2015年01月
2015年01月06日
2015展覧会
今年も書展に出品しました。
六本木の国立新美術館で開催されます。

今年は初めて創作作品を出しました。
多字数の作品には、大きく分けると臨書と創作があります。
臨書は古典を模倣して、少し表現方法を工夫しながら1つの作品に仕上げるもの。
古典の一部分の数十文字を一枚の紙にまとめますから
ただの真似だけだと、その古典全体の雰囲気は表現しきれないんです。
だからこそ、その雰囲気を切り出した一部分に反映するように
一枚の紙の上で表すための方法を工夫する必要があるわけです。
ただ文字の形が似ているかどうかの審査ではなく、
線質や余白が醸し出す雰囲気が古典を良く表しているかどうかがポイントのようです。
その意味では「お習字」の上手さではなく、
本質を捉えて抽象化し、それを一部分に落とし込む
技能を評価しているともいえるのかもしれません。
まさにモデリングの要素でしょう。
一方、創作作品は自分の好きなものを書くやり方です。
とはいえ、まったく好き勝手にやる人は多くなく、
やはり何らかの古典の要素を強調しながら書くケースが中心みたいです。
漢詩や、和歌を万葉仮名(漢字の音読みの当て字)に変えたものの中から
自分の気に入ったものをピックアップして、その表現方法で工夫をする、と。
その場合、詩や歌の内容ではなく、自分が練習してきた古典の要素を取り入れて
書としてどんな雰囲気を表現するかがポイントになるのでしょう。
人によっては、一年間練習してきた古典の書き方をそのまま使って
漢詩や和歌を書いてみるというスタイルになります。
これはまさに「もしその古典の作者が、この漢詩を書いたら…」といった感じで、
古典の本質・特徴を捉えて、別の書に落とし込む
というモデリングのプロセスそのものだといえそうです。
むしろ学習の本質だといってもいいかもしれません。
数学の練習問題を沢山やっているうちに、あるタイプの問題にパターンが見えてきて
同様のパターンであれば解いたことのない問題でも解けるようになる…
これと同じことを意図的にやっているわけです。
創作作品では、古典を通じて「書芸術」と捉えられてきた特徴を身につけ、
その特徴を新たな文章の中に表現することが求められるんでしょう。
それは好き勝手に書いていいというものではありません。
そこが筆文字アートと書道の創作作品との違いだと思われます。
そして熟練した人ほど、多数の古典の「書芸術要素」を身につけていますから
それらを自由に組み合わせた表現をすることも可能になります。
「○○の筆使いと、△△のバランスのとり方と、◇◇の字形と…」
などと様々な要素を組み合わせつつ、
「そしてこの部分には□□の筆使いも混ぜ込む」
なんてスパイスを効かせていったり。
世界各国の料理の基本をおさえて創作料理に進んだり、
色々なダシの取り方を組み合わせてオリジナルのラーメンスープを作ったり
というのに似ているのかもしれません。
その意味では「オリジナル」、「創作」とは
『良い』とされる特徴の組み合わせ
でしかないのかもしれません。
もちろん、適当にダシを混ぜ合わせても美味しくないことがあるのと同様に
全体としてのバランスの良さを捉える力も必要になりますが、
そのバランスの『良さ』さえも、『良い』とされるバランスの取り方から
共通するパターンとして見出されるものですので
『良い』ものを数多く知っておくのは必須なのではないでしょうか。
ちなみに今年の僕の創作は、木簡(中国で発見された木片に書かれた文字)の
草書をベースにして書いた漢詩です。
ただし、その漢詩を選ぶ際に、古い書道の作品集から探していまして
参考にした名作とされる作品があるんです。
その作品の漢詩を題材にしたということです。
で、僕は全然分からず適当に「これが良さそうかな」と思って選んだのですが
先生に見てもらったところ、実は
独立書人団(出品した展覧会の主催団体)の創設者の弟さんが書いたもの
ということが判明しました。
「まぁ、僕の見る目もついてきたかな」と感じるところもある一方、
創設者の弟の作品となれば、その作品を知っている人もいることでしょう。
ですから、参考にしつつも、先生の力を大きく借りて
文字の形や配置、草書の崩し方などを変えて自分の作品とし、
「あれの真似ですね」と言われないように工夫をしたんです。
ですが「その参考にしたもの」に気づいた人もいるのかもしれません。
というのも、先生から
「出来上がったヤツと見比べて見たら、文字は全然違うのに
醸し出す空気感がソックリだった」
と言われたからです。
自分でも今回は納得のいくものを提出できていました。
審査結果は「秀作」ということで、もちろん良い評価を頂いて光栄なんですが、
自分では納得していなかったときにも取れていたりしたものですから
僕自身の満足度と審査員の評価基準との間にはギャップがあったのでしょう。
審査員の好みに合わせるというのも1つの技術と考えれば
それは未熟さなんだろうと思います。
一方で、そうした審査とは無関係に、自分が納得できたことと
それに対して先生から「醸し出す空気感がソックリだった」と評価されたことで、
展覧会の賞という世間的な価値以上の達成感もありました。
僕にとって「醸し出す空気感」を捉えることは大きな課題だったんです。
一文字一文字で見た場合や、文字数が少ない半紙での練習だと
まぁそれなりにお手本に似せて書くことができるようにはなってきました。
作品として大きな紙に書いたものでも、書いたもの単体で見たときには
それなりに仕上がって見えることもありました。
ですが、作品を写真に撮って見てみると、全く「空気感」が表せていませんでした。
先生のお手本と隣同士に置いて見比べると分からないものが
写真に撮ったもの同士で見比べると圧倒的な差として見えてしまっていたんです。
写真に収めたときには全体が一瞬で捉えられるサイズに小さくなります。
部分への注意ではなく、全体の雰囲気が目立つようになるんです。
そこでやっと、自分の作品の空気感とお手本の空気感との差が見やすくなる。
写真に撮ったとき、毎年のように空気感を真似できないことを痛感していました。
それが今回は、自分の書いたものの写真を見たとき
やっと同じような空気感が出せていたことに気づいたんです。
そして先生からも、「参考にしたものとソックリの空気感」と見てもらえた。
主観的にも客観的にも、
やっと空気感を捉えられるようになった
と実感できたわけです。
細部の模倣だけでなく、全体の模倣ができるようになったというのは
モデリングのプロセスとしては大きなステップだと考えられます。
絵画でも、精密な贋作が
細部では全く同じで真贋の区別がつかないのに
全体の空気感として真作の表すものがない
ということはあるそうです。
細部と全体の両極が、模倣のプロセスに含まれているのでしょう。
達人のモデリングをしたくて始めた書道でしたから
細部と全体の両方の模倣に近づけた今回は
僕にとって意味深い到達点だったと感じています。
六本木の国立新美術館で開催されます。

今年は初めて創作作品を出しました。
多字数の作品には、大きく分けると臨書と創作があります。
臨書は古典を模倣して、少し表現方法を工夫しながら1つの作品に仕上げるもの。
古典の一部分の数十文字を一枚の紙にまとめますから
ただの真似だけだと、その古典全体の雰囲気は表現しきれないんです。
だからこそ、その雰囲気を切り出した一部分に反映するように
一枚の紙の上で表すための方法を工夫する必要があるわけです。
ただ文字の形が似ているかどうかの審査ではなく、
線質や余白が醸し出す雰囲気が古典を良く表しているかどうかがポイントのようです。
その意味では「お習字」の上手さではなく、
本質を捉えて抽象化し、それを一部分に落とし込む
技能を評価しているともいえるのかもしれません。
まさにモデリングの要素でしょう。
一方、創作作品は自分の好きなものを書くやり方です。
とはいえ、まったく好き勝手にやる人は多くなく、
やはり何らかの古典の要素を強調しながら書くケースが中心みたいです。
漢詩や、和歌を万葉仮名(漢字の音読みの当て字)に変えたものの中から
自分の気に入ったものをピックアップして、その表現方法で工夫をする、と。
その場合、詩や歌の内容ではなく、自分が練習してきた古典の要素を取り入れて
書としてどんな雰囲気を表現するかがポイントになるのでしょう。
人によっては、一年間練習してきた古典の書き方をそのまま使って
漢詩や和歌を書いてみるというスタイルになります。
これはまさに「もしその古典の作者が、この漢詩を書いたら…」といった感じで、
古典の本質・特徴を捉えて、別の書に落とし込む
というモデリングのプロセスそのものだといえそうです。
むしろ学習の本質だといってもいいかもしれません。
数学の練習問題を沢山やっているうちに、あるタイプの問題にパターンが見えてきて
同様のパターンであれば解いたことのない問題でも解けるようになる…
これと同じことを意図的にやっているわけです。
創作作品では、古典を通じて「書芸術」と捉えられてきた特徴を身につけ、
その特徴を新たな文章の中に表現することが求められるんでしょう。
それは好き勝手に書いていいというものではありません。
そこが筆文字アートと書道の創作作品との違いだと思われます。
そして熟練した人ほど、多数の古典の「書芸術要素」を身につけていますから
それらを自由に組み合わせた表現をすることも可能になります。
「○○の筆使いと、△△のバランスのとり方と、◇◇の字形と…」
などと様々な要素を組み合わせつつ、
「そしてこの部分には□□の筆使いも混ぜ込む」
なんてスパイスを効かせていったり。
世界各国の料理の基本をおさえて創作料理に進んだり、
色々なダシの取り方を組み合わせてオリジナルのラーメンスープを作ったり
というのに似ているのかもしれません。
その意味では「オリジナル」、「創作」とは
『良い』とされる特徴の組み合わせ
でしかないのかもしれません。
もちろん、適当にダシを混ぜ合わせても美味しくないことがあるのと同様に
全体としてのバランスの良さを捉える力も必要になりますが、
そのバランスの『良さ』さえも、『良い』とされるバランスの取り方から
共通するパターンとして見出されるものですので
『良い』ものを数多く知っておくのは必須なのではないでしょうか。
ちなみに今年の僕の創作は、木簡(中国で発見された木片に書かれた文字)の
草書をベースにして書いた漢詩です。
ただし、その漢詩を選ぶ際に、古い書道の作品集から探していまして
参考にした名作とされる作品があるんです。
その作品の漢詩を題材にしたということです。
で、僕は全然分からず適当に「これが良さそうかな」と思って選んだのですが
先生に見てもらったところ、実は
独立書人団(出品した展覧会の主催団体)の創設者の弟さんが書いたもの
ということが判明しました。
「まぁ、僕の見る目もついてきたかな」と感じるところもある一方、
創設者の弟の作品となれば、その作品を知っている人もいることでしょう。
ですから、参考にしつつも、先生の力を大きく借りて
文字の形や配置、草書の崩し方などを変えて自分の作品とし、
「あれの真似ですね」と言われないように工夫をしたんです。
ですが「その参考にしたもの」に気づいた人もいるのかもしれません。
というのも、先生から
「出来上がったヤツと見比べて見たら、文字は全然違うのに
醸し出す空気感がソックリだった」
と言われたからです。
自分でも今回は納得のいくものを提出できていました。
審査結果は「秀作」ということで、もちろん良い評価を頂いて光栄なんですが、
自分では納得していなかったときにも取れていたりしたものですから
僕自身の満足度と審査員の評価基準との間にはギャップがあったのでしょう。
審査員の好みに合わせるというのも1つの技術と考えれば
それは未熟さなんだろうと思います。
一方で、そうした審査とは無関係に、自分が納得できたことと
それに対して先生から「醸し出す空気感がソックリだった」と評価されたことで、
展覧会の賞という世間的な価値以上の達成感もありました。
僕にとって「醸し出す空気感」を捉えることは大きな課題だったんです。
一文字一文字で見た場合や、文字数が少ない半紙での練習だと
まぁそれなりにお手本に似せて書くことができるようにはなってきました。
作品として大きな紙に書いたものでも、書いたもの単体で見たときには
それなりに仕上がって見えることもありました。
ですが、作品を写真に撮って見てみると、全く「空気感」が表せていませんでした。
先生のお手本と隣同士に置いて見比べると分からないものが
写真に撮ったもの同士で見比べると圧倒的な差として見えてしまっていたんです。
写真に収めたときには全体が一瞬で捉えられるサイズに小さくなります。
部分への注意ではなく、全体の雰囲気が目立つようになるんです。
そこでやっと、自分の作品の空気感とお手本の空気感との差が見やすくなる。
写真に撮ったとき、毎年のように空気感を真似できないことを痛感していました。
それが今回は、自分の書いたものの写真を見たとき
やっと同じような空気感が出せていたことに気づいたんです。
そして先生からも、「参考にしたものとソックリの空気感」と見てもらえた。
主観的にも客観的にも、
やっと空気感を捉えられるようになった
と実感できたわけです。
細部の模倣だけでなく、全体の模倣ができるようになったというのは
モデリングのプロセスとしては大きなステップだと考えられます。
絵画でも、精密な贋作が
細部では全く同じで真贋の区別がつかないのに
全体の空気感として真作の表すものがない
ということはあるそうです。
細部と全体の両極が、模倣のプロセスに含まれているのでしょう。
達人のモデリングをしたくて始めた書道でしたから
細部と全体の両方の模倣に近づけた今回は
僕にとって意味深い到達点だったと感じています。
2015年01月04日
ちょっと嫌な思い出
中学校の頃、僕は野球をやっていました。
「行きたい」と思って行った日は最初の一回だけだった気がします。
かなり嫌な時間だったものです。
たった週一回、近所で活動するだけの地域の野球チームでしたし
チームのメンバーはほとんど皆、同じ学校の同級生でしたから
楽しくやれても良さそうなものだったんですが、苦痛な時間だったものです。
小学校の頃、僕は水泳教室に通っていました。
これも週一回、たしか水曜日だったと思います。
別に競技を目指していたわけではありません。
ただの習いごととして、泳げるようになるためだけの教室。
たいして厳しい練習でもなかったはずです。
でも、水泳も嫌いでした。
なんとかして行かないで済む方法はないかと考えていたのを思い出します。
中学の頃、僕は美術で良い評価をもらったことがありませんでした。
成績そのものは筆記試験の影響もありましたから
相対評価で4とか5を取っていたと思います。
でも、学校内で貼り出される展示会やコンテストのようなものだと
僕の作品が入賞することはありませんでした。
むしろ、僕の描いた絵や僕の彫った彫刻は「正しくない」という理由で
先生からダメだしを受けいていたものです。
水彩絵の具を薄めずに油絵のように絵具を塗り重ねた風景画は
「水彩画の描き方ではない」ために低評価。
絵画教室に通っている同級生は「正しい水彩画」で
都の展覧会か何かに出品されていました。
木のお盆に花の図柄を彫るレリーフ作成のときには
木板の厚みをフルに使って、花びらや葉っぱ、茎の奥行きを
ガッツリ彫り込んでしまったため、「レリーフではない」と指摘され
残念な想いをしたことが思い出されます。
野球チームは中途半端な体育会の厳しさのノリがあって
「楽しく野球をする」という要素がなかったため
ピリピリしていて居心地が悪かったものでした。
何よりコーチが理不尽に厳しかったんだと思います。
しかもそのコーチ達、全員が近所のオッサンです。
野球好きのオッサン。
指導の専門家でもなければ、甲子園経験者でもない
どこかで野球をやっていた普通のオッサンでした。
でもコーチという肩書なんです。
なんだかんだと指示を出す。
思い通りに中学生が動かないとイライラし始め
罰則を与えることで管理しようとする。
理不尽なことが多かったと思います。
今思い返せば、ただの指導力不足であって
教えるのが上手くないだけのこと。
そもそも野球チームとして何を目的に活動するかを明確にすることなく
監督やらコーチやらが自分の目指すものを中学生に押しつけるんですから
不一致なことが多くなり、かつストレスが多くてイライラした場になるのも当然。
一部のコーチは上手い部類の生徒の父親でしたが、
中学生ともなれば反抗期を迎えている子も大勢います。
その親子仲の反発までチーム全体の雰囲気を悪くしていたのでしょう。
大人になって振り返れば、随分と理不尽なことが多かったにもかかわらず
当時の僕には「それが普通」なんだと感じられていました。
一切の疑いをはさまず、「そういうものだ」として我慢をしていたんです。
大人が言っている通りにするのが当然だったわけです。
どの大人のいうことに筋が通っているかとか、
どの大人の行動が本人の不機嫌からくる不満の発散なのかとか、
そういったことを区別しようという発想なんてありませんでした。
むしろ大人連中を満足させられない自分に責任があるかのように
なんとかして自分が我慢をして、『怒られない』ように努力していたものです。
他の子たちがどうだったかは覚えていませんが、少なくとも
中学校ぐらいまでの僕にはそういう振る舞いのパターンがあったんです。
水泳教室の場合はおそらく、はじめて行った小学校1,2年生の頃
何かを強制されて嫌になったのではないかと思われます。
水遊び的なプールの時間は好きでしたし、
顔に水をつけるなんていうのも嫌ではありませんでした。
なんだかそこの水泳教室の先生が全員を一括管理するようなフシがあって、
個人のレベルの差とか体力差とかを考慮することなく
「初心者コース」という決められた基準で、型通りのことをやらせ
抵抗を示すような子供は無理矢理プールに投げ込んででもやらせる…
といった場面が思い出されます。
僕は何度か水泳パンツを掴んで、プールの中に放り投げられた記憶があります。
小学校一年生ぐらいで、水深は身長よりも深く、しかも泳げなくて来ているんですから
足がつかないところに投げられるのは怖かったんだと思います。
僕の中にあった嫌な気分はほとんど全て、怖さと繋がっていたみたいです。
泳げるようになってからは、疲れるのが苦しかった覚えはありますが
それ以外、水泳の練習で嫌な部分なんて無かったはずなんです。
水に入って泳ぎ始めてしまえば疲れるだけで嫌ではなかった。
にもかかわらず、スイミングスクールという場所と
そこで何かを指示されてやらされるということ自体が嫌だったんです。
1つ1つの練習に取りかかるまでの時間が嫌だったんです。
今から考えれば、
列に並んで順番に言われたとおりの練習をする際、待っている間の時間が
これから起きるかもしれない恐怖を呼び起こされる苦痛な場面だった
ということなのかもしれません。
美術についていえば、僕はただ自分が良いと思うことをやっていただけで、
それが先生の好みに合わなかったのか、
中学校の美術のカリキュラムとして基準から外れていたのか、
僕の作品は否定されているような気分を味わっていました。
また、絵が早く描き上がってしまっていた僕は、授業の多くの時間で
暇を持てあますことが頻繁でした。
それについても先生の側からすると「真面目にやっていない」
という評価となっていたのかもしれません。
何がダメなのか分からず、でも
「どうやら良くないことをしているらしい」とは自覚している。
素直に楽しめなかった記憶があります。
大人に対して疑うことのなかった僕にとって
中学校の美術の先生は初めて「おかしい」と感じた対象だったようです。
子供のころから絵を描いたり工作したりするのが好きだった僕が
なんとなく美術というものから気持ちが離れたのはこの時期でした。
しかし高校に入って、その想いはすぐに一変します。
高校一年のときだけ、選択科目で美術があったんです。
その先生は僕の描く絵を気にいってくれました。
授業の始まりには、よくクロッキーをしました。
デッサンは時間をかけるものですが、その下書きのような感じの
短時間で全体像をバランスよく捉える練習のようなものです。
思えば、高校の美術の時間にもかかわらず
好き勝手に全員にやらせて評価するのではなく
全員の画力が上がるようにトレーニングを入れてくれていたのかもしれません。
一人一人に丁寧なアドバイスをしていたのも印象的でした。
で、その短時間で人物画を描くような作業もあったため
早く描きあがるという僕の特徴は一転して望ましいものになったわけです。
中学の頃は不真面目の象徴であったような早さが
求められる技術の1つとして見直されたんです。
その美術の授業では先生も見て回っていましたが
ある程度描けた段階で先生に見せに行くルールもありました。
そのときに個別の指導をしてくれる、と。
案の定、僕の作業スピードは速く、見せに行ってOKをもらうのも早かったので
例によって僕には、暇を持て余す時間ができるはずでした。
ところが、その先生は早く終わった僕に、別の課題を出してくれたんです。
だから皆と違うことをやっていました。
時間をかけて1つのことをやっても良いし、
早く終わらせて色々なことをやっても良い。
そんな柔軟な授業だったんです。
何より、誉めてくれる先生だったのも印象深いところ。
それまでの僕の学校生活の中で、生徒を誉める先生には出会っていませんでした。
小学校のプールでも、中学校の野球でも、
「直さなければいけない」ことだけを罰則とともに指摘されただけだったものです。
そのこともあってか、僕は高校のときの美術が好きになりました。
良いものが分かる。
上手くいったことを教えてもらえる。
修正すべきところが分かって、その直し方も指導してくれる。
「教える」ということに関していえば当然とも思えることですが、
それを初めて体験できたのが高校の美術だったんだと思います。
高校の美術の授業が一年間しかなかったのは残念だったものの
何気なく穏やかに気持ちが切り替わった体験は
意外なほど僕の中で重要なキッカケだったのかもしれません。
劇的な体験、ずっと心に残っている体験、強烈な感情を伴う体験は
意識に上がりやすいものなんです。
忘れずに覚えていて何度も苦々しい思いをすることもあれば、
忘れていたけれど自分のパターンの原点として思い出されることもあります。
一方、もっと穏やかな体験の場合には、意識には上がりにくいものです。
かなり積極的に思い返す作業をしないと出てこないか、
あるいは、ふとした思い出話から蘇ってくるか、
丁寧に体の中にたまったストレスを意識化していくかしないと
思い出されないまま過ぎていってしまうことが多いようです。
幼いころに嫌だった体験というのは、その時点までに
「これは嫌な体験だ」と評価できるだけの学習が終わっていたことを意味します。
つまり、大人であれば「ヒドイ話」として理解できる内容も
当時の幼かった自分にとっては「それが当然のこと」として受け入れられてしまい
気づかないうちに我慢をしながら通り抜けてしまう場合がある、ということです。
僕の小学校の頃の水泳教室とか、中学の頃の野球チームのコーチとかも
子供だったから自覚することなく通り過ぎてしまっていた不快な体験だったようです。
大したことのない体験だったと思えていたのは、ただ
それを「嫌な体験」として判断できるだけの学習が済んでいなかっただけで
実は意外と、自分の行動や思考のパターンを作り出すのに
大きな役割を果たしている可能性があるのでしょう。
たまには幼少期の思い出を振り返ってみて
「大人になった今から考えたら結構ヒドイ話しだったなぁ」
というところを意識にあげてみるのも役に立つかもしれません。
「行きたい」と思って行った日は最初の一回だけだった気がします。
かなり嫌な時間だったものです。
たった週一回、近所で活動するだけの地域の野球チームでしたし
チームのメンバーはほとんど皆、同じ学校の同級生でしたから
楽しくやれても良さそうなものだったんですが、苦痛な時間だったものです。
小学校の頃、僕は水泳教室に通っていました。
これも週一回、たしか水曜日だったと思います。
別に競技を目指していたわけではありません。
ただの習いごととして、泳げるようになるためだけの教室。
たいして厳しい練習でもなかったはずです。
でも、水泳も嫌いでした。
なんとかして行かないで済む方法はないかと考えていたのを思い出します。
中学の頃、僕は美術で良い評価をもらったことがありませんでした。
成績そのものは筆記試験の影響もありましたから
相対評価で4とか5を取っていたと思います。
でも、学校内で貼り出される展示会やコンテストのようなものだと
僕の作品が入賞することはありませんでした。
むしろ、僕の描いた絵や僕の彫った彫刻は「正しくない」という理由で
先生からダメだしを受けいていたものです。
水彩絵の具を薄めずに油絵のように絵具を塗り重ねた風景画は
「水彩画の描き方ではない」ために低評価。
絵画教室に通っている同級生は「正しい水彩画」で
都の展覧会か何かに出品されていました。
木のお盆に花の図柄を彫るレリーフ作成のときには
木板の厚みをフルに使って、花びらや葉っぱ、茎の奥行きを
ガッツリ彫り込んでしまったため、「レリーフではない」と指摘され
残念な想いをしたことが思い出されます。
野球チームは中途半端な体育会の厳しさのノリがあって
「楽しく野球をする」という要素がなかったため
ピリピリしていて居心地が悪かったものでした。
何よりコーチが理不尽に厳しかったんだと思います。
しかもそのコーチ達、全員が近所のオッサンです。
野球好きのオッサン。
指導の専門家でもなければ、甲子園経験者でもない
どこかで野球をやっていた普通のオッサンでした。
でもコーチという肩書なんです。
なんだかんだと指示を出す。
思い通りに中学生が動かないとイライラし始め
罰則を与えることで管理しようとする。
理不尽なことが多かったと思います。
今思い返せば、ただの指導力不足であって
教えるのが上手くないだけのこと。
そもそも野球チームとして何を目的に活動するかを明確にすることなく
監督やらコーチやらが自分の目指すものを中学生に押しつけるんですから
不一致なことが多くなり、かつストレスが多くてイライラした場になるのも当然。
一部のコーチは上手い部類の生徒の父親でしたが、
中学生ともなれば反抗期を迎えている子も大勢います。
その親子仲の反発までチーム全体の雰囲気を悪くしていたのでしょう。
大人になって振り返れば、随分と理不尽なことが多かったにもかかわらず
当時の僕には「それが普通」なんだと感じられていました。
一切の疑いをはさまず、「そういうものだ」として我慢をしていたんです。
大人が言っている通りにするのが当然だったわけです。
どの大人のいうことに筋が通っているかとか、
どの大人の行動が本人の不機嫌からくる不満の発散なのかとか、
そういったことを区別しようという発想なんてありませんでした。
むしろ大人連中を満足させられない自分に責任があるかのように
なんとかして自分が我慢をして、『怒られない』ように努力していたものです。
他の子たちがどうだったかは覚えていませんが、少なくとも
中学校ぐらいまでの僕にはそういう振る舞いのパターンがあったんです。
水泳教室の場合はおそらく、はじめて行った小学校1,2年生の頃
何かを強制されて嫌になったのではないかと思われます。
水遊び的なプールの時間は好きでしたし、
顔に水をつけるなんていうのも嫌ではありませんでした。
なんだかそこの水泳教室の先生が全員を一括管理するようなフシがあって、
個人のレベルの差とか体力差とかを考慮することなく
「初心者コース」という決められた基準で、型通りのことをやらせ
抵抗を示すような子供は無理矢理プールに投げ込んででもやらせる…
といった場面が思い出されます。
僕は何度か水泳パンツを掴んで、プールの中に放り投げられた記憶があります。
小学校一年生ぐらいで、水深は身長よりも深く、しかも泳げなくて来ているんですから
足がつかないところに投げられるのは怖かったんだと思います。
僕の中にあった嫌な気分はほとんど全て、怖さと繋がっていたみたいです。
泳げるようになってからは、疲れるのが苦しかった覚えはありますが
それ以外、水泳の練習で嫌な部分なんて無かったはずなんです。
水に入って泳ぎ始めてしまえば疲れるだけで嫌ではなかった。
にもかかわらず、スイミングスクールという場所と
そこで何かを指示されてやらされるということ自体が嫌だったんです。
1つ1つの練習に取りかかるまでの時間が嫌だったんです。
今から考えれば、
列に並んで順番に言われたとおりの練習をする際、待っている間の時間が
これから起きるかもしれない恐怖を呼び起こされる苦痛な場面だった
ということなのかもしれません。
美術についていえば、僕はただ自分が良いと思うことをやっていただけで、
それが先生の好みに合わなかったのか、
中学校の美術のカリキュラムとして基準から外れていたのか、
僕の作品は否定されているような気分を味わっていました。
また、絵が早く描き上がってしまっていた僕は、授業の多くの時間で
暇を持てあますことが頻繁でした。
それについても先生の側からすると「真面目にやっていない」
という評価となっていたのかもしれません。
何がダメなのか分からず、でも
「どうやら良くないことをしているらしい」とは自覚している。
素直に楽しめなかった記憶があります。
大人に対して疑うことのなかった僕にとって
中学校の美術の先生は初めて「おかしい」と感じた対象だったようです。
子供のころから絵を描いたり工作したりするのが好きだった僕が
なんとなく美術というものから気持ちが離れたのはこの時期でした。
しかし高校に入って、その想いはすぐに一変します。
高校一年のときだけ、選択科目で美術があったんです。
その先生は僕の描く絵を気にいってくれました。
授業の始まりには、よくクロッキーをしました。
デッサンは時間をかけるものですが、その下書きのような感じの
短時間で全体像をバランスよく捉える練習のようなものです。
思えば、高校の美術の時間にもかかわらず
好き勝手に全員にやらせて評価するのではなく
全員の画力が上がるようにトレーニングを入れてくれていたのかもしれません。
一人一人に丁寧なアドバイスをしていたのも印象的でした。
で、その短時間で人物画を描くような作業もあったため
早く描きあがるという僕の特徴は一転して望ましいものになったわけです。
中学の頃は不真面目の象徴であったような早さが
求められる技術の1つとして見直されたんです。
その美術の授業では先生も見て回っていましたが
ある程度描けた段階で先生に見せに行くルールもありました。
そのときに個別の指導をしてくれる、と。
案の定、僕の作業スピードは速く、見せに行ってOKをもらうのも早かったので
例によって僕には、暇を持て余す時間ができるはずでした。
ところが、その先生は早く終わった僕に、別の課題を出してくれたんです。
だから皆と違うことをやっていました。
時間をかけて1つのことをやっても良いし、
早く終わらせて色々なことをやっても良い。
そんな柔軟な授業だったんです。
何より、誉めてくれる先生だったのも印象深いところ。
それまでの僕の学校生活の中で、生徒を誉める先生には出会っていませんでした。
小学校のプールでも、中学校の野球でも、
「直さなければいけない」ことだけを罰則とともに指摘されただけだったものです。
そのこともあってか、僕は高校のときの美術が好きになりました。
良いものが分かる。
上手くいったことを教えてもらえる。
修正すべきところが分かって、その直し方も指導してくれる。
「教える」ということに関していえば当然とも思えることですが、
それを初めて体験できたのが高校の美術だったんだと思います。
高校の美術の授業が一年間しかなかったのは残念だったものの
何気なく穏やかに気持ちが切り替わった体験は
意外なほど僕の中で重要なキッカケだったのかもしれません。
劇的な体験、ずっと心に残っている体験、強烈な感情を伴う体験は
意識に上がりやすいものなんです。
忘れずに覚えていて何度も苦々しい思いをすることもあれば、
忘れていたけれど自分のパターンの原点として思い出されることもあります。
一方、もっと穏やかな体験の場合には、意識には上がりにくいものです。
かなり積極的に思い返す作業をしないと出てこないか、
あるいは、ふとした思い出話から蘇ってくるか、
丁寧に体の中にたまったストレスを意識化していくかしないと
思い出されないまま過ぎていってしまうことが多いようです。
幼いころに嫌だった体験というのは、その時点までに
「これは嫌な体験だ」と評価できるだけの学習が終わっていたことを意味します。
つまり、大人であれば「ヒドイ話」として理解できる内容も
当時の幼かった自分にとっては「それが当然のこと」として受け入れられてしまい
気づかないうちに我慢をしながら通り抜けてしまう場合がある、ということです。
僕の小学校の頃の水泳教室とか、中学の頃の野球チームのコーチとかも
子供だったから自覚することなく通り過ぎてしまっていた不快な体験だったようです。
大したことのない体験だったと思えていたのは、ただ
それを「嫌な体験」として判断できるだけの学習が済んでいなかっただけで
実は意外と、自分の行動や思考のパターンを作り出すのに
大きな役割を果たしている可能性があるのでしょう。
たまには幼少期の思い出を振り返ってみて
「大人になった今から考えたら結構ヒドイ話しだったなぁ」
というところを意識にあげてみるのも役に立つかもしれません。
2015年01月01日
新年のご挨拶
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今年の年賀状は2バージョンで書いてみました。
どちらも「羊」の文字です。


2014年は予想外のことが多かったような印象があります。
それも久しぶりなこととか、懐かしさを感じるようなこととか。
今年の目標などは特に立てていませんが、
何か新しいことがあったら良いなぁと少し思っているところです。
年末年始にノンビリとテレビを見る時間があって感じたのは
風潮というか流行りというか、
突出した誰かに皆が憧れるという感じではなく
皆が一体となって楽しめるようなものが多いような印象です。
どのぐらいの規模で一体感を体験するのかには個人差がありそうですが
一体感を求めているかのような活動が目につきます。
個人で頑張ってヒーローになるよりは
皆と一体になって何かを作り上げるといった雰囲気のほうに
多くの人の気持ちが向いてきているのもしれません。
だからといって自分が何かをしようというのではありませんが
そんな流れの中で何が起きるのかは興味があるところです。
一年後にどんな感想を抱いているのかを楽しみにしつつ
毎日を過ごしていきたいと思っています。
豊かな日々をお過ごしください。
本年もよろしくお願いいたします。
今年の年賀状は2バージョンで書いてみました。
どちらも「羊」の文字です。


2014年は予想外のことが多かったような印象があります。
それも久しぶりなこととか、懐かしさを感じるようなこととか。
今年の目標などは特に立てていませんが、
何か新しいことがあったら良いなぁと少し思っているところです。
年末年始にノンビリとテレビを見る時間があって感じたのは
風潮というか流行りというか、
突出した誰かに皆が憧れるという感じではなく
皆が一体となって楽しめるようなものが多いような印象です。
どのぐらいの規模で一体感を体験するのかには個人差がありそうですが
一体感を求めているかのような活動が目につきます。
個人で頑張ってヒーローになるよりは
皆と一体になって何かを作り上げるといった雰囲気のほうに
多くの人の気持ちが向いてきているのもしれません。
だからといって自分が何かをしようというのではありませんが
そんな流れの中で何が起きるのかは興味があるところです。
一年後にどんな感想を抱いているのかを楽しみにしつつ
毎日を過ごしていきたいと思っています。
豊かな日々をお過ごしください。