なんとなく反応しているものだといえます。
その無自覚な反応は、経験によって学習された産物。
誰かのやり方を参考にして、なんとなくやったものを使い続けるんです。

もちろん、いくらかは意図的に対応しているでしょうが、
その意図の源泉となる価値観や経験則は
個人がどのように育ってきたかに強く依存します。

つまり、
意図的に選択しているとしても、その選択の基準は意図的なわけではなく
教育されたものや、たまたま経験してきたことに影響されている
ということです。

何が良くて、何が悪くて、
何が正しくて、何が正しくなくて、
何が好きで、何が嫌いで…
といったことさえ、ほとんどが学習されたもの。

食べ物の好き嫌いなんて思い浮かべてみれば分かりやすいですが、
当たり前だと思って親しんできた食べ物はおいしく感じるのに
馴染みのない異文化の食べ物は「気持ち悪い」とさえ感じてしまいます。

人の顔の好みだってそう。
見慣れた顔に似ている人に好意を抱きやすい。

コミュニケーションの仕方も、慣れ親しんだスタイルやペースが好ましいはずです。

NLPでは、こうした学習の産物を『プログラム』と捉えます。


学習は本人の都合では起こりません。
たまたま何を経験するかが重要です。

どういう環境に生まれ育つか、どういう教育を受けるか、
どういう人間関係と接するか、どんなイベントに遭遇するか…。
偶然の要素が大きい。

もちろん、遺伝子レベルの影響もあります。
気質と呼ばれるような個性は先天的なことが多いものです。

例えば、生まれつきの体温の高さや血行の良さなどは
活発さと関わってくるかもしれません。

こうした生理反応のベースはプログラム以前のものと言えるでしょう。

しかし、それさえも学習によって影響を受けます。
元々は活発な生理反応を持っているのに抑え込むように育てられた、とか
本当は恐怖の反応が出やすいのに、それを隠すように暴力的になった、とか。

遺伝的特徴も偶然によるものですが、
それさえも成育歴によって作られるプログラムで影響されます。

その意味では、大部分のことは、ある程度の技量までは
プログラムを変えることで誰にでもできるようになる、ともいえます。
後天的な影響はかなり大きい。

(ちなみに結果が出やすいのは、先天的な特徴に合った形のプログラムを
 後天的に学習できた場合だとは考えられます。)


ということで、プログラムの影響の大きさがうかがえるわけですが、
遺伝のレベルで決まっている先天的な特徴も
環境要因によって決まる後天的なプログラムも
どちらも本人にとっては偶然だという意味では共通しているはずです。

先天的な要素の話になると遺伝病などが関係してきて
繊細な話題になりますから、ここでは避けますが
とにかく、『生まれだろうが育ちだろうが、偶然じゃないか』ということです。

このような発想になると、「正義」の概念が強く根付いている西洋文化では
大きな問題意識が生まれてくるようです。

仮に犯罪者が、そういう生まれつきの個性を持って生まれ
犯罪に及ぶプログラムを学習するように生育してきたとすると、
その犯罪行為は偶然だったということになって
本人の責任ではなくなってしまいます。

すると裁けなくなる。

どうもここに大きなジレンマを感じる人が多いみたいです。

だから「本人の意思」というものを設定しておきたいのでしょう。
「どんな学習をしてきたとしても、それを制御できる意思の力があるはずだ。
 それが足りなかったのは本人の責任だ。」
といった論点を目にします。

ですが、徹底的にプログラムの視点で考えると、本当は
その自分のプログラムを制御するための意思の力さえも
学習によって身につけてきたプログラムに過ぎないといえます。

自分を律するように育ってきたら、衝動的な反応をするプログラムを
抑止するプログラムが訓練されて養われるわけです。

そういう訓練の機会に恵まれたかどうかの影響が非常に大きい。
家庭環境や人間関係、教育が左右するといえます。

すると
「じゃあ、親や教育機関が悪いのか?」
といった議論にもなりそうです。

実際、過度にトラウマをほじくり返すブームが起きた結果、
アメリカでは親が訴えられる事態が広まったこともあったといいます。

1つの犯罪に注目してみれば、確かにそこには親の影響もあることでしょう。
家族療法的な観点では、子供が示す”問題”は家族の不具合と捉えられます。

同じ兄弟でも一方が”イイ子”で、もう一方が”問題児”になることもあります。
それは両親が子供に対して関わるときのアンバランスのせいかもしれないし、
ある時期に両親が偶然抱えていた社会的ストレスが影響したかもしれないし、
子供がたまたま関わった友人関係や学校の先生の影響かもしれないし、
とにかく様々な要因が関わっている可能性があります。

1つの何かが責任とは言えないんです。
多くの影響が積み重なって偶然にプログラムが作られ、
そのプログラムがたまたま社会的に厄介な機能の仕方をする環境に置かれ、
たまたま”問題”とされることが起きるだけなんです。

”問題”とは、
 偶然に作られたプログラムが
 偶然に置かれた状況において
 自然と学習した通りに働く…その結果が
 偶然に社会が求めるものから相応しくないと評価された
ものだということです。


プログラムが学習される過程が経験によるものだと考えれば、
犯罪のような”問題”を引き起こした人は、偶然にそのプログラムを学習し、
衝動をコントロールするプログラムを学習する機会に恵まれなかった、
のように解釈できます。

その生育過程に関わった両親だって、自分達のプログラムは
偶然に経験から作られてきたものです。
両親の両親との関わりが関係します。
先祖代々伝わってきたプログラムもあるわけです。

教育に関わった人たちだって、その両親との関わりでプログラムを作ります。
さらに、自分達が受けた教育のスタイルで、
大部分の教育に関するプログラムが作られたことでしょう。
その時代の教育理論だって影響していたはずです。

もっと視野を広げれば、生活環境だって関係します。
多くの人は似たような生活様式、趣味嗜好の人と関わりますから。
どういう社会経済的な環境に生まれたかによっても、周りの人間関係や
受けられる教育の種類が異なります。
見えない壁が存在するケースだってあるようです。

その上に、歴史的・社会的影響もあります。
日本でいえば、第二次世界大戦で受けた衝撃や、当時の教育スタイル、
それから一気に変わることになった教育の指針と
高度経済成長における価値基準…、そしてその後の経済状況…。
環境的に大きな影響が形作ったプログラムだって含まれます。

とにかく数えきれないほどの偶然の環境要因が
個人のプログラムを作っているわけです。
その個人が他者と関わると、そこでの経験がさらなる学習を生みます。
偶然の重なりがプログラムを形作っているんです。

ある時代、ある地域、ある家庭、ある人間関係…
という偶然の環境で学習したプログラムが、
ある別の偶然の環境に置かれて相互作用を生み出す。

全ての偶然の要素が密接に関わって、ある瞬間の行動を生み、
それがその環境で偶然に”悪い”と評価されると”問題”になる。

そこまで視野を広げると、もう誰に責任があるなんて言えない気がします。


一方、現実的な個人に目を向ければ、
それぞれの人が偶然に学習したプログラムに沿って
偶然に好きになったものを求めて生きている、と考えられます。

偶然に嫌いになったものと偶然に遭遇して、
それを変えようとして頑張ります。
そこに”問題”と”達成感”を感じながら。

多くの個人は「自分を脅かされたくない」というプログラムを学習していますから
社会的には「犯罪」と判断されるものが色々とあります。

ある人は、その脅かされるリスクを排除するために犯罪者を隔離する。
ある人は、脅かしそうな人を生まないように教育を頑張する。
ある人は、脅かされそうな人と関わらないように生活する。

「犯罪」1つとっても、どんな学習をしてきたかによって対応の仕方は様々です。

そうなるのも当然のことです。
偶然にそういうプログラムを学習したわけですから。
それ以外は起きようがありません。

犯罪を怖がるのも、
犯罪を憎むのも、
犯罪に走るのも、
プログラムとして解釈すれば『たまたま』なんです。

嫌なことがあったとき、変えようとするのも諦めるのも
そう思うプログラムを偶然に作ってきていただけのこと。

皆、たまたまそうなっただけ。
これから先も、たまたま色々と起きる。

好きにしたら良いんじゃないでしょうか。
その「好き」だって、どうせ「たまたま」の産物なんですから。

cozyharada at 23:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | NLPの基本情報

2014年04月02日

英米人のものの見方

これは役に立つ情報が沢山の本でした。


聖書やシェイクスピアがどれぐらい英語文化に影響しているかが
沢山の実例とともに解説されています。

名演説とされるスピーチも、沢山の引用の上に成り立っているそうです。

つまり欧米文化においては引用によって教養を示すようなところがある、と。
確かに、洋書は章の初めのところに引用が書かれていたりします。

英語の味わいが増すだけでなく、
アメリカの歴史なんかも少し知ることができて興味深いです。

演説の部分を読んでいると、それだけで心が奮い立たせられるような感じも。
「自ら立ち上がり、自由を獲得するんだ!」というアグレッシブな雰囲気が
文化の中に含まれているんだろうと思えました。

政治家の演説で盛り上がる理由が垣間見えた気がします。

おしらせ
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【場所】 
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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