2018年07月

2018年07月28日

体感を区別する

疲労というのも一言で片づけずに
ちゃんと中身を気にしてみると区別がついてくるようです。

少なくとも僕の場合、
・持久的な意味での筋肉疲労の蓄積
・運動を長時間続けたことでのエネルギー源の枯渇
・注意を配り続けたことによる精神的ストレスの蓄積
・注意を配る際に使う筋肉の過労的強張り
・特定のことをし続けるために動かなくなる部位の固まり
・集中的な作業に伴うエネルギー消費に対して
エネルギー生産が追いつかず全身が酸欠気味になること
・自律神経系のバランスに伴う代謝変化によって起きる脱水症状
…などがありそうです。

セミナーの場合だと、それぞれ
・歩き続けた後のような足の痛み
・全身の動きが鈍く、力が出ない感じ
・反動として気が抜け、内にこもりたくなる状態
・目の周りの筋肉、顎周りの筋肉の重苦しさ
・首と背中の硬直
・呼吸が荒くなり、息切れする感じ
・喉の渇き、肌の乾燥
に対応しそうです。

もちろん、相互に関連し合うものもあるでしょう。
背中の強張ると、呼吸筋の動きも悪くなりますから
息切れしやすくなると思われます。

とはいえ、それぞれに対して効果的なことを考えると
回復のために何をすればいいかが選びやすそうです。

食事なのか、水分補給なのか、サプリメントなのか、
有酸素運動なのか、筋肉を動かすために負荷をかける運動なのか、
リラックスするための休息なのか、瞑想なのか、睡眠なのか。

ちゃんと疲労感の種類を感じ分けてから
対応を決められたら良さそうな気がしています。

まあ、選ぶこともままならない日もありますから、
そういうときは諦めることになりそうですが。

同様に考えれば、空腹感なども
きちんと感じ分けることで
自然な食事管理ができるのかもしれません。

cozyharada at 23:00|Permalinkclip!NLP | NLPの基本情報

2018年07月25日

休日の過ごし方

セミナーの仕事をしていると、
それ以外の日に何をしているのかを質問される時があります。

受講生からは休憩時間だったり、懇親会だったりのときに、
語学で知り合う人からは雑談の最中に、とか。

基本的には何もしていません。


もちろんセミナーがなくても、
それ以外の仕事がある場合もあります。

打ち合わせや相談など。

そういうのもない休日は、僕の場合
文字通りの休日です。

何もしません。

というか何もできない。

どうも、これがなかなか理解してもらえないんです。

どこかに出かけるなんてこともありませんし、
本を読むこともDVDを見ることもありません。

語学をやれるのは大体、セミナー以外の仕事の後。

本当に休日となると、何もしないんです。

やはり「休日」というと、「自由に何かをできる日」
といったイメージがあるんでしょうか。
「休みだから出かける」、「休みだから遊ぶ」とか。

一方、僕にとっての休日は「休めるための日」です。

一日中寝ているわけでもありません。
ボーッとしているわけでもありません。

それなら「寝る」ことをしていますし、
「ボーッとする」をしていますから。

身体の具合で寝ることもできないのがほとんどなのて
ひたすらジーッと時間の過ぎるのを待っているだけ。

以前に飼っていた犬が風邪を引くと
寝るでもなく、ただ一日中ジーッとしていたものですが、
その感じに似ていると思います。

ただ回復を待ち続ける日。
そんな休日です。


セミナー1日と休日1日をセットにして、
やっとバランスがとれる感じ。

休日は回復待ち以外に、何の自由度もないと考えると
丸二日の拘束時間だとも言えそうです。

休まなければ次のセミナーができませんから
休むのも仕事のうちなのかもしれません。

cozyharada at 23:32|Permalinkclip!NLP | 全般

2018年07月22日

湿度への対応

日本人は一般的に湿度に対しての感度が低い印象を受けます。

もともと夏は高温多湿になりますし、
梅雨や秋の長雨の時期も湿度が高いですから
慣れてしまっているのかもしれません。

その点、日本在住のアメリカ人などは
湿度に慣れていないらしく、湿度の高さを不快に感じるそうです。

実際、湿度が高いと熱がこもった状態になって
頭がボーッとして疲れた感じになります。

いわゆる夏バテというのも、ある程度の割合は
この湿度の高さによるものじゃないかと僕には思えます。
慢性的に熱っぽくなってボーッとした感じ。

寒さを嫌がって冷房を好まない人もいますが、
湿度は気にしないようで、湿度の高さのために
パフォーマンスが落ちたり、元気が出なかったりする場合も
結構あるように見受けられます。

アメリカ人は湿度の高さを嫌うだけでなく、
太っている人が多いとか、普段から薄着の人が多いとか、
気温が低い方がシャキッとした気分になりやすいとか、
そういった理由で、アメリカのセミナー会場は、空調の設定を
16度ぐらいにするのが標準だと聞いたこともあります。

その温度設定だと湿度が下がり、頭がボーッとなりにくい。

もちろん寒がる人もいますが、そういう人は上着を着ればいい。
エコではないものの、セミナーを受ける人のパフォーマンスを
優先した設定だとはいえるのかもしれません。

湿度が高いと気化熱で体温が奪われにくいので
ジワジワと汗が出続けることがよくあります。

発汗は体温を下げるためのものでしょうから
汗をかいても体温が下がらず、ずっと熱がこもり続ければ
汗を出し続けるようなことがあると聞きます。

これが日本の夏における熱中症の原因の1つだとか。

アメリカだと湿度が嫌いなだけでなく、もしかしたら
そういう汗のかき方も嫌がるのかもしれません。

飲み物のサイズも大きいですし。

全般的に水不足になりやすいアメリカ国土を考えると
電気より水を大切にする方が重要な可能性もありそうです。

広い国土を使えば風力発電も効果的らしいので
日本人とはその辺の発想も違うのでしょうか。


僕自身は個人的にアメリカ人の対応のほうに近いです。
湿度の影響を体感するため、寒く感じたとしても
湿度が低いほうを優先します。

それは実際に起きている体験として
湿度の高さ自体も感知しているのと
そのときのパフォーマンスも意識に上げているからです。

一方、日本の湿度に慣れている人ほど
実際の体感よりも知識や常識を優先するのかもしれません。

近所のお爺さんは、近頃毎日、
玄関先の道に水を撒いています。
いわゆる打ち水です。

気化熱で気温が下がって涼しくなるという考えに基づく
昔ながらの生活の知恵ですが、
最近の気候で果たしてどれだけ効果があるのでしょう?

舗装されたアスファルトは黒い色が太陽光を吸収し、かつ石の冷めにくさの性質も加わって、
昔の土の道よりも多くの熱を溜め込みます。

水を撒いた瞬間、アスファルトに触れた水が蒸発し
まるで焼けたフライパンに水を落としたように
空気中に湯気が立ちのぼる。

一気にムワッとした熱気が充満するんです。

地面の温度は文字通り「焼け石に水」で下がらないでしょう。

気化熱で下がる気温がどれだけかは分かりませんが、
それ以上に一気に上がる湿度のほうが顕著です。

サウナで石に水をかけるようなもの。

体感温度は明らかに上がります。

実際、僕はその家の玄関先、水を撒いた道を通るとき
サウナのような熱気を感じます。

でもそのお爺さんは、昔の人知恵を信じてやっていて
実際の効果を体感で評価していないんでしょう。

湿度が上がる影響も感じないんだと思われます。

それだけ慣れと思い込みの影響は大きい。

空調メーカーのダイキンは湿度にこだわっているようですが、
全体的にもっと湿度を気にしてもいいんじゃないかと思います。

せめて安易に「暑い」「寒い」の一言で片づけないように
感じた温度と湿度を言葉にするとか。

cozyharada at 23:48|Permalinkclip!NLP | NLPの基本情報

2018年07月19日

カウンセリングの本質

以前に書いたことの続きです。
(『カウンセリングの本質 戮麓螳磴い脳辰靴討靴泙い泙靴拭)

カウンセリング技術を向上させたり
人の気持ちが分かるようになったりするために
最も本質的なのは
 自分の問題をコツコツと解決していくこと
だという話。

その1つのポイントが、自分の問題を解決する作業によって
『問題に気づく感度が上がる』ところにある、と。

自分の問題から目を背けない癖をつけることで
細かな心の動きにも気づきやすくなります。

他人の問題についても、
それを「大したことない」などと評価することが減りますし、
どんな問題でも解決できる可能性を体験的に信じやすくなります。

解決可能な部分に注目できるようになるため
厄介なことがあったときにも適切に困ることができるようになって、
悩むべきことと、悩む必要のないことも区別がしやすくなります。

ザックリというと、そんな話でした。


もう1つのポイントは
『観察力や共感力が上がる』
ことです。

コミュニケーション一般において「観察力」というと、
相手の個性や感情を見てとる能力のことを示すようです。

この能力には、
1、特徴(=標準との違い)に気づき、
2、その特徴を分類して、
3、それを言語的に説明する
というステップが含まれるはずです。

言い換えると、
1段階目だけでは
「あれ、なんか変…」という違和感だけが上がることになり、
2段階目までだと
「なんかモヤモヤする感じ」とか「シッカリしている」とか
「なんだか気分がよくなさそう」とか
曖昧な表現に留まることになります。

それが3段階目の言語的な説明までできるようになると
違和感を「モヤモヤする感じ」と捉えた後、
その「モヤモヤ」が「内容を理解できていない戸惑い」なのか
「内容は分かったけれど、理屈として納得しきれない困惑」なのか
「理屈には納得しても受け入れたくない気持ちがある葛藤」なのか
などを区別して言語化できるわけです。

「シッカリしている」にしても、
「大人っぽい自制心がある」のか
「何事にも動じない安定感がある」のか
「堂々としていて自信がある」のか
「どんなことでも卒なくこなせるスキルの高さがある」のか
…違いを言葉で説明できる必要があります。

気分や感情についても、
「いい気分」か「悪い気分」かを分けられるだけでは
読み取れている情報量が多いとは言えません。

「悪い気分」にしても、怒りの系統と悲しみの系統がありますし、
悲しみの系統の感情にも、寂しさ、孤独感、孤立感、喪失感、絶望感など
本人の事情と結びついた繊細な感情の違いがあります。

それらは全て、感じ分けられるものなんです。
言語的に概念が区別されているわけですから。


観察力の中でも違いに気づく1段階目だけであれば
他人を細かく見ているだけでも磨かれていきます。

しかし2段階目の分類の作業には、
その特徴が「どういうときに表れるものなのか?」と
傾向を知っている必要があります。

傾向を知るには土台となる情報量が必要です。
多くのものから共通する特徴を見出すために、です。

もちろん他人の話を聞きながら、
そのときの出来事と感情の結びつきを知ることもできます。
しかし、それには相手から相当詳しく話を聞かないといけません。

個性と見た目の関係についてデータを積み重ねるにしても
相手の個性が分かる程度までの関わりは必要になります。

質的に深いコミュニケーションを量的にも重ねる必要がある、と。

その点、自分の問題について向き合っていく分には
自然と質的に深いレベルまで事情を整理することになります。

どういうときに、どういう身体の感じや表情、姿勢になるのか。
どういう能力を発揮しているときに、どんな様子になるのか。
そうしたことを詳しく知ることができます。

量にしても、自分の問題に向き合い続ける限り
いくらでも経験を積み重ねることができます。

自分の心の癖やネガティブな感情のパターンなどを見ていくと
毎日1つ扱ったとして、数年やっても尽きることはありません。

自分の問題を扱えば、
1、違いに気づき
2、その特徴を分類する
ために必要な経験を、量的にも質的にも確保できるわけです。


さらに3段階目の言語化の部分。

これに関しては自分の問題を扱う以外では
トレーニングをするのが困難だと思います。

他人の状態を観察して、適切に言語化するトレーニングだとしたら
かなり込み入ったところまで話を聞いたうえで、
さらに相手の心情を代弁するような作業をするわけです。

そして相手に確認してみて、相手がシックリくるかどうかをチェック。
相手がシックリくるまで適切な表現が見つかっていないわけですから、
トレーニング初期の段階では、適切な表現を見つけられないまま
会話の時間が終わってしまうこともありがちです。

適切に状態を捉えて、言語化する能力が身についてからであれば
相手の心情を代弁するのもトレーニングが可能ですが、
それ以前の段階だとトレーニング効果を得られるところまで
なかなか辿り着けないことも多いんです。

その点、自分の心情を適切に言語化する練習であれば
上手く言葉にできたときには自分で「ああ、そうか!」と
納得感を味わうことができます。

違和感に気づき、
それを分類して、なんとなくの特徴を掴み、
適切な言い回しで表現しようとする。

この流れで適切な言葉を見つけられたら、
自分に対しての理解が深まるのと同時に、
「この体感覚は、この感情」
「この姿勢は、こういう気分のとき」
「この感じは、心の中で両面感情があるとき」
などと区別がつけられるようになっていくわけです。


この経験量と、分類した状態を適切な言葉と結びつける訓練によって
繊細な心の状態を適切な言葉にする能力が上がっていきます。

自分の体験と、自分自身の心情を言語化するトレーニングの結果、
他人を観察したときにも、その能力を応用できるようになる。

「あ、この人の表情は、あの自分がモヤモヤするときのヤツだ。
 このモヤモヤは心情としては…
 ”頭で理解していても気持ちで納得できない葛藤”のものか。」
といった形で。

まとめると…
 自分の問題に向き合うことで、
 「内面の状態」と「そのときの外的に観察可能な特徴」との対応を
 データベースとして蓄積していき、
 その「内面の状態」を言語的に説明可能になれる、
ということです。

これが相手の変化の意味を説明できるようになる土台、
つまり観察力の中身そのものになります。


ですから他人の気持ちを理解できるようになりたければ、
まず自分の気持ちを細かく感じ分けて、言語化できるようになる。

それが着実で、しかも効果的なトレーニングだといえます。

『自分の問題をコツコツと解決していく』ことが重要な理由。
『観察力や共感力が上がる』から、というのは
こういう仕組みに基づいています。

cozyharada at 23:20|Permalinkclip!コミュニケーション | NLP

2018年07月16日

時間と記憶

いつの頃からか記憶が曖昧になっているようです。

特に出来事に関しての記憶が弱く、
自宅に戻ってその日のことを思い出そうとしても
なんだか随分と昔というか、夢のような感じがするんです。

なので語学をやっていて、近況報告をするのが厄介です。

大体、語学をやっていると冒頭に挨拶をして、
メインのレッスンに入る前に「最近どうだった?」
みたいな話になるものなんですが、
そんなことを聞かれても「え?最近?何があったっけ?」と
思い出すのも一苦労な状態になります。

仕事のことは込み入っていて話すには適切ではなさそうですし、
日常的に話題になるようなイベントも少ないのかもしれません。


かといって全てを忘れているかというとそうではなく、
むしろタイミングが合えば、かなり鮮明に思い出せることもあります。

記憶と場面の結びつきが強くなりすぎているのかもしれません。

裏を返すと、場面が変わると思い出せなくなっている、ということ。

思い出すキッカケになるものがあれば記憶が戻ってくるけれど、
気軽な質問をされたぐらいでは思い出されないみたいです。

その代わり、誰かと会えば
その人と一緒に過ごしたときのことが色々と思い出されます。

思い出される記憶は鮮明でも、
思い出すキッカケが自分主体になっていないのかもしれません。

NLPの用語で説明するなら、外的なアンカーがあって初めて
記憶が引き出されるということになります。

アンカーを発火させるトリガーがない限り、
特に何かが頭の中に戻ってくることもない、と。


その意味では、記憶が断続的だとも考えられます。
あまり「自分」という体験に統合されていない。

例えばセミナーの場で起こったことは、
セミナーの場面に戻ったり、セミナーの話題になったときにだけ
自然と思い出されやすく、そうでないときは意識に上がりにくい。

自宅に戻ってきてしまうと、セミナーを思い出すキッカケが少ないので
セミナーで体験した記憶の内容が思い出されにくく、
自宅にいるときには自宅と結びついた体験だけが蘇りやすいようです。

セミナーのことはセミナー。
自宅のことは自宅。
そんな風に分かれているのか、どうも関連性が薄く感じられて
それが「なんだか昔の感じに思える」という状態と関係しそうです。


記憶の仕組みとしては自然なことだと言えそうですが
反面、積極的な反芻をしていないとも考えられます。

良くいえば、今の体験に集中しているということ。
悪くいえば、印象に残る体験が少ないということ。

嫌な体験を思い出して苦しむことはありませんが、
淡々とした日々で幸せを感じていないのかもしれません。

何事も両面があるものですね。

cozyharada at 23:57|Permalinkclip!NLP | 心理学

2018年07月13日

意識を向けると緩まる

なんだか近頃、瞑想の効果を強く実感しています。

落ち着くとか心が休まるとかではなく、
身体が緩む効果が大きいようです。

首や肩のコリ、腰のハリなど、筋肉の強張りが
瞑想の間に自然と緩んでいくのを感じます。

実際には瞑想を終えたときに楽になっているのが分かるんですが。


もちろん瞑想のやり方も関係しているとは思います。

そういう意味だと上達したのかもしれません。

ただ意識を向け、その部分を受け入れる。
それだけでフワッと力が抜けるみたいです。

緊張して肩の力が入っているときに
「力を抜いて」と言われても対応が難しかった記憶がありますが、
そっと肩に手を置いてもらうと、自然と気持ちが落ち着いて
肩が下がっていったのも覚えています。

そんな感じに似ているんじゃないでしょうか。


イメージでいうと、身体の各部位がアラームのように何かを訴え
その担当者のところに行って「了解」と伝えるだけで
その部位が任務を終えて安心し、休息状態に戻るような。

どうしても日常生活だと目や耳からの情報処理に追われて
筋肉からのフィードバックを意識しにくいのかもしれません。

赤ちゃんはあんなに身体が緩んでいて自然体なのに
小学生ぐらいから姿勢が歪みはじめ、
高齢になると歪みに硬直が加わってくるように見えます。

アラームとしての筋肉の緊張に気づかないままだと
身体の歪みが大きくなるだけでなく、
その柔軟性まで減らしていってしまうのでしょう。

瞑想を丁寧にやると、身体の緊張を緩められるみたいです。


瞑想をするモチベーションが高い人は多くない気がしますが、
その効果が実感できれば、自然とやろうとするものにも思えます。

少なくとも僕は、体調管理の手段として瞑想が欠かせなくなりました。

cozyharada at 23:37|Permalinkclip!NLP | 全般

2018年07月10日

直近の講座案内(9月予定)

この頃はほとんどの土日にセミナーが入っていて
なかなかこちらでの講座を開催できないでいました。

ときどき講座開催についてのお問い合わせなどもいただき
恐縮するところもあったんですが…。

諸事情で予定が変更になりまして
9月の土日が1つ空きました。

なので9月9日(日)に久しぶりの講座をやる予定です。
時間帯は10:00〜16:30ぐらい。

内容は検討中です。

今の僕の状態からすると、最低でもチョットは
瞑想の時間が含まれるのではないかと想像しています。

正式なご案内は一か月前ぐらいになるかと思いますが
とりあえず日程のお知らせまで。

2018年07月09日

よくもわるくも

どうも最近、他人からの影響を受けやすくなっているようで
人が増えるほど負荷がかかっていく印象があります。

混雑した電車に対しての苦手意識も高まっていますし、
ジムも人が増えると居心地の悪さを感じます。

逆にジムに関しては、ここ二回ぐらいですが
以前と同じぐらいの時間帯に行ったにもかかわらず
人が少ない中で運動することができて、なかなか快適でした。

一か月前ぐらいは深夜なのに僕の他に5,6人いるような状態で
マシンが気軽に使えないどころか、湿度や体温、
ダラダラした雰囲気が充満していて耐えられないぐらいだったんです。

それが少し減ってきたのか、たまたま続けて人が少なかったのか、
判断はし難いところですが、とにかく人が少ない方が
自分のペースで運動ができて快適です。

先日は運動している間に他の人が帰っていって
最終的に一人きりで過ごすことができたので、これはもう
なんだか凄く贅沢な時間を過ごした気分でした。

乱されるものがないという快適さを強く実感した時間です。

運動のパフォーマンスも上がる気がしましたし、
一つ一つの動作を丁寧に心がけながらのトレーニングもできました。
普段より長めに滞在していたんじゃないかと思います。


また影響の受けやすさという点で自分でも驚いたのは
先日、有名な先生を呼んでセミナーをやって頂いたとき。

僕は会場設営とチョットしたお手伝いぐらいをしただけで、
基本的には受講生として講座の内容を楽しんでいました。

長さにしても午後の時間帯ぐらいだけですから
会場準備から含めても6時間ぐらいだったはずです。

にもかかわらず、なんだかよく分からないけれど
ヘロヘロになるような疲労感がありました。

セミナーの受講生側を体験するのは今年も別の機会でありましたし、
担当講座の引継ぎのために他トレーナーの講座を見学したことも
今年の前半に何度か体験しています。

つまり自分がトレーナー・講師をやるのではなく、
別の立場でセミナー会場という場に身を置くこと時間。

これだったら以前は、自分が講師をする立場と比べて
もう圧倒的に違うぐらい疲労感が小さかったんです。

受講生として勉強しているときでも、見学のときでも
丸一日終わった時点から更にもう一回やっても大丈夫そうなほど。

「勉強は疲れない」というわけではありませんが、
講師やトレーナーをするのとは消費するエネルギーが別物というか、
終わった後の消耗具合が劇的に違う感じ。

少なくともこれまでは違っていました。

ところが先日、有名な先生の講座に身を置いたときは
自分が講師をしているわけでもないのに、
まるで自分が丸一日のセミナーをやったかのような消耗だったんです。

有名な先生だから緊張したのかというと、そうではないと思います。

昨年に海外の講師のお手伝いをしたときも、スライドの管理とか
その場での資料の翻訳とか、受講生のサポートとか、
かなり気配りをしながら緊張感をもって慌ただしく過ごしましたが、
先日のような消耗はありませんでした。

どうも作業量とか気配りの量とか、そういったこととは違う
単純に人が多いことによる負荷がかかっていそうな気がします。


とはいえ、デメリットばかりではありません。

NLP的な説明をすればペーシングが上達したともいえそうです。
他人と同調しやすくなったというか。

非言語レベルでキャッチできる情報量は増えていそうですし、
感情として捉えられるものの感度も上がっている気がします。

当然、それに合わせた対応もしやすくなっていると思います。

語学をやっていても内容が記憶に残りやすくなっているというか
耳からだけでも単語やフレーズを覚えやすくなった気がしますし、
聴き取りや発話に関してもスムーズになった印象を受けます。

今なら海外の語学学校に通うタイプの短期留学でも
結構な効果が出るんじゃないかとも思うぐらい。

量的に集中したトレーニングと、現地の雰囲気からの影響とで
自然に入ってくるものが増えるんじゃないか、と。

消耗の激しさに関しては対処法が見つかっていませんが
今のところ回復もできているように感じます。

消耗する→回復する→消耗する→回復する→…というサイクルが
今までよりも早まっているだけかもしれません。

そう考えればペーシングの効果が上がっていることと
一長一短といったところでしょうか。

スムーズな生活パターンを見つけたいものです。

cozyharada at 23:07|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2018年07月05日

トレーニング課題をシフトする時期

最近、フランス語の音読を始めました。
トレーニングとしてです。

もちろん発話の練習にもなりますし、
何度も触れる単語やフレーズは覚えやすくもなります。

さらに、音の連続のパターンを捉える訓練として
聴き取りにも効果があると思われます。

やってみると実感としてなかなか意味がありそうな印象。


また先日、マンツーマンのフランス語の体験レッスンに行ってみて
ゆっくりとした丁寧な会話をやってみて感じたのは、
意外と簡単なようでもトレーニング効果が実感できるということでした。

ハードルを上げて負荷をかけることだけがトレーニングではなく、
簡単に感じられることを繰り返すことでも
しっかりと必要な力がついてくる場合があるようです。

これは公文式なんかでも見受けられる方法です。
簡単なことを繰り返しやる。

いずれはレベルも上がっていきますが、
ともすると単調とも思える簡単な繰り返し訓練も
欠かさずにこなすようにするみたいです。

当然、簡単なことが本当に簡単になって、
まったく負荷のないものになったら、そのときには
もうトレーニングとしての効果を失っているでしょう。

その一方、軽い負荷で丁寧にやるというのも
意味のある練習になることが多々あります。

身体のトレーニングをする人たちも、
限界ギリギリの重さで負荷をかけると、フォームが崩れて
雑なやり方になることがあるように見受けられます。

しっかりとやっている人は身体の動かし方を意識しながら
軽めの負荷で丁寧に動かすこともしているようです。


語学では、
・Complexity (複雑さ)
・Accuracy (正確さ)
・Fluency (流暢さ)
の3要素を、技能の高さとして評価することがあります。
頭文字をとってCAFなんて呼ばれることも。

トレーニング段階から、この3つのバランスを意識するのも
大事なんだろうと感じています。

僕がフランス語の勉強を始めたときは
(学生時代にやっていたのを再開したときは)
大学の公開講座で「正確さ」を重視した内容でした。

文法を丁寧に扱いながら、少しずつ高度な内容に進んでいく感じ。
教科書には読解の文章や文法の練習問題もありましたが、
いずれも難しい単語が膨大に入っている感じではありませんでした。

その後しばらく通っていた日本人の先生のところも
やはり「正確さ」を重視した感じだったと思います。

文法をしっかりと抑えつつ、聴き取りを中心にやりました。
ここでも複雑すぎる単語はそれほど多くなく、
知っている単語や表現を正確に聴き取れるかが課題だった印象です。

それからフランス人の経営するスクールに行ってみました。
こちらは「複雑さ」を重視しているように感じます。

ある程度、僕が「正確さ」をトレーニングしてきたのが
先生の側にも見てとれたからだと思います。

文法的なトレーニングをやればミスが少なく、
発音も修正箇所が少ないそうです。

そういう文法的な基礎知識と
英語学習の経験を通じたヨーロッパ言語の文章構造への慣れとが
吸収の速さを生んでいると判断したらしく、
ちょっと早めに高いレベルの授業で負荷をかけているみたいです。

効果は実感できるものですが、一方で僕の実感としては
基本的なところから気軽な会話をする量が少ないとも感じます。

難しい意見を言葉にしなければならず
ボキャブラリーが足りなくて困ってしまったり、
その結果、きちんとした文章で説明をせずに
ごまかしたような表現で伝わってしまうことが多いんです。

もっと基本的なレベルで文章をスピーディーに組み立てるためには
簡単な内容で量を多く話すことが重要な気がしています。

つまり、これまで「流暢さ」に焦点を当てたトレーニングは
十分にしてきていないのではないか、ということです。


なので今後は、音読やライティング、
簡単なテーマでのフリートークなどを通して
単語を組み合わせて文章を組み立てる運用力をトレーニングし、
「流暢さ」の面に焦点を当ててみたいと思っているところです。

その面を鍛えると、全体も底上げされるんじゃないか、
と期待もしています。

語学に限ったことではありませんが、このように
1つの技術には様々な側面で求められる能力があります。

その全てを常にバランスよく向上させていくのか、
それとも一側面を強調してトレーニングをして
タイミングを見計らって別の側面を鍛えていく流れにするのか、
どちらが良いのかはハッキリとは言えません。

ですが個人的には、到達点が遠く感じられる技術、
自分にとって馴染みの薄い技術ほど、
必要とされる側面をそれぞれ別々にトレーニングして
しっかりとした土台を作るのが良さそうに考えています。

そのためには、必要なタイミングで、
必要な種類のトレーニングにシフトするような
技能レベルと課題の見極めが求められるはずです。

残念ながら、これができる先生やトレーナーは多くないみたいです。

僕のフランス語学習は結局、自分の判断でタイミングに応じて
集中してトレーニングする要素を変えてきています。

見極めのできる指導者に巡り合えるか、あるいは
トレーニング方針の話し合いをしてくれる指導者に巡り合えるか…。
ここは大きな違いを生みそうです。

cozyharada at 23:04|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション
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 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
育むコミュニケーション


【日時】 
  2018年12月23日(日)
  10:00〜16:30


【場所】 
  滝野川会館
  304集会室

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回は1月〜2月の予定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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