2014年10月

2014年10月07日

シンプルか、ゴージャスか

本質をつかむほど、物事はシンプルになっていくもの。

それが「エッセンス」ということで、
大事な部分が濃縮されていくような印象があります。

多くの偉大な結果を残した人たち、達人と呼ばれた人たちが
シンプルな教えに辿り着く傾向も納得できます。

もちろん一方では、そのシンプルなエッセンスに基づく部分を細かくチェックして
大体の印象ではない筋道だった詳細な説明ができる人もいたはずですが、
それは、シンプルな本質に則って物事を捉えているからこそ、結果的に
矛盾なく、スムーズで詳しい説明ができたということだと思われます。

ただ単純に情報量だけを増やして詳しくしていったものは
断片的な詳細情報が集められただけになっていて、
そこには沢山のものの寄せ集めのような印象が出てしまいがちです。

色々な知識がある。
けれども統一されていないとか、辻褄の合わない部分が含まれているとか、
そういったことが起きやすいということです。

説明が釈然としないときには、もしかすると
 ・経験的に本質だけを掴んでしまって、言葉での詳細な説明が困難なケース
もしくは
 ・沢山の情報を仕入れたものの、相反することを気にせずに鵜呑みにしたため
 気づかないうちに辻褄の合わない説明が含まれてしまうケース
なのかもしれません。


しかしながら、そもそも個人差として
 ・シンプルな本質に「1つの大きな輝き」を見る傾向
 ・沢山のものが集まったときに「キラキラとした輝き」を見る傾向
の違いも見うけられます。

これは価値観の違いを反映するものです。

シンプルで無駄がなく高品質。
自分にとって大事な1つのものに気持ちが集まる感じ。

あるいは…。

豪華でカラフルで盛り沢山。
大事なものが数多く集まるほど喜びが高まる感じ。

前者は「ポイントを掴む」ほうに重きを置き、
後者は「網羅する」ほうに重きを置きやすいといえます。

好みの差がある、ということです。

ですから、情報を集める、つまり広い意味で「学習する」段階で
すでに好みの差が表れてくるんです。

ポイントを絞った本質を掴み
それを的確に応用できるようにしようとするのか、
…それとも
沢山の知識やテクニックを集めて
色々な選択肢を使い分けられるようにしようとするのか。

こうした学習の方向性の違いが見受けられます。

当然、伝える側も、受け取る側も好みがあるため、
シンプルで本質的な内容がトレーニングされる場と
沢山の知識やテクニックが紹介される場とがあるようです。

世間一般の人気に関しては定かではありませんが、
本質に近いほど身につけるには労力がかかる傾向にありますから、
沢山の知識やテクニックの中の1つを紹介するのが
お手軽で一般ウケをしやすいのかもしれません。

本質に近づいてシンプルになることで
魅力が減ったように感じる人もいるということです。


この傾向の違いは、調査・分析をする段階でも顕著に表れます。

例えば、有名な心理療法家のやり方を調べるとか、
効果的なコミュニケーション技術を分析するとかの場合であれば…。

シンプルなエッセンスに目を向ける人は
そこに直接的には表現されていない重要な要素、
「なぜ効果が出るのか?」という共通するメカニズムを見ようとします。

それは全てに共通する一番大事な本質が見つかるまで続きますが、
その過程そのものが学習のプロセスにもなっていて、かける時間は
自分が同じぐらいシンプルにできるようになるための
トレーニングに使われることが多いようです。

そして一度「これが本質だ」という印象が得られれば
表面上の細かい方法の違いにはこだわらず
オリジナルに近いものをその場で生み出すようなところがあるかもしれません。

その意味では、有名な心理療法家について調べた後でも
全く同じようなやり方にはならない可能性があります。

ただのモノマネではなく、本質を自分なりに取り入れて活かすという点で
どれだけの偉人から学ぶとしても、常に「自分がどこに辿り着くか」が焦点であって
達人は、自分が同じレベルに到達できるかの指標だともいえそうです。

この場合、気をつける必要があるのは、自分では
 「これが本質だ」、「掴んだ」、「同じところへ辿り着いた」
と思っていても、実際には「まだまだ」かもしれない、というところでしょう。

ポイントを掴むのが早いからこそ、充分な情報源の共通点を見ることなく
エッセンスに辿り着く前に情報収集をやめてしまう危険性もあります。

一方、
沢山の知識やテクニックに目を向ける人は
何がなされているかというパターンを調べようとします。
「どうすると上手くいくのか?」、「どういう方法があるのか?」
といった視点です。

そうすると「あ、こんなパターンもあった!」といって
数多くを発見する楽しみが続きます。

価値のある物が数多く集まっていることに喜びを感じるため
そうした技術やパターンがリストのように増えていくほど
進んでいる実感が得られるのでしょう。

時間をかけるほど膨大な情報源を探り、そこからパターンや知識を集める。
量が多いことで選択肢が広がり、使えるもののバリエーションが増えることで
対応の幅が広がっていく傾向といえそうです。

「できるようになる」ことの基準は、成果もさることながら
その方法を使いこなしたところに置かれがちと見受けられます。

つまり、その偉人・達人がやっていたことと同じ作業ができるのを目指す、と。
そこにはその先人への敬意があるように見えます。
「スゴイ!」と捉えているからこそ、それを再現することに価値が生まれ、
スゴさの根拠になる知識やテクニックは多いほうが望ましい。
「こんなに沢山のことをやっている。これはスゴイ!」という感じ。

忠実にパターンを踏襲して、正確な情報を集められますし、
分かったつもりになって飽きることなく、探究を続けられるようです。

ただし、細かいパターンや情報、手法のバリエーションに注目するあまり
目立ちにくい本質やシンプルな仕組みを見逃すリスクもあります。
「スゴさ」を生み出す違いを重視するため、
一見すると当たり前で目立たないエッセンスは
あまり魅力的ではないのかもしれません。

また、興味の対象が、人間全般や身近なよくいる人たちよりも
偉大で特別な人のスゴさとなりがちであったり
特別な技術や知識のほうに向きがちであったり。

コミュニケーションの場合には、目の前の相手よりも
知識や技術へ関心が向く可能性もありそうです。


どちらにも一長一短があって、個性や好みと呼べる範囲です。

学習の仕方において相性を決めるのにも大きく関わると考えられます。
合ったスタンスで取り組めるように工夫をするのも効果的じゃないでしょうか。

2014年10月05日

議論の仕方

議論の仕方って、難しいものだと感じます。

多くの人が議論のやり方を学んでいないからこそ
余計に厄介なコミュニケーションが増えてしまうようです。

大抵の場合、議論には
 「こっちのほうが良い/正しい」
という『主張』が含まれます。

それに『理由』が加わって、主張の妥当性を訴えるわけです。

小学校のころに学級会なんかで議論らしきことをやろうとしても
まずこの理由を言えることが少ない。

「私はこっちが良いと思います」で終わってしまうか、
「私はこっちが良いと思います。なぜならそれが社会のルールだからです。」と
すでに決められた『ルール』を引っ張り出すか、あるいは
「私はこっちが良いです。
 だって、こっちのほうが皆が楽しいからです。」と
自分の『価値観』を伝えるか、ぐらいまででしょう。

ルールはそもそも、社会の他の人たちが考えて導き出した
「とりあえずこういうことにして皆が従っておけば
 大多数のケースでは上手くいく」
という決めごとです。

ルールに従っておく限り、個別のケースについて深く考えて
 「ルールに従わないとどうなってしまうのか?」
 「ルールに従えば、どういう良いことがあるのか?」
を想像する必要がありません。

厳しいいい方をすれば、ルールは考えるのを省略して
「とりあえず従っておけば大丈夫」という安心感を与えてくれるものだ
ということでしょう。

仮にそのルールが、当時のルールを決める権力を持った人たちにとって
都合が良かったというだけの理由で作られていたとしても、
ルールの理由を考察しなければ、ただ従うだけになってしまいます。

そしてルールに従っている限り「正しい」のだから
自分の主張は通るべきだという発想が生まれやすい。

議論の目的を、
 様々な可能性を考えて、どちらの主張に説得力があるかを判断する
ためのものだとするならば、
ルールを引っぱり出して「正しいから、正しい」、「正しいから、良い」と
主張をサポートしようとするのは、理由を述べていないことになります。

ですから、価値観が反映される形で、自分の選択のメリットを伝えるのが
理由を述べるプロセスとして一般的だと考えられます。

最終的な選択肢の決定は、どの価値が満たされるかという順位を元に
何を優先して、何に目をつぶるかを考慮してなされるはずですから、
「こっちの選択肢では、こういう価値観が重視されます」という主張は
意志決定の前段階の議論として有効なわけです。


ただし、
「こっちが良いです。なぜならこういう価値観に沿うからです。」
という理由づけの仕方では、
『どのようにして』という説明が含まれていません。

「こっちを選ぶと、こうなります」という因果関係の流れを埋めるような
「こっちを選ぶと、こうなって、それでこうなって、…だからこうなります」
という『プロセス』が必要です。

ここをきちんと述べるのが議論の肝になるはずですが、
残念ながらそういうトレーニングは多くないように見受けられます。

多くの場合、「こっちを選ぶと、こうなります」という因果に飛躍があっても
なんとなくそれで流されてしまう。

そして主張の上手い人は、ここで事例を挙げてくるものです。
「こっちを選ぶと、こうなります。それは、過去の〜を見ても明らかです。」
といった感じ。

しかしながら、事例には常に『反例』がつきものです。
「こっちを選ぶと、こうなります」の流れに当てはまらない事例もあるわけです。

反対派としては、そこで当てはまらないケース(つまり反例)を挙げれば
それだけで相手の主張を「正しくない」こととして退けられてしまいます。

さらには、「こっちを選ぶと、こうなります」という流れに対して
矛盾を指摘するような方法もあります。

例えば、
 「球技大会ではドッヂボールが良いです。
  なぜならドッヂボールだったら皆で楽しめるからです。」
という主張と理由づけに対して、
 「いや、ドッヂボールは全員が競技に出ないといけないから
  やりたくない人が全員、楽しくない思いをします。
  選抜メンバーで競うサッカーだったら、
  やりたくない人は応援すればいいので、嫌な思いをしなくて済みます。
  サッカーのほうが皆が楽しい気持ちになります。」
などと反論する形。

こういう相手の主張の穴を指摘するタイプの反論は
議論としては強力な手法だといえます。

よほど的確に穴のない論理構成を考えて
それに沿った事例を挙げるようなことをしないと
「それはおかしい」と反論を受けてしまいますから、
本質的な議論の上手さは、穴のない論理展開を作るところにあるはずです。

科学の論文などは、そのあたりの構成に敏感なほうでしょう。


主張の論理構造を穴のないように作り上げるのは難しいですから
議論の場では、反論するほうが容易なものです。

実際、日本人で「議論が上手い」ような印象を与えている人には
このように相手への反論が思いつきやすい人が多いのではないでしょうか。

誰が何を主張しても、的確に穴を見つけて反論する。
「あなたのその意見は間違っている。だからそれはおかしい。」
というスタイルの人です。

相手に色々と主張させる。
それで「いや、そうじゃない。だって〜じゃないか。」と反論する。

日常的な会話の中でそれをやると、さらにコミュニケーションは厄介になります。

主張する側は自分の意見の正しさを「分かってもらいたくて」言うわけです。
賛同が欲しいから主張するんです。
意見を戦わせ、新たな見解を導きたくて議論する…
なんて人は滅多にいないでしょう。

次の選挙でどこに投票するかを判断するために、各党の主張を吟味したくて
模擬的にディベートをしてみよう、といったことをするのは少数派だと思います。

大抵の人が主張するのは、自分の意見を認めてもらいたい場合。
共感や賛同が欲しいものです。

にもかかわらず反論をする。
「それは間違っている」と。

そうなると相手は、自分の正しさを認めてもらおうと
必死で他の論点を挙げて、なんとか主張を頑張ります。

そして、それもあえなく反論されてしまう。
だから意地になって余計に正しいという主張を繰り返す。

自説を受け入れてもらえない悔しさから感情が高ぶります。
当初想定していた論点はすでに反論されてしまっているので
新たな理由づけを考えながら話さなければいけないのに、
その感情の高ぶりが冷静さを奪います。

そして次第に感情的な意見が増えてくる。
そうすると反論側は「それは感情論だ」なんて指摘して勝ち誇ったり。

ここで重要なポイントは、
 反論側は、自ら主張していない
ということなんです。

「AとBでは、Aが良い」と言っている人に対して
「いや、そんなことはない。それは間違っている。」
とだけ反論して相手の意見を否定していて、
「こういう理由で、Bが良い」という話はしていません。

「Aは良くない。その点、Bならそれがない。」
といった程度の理由づけが含まれていたとしても
そもそも「Bが良い」ということのメインの理由を自分から話していない。
反論を繰り返す人には、そういう傾向も見うけられるようです。

ディベートの場合には、攻守交替が義務づけられていますから
「Bが良い」の側の主張もする必要があります。

当然、「それは間違っている」と指摘される可能性が出てくるわけです。

つまり、ひたすら論理的な議論の場合においては、
対立する意見の両サイドは
 ・自分の主張の正しさを理由づけして説明する場面と
 ・相手の主張の穴を見つけて反論する場面と
 ・自分の主張に対する反論を打ち崩す場面と
が含まれている、ということです。

言い換えると、
 ・自分の攻撃でプラス点を稼ぐ
 ・相手に反論して、相手のプラス点を減点させる
 ・相手からの反論を打ち破って、自分が減点されないようにする
といった感じ。

攻撃で得点を稼ぎ、
反撃で相手の得点を減らし、
防御で自分の減点を防ぐ。

そういう全体の構造があるから、
議論という1つの試合が平等に展開するんです。

日常生活で「議論の上手そうな」人は、意外と
この得点稼ぎの攻撃(つまり自らの意見の主張と理由づけ)をせずに、
相手側の攻撃の得点を減らすような反撃が中心になっている、
という話です。

上手く議論するには、両者の攻守交替のバランスが重要で、
そこがまた日常的な議論の難しさの1つだと考えられます。

とりわけ、何を主張しても反論されるという状態になってくると
感情的にも取りみだしてくることがあるでしょうし、
嫌な気持ちにもなるものだと思います。

日常的なコミュニケーションという観点で
「どっちの意見が良い/正しい」の主張を対決させることに
どれだけの必要性があるのかは分かりませんが、
攻守のバランスを考えてみるというのは1つの手段かもしれません。

反論ばかりされるなぁ、と感じたら、
「さっきからずっと反論ばかりしていますけど、
 自分の主張をしていませんね。
 あなたは自身ではどのように考えているんですか?」
と聞き返してしまう、とかです。

それに対して反論をし返してやるかは悩ましいところですが。


結局のところ、何を目的に議論をするのかを自覚するのが
大きなポイントになるのかもしれません。

議論によって何を得たいのか?

競技ディベートであれば簡単です。
ゲームですから。
勝ち負けです。

政治的な議論や会社の方針会議であれば、
目的は意志決定でしょう。

どちらが勝つか負けるかではなく、
説得力と、優先する価値観の順位づけを明確にするのが
ゴールと言えそうです。

それが日常会話となったら…。

多くの主張は、ただ自分の意見を認めて欲しいとか
賛同が欲しいといったことだと考えられます。

認めてもらいたくて主張した意見には、
その人のアイデンティティが重ねられることが多々あります。

反論されるということで、
自分自身を否定されているように感じることも少なくないんです。

だから反論されるとムキになる。
自分の存在を守ろうとしますから。

それに対して、理由づけの穴を見つけて反論したり
より説得力のある意見を出すことが、どれだけ意味のあることなのか。

その点を踏まえて選ぶほうが無難かもしれません。

2014年10月03日

脳科学と心理学

東大がニュースリリースをしていました。
「ドーパミンの脳内報酬作用機構を解明 」と。
(東大のニュースはこちらのリンク

「サイエンス」紙に載ったということもあっての発表なんでしょう。

色々なニュースサイトでも取り上げられているようですが、こちらでは
「『パブロフの犬』の脳内の仕組み解明」というタイトルで取り上げられています。


ですが、パブロフの犬は「古典的条件づけ」であって、
報酬とは無関係のものです。

報酬によって学習が起こるというのはスキナーの「オペラント条件づけ」。

東大のニュースリリースの「研究背景」に登場するソーンダイクは
オペラント条件づけの元になった動物の学習で有名ですが、
彼の作ったパズルボックスは報酬が得られるまでに時間がかかります。

箱に入れられたネコがバーを押すと扉が開くしくみになっていて、
バーを押すと外に出られ、それから餌がもらえる流れになっていました。

この回数を繰り返すと、箱から脱出する時間が短くなるため
学習が進んでいることが示せる、という話だったんです。

この場合、「バーを押す」というターゲットの行動から、
扉が開いて、外に出て、外に出ると餌があって、それを食べられる…
という一連の流れには、それなりの時間がかかる。

スキナーは、ターゲットの行動から報酬までの流れをダイレクトにして
ボタンを押すと餌が出る(食べられる=報酬)という形にしました。

パブロフの犬に代表される古典的条件づけは
「刺激→反応」という結びつけが学習の内容です。

ベルの音を聞かせてから餌を出すと、ヨダレが出る。
これを繰り返すと、餌を出さなくてもベルを鳴らすだけでヨダレが出るようになる。
ベルの音という刺激が、ヨダレを出すという反応と条件づけされた、と。

おそらく東大のニュースリリースで、パブロフの犬を例として挙げたのは
パブロフの犬の実験で餌が使われていたからでしょう。
餌が報酬だと捉えたのかもしれません。

しかし、古典的条件づけの本質は
「餌を見るとヨダレが出る」という動物的に自然な『反射』を
全く無関係なベルの音という刺激に条件づけたところにあります。

ですから、古典的条件づけの研究は、反射を使っていれば
別に餌を使う必要はないんです。

実際、「目に空気を当てると、まばたきする」という反射を使うと
古典的条件づけによって関係のない刺激とまばたきを結びつけられます。

仮にパブロフの犬と同様にベルを刺激に使うとしたら、
「ベルを鳴らしてから目に空気を当てる」という作業を繰り返すと
ベルを鳴らすだけで、まばたきが起こるようになるんです。動物の実験で。

ですから、パブロフの犬に代表される古典的条件づけは
そもそも報酬系とは無関係の学習だと考えられています。


学習に報酬が必要だというのは、ソーンダイクからスキナーへの流れのほうで
オペラント条件づけの話です。

この場合、「行動→報酬」という流れによって
特定の行動を繰り返すように学習させられる、というのがメイン。

その行動自体は動物が自然にとれるものです(例:ボタンの場所をつつくetc.)から
動物が自ら、その行動を繰り返そうという動機づけをさせるところが
この学習の中身だといえます。

つまり、「ボタンをつつくと、餌がもらえる」という関係性を学習して、
餌が欲しいという動機づけ(報酬による動機づけ)によって
「ボタンをつつく」という行為を自ら続けるようになる、と。

より正確には、その場の条件も併せて学習できるようですから
「状況→行動→報酬」という流れが学習されている、と想定されています。

あるいは、「状況→報酬」という連想が記憶され、その状況になると
併せて作られた「行動→報酬」という関連づけが想起されて
行動が動機づけられる、といった説明をする人もいるようです。

いずれにせよ、仕組みはかなり複雑だと考えられます。


今回の発表で調べられたのは、1つのドーパミンニューロンの近傍みたいです。

ここで調べたニューロン(神経細胞)には
報酬物質として知られるドーパミンを使うシナプスと
一般的に使われる神経伝達物質のグルタミン酸を使うシナプスと
両方が含まれています。

そこで研究者らは、光を使った分子レベルの制御システムを利用して
ドーパミンのシナプスへの入力と、グルタミン酸のシナプスへの入力とを
タイミングをコントロールして、結果を調べました。

すると、グルタミン酸の入力があってから5秒以内(2秒で大半が減衰)に
ドーパミンの入力が起きたとき、グルタミン酸を使うシナプスに
入力が強化されるような構造的変化が起きていた、というわけです。

このグルタミン酸を使うシナプスにおける効率の向上は
長期増強(LTP)として知られるもので、
「入力が同時に近い必要がある」というのはヘブ則として有名です。

ヘブ則は、2つのニューロンが同時に発火したとき
その間のシナプスの結びつきが強くなる(繋がりが強くなる・発火しやすくなる)
といった内容のものです。

今回の発表では、まずグルタミン酸神経からの入力で
ターゲットのニューロンが発火した状態になっています。
それから5秒以内(主には2秒以内)に、ドーパミン神経からの入力があると
そのグルタミン酸を使うシナプスにおいて長期増強の変化が起きた、
という風に読み解くことができます。

これは「同時に近いほうが良い」と考えればヘブ則のようでもありますが
ドーパミンの入力によって、グルタミン酸系のシナプスに長期増強が起きた
というのは大きな発見だと考えられます。

分子レベルの発見としては、長期増強の結果をトレースしています。

新しいのは、
・それを側坐核の細胞で行ったこと
・ドーパミン系の入力とグルタミン酸系の入力を
 光刺激によってコントロールしたこと
・特に、グルタミン酸系のシナプスの1つをピンポイントで制御して
 その部分だけに長期増強の痕跡を見出したこと
 (よりダイレクトな結果を示した)
といったあたりでしょう。

手法の面白さ、ピンポイントの変化を特定したあたりが
サイエンス誌に載るぐらいの発見だということだと思われます。

長期増強の観点からすると、ドーパミン系のシナプスのほうにも
その結びつきを強めるようなことが起きるのかどうかは気になりますが、
報酬系そのものは不変のままで、報酬系と結びつける形で
新たな学習が進むという可能性もあるかもしれません。


ただし、この発見と、オペラント条件づけの分子メカニズムとの間には
大きな隔たりがあります。

報酬系と密接にかかわる側坐核において長期増強を観察したことと、
報酬に基づく学習のメカニズムとは、一体どのように関係しているのか?

そこは分からないままです。

「5秒以内」というデータから、
オペラント条件づけの報酬のタイミングを引っ張り出しているようですが、
その間の飛躍はかなり大きい気がします。

仮に、報酬が行動のすぐあとに起きる必要があることが
1つのニューロンに対するドーパミン入力のタイミングと関係しているとして、
そのニューロンが新たに獲得した結びつきの強まりは
何の学習内容と関係しているのでしょうか?

もしこれが「古典的条件づけに報酬を絡めると学習が効率化する」
という話だったら、今回の発表は大きな裏づけになると思います。

「刺激→反応」という結びつきに直結するニューロン同士(あると仮定して)が
そのシナプスの繋がりをドーパミンの入力で強める、という可能性です。

こちらは例えば、「何かを勉強するとき
(意味のない単語の結びつきを覚えるとか:犬−ビデオデッキなど)
ドーパミンが出るような条件だと記憶の効率が上がる」
なんていう実験には関係するかもしれません。

一方、オペラント条件づけの場合には、
報酬を求めて行動を起こすという動機づけの部分がポイントになります。

何と何の結びつきが強くなることが学習の中身なのか。
それと報酬との関係はどうなっているのか。
そのあたりは、今回の発表内容では想像が難しいんじゃないかと感じます。

研究として得られた実験結果そのものは大きな発見ですし、
研究の手法も興味深いものです。

ただ、心理学の結果と関連づけるための考察のところには
個人的にはあまり納得がいきませんでした。

よほど、「楽しみながら勉強すると学習効率が上がる」といった話と
関連づける発表のほうが説得力があったと思うんですが…。

パブロフ犬ではなくて、オペラント条件づけですし。

分子生物学をベースとした脳科学の研究者が
どれだけ心理学を勉強する必要があるのかは分かりませんが、
分野横断的な研究というのも大事じゃないかと感じます。

cozyharada at 23:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!心理学 | 全般

2014年10月01日

催眠とトランス

たまに聞かれることがあります。

―― 「催眠」と「トランス」はどう違うのでしょうか?


もうこれは抽象度として別のレベルのものです。
同じカテゴリーに入っていません。

両方が含まれるカテゴリーを見つけるために共通点を探すと
・「催眠療法や催眠術で使われる言葉」
・「催眠にかかっている人と、トランスに入っている人は様子が似ている」
といったところでしょうか。

しかし最も決定的な違いは
 催眠は行為(行動)であるのに対して、トランスは状態だ
ということだといえます。

行動と状態を比べているわけですから
 「散歩する」のと「リラックス」はどう違うか?
と聞いているようなものです。

散歩するのとリラックスとの間に関係があるように
催眠とトランスの間にも関係はありますが、
分類として並列に比べるものではありません。


「トランス」を「変性意識状態」の同義語としたら、
トランスには様々な種類のものがあります。
「トランス」というカテゴリーに「酔い」、「のめり込み」、「意識低下」などがある。

一方、「トランスに導く方法・行為」というカテゴリーに「高速道路の運転」、
「飲酒」、「音楽」、「薬物」、「好きなことをする」、「入眠・寝起き」などに加えて
「催眠」というものがあるんです。

hypnosis (催眠)が hypnotize という動詞の名詞化だということを踏まえても
日本語に変化しても、いわば「催眠する」といった行為が想定されるはずなんです。


ちなみに、日本語では「催眠にかける」という表現をすることがありますが
これも紛らわしい表現だと考えられます。

通常、「催眠にかかるか、かからないか」というのは
暗示に反応するかどうかの話です。

これは『被暗示性( suggestibility )』と呼ばれ、
例えば「手が開かなくなります」のようなメッセージに対して
言われたとおりに反応するかどうかを意味します。

一般的に「催眠にかける」とか「催眠がかかる」とか表現するのは
このような暗示への反応のことを言うようです。

実際、催眠の深さをはかるときに、段階的に難しい暗示を伝えて
どの段階まで暗示の通りに反応するかをチェックする方法もあります。

ですから、より正確なのは「暗示をかける」という表現でしょう。

それに対して、「催眠」は「トランスに導くためのコミュニケーション方法」です。
「 hypnotize (”催眠する”)」は、「トランスに誘う」という動詞なんです。

ですから「トランス誘導」と「催眠」が同じ意味の言葉だといえます。

そして「トランス誘導」に対しても反応性の良さがあって
こちらを「 hypnotizability (被催眠性)」と呼ぶことがあります。

現実的にはトランス誘導の過程でも「トランスに入る」という暗示を使うので
 「被催眠性」は「トランスへの入りやすさ」
という程度で捉えておくのが無難かもしれません。

「被催眠性」は、
 ・「トランス誘導」への反応性
 ・トランスに入るという「暗示」への反応性(被暗示性)
を含んでしまっていることがある、ということです。

一応、違いを整理しておくと、
 「被暗示性」は「暗示への反応のしやすさ」であって
 被験者がトランスかどうかとは無関係
なのに対して
 「被催眠性」は「トランスへの入りやすさ」であって
 トランス誘導技法の種類によっては
 被験者がトランスへ入るための暗示に対する反応性を含む
となります。

つまり「被暗示性」は催眠とは関係のない場面でも
他者からの影響の受けやすさとして考慮されるものだ、といえます。

トランスではなくても、日常会話の中で人から勧められることとか
営業の言葉とかを「確かにそうだなぁ」と納得して聞き入れて
その通りに受け入れてしまう傾向は被暗示性とリンクするわけです。

いわゆる ”催眠にかかる” は「暗示の通りに行動する」という意味ですから
「被暗示性」と関係する部分が大きくて、
本来の意味では、「催眠( hypnotisis )」はあくまで「トランスに誘う」行為なので
かかるとか、かからないとかいう話ではないもののはずです。


ということで話を戻すと、
「トランス」は「普段とは違う意識の状態」のことをいい、
「催眠」は「トランスに導くためのコミュニケーション方法」のことです。
トランスの種類の中に、「催眠性トランス」というものがある。

トランス状態では被暗示性が上がるため催眠と暗示は同時に使われますが
それぞれの目的、中身は違うものです。

催眠、トランス、暗示…
いずれも催眠療法や催眠術の話の中で使われる単語で
その区別が曖昧なままにされることが多いような印象があります。

主な共通点と相違点、関係性を挙げておくと…

【催眠と暗示】
 《共通点》
 ・催眠と暗示はどちらも「行為」
 ・両方とも目的に「トランスへ誘導する」ことを含む
 《相違点》
 ・催眠は「トランスへ誘導する行為」そのものであるのに対して、
  暗示は、相手の行動に影響を与えるための指示・依頼・予測など
 ・暗示は「トランスに入る」という行動を生み出す目的で使われることもあるが
  どんな行動を生み出そうとするかは限定されず、
  催眠は「トランスへ誘導する」ことが目的
 《関係性》
 ・催眠によってトランスへ導いて被暗示性を高め、
  目的とする暗示を伝えることで被験者の行動を変える

【催眠とトランス】
 《共通点》
 ・あまりない(催眠術や催眠療法の場面で使われる言葉というぐらい)
 《相違点》
 ・催眠は「行為」、トランスは「状態」
 《関係性》
 ・催眠によってトランスに導かれる。
 ・トランスには種類があり、催眠によってもたらされるトランスはその1つ。
  (トランスというカテゴリーに、「催眠性トランス」が含まれる)

という感じでしょうか。


一見似たような言葉であったり、同じような場面で使われる言葉だったり、
それぞれの言葉に密接な関係性があると、
違いを捉えるのが難しくなることがあります。

しかし専門家がわざわざ別の名前をつけている場合には
違いを明確に定義して、使い分けようとする意図が含まれることが多いものです。
(分野の違いで呼び名が変わるだけのこともあるので区別が大半なんですが)

使い分けることに意味があるから区別しているんです。

例えば、催眠の技術といったときであれば
「催眠」という言葉をどのように理解しているかによって
どの技術的側面に注目するかが変わってきます。

催眠というものを曖昧に捉えていると、
催眠術や催眠療法で使うものは一通り「催眠の技術」だと思うかもしれません。

しかし、催眠をトランス誘導そのものだと理解していれば
「どうしたら効果的にトランスに導けるか」という視点で技術を磨けます。

トランスという状態の性質を理解していれば、
催眠のコツも想像ができるようになってくることでしょう。

誰かがまとめた小技に注目していると
「トランスに導く」という本質にとって最も重要なことが
見逃されてしまうこともあります。

どの部分を細かく分けて整理しておくかによって
取り組み方に差が出てくるはずです。

より本質的な違いを区別しておいたほうが、
色々と便利なことが多いんじゃないでしょうか。

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【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細は後日


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



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  技術向上、
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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