2015年04月

2015年04月07日

それとこれとは

似たようなものを一緒にしない。
離れているもの同士を関連づける。

このあたりのバランスは練習が必要なのかもしれません。


勧誘や営業などでは、よく必要性やメリットが強調されます。
「これからの時代、スマートフォンが必要だと思いませんか?」
「スマートフォンがあったら、こんな風なことができるんです。
 便利だと思いませんか?」

こういった会話が続き、時間も経ってくると、内面では
 こんなに説明してもらったんだし
 重要だということを認めてしまったから
 むげに断るわけにはいかないか…
といった気持ちが沸きやすいようです。

しかし
「相手の考えに賛同していること」や
「相手に時間を使ってもらったことへの感謝」と、
「相手の期待に応えて購入する」
こととは無関係のはずです。

それとこれとは別。

この一言で断っても問題がないものでしょう。
購入するかどうかに関してだけいえば。

もちろん、相手との今後の関係が大事だというのであれば
関係性を優先してコミュニケーションを工夫する必要があると思いますが。

「詳しく説明してくれて、ありがとうございます。
 今まで分かっていなかった必要性にも気づけました。
 購入するときには是非、あなたからにしたいと思います。
 ですが私は、買うと決めてから少し時間を置いて
 自分の気持ちの変化をじっくりと吟味したいんです。 
 ですからまた次の機会によろしくお願いします。
 連絡が取れるように名刺をいただけますか?」

…などといえば、さほど後腐れなく断れるかもしれません。


一方、「引き寄せの法則」や「思考が現実化する」といったことを信じる人が、
何かしらの健康法や食事法などに気をつけていることもあるようです。

「これは食べてはいけない」
「この食品は危険」
「○○には△△が含まれているので危ない」
などとルールを持っているケースです。

例えば、「砂糖が悪い」としたら
「砂糖を食べると不健康になる」という考えを「現実化」させていたり、
危ないことに注意を向けることで、それを「引き寄せ」たりしている
とも考えられるでしょう。

砂糖なんて色々なところに使われています。
完全に避けるのは大変だと思われます。

それを危険だと考えることで、むしろ
自ら不健康を招く可能性がある
…とは考えないようです。

別にここで、砂糖が危険かどうかの話は重要ではありません。

「○○は危険」、「これは食べてはいけない」という発想だけなら
それは個人の考え方の自由の範疇です。

ただ、そういった考え方と
「引き寄せ」や「思考が現実化する」といった考え方とが
一人の中に共存しているケースを指摘しているんです。

2つの大事な考え方が、その人の中で矛盾している。

関連性を気にしていないんだと考えられます。


区別するものと関連づけるもの。
両者の取り扱いは気をつけても良さそうな気がします。

2015年04月05日

辻褄の合わない情報

1つ前のブログ記事に
 多くの人がインプットする情報をあまり吟味しない
ということについて書きました。

仕組みや根拠への好奇心
(=「どうしてそうなるんだろう?」)
や、
他の情報との関連性への関心
(=「これは他のものとは、どのように辻褄が合うんだろう?」
が、
関係しているだろう、という話です。

考え方のトレーニングをすることで育まれる部分もあるでしょうが、
そもそも好奇心を広く持つというのが簡単ではないのかもしれません。

そのため1つ1つの分野を別個の知識として
それぞれに記憶し、理解しやすいのではないでしょうか。


例えば先日、インターネットのニュースで見た記事として
「医師に聞いた『患者には出すけど医者が飲まないクスリ』」
というものがありました。

とにかくツッコミどころが満載だったので、1つだけ取り上げることにします。

あるクリニックの医師は研修医の頃に風邪薬で死にそうになった、というんです。

研修医として毎日深夜まで働いて、ひどく疲れていた。
そのときに風邪をひいてしまい、熱が出て、鼻水も凄かった。
で、症状を抑えようとして風邪薬を飲んだそうです。

そして車で自宅に帰ろうとしたとき、その途中で
物凄い睡魔に襲われて、危うく事故を起こしそうになった。

自分も相手も含めて、命の危機にさらされた、と。

…この医師の見解(もしくは記事のライターが都合よく解釈した見解)は、
「風邪薬を飲んだせいで車の運転中に眠くなり、危険な目にあった」
ということだと読みとれます。

確かに風邪薬を飲むと眠くなる傾向にあります。
風邪薬の使用上の注意にも「車の運転は控えてください」などとあります。
「風邪薬に睡眠を誘発する作用がある」というのは
仕組みとしてもデータとしても筋が通っているんでしょう。

ですが、この話をもって『クスリの危険性』を訴えるのはポイントがズレています。

仮に風邪薬のせいで自動車事故に遭いかけたのであれば、
それは使用上の注意を守らなかった本人の判断ミスだといえます。

風邪薬を飲んで運転したことが問題なのであって
風邪薬の危険性が問題なわけではないはずです。

何より、毎日深夜まで働いて疲れが溜まっていて
その状態で風邪をひいて熱があったわけですから、
風邪薬なんて飲まなくたってボーっとして事故を起こしかけた可能性もあります。

そんな疲れた状態で風邪薬を飲めば、睡魔がヒドくなるのだって当然でしょう。

「風邪薬の効果で強い睡魔に襲われて事故を起こしかけた」というのは
要因の考察として不十分です。

先に「風邪薬は悪い」という結論があって、
それを導くのに好都合な事例の解釈だけを取り上げているといえます。

実際に起きたのは
・毎日深夜まで働いて疲れていた
・風邪をひいて熱が出ていた
・風邪薬を飲んだ
・車を運転していたら睡魔に襲われた
・事故を起こしそうになった
ということです。

それぞれの事情が、どのような因果関係を生んでいたかは
1つの可能性だけで説明できるものではありません。

複数の要因が絡み合う中で、さらに
特に影響の大きそうなものが考察されます。

複数の考えられる理由を挙げて
その中で重要度のランク付けをするんです。

それが仕組みや根拠を考えるときの科学的なやり方だと考えられます。
少なくとも僕が理系で学んできたのは、そういうスタイルです。

この医師(あるいはライター)は、少なくとも
ここで挙げられている事例に対して
深く理由を考えようという好奇心がなかったのかもしれません。


同様に、医療関係者という科学的な教育を受けているはずながら
科学の流儀で考えることをしないケースも多々見受けられます。

先日目にしたネットの記事では
歯科医師が「言霊の力」を実験していました。

さすがに実験の器材を持っている様子でしたから
顕微鏡写真なども載せての”説明”になっています。

血液のサンプルをスライドガラスに乗せ
カバーガラスを被せて顕微鏡観察用のサンプルを作る。

そして一方のガラスの端には
「ありがとう」とか「大好き」とかいった言葉を書き、
もう一方には「バカ」とか「大嫌い」とかの言葉を書く。

そしてしばらくしてから顕微鏡で観察すると
「バカ」などを書いたほうのサンプルでのみ
赤血球が割れて減っていたり、白血球が減少していた、というんです。

その写真を載せながら、「言霊」の力を示したかったようでした。

しかしながら、これは全く実験になっていません。
正確に比較ができていないからです。

2つの条件の違いが、その書かれた文字だけだというのが示せていませんし
それぞれ一枚ずつの写真だけでは偶然の可能性が否定できません。

時間経過に関しても、試料の同じ場所を撮影したかが不明です。
倍率が高いですから、ちょっとしたズレで観察している場所が変わります。

同じ場所で固定していたとしても、条件を揃えるのは大変です。
顕微鏡観察用の試料は、スライドガラスに乗せる液体の量で
対流のしやすさが異なって、内容物の移動量が大きく変わります。
同じ場所を撮影しているつもりでも、時間経過で画面の様子が変わりやすい。

これを防ぐには一定面積あたりの数を数えるのが一般的です。
当然、何回も測定を行って平均値を取ります。

そして言葉を書く前と、言葉を書いて放置した後とで、数の変化を調べる。
その結果、「バカ」と書いたほうが赤血球の減少量が多いというのであれば
データとして一応、実験的に意味を持つことになります。

まぁ、そもそも比較の中に「ニュートラル」な条件がないのが
(ポジティブな言葉、ネガティブな言葉だけでなく、
 「ニュートラルな言葉」もしくは、「言葉を書かない」という条件が必要)
実験の仕方として科学の流儀に従っていないことになりますから
方法としての問題点は色々と含まれているだろうと想像してしまいます。

そのうえで、データの解釈も主観的過ぎます。

言霊の力を信じている人であれば、
「思考は現実化する」とか「引き寄せ」だって信じているかもしれません。

その観点で見れば、この人は単純に
自分の期待するデータを「引き寄せた」という解釈も可能です。

「悪口を浴びせると血液にも悪影響がある」という「思考」を
この人は実験を通じて「現実化」させたとも捉えられるはずです。

仮に「ネガティブな言葉をかけると赤血球は反骨心から活力を増す」
と考えて同じ実験をしたら、ネガティブな言葉を書いたほうが
赤血球の減少量が小さくなる…
なんて結果だって「引き寄せ」られるかもしれない。

実験の仕方にしても、解釈の仕方にしても、
自分の信じていることに説得力を出すために
”科学風”のデータを利用している様子がうかがえてしまいます。

歯科医師がどれだけ実験の手法や、科学的なデータ解釈を
トレーニングされるのかは分かりませんが、このケースは
随分と科学のスタンスから外れたやり方だといえます。

おそらくこの人が例外的なんだろうと思います。
多くの歯科医師は、もっと科学的な流儀を身につけていることでしょう。


ここで重要なのは 
「言霊の力」を信じるのが科学的でないということではありません。

主張したいことを説明する方法が科学的ではないんです。

やり方の問題。

科学のやり方になっていないのに
科学っぽい雰囲気を出している、という話です。

科学の教育として学んできたことを、「言霊」という分野に適用する段階で
不十分なところができてしまっています。

別の分野の内容を関連づけて統合するところを
深く追求していないのではないでしょうか。

科学と関連づけようとした段階で矛盾を含んでしまっています。

1つの統合された知見として理解しようとしているのではなく、
本人が信じている「言霊」の影響のほうが理解の主体になっているようです。

だからこそ信じている内容をサポートするような情報を集めたくなる。
過去に学んできた科学のところから部分的に使えるものを拾って
それを元に、信じることを強化しようとするんでしょう。

全ての知識や情報を関連づけて、1つの統合された理解として
矛盾を含まないように整理しようとするのは
あまり一般的ではないのかもしれません。

このケースの人には、歯科医師としての専門性があるはずです。
そこには科学のバックグラウンドが付随しています。
一方で、言霊を信じる部分もある。

両者は別物として理解されていて、
詳しい分野が2つあるんだろうと想像できます。

歯科医療もやる。
それとは別に、言霊も大切にする。

両方を別々に理解しながら、
本人の知っている科学のうちで使えそうな部分だけを利用する。

喩えるなら
 1枚の大きな絵を描くのではなく
 2枚の絵の間を数本の線で繋いでいる
ような感じです。

どうやら自分の中に1枚の絵を描きたい人はそれほど多くないようです。

全てを関連づけて理解するために
インプットされる情報を吟味する
…そういうプロセスを経ずに広められる情報が
 世の中に溢れているように見えます。

混乱しやすい状況だと思います。

信じていることに矛盾があれば葛藤を生みやすいですから
情報のインプットには注意が必要ではないでしょうか。

2015年04月02日

論理的に理解するにはトレーニングが必要です

「インターネットの普及」なんていうことを気にしなくなるほど
ネットの影響は日常生活と密接に絡んでいるようです。

その顕著な例が、
 誰でも気軽に情報発信できる
ということろではないでしょうか。

新聞や、本、雑誌などを通じて情報を発信するとなると
ある程度はその内容の信憑性もチェックされたかもしれません。
(テレビは相変わらず不確かな情報が中心なようですが…)

確かに、信じる人だけが信じるような内容の
(ともするとオカルトとも呼ばれる)ジャンルは
インターネットが普及する前から本や雑誌においてもありました。

この場合には情報の需要と供給のバランスが整っていた気がします。

つまり、主流ではない見解として、一定数の読者に向けた発信がなされ
その情報源の存在を知って興味を持つ人だけが、その情報を入手する…
そんな関係が成り立っていた、ということです。

幅広く誰でも目にする機会は少なかっただろう、と。

それが今は

情報の信憑性にかかわらず誰でも発信ができるようになり、
インターネットニュースや情報発信サイト、あるいはSNSを通じて
信憑性が疑われないままに誰でも情報に触れる機会が増えました。

例えば良く見られるような陰謀説などは
その根拠の確からしさをチェックされることなく
ただその内容にインパクトがあるという理由からSNSを通じて拡散され、今度は
その「広がりの大きさ」という部分だけで話題性を判断したネットニュースにより
中身の信憑性とは無関係に、さらに多くの人たちに向けて公表されたりします。

とにかく平均的な人々に衝撃を与える内容でありさえすれば
中身が吟味されないままに、表面的な情報だけが広まりやすい。

そんな状況になったように見受けられます。


このような事態を助長するのは
|噂磴丙邏箸侶晃として、インプットする情報について考えることをしない
読解の技術として、論理的な考え方で内容を理解しようとしない
 (因果関係の矛盾や飛躍をチェックする読み方をしない)
という部分のように思えます。

,痢峭佑┐襪海箸鬚靴覆ぁ廚箸いΔ里
考えるのが大変で、面倒臭いからでしょうか。

与えられた情報を疑うことなく「そうなんだ」と覚えられるのは
素直さの表れでしょうし、それによって人間関係が穏やかになったり
信頼関係が築けたりもするメリットはあると思います。

一方で、インプットした情報を吟味して自分の知恵に統合することはなく、
知識量は多くても理解が浅い、ということになりかねません。

これは、
 小学校で教わることは丸覚えすれば良いのに対して、
 高校、大学と進むにつれて、小学校では丸覚えだった内容に
 根拠の説明や他との関連性が追加されていく
というのに似ている気がします。

円周率を3.14と教わったから「そういうもんなんだ」と覚えるのか、
円周率 π (パイ)はラジアンという考え方で角度と一致して
三角関数や波動のベースになると関連づけて理解するのか。

仕組みや根拠への好奇心
 =「どうしてそうなるんだろう?」
や、
他の情報との関連性への関心
 =「これは他のものとは、どのように辻褄が合うんだろう?」
が、
インプットされた情報について考えようとするか
を左右するのでしょう。


△痢嶇斥的な考え方」は日本の教育であまり触れられない部分です。

少なくとも僕自身は明確にトレーニングされた記憶はありません。

応用化学専攻で微生物を使った研究をしていましたが、
その研究室内においても、今思えば論理性には大きな個人差がありました。

指導教授が論理展開の飛躍などを指摘することはあったとはいえ、
それはただ「どうしてそうなるの?」と問いかけるだけのことで、
そもそも論理的な思考とはどういうものかを教わることはありませんでした。

それどころか、論理的な説明の仕方を体験的に身につけた人だけが
教授から高い評価を得られたり、研究職の採用面接で通りやすかったりする
というのが現実だったようです。

僕がこの「論理的な考え方」をハッキリと整理したのは
多少ディベートの勉強をしたときと
英語のアカデミックライティングのトレーニングを受けたときと
アメリカの大学の単科受講で scientific thinking について学んだときです。

ディベート自体が英語文化ですし、それは元々論理性だけを追求するものです。
(日本でやられるディベートの一部は情に訴えかける要素も含むそうですが)

英語のコミュニケーションは情報発信者側に説明責任があって、
日本のように相手の言わんとすることを汲み取るための受け取り側の理解力は
前提とされていません。

ですから辻褄の合うように、因果関係が飛躍しないように、
それぞれの理由づけの関連性が一貫しているように、
説明する側が工夫するように求められるわけです。

そしてアカデミックな技能としては、その論理展開に注目して
論理の矛盾や飛躍、根拠の弱さを指摘できる必要があります。

日本のように文系/理系という分け方をしないアメリカでは
日本で文系に位置づけられる歴史や社会学も「 social science 」と呼ばれ、
科学の一種として、科学的で論理的な発想が求められます。

論理的に説明するというのが多くの学問の前提なんです。

ところが日本の学校で勉強をしていても、どうやら
科学をやるはずの「理系」でさえ、あまり明確に「論理的な考え方」を
トレーニングする機会がないようです。

知識を暗記することと、公式を使えるようになることが
勉強の大部分を占める高校生まででも、
「論理的」ということについてトレーニングされる機会は無かったと思います。

そのため、かなり多くの人が発信された情報をインプットするときに
その内容が「論理的かどうか」を吟味しようとさえしないのでしょう。

論理的に飛躍がないかをチェックして
「この説明は不十分だ」
「この内容では根拠が充分に説明されていない」
と判断するようなことがない。

論理的には不足したことが含まれていても、行間を汲み取って
「なるほど!」と思ってしまいやすいようです。


結果として、
 知り合いから紹介された記事を読み、
 その内容について論理的に吟味せずに
 「面白い」とか「衝撃的」とか「怖い」とかいう印象を頼りにして
 また自分の他の知り合いに紹介する
…ということが続くと考えられます。

科学的に説得力があるかとか、データがあるかという話とは無関係に
その情報源の論理展開だけで「信憑性なし」と判断することもできるんです。

しかしそういう習慣が薄いのが実情。

その中で、誰でも気軽に、様々な種類の情報に触れられるようになっています。
知らないうちに鵜呑みにしてしまっていることも多々あるのでしょう。

個人としても社会全体としても、意外と影響力の大きなものじゃないかと感じます。

情報発信の仕組みに劇的な変化が起きた現代だからこそ、
改めて、受け取る側の受信能力について
考え直してみる必要があるのではないでしょうか。

おしらせ
 ◆ セミナー情報 

次回は10/21です

《コミュニケーション講座》
丁寧なストレスの取り扱い方


【日時】 
  2018年9月9日(日)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

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次回は2018年10月21(日)


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《新カウンセリング講座》
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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