2016年01月

2016年01月31日

味の調和とスケール

何度かこのブログにも書いたかと思いますが
僕がよく行くラーメン屋が一軒だけあります。

ラーメンが好きなわけではない僕にとって
その店は1つの料理のジャンルとして選択肢に入っている感じなんです。

たまに勘違いして「自分はラーメンが食べたいのではないか?」と思い
うっかり他のラーメン屋に入ったときは、大体ガッカリするぐらい
僕にとってはラーメンという食べ物ではなく
その店の『料理』を気に入っているみたいです。

非常に仕事が丁寧で、細かいところで絶妙なバランスを取ろうとする様子が
味のいろいろな部分に反映されている感じがします。


香り成分の工夫は、さほど意識していないようで
素材の旨味成分だけを贅沢に抽出するスタイルが特徴かもしれません。

レギュラーメニューだけでなく、頻繁に創作的なラーメンも出していて
僕としては、その味をみてみたいのが通いたくなる主な動機のようです。

テーマ素材を決めて、ラーメンという形の中で
素材の特徴を引き出そうとする工夫が楽しいんです。

テーマ素材の旨みを強烈に引き出しながら
ラーメンの仕上がりを出すために他の素材と組み合わせる。
そのバランス感覚が見事なんだろうと感じます。

確かに素材の「持ち味」を徹底的に引きだしているんだろうと感じられます。

僕個人として少しだけ残念なのは、
その素材らしさの中に香り成分の特徴がある食材の場合
「旨味成分だけを抽出する」というスタイルが、逆に
素材らしさを下げてしまうこともあるところでしょうか。

例えば鴨などは、僕にとって皮の脂と匂いに鴨らしさを感じるので
「鴨ガラで贅沢にダシを取りました」とやられても
確かに鴨なのは分かるけれど、鴨らしさは低い気がしてしまうんです。

魚をテーマにしたときも同様です。
匂いを含めて素材らしさを意識しているものの場合、
素材の「持ち味」だけを活かし、匂いを抑えるスタイルは
素材感としては少し下がるところがありそうだ、と。


まぁそのあたりは「ラーメン屋」として考えれば
出来上がりの「ラーメン」の仕上がりが重要なわけですから、
「素材を活かした料理」を目指すわけではないない以上
過剰に素材感をアピールするのも違うのかもしれません。

実際、店長はラーメンが好きなようですから
いかにもラーメンといったものを作ろうとする姿勢は当然のことなんでしょう。

その部分で僕の好みや期待と違いがあるのは仕方のないところです。

僕は素材の特徴を最大限に活かした「料理」を期待して、その店に行く。
店長は素材の旨味成分を最大限に生かした「ラーメン」を作ろうとする。
…このギャップは受け入れるしかありません。
 僕がとやかく口出しする範囲ではないので。

実際、僕からすると必要のない具材がトッピングされていることも多いんです。
物凄くセンスのある組み合わせの具材が載っていながら
量が少なく、ほかの具に存在感を奪われている印象のときもあります。

いかにも「ラーメン」の特徴を出すためには
ラーメンらしい具材を載せる必要があるのかもしれません。

 ※本音を言うと、ラーメン好きの大多数のお客さんのために
  分かりやすく好まれやすい(テーマとは無関係な)具を載せている
  というフシもあるんじゃないかと感じているんですが。

そのように僕の期待とはズレたところがあったとしても
それでも他のラーメンを滅多に食べない僕が好むのですから
充分過ぎるほど絶妙な仕上がりになっているわけです。

先日などは「鯛と牛」を組み合わせつつ
両方の素材の味が同時に主張しながらもケンカすることのない
丁度いいバランスのスープを作っていましたから、
もうこのあたりは驚きを隠せないほどでした。

鯛と牛の特徴を同時に出して、1つの料理に仕上げるとなると
これはラーメン以外では難しいんじゃないだろうかとも思ったりして
改めて頭の下がる思いだったものです。


で、この店長、レギュラーメニューにも改良を加えているようで
少しずつ味が変わってきています。

創作メニューについても、味の組み立てが変わってきています。

トレンドがあるといったところでしょうか。

全体のまとまりが良くなってきているんです。
すごく調和がとれている。

隙間なく、過不足なくバランスが取れている感じです。

それは素晴らしいところでもある一方、
全体のスケール感としては、こぢんまりした印象も…。

以前はもっと、1つの素材の特徴を極端に際立たせ
対極的な特徴の素材をチョットだけ組み合わせることで
絶妙に全体の調和を取るようなことをしていたときがあったんです。

崩しながらも全体では調和させるといった感じが。

確かに以前のほうが荒削りで、最近は洗練されてきているともいえそうです。
しかし無難にまとまってしまっているとも言えなくはない気がしてしまいます。

その部分を偉そうに指摘するのは、僕自身にも共通する性質だからです。

こなれてくると卒なくこなすようになって
やれることのスケールが小さくなってくる。

書道で顕著に感じるところですが、
セミナーなどの仕事関連でも自覚するところなんです。

バランスのとれたものというのは、均一な真ん丸だけではありません。
一見するとバランスが崩れたような形の中で
全体構成として調和を保つこともできます。

調和は均一とは限らない。
芸術や自然は、不均一な調和に迫力を生み出しているようです。

ラーメンを食べながら、そんな風に
自分のことを反省させられる今日この頃です。

cozyharada at 23:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

2016年01月28日

あえて記録する

「書く」という行為は必ずしもアウトプットのためではありません。

確かに「書いている」プロセスそのものはアウトプットに分類されると思います。
が、その目的がアウトプットではないことがあるんです。

それは文章を「書く」だけに限らず、
書道で文字を「書く」ときや絵を「描く」ときにも当てはまります。

「書く・描く」を通じて、インプットする場合です。


人は物事をろくに見ていないんです。
ざっと目に入れて、「知っているもの」として処理する。

過去の経験で作った記憶の中のイメージに当てはめて認知して
実際に目の前にあるものを細かく捉える必要性を省くんです。
そのほうが効率的だから。

そして1つの意識体験を頭の中に作り上げます。
細部にまで注意払っていなくて、意識化できる記憶には残りずらいけれど
おぼろげに意識している範囲です。

注意を払っているかという点では「意識的」とはいえませんが
瞬間的に意識体験の中に入っている種類の情報です。

いわゆる”無意識”で処理していると呼ばれる範囲でしょうか。
(本当はこのあたりの定義が凄く曖昧なんですが)

整理すると、ここでしようとしている区別は二段階です。
概念(ものごと)として『認知』できるかどうかが1つ目。
認知したものに『注意』を払って『意識化する』(覚えておく)かどうかが2つ目。


例えば毎日しょっちゅう見ているはずの自分のスマートフォン。
画面には沢山のアイコンが並んでいるはずです。

この位置をどれぐらい覚えているでしょうか?

よく使うメールとか、フェイスブックとか、カメラとかは
なんとなく位置情報として覚えているかもしれません。
あるいは一番使うから左上の角に置いているものとか
特徴のあるものも思い出しやすいでしょう。

これが日頃から『注意』を払って『意識化される』ことが多くて
思い出しやすい種類の情報だということです。

「〜がある」という形で意識に上げている、と。

ところが意識にすら上げていない場合もあります。
滅多に使わないアイコンとか、自動的に使ってしまっているものなどは
記憶が曖昧になります。

「〜があったはずだ」というぐらいの意識化の程度であって
場所までは思い出せない。
それでも注意を払って意識化していた記憶はあります。

どれぐらい注意を向けて意識していたか?
それによって記憶への残りやすさ、思い出しやすさが変わり、
意識的な記憶と、無意識的な記憶とを分けることになります。

これが二段階目のほうです。


さらに「アイコンがある」、「この場所にアイコンがある」と
『知っていた』、『分かっていた』としても
そのアイコンの映像を完全に覚えているか?というと
これまた定かではないはずです。

見れば「あぁ、これがGmail のアイコンです」とは選べても
実際に再現できるかというと難しい。

場合によってはチョットずつデザインを変えた似たようなアイコンの中から
正解を1つ選ぶとしても、自信がなくなってしまうこともあるでしょう。

「○○のアイコン」という概念・ものごととして認知しているときには
その細部の情報には注意が向かなくなるわけです。

「何色の線が、どれぐらいの太さで、どういう角度で並んでいて…」
などのように認知しているわけではなく、
知っているパターンとして「○○のアイコン」という記憶を使って情報処理して
1つの概念、1つの情報量として処理できてしまう、ともいえます。

逆に、意味のあるまとまりとして捉えられないときには
あえて注意を向けない限り、認知さえされません。

日本人がアラビア語の文字を見たとしても、単なる模様ぐらいにしか見えず
目に入っていたとしても意識化されることさえないでしょう。

せいぜい「アラビア語の文字だ」ぐらいに認知されて
その中身の情報、つまり実際の文字の配列の違いを意識するのも難しい、と。

同様に、ハリウッド映画などで日本の景色らしきものが描かれたとき
中国語の看板が混ざっているのが日本人からすると変に思えても
「漢字」としてしか認知できないアメリカ人には細部を意識できないわけです。

ここが概念・ものごと(意味のある情報のまとまり)として認知できるか?
という1つ目の段階です。


概念として認知できないものは無視されるし、
概念として認知できるときには、できるだけ少ない情報量になるよう
大きな意味のまとまりとして捉えて、細部は無視されやすくなる。
(一段階目)

そして認知したものについても
注意を向けて意識に上げておく度合いに応じて
記憶の残りやすさが違う。
その瞬間の意識に上がっても、思い出せる記憶にはならないかもしれない。
(二段階目)

意味のあるものとして認知しなければ意識にさえ上がらず、
意識に上がったものでも注意を強く向けなければ意識的な記憶にならない
ということです。

その意味では、本当にごく僅かなものしか意識的に体験していないといえます。


「インプット」を、ただ素通りさせるだけではなく、
「入れて残しておく」ことだと考えるなら、
何気なく日常を過ごしていたら、ほとんどインプットが無いことになるでしょう。

だからこそ積極的にインプットしたいのであれば、
 細部に注意を向けて、記憶に当てはめながら認知せずに
 1つ1つの特徴ごとに強く注意を向けて意識化して
 そのものの特徴を徹底的に記憶に残すようにする必要がある
と考えられます。

そのために役立つのが「記述する」ということです。
「書く」とか「描く」とか。

細かく特徴を述べたり、絵に描いたりするためには
まず細かく見なくてはいけなくなります。

知っていることに気づいてしまったら、そこで記憶の中の概念に当てはめて
それ以上の細部に注意を向けることは非常に難しくなります。

見たつもり、観察したつもりになりがちなんです。

それを防ぐのに効果的なのが、「書く」、「描く」ということ。

観察したことを記録に残すのは、情報を残すことが目的とは限らないんです。
記録に残す情報を正確にしようとしたとき、初めてそこで
細かいところまで観察することが可能になる。

細部の特徴まで意識に上げて体験するために、
漠然と見たつもりにならないよう、あえて書いたり描いたりして
記録する作業を追加する場合があります。

書く・描くというプロセスを追加することで
細かいところまで意識できるように負荷をかけるわけです。

あとで見直すために記録するんじゃない。
今、丁寧に体験して意識するために記録の作業を挟む。

それが
 インプットのために書く・描く
ということです。


ワンパターンで流してしまったり、漠然とやってしまわないために
あえて記録してみるのは効果的な工夫でしょう。

今まで気づいていなかったことが見えてくる可能性が高いはずです。

cozyharada at 23:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2016年01月25日

土台としての理解

知識として「知っている」ことと
経験を通じて「納得している」ことと
仕組みや原理として「理解している」こととの間には
大きな違いがあります。


知識として「知っている」というのは
与えられた情報を覚えれば完結します。

それが正しいと信じておけばいいだけ。

学校の勉強の中にも、この知識のための暗記が沢山あります。


経験を通じて「納得している」というのは
出来事を一般化して法則を見出したり、
知識として仕入れた法則が経験に当てはまるのを実感したりすることです。

具体例としての経験を沢山もっていて、
その法則が経験に適用できることが分かる。
具体的な経験と抽象的な法則との間に結びつきがある状態です。

法則が当てはまるということは、具体例が数多く見つかって
しかも法則の当てはまらない例外が少ないということでもあります。

法則に当てはまる事例が自分の記憶の中から多く見つかり、
当てはまらないケースは見当たらない。

だから「この法則は正しそうだ。確かに。納得できる。」という実感になります。


一方、仕組みや原理として「理解している」というのは
出来事として見てとれることを「どのようにして、そうなるのか?」
という観点で説明できる状態です。

数学で説明したり、構成要素で考えたり。
ツールとして数学を使いながら、物理や化学の考え方で
出来事を矛盾なく説明します。

「こうなったら、こうなる」という見た目上の法則ではなく、
論理的な飛躍や矛盾を含まないように、要素を分解しながら
メカニズムとして追いかけられるのが「理解している」ことと言えるでしょう。


例えば、「今朝、太陽が東から昇った」というのは見てとれる出来事です。

そして毎日太陽を見ていれば「太陽は東から昇るものだ」という法則が分かります。

この法則は知識として「知っている」ことでもあり、
例外のない経験として「納得している」ことでもあります。

では太陽が東から昇ることをメカニズムとして「理解している」かというと
それには天体の運動を説明できなくてはなりません。

太陽が東から昇るのは、太陽が地球の周りを回っているからではなく
地球が自転しているからだと説明されます。
(地球が太陽の周りを回る公転は、日の出とは直接関係しない)

地球がコマのように自転しているから、地表上の一点(観測点)が
太陽からの光によって照らされる角度が移り変わっていく。

それまで太陽光の当たらない夜だった場所が
最初に光のあたる範囲に入っていくときが日の出だと言い換えられます。

つまり地球の自転の向き(北極側から見て、時計回りか、反時計回りか)が
太陽が西から昇るか、東から昇るかを決めている、と。

じゃあ、地球が自転しているというのは、どうやって確認できるのか?
太陽や月や星が地球の周りを回っているのではないと
どうやって説明できるのか?

このレベルになると、もう僕は「理解」できていません。
知識として「知っている」内容ですが、説明ができないんです。

おそらく天体の回転周期のデータを元にして
全ての天体の動きを辻褄が合うように考えると
公転と自転の両方で説明する形に収まるんでしょう。

ちゃんと計算する気も起きませんが、なんとなくの印象として
月食の変化のスピードなんかを考えると
単純に月と太陽が地球の周りを回っているという説明では
厳しくなりそうな感じがします。

火星や水星の見える位置が移り変わっていくときに
移動が逆向きになったように見える時期がある「らしい」ですが、
そうした現象も自転と公転でなければ説明がつかなかった記憶があります。

いずれにしても、僕自身がデータを元にして
メカニズムとして説明できるわけではありません。

僕の中で地球の自転も公転も「知識」でしかないんです。

ある程度の「理解」も含まれますが、
かなりの部分が知識として「知っている」に過ぎません。

太陽が東から昇ることを経験的に「納得している」のと同時に
自転や公転といった知識を「知っている」ところがあって、
その知識を元にして仕組みの一部分だけを「理解している」。

その程度なんです。

普通に生活していたら、
「分かっている」ことの大部分は
 知識として「知っている」だけ
 経験的に「納得している」か
ぐらいなもので、
仕組みとして「理解している」ことは凄く少ないはずです。

だからといって日常生活で困ることは滅多にないでしょうけれど
「理解している」度合いを自覚しておかないと
つい「分かったつもり」になってしまうような気がします。

「知っている」ことは「分かっている」ことのホンの一部でしかないはずです。

知識として「知っている」ためには、
ただ与えられた情報を覚えればいいわけです。
ともすると鵜呑みにしかねません。

「理解」していれば矛盾に気づけることも
「知っている」だけでは見逃してしまうかもしれません。
結果としてトラブルに巻き込まれて、必要以上に苦しむ可能性も…。

理解しようとする心がけだけでも役に立つところがあるんじゃないでしょうか。


この本なんかは助けになりそうです。



cozyharada at 23:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

2016年01月22日

交感神経ダイエット

普段、急いでいても走ることは多くないんですが、
少し運動してみようという意図と、電車の時間との都合があったので
先日はチョットだけ走ってみることにしました。

久しぶりに全身の筋肉に力が入り、心拍数が上がる。
それは予想できる範囲だったんですが、心肺が落ち着いた後も
筋肉に意識が向きやすくなっているのに気づきました。

注意に上がりやすい体の部位が骨格筋になる感じです。
軽い興奮状態に近いのでしょうか。

アドレナリンが出ているときのような感覚体験。
筋肉の血管も開いていたんだと思います。
体の表面に血が集まって、動く準備ができているとでもいうような。

中学校の体育の授業で『ウォーミングアップ』を習ったときは意味が分からず
無駄に疲れているだけのような気がしていたんですが、
全身の筋肉がスピーディーに強く動けそうに感じられたこの状態が
ウォーミングアップの目指すところなのかもしれないと思った次第です。

とにかく日常的に体で感じているものよりもアクティブで熱量が高い。
少なくとも交感神経系が優位になっていそうな印象を受けました。

そして同時に空腹感がない。
「満腹なのか空腹なのか、よく分からない」というのが正直なところでしょう。

運動部の合宿などで疲れ過ぎて食欲がわかない…というのも
運動系に体と意識の機能が集まってしまうのと関係があるのかもしれません。


このことは裏を返すと、僕は普段
もっと内臓よりの感覚体験に注意が向いていることを意味するはずです。

心理やコミュニケーションの方向性でトレーニングを積み
感情を中心とした身体感覚への意識を高めたのも1つの理由だと思われます。

そして自分の内面と向き合って、色々なわだかまりを解消してきた結果
日常的にリラックスしていることが多くなったのも関係していそうです。

日頃から筋肉に力を入れる機会が減ってきたように思います。
交感神経系が働くことも以前より少なくなった可能性もありそうです。

結果的に副交感神経系が優位になって過ごす時間が多くなり、
血流は内臓寄りになって、意識も内臓感覚に向きやすくなったのでしょう。

だからこそ余計に、少し運動しただけで
筋肉が活発になる感じが自覚されやすかった、と。

つまり一般的な傾向として、
 交感神経系が活発になって運動機能に注意が集まりやすいと
 副交感神経系と関わる内臓寄りの体感覚が薄れやすい
 (逆もまた然り)
ことがうかがえます。


これはなかなか筋が通っている印象を受けます。

筋張っていて細身でカチカチの身体をしている人の中に
せっかちで怒りっぽくてイライラした雰囲気を示す場合が多いようですし、
肉づきが良くて柔らかそうな体系の人に
おっとりと柔和な雰囲気の人が多いように見受けられます。

「太っていると優しそうに見える」という意見もあるかもしれませんが、
 普段から副交感神経系が優位でリラックスしている感じの人のほうが
 内臓への意識が高まりやすく、食欲に敏感になりやすい
ということも関係していそうに考えられます。

逆に、筋張って固そうな筋肉をした人ほど
普段から交感神経系が活発で、全身の骨格筋に力が入っていて
筋肉でのエネルギー消費が多い(基礎代謝が多い)と想像できます。

しかも交感神経系が優位なほど内臓に注意が向きにくく
空腹感も感じにくくて、摂取カロリーが低くなる可能性もあるでしょう。

総じて、交感神経優位でピリピリして全身に力が入ったような人ほど
太りにくいのではないか、ということです。

※実際にはストレスがかかって食べ過ぎるケースもありますから複雑ですが、
 その場合、交感神経・副交感神経のバランスが崩れているのかもしれません。


確かテレビで、子供の頃に貧しくて食事もままならなかったという俳優が
「お腹がすいたら身体の中心に力を入れて我慢する」
という空腹の対処法を話していたことがあります。
そうやって乗り越えてきた、と。

なるほど、身体に力を入れてキープすると
内臓への注意は下がるような気がします。

特に「身体の中心に力を入れる」というのは、
ともすると手足だけで力んでしまいそうなところを
上手く全身の大きな筋肉に力を入れる方法だとも思えます。

ダイエットで運動するというのは、実際のところ
エネルギー消費以上に自律神経系のバランスを変えて
そもそも太りにくい方向にシフトする効果があるんじゃないでしょうか。

骨格筋への注意が上がりやすくなるように運動する、あるいは
運動できなくても骨格筋に注意を集めるだけでも
食欲へ働きかけられる部分がありそうな気がします。

こういう観点のダイエット法を僕自身は聞いたことがありませんが
世の中にあるんでしょうか?
自律神経のバランスを狙う方法論。

わりと良いんじゃないかと思うんですが。

cozyharada at 23:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2016年01月20日

何度も見た夢

夢にどんな意味があるのかは分かりませんが、
昔の場面や古い知り合いが夢に出てきたりするのは
その日、久しぶりに意識に上がったことと関係する傾向は強いものです。


ちょうど先日の積雪の話から、
 「20年ぐらい前、毎週のように大雪が降ったときがあった」
ということが話題に上がりました。

当時僕は大学生で、ゴルフ練習場でアルバイトをしていました。
雪が降れば当然、練習場はクローズですが
早く復旧するためにバイトは雪かきの仕事で呼ばれます。

どういうわけか僕が入るときばかり、ちょうど雪かきの日だったんです。

駅までの道のりは自転車で10分ぐらいだったはずですが
積雪は30cmぐらいあって、駅まで出るのも大変だった記憶があります。


会話の中では別に詳しく当時の思い出を話したわけではありませんし、
自分としてもゴルフ練習場を雪かきした場面と
駅までの道が雪で大変だった映像が浮かんだ程度でした。

それ以外には、当時の記憶として意識に上がったものはありません。

にもかかわらず、久しぶりに学生時代の夢を見たんです。

期末テストの前日で、全然勉強が進んでいない夢。
「ヤバイ、ヤバイ」と焦りながらも何から手をつけていいか分からない。
…そんな嫌な夢です。

細かい場面は変わりますが、このタイプの夢、以前はよく見ていました。

実際には、テストの前日に何もしていないなんて経験はなく、
「計画的にコツコツ」とは言わないまでも、ある程度準備をしていたので
どこからこの焦った感じが来るのかは見当もつきません。

それでも、このタイプの夢を見て焦った状態で目を覚ますことは多かったんです。

それが久しぶりにありました。
学生時代の記憶とセットになっているんでしょう。

直接的に勉強の場面まで思い出したわけではないんですが、
大学生時代の雪の話をキッカケにして、当時のことに関わる記憶が、一通り
意識に近いところに上がってきたような感じだと思われます。


何度も繰り返される気になる夢ですし、それが久しぶりとなると
なんだか、いつまでも心の中に潜んでいる部分のような気がしてきます。

実際の経験として痛い目に会ったことがあるわけではないのに
夢で繰り返し嫌な思いをしていると、まるで実体験から学習したかのように
実生活での行動パターンに影響が出るのかもしれません。

僕の場合、こういう夢を何度も見ていたおかげで
知らず知らずのうちに「前日に何も準備をしていなくて焦る」苦しさを避けるため
必要最低限の準備を前もって始める意欲が沸いていたのではないか?と。

そんなメリットがあった可能性は思いつきますが
どうしてそんなことが起きるのかは想像もつきません。

夢は本当に分からないことばかりで、同時に
意識や学習の性質についてヒントをくれるものでもありそうです。

cozyharada at 23:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 心理学

2016年01月18日

あえて崩す必要性

展覧会の会期は終わってしまいましたが
今年はこんな作品を出品していました。

強く書くのを意図したものの、難しかったです。
いろいろと課題が見つかります。

とくに「まとまり」ではなく「広がり」や「伸びやかさ」を出すのがテーマでしょうか。

2016独立






























普段の練習では半紙の小さな紙面になってしまいますから
どうしても「まとまり」が重視されやすくなるようです。

ポイントはおそらく、
 ・スピードとリズム
 ・粗密のバランス
だと思われます。

線を引くときのスピードや、運筆のリズムによって
線のかすれや、端の部分の収まりが変わってきます。

形のバランスを意識していると、どうしても筆運びが穏やかになりやすい。
事前に形を心がけておいた上で、リズムを意識しながら書く
…というスタイルが重要かもしれません。

特に形のバランスについては、普段の練習で
 バランスを均等にとる
方向を心がけることが多いので、
「いかにバランスを不均等に崩しながら
 全体としての形で折り合いをつけるか」
が大事になってくるんでしょう。

わざとバランスを崩す練習をする必要がありそうです。

「練習」というか「お試し」といった感じでしょうか。

普段だったらやらないことを「試しに」やってみる。
ただの「トライアル」です。

それで結果を見てみてフィードバックをしていく。

「まとまり」ができてきた頃には、あえて一度「崩し」として
ランダムに、大袈裟に、普段とは違うことをやってみるのも
技術の幅を広げる上で役に立つものかもしれません。

書道だけでなく、コミュニケーションにも当てはまる話ですが。

2016年01月15日

絵の味わい方

開催期間が残りわずかになっていますが
今年も独立書展に出品してあります。

ちょうど打ち合わせで都心部に出る用事があったので
その後、六本木に出かけて鑑賞してきました。

独立書展は国立新美術館。
乃木坂駅直結で東京ミッドタウンに近いところです。

そして少し歩くと六本木ヒルズもあって
そちらには森アーツセンターギャラリーもあります。

ということで美術館をハシゴすることにしました。


1月14日から始まった「フェルメールとレンブラント」展があったので
これを見てきたんです。

ルネッサンスや印象派も好きですが
17世紀オランダぐらいの絵画も好きなので、
絵画と書道という2通りの表現方法を堪能できた感じがします。

フェルメール、レンブラントともに光を表すのが特徴のようで
当時のオランダの画風では、光に焦点を当てたものが多い印象。

静物画や肖像画なんかは物の質感を表現するのに力を入れていて
光そのものといった感じとは違うのかもしれないものの、
「光に照らされたもの」の様子を反射光として描いているのは
当時の流行だったのかなぁと想像するところです。

印象派まで行くと、空気中の光の散乱を描いたものや
内的表象として強調されたサブモダリティとしての光が見てとれて、
そちらと比較すると写実的に光を描こうとしているように思えます。

写真にしたらペタッと潰れてしまう物体の質感が
絵画だからこそ手触りを想像できるようなリアリティを強調しつつ
描き表わすことができるんでしょう。

ジョセフ・スワンが電球を発明し、エジソンが白熱電球を実用化したのが
1800年台中ごろ以降ですから、当時のオランダには電灯はありません。

多くの絵画が薄暗いのは、単純に暗い室内で描かれたこともあるはずです。

その中で、オランダの画家は薄く長く差し込む光を描くことが多い気がします。
西日のような、冬の陽射しのような、そんな光の差し込み方。
オランダの緯度が関係しているのかもしれませんが。

そして光の反射の性質に注目した絵が多い分、
ハッキリと光が当たっているものが強調された印象になります。

特にフェルメールなんかは焦点距離からも奥行きが見てとれますから
ピントが合って光の反射が強く表れるところに注目ポイントがある。

実際、
 絵の中で光の差し込む角度、
 強調された光の反射が統一されて見える角度(絵に対して)
 水平方向の画角(見上げている目線か、見下ろしている目線か)、
 視野に入る絵のサイズ、
 視野の中でピントの合い方が一致する距離…
あたりを合わせるようにして絵を眺めると、
その絵の世界の中にいるような気分を味わえます。

光の温かみや当時の空気感のリアリティが引き出されるわけです。

いわば画家の目線になって絵を見るということ。
画家が見ていた世界をそのまま見たいんです。

それで初めて画家の心の中を垣間見れる。
ペーシングです。


そのためには絵を見る位置が大事なんです。
右側から斜めに見るのか、正面からか、左側からか。
下から見上げる感じなのか、少し見下ろす感じなのか。
どのぐらい離れた位置から見るのか。

そういった絵を見る場所が重要。
そこからどの部分に視野の中心を置いて、
どれぐらい視野を絞りながら見るかを調節します。

ところが美術館で置かれる絵の位置は、大体同じ高さで決まっています。
だから少しかがんだり、背伸びしたりしないといけない。

「これ以上近づかないでください」という柵があったりはしますが、
その距離で見たら近すぎることが多いように感じます。

画家の目線の立ち位置とは無関係な展示になっているのが
僕にはチョット不満です。

そして見る位置を調整しようとしていると
当然のように僕の前に入ってきて絵を見る人がいます。

「そんなに近くから見たら…」という距離。
なんなら柵から身を乗り出して見る人や
双眼鏡を使ってアップにして見ている人までいます。

確かに「どうやって描いているのか」に注目するなら
近くで見たい気持ちは分からなくはありません。
絵を描く人の視点なんでしょうか。

映画館で最前列に座って、双眼鏡を使って見る人はいませんから
その世界の中に感情移入しようと思ったら
あまりアップにすることはないんじゃないかとも思います。

まぁ映画にしても、ストーリーより台詞まわしとかカット割りとか
グラフィックとか特殊効果とかに興味がある人もいるわけなので
楽しみ方は人それぞれといったところなんでしょうが…。

僕としては、
 画家が絵に表現したかったものを感じ取りたい
という狙いが強いんです。

その人が絵を通して表現したかったものでしょうから。
心の訴えであって、生きた証のようなものにも思えるんです。

人の笑顔や涙に表れた気持ちを感じ取ろうとするのと似ています。
そこに人生が表れます。

笑顔を見て、シワの角度や本数を数えたりはしませんし、
涙の量を測定したり、涙の成分を分析したりもしません。

僕にとって絵画鑑賞は画家とのコミュニケーションのようなものなんでしょう。

そのために最適な場所から絵を見ようとしている。
なのに途中で目の前に人が入り込んでくるわけですから…。

カウンセリングの最中に、突然やってきた人たちが
好き勝手にワイワイ騒ぎ始めるようなものに感じられてしまいます。

美術館を借り切るか、好きな絵を買うか
最終的にはそれぐらいしかないのかもしれません。

2016年01月12日

【セミナー】援助の態度を吟味する

ご案内: 1月31日(日)開催

   カウンセリング講座 〜援助の態度を吟味する〜



開催まであまり期間がありませんが、
1月31日(日)のセミナーのご案内です。

2月以降はスケジュール的に開催予定が不明瞭です。
もしかすると次は数カ月後かもしれません。

カウンセリングの形式をとりますが
援助的に人と関わる上で重要な部分をトレーニングしますので
日常のコミュニケーションでも役に立つ内容だと思います。


自分とは別の人間だと分かっていながら手助けをしようとするとき。
親しい間柄なほど放っておけず、心配になってしまうこともあります。
相手を大切にしたいからこそ、慎重になり過ぎてしまうこともあります。

余計なお世話はしたくないし、相手を傷つけてしまうのは困るし、
かといって放っておいて大変なことになっては嫌だ…。

援助的に人と関わるときには、そういったジレンマも少なくないかもしれません。

この講座ではカウンセリング技術の側面もさることながら
援助的に人へ接するうえでの態度について考えます。

『受容と介入のバランス』を吟味するわけです。

自分自身の持ち味を活かしながら
相手の心にもっとも届きやすい関わり方のバランスを見つけるトレーニングです。

個別のコミュニケーション技術や方法は本でも勉強できますが
技術を使い分けるタイミングには体験的なトレーニングが欠かせないでしょう。

とくに今回は、その人らしさ・個性を視野に入れながら
持ち味に合った受容の仕方、介入の仕方を見つける実習を行う予定です。
今までよりも安心して人に向き合えるようになるだろうと期待しています。

ご興味が合えば、どうぞお越しください。


技術的にはカウンセリングのコミュニケーションで使う手法を
その効果と狙いを整理しながら磨いていきます。

相手のリズムや力感、気分に合わせて自分の振る舞いを変える『ペーシング』も
常に相手と100%合わせるのが効果的なわけではありません。

信頼関係が充分に築けた後であれば、話の内容の重要度によっては
じっくり話すことがかえって本題へ移りにくくさせてしまうこともあり得ます。
むしろ本題に切り込むために相手を遮ってでも質問するほうが良いかもしれません。

相手にじっくりと考えてもらったり、自分の気持ちに気づいてもらったりするときも
「どれだけ待つのか?」、「どこで助け舟を出すのか?」で影響が変わってきます。

クライアントに力があって、能力を磨いていきたい時期に来ていれば
のんびり本人のペースで説明してもらうよりも、あえてペースを早め
負荷をかける形でトレーニング効果を狙うこともあります。

つまり、「カウンセリングでは、こうするのが正しい」と
一口に言いきれるものではない、ということです。

状況に応じて、効果を予測しながら関わり方を選択するわけです。

質問によって、本人に考えてもらうのか?
それとも
こちらから考え方を提示するのか?

相手の気持ちを代弁することで共感を示すのか?
それとも
触れて欲しくない可能性を考えて言葉にしないのか?

本人が気づくのを信頼して待つのか?
それとも
強い態度で指導的に介入するのか?

…どうしたらいいのか迷うはずなんです。

どのように対応すべきか相手の希望を確認するのも1つですが
相手に確認したときの影響だってあるわけです。
結局は、相手に確認するかどうかさえ迷うんです。

その意味では、常に自分が選択を繰り返すことになります。

1つ1つの言葉がけ、1つ1つの技術、1つ1つの表情や声のトーン…
そうしたものが相手に及ぼす影響を想定しながら
自分で選ぶ必要があります。

もちろん常にではなくても良いかもしれませんが、
大事なときこそ吟味する必要があるでしょう。

自分の癖で上手くいかないパターンに入ってしまう可能性もありますから
「どういう対応をつい自分がしてしまうのか」を知っておくのも有益です。


講座中では、
・ペーシング
・具体化/明確化の質問
・気づきを促す質問/言葉がけ
・リフレーミング
・ねぎらい
・力づけ
といった基礎の技術を練習しながら、
それぞれの効果とリスクを振り返るトレーニングをします。

とりわけ自分が自然にやっているパターンに気づき、
他の効果が期待できる関わり方を練習するのがポイントです。

常に相手のペースに合わせる傾向があるなら
ときとして少し強めな態度を示してみる。

気づきを促すのが得意なのであれば
受容的に包み込むような聞き方を練習してみる。

感情移入しやすくて心配になり過ぎてしまうなら
相手の可能性を信じる安定感を示すようにやってみる。

淡々と状況を理解するのが得意なら
思いやりの様子を表現してみる。

謙虚に関わる傾向があるなら、
ときには専門家としての自信を見せてみる。

このように、同じ技術を使おうとしても
相手に与える影響は様々なわけです。
その効果の方向性を知った上で、幅を広げようというのが趣旨です。

言葉の内容としてメッセージの種類を増やすだけでなく、
非言語メッセージの内容としてもトレーニングをします。

姿勢や表情、声の出し方などでメッセージ性をコントロールする練習です。


こうしたトレーニングを積むことで
相手との距離感を意識できるようになります。

「つかず離れず」という一定の距離を取るわけではありません。

一気に近寄るときもあれば、距離を置くこともある。
それは相手が必要としているサポートによって変わります。

「信頼してもらっている」と捉えられるか
「冷たい」と捉えられるか。

「自信をもって関わってくれている」と捉えられるか
「寄り添ってくれない」と捉えられるか。

言葉の内容と、その言葉の伝え方(非言語メッセージ)によって
相手への影響を工夫しようというトレーニングです。

ここが少しでもコントロールできるようになると
自分で意図をもって相手に接することができます。

意図をもって堂々と対応している自信が
コミュニケーションに好影響を及ぼします。

どの手法が正しくて、どのやり方が問題だという話ではないんです。

自分が意図したメッセージを、堂々と届けられるかが大事なんです。

それによって相手は
「この人は本気で自分のために関わってくれている」
という印象を持ちやすくなります。

相手を思う気持ちが、言葉の技術と態度にハッキリと表れるからです。

おそるおそるでもなく、自分勝手でもない
相手を本気で思いやるからこそのメッセージが
言葉と態度で一致するんです。

誰かのためを思ってカウンセリングやコミュニケーションの技術を学ぶ…。
その想いが相手に届きやすくするためのトレーニングだといえます。

自分以外の誰かのためにコミュニケーションをしようという方にはオススメです。

大切な相手との関わり方を見直してみたい人、
人を真剣に思いやりたい人、
優しさの表現の仕方に迷いのある人、
なぜか周りから頼られてしまう人など、

お越しをお待ちしています。



※もしかすると最少決行人数に届かない場合もあるかもしれません。
その際には改めてお知らせいたしますので、なにとぞ御了承ください。



◆録音/録画、再生機材に関しまして
講座全体の内容は、ICレコーダーやビデオなどで
記録いただいても構いませんが、あくまで
個人的なご利用の範囲でお願いいたします。

※ただし、プライベートな内容の扱いに関しましては
 十分にご配慮ください。





【セミナーの詳細】

≪カウンセリング講座 〜援助の態度を吟味する〜≫

【日時】  2016年 1月31日(日)
       10:00〜16:30


       ※終了時間は30分程度まで前後する場合があります。


【場所】 滝野川会館 303集会室
    (JR京浜東北線・上中里駅 東口より徒歩7分)
    (東京メトロ南北線・西ヶ原駅より徒歩7分)
    (JR山手線・駒込駅 北口より徒歩10分)


【参加費】 ・・・15,000円

       当日、会場にてお支払いください。


    ★定員に達した場合、キャンセル待ちとして受付させていただくことになります。
     ご了承ください。

    ★ごく稀にメールフォームが誤作動をする場合があるようです。
     お申し込みの方には、こちらから確認のメールをお送りしていますので
     もしお申し込みの後で確認メールが届かない場合には
     お手数ですが再度フォームの送信をお願いいたします。





終了しました

カウンセリングに限らず、さまざまなコミュニケーション技術で
「寄り添う」という言葉が使われるのを耳にします。

「寄り添う」というイメージは大切でしょうが、
当然「寄り添い方」に個人差があるものです。

相手の求める寄り添い方でなければ、厳しくいうと
自分が寄り添っているつもりなだけで
相手は寄り添ってもらっているとは感じないかもしれません。

さらには相手の心の中にも沢山の気持ちが共存しています。

苦しいから立ち止まっていたい気持ち。
それでも前に進みたい気持ち。

変わりたいし、変わらないでもいたい。
分かってもらいたいし、簡単に分かられたくもない。
頑張りたいし、頑張るのをやめたい。
成長したいし、ありのままの自分でもいたい。

様々な想いが心の中に表れます。

それぞれに寄り添いたいわけです。

だからこそ相手に合わせ、状況に合わせて
技術を使い分ける必要がある。

効果が出るか出ないかの前に、
相手の求める方向性に合わせたいんです。

方向性があっていれば、
「自分のために関わってくれた」
という印象が何よりの支えになるからです。

人が人によって支えられ、人によってこそ癒される。
そのことを実感できる心の繋がりを可能にするのが
「相手の求める寄り添い方」に寄り添うことでしょう。

だからこそ技術そのものとは別のレベルで
関わり方の態度を吟味しておくのが大切なんだと思います。

想いや技術の届け方をトレーニングする機会だということです。

せっかくのものを空回りさせないためにも
自分自身をチェックしてみてはいかがでしょうか。

2016年01月10日

やっと

たいした話ではないんですが、やっとAmazonから連絡が来ました。

注文していた「 The Mentalist 」のシーズン6のDVDボックスが入荷したとのこと。

内容も楽しみなのは当然ですが、一年ぶりという周期が丁度いいんです。
英語のリスニングがどれぐらい変わっているかがチェックできます。

とはいえスケジュール的には、のんびりと見ることも厳しそうなので…。
まとめて一気に見るというわけにはいかない感じです。

年末のタイミングに合わせられなかったので仕方ありません。

噂ではシーズン7で終わりだとか。
見始めのシーズン1、2あたりはDVDで持っていませんが、
こうなってくると全部もっておきたくなります。

いろいろと参考になる部分もありそうですから。

2016年01月08日

体の使い方

この新年、二年ぶりにゴルフをしました。

ある程度は新年の恒例行事のようになっていたゴルフですが、
去年は予定が合わず、残念ながら行けませんでした。

練習場だけは一年前に一度行っていますから、
ゴルフクラブを握ったのは一年ぶり。

まぁ練習をしたうちには入らないでしょう。
なんとなく運動をしたぐらいのものだったと思います。

一般的なゴルファーの頻度ではないかもしれません。

それでも面白いもので、それほど下手にはならないものみたいです。


会社にいた間は週に一度か2週に一度ぐらい練習に行っていたのが
会社を辞める頃からゴルフをしなくなっていました。

僕にとっては練習の比率が大きかったので
日頃の予定や、ゴルフ練習場の立地条件などが合わなくなったのが
ゴルフ離れの主な原因だったと思います。

振り返ると、もう10年ぐらいは年に一度のゴルフになってしまっています。

当然、日頃から練習をしなくなれば腕は落ちます。

それでも、5年ぐらい前からでしょうか、
ある程度の状態は何もしなくても維持できるようになってきたようなんです。

影響しているのは、NLPや心理系のトレーニングの結果
自分の状態や動作を自覚する・意識に上げる度合いが高まったことでしょう。

数をこなして体で覚えこませるようなことをしていたのが、
体の様子をモニターしながらコントロールする能力が上がって
練習量でカバーしなくても良くなったのではないかと思われます。

もちろん、この状態で練習を重ねれば
前よりも上手くできることを増やしていける気はしますが。

そのうえ体のケアを受けるようになって、体の動きもスムーズになったようです。

おかげで体のバランスへの意識も高まりましたから
ゴルフをしている最中にも、体の歪みや姿勢に注意がいきやすく
修正や調整も頻繁にできるようになっていました。

アプローチの距離感のような細かいアジャストの部分は
慣れが失われている分、衰えを避けられていませんが、
体全体を使ってイメージ通りのスイングをする能力については
頻繁に練習していた頃よりも良くなっているかもしれないぐらいです。


ただ残念なのは日ごろの運動不足もあって、体力がないことです。

筋持久力が足りず、予定した通りの動きに筋力が追いつかなくなります。
時間が経つにつれて、イメージ通りに体が動かなくなる。

これに関しては日々のトレーニングと
スイングをする回数で筋力を高めていくしかないのでしょう。

やはり加齢に伴う体力の衰えというのがあるみたいです。


その中で、今年一番の発見もありました。

痛みのケアです。

僕は右ひざが痛くなりやすいんです。
ゴルフをやって長時間歩いたり、斜面で踏ん張ったりすると
どうしても右ひざに負荷が表れていました。

プレー途中から膝が痛くなることもありましたし、
少なくとも、帰ってきてからは痛みが出ていたものです。
2,3日は痛みが残っているのが普通でした。

ところが今回は自分で体のバランスに気をつけたり
固まってきている部分をストレッチしたりしながらプレーした結果、
最後まであまり痛みを感じることなく過ごすことができました。

帰ってきて体が冷える頃からは痛みが少し出てきましたが、
それでも自分でマッサージをしたら痛みをなくすこともできたんです。

翌日も痛みはなく、こんなにスムーズなのは珍しいです。
頻繁にゴルフをしていた頃にもあった痛みでしたから。

階段の上り下りでも何ともありませんし、
かばうようなところもありませんでした。

体の状態がよくなってきていることと、
自分でケアする方法が身についてきていることが
最近の大きな収穫です。

cozyharada at 23:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《心を調える実践会》

【日時】 2017年9月10日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 滝野川会館
    304集会室

    JR上中里駅より7分
    JR駒込駅より10分
    南北線西ヶ原駅より7分


【日時】 2017年9月24日(日)
     10:00〜16:30


【場所】 北とぴあ
    801会議室

    JR王子駅より2分
    南北線王子駅直結

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次回開催は10/15の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


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《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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