2015年04月

2015年04月29日

料理はしません

たまに「料理はしないんですか?」と聞かれることがあります。

ほとんどしません。

時間とか手間とか興味の点で乗り気でないのもありますし、
部屋に匂いが残るのもあまり好きではありません。

それとは別に、
実験をしているような気分になるのも、食事の気分を損ねそうで
それが自分で料理するのを避けようとする理由の1つに感じます。


先日、コーヒーを買いに行ったとき、
慌てて普通に挽いた豆を買ってきてしまいました。

本当は一杯ずつ小分けになったペーパードリップ式のコーヒー
(折りたたまれていてるのを開いてカップの上に乗せてお湯を注ぐもの)
を買うつもりだったんですが、袋入りのコーヒー豆と間違ってしまったんです。

いつものスーパーで、いつもの場所に、そっくりのデザインの包装で
同じシリーズの豆が置かれていて、よく見ないで買ってしまいました。

トイレに行きたくて慌てていると、注意力が散漫になるものだと感じます。

で、普通のコーヒー豆の挽いたものだけがある状態になってしまったわけです。
他にコーヒーを淹れる道具がない。

仕方ないので、一番手軽そうなところで
ペーパーフィルターとドリッパーを購入しました。

コップの上に円錐型の容器を置いて、そこにペーパーフィルターをセット。
その上にコーヒー豆を入れて、お湯を注ぐ。
よくあるレギュラーコーヒーの淹れ方です。

コーヒープレスは豆が落ちてきそうだったり、
抽出後の豆を捨てるのが手間のように想像したので
ペーパーフィルター式にしたんです。

ところが、そんなコーヒーを淹れるだけの作業でも
僕の頭の中には化学実験の光景が蘇ってきてしまいます。

ろ過と抽出です。

原理は、
 コーヒー豆からお湯に溶ける成分を抽出して液体だけを分離する
ということです。

お湯との接触効率が上がるように粉状にしたコーヒー豆にお湯を混合し、
お湯に可溶性のコーヒー豆成分を溶け出させる。
ここまでが抽出。

そして固体成分である豆と液体成分であるコーヒーを分離するために
ろ過をします。

ペーパードリップでは、抽出〜ろ過を同時に行っているといえます。

抽出の効率を考えれば、別容器で先に
一杯分のコーヒー豆とお湯を混合して充分に抽出して、
それからペーパーフィルターを通して、ろ過をしてやれば良いことになります。

しかしそれは手間がかかる。
何より、一般的なペーパードリップでは、抽出とろ過を同時にする仕組みです。

そうはいっても抽出効率が気になってしまうので
なんとかしてペーパードリップ作業中の抽出効率を上げたくなります。

ですから、お湯をゆっくりチマチマと注いで粉との接触頻度を上げ、
抽出を10回ぐらいに分けて、回分式にしています。

特に気になるのは、最初にお湯を注ぐ瞬間です。

お湯を注ぐ前はペーパーフィルターがドリッパーと密着していません。
そのため、最初に注いだお湯はフィルターとドリッパー壁面との間を通過して
コーヒー豆と接触してくれないんです。

これは化学実験操作としては基礎の部分。
ろ紙は漏斗にセットしたあと、純水で濡らして
ろ紙と漏斗を密着させることになっています。
それで初めてロスなく、ろ過ができる仕組み。

ですから僕の心情としては
コーヒー豆をペーパーフィルターに乗せる前に
先にフィルターを濡らしておきたいところなんです。

フィルターをお湯で濡らして、その上にコーヒーの粉を置く。
それから、回数を分けながら少しずつお湯を注ぐ。

…そんな風に抽出とろ過の効率を考え始めると
こだわりたい部分がドンドンと増えてきてしまうんです。

そうしたら結局、手順を分けて、理論的に最高効率を求めたくなる。

味のためではなく、理論値に近づけて実験誤差を減らすために
作業の手間が増えていってしまいそうなわけです。


ただ1杯のコーヒーを入れる作業でも
実験的な観点から気になるところが出てきます。

これが料理となると、おそらくもっと多くのことを気にするでしょう。

さらには条件を変えながら味の違いを調べたくもなるかもしれません。

そんな状況が容易に想像されてしまうんです。

ここに僕が料理をやらないでいる大きな理由があります。

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2015年04月27日

結果報告

酸素スプレーを試してみました。

大阪出張で2日間のセミナーの後、その日の疲労感をチェックして
そこから予測される翌日のダルさを自分の中の基準とする。

酸素スプレーの使用量は1缶の1/3ぐらいだと思われます。

帰ってきた日の夜に酸素吸入をしてみました。

まずは息を吐き切って、それからスプレーを用法通りに口元へ当て
2秒程度で酸素を吸引。

10秒ぐらい待って、それからまた息を吐き切り、再度吸引…
というサイクルです。
合計で20回ほど、40秒程度でしょうか。


その結果ですが、
翌日の重苦しさは多少軽減されたような気がします。

頭痛や肩首の痛みや小さく、
日中の呼吸の状態もマシになっていたのに気づきました。
普段だと口呼吸が増えていますから。

しかしながら、どれだけの効果があるかというと
分かりやすいほど劇的なわけではないようです。

やはり瞬間的な酸欠状態を補うための酸素スプレーであって
一次的に血中酸素濃度を上げるぐらいの効果はあるのかもしれませんが、
すでに全身の筋肉が無酸素状態になってしまったことで起きる疲労感へは
効果が出にくいのかと考えられます。

純酸素を数十秒吸入するよりもむしろ、
酸素濃度が少しだけ高い部屋で1時間ぐらい過ごすほうが
回復効果は高いのではないでしょうか。

いわゆる酸素カプセルに入るとかのほうが効果があるかもしれないと感じます。

が、疲労の残りは翌日がピークであって、その次の日には
全身の重さは大部分が回復して、筋肉の硬さに変質してしまいますから、
酸欠解消の効果を狙うとしたら当日か翌日がポイントになるはずです。

そうすると、多少無理をしてでも
その日のうちに酸素カプセルを利用しに行ってしまったほうが
意味はあるような気もします。


自宅で酸素スプレーを用いた酸素補給をやった効果にしても
もしかすると単純に深呼吸をする時間をとったことが良かった
という解釈も考えられます。

体の抹消の酸欠疲労を取ることを考えたら
深呼吸の他にもウォーキングとかにも効果がありそうです。

工夫してみたいところです。

cozyharada at 23:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2015年04月25日

外国語に触れる

あいかわらず勉強したい気持ちがある反面、
勉強したい内容が見当たらなくなってきているのが
最近の残念なところです。

それで語学ぐらいだったら、考える喜びは小さいものの
トレーニングして身につける楽しさが味わえますから
少しずつ取り組み続けてみようかと考えているところです。

外国語を身につけるにあたって
どのぐらいのレベルを目指せばいいのかは良く分からず、
母国語の日本語にだって個人差がありますから
上限や目標は設定することなく地道にやっていこうかと思っています。


で、この5月からはスペイン語を始めてみることにしました。

まだ授業は始まっていませんから、予習がてら入門書を読んだ段階です。

どうやら発音は他の外国語よりも日本語に近いらしく
特に子音と母音の組み合わせの感じは良く似ている印象を受けます。

イタリア語もそうですが、日本人には馴染みのある音色じゃないでしょうか。

リズムやイントネーションの変化が日本語よりも遥かに大袈裟なのと
「R」の音に巻き舌が入るぐらいの特徴でしょうか。

とはいえ、ネイティブの発音を聞いている量が少ない段階なので
空想だけで単語を覚えたり、表現を覚えたり、読んだりするのは控えています。

頭の中で作る音を間違ったままで記憶してしまうと
後々の聞き取りで障害になりやすいと思われますから。

まずは文法や全体の仕組みぐらいを把握するに留めておこう、と。


ところが、つい先日、大阪への出張中に
薬局でスペイン語の必要性を感じる出来事がありました。

頭痛が酷かったので薬局を見つけて店内に入ったところ
西洋系ではない外見の外国人観光客1組を見かけました。

薬剤師と話をしている。

その薬剤師は日本語で説明をしたり、質問をしたりしますが
外国人夫婦のほうは日本語がまったく分からない様子。

カタコトの英語同士で会話をしている最中、
観光客のほうが発した「anti-infectant」という単語の意味を
その薬剤師が僕に尋ねてきたんです。
「アンチインフェクタント?分かりますか?」って。

抗感染剤のような意味だと思われますが、おそらく
「disinfectant」にあたる言葉を英訳しようとしたんでしょう。
まぁ、消毒薬ぐらいのことかと考えました。

そして、その辺りのことを説明したら
その観光客夫婦は以降、僕に説明をしだしたんです。

どうやら英語もそれほど分かるわけではないらしく、
身振り手振りを交えながら、簡単な単語で説明をしていました。

結局、怪我の様子から判断して、どこかで転んだようでした。
そしてヒザを擦りむき、唇と口の中を切った、と。

で、薬剤師が良さそうな薬を提案し、
その外国人観光客が夫婦で相談をして、どうするかを決める。
そんな感じの流れになっていました。

その外国人夫婦が話していたのはスペイン語。

僕がもう少し早くスペイン語を勉強し始めていたら
もうちょっとスムーズにコミュニケーションができたのかもしれません。

まぁ最終的に薬局に来た目的は果たせたようでしたから
その夫婦にとっては問題がなかったのでしょうが、
僕としては、多少の残念な気持ちがありました。

だからこそ、その気持ちが動機づけになったみたいです。

スペイン語は、中国語、英語に続いて
話す人口が第三位の言葉なんだとか。

ヨーロッパの人は、英語を勉強することも多いようですが、
スペイン語圏の人たちは、そうではないのかもしれません。

身につけられたら幅が広がりそうだと感じます。

まったくゼロからのスタートですが
だからこそ学習のプロセスをチェックしながら取り組めそうです。

2015年04月23日

酸素を買ってみた

先日、
 どうやらセミナー後の疲労には酸欠が関わっているのでは?
…という話になったので、
試しに携帯用の酸素スプレーを買ってみました。




確かにセミナー翌日に感じる疲労感の中には
体の抹消部分の固まったような痛みがあって
「充分に血液が行き届いていなかったのでは?」
と考えると納得がいくところがあります。

そして背中と肩、首のハリはギュッと固まったような感じがあり、
喩えるなら粘土のように隙間なく詰まった印象なんです。

これを自力でほぐすと、ちょうど土を耕すように空気が入る感じがあって
軽やかで何か通りが良くなった印象に変わります。

しかしながら、この翌日の詰まり感は広範囲に渡っていて
なかなか簡単にはほぐれません。

結局は一日を休養にあて、頭痛や重苦しさを我慢しながら夜の眠りにつく。
すると翌朝には体の固さの中から重さが抜けて、
喩えるならカチカチに乾燥して固まった畦道の土のような状態になるんです。

これは固くてパリパリ、ピキピキした痛みを伴いますが
ちょっと体を動かしたり、ほぐしたりすると柔軟性を取り戻してくれます。

なんというか、耕して水を撒いたら良い土に戻るようなイメージです。

で、酸素を充分にいきわたらせたら、
この粘土のような感じが早く解消できるのではないか?
という発想がシックリきたんです。

で酸素のスプレー缶を買ってみた。


本当はすぐにでも試したいところだったんですが、
効果を検証するには比較対象を明確にしておく必要があります。

一般的に、セミナーの疲労度は講座の日数が進むにつれて減ります。

実際、先週末の名古屋では終盤の日程だったこともあり
帰りの新幹線の中のグッタリ感が随分と少なかったものです。

ですから、比較対象としてシッカリと記憶に残っている日を参照にしながら
その効果を試してみたいと思っているんです。

多分、セミナー終了後の夜の疲労感を基準にすれば
翌日の酸欠具合も想像できそうですから、
そのあたりに注意を向けながら酸素吸入を試してみるつもりです。

cozyharada at 23:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2015年04月20日

きれいな部屋とはどんな状態か?

心理系やコーチング、自己啓発系やNLPなどのセミナーを受けたり
カウンセリングや心理療法などを受けたりすることを継続的にやっていると
徐々に悩みが減っていくことがよくあります。

そして実習のお題として「悩みは何ですか?」と聞かれると
「うーん、もう悩みがないんですよねぇ」と応えるようになったりする。

非常によく見受けられます。

ですが、ここで言っているのは
 本当に悩みが完全になくなった
という話ではありません。


人によっては
 「セミナーの場で気楽に人へ話せるような悩みはもう無い」
 (けれどもプライバシーに関わって誰にも言えないような悩みならある)
というケースもあります。

悩みを取り扱う場面を選んでいる状態です。

一方、そんな誰にも言えないような話はなくて
本当に目下の悩みごとが見つからない場合もあります。

ここで重要なのは
 悩んでいない
という主観的な印象です。

「悩む」状態は、上手くいっていない状況だけでは起こりません。
状況として上手くいっていない上に、
 「その状況をどうやったら解決できるか」が分からない
という対処不可能さが加わって、悩むんです。

上手くいっていない状況でも、どうすればいいかが分かっていれば
それは対処可能な「トラブル」として認識されるでしょう。

「自分にはどうすればいいか分からない」
「自分ではどうしようもない」
となったとき、悩みになります。

ですから、「悩みがなくなった」という言葉の裏には
 ・実際に上手くいっていない状況がなくなった(減った)
ということと
 ・上手くいっていない状況もあるけれど対処できそうだ
ということの
両方が含まれていると考えられるんです。

必ずしも「全てが上手くいっています」という意味ではない、と。

そのため「対処できそうだ」という印象が悩みと密接に関係することになります。

これはいわば自信です。
「これぐらい何となかる」という自信。

具体的に対処方法が分かっていて、解決のめどが立っている場合もあれば
根拠はないけれど「まぁ、なんとかなるだろう」と思える場合もあります。

カウンセリングを継続的に受けたり、ワークショップに参加し続けたりすると、
実際に状況そのものが改善されていって、
 ・上手くいっていない状況が減る
ということもありますが、
それ以上に
 ・問題を解決する方法を身につけた
 (だから、これぐらいの状況なら何とかなりそうだ)
 ・色々とやって自分が成長した気がする
 (これだけのことを乗り越えたのだから、この先だってきっと大丈夫)
といった体験が
自信を高め、悩まなくなる効果を生むといえます。

つまり、
「全てが上手くいくようになって、改善したいことがない」
という話ではなく、
「これぐらいのことなら悩むほどではなくなった。
 だから今は、『わざわざ』解決したい悩みはない。」
という話のようです。


こうした状態が、本人からすると
実際に悩みが無いように感じられる場合もあるようですが、
これがずっと続く人ばかりではありません。

上に述べたような
 それまで悩んでいた状況が改善されて
 上手くいっていない状況が減ってきて、
 さらに対処法を身につけたことと
 苦労を乗り越えたこととによる自信で
 大抵のことは何とかなると思えるようになった
という状態は
喩えるなら、
 グチャグチャに散らかっていた部屋を片付けた
ようなものです。

 それまではグチャグチャな部屋が嫌だったけれど
 どうやって片づけていいかも分からなかった。

 そこで効果的な部屋の片づけ方法を習いながら
 実際に自分の部屋を片づけることをやってみた。

 結果として部屋はかなり片づいて、スッキリと整理された。

 整理の仕方も身についたし、
 散らかってきても自分で片づけられるようにもなった。

 何より、あれだけグチャグチャだった部屋を
 こんなにもスッキリと片づけられたのだから
 今後、何かの事情で部屋が散らかったとしても
 きっと自分の力で片づけられると思える。

…そんな感じ。

この状態の出発点は、散らかった部屋にあります。
散らかった状態に慣れていたんです。

当然、たまには多少の片づけをしていたかもしれませんが、
その片づけ始める散らかりの限界値が高く、「片づいた」という基準値も
一般からすると「散らかっている」範囲だったといえます。

だから片付けをする頻度も低く、片づけたとしても完全には片づかない。
維持されている基準が、「それほど酷くは散らかっていない」程度だ、と。

その状態に慣れてしまっていて、そこが当たり前だと認識していたんです。
だからもっと綺麗に片づいた状態があるとは想像もできない。

ところが一度部屋が片づくと、基準が片づいた状態に近寄ってきます。
片づいているほうが当たり前に思えてくる。

以前の散らかった状態と比べれば遥かに片づいているけれども
やはりまだ片づき切っていない部分に目がつくようになる場合があります。

その部屋に住み始めた頃の片づいた状態を思い出すのか、
あるいは他の場所で片づいている環境を経験して、それと比較するのか…
基準が「片づいている」のほうへシフトしていくんです。

そして、随分と以前に比べたら片づいているはずなのに
まだ片づいていなかった部分が気になりはじめます。

すると今度は、「片づける」方法だけでなく
「ゴミを拾う」とか「掃除をする」といったことが必要になります。

新たに掃除の仕方や習慣を身につけることになるわけです。

悩みの話に戻すなら、以前ほど悩まなくなって
「何とかなる」と思えるようになってきたとしても、今度は
以前なら気づいていなかったような種類の内面の状態に気づくようになり、
前とは違ったことで悩むようになる…ということ。

そして、内面を整理して豊かな状態で過ごすための新たな方法を
自ら見出したり、どこかから学んだりすることになります。


さらには
部屋がいつも片づいていて、ゴミのないように日々の掃除がされていて
それでも
部屋の模様替えをしたくなることもあるようです。

机や棚の置き場所を変えて、もっと自分の部屋を快適にする。
持ち物を利用目的ごとに整理して置いて、もっと使いやすくする。
そのときの社会的状況に合わせて、部屋の内装を変える。

自分の内面についても同様のことが起きる場合があります。

いつも内面は良い状態が維持されている。
けれども、大切にしたい様々な気持ちが折り重なって
上手く切り替えができない。
大切な想いが複数あることを自覚できるようになるからこそ
それぞれの折り合いをつけるのが難しくなる。

そんなときには、内面の模様替えが効果を発揮することがあります。


悩みの質は人によって異なるものなんです。

人によって済んでいる部屋が違っていたり、
その片づき具合が違っていたりするのと同じように。

どんな部屋に住みたいか、
どんな部屋なら不満がないか、
…そういったところに好みの違いがあるのと同様に、
どれぐらい自分の内面と向き合っていくのかも
人それぞれなんでしょう。

もし、悩みと向き合って、一時期は悩みがなくなっていたはずなのに
また色々と悩むようになってきた、ということがあったとしたら、
部屋の片づけをイメージしながら現状を捉えてみても良いかもしれません。

2015年04月18日

超字幕

ちょっと面白そうなものを見つけました。
英語の勉強に役に立ちそう。

『超字幕』というソフトです。

windows 版と iPhone/iPad 版があるようです。

映画一本分が収録されていて、
そのセリフを字幕として見られる。

確かに最近の映画やドラマのDVDには英語字幕もついています。
ですが、これは原則的に日本語の字幕放送の場合と同様に
セリフと少し違った部分を含んでいるんです。

特に早口の場所では表示しきれる文字数に限界がありますから、
展開を理解するうえでは必要のない単語を除いていたり、
場合によっては短い文章を一文まるごと省略していたりもします。

どうやらこちらは純粋にセリフを表記してくれるようです。
目的が英語学習ですから、その辺りは気にしているのでしょう。

しかも、ただ字幕が表示されるだけでなく
色々な機能がついているのも魅力的なところ。

英語学習となると、聞き取れない部分を繰り返し再生したいものです。
このソフトでは、聴きたいセリフのリピート再生もできるんだとか。

さらには再生速度を変えられるそうなので
聞き取りにくい部分を遅くしたりもできるそうです。

また、辞書の機能がついていて、字幕上の単語から
そのまま単語の意味を教えてもらえるとのこと。

何より、パソコンやスマートフォン一台の画面上で全ての作業ができるのが
大きな魅力ではないでしょうか。

テレビでDVDを見ながら、辞書を使って、メモをして…となると
始める段階で少し準備のハードルが上がります。

その点、このソフトならスムーズに取りかかれそうですし、
単純にお気に入りのDVDを買うのと同じぐらいの価格であれば
普通に映画として楽しむこともできると思われます。

ラインナップを眺めてみて、どれか試してみようかと考え中です。

2015年04月16日

今の喜び

「今ここにある幸せを感じる」などの言い回しは
様々なところで見聞きするものだと思います。

その内容を詳しく見てみると、多くは
●「足りないところではなく、今ある幸せに目を向ける」
●「苦しいところではなく、幸せなほうに意識を向ける」
といったことのようです。


「足りないところではなく、今ある幸せ」というのは、大まかにいうと
 現状でも充分に幸せじゃないか
のような発想だといえそうです。

もっと、もっと…と上を目指せばキリがない。
夢やら目標やらを設定したり、”成功”している人と比較したしして
今の自分では不十分だと思うのはやめましょう、という感じ。

毎日ご飯が食べられる。
寒さや雨露を逃れながら寝ることができる。
身近に関わる人がいる。
それで充分じゃないですか。
他に何を求めるというんですか。
…そんなスタンスでしょう。

こちらの見解は、現状に感謝することを推奨したり
「世間が決めた”成功”に左右されないで」などと説明したりするもの。

自分が一時期、経済的な成功を追求して必死だった人が
お金や地位や名誉では手に入らない幸せを実感してから、
「もっと身近なところに幸せはあるんだよ」
と言い始めることも多いようです。

欲を出して幸せを求め続けても、今が幸せだと感じられないのであれば
いつまでたっても幸せは得られませんよ、
幸せは今ここにある範囲で感じるんですよ…
と説明されます。

未来の幸せを目指すのではなく、
今ある中で幸せを探しましょう、といった発想だと捉えられます。


もう一方の「苦しいところではなく、幸せなほうに意識を向ける」というのは
いわばリフレーミングのような発想です。

同じ出来事でも意味づけを変えれば幸せになれる、ということです。

辛いことがあった。
しかし、それも大切な学びだ。
この学びがあるから先に進めるんだ。
ありがとう。
…そんな発想。

あるいは…。
一生懸命に接客をして、良い感じだったのに
結局買ってもらえなかった。
結果は残念だけれど、こうしてお客さんと良い関係が築けたから
きっとまた別の機会に買いに来てくれるだろう。
…といった感じ。

他にも、「苦しい出来事があっても、その中には幸せな部分もあった」
と、注目する部分をリフレーミングするのも含みます。

例えば、いつも言い合いばかりで争いが絶えず、嫌な思いばかりするとします。
それでも、ずっと嫌な思いばかりをしているわけではないはず。
普通に会話をしているときには楽しかったり、
話がかみ合って盛り上がる瞬間もあったりした。
だったら、そちらの楽しい部分に目を向けましょう、と。

苦しいところばかりに目を向けていると不幸に思えるかもしれないけれど、
良かった部分を思い出せば、全体として幸せを感じられますよ、という発想です。

一日の終わりにその日の良かった体験を3つ記録するだけで幸福度が上がる
というのは、注目する部分を変えようという発想に基づいているわけです。

こちらは、
 今した体験の中から不幸な側面ではなく、幸せな側面に注目する
と表現できます。

もっと詳しくいうと、
 実際に起きた出来事を思い出すときに
 苦しかったところばかり振り返ると不幸に感じられるから
 良かったことを思い出すようにしている
ということです。

体験を「良い/悪い」、「望ましい/望ましくない」などと評価する段階で
もっと良く評価することもできるはずだ、と着眼点を変えようというんです。


「足りないところではなく、今ある幸せに目を向ける」のほうは
足りないところを埋める未来を意識するのではなく
今すでにある幸せを感じましょう、という発想。

「苦しいところではなく、幸せなほうに意識を向ける」のほうは
今そこで起きた出来事の中から、望ましい部分を意識に上げるようにして
幸せなことを体験するようにましょう、という発想。

どちらも「幸せなことに目を向ける」部分で共通しているといえます。

しかしながら、「幸せなことに目を向ける」という作業は
経験した出来事を意識にあげる段階でなされます。
体験内容を「良い/悪い」、「望ましい/望ましくない」と評価するときに
その着眼点を変えて、評価の仕方を工夫するわけです。

体験を評価する段階は、体験そのものではありません。
それを振り返って初めて評価が可能になります。

どんなに今に近い体験であっても、評価をするからには
その体験内容を思い返していることになるんです。

直近であっても、少なくともチョット前の出来事を評価しています。
厳密には過去なんです。

「今ある幸せ」という言葉が使われていても、
「幸せ」という感情そのものが、出来事を振り返って
それが望ましいときに起きるものである以上、
「幸せ」は記憶の内容に対してしか感じられません。


これらとは別に、もっと純粋に「今」の喜びに集中する方法もあります。

こちらは「今」に集中しますから、「幸せ」ではありません。
「幸せ」かどうかを評価する前の時点で、
その瞬間の「喜び」を感じ続けるんです。

「喜び」ですから、種類は様々です。

元気に体を動かす喜び。
落ち着いて心静かにいる喜び。
睡眠直前に意識がボーっとしている喜び。
人と繋がる喜び。
自然に圧倒される喜び。
他人が心の底から表現した想いに感動する喜び。
…色々な喜びが、あらゆる瞬間に存在しています。

全ての行動は、本来、喜びを感じられる対象なんです。

なぜなら世の中には、自分が好きではないことでも
それを喜びを感じながらやっている人がいるからです。

黙ってジーッと座っているのが退屈な人もいれば
それを瞑想の心地良さと捉えて夢中でやれる人もいます。

電車移動がストレスに感じる人もいれば
それが楽しくって仕方のない人もいます。

仕事で報告書を書くのが苦手な人もいれば
文章を書くという行為そのものが楽しい人もいます。

パソコンにデータを入力する作業が単調で嫌いな人もいれば
効率的に同じ作業を続けることが心地良い人もいます。

長距離を走り続けるのが苦しくって嫌な人もいれば
マラソンが楽しいと感じる人もいます。

数学の宿題が苦痛に思える人もいれば、
数学の難問について毎日考えるのが生き甲斐のような人もいます。

どんなことでも喜びを感じる方法はあるんです。

それを知らないから苦痛に感じられるだけのことなんです。

例えば、仕事で報告書を書くときに、文章を工夫する喜びを知らなければ
その仕事の時間は楽しくないだろうと想像できます。

そして、そのように楽しくない仕事をしている自分を評価して
「幸せではない」と感じる。

そこで、幸せを感じるために、
「いやいや、仕事があるだけ幸せじゃないか。
 仕事がなかったら日々の生活が不安なはずだし、
 実際に仕事があるからこうして食事ができている。
 この仕事でも充分に幸せだ。」
という風に考えるスタンスもあります。

あるいは
「確かに報告書を書くのは大変だ。
 でも終わった後の解放感は良いものだし、
 報告書だけが仕事なわけでもない。
 これを任されているのだって認めてもらっている証拠だろう。
 この仕事の中にも幸せは沢山詰まっている。」
のように考えるスタンスもあります。

そうした着眼点の変換は、依然として
「報告書を書く作業そのものは楽しくないものだ」という前提のもとで
そのことに不満を感じたまま、それ以外の幸せを探そうとするものです。

ところが、「報告書を書く作業は楽しくない」という前提を覆して
報告書を書く作業の中に喜びを感じられるようになれば
それはもう苦痛ではなくなります。

ここでやっていることは、
「欠けているところに注目する代わりに、満たされているところに注目する」
とか
「苦しい体験に注目する代わりに、楽しい体験に注目する」
といった
着眼点の変更ではないんです。

そもそも苦痛ではない。
どんなことにも喜びを感じられる。
…そうなれば、わざわざ幸せに視点を移す必要がないんです。

最初から全部、喜びに満ちているわけですから。

つまり、自分が今まで苦痛だと思っていたことに
喜びを感じるようになれれば、
まさに全ての「今その瞬間」を喜びとともに過ごしていける、ということです。

そのためには
一瞬一瞬の行動の中に含まれている喜びに気づき、
それを意識に上げ続けておくことが求められます。

今まで苦痛だと解釈していた出来事の中にも
喜びを感じる体験の仕方があるんです。

最も手っ取り早い方法は、
 楽しんでやっている人の真似をしてみる
ことでしょう。

自分が苦手なことでも、喜んでやっている人がいます。
そういう人の真似をして、どうしたら喜びを感じられるかを学ぶ。
そして日常の時間全てで喜びを感じられるように近づけていく。

そうなれば自然と「今ここ」の喜びが繰り返されることになります。

わざわざ幸せを感じようとしなくてもいいはずです。
振り返って幸せかどうかを評価する必要さえなくなります。

そういう体験の仕方を目指してみるのも1つじゃないでしょうか。

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2015年04月14日

ホテルの朝

セミナーで札幌、名古屋、大阪と移動してみると
各地の雰囲気の違い、文化の違い、コミュニケーションスタイルの違い…
など、様々な個性が見えてきます。

それと同じぐらい興味深いのがホテルの客層。
当然、地元の人は泊らないわけですが、いずれの場所でも
言葉を聞いていると日本各地から観光客が集まっているとうかがえます。

この人たちを見て行動パターンの違いを捉えようとしても
同じ場所からやってきている人たちが大勢いるわけでもないので
個人差なのか文化の影響なのかを判断するのは大変です。

ですから逆に、共通点が気になります。

様々な場所からやってきているのに
どこの地域の人にも共通しそうな振る舞いはないか?

そうやって見ていると、ホテルの朝食は興味深いと思います。

おそらく多くの人が「ビュッフェ形式(バイキング形式)」に対して
普段とは違った行動パターンを取る傾向を持っているようです。

ビュッフェ形式特有の行動とでもいいましょうか。

とりあえず色々とる。
普段よりも沢山食べる。

和食で集めるか、洋食で集めるかには好みがあるようですが、
多くの人がグルリと一周、色々な物を皿に乗せています。

実際、「普段こんなに食べないのになぁ」なんて話す人も。

出張で来ているらしい人よりも観光できている人のほうが
デザート類まで手を出す傾向があるように見受けられます。

もちろん朝食を食べない人は、朝から
ホテルのレストランに足を運ばないでしょうし、
近くの喫茶店でコーヒーだけなんていう人や
コンビニで軽くすませるなんていう人もいるとは思います。

あくまでホテルの朝食を利用する人しか見られませんが
その人たちの多くが、ビュッフェ形式に対して特有の反応を示すのは
なんだか面白いものだと感じます。

沢山の選択肢を与えられると、選ばない数を減らすために
選びとる種類を増やすという人もいるのかもしれません。

魅力的に感じたものは全部選びたいと思う人もいるかもしれません。

ビュッフェ形式でなければ、メニューを見て魅力を感じても
そのうちの一部しか注文しませんから、
「どれだけ選んでも構わない」という条件は
何かしらの制約を外してくれるのだろうと想像します。

中には全部食べなければ損だと思う人もいるかもしれないですし、
逆に好きなものを遠慮なく食べたいと思う人もいるかもしれません。

自分の皿の上に、自分だけのセットを作るのが楽しい人もいそうですが、
この場合だと、完成を予想しながら選びますから、
量が増え過ぎることは少ないと思われます。

ということで、人それぞれビュッフェ形式に対する反応の仕方があって、
いくつかのパターンに分けられそうだと想像しながら朝の時間を過ごしています。


それにしても札幌のホテルで、あんなにも沢山の観光客が
朝食を山盛りで食べているのにはビックリです。

札幌観光の大きな目玉は、北海道の食事じゃないかとも想像しますから
昼や夜の食事に支障が出ないのかと、余計な心配をしてしまいます。

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2015年04月11日

拠り所の作り方

悩む人、苦しむ人、困っている人の多くは
 どうしたらいいか分からない
という「拠り所の無さ」を抱えているようです。

自分のやり方では対処しきれない状況にあるんです。
そして、自分のやり方以外の上手くいく方法が分からない。
だから困っている、と。

実際のところ、このように困っている状況では
安心できない感じや戸惑い、
上手くやろうとする気負い、
空回りする苛立ちなどが表れやすく、
これらの状態が余計に結果を悪くします。

今までのワンパターンなやり方では上手くいかなくなってきたのですから
自然体で柔軟な対応ができれば、それだけでも
スムーズに行ってしまうことが十分にあり得るんです。

なのに、気持ちとしての「もどかしさ」が不自然な対応を生んでしまう。
それが望ましくない結果に結びつく。
そんな皮肉な状況が多々あります。

ですから「こうすればいいんだ」という自信が生まれるだけで
自然体で取り組むことができるようになり、
今までになかった柔軟性が発揮され始めることはよくあります。

そのために「拠り所」が役立つんです。

つまり「正しいやり方」として信じられるものです。

必ずしも上手くいくという保障はありません。
個人差がありますから、合わない場合もあるかもしれません。

それでも「こうすれば大丈夫!」と断言してくれるのが求められるんです。

効果的なやり方を状況ごとに複数示して、
場合に応じて使い分けてもらおうとするような伝え方は、
方法や技術を紹介していることになります。

これを受け入れる人は、自分なりに試してみて
上手くいく方法を自ら見つけていくことになります。
上手くいかなかったらまた方法を変えて、効果的なものを探す。
そういうスタンスです。

それに対して「こうすればいい」と断言する伝え方では
方法そのものの効果だけに意味があるのではありません。

方法は合わないケースもあります。
1つの絶対に上手くいく方法なんて無理があるものです。

ですが断言されたものを「正しいこと」として捉える人がいるんです。

正しいことは拠り所になります。
常に立ち返ればいいからです。

それをしている限り「正しい」のですから
それだけで安心できるんです。

こうした拠り所を求める人にとっては
状況別の効果的な対処法や工夫の仕方、
相手に合わせた技術のトレーニングなどは
さほど重要ではないのかもしれません。

「時と場合によります」とか
「本当に自分がしたいことを考えましょう」とかいった説明は
不確かさを含ますから、絶対的な「正しさ」は表れない。

それよりも「こうすればいいんです」という断言のほうが
そこに「正しさ」が感じられるのでしょう。

正しいことをしているという安心感が支えになるんです。

「どうしていいか分からない」という困った状況でも
「自分は正しいことをしている」と感じられれば
結果がどのようなものであるかに関わらず安心できるんです。

「上手くいっているかどうか」という判断基準ではなく
「正しくできているかどうか」という判断基準に頼れますから。

その意味で、「正しいやり方」として信じられるものを提供するのは
拠り所をもたらして、気持ちを楽にしてもらう1つの方法だといえます。

信じる拠り所があるのは、それだけで救いになる、ということです。

しかも上にも述べたように、拠り所ができるだけで気持ちが楽になり
空回りしにくくなって結果まで良くなったとしたら、
その考え方を信じる度合いも更に強まることでしょう。


そして、こうした「正しいこと」を発信する人たちの中には
自分が正しいと信じていることを伝える人がいます。

自分はこうやって上手く言った、という内容を紹介するケース。

もう一方で、「正しさ」を求める人へ向けたメッセージとして
本人は正しいと思っていないけれども、
1つの手段と割り切って拠り所を提供する人もいるはずです。

こちらの場合、多くは一般的な内容になりがちです。
当たり前の感じ。

なぜなら、その社会で規範とされるものに従っておく限り
衝突は減り、人間関係を中心に上手くいきやすくなるからです。

社会の中で望ましいとされていることをやっていれば
周りの人から認められたり感謝されたりする機会も増えるでしょう。
自然と幸福度も上がると思われます。

悩みが多いときには、状況が上手くいっていないことが多いはずです。
上手くいかないのは状況と自分のやり方が噛み合っていないから。

どんな状況でも上手く対処できる人は悩みも少ないと予想されます。
バランスが良くて、何でもそつなくこなせる感じ。

ところが個性が強く、際立ったものがあるほど
状況によって合う・合わないの差が大きくなりやすい。
平均から外れているほど才能が花開くチャンスもあれば、
裏目に出て苦しむ可能性もあるわけです。

そうした悩み多き人に対しての1つの効果的な一般論が
 世間一般の基準に近づくように心がけると
 周りと上手く噛み合いやすくなる
という原則なんでしょう。

道徳的で常識的な対応を心がけ
当たり障りの少ない平穏な発想、気分を大切にする。

世間の人が他者に対して期待している暗黙の規範に沿っていれば
周りとの関わりで嫌な思いをしにくくなりますし、
周りからも心地よく関わってもらえるケースも増えると予想されます。

さらには本人だけでなく、そうした心がけをしている人が多いほど
社会全体としても平穏で心地よい状態が増えるとも期待されます。
全体として悩み苦しむ人も減る方向性です。

ですから、常識的で道徳的な一般論を説くのは
 ・心がける本人が社会との衝突を減らして楽になれる
 ・多くの人が心がけるほど社会全体としても苦しみや不満が減る
という可能性を前提にしているからだ、と考えられるんです。

「正しいこと」として信じるだけでも、拠り所としての安心感が得られますが、
それに加えて現実的に本人の置かれた状況が楽になる方向性と
社会全体としての苦しみが減る方向性とが想定されるわけです。

そこまで考慮したとき、当たり前のような道徳論を説こうとするのは
自然な流れのような気がします。


そのうえで、こうした心がけを信じるだけでは
悩みや苦しみが解消しきれない人も出てくるはずです。

そうなってきたときには、また別途、その人に合わせた教えが必要になります。

信じるだけでは上手くいかなかった人には
教えの内容を拠り所とするスタイルからの転換が役に立つようです。

自分自身の中に拠り所を作っていく。

ここの転換点は非常に劇的で、大きな差を含んでいます。
発信する側、指導する側は、ここの差を気にしておくのが大事かもしれません。

それによって発信の仕方を変えることになるでしょうから。

信じたい人なのか、
信じることをやめ始めている人なのか。

この視点で接し方を心がけてみるのも役に立ちそうです。

cozyharada at 23:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2015年04月09日

言語のしくみ

なんとなく手に取った本。


言語のしくみがシンプルに解説されています。
音のルールなんかは日本人向けに書かれているので
○○語というものの雰囲気を掴むのには便利だと感じました。

白水社からシリーズで出ているようで(「言語のしくみシリーズ」)
現在では26言語にわたってシリーズ展開しているようです。

著者は全員日本人ですが、おそらく各言語で専門家が書いているのでしょう。
色々な言葉の専門家がいるものだと興味深いところです。

シリーズの中には、もちろん英語もありますし、
ヨーロッパの言語、北欧の言語、ロシアあたりやアジア地域の言葉、
古典ギリシャ語なども含まれているそうです。

そして日本語までも。
こちらはCDつきです。

日本語で日本人著者によって書かれていて
日本人向けに分かりやすく作られているはずなので、
CDが誰のために想定されているのかが僕には想像もできません。

「寝ながら読める外国語」というキャッチフレーズに違わず
とても読みやすく雰囲気が掴める感じがします。

もしかしたら、これを一冊読むだけで
たまに電車の中で聞こえてくる外国語を
「あ、これは○○語だ」
と区別するぐらいはできるようになるんじゃないでしょうか。

もちろん「英語を勉強しなおしてみようかなぁ」というときに
全体の復習をするのにも効果的だと思います。

場合によっては中学生ぐらいでも役に立つかもしれません。


通常の言語学習では、単語や短い文章と大量に触れることで
徐々にパターン認識がなされ、共通するルールが抽出されて
文法や発音のルールが身につけられることになります。

ボトムアップなんです。
パターンを抽出して言語のしくみを把握する。
それが自然な言語習得の流れ。

一方、大人にはトップダウン型の理解力が備わっています。
何も分からないまま大量に言語の音と触れて
自然とパターンを身につけていくのも1つでしょうが、
先に全体像を把握してしまうこともできるんです。

なにも、文法ガチガチで考え過ぎてしまって話せない
という状態を目指すわけではありません。

おぼろげなパターン認識ができるまでの時間を
最初に全体のルールを把握してしまうことで省略する。

あとはそのルールに沿うように実体験を整理していく。

数学の問題の解き方を習ってから
練習問題を重ねて、自然に解けるようにするのと似ています。

問題と答えだけを与えられて
途中の解き方のパターンを自分で発見するよりも、
「問題→解き方→答え」という順番で習ったほうが早く習得できる。

大人の言語学習は必ずしも子供と同じにする必要はないはずです。
より効率的なものがあるなら、そちらを使ったら良いでしょう。

その意味で、最初に概要を雰囲気だけでも教えてもらえるのは便利。

挨拶から始まって、簡単な自己紹介ができるようにして、
道案内ができるようにして…なんていう一般的な外国語会話の習得法は
その言葉が使われる環境で生活をする上では役に立つかもしれませんが、
最終的に身につけることを考えたら、決して効率的ではないと思います。

概要を知って分かった気になる。
最初に骨組みを作るんです。

肉づけは、骨を作ってからでも良いじゃないか、と。

そんなことを可能にしてくれる本だと感じました。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《カウンセリング講座》
〜セルフイメージの整え方〜


【日時】 2017年4月23日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    303集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


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次回開催は6月の予定


《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜

終了しました

【日時】 9月15日(月・祝)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


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《勉強会》 
終了しました
    
【日時】 3月16日(日)
  夜間 18:30〜21:30


【場所】 滝野川会館
     304集会室

     JR上中里駅より7分
     JR駒込駅より10分
     南北線西ヶ原駅より7分

【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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