2016年08月

2016年08月29日

花の見方

正直に言うと、僕はあまり花が好きではないんです。

遠くからボーッと眺める分には
色合いが美しいなぁとは感じます。

が、花束ぐらいのサイズになって、目の前で見られるようになると
色々な部分の形やパターンが気になってしまいます。

花びらの形とか、葉っぱの質感とか、雄しべや雌しべの様子とか。

ツブツブが集まっていたり、粉っぽかったり、
ニョロニョロしていたり、渦巻きだったり…。

特に、花びらにしても葉っぱにしても
厚みのあるヤツが質感を想像してしまって苦手みたいです。

シダの仲間なんかも細かいパターンが繰り返されて
ついつい注目してしまいます。


どうやら細部に注目し過ぎなんでしょう。

同時に繰り返されるパターンを認識しようとする癖があるみたいです。

パターンがシンプルだと気にならないですし、
パターンが分からないぐらいランダムなら大丈夫。

ウネリとか、ツブツブとか、シワシワとか、毛羽立ちとか、
複雑さが厄介なんだと思います。

花を近くで見ると、そういう部分に目がいってしまって
色合いからは気が逸れてしまうんでしょう。

南国の大きくて肉厚な花は
特にグロテスクに感じてしまうんです。

注目のポイントを変えれば美しく思えてくるんだとは思いますが
細かく注目して仕組みを理解しようとする傾向は
僕の着眼点の基本のような癖なので厄介なのかもしれません。

実際、僕の持ち物はシンプルなものが多いですし。


桜とか梅とか、遠くから見られる花は
細部が気にならないので好きなんですけど。

cozyharada at 23:44|Permalinkclip!NLP | 心理学

2016年08月26日

新宿東口の様子

新宿の歌舞伎町あたりに行ってきました。
といっても昼間に通り過ぎただけですが。

英語のテスト対策の予備校が新宿西口にあったり、
打ち合わせで西口にあるホテルのラウンジを使ったり、
ブックファースト新宿店に行ったりと、
新宿の西側を訪れる機会は定期的にあったんです。

しかし東口となると、ほぼ紀伊国屋だけ。

それも地下道を通ってしまっていましたから
東口の地上を歩くことは無かったんです。

ですから東口、とくに歌舞伎町方面となると
もう15年ぶりぐらいだったんじゃないかと思います。


大学が高田馬場にあった関係で、サークルの飲み会なんかは
新宿あたりで行うことが多かったんです。

また実家からの交通の便が良かったこともあり、
映画を見に行くときも新宿のコマ劇場の近くでした。

学生時代はラジオをよく聞いていて、
同じラジオ番組を聞いていた友人と舞台を見に行ったりもしました。
コマ劇場だったり、その近くのシアターアプルだったり。

社会人になってからも夏休みに関根勉の舞台を見るために
新宿のシアターアプルに足を運んでいたものです。

そういう関係で、新宿東口の歌舞伎町というか、コマ劇場近くは
僕にとって比較的馴染みのある繁華街だったわけです。

しかし今、そのあたりは一変しています。


道を広げたのか、なんだか広々とした感じです。
太陽の光も届くようになって明るくもなったんじゃないでしょうか。

当然、店も建て変わっていますから綺麗にもなっていました。
たしか新宿を整理するような政策があったような気もします。

飲み屋街の通りには有名なロボットレストランがありました。

大通りに面したあたりも家電量販店やデパートが建て替わって
ブランドショップなんかも多くなっている。

何よりも大きな変化は、コマ劇場がなくなったこと。
あの一画が全て壊され、1つの大きなビルになっていました。

上のほうはホテルになっていて、下の数フロアがTOHOシネマという作り。
屋上に巨大なゴジラの頭がくっついていることで有名なビルです。

僕が通ったコマ劇場近くの景色はもうありません。
綺麗になっただけでなく、雰囲気も一変した感じです。

以前の新宿らしさはなくなったのかもしれません。


外国人観光客も大勢歩いていました。
欧米人もアジア人も。

店には免税の表示が溢れ返っています。

なんというか、外国人向けにCool Japanを押し出した印象を受けました。
日本の都会のイメージと、ジャパニーズ・サブカルチャーとを組み合わせ
誇張して分かりやすく見せているような感じです。

家電量販店や薬局の展示などは雑多で、ウルサイ雰囲気で
中国人観光客の好みが最優先であるかのようです。

何をしたらお金が儲かるかはビジネスをする上で重要でしょうが、
なんだか少し迎合の度合いが大きいような気もしました。

観光地の宿命なのかもしれません。

変化は当然のこととして起こるものだとは思います。
時間がたてば景色は変わり、以前の懐かしいものはなくなっていく。

ただその方向性が、それまでの延長線上でなくなった気がしたんです。

世の中が国際化していくということは
変化の方向性もまた一緒に変わることなのでしょうか。

2016年08月23日

トレーニングの環境

イギリス英語の発音に興味を持ち始めた時期は正確に覚えていませんが
興味を行動に移したのは一年前の夏でした。

ある英語音声学者が、英語教育関連の会社が主催するセミナーで
イギリス英語の発音について取りあげていたんです。

仕事のスケジュールと都合があったため、参加してみました。
それが7月末ぐらいだったでしょうか。

それから数週間後に、その講師個人が主催する
イギリス英語の母音に特化したセミナーにも参加してみました。

その後、母音だけでなく、イントネーションやリズムまで扱う講座に出て
その講師から個別のフィードバックをもらったりしながら練習をしました。

ですから講座を受けていた正味の時間は15〜20時間ぐらいでしょうか。

それだけの練習で長年の癖を修正するのは大変なようなので
あとは自分で心がけながら練習をしたり、
英語を話す機会で発音に気をつけたりして過ごした感じです。

発音を心がけながら話せる余裕があれば
まぁ、それなりにイギリス英語寄りにはなった気がしますが
まだアメリカンな部分が混ざってしまうことがあるのを自覚します。

会話の相手からの影響を受けやすい僕としては
できるだけイギリス英語を話す人たちに囲まれた時間を過ごすと
結果的に自然な形で身につきやすくなるのではないかと想像しています。

ただ残念ながら、今のところ僕にはそういう環境が見つかっていません。


週一回通っている英会話では、隔週でイギリス人の講師をお願いしているものの
彼の話すスピードは非常に速く、ペースを合わせようとすると
逆に発音への注意が疎かになってしまいます。
(イギリス人は早口が多い気もしますから役には立っているのかも)

そのうえ、イギリス英語ではあっても、それほど強いアクセントでもない。
話すスピードの速さもあってイントネーションも小さくなりますから、
こちらとしてもイントネーションに気をつけるのが難しいんです。

他のところでもイギリス人講師を探そうとしたことがありますが
これも大変で、なかなか見つかりません。

また、とにかく会話の中で自分が発音に気をつければいいかという観点で
気軽に英語を使うような環境(英語の勉強会のようなもの)も試してみました。

ところが、こういう環境だと集まってくる人に
イギリス英語を話そうとする人はほぼ皆無でした。

講師の立場になる人もアメリカ人やアメリカ留学経験のある人で、
参加者もアメリカ英語をベースとした人ばかり。

日本の英語教育がアメリカ英語を土台にしているので
それも仕方がないのかもしれません。

一人だけイギリス英語発音にすることで浮くぐらいなら気にしませんが、
厄介なのは、日本人英語学習者の多くがイギリス発音に慣れておらず
僕の英語を理解してもらえないことが多々あるというところ。

僕自身もイギリス発音を勉強する前は
イギリス人の発音を聞きとるのに苦労していましたし、
発音の違いで知っている単語なのに認識できないことも多かったものです。

その場だと、アメリカ発音に換えて同じ内容を繰り返したりする必要もありました。

自習の場としては悪くないですが、効率的ではなさそうです。


「それなら…」ということで、イギリス英語の本場とでも呼べそうな
ブリティッシュ・カウンシルというところのセミナーに参加してみることにしました。

奇遇にも、あの最初に参加したイギリス英語セミナーが開催されていた会場と
同じビルの別フロアです。


イギリスの公的な国際交流機関がやっているだけあって
英会話スクールの形においても、テスト対策の講座においても、
その他の英語関連の講座においても、講師は全てイギリス人です。

他にも色々と英会話スクールや講座がある中でわざわざ受けにくる人たちも
イギリスという国や文化、そしてイギリス英語に興味があるようです。

にもかかわらず、出会う人たちはやはり
アメリカ英語の影響を強く受けている傾向が見受けられます。

どんなにイギリス英語に興味を持ったとしても
日本の英語学習の流れからすると、
どうしても最初にアメリカ英語と接してしまいますし、
テレビで見かけるハリウッド映画や、英語関係の番組などの影響からも
アメリカンな英語の使い方を目にすることが多いのでしょう。

せっかくイギリス英語ばかりの環境に身を置こうというのに、そこまでの影響からか
日本語訛りとアメリカアクセントの混ざったような英語になる人が大部分です。

僕が参加したのは発音講座ですが、そこにもアメリカ発音の人が多かったんです。
聞いていると、イギリス発音に変えようという意思が感じられないぐらい
それまでのアメリカ発音ベースの話し方を続けていました。

その講座は発音がテーマで、しかもイギリスの機関がやっているのですから
イギリス英語の発音に特化してくれそうなイメージを受けるのが一般的でしょう。

実際、僕もそれを期待して参加しましたし、他の受講生の中にも
昔イギリスに住んでいたとか、留学していたとかいう経験がありながら
「日本でアメリカ人と話す機会が多かったせいで発音が混ざってしまった」
という人がいて、その人たちもやはりイギリス発音に直したいのが参加動機でした。

それでも全体的な雰囲気が決して「イギリス発音を身につけよう!」というほど
強いものではなく、教室にいるイギリス人は講師一人だけの状況ですから、
当初期待していたほどの「イギリス英語に囲まれた環境」ではなかったんです。

むしろイギリス人の講師からすると
「英語といえばイギリスのもの」とでも言わんばかりに
アメリカ英語については無視したような進め方になります。

イギリス英語の発音の仕方を”正しいもの”として紹介するばかりで
多くの日本人学習者がそれまで身につけてきたアメリカ発音との対比はない。

アメリカ英語っぽく発音しているために”正しい”イギリスの音から外れていようが
日本語訛りで発音しているために”正しい”イギリス英語の音から外れていようが、
イギリス人講師からすると「違う」という基準でしかないようです。

ですから、講座で扱う内容は、あくまで「発音」の練習であって
一般的ない英語教育でなされる発音トレーニングと同様だと思われます。
過去に僕がアメリカ人の発音トレーニング講座に出たときと内容が重複しますし。

違いはただ、練習するときの基準となる音がイギリス発音だということぐらい。

日本人からするとアメリカ英語に寄せるような教育を受けた影響で
イギリス英語の発音は”学び直し”になる印象があることを
あまり気にしてはくれていない感じがします。


もっというと、担当する講師にも、講座全体の趣旨としても
「訛りがあるのは仕方がない」、「ネイティブと同じ発音を目指す必要はない」
という前提があるようなんです。
時々そうした意味の発言が出てきます。

あまりにもネイティブからして聞きにくいのは避けたほうが良いだろうが、
ネイティブ並みの発音を目指す必要はないだろう、と。
世界には色んな発音の英語があるんだから、それで構わない、というんです。

こちらとしてはイギリス発音に興味を持っているのですから、
それを言われてしまったら学ぶ理由がなくなってしまいます。

仮に「発音よりも大事なことがあるんだ!」と
もっと優先度の高いことを教えてくれるのであれば、
表面上の講座の趣旨を否定するのも構わないでしょう。

裏の目的があって、そちらを重視した講座だとしたら
参加して得られるものも期待ができます。

ですが、ただ講座の趣旨を否定するだけでは
「まぁ、だいたいで良いですよ」と言われているようなもので、
いわば「参加するほどもない」と指摘されたような印象さえ受けてしまいます。

そのうえ、受講生の中にも同じような発想の人がいて
「まぁ、完璧である必要はないでしょう」というスタンスで受講をしていたりする。

そもそも講座中にイギリス英語を使おうとしている人が少ないんです。
そうなると、こちらもアメリカ英語に釣られそうになってしまいます。

イギリス英語の大御所のようなところでも、
イギリス英語を話そうという人は多くないのかもしれません。

興味を持ったはいいけれど、
効果的にトレーニングする方法が見つかっていないというのが現状です。

練習して染みつけることを考えた場合、練習環境も重要だと思うんですが…。

また別の手段も探してみます。

cozyharada at 23:19|Permalinkclip!NLP | 心理学

2016年08月20日

古い情報

インターネット上の情報の特徴として
 いつまでも残り続ける
というのがあると感じます。

このブログに関しても、どうやら2007年から始めたようで
もうすぐ10年になろうとしています。

そのときどきで自分が思ったことを書いているだけですから
今とは随分と違った考えもあるでしょう。

そういうのも記録として残ってしまいますし、
残っているだけならまだしも
誰かが検索したときに古いものが引っかかることもあるはずです。

実際、ブログ更新のためのトップページにはアクセス数の多い記事が表示され、
その中には何年も前の内容が含まれています。

今とは違った発想から出ている意見も記載されたままでしょうし、
逆に今、自分自身で振り返って読んでみて、納得することもあるかもしれません。

ちょっと恥ずかしいような、懐かしいような、なんとも複雑な気分です。


聞いたところによると、詩人(?)の”相田みつを”氏は
すでに売れて他人の手に渡っていた自分の初期の作品を買い戻して
自ら燃やしていたことがあるんだとか。
(テレビで見た記憶を頼りにしていますから不正確かもしれません)

個人の見解や、そのときの心情を形に残す以上、
それはいつしか本人からすると古いものになるはずです。

科学論文のように客観的に検証可能なデータであれば
時間が経っても、その内容には変化がないでしょうが、
主観的な意見は個人の経験によってシフトしていくものでしょう。

昔に表現した見解は当時の状況とセットになって意味を成すと考えれば
その表現内容だけが一人歩きしてしまうと、
うまく伝わってくれないような”もどかしさ”もあるような気がします。

芸術性をもったようなものであれば、なおさら、過去の作品を見ることで
過去の自分の技術の未熟さを恥ずかしく感じたり
物事の本質の理解度が低かったことを思い知ったりするかもしれません。

「今の自分を過去の作品で評価されたくない」
といった気持ちにも通じるんじゃないでしょうか。

しかしながら他人はそういう見方をしないようです。

イチローの名言とされるものも
それがいつのものかは無視されて紹介されます。

仮に10年前のイチローの発言が世間的に名言として扱われていたとしても
今のイチローからしたら、もっと違った見解になっていて
”若気の至り”のような印象を持っている可能性はあるはずです。

歴史上の人物が残した名言にしても、有名な芸術作品にしても、
 どういう時代背景の中で、どういう経緯で、アウトプットされたのか?
という本人の内面までは注目されないことが多い印象を受けます。

同様に、誰かがインターネット上に残した見解が、かなりの時間を経ってから
大事なメッセージとして取り上げられることもあると思うんです。

そうなったときには、その内容は既に本人の手を離れているから
記事を書いたときの本人の気持ちも、話題になったときの本人の気持ちも
どちらも世間一般からしたら無関係なことになりそうです。

アウトプットしたものが他人の目に触れるということは
そんな性質を含んでいるもののように感じます。

恐れるほどではないのかもしれませんが、
僕の中では少し引っかかる部分です。


じゃあ、過去の内容を全て削除したいかというと、そうでもない。

ふとしたキッカケで見直してみたりすると
当時の自分の心境が少しだけ思い出されるような感じもあります。

そのときに一層思い出されるのは、当時の状況です。
世の中では何が起きていたか?自分は何をしていたか?

そういった時間の移り変わりを感じさせるものとして
以前の内容が懐かしくもあります。

特に、その時期に自分がなにを勉強していたのかを思い出すと
今の自分の習得度と比較して、当時からの変化も感じられます。

しかもどうやら僕の場合、何を勉強していたのかを考えて
そこから「どんな作業をしていたか?」と振り返っていくと
勉強していた場面の映像として当時の体験が蘇ってきます。

自分がどんな場所に行って、どんな行動をしていたかが思い出されるんです。

最初から「○○年には何をして、どんな所に行っていたっけ?」と考えても
なかなか思い出されてこないのに、
何を勉強していたのかを基準にして振り返っていくと記憶が出てきやすい。

一生懸命に覚えようとしていたことが多いだけに
記憶としての繋がりも豊富なのかもしれません。


他に日記をつけているわけではない僕としては
振り返るキッカケとしてのブログは有意義なようです。

ネット上に残り続けることで引っかかる部分がある一方、
それが数少ない記憶の呼び水になっている側面もあるんでしょう。

まるでインターネット上には時間が存在していないかのような気にさえなります。

cozyharada at 23:46|Permalinkclip!心理学 | NLP

2016年08月17日

タイトルについて

新刊の『心を読み解く技術』ですが、
8月12日あたりから一部の大型書店で見かけるようになりました。

Amazon での発売日は8月17日となっています。
そろそろ予約注文の方にも発送されるみたいです。



タイトルの「心を読み解く」ですが、
「誰の心を読み解くのか?」という疑問を持たれる方もいるようです。

表向きには、
 自分の心を出発点として、まずは自分の心を自覚できるようにして
 その着眼点を他人を理解するのにも利用する
といった説明になるでしょうか。

自分の心を捉えるときにも、他人の心の中を想像するときにも
原則的には、ほとんど同じ能力を必要とします。

違いがあるのは、自分の感情のほうが体感的に感じやすいということ。

まぁ、その分、他人の感情は観察によって客観的に捉えやすくもあります。

自分の様子を鏡で見て、自分の感情に気づく…なんてこともあるわけですから
「自分の感情のほうが他人の感情よりも理解しやすい」という話ではありません。

捉えるルートが違うだけで、その正確さや感度に優劣はありません。
どちらも慣れているほど精度良く捉えられるようにはなりますが。

ですから、感情をキャッチするルートが異なっているだけだ、と。

一度感情をキャッチしたら、あとの作業は共通しています。

実際、自分の心の動きを捉えるときに使われる着眼点は
自らを客観的に捉えるメタ認知の状態なので、
「自分」というものを一歩引いて客観的に見ているプロセスだといえます。

この視点は他人の心の動きを見ようとするときの視点と同じです。

心の動きを捉える際のポイントとして感情を押さえることができたら、後の作業は
自分の心についても、他人の心についても、同じ視点から
同じ作業によって進められることになります。

言い換えると、一番身近に意識しやすい自分の心を最初の題材として
自分の心の動きを捉えられる(=読み解く)トレーニングを積めば、
あとは自然と他人の心の動きも捉えられるようなる、ということです。


そうは言いながら、本には一般論としての傾向として
典型的な心の動きを例で示してありますから、
それを覚えることで他人の心の動きを想像しやすくなる人もいるでしょう。

カウンセラーなどのように他人の心を理解することに関心のある方は
そういった観点から読み進める場合もあるかと思います。

だとしても、他人の心を見ようとするときの着眼点としては
自然と身についてくる部分があるのではないかと想像しています。

それは、着眼点の中心となる発想が
「その心の動きは、いったい何を求めているのか?何を大切にしたいのか?」
というものだからです。

原因を分析したり、過去のトラウマに当てはめたりするのではなく、
「本当は何を大切にしたいのか?」という発想で心の動きを眺めることで
他人の言動を温厚に受け入れやすくなります。

もちろん実践として自分の心の動きや、他人の言動について
「何を大切にしようとしているのか?」と探る経験を重ねるほうが
この着眼点は染みつきやすいとは思いますが、
こういう発想で説明した心の動きの例を読んでいくだけでも
ベースにある着眼点を身につける効果は期待できると思います。


ちなみにですが、厳密に言ってしまうと
「誰の心」のように自分や他人の心を区別することのほうが
不可能なのかもしれません。

人の心は非常に密接に影響し合っています。

誰かの言動に対して、自分の気持ちが動くことがあったとしても、
それが「相手の言動が原因となって自分の気持ちが動いた」と言い切れるほど
因果関係がシンプルなのではありません。

「卵が先か、鶏が先か」と同じように
人の心の動きには分けて捉えにくいところが大きいようなんです。

”一人”の心の中に、沢山の役割を持った担当者がいる。
…その発想で心の動きを捉える発想を本で紹介したわけですが、
この視点に馴染んでくると、”一人”分の心が集合体だと感じられてくるはずです。

喩えるなら、小学校のクラスに沢山の児童がいて
それぞれが意見を持って話し合いをしているような…
そんな感じで一人の中の動きを捉えるということです。

そうすると実際に小学校のクラスで沢山の児童が話し合っている様子も
まったく同じような構図のように見えてくるのではないでしょうか。

そしてクラスの意見をまとめたものを全校で話し合う。
クラスの代表が20人ぐらい集まってまた話し合いをしたら、
全校の話し合いが進むことになります。

全校で決まった意見は、全クラスの意見が集まったもの。
クラス代表の意見は、全生徒の意見が集まったもの。
一人の生徒の意見は、心の中の担当者の意見が集まったもの。

…同じような構図がずっと続くんです。

どれが”自分”の心なのかが曖昧になるような気がします。
まるで全てを1つにまとめた”心”というものの中に
細かい心の部分が入れ子構造になっているような感じ。

この何層にもなった心の入れ子構造をどの階層で捉えるかには違いがあっても
どんなやりとりが起きているかを捉えるところは同じです。

「心の動きを読み解く」というのは、より本質的にいえば
”誰の心か?”ということとは関係なく、
意見のやりとりを追いかける作業でしかないように思います。

その意味でも、”誰の心か?”ということは気にせずに
心の動きを捉える着眼点さえ練習すれば、
さまざまな心のやりとりを理解しやすくなるでしょう。

本の中では、
・迷いや葛藤
・厄介な感情
・人間関係のもめごと
・執着や罪の意識
などの対処法を個別に紹介していますが、
共通して使われている着眼点を染みつけていただくのがポイントになりそうです。

cozyharada at 23:56|Permalinkclip!NLP | NLPの基本情報

2016年08月16日

ネットが繋がりませんでした

パソコンの調子が悪かったというか、インターネット接続の調子が悪くて
ブログを書けない時間が続きました。

なぜか「インターネットに接続されていません」という表示が出て
思いつくことを色々やっても変わらない…。

困ったことを調べるのにもインターネットが使えないとなると
これは厄介なものだと実感しました。

スマートフォンでも調べることはできましたが、
詳しく調べようとするとパソコンのほうが楽だったようで
やはり、どこかもどかしさを感じたものです。

これでもしスマートフォンまで使えていない状況だったら、
メールを見ることもできなかったわけですから相当困っただろうと思います。

かなりの部分、インターネットに依存した生活をしていることを
ヒシヒシと感じさせられる出来事でした。

結局、調べても原因は分からず、
よく分からないまま時間がたったら接続できるようになっていたので
おそらく通信事業者のほうの一時的なトラブルだったんでしょう。

ネットに頼り過ぎた生活環境への心配を感じたとともに、
スマートフォンが別のルートでネット接続できたおかげで助かったことから
トラブルの際に別手段で対応できることの重要性を思わされた感じです。

大事なことは1つの手段だけに頼ってやろうとせず、
いくつかに分割して保険をかけておく。

投資や株をやる人たちが心がけているらしいことと共通するかもしれません。

英語でいうと
「 Don't put all your eggs in one basket. 」
(1つのカゴに全ての卵を入れるな)
というヤツでしょうか。

1つのカゴに卵を全部入れていたら、落っことしたときに全て割れてしまう
…そんな意味の慣用句だそうです。


まぁ、インターネット接続が復活して一安心です。

cozyharada at 23:24|Permalinkclip!全般 | 心理学

2016年08月12日

『あなたは、なぜ、つながれないのか』

珍しく購入した本の中に、興味深いものがありました。
こちらです。

『あなたは、なぜ、つながれないのか:ラポールと身体知』(春秋社)



著者の高石宏輔という人物は、カウンセラーとして活動しているそうですが、
以前は水商売のスカウトやナンパなどもやっていたとのことです。

元々あった対人恐怖やパニックを乗り越えるキッカケとなった催眠を学びながら
自らのコミュニケーションの幅を広げるために
街中で人に声をかけることを沢山重ねていたようです。

ここまでは、まあ、結構聞くパターンでしょう。
カウンセリングと催眠の両方に興味を持つ男性の中には
対人関係への苦手意識からナンパを実践する人たちがいます。

この著者がチョット違うのは、そこからさらに体の使い方に興味を持ったところ。
身体意識を高める方向でコミュニケーションを磨こうとしていったみたいです。

どういう経緯で身体の使い方に興味を持ったのかは定かではないですが、
催眠関係からだと野口整体を知って、それからボディワーク全般に広がる…
という流れは比較的よく耳にします。

ともあれ、ボディワークと呼ばれる身体の使い方をコントロール方法を追求し、
身体意識を高めて敏感にすることで、自分の想いを適切な形で表現し
それによって、上辺だけの、言葉だけのコミュニケーションとは違った
深い心の交流を目指すようになったのだろうと思われます。


そして僕がこの本を紹介している一番の理由は、
『身体的な同調』という科学的に根拠が分からない現象を
当然のこととして詳しく解説しているところにあります。

身体的な同調こそが心の繋がりと対応するものだ、と。

いわゆるラポールのテクニックとしてのミラーリングとは真逆に、
身体への意識の向け方と、コミュニケーションの最中の注意の方向を変えていくと
身体的な同調は自然と起きるようになっている。

そのあたりを体験談を交えながら詳しく解説しています。

そのうえで身体意識のトレーニング方法として
ボディワークの練習方法が紹介されている。

そんな感じの本です。


なお、『同調』という現象そのものは、実は心理学でも扱われます。
英語の論文だと「 synchronization 」と書かれるようです。

ただし心理学ですから
 どういうメカニズムで同調が起きるか?
は詳しくは解析できません。

「どういうときに」、「どういう関係性だと」同調が起きるのか?
そのあたりが中心でしょう。

一方、ラポールのテクニックとしての「ミラーリング」もまた心理学でも扱われます。

「ミラーリング」はNLP用語です。
心理学の論文では「 mimicking 」と書かれることが多い印象です。

「相手の真似をすると、どういう効果があるか?」を調べる研究が中心でしょう。

ちなみにNLPはミラーリングを、ミルトン・エリクソンのセッションを分析していて
相手に合わせる手法として紹介したみたいですが(出典不明)、
エリクソンがやっていたのは明らかに『同調』のほうに見えます。

同調ということを知らない初期段階では
エリクソンが真似をしているように見えたのかもしれません。

エリクソンはクライアントの心と深く繋がることで
自然と身体に同調という現象を起こしていたのだろうと思われます。

エリクソンは小児麻痺の影響で全身麻痺になったところから
意識的に自分の身体を動かせる状態にまで、自分で回復させた人物です。

どういう風に意識を向けると身体が動くのかをコツコツと調べ続け
全ての動作を17歳を越えてから再学習したわけです。

当然、身体への意識は一般人の範囲を大きく超えていたはずです。

そういうエリクソンのような身体意識の使い方をしながら
目の前の相手に注意を向けると、自然と身体は同調する。


この本とエリクソンの話は直接的に関係していませんが
同調という現象を丁寧に解説している本は滅多にありません。

トレーニング自体は本だけではなく、誰かに教わったほうが良い気がするものの
この内容をまとめているのは貴重だと思います。

著者が文学部出身のせいか、文章には文学的な雰囲気があります。
理系だった僕には馴染みの薄い文体。

好きな人は引き込まれるかもしれません。

好みの範囲を抜きにしても、大事な内容が書かれた本でしょう。

cozyharada at 23:28|Permalinkclip!NLPの基本情報 | 心理学

2016年08月09日

新刊「心を読み解く技術」

もうすぐ新刊が出ます。

『悩みが消えて、相手が分かる 心を読み解く技術:NLPパート理論』(晶文社)

見本が届きました。
心を読み解く技術
















(写真は暗くなってしまいましたが、実物のカバーは白です)

心の「動き」を具体的に解説した内容となっています。

葛藤、迷い、厄介な感情がどういう心の動きによるものなのか。
そして感情に振り回されるコミュニケーションをどう対応すればいいのか。

そのあたりを中心に、悩みを根本的に解消する視点を説明しています。

中心になる発想は、「心は集合体」というもの。

心を1つのものとして考えるから悩みが続くんです。
心は一人分の体の中に、沢山の寄せ集めとしてできている。

宇宙船やロボットに喩えるなら、乗組員が沢山いるようなもの。
会社組織に喩えるなら、部署や従業員が沢山いるようなものです。

「自分」とは、その宇宙船やロボット、あるいは会社組織のようなものだ、と。

その集団の中で対立が起きているから悩みが続きます。
だったら対立を解消してやればいいわけです。

他人の気持ちを理解しようとするときにも同様です。
1つの心という統一されたものとして見るから複雑なんです。

目の前の人の中に、いくつもの心の担当者を見ていれば
人の気持ちの移り変わりや、言葉に表現しきれていない想いも
汲みとれるようになります。

そんな感じのことを紹介しています。


感情については、かなり細かく種類に分けて(27種類)
それぞれの対処法を解説してありますから
全体で360ページになってしまいました。

対処法の中には、「あきらめ」や「ゆるし」といった
執着を手放すための具体的な手法も紹介してあります。

手放すことが大事だと知りながらも、なかなか手放せないとか、
あるいは手放したつもりになっているけれど時々こだわってしまうとか、
そういったことが起きがちな部分です。

繊細な心の動きを扱う方法として有効だろうと思います。

基本的には心一般についての内容ですが、
専門的な情報が欲しい方には詳しく読みこんでいただければ
かなりのものが得られるのではないかと考えています。

3冊分ぐらいが込められているイメージでしょうか。

まだAmazonでは予約しかできませんが、近々店頭にも並ぶと思われます。


cozyharada at 23:59|Permalinkclip!NLP | NLPの基本情報

2016年08月06日

夏休みの北海道

札幌に出張です。

やけに空港が混んでいると思ったら夏休みなんですね。
普段よりも家族連れが多い印象でした。

おまけに新千歳空港の保安検査トラブルで出発が遅れたのもあって
待合スペースに人が溢れかえったのかもしれません。

新千歳空港からの移動にしても、札幌駅についてからにしても
普段よりも観光客が多い印象を受けました。

もちろん夏休み以外の時期でも観光客は多いようですが
日本人観光客の比率が高いんじゃないかと思われます。
特に若い人が。

相変わらずアジア系外国人の観光客は沢山見かけますし、
ホテルでも駅でも中国語を耳にすることは多々あります。
大体が家族連れです。

夏休み以外の時期だと、若い家族連れは外国人であることが多く、
日本人観光客は高齢の層が中心に見受けられますが、
夏休みシーズンだからか、日本人の若い観光客が多い印象なんです。

ですから若い人たちから日本語が聞こえてくるのが新鮮というか
普段と違う部分として認識されるんでしょう。

夏休み以外の時期だと、日本語が聞こえてくるグループは
大体の場合が高齢の夫婦であって、
若めの層を見かけたら、中国語が聞こえてくることが多い…、
そんな感じを受けています。

それと比べると街の雰囲気も、ホテルの雰囲気も違う感じがします。


さらにホテルの印象を変えているのが
おそらく朝食の時間でしょう。

今回泊まっているホテルに日本人観光客が多いようなんです。
日本人に人気なんでしょうか。

決して新しい建物ではありませんが、朝食の場所が
ホテルの一回にある和食のレストラン。

夜だと4000円ぐらいからのコースをやるような店みたいです。
日本酒専門のバー・カウンターみたいのもあって、若干高級感があります。

そんな店が関わっている朝食ですから、
一般的なビュッフェスタイルとは一線を画します。

標準的なホテルの朝食にあるような洋食も並びながら、メインは和食の感じ。

煮物だけでなく、焼き物、汁物、刺身でも海産物が並んでいました。
さすが北海道といった感じを受けます。

お盆の時期だけあってホテルの宿泊費は高めに設定されていますが、
朝食代は据え置きで1500円。
満足度の高い1500円の食事じゃないかと感じました。

満腹まで食べなかったとしても、
1000円を超えるようなランチがあることを考えれば
十分以上にお得な朝食でしょう。

少なくとも、一般的なホテルの朝食メニューで1000円ぐらいなことと比べれば
差額500円とは思えない驚きの品揃えだと感じる人が大半かと想像します。


この朝食がどれだけホテルの売りになっているかは知りませんが、
ホテル予約サイトなどで、こんな朝食の情報を知ったら
おそらく日本人観光客には魅力的に写ると思うんです。

「北海道に美味しいものを食べにくる」といった目的がある旅行なら
朝から晩まで食事を楽しめることになるわけですから。

実際、ホテルの朝食会場も日本人観光客が多い印象を受けました。

夏休み以外の時期、他のホテルにいるときは
大部分がアジアの国からの観光客です。
それに対して、今回は日本人が多かった気がします。

日本語が耳に入ってくることが大半で、
ほんの1,2箇所から中国語が聞こえてきた程度でした。

最近のビジネスホテルでは外国語が聞こえてくることのほうがむしろ多く、
「ここは一体どこの国だ?」と感じるほどに
アジア系観光客が多いのが当然のように思えることを踏まえれば、
今回の滞在に普段と違う違和感があるのも納得できそうです。

やっぱり夏休みなんだなぁというのを実感します。

夏休みというものを意識していたのは学生時代まででした。
会社員をやっていたころには、夏休みというよりも
「お盆休み」を意識していたはずです。

学生時代であれば「海の日」なんて
夏休み中の祝日という価値のないものでしたが、
会社員には貴重な祝日の1つだったのを覚えています。

今、「山の日」が追加されて8月にも祝日ができたわけですが、
それだって会社員を続けていたら価値を感じていたんでしょう。

お盆の時期に祝日がある。
お盆休みというか夏休みというか、
会社を休む時期という大事な日になっていたことだと思います。

しかしながら自営で土日のセミナーなどを仕事にしていると
ハッキリとした休みの時期という意識は薄れてしまうようです。

世間と同じように「夏休み」や「お盆休み」を感じるキッカケは
どうやら他の人の行動を見るところだけになってしまったらしい。

振り返ると懐かしさを感じるとともに
なんだか少し寂しい感じもします。

cozyharada at 23:35|Permalinkclip!全般 | コミュニケーション

2016年08月03日

CMに出てくるフランス語

個人的な好みの話なんですが、
積水ハウスのCMのシリーズがお気に入りです。

特に犬が出てくるヤツは問答無用で見入ってしまいますが
それとは別に、CMソングが好きなんだと思います。

色々なバージョンがあって、英語のものあったり
八代亜紀の演歌バージョンもあったり。

最近はフランス語バージョンが流れるCMがあります。



(こちらの動画がいつまで見られるか分かりませんが)


フランス語を勉強している僕としては、やっぱり気になります。

聞きとれるところと、聞きとれないところがある。

それで調べてみました。

歌詞は以下の通り。
(シャーメゾンのホームページから引用)

―――――
積水ハウス/シャーメゾン French version

Un jour de printemps, une nuit d'ete
(春の日、夏の夜)

Les fleurs, la lune,la neige
(花 月 雪)

Les fleurs teintes par les saisons
(花々は季節に染まり)

Me guident vers le bon chemin
(私のゆく道を照らし導いてくれる)

Mon coeur appartient, mon coeur appartient
(私の心は 私の思いは、いつどこにいても)

A ma ville et a ma maison
(私の街に そして 私の家に)

家に帰れば 積水ハウス
―――――

フランス語の部分を英語に訳すと

A day of spring, a night of summer

Flowers, the moon, snow

The flowers dye with the seasons

Guides me toward the good way

My heart belongs, my heart belongs

To my city and to my house

といった感じでしょうか。


歌詞を見れば聞けるかなぁと思ったんですが、
やっぱり何度聞いても違って聞こえるところが多々あります。

おそらく歌手が日本人で、フランス語に馴染みがないからでしょう。

歌手は耳で聞いたものを再現できることが多いですし、
きっとフランス語話者から指導も受けていると思われます。

なんとなくフランス語らしい雰囲気は出ているようにも感じられます。

特にフランス語の特徴として知られる「R」の発音は綺麗。
指導を受けていたとしても、それほどすぐには身につかない気がするので
練習もしたんだろうと想像しています。

その一方、母音は不正確な印象です。

僕の耳はまだ、教科書的なフランス語の録音にしか対応していないので
知っている単語であっても、音が違ってしまうと捉えられないみたいです。

もっと単語やフレーズのパターンに慣れていれば、文脈から単語を推測して
多少の音のズレは頭の中で修正しながら聞けるかもしれません。

もっとフランス語力のある人だったら、そんな風に
違和感を覚えながらでも内容を捉えられるんじゃないでしょうか。


規則通りのパターンを認識できなければ、規則からズレていても気づけない。

かといって、規則に沿っていないと音に対応する単語が見つけられない段階では
変化が加わってくると、規則から違いすぎるように感じて理解できなくなってしまう。

規則を知りながら、規則通りではない音にも許容範囲を持たせられるようになって
ようやく苦労することなく音を聞きとれるようになるのでしょう。

パターンを厳密に捉える訓練をしたら
次はパターンに当てはめられる許容範囲を身につけていく。

そういう流れは、語学に限らず
新しいものを体験的に学ぶときには必須なのかもしれません。

cozyharada at 23:59|Permalinkclip!NLP | 心理学
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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