2014年05月

2014年05月31日

7月の予告

7月の講座は「心の動きを理解する」というテーマの予定です。

開催日は
 7月27日(日) 10:00〜16:30
 滝野川会館304集会室
となります。

基本的にはNLPの視点を取り入れつつ、
心の動きをプログラムとして捉えるようにするものです。

当然、人の内面の動きは1つのプログラムで判断できるわけはなく
細かなプログラムが一度に沢山動いて全体としての表現になります。

日常的な言葉にすれば、
 「複雑に気持ちが入り組んでいる」
という感じ。

その入り組んだ心の動きを分けて捉える練習です。

この観点が有効なのは
 「人の本音」というものを1つのものと想定せずに
 一人の人間を複数の本音の集合体として捉えられる
ところにあります。

つまり
「一体、本音は何なんだ?」
と1つの答えを追い求めなくなる、ということです。

例えば、小さな子供が泣いているときの母親であれば
(最近、目撃したケースですが)
・言うことを聞かない子供に対する「苛立ち」
・自分にも非があったことを認めているための「申し訳なさ」
・泣いて訴える子供に対して「かわいそう」な気持ち
・ここで自分が慰めたら負けたような気になる「悔しさ」
などが同居する。

そのため
 泣き続ける我が子を黙って見続けながらイライラを高め
 同時に、「ごめんね」と謝りながら慰めたい衝動を
 負けず嫌いの意地で抑え込んで、何もせずに立ちつくす
といった様子が表面的に見て取れるわけです。

ここには1つの本音があるのではないでしょう。
沢山の気持ちが全て、その人の反応として表れているんです。

これを
 「〜だけど、…だ」という対立構造
として捉えずに、むしろ
 「〜だし、…でもある」という並列構造
として受け取るようにします。

すると、それぞれの反応に理由があると思えますし、
1つの答えを探して悩むことがなくなるため
「そんなものだ」と大らかでいられますから、
人間関係においても、自分の内面においても、
受容的で楽な態度になれると期待されます。

また、カウンセリングのような援助的コミュニケーションにおいても
日常における複雑な人間関係においても、
細やかな心の動きを読み取れるようになるはずです。

1つの言葉に集中して話の主題を理解するスタンスは
論理的な話し合いには有効かもしれませんが、
心の機微に対応するのには相性が良くないようです。

言葉の端々に表れる複数の気持ち、
非言語メッセージへ同時に表れる様々な感情を
一連の心の動きとして把握できれば、
幅広く気持ちをケアすることができるでしょう。

1つの職場を「一人の人物」と喩えるなら、
一番大声でよく話すひとだけと会話をするのではなく、
無口な人も含めて、全員の意見に耳を傾けるようなものです。

そのようにして人の心の動きを捉えるのがテーマ。

今のところ、そういう予定でいます。

cozyharada at 23:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!セミナー情報 | NLP

2014年05月29日

ミュータントの能力

映画の続編が新作公開される時期になると
旧作や関連の作品がテレビで放送されることが多いようです。

テレビで見たら続きも見たくなって映画館に行く…
そんな感じの流れを期待しているのでしょう。

で、最近は『 X-MEN 』の新作が推されているみたいです。

僕は X-MEN シリーズが結構好きなので、新しいのも気になっていますが
すぐに新作映画がDVDとしてレンタルできるようになることを考えると
どうも映画館まで足を運ぶまでの動機が高まりません。

それ以上に僕の中では、新作公開のニュースやCMを見るたびに
「前のヤツって、どんな話だったっけ?」と気になって
古いほうに関する情報を色々と調べたくなります。

なので、ここ数日は X-MEN の情報がリニューアルされた感じです。


X-MEN といえば、アメリカのコミックが原作だそうですが、
なんといっても多彩な登場人物に興味をひかれます。

主な人物は「ミュータント」という設定。
突然変異で特殊能力をもった人たちが活躍するんです。
(「活躍」というか「対決」というかの判断は難しいでしょうが)

僕は生物化学系の研究をしていて分子生物学を勉強していたので
「ミュータント(=変異体)」というものの実態に馴染みがあるので
X-MEN ほど突然変異で特殊能力を身につけることは非現実的に思えます。
それでも映画の設定ですから、そこは別にして楽しめます。

映画や漫画なんて、そもそも現実離れしているのが面白みの1つでしょうし、
その世界観や設定の中で繰り広げられる物語が僕には楽しいんです。

だから「人間の遺伝子が突然変異しても、そういうことは起きないでしょ」
なんてツッコミは沸いてきません。

むしろ、そのあり得ない世界に夢がありそうに思えます。

特に X-MEN は、ストーリーそのものよりも、前提となっている
「ミュータントゆえの特殊能力」という設定に惹かれるようです。

言ってみれば超能力をもった人たちが主人公なわけですが、
一人だけが超能力を持っているわけではないところがポイントなんでしょう。

それぞれのミュータント(登場人物)が、異なった超能力を持っているんです。

そして、それぞれの超能力を個性として活用して
なんだかんだと戦いが繰り広げられる。

あくまでも「戦い」を1つの状況設定として捉えれば、
そこには「一人一人が自分の個性を発揮して活躍する」という
ある意味で一般的な社会生活にも似た構図があるといえます。

超能力という形で個性を際立たせていますが、
「自分らしさを活かして世の中で何をするか?」
というテーマは、多くの人が考えたい内容なのではないでしょうか。

自分の個性や能力は何か?
自分には何ができるか?
そういった発想を触発するのかもしれません。


と同時に、ミュータントたちの特殊能力は、ファンタジーの中で
「人間離れした力」への憧れも思い起こさせるようです。

おそらく
『ドラえもん』を見た後に「どの秘密道具が欲しいか?」って考えるとか、
ロールプレイングゲームをやって「どの魔法が使えたら嬉しいか?」とかいう
「もし、こんなことができたら…?」の空想に近いものがあるんでしょう。

様々な登場人物の特殊能力を見て、
「もし自分にもこんな能力があったら…」
なんて想像してみたりする。

そんな楽しさもあるような気がします。


ちなみに僕の場合は、というと…。


人の心を読んだり、直接心に話しかけたり、操ったりするテレパシー能力は
なにかと面倒臭そうだし、他人を操りたいとも思わないので
これはあまり魅力的には感じません。

人の心のことを勉強して、少しずつコミュニケーションでできることが増えてくると、
人の心を読んだり操ったりすることへの憧れは薄れるのかもしれません。


そのほかにメジャーな能力としては戦闘力の強さが挙げられます。
戦いがメインのストーリーですから、ヒーローとしての強さは必須なんでしょう。

ですが、「もし自分が…」と考えると、こちらもそれほど魅力を感じない。
力が強いなんてのは一見すると凄そうですが、人間離れしてしまうと
逆に使い道がなくなってしまうものだと思います。

例えば重量挙げをやったら、桁違いの記録になってしまいますから
もう競う楽しみなんてのはないわけです。
当然、格闘系の能力だって、勝負になる相手がいなければ宝の持ち腐れ。

これは「物凄く俊敏に動ける」という能力でも同様です。
人間離れしてしまったら、その能力で他人と競うのは楽しくないでしょう。

中には、体を鉄やダイヤモンドに変えて身を守れる能力もありますが
そんなに攻撃を受ける機会も僕には無いはずです。

こういう戦闘系の能力は、よほどのトラブルに巻き込まれたときか、
人助けぐらいでしか使う機会がないと思えます。


X−MEN には、戦いのための特殊能力として「飛び道具」も登場します。
光線を出したり、超音波を出したり、毒や火の玉を吐いたり…。

いずれも普通の社会生活をするうえでは、あまり嬉しくない気がします。
ちょっと楽しいかもしれないけど、破壊目的になってしまいますから。

中には「勝手に目から光線が出る」能力をもった人もいますが、
むしろ厄介なものになってしまいそうです。

同様に、手から金属の爪が飛び出しても
人を傷つけるつもりがない人にとっては役に立ちません。
キャンプに出かけたときには便利かもしれませんが。


他にも、磁力を操って金属を自在にコントロールすることができますし、
ジーンというヒロインには念動力(触らずに物を動かせる力)があります。

でも、これもやっぱり使ってみたいとは思いません。
磁力があるとパソコンが使いにくそうですし、
触らずに物を動かすのも、なんだかズボラになりそうです。


移動系の能力は少し魅力的に思えます。

壁を通り抜けられても、泥棒などの犯罪以外では、
オートロックで置き忘れてしまった鍵を取りに戻れるとか
それぐらいしか利用方法が思いつきませんが、
空を飛べたら…というのは多くの人が憧れるところかもしれません。
それはチョット気持ち良さそう。

ですが、移動目的で空を飛ぶとなると話は別です。
羽を使って空を飛ぶなら、それは走ったりするのと似たようなもの。
運動をして空中を移動するわけですから疲れます。

渡り鳥が貨物船に停まっていたりすることを考えても
空を飛び続けるのは体力を使う作業なんでしょう。
例えばフランスに行くとしたら、結局は飛行機のほうが便利かもしれません。

だったら瞬間移動ができたら便利かなぁ、と頭をよぎりますが、
よく考えてみると、全ての移動を瞬間移動にしたら僕は歩かなくなって
不健康にまっしぐらだろうと想像してしまいます。

時間を節約するために瞬間移動をして、
体力維持のためにジョギングをする…なんて妙なことになりかねません。


これとは反対に、超人的な回復能力があって、怪我をしても元に戻るとか
そのせいでなかなか年をとらないという人物もいます。

この超人的回復能力があれば常に健康で長生きできそう!…かというと、
今度は長生きし過ぎて、孤独な一生を謳歌しないといけないでしょう。
これもなんだか苦しそうです。


もしかすると変身の能力などは人気があるのかもしれません。
違う人になって一日を過ごしてみるなんて夢のあるところです。

これはチョット良さそうにも感じますが
外見だけ変わってもなぁ…という気もしなくはない。

ハリウッドスターのような外見に変わったとしても、
演技力が伴わなければ苦労してしまいそうですから。


もうこうなってくると、あまり能力が残っていません。

あとは「自然を操る」系でしょうか。

火を自在に操るとか、氷を操るとか。
確かにカッコイイですが、使いどころと言われると微妙です。

どちらもキャンプ場では役立ちそうですが
家電が充実した現代社会では使いどころが難しく感じます。

一番活躍できるのは災害時でしょうか。

そう考えると、そもそも災害を避ける方向に使えそうな能力として
「天候を自在に操る力」が思いつきます。

嵐を呼んだり、曇り空を晴れにしたり、雷を落としたり…。
風をコントロールして宙に浮かぶこともできるみたいです。

なんだか、これは良さそうな気がします。
もし僕が X-MEN に登場する特殊能力を身につけるなら、
強いていうと、この「天候を自在に操る能力」に憧れます。

水不足のときには軽く雨乞いをしたり、
台風の直撃を防いだり、
外出時には自分の周りだけ雨が降らないようにしたり、
なかなか役に立ちそうです。

ただ、自然が繋がっていることを考えると
どれだけ勝手に天候を操っていいのかは分かりません。

どこかで雨を降らせたら、どこかの雨が減るはずですし、
無理やり起こした風が、どこか別の地域の竜巻を引き起こしたりしたら
あまり気軽に使える能力ではなさそうです。

軽ーく、本当に自分の周りだけ雨を避けるとか
自分の周りだけ快適な気温に調整するとか、
まぁ、それぐらいでしょうか。

傘とエアコンがいらなくなる。
アレルギーや大気汚染も避けられる気がします。


ということで、僕なら天候を操る能力を
つつましく利用するぐらいしか思いつきませんでした。

意外と特殊能力なんてあっても、困るものなのかもしれません。

上に挙げただけでも、
・テレパシー
・超人的なパワー
・素早く動ける
・全身を鉄やダイヤモンドに変える
・光線や超音波、火の玉、毒などを放つ
・金属の爪が出てくる
・磁力で金属を動かせる
・念じただけで手を触れずに物を動かせる
・壁を通り抜けられる
・羽が生えていて空を飛べる
・瞬間移動ができる
・回復力が凄くて、なかなか老けない
・何にでも変身できる
・火を操れる
・水分を凍らせて自在に氷を作れる
・天候をコントロールできる
がありますが、
どういう能力があると望ましいでしょうか?

どこでも携帯で連絡をとれるなんて、
それだけでもテレパシー能力に近い価値があると思います。

人間はミュータントのような特殊能力を身につける代わりに
様々な科学技術を発展させてきたともいえそうです。

cozyharada at 23:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | 心理学

2014年05月27日

脳の影響・脳への影響

人間の内面を脳の活動を通じて理解しようという流れの中には、
いわゆる神秘体験や超常現象のようなものを
脳の活動として説明しようとする内容も含むみたいです。

例えば、脳のある部位に刺激を与えると、幽体離脱を経験するとか
あるはずのない感覚を感じたりするとか、
直接的に脳の刺激がもたらす主観的体験を記録したものもあります。

それでも主流は脳の画像診断のほうのようです。
「こういう作業をすると、脳のこの部位が活性化する」
といった調べ方で、脳と「心」の関係を調べようとするスタイル。

ただ、この画像診断は装置的な制約が大きく、時間分解能も低いことから
調べられる内容はかなり偏っているといえます。

むしろ優秀な脳の研究者ほど、
 この画像診断の技術で調べられる範囲でテーマを上手く設定して
 人の興味を引きやすい発見を数多く発表する
方向に進むのが現状のようです。

何よりも、脳画像解析で結論づけられるのは
「この部位が関係している」
というところまでであって、
「その部位がどのように働いて、その心的体験を生み出しているのか?」
は判断ないはずです。

その意味でインパクトの大きな発見は、不慮の事故や病気のため
脳に特殊なダメージが生じた人の解析によりやすいのでしょう。

さらに、身体から脳を独立した組織のように捉えて
脳の活動だけで「心」を理解しようとする傾向も
少なくないように見うけられます。

身体との相互作用を含めた人間全体の内面の動きこそが
「心」として研究されるものではないでしょうか。

総じていうと、脳の研究で分かっていることはかなり限定されていて
そのことは脳の研究に携わっている人ほど言及するところ。

たしかに
「最新の脳研究で様々なことが分かってきた」
という表現は間違っていないでしょう。

以前と比べれば情報は増えてきているわけですから
「様々なことが分かってきた」とはいえます。

しかし、それは他の科学分野で分からないことが沢山あるのと同様か、
新しい分野だからこそ他の分野以上に分からないことで満ちているはずです。

まして神秘体験や超常現象ともなると、
調べることさえ難しいのではないかと思います。


どんな主観的体験も脳の活動とリンクしているわけですから、
そうした神秘体験だって脳の影響だと考察するところまでは容易です。

ですが、仮に神秘体験の最中に脳を画像解析できたとして
何がどのような仕組みで「不思議な」体験を起こしたのかは
説明しにくいのではないでしょうか。

どこかを人為的に刺激して起きる神秘体験にしたって、
そのことと誰かが経験する神秘体験とは関係がありません。
その人は人為的な刺激を受けていないのですから。

いったい何が脳のある部位を働かせて神秘体験を引き起こすのか?
それに関しては全く分かっていないでしょう。

脳の誤作動?
じゃあ、何が、どのようにして脳を誤作動させるのか?

「脳の中で起きていることを調べれば人の内面の活動を理解できる」
…そういう発想は、そもそも
人が個人の身体の中で完結していて、外界との接点は感覚器官しかない
といった前提に基づいていると考えられます。

重要なのは
 『何が脳にそのような影響を与えるのか?』
ではないかと思うんです。

脳への影響を調べることで、
今までに想定してこなかったものが発見されるかもしれません。

脳を都合のいい説明の道具にするよりも
もっと調べて得られるものがあるような気がします。

cozyharada at 23:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | 全般

2014年05月25日

無駄は無駄じゃない

1つの集団をシステムとして見たとき、
そこには現状のバランスを維持するような作用が働きます。

多少の変動があっても、元の状態に戻ろうとする。
ホメオスタシスのような感じです。

家族や組織などでも、そうしたバランスの維持がある、というわけです。


ですからシステムに変化をもたらすには、全体のバランスを再構成して
バランスの基準そのものを変える必要があると考えられます。

あるいは、システムが個々の要素の総和としてできることを考えると
1つの要素に持続的な変化を起こしてしまえば、
システム全体に影響を及ぼすこともできるといえます。

つまり、変化の方法としては
・一気に全体にアプローチをして、新たなバランスの取り方に変える
・個々の要素にアプローチをして、元に戻ろうとする力よりも強く
 ハッキリとした変化を要素内に引き起こすことで、
 部分から全体に影響を与える
と、両方のスタンスがある、ということです。

家族の例でいえば、
 家族成員全員のコミュニケーションのバランスにアプローチして
 望ましい関係性でバランスが維持されるように取り組む
か、
 家族成員一人のコミュニケーションのパターンにアプローチをして
 その人が常に新しい対応を取るようにすることで
 家族全員が新たなコミュニケーションに巻き込まれていく
か、といった違いです。

いずれにせよ、
今までと違う形でバランスを取って全体を維持するようになる。


ここで重要なのが、
 新たなバランスに変わるためには
 『余裕・余剰』が必要だ
ということ。

最適で最高効率で無駄のない形でバランスが維持されていると
そのシステムは、そこから変化するのが大変だとされます。

無駄のない状態から全体を変えるのとを喩えていうと、
 ブロックで何かの建物を作ったところに対して、
 一度壊して新しい建物に作り替える
ような感じでしょうか。

部品が余っていないと、新しい建物にするのは大変です。
余らせて小さい建物にするか、あるいはピッタリ同じブロックの数で
違う建物になるように工夫を凝らすか、どちらか。

多くの場合、全く同じブロックの数で作り直すのは大変でしょう。

ところが、実際のシステムでは
一度全てを壊して作り直す、といったことは起きにくいものです。
すでにシステムはバランスを維持しながら存在しているからです。

会社組織でいうなら人員総入れ替えとか、解体して新会社設立とか…、
個人をシステムとして考えるなら、絶望的なドン底を経験するようなものです。

実社会では、そうした劇的な大改革を望んでいることは少なく、
大きな変革をもたらす目的でも、ある程度、
それまでに培ってきたものは残しつつ、全体を改善したいものでしょう。
 
ブロックの喩えでいうと、少しずつ部品の位置をずらしていって
建物らしい形のままで新たに全体を変えていくイメージです。

つまり、徐々にバランスが移り変わって全体が新しくなるということ。

このように全体としての機能を十分に維持したまま
徐々に移り変わって全体を新しくするには、
一時的に部品を交換したり代用したりするための
「予備の部分」が必要になります。

一見すると余っているような部品があるからこそ、
そこを一時的に別の場所に動かして別の機能を持たせたり、
新しい全体において今までよりも多く求められる機能を強化したり、
今までになかった機能を追加したりできる。

すべて破壊して作り直すことなく、システムに変化をもたらすには
そのシステム内に「余裕・余剰」が必要だということです。


個人もプログラムという「部分」が集まって全体を作っていますから
一人の人間もシステムだと考えられます。

もちろん、家族や組織もシステムです。

そうしたシステムに変化をもたらすには余裕や余剰が必要なようです。

これは組織心理学などでも扱われるテーマで、組織を改善しようとした場合、
コスト削減や効率化の観点から無駄を省く方向に努力をするのと同時に
全体としての風土改善や機能向上のために余剰を維持しておくのが
役に立つとされています。

無駄を省き効率を上げる一方、全体の変化のために余剰を用意しておく。
この相反するものを両立させるのが腕の見せどころになるのでしょう。

頑張れば頑張るほど余裕がなくなっていくことは良くあるものです。

皮肉な話ですが、全体の変化に必要な余裕を奪っているのが
他ならぬその必死の頑張りであったりもする。

「あそび」や「ゆとり」、「余裕」…これらは
「気楽さ」、「ゆったりした感じ」、「リラックス」などとも通じるところといえます。

マネジメントでも、コンサルティングでも、カウンセリングでも、セミナーでも
変化に携わるのであれば、ちょっとした「ゆるさ」が1つのコツのようです。

2014年05月22日

【セミナー】ゆるしの技法

ご案内: 6月8日(日)&22日(日)開催

   ゆるしの技法 〜執着を手放すワーク〜


   (※カウンセリング講座の流れとも対応する予定ですが
     過去のご参加は必須ではありません。)


以前に簡単な予告をしていましたが、6月の講座では
 『ゆるし』
を扱います。

予告記事はこちらです。)


『ゆるし』を平仮名で書いているのには理由があります。

一般に「許す」という言葉で説明されるものとは異なった印象を持つからです。


「許す」というと、おそらく
 「まぁ、いいよ」
 「仕方ない」
といった感じがあるかと思います。

厳密には
 「まぁ、いいよ。仕方ない。」と思おうとしている
といえます。

自分に言い聞かせるところがあるんです。
 「そうだ、これは仕方なかったんだ。うん、仕方ない。」

なので、そのあとにも気分としては
 「あーあ」
のような残念な感じが伴いやすい。

例えば、レストランの店員が水をこぼして、それがかかってしまったとします。

店員:「申し訳ありません!ただいま拭くものをお持ちします!
    すみません、大変なお召し物が…」

そして、これに対して、怒りを感じたとしましょう。

「なんてことをしてくれたんだ!これから大事な商談があるのに!
 こんなビチョビチョな状態では行けないじゃないか!!」
なんて怒鳴り声を上げる。

これは「怒りの感情を感じた」結果として、
「怒鳴る」という行動に移したケースです。

一般に、「怒りの感情を感じ」、それを行動につなげることを「怒る」と呼ぶようです。
そうすると、「怒りを感じて怒鳴る」のも、「怒りを感じて殴る」のも、
「怒りを感じて机を叩く」のも、「怒りを感じてその場を立ち去る」のも、
全て「怒る」という一言でくくられてしまいます。

これは曖昧な言葉の使い方ですから、ここでは「怒る」という表現は避けておきます。

 怒りの感情が体の感覚として沸いてくる
 ( → 感覚としての怒りの感情を自覚する)
 → 怒りの感覚を発散させるための行動に移す
   or 行動にあらわすのを抑え込む

…このような流れが「怒り」に伴って起きていると考えます。

そして、例のように「怒りを感じて怒鳴る」としたら、
これはもちろん「許す」ことをしていません。

良くあるのは、「怒りの感情を感じ」ながらも、それをグッと堪えて
 『まぁ、相手にも悪気があったわけじゃないんだし…、
  ミスは誰にだってあることだしなぁ…。
  水で良かったよ。コーヒーだったらシミになっちゃってたわけだから。
  やれやれ、商談だっていうのに…、ハァ。。』
と心の中でつぶやきながら、表向きは店員に対して
「あぁ、もう良いですよ…。大丈夫ですから。気にしないでください」
なんて言うケース。

こういうのを「許す」と捉えることが多いようです。

つまり、本当は相手に責任があると思っている。
けれども相手の立場を考えると仕方がないと考える。
だから『相手を責めるのはやめよう』と決めて、気持ちを落ち着ける、と。

この『相手を責めない』ことを「許す」だと解釈する場合があるようです。

確かに、相手の立場を考えて「仕方がない」と思えるし、
カーッとなって怒鳴るよりも、身体の中の怒りの感覚は早く落ち着くでしょう。

むしろ、「怒りを我慢する」というと、
 『クッソー!…むむむぅ…、何なんだよ、ったく…!ああ、もう!』
と心の中では不満の内部対話をしながら、
表に言葉としては出さずに、ジッと静かにしている
…といった様子を想像するかもしれません。

その意味では、相手の立場を考えて「仕方ない」と考えるのは
「気持ちを落ち着ける」であって、「怒りを我慢する」のとは違うでしょう。
ですから、「我慢する」ではなく「許す」だと捉えやすいんだと思われます。

ただ、ここでの重要なポイントは
 「仕方がない」と思おうとしている
ことです。

言いかえるなら、「なだめている」感じなんです。

水をかけられて怒りにまかせて怒鳴り始めた友人を
横から「まぁまぁ、そんなに怒らないで。ね。水で良かったじゃない。」
と言い聞かせるように、
自分の心の中で、怒っている自分をなだめている状態だといえます。

自然と「仕方ないよ」とは思えていないんです。
怒りも感じている、でも仕方ないと分かっている。
だから冷静になって、相手の非を責めるのをやめる。

このように、
 「あなたが悪い」と捉えていながら、
 「でも、仕方ない」と理解を示し、責める行動に移さずに
 「まぁ、いいでしょう」という態度で接する
ことが『許す』と呼ばれるようです。

相手が悪いから、自分には責める権利がある…、けれども、やめてあげる
…といった「許可」の感じがポイントでしょう。

不満ながら、許すわけです。

結果として、不満や怒りの感情が残り続けることがあります。
単純に怒りを我慢して抑え込んだよりは穏やかかもしれませんが、
それでも怒りや不満は蓄積します。

そして、どこかで少し根に持っている。
恨みにも似た執着があるんです。


それに対して、この講座で扱う「ゆるし」は
執着や不満、敵意を解消するものです。

「仕方ない」と思おうとするのではなく、
「仕方ない」と思える状態にします。

自分を言い聞かせたり、なだめたりするのではなく、
全身でスッキリと「あぁ、それは大丈夫ですよ」と思える状態にします。

先ほどのレストランの例でいえば、水をかけられてしまったときに
 『あー、濡れちゃったぁ。おー、冷たい、冷たい。
  あらあら、拭いてもダメかぁ。これは乾くのに時間がかかるかもなぁ。
  ま、仕方ないね。ハッハッハ。』
と思いながら、
 「あぁ、店員さん、気にしないで良いですよ。全然大丈夫ですからね。」
と、声をかけられる感じでしょうか。

余裕があって気にならない状態というのがあるわけです。
一瞬は怒りや不満も沸くかもしれないけれど、「まぁ、いいや」と思える。

「許す」のほうでは、不満はあるけれど「責めるのをやめる」んです。
「ゆるす」場合には、そもそも「責める気にならない」。

実際には、「ゆるせない」状態、執着した状態から始まって
「ゆるし」の手法を通じて「ゆるせる」状態へと進みますから、
正確な表現としては、「責める気が消える」のほうが近いでしょう。

自分の気持ちを自分でなだめたり、責めるのをやめる決意をしたりといった
複雑な心境ではないのが、「ゆるし」の特徴です。

様々な気持ちがスッと消えて、シンプルに穏やかな感じになります。
とにかく「気にならない」状態。

気にならないわけですから、頭をよぎることもなくなって
以前は執着していたことさえも意識に上がらなくなります。
「あー、そんなこともあったねぇ」なんて懐かしささえ覚えることもあるようです。

ただただ軽くなるんです。
これが「ゆるし」の特徴です。


もちろん、こうした余裕のある態度で「まぁ、いいよ」と思えるには
怒りの感情の強さが大きく関わります。

同じミスや迷惑でも、子供やペットだったら
自然と、責める気持ちが沸いてこないことがあるかもしれません。
そもそも普通に「ゆるす」ことができてしまう場合です。

しかし、相手によって、あるいはミスや迷惑の大きさによって
怒りや不満が大きくなることがあります。
「それだけは勘弁ならん!!」というときもあるわけです。

また、期待が大きいほど、怒りも強くなります。

怒り、傷つき、不満といった感情が強いときほど
簡単には「ゆるす」ことができないもののようです。

だから工夫が必要なんです。
「ゆるし」の方法を知っていることが役に立つ理由です。
 …実際には、あまり知られていないんですが。


怒りを発散し、悲しみが癒えても、まだ執着がある。
そういうときこそ、「ゆるし」のタイミングです。

「ゆるし」の対象は、また、必ずしも他者には限定されません。
自責感、罪悪感に対しては、自分を「ゆるす」ことが求められます。

しかし最大のポイントは、「ゆるし」たいかどうか。
本人の意欲の問題があります。

不満や敵意、恨みを原動力に活動する人もいます。
それだって1つの建設的な取り組みです。

ですから必ずしも「ゆるす」必要があるわけではありません。

ただし、「ゆるし」には明らかにステップがあるんです。
そのステップを進めるにあたって、「ゆるしたい」という意志が重要になる。

多くの場合、「ゆるし」の後にどうなるかを実感していないので
「ゆるしたら〜になってしまうんじゃないか?」と心配してしまいがちです。

そのため、まずは「ゆるす」ということの意味を理解するところから始まります。

憎むことで縛られ続けている…その呪縛から解放されて前に進みたい
というのが必要な意志です。

忘れるわけではありません。
受け入れるだけです。

執着だけ手放して、大切なものは残します。

それが分かってもなお、やはり抱えていたいのであれば
無理に「ゆるす」必要もないのでしょう。

しかしながら、いつ「ゆるしたい」ときが来るかは分かりません。

抑えていたものが奥底で動き始めたら、そのときは近いと思われますが
それがいつになるのかは想像がつかないもののようです。

だからこそ、「ゆるしたい」気持ちになったときのために
「ゆるし」の方法を知っておくことが役に立つと考えられます。

個人的には、そうでした。
方法を知ったときには役に立たなかったものの、後から実感しました。

手法を把握するための練習段階としては、
気軽な例を選んで体験するのでも十分かもしれません。

そういう前提で、ご参加を検討してみてください。

NLPにおける「ゆるしのパターン」、
サイコシンセシスの流れの技法を紹介します。

「ゆるし」のステップにおいて必要な要素も
NLPの観点と、個人的なフィードバックとを組み合わせて
実感を高めながら演習していきます。

1つ1つを丁寧に取り組んで頂けるよう願っています。



【講座の進め方】

実習が中心です。
解説もありますが、大半の時間は体験学習となります。


6月8日と22日は、同じ内容でトレーニングを行います。

理論的な解説は重複しますから、両方にご参加くださると
復習として知識が定着しやすくなります。

手法としても、ご自身で使えるように身につけておくには
復習が効果的だと思われます。

「ゆるし」は、とても人間的で繊細で、豊かな心の動きだと感じます。
人の心に興味のある方、人の心をサポートしたい方には
他の方の取り組みを真剣に眺める機会が多いほど、得られるものも多いはずです。

ご都合が合えば、両日のお越しをお勧めいたします。

両日のご参加でも参加費は変わりません。

ただし、お申し込み多数の場合には
サポートのバランスをこちらで調整させて頂く可能性があります。
その点は、ご了承ください。




◆録音/録画、再生機材に関しまして

講座全体の内容は、ICレコーダーやビデオなどで
記録いただいても構いませんが、あくまで
個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。





【セミナーの詳細】

≪『ゆるし』の技法 〜執着を手放すワーク〜

<日程 
【日時】  6月8日(日)
       9:30〜16:00


       ※開始時間にご注意ください 
       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。

【場所】 五反田文化センター 第2会議室
    (JR山手線・五反田駅より徒歩15分)
    (東急目黒線・不動前駅より徒歩8分)


<日程◆
【日時】  6月22日(日)
       9:30〜16:00


       ※開始時間にご注意ください 
       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。

【場所】 五反田文化センター 第1会議室
    (JR山手線・五反田駅より徒歩15分)
    (東急目黒線・不動前駅より徒歩8分)


     ★申し込みフォームに、ご希望の日程(8日/22日/両方)をご記入ください。


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。
       ※両日のご参加でも同料金です。

    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。




終了しました

以前、実家で犬を飼っていました。
ゴールデンレトリーバーです。

長い毛が沢山抜けます。

家中に毛が飛び散っていました。
食事に毛が混ざっているなんてザラにありましたし、
床はどんなに掃除をしても毛だらけになっていたものです。

家を出る時には、粘着テープ(コロコロのやつ)で
衣類についた毛を取るのが決まりごとになっていました。

その犬が死んで、もうすぐ2年。

もう家には毛が落ちていません。
食事に毛が入りこむこともありません。
粘着テープで毛をとる必要もなくなりました。

だからこそ、収納の奥から荷物を引っぱり出したりしたときに
ふと見つかる犬の毛が、なんとも懐かしいんです。

そういう愛おしさに似たものが、「ゆるし」の先にはあるような気がします。


ちなみに、「ゆるし」の技法は、他者を援助する人にとって
究極的に役立つ要素を含んでいるともいえます。

なぜか?

多くの人は全面的に「ゆるされて」生きていないからです。

カウンセラー(援助者)がクライアントを全面的に受け入れる。
それができると、その状態そのものが苦しみを減らしてくれます。

そのときにカウンセラー側に特定の信念や価値観があると
クライアントの考えやスタンスを100%受け入れられません。

自分の価値観のために、クライアントをゆるせないわけです。

至って普通のことです。
大部分の人がそういう見方で他人を捉えています。

良い・悪いと判断しながら人を見る。
自分が良いと感じることを信じて、社会で生活しています。

同様に、カウンセラーといっても良いと信じていることがあるものです。
クライアントのためを思えばこそ、良い・悪いの判断が生まれます。

「私はダメなんです」なんて言っているクライアントを見ると、
心の中で
「あー、そんなに卑下しなくたって良いのに…。
 あなたは生きているだけで素晴らしいんですよ。」
なんて、クライアントの態度を良くないものと捉える。

そしてクライアントが
「私、今のままでも十分幸せだったって気づきました!」
などといえば
「そうですか!素晴らしい!そうなんですよね。気づいて良かったですね」
のように称賛する。

カウンセラーが「良い生き方」の基準を持っていて、
それに合わせてクライアントを判断しているわけです。

そういうやり方もあります。
教育的な方針として、楽になるのに有効な方法の1つでしょう。

ですが、クライアントを全面的に「ゆるす」ことはしていない。
ただそれだけのことです。

そしてもし、クライアントを全面的に「ゆるし」、受け入れられると、
クライアントにとっては関係性そのものがセラピーになるんです。

カウンセリング中に何をするかではなく、何を言うかでもなく、
ただ一緒にいる時間がクライアントの苦しみを和らげるものとなるんです。

その意味で、カウンセラーにとって「究極的」に役立つ、という話です。

このことを体験的に実感できるかもしれません。

ご自身のため、周りの方のために、
「ゆるし」というものを体験していただければと思っています。

cozyharada at 23:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!セミナー情報 | NLP

2014年05月20日

苦言

引き寄せでも、成功法則でも、「思考は現実化する」でも、
 「自分の内面が、外で起きることの原因となっている」
という発想が含まれているようです。

その考えを採用して自分の望むものを手に入れようとするのは
本人の好みによるところでしょうし、何よりも、
そうすることで日々を幸せに感じられるのは大きなメリットになっていそうです。


ただし、そうした考えを持っている人が
「そうならなかった場合」について説明し始めると
事情が複雑になってくるように見受けられます。

例えば、「強くイメージしたら現実になる」のだとしたら、
イメージしたのに結果が手に入らなかった場合は
「十分に強くイメージできていなかったからだ」
という理由が説明できてしまいます。

あるいは
「心の中に『もしかしたらダメかも…』と疑っている部分が混ざっていて
 100%信じてイメージできていないからだ」
とか。

「『本当にイメージしたら実現するのか?』と思っていると
 実現しないことをイメージしているわけだから、
 その通り、実現しない結果に終わる。
 ほら、考えたとおりになったでしょう?」
なんていう意見も。


中には、残念な結果となった人に対して
「潜在意識で望んでいるから、その通りになったんだ」
などの厳しい意見も目にしたことがあります。

「『自分は嫌われている』というビリーフがあるから
 実際に周りから嫌われる…」

「『自分は生きていても意味がない』と深層心理で思っているから
 その通りに、事故に巻き込まれたりする…」

…このあたりまで来ると、副次的な影響力が相当に強いはずです。

まぁ、仮に苦しい目にあっている本人が、この”教え”を信じて心を入れかえ
日々を苦しみながら生活するのを止めたとしたら役に立つのかもしれません。

しかし、そこまで信じていない人が耳にしたとしたら…?

僕の幼なじみは20代前半で交通事故にあって亡くなっています。
僕のいとこも20代で亡くなっています。交通事故です。
僕の中学校の同級生は20歳になる前にガンで亡くなっています。
他にも亡くなった友人が沢山。

こういう人たちに対しても
「潜在意識で望んでいたから、そういう目にあったんだ」
と言うんでしょうか?

とりあえず本人たちは、そんな考えを目にすることもありませんから
関係ないことにしておきましょう。

しかし残された家族はどうなのか?

幼なじみのお母さんも、僕のおばも、
自分の息子を亡くした悲しみで何年も打ちひしがれていました。

そのように息子を亡くした母親たちに向かっても
「息子さんは、心の奥底で考えていたことが実現して
 それで交通事故にあったんですよ」
とでも言うんでしょうか?

それとも
「息子さんの悲運は、お母さんが深層心理で願っていた通りになったんです」
とでも言うんでしょうか?

もちろん、面と向かってそんなこをいうほどの人はいないと思います。

が、
「ネガティブな考えやビリーフを持っていると、不幸や残念な結果になる」
という意味合いの言葉であれば、
自業自得のような意味に捉える可能性だって十分にあるわけです。

「思考は実現する」
とか
「イメージすると、その通りになる」
とか
「潜在意識で望んでいる通りの結果になる」
といった発想にも
同様の可能性が含まれているはずです。


個人がどんな内容を信じようが、その人の自由でしょう。

しかし、考えを発信する段階となると意味が違うと思います。

その意見を聞く人がいる。
その考えによって影響を受ける人がいるんです。

傷つく人もいるかもしれません。

傷つく人がいることを分かった上で、幸せになる人を優先するのか。
そのあたりに発信者の覚悟が表れる気がします。

2014年05月19日

価値観の違い

コミュニケーションでもカウンセリングでも
NLPでもコーチングでも自己啓発でもビジネスでも、
色々と学んでいくと『価値観』という言葉に触れるようです。

そして
「人それぞれの価値観を大切にする」
というスタンスを大事だと感じるようになる。

そのせいでしょう。
よく聞くんです。
何度か質問されたり、悩みとして聞いたりしました。

「自分の価値観を押しつける人が苦手だ」
「価値観を強制されると腹が立つ」

そんな話です。

それぞれの価値観を大切にしたい。
…そう思っているからこそ、
他者の価値観を大切にしない人を見ると、嫌な気持ちになるんでしょう。

自分は相手の価値観だって大切にしたいし、
自分の価値観も大切にしてもらいたい、と。


しかしながら、
全ての人が「人それぞれの価値観を大切にしたい」とは思っていません。

自分の価値観こそ全てだという人もいる。

それを主張することに喜びを感じる人もいれば、
自分の価値観に基づいて「良い」と判断されることを
世界に広めようとする人たちだって沢山います。

自分の価値観を主張したり、他者に押しつけたりする人は、
いわば
「自分の価値観を相手に届けることが大切だ」
という価値観を持っているということです。

もっといえば、
「人それぞれの価値観の違いを尊重しない」価値観
だということ。

自分の価値観を勝手に押しつけてくる人は
「人それぞれの価値観の違いを尊重しない」価値観
に基づいて行動している。

そう考えると、
「人それぞれの価値観を大切にする」価値観を持っている人は、
自分の価値観を勝手に押しつけてくる人の価値観をも
大切にしたいと願うところではないでしょうか?

つまり、
 「人それぞれの価値観の違いを尊重しない」価値観さえも
 相手の価値観として尊重する
ということです。

それが「人それぞれの価値観の違いを尊重する」ということじゃないか、と。

だとしたら価値観を押しつけられて苦しいこともないと思われます。

cozyharada at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | NLPの基本情報

2014年05月17日

道を歩いていて、
目の前に傷ついた鳥が落ちてきたら
ただなんとなく、自分にできることをしようとする。

そんなスタンスで人と関わると
カウンセリングやセラピーが上手くいきやすいようです。

そこには
「傷ついた鳥を救うことが自分の天命だ」
なんていう使命感もないし、
「どうすれば傷ついた鳥が沢山落ちてくるか?」
といった集客の悩みもない。

ただ傷ついた鳥に気持ちを向けられることそのものが
関わりの結果に大きな違いを生むようです。

技術は「自分にできること」の幅を広げる意味で大事ですが、
気持ちの向け方がズレると空回りする印象があります。

助けたいという悲壮感や
関わることへの好奇心は
だから出発点に過ぎないんでしょう。

鳥の存在にさえ気づかないなら
まずは好奇心が役立つかもしれませんが、
傷ついた鳥に向く気持ちは
好奇心とは別のもののような気がします。

2014年05月15日

眠りって?

やっぱり「意識」って理解が難しい…という話なんですが。


なんでも、イルカは脳の半球を半分ずつ交互に眠るらしいんです。

海中で生活していますが肺呼吸なので、
寝ている間も水面に顔を出す必要がある。

それで脳の半分だけ起こしておいて、そっちの働きで水面まで泳いで
呼吸をしたらまた潜っていく、と。

だから半分ずつ眠るということのようです。


また、渡り鳥は集団で長時間の飛行を続け、
飛んでいる間に眠っているそうです。

先頭は注意を払う必要があるから起きているとのことですが、
ときどき位置を交代しながら、後ろのほうに移動して眠るんだとか。

眠っていても空を飛べるという話です。


それから、馬の睡眠時間は、一日2時間程度。
キリンに至っては20分程度しか寝ないらしいです。
(キリンは首を曲げて胴体の上に乗せて寝るようです)

どちらも立ったまま眠ることもあるといいます。

このように草食動物はあまり眠らないのに、
クマやリスは冬眠をする。


そもそも一体、「睡眠」って何なんでしょうか?

当たり前に自分たちが眠っているから、
他の動物も見た目として「眠っている」と判断しているだけで、
本当にそれが人間と同じ「睡眠」なのか分かりません。

催眠などをやっていれば、トランスが普段の睡眠と違うことは
主観的な実感として納得できることですが、だとすると
ますます「睡眠とは何か?」ということが不明瞭になります。

はたして人間の睡眠と、他の動物の睡眠は本当に同じなんでしょうか?

目をつぶっているとか、脳波がどうだとか、
そういう観点で客観的に説明しているだけで、
人間にとっての睡眠には、もっと主観的な体験が含まれる気がします。


辞書的には、睡眠には「意識の喪失が伴う」とされますが、
それでは「意識の喪失」って一体どういうことを言うのでしょうか?

動物も眠るとしたら、人間と同じような意識があるのでしょうか?

そもそも動物に人間と同じような意識があるかどうか分からないのに
「意識の喪失」を伴う「眠り」を動物に見出すのは困難な気がします。

目をつぶっているとか、身体の動きが止まっているとか、
寝転がっているとか、脳の活動がどうとか…
外から観察した結果でしかないはずです。

実は人間でいう瞑想ぐらいなものかもしれません。


他にも、「意識の喪失」という観点からすると
「昏睡」や「植物状態」、「失神」などだって区別が難しいところでしょう。

医学的に定義があったとしても、「意識」という主観的な体験を伴う以上、
外から観察される分類では「睡眠」との違いを説明しきれないと思うんです。

いくら客観的に名称をつけて分類されていたとしても、
「意識を取り戻した」瞬間は、「眠りから覚めた」ときと区別できるんでしょうか?


あまりにも「意識」という”自分”の感じが当然になっていて、
意識を前提に現象を定義していくから理解しにくいところもあると思います。

それはまるで、
自分たちの生活している地球(地上の世界)が当たり前だから
天の星や月や太陽が、自分たちの周りを回っていると捉えていたのと
同じようなことではないでしょうか。

「意識」という現象を改めて全く分かっていない不思議なものと捉えなおし、
全ての他の活動と並列な関係として整理してみたら、
睡眠などの現象も違った角度で理解できるような気がします。

「意識」を中心として、その周りの活動を理解するのではなく、
全体的な生命活動を基準に、その中の一部として「意識」を捉えなおす。

それは「地球」を中心として星や太陽の運動を理解しようとしていたものを
宇宙における天体の相互作用として理解しなおしたことと
似ているのかもしれません。

cozyharada at 23:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | NLP

2014年05月13日

死後の世界

死後の世界についての本が話題になっているとのことで
ちらっと読んでみたり、調べてみたりしました。

概していうと、
「今の科学では説明のできない現象ばかりなので
 臨死体験で見たあの景色は死後の世界だったと考えるしかない」
などの論点のようです。

中には
「私はあの時の臨死体験で、こういうものを見た。
 自分で経験したから、死後の世界があると確信している。」
といった意見もありますが、
こちらの個人的経験を根拠とする説に対しては
科学的な理由づけが試みられます。

多くは、
「死の直前に脳活動が活発になる瞬間があるから
 そのときに頭の中で幻覚を見ているのだろう」
というもの。

また
「止まりかけた脳活動が再起動するときに普段とは違う活動が起き、
 夢を見るようにして幻覚を体験する」
という説もありました。

いずれにしろ、脳の活動が寄与しているだろう、というわけです。

そして、そういう科学的な観点からの説明では矛盾が出てきたときに
「今の科学では説明のできない現象ばかりなので
 臨死体験で見たあの景色は死後の世界だったと考えるしかない」
という結論に転じる人がいる。


個人が何を信じても構わないと思いますし、
臨死体験だとかとは無関係に天国や地獄を信じる人もいることでしょう。

ただし、臨死体験の不思議な内容が「今の科学」で説明できないだけの理由で
「じゃあ、やっぱりあれは死後の世界を見ていたんだろう」という結論に転じるのは
あまりにも短絡的で、もったいないと思います。

そもそも、別に臨死体験で見たものが死後の世界じゃなくたって
だからといって死後の世界が存在しない理由にはなりません。

臨死体験で見る景色は脳の活動が作り出すものであって、
実際にはまだ死を迎えていないときに体験している幻覚のようなもの。
死後の世界はそのあとに、もっと全然別のものとして存在する。
…そういう説を持ったって構わないわけです。

ですから僕は個人的には死後の世界については「分からない」としか言えません。
ただ臨死体験で語られる多くの不思議な現象は、
「死後の世界を垣間見ている」という説明以外で解釈したほうが
もっと人間そのものの不思議を理解するチャンスになると思うんです。

「今の科学では説明できない。だから死後の世界なんだ。」
というのは、ただ「今の科学」の不十分さを示しているだけとも言えるはずです。

そもそも人間は、『意識』とは何かを理解していないんです。
『心』がどういうものかも、全然分かっていない。

意識と記憶と神経系の活動との関係が、あまり分かっていない。
個人の意識と他人の意識がどのように関係しているかなんて視点から
人の意識と記憶を考えようと試みるのは、ほとんど科学に含まれません。

臨死体験で語られる内容を、『意識』を解明するための情報として捉えれば
これまでとは違った種類の知見が得られるかもしれません。

今の科学で説明がつかない不思議な現象だからこそ、
科学の枠組みを広げて、より理解を進めるチャンスになるのではないでしょうか。

とてももったいない話だと感じます。



ちなみに、死後の世界を信じている人の中には
 科学者で元々は死後の世界を否定していたのに
 自分の臨死体験の結果、信じるようになった
という人がいるそうです。

重要なポイントは、「元々、死後の世界を否定していた」
ということです。

「信じていなかった」、「疑っていた」のではなく
「否定していた」んです。

つまり、「『死後の世界はない』と信じていた」と。

そもそも信じやすい人だったんでしょう。
おそらく科学を信じていたとも思います。

しかし自分の経験を今の科学では説明できなかった。
もう科学を信じられなくなったわけです。

だから他に信じるものを求め始めた。
それが「死後の世界はある」という結論だったと考えられます。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
〜受け取ってもらう伝え方〜


【日時】 2017年8月20日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


詳細はこちら>>
次回開催は9/10 & 9/24の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード