2018年10月

2018年10月30日

不在のご連絡(10/31-11/8)

31日発でアメリカに行ってきます。

アメリカ滞在中も、メールや
お問い合わせフォームからのご連絡は見られると思いますが、
お返事が遅くなる可能性がありますのでご了承ください。


今回はNLP関係のセミナーに参加するのが主目的です。

正直なところ、瞑想のために渡米したときと比べると
随分とテンションが低い感じがします。

自分自身の向き合い方のスタンスなんでしょうか。

まぁ、今回の内容は復習になるものですし、
NLPのほうが馴染みがあるという部分もあるかもしれません。

一方で、ワークを全部英語でやるのは慣れていません。
特にサブモダリティのボキャブラリーが少ないので
そこはやりにくそうなところ。

よほどプラクティショナーコースを英語でやり直したいぐらい。

そういう心配があるのに妙に気楽な感じなのは
NLPに対する自信の表れでもあるんでしょうか。


ともあれNLPコンプリヘンシブの本拠地、
コロラドに足を運ぶのは少しだけ興味があります。

観光好きではない僕としては、おそらく
自然の多い街並みと空気を味わうのがメインになりそうですが。

cozyharada at 23:54|Permalinkclip!NLP | 全般

2018年10月28日

気持ちの方向

もう10月も終わりが近づいています。

夏が過ぎ去った後から、やたらと早く感じるのは
それだけ秋が短い気候だったからなのか、
秋がバタバタと忙しかったからなのか…。

特にこのあたりの時期は、気温が変化していくことで
より一層の変化を感じやすいような気がします。

僕の場合、例年この時期に、書道の作品制作をします。
期間にして2か月弱でしょうか。

週に2,3日、2時間ぐらいずつ大きな紙に書くことになります。

書き始めの時期が9月末、提出の時期が11月初め。

最初の1,2枚を書く頃は、まだ暑い中でやっているのが
最後の時期には暖房をつけ始めるようになっている。
そんな気候の変化が毎年のように感じられます。

まぁ、今年は終盤が近いのに暖房を使っていませんから
例年よりも気温が下がっていないのかもしれませんが。

それと、セミナーの終了時間。

いつも夕方の同じ時間に終わるセミナーだからこそ
終了時間の明るさ・暗さによって、日の長さの移ろいを感じます。

やはり年末が近づいている実感があります。


そんな中だからでしょうか、
なんとなく自分自身の気分や状況についても
変化の雰囲気が気になってくるようです。

そのうちの1つは、急に外国語ムードが高まったこと。

これまでも少しずつはやっていましたが、
日々の中に入り込んでくる比率が上がったように感じます。

典型的なのはスマートフォンのアプリです。

少しずつ外国語系のものが増えてきてしまいました。
辞書だったり、学習用のものだったり。

先週から Pimsleur という外国語学習アプリをやっています。

30分1レッスンの音声教材を毎日やるだけのもの。
基本的には聞いて繰り返すとか、質問されて答えるとかですが、
新しいものを追加するタイミングが堅実なペースになっているとか
新しいものを既存の知識に関連づけられるように紹介するとか
繰り返し復習として出てくるタイミングが忘れにくくしているとか、
記憶の観点からすると、良く工夫されている印象です。

実際にやっていると、それなりに知識もついていきますし、
音声ベースの教材なので聞いて理解できる内容も増える実感があります。

もうすぐ一週間になるところで、
セミナーのある日でもそこそこ続けられるのは
パソコンに向かわなくてもやれるスマホアプリだからかもしれません。

内容そのものは高度でないものが多いようなので
入門から初級の段階の基礎作りに丁度良さそうです。

ただし難点が1つ。
制作元がアメリカなので、使用言語が英語なんです。

英語話者が、英語以外の言語を学ぶためのツールという位置づけ。

学習ターゲットの中には日本語も入っていますが、
日本語で英語を勉強するのはできなそうです。

ある程度の英語を身につけて、他の言語も…なんていうときには
便利そうな印象を受けています。


もちろん11月初頭にアメリカに行くのも
外国語ムードの高まりと関連するところではありますが、
面白いことに外国人から話しかけられる頻度も増えてきた気がするんです。

この週末も、大阪に出張していた際、3人から話しかけられました。

一人は新幹線の切符売り場で、自動販売機の使い方についての質問。
もう一人は大阪のホテルの前で、利用客から入り口を質問されました。
それから帰りがけに駅のホームでも。

3人とも西洋人ですが、英語ネイティブではなさそうだったのも
国際化の雰囲気を感じるところです。

日本にも世界各国からの観光客が来ていることを実感します。
同時に、僕の身の回りで、そういう人と接することが出てきたというのも
外国語への意識が高まっている時期だけに余計に気になるんでしょう。

観光が好きではない僕にとって外国語をやる意味は
”旅行のときに役立つ”という種類ではないんだと思います。

単純な興味もありますが、欲を言えば
役立つ機会があるとモチベーションも続きそうです。

書道の作品制作も終盤を迎えているので
少しだけ外国語にも力を入れられるようになるかもしれません。

cozyharada at 23:37|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2018年10月25日

英語学習の思い出

思い返してみると、僕が小学校に上がる前だった頃か
自宅には英語の音声教材がありました。

当時はまだSONYのウォークマンも発売されていない時期ですから
ラジカセのようなテープレコーダーも主流ではなかったのでしょうか。
レコードがメインだった時期だと思います。

なので、その教材もカセットテープなどではなく、
磁気テープが貼り付けられた紙のカードをリーダーに通す仕組みで
1枚のカードに1センテンスだけ英語音声が収録されていたはずです。

カードには相応の絵柄なんかもついていたかもしれません。
それをリーダーに通すと、ネイティブの録音で音声が流れる、と。

基本的には1枚のカードで一単語を説明する感じで
「Zoo. The zoo opens.」みたいな程度だった記憶があります。

確か、カードリーダーに通す作業のほうが楽しくて
それで遊んだような思い出が残っています。


それから小学校に入って、近所の幼児英語教室みたいのに
いくつか通ったのも覚えています。

「いくつか」というのは、積極的な意味での話ではなく、
地元の主婦が自宅の一部で、習い事の教室をやっている程度なので
長続きしないことが多かったからだろうと思われます。

教室がなくなったら、次のところを探して行く。
そんな感じで3か所ぐらいに通ったんじゃないでしょうか。

どれも基本的には嫌々通っていたように思います。

内容なんて理解していないし、やらされるお遊戯が不愉快だったし、
なんだかヘンテコな呼び名をつけられるのも嫌いでした。

覚えているのは、友達が先生から「じゃあ、カエルは何ていうの?」
って聞かれたときに「フロッグ(frog)」を言おうとして
「ケロッグ」って答えて面白かったぐらいです。

カエルの鳴き声の感じと、フロッグの音の感じと
耳馴染みのあった「ケロッグ・コーンフレーク」なんかがセットになって
自然と「ケロッグ」が浮かんでしまったんでしょう。

それぐらいしか記憶にありませんし、
もしかすると英単語のいくつかは覚えていて
中学一年生で英語の授業が始まったときに役立った可能性はあります。

しかし文章レベルで何かができたわけではありませんし、
英語で何かを言う、なんてこともしていた記憶はありません。

遊びの延長ぐらいなものです。


それから中学校に入って、学校教育としての英語が始まりました。

ここからが一応の本格的な英語”学習”のスタート。
勉強し始めた段階です。

いくらかの単語を覚えていたのと、アルファベットには慣れているのとで
なんとなく最初の頃の英語の授業は気楽だったのが思い出されます。

中学に入ってから塾にも通い始めました。
高校受験対策の塾です。

そんなに高度なことをやらせる塾ではありませんでしたが
入試に出るような形式の問題をひたすら解かされるタイプの勉強でした。

毎回宿題が出て、とにかく量は義務的にやったように思います。

それに加えて、近所に帰国子女の大学生が住んでいて
その人から少人数の家庭教師的に、英語だけを週一回やっていました。
友達4人ぐらいで集まって教わっていた感じです。

こちらも結局は塾でやるような文法の練習が中心だったんですが
帰国子女だけあって、発音をしっかりしてくれるのは良かったんでしょう。

振り返ってみると、いわゆるフォニックスのようなこともやっていました。
音のルールの勉強です。

そのおかげで初出の単語でも発音の予想がつくというか
ある程度、英単語を英語の音として捉えられていたんだと思います。


ですから中学校までの段階で、僕は英語の文法ルールを
学校教育をベースにした塾と家庭教師の勉強で地道に練習して、
それと並行する形で、英語の音にも触れる機会が多かったと言えそうです。

文法のトレーニングは日本の英語教育として標準的でしょうが、
そこに発音や音への慣れが追加されていたのはメリットだった気がします。

幼稚園やら小学校の頃に触れていた英語は
具体的なレッスンのレベルとしては役に立っていませんでしたし、
会話の練習になんて全くなっていなかったですが、
「英語の音に触れ続けた」という点では有効だったと思われます。

つまり僕は英語のトレーニングの初期段階で
音からのインプットの経験量が多く、
同時に文法的な練習問題を数多くやった、ということのようです。

文法の練習問題は、それそのものが基本的なルールの学習として
英語の文章のパターンを捉える訓練にもなっていましたし、
文法的な正確さへの心がけを高める土台にもなったと思います。

それから文字情報からのインプット量を増やせたのも大きいはずです。

音からのトレーニングだけでは曖昧だった部分が
文章と照らし合わせることで整理されやすくなる感じ。

まとめると、音からのレベルでも、文字からのレベルでも
シンプルな内容のものに数多く触れた、ということです。

しかも音と文字とを対応させながら。

このことが、僕の英語習得の土台として
後々に大きなメリットとなってくれたんだと今にして思えます。


実際には、その後、高校と大学で
膨大な量の英文のリーディングをすることになります。

とにかく長文だけを読解するのが高校の英語の授業の9割で、
それをベースにして大学では有機化学とか化学工学とか
一部の専門授業の教科書を英語でやらされることになりました。

研究室に配属される頃には英語で書かれた学術論文を読む必要が出てくる。

この頃にはもう英語の音に触れる機会は滅多にありませんでした。
それでもおそらく、英語の文章を読むときに
自分の頭の中で読み上げる英文が、それなりの発音だったんでしょう。
極端なカタカナ英語ではなかった。

なので音と文字の結びつきを維持したまま
インプット量を増やせていたんだろうと思われます。

きっとそのおかげで、僕が会社に入ってすぐの新入社員研修中に
全員で受けさせられた初めてのTOEICのテストでも、
特別な勉強をすることなくそれなりのスコアが取れたんだと思われます。

当然、まったく話すことはできない段階でしたし、
聴き取りのトレーニングもロクにしたことがありませんでしたが
適当に答えた選択肢が当たっていたのか740点ぐらいになりました。

TOEICのリーディングセクションは確か
文法問題的なものと、長文読解みたいなものが多かったはずで、こちらは
中学時代の地道な練習問題で身につけた文法の正確さと
高校・大学とひたすら英語の長文を読まされ続けたことでの慣れとで
それなりに点数が取れたんだろうとは思われます。

リスニングセクションに関しては、TOEIC対策の勉強もしていませんし
音声教材を聞くようなトレーニングもしてきていません。
ネイティブの英語を聞く機会もほとんどありませんでした。

大学一年のとき、英語ネイティブの先生が1コマ担当していた気はしますが…
せいぜいそのぐらい。

なので、英語を聞くことには慣れていなかったはずです。
少なくとも、文法や読解をトレーニングした量と比べると
圧倒的な差があったのは確実。

それでもなぜか音が取れていたんです。
単語が捉えられたり、フレーズ単位で捉えられたり。
捉えたフレーズを日本語に翻訳することなく意味を把握したり。

そのあたりのことが自然と起きていたのは、もしかすると
中学に入る前から英語の音へ触れ続けていたことや
中学の時に家庭教師の先生からフォニックスを教わったことで
英語の音への感度がそこそこ身についていたからかもしれません。

そして比較的正確な音の認識を保ったまま
文字情報からのインプットを大量におこなって、
そのときに自分の頭の中で、文章と音と意味の結びつけを作った。

それなりに正確な英語音声と文字情報とをセットにできたのかもしれない。
このベースとなったのも、幼少期からの英語音声のインプットだったのかも。

そんな風に考えていくと、語学の初期には
・とにかく音に触れる量を増やして、言語特有の音への感度を上げる
・簡単な文章に繰り返し触れて、単語の形や並べ方に慣れる
というのが役に立つように思えてきます。

正確なことが理解できていないとしても、
高度なことができないとしても、
実際のコミュニケーションには程遠いとしても、
とにかく耳と目からのインプットを増やして慣れる。

その過程で、発音のルールだとか文法的なルールだとかを
なんとなくのパターンとして経験的に掴んでいくようにする、と。

それから文法のルールを勉強して法則を知的に整理するような流れが
スムーズなんじゃないかと思われます。

で、ある程度のルールが定着して
すぐにそのルールが使いこなせるようになったあたりから、
内容のある文章(長文読解とかリスニング教材とか)をインプットして
考えることなく意味を捉えられるようにトレーニングしていく。

この過程で、ボキャブラリーも増やすことになる形でしょう。

僕の場合、この「内容のある文章のインプット」を読解でやりましたが
ここは逆に耳からやっても良いのかもしれません。

読むか聞くか、重視する側面を中心にやれば
相互作用的に、もう一方にも効果が出ると思われます。


少なくとも、音に触れる量をとらずに、いきなり文章から入っていくと
聴き取りを心がけ始めるタイミングで苦労する可能性がありそうです。

また、文法のルールばかりを一気にやって
実際に触れる文章の数が少ない場合にも、
パターンを掴むだけの経験量がないので
運用可能な文法ルールとして定着しにくいことも考えられます。

文法を勉強するときは、難しい単語などが含まれない簡単な文章で
練習問題を通じて、とにかくパターン学習だけの数をこなす。
そういう必要性を強く感じます。

まして動詞の活用表みたいのを暗記しても
それを運用するのは文章の中になりますから、
表やらルールやらだけを教える語学の授業は
習得までを考えると効果的かどうかは定かではないでしょう。

大人になるとルールだけでも理解できる能力はついてきますが、
理解できることと使えることは違います。

使うことを前提とするのであれば定着を図るトレーニングが欠かせません。

そのためには勉強の初期ほど、とにかくインプット量を増やす。
分からなくてもいいから触れるのも1つ。
もう1つは確実に分かる簡単な内容で数をこなす。

その意味で、初期ほどゆっくり進める必要がある気がします。

新しい言語を学ぶときには、最初の段階をゆっくりやるほうが
着実な成果を期待できるような印象を持っています。

逆に英語のように、既に勉強したことのある言語を
これから本格的に身につけていこうと考えるとしたら、
これまでに身についているものの内容によって
集中的にトレーニングする部分も異なってくるはずです。

こういった「言語習得に必要な要件」みたいなものを
ブラッシュアップできたら面白そうに感じています。

cozyharada at 23:00|Permalinkclip!NLP | 心理学

2018年10月21日

渡米予定(10/31-11/8)

11月の頭にアメリカに行ってきます。
今度はコロラド。

NLPコンプリヘンシブの本拠地とでもいいましょうか。

セミナーを受けに行ってきます。

できればスティーブ・アンドレアスのお墓も
お参りしたいと思っているんですが、
可能かどうかは分かりません。

それでもアメリカ式のお墓参りの作法ぐらいは調べておくつもりです。


スティーブ・アンドレアスといえば、NLPの手法の多くを開発し
NLPの骨格を作ったような人だと僕は考えています。

元々、化学を専攻していて(カリフォルニア工科大)、
それからマズローの元で心理学修士を取ったそうです。

実際にエンジニアとして働いていたこともあるんだとか。

そしてパールズからゲシュタルト両方を学び、NLPと出会う。

スティーブが書いている本も、開発したワークの多くも
心の構造、プログラムの仕組みを、特に
サブモダリティの観点で扱ったものが多いんです。

僕も応用化学専攻で、研究者として働いていましたから
その点でも共通点があるというか、共鳴するところがあるんでしょう。

心の構造やプログラムを、その構成要素から理解するあたり
いかにも化学っぽい発想だと思われます。

ロバート・ディルツが開発したスライト・オブ・マウスについても
開発した本人が14パターンにしていたものを
「これは大体3つぐらいに分類できてしまう」と
もっとシンプルにまとめた記事なんかも書いています。

僕も個人的に賛同することろが大きいですが、
「それを言っちゃあ凄そうな雰囲気がなくなってしまう…」
という思いから僕は一応そこまでは言いません。

スティーブには、そのあたりでも
本質へのアプローチに妥協がなかったんでしょう。

箇条書きの14パターンは、
特徴や構成要素ごとに物事を分類する化学的発想と
マッチしないんだと思われます。

なので「結局、やっていることは3種類でしょ?」となる。
あとは例えば、時間の要素を過去にしたり、未来にしたり、とか
そういうマイナーなバリエーションでしかない。

つまり、仮に時間の観点に注目して視点を変えるとしたら
「時間を扱う」という着眼点の下に、サブカテゴリ―として
「未来に目を向ける」と「過去に目を向ける」が含まれる…
という風に分類整理したくなるようです。

並列の箇条書きで物事を整理しない。
常に図解で捉える感じとでも言えばいいでしょうか。

こういう理解の仕方においても、
僕はスティーブの観点に馴染みがありました。

ただし、忍耐強くコツコツと手法の開発を続け
着実な成果を積み重ねてきたところは、
僕には届きようのない部分です。


そのように同類に対しての親しみも含め、
NLPの第一人者としての尊敬を抱く、
僕にとって特別な対象だったのがスティーブ・アンドレアスなんです。

この人が今年の9月7日にお亡くなりになりました。

僕がコロラドに行く頃には四十九日も過ぎていますし
(仏教の法要としての意味合いではなく
 残された人たちの心が落ち着くまでの最低期間として)、
できることならお墓に行きたいと思っています。

本当は今回の渡米で会えたらなぁと願っていたんですが。

参加する予定のワークショップは復習的な内容のはずですから
講座として予定されているワークもある程度は把握しています。

その中に、心の隙間を埋める手法があります。
たぶん、やることになるはずです。

そのとき、僕の中に少しだけポッカリしている
スティーブの部分を、ワークとして扱ってみようかと思っています。

自分でもできますけど、せっかくならコロラドで、と。

cozyharada at 23:55|Permalinkclip!NLP | NLPの基本情報

2018年10月18日

思考は急に止まらない

最近はデスクワークとセミナーが重なって
落ち着かない状況が続いています。

特にセミナーが開始時間の関係で
早起きをすることになるのが意外と負担なようです。

それでも通勤ラッシュに揉まれるのはもっと苦痛なので
妥協策として早起きをする現状。

睡眠時間が減るのは、続くと負荷になってく感じです。


資料作りとかテキスト改訂とかのデスクワークも
重なってくると、内面的な落ち着きの無さに繋がるみたいで。

特にテキスト改訂は個人で決められなかったり、
関係者の理解の仕方を調整したり、と気を遣いますから
なんだかんだと心労が増えます。

ブログを書こうにも、デスクワークで考えごと続きのときは
なかなか切り替えが難しい。

パソコンの前で集中力が続く間は一つの作業をやりがちになるし、
集中力が落ちてくると頭を休めたくなってきて
机の前を離れることが多くなるようなんです。

結果的にブログを書くタイミングが表れない。


こういう切り替えの困難さは、意外と勉強のときには起きません。

勉強はインプットの作業が多いので、
インプットをやめた瞬間に頭が切り替わります。

練習問題についても通常、問題を解き終わって
解答をチェックした時点が終了となります。

頭の中で思考が進行し続けることは少ない。

むしろ違う種類の勉強に切り替えることで
気分転換になる場合さえもあるぐらいです。

それに比べるとアウトプットの作業は
途中で中断する状態になることもあり得ます。

特に資料作りとか、長めの文章を書くなどの場合、
数時間でまとまり切らないことも多いはずです。

そうなると中断しても、頭の中では
さっきまでの思考の作業が続きがちです。

だからこそ、ふとしたタイミングで良いアイデアが
浮かんだりもするわけですが。

書き物の作業は、その内容が途切れない場合、
書いてない時間にも進行しているということです。

なかなか複数の資料を並列では進めにくいところがあるし
中断して別の書き物にすぐ移行するのも難しい、と。


なお、記事のように、ある程度の量で一まとまりになるのは別です。

一つのテーマの記事が終わって区切りがつく種類であれば、
それなりに複数の記事を扱うことも可能です。

じゃないと、いくつも連載なんて困難でしょう。

本を書く人も、目次の段階で項目分けしているから
切れ目を作って思考を切り替えられます。

逆に切れ目なく、違う種類の思考を並行して進めると
頭の中で絶えず複数の思考が続きっぱなしの状態になって
頭が休まらない感じがしやすいはずです。

悩みが続くときも同様ですね。
答えの出ない考えがずっと続いている。

それだけで気持ちが焦りますし、寝つきにくくもなります。

僕のセミナーの後もそんな状態。
頭の中に記憶が残りがちです。

セミナーと書き物が重なるときの負荷が
なんともグルグルした感じになるのは、
切れ目のない思考が並行で進むからかもしれません。

そういう意味での頭の休息も大事そうです。

cozyharada at 23:50|Permalinkclip!NLP | 心理学

2018年10月13日

【札幌セミナー】怒りの取り扱いマニュアル

12月8日、9日の土日に
札幌にてセミナーを行います。


内容は「怒りの取り扱い方」。

自分自身にも使える丁寧なアプローチでもありますが、
ワークの大部分はカウンセリング技法として
怒りを抱えるクライアントに活用するものでもあります。

カウンセリングやセラピーをする上で
怒りは真っ先に取り組む題材となります。

怒りが残っているうちにリフレーミングすると
無理やり考え方を変えて気持ちを抑え込む
「合理化」のような状態になってしまいかねません。

いつまでも怒りを内側に押し殺した状態が続くと
身体のレベルで不調をきたす場合や、
まったく関係のないところで突発的な感情が表れたりしがちです。

あるいは、怒りを抑えるために心のエネルギーを浪費し続け
次第に元気のない状態になっていって、鬱々とした気分になることも。

ですからカウンセリングでは、相手の感情をよく観察して
まず怒りが少しでも残っていないかどうかをチェックします。

そして怒りがあるなら、怒りを発散してもらう。

怒りを出し切ると、悲しみや虚しさが沸いてきます。
それから過去の出来事を見つめ直し、別の見方をして
心を癒していくプロセスに進むわけです。

この講座でも、そのような怒りの取り扱い方の
基本的な流れを体験していただく予定です。


ですから、他者援助の技術、
身近な人のサポートとしても役立つ技術だといえますし、
自分の怒りを繊細に扱えるようにもなる方法だともいえます。

怒りの発散は、単語にしてしまえば短いものですが
そのためには若干のコツがあります。

ここが技術として身につける必要のある部分です。

怒りの気持ちを大切にするために、相手に直接伝えてみる…
というのは、場合によっては裏目に出ることもあります。
怒りを向けられた相手は、こちらにも怒りを向け返してきますから。

怒りの感情をぶつけることなく、想いだけを伝えたい
分かってもらいたい、という場合もあるかもしれません。

それでも意外と、
「どうして分かってもらいたいのか?」
「分かってもらうことで何を期待しているのか?」
「だとしたら、本当に分かってもらう必要があるのか?」
「”誰に”分かってもらえば十分なのか?」
「果たして分かってもらうことは現実的に可能なのか?」
といった心の奥まで見つめていくと
大事な気持ちを自覚できてないことが多いものです。

怒りをコントロールするのでもなく
もちろん怒りに振り回されるのでもない。

かといって怒りを気にしないのでもなく、
怒りを気軽に表現するのでもない。

ちゃんと怒りがあることに気づいて、
その怒りの奥にある大切な気持ちを感じて、
それから過剰な身体の反応は発散して、
そして必要であれば、必要なことだけを
適切なメッセージで表現できるようにする。

怒りという身体のエネルギーを上手く扱えるようにする
という話です。


とくに気をつけたいのが、程度の弱い怒りです。

イラっとするとか、人によっては
厄介だとか面倒くさいとか表現するもの。
「なんであんなことするんだろう…」など、
残念さとして言語化する人もいます。

苛立ちや不満と呼ばれる感情です。

「仕方ない」とか、「もう諦めた」とか言っているときも
まだ生理反応レベルの怒りのエネルギーは残りがちです。

怒りの取り扱いのポイントは、こうしたエネルギーそのものなんです。
些細な動きでも反応が起きれば怒りの一種です。

これらを「大したことではない」として気にしないのではなく
丁寧に意識にあげて自覚するようにする。

そして奥にある気持ちを元に、
本当に自分が求めるもののための建設的なエネルギーにする。

そういうプロセスが役立ちます。

怒りが沸くのは自然ですが、
だからといって気にしなくていいわけではありません。

怒りの感情には、いってみれば二つの側面があるわけです。
「大事にしたい想いの表れ」と「エネルギー」。

想いは自覚するためのものといえます。
心の一部が自分に伝えようとするメッセージ。

これを自覚しないまま怒りを出せば
伝わって欲しいことがいつまでも表現されませんから、
相手は一向に分かってくれず、関係性が空回りします。

エネルギーは行動に繋がります。

多くの場合、怒りのエネルギーを使って
相手をコントロールしようとします。

そこで自分の本当の想いを自覚できていれば、
相手をコントロールするためのエネルギーとしてでなく、
自分の行動力を生み出すためのエネルギーに変えられます。

これが怒りを建設的に使う方法の典型です。

そう考えると、些細な不満や苛立ちでも、
しっかりと向き合うことで、自分の望む方向に
自然と自分を向けていきやすくなるわけです。

エネルギーを抑えこむのでも、浪費させるのでもなく、
全ての心のエネルギーを建設的な方向に整えていく。

裏を返せば、悩んでいる状態では
心のエネルギーがあちこちに分散していて
前に進みにくくなっているということ。

それを整える援助が他者サポートのベースとなり、
自分にとっても役立つものとなるわけです。

それがこの講座で紹介する
「怒りの取り扱い」の基本となります。


ご案内はこちらをご覧ください。
https://hsmana.com/sapporokenshu-kai2

ご都合が合えば、遠方の方もご検討ください。

cozyharada at 23:55|Permalinkclip!NLP | セミナー情報

2018年10月10日

土台をしっかりさせておくと…

なんだか小忙しい時期が続いています。
細々とした作業が重なっている感じです。

頼まれていた翻訳が終わったところで、今度は
NLPのOB勉強会の資料作成に追われていました。

参考までにこちらです。

今回のは知的な作業がテーマなので、資料の量も増えてしまいました。
その分、これを身につければ、これだけでカウンセリングやコーチングを
かなりのクオリティで行えそうなポイントがまとまっている感じです。

多くの人が面倒臭がって取り組まない
「上手な悩み方」のポイントを整理した内容。

ほとんどの人は、上手に悩むための努力をするよりも、
自分の癖で悩み続けるほうを選ぶのかもしれません。

上手に悩むために意図的な頑張りで苦労するのか、
悩み方の部分で努力をする代わりに、悩みそのもので苦労するのか。

どちらも苦労はするわけですが、
上手な悩み方を身につける方が、先々の悩みは減っていくでしょう。

その意味では身につけるのに労力が求められるし、
作業としても面倒臭いところがあるけれど、
悩みの多い日々を送らなくて済むようになるコツだともいえるはずです。

まぁ、目先の面倒臭さは、取り組むかどうかを決めるうえで
大きな障壁にはなるんだとは思います。

僕は効果のある方を選んできたので、
その内容を丁寧に整理した内容になっています。


で、忙しさの話に戻ると、そんな資料作成に加えて
NLPのコースのテキスト改訂の作業も重なっていました。

僕にとっては、こちらのほうが配慮しなければならないことが多く
色々と厄介な部分を含んでいます。

そしてそれに加えて、時期的な要因として
毎年恒例の書道作品制作も重なっています。

時間的には、多くても週に6時間ぐらい。
それでも一日の中に連続した2時間を取るとなると
スケジュール調整には影響が出てくるようです。

それを毎週2,3日となると…。

追われるような印象は避けられません。


一方、作品制作の作業そのものは、例年になく新鮮です。

今年は今までよりも大きい筆(2倍ぐらい?)を使って
少ない文字数で大きな字の作品を書いてみることにしました。

普段の練習では使わないサイズの筆ですし、
文字の大きさも加わって、今までにはない書き方をしています。

膝をつかず、腰をかがめて、移動しながら書く感じ。

最初は筆の持ち方からして戸惑うところがありましたが、
思ったよりもすぐに慣れることができました。

筆の弾力の違いや、毛先のまとまりの違いなど
対応しなければならないことも多かった反面、
筆遣いのベースとなるところには共通点もあるようです。

これまで培ってきたものを応用する作業ともいえるので
意外と違和感なく、スムーズに対応できたんでしょう。

地味な基本を重ねておくのは大事だなぁと実感しています。

もちろん、僕の場合は「見て盗む」というか
NLPでいうモデリングをすることにも慣れているので、
先生が大きな字を書くときの様子を体感的な形で参考にできます。

これも比較的早く、初めての作業に対応できた理由の1つと思われます。


上手くできる人のやり方を模倣して、エッセンスを抜き出す。
そして
全てに共通する土台としての基本を地道にトレーニングし続ける。

前者は、要領よくポイントを掴むスピーディな学習で、
後者は、細かな部分に注意を払い続けながら
ひたすら技術の精度を上げていく、ゆっくりした学習。

前者だけだと早く上達するようでも、どこかで頭打ちしたり、
後者だけだと、いつまでもなかなか結果に結びつかなかったり。

両方が組み合わさったときに、効果が大きくなるような気がします。

悩み方にしても同じようなものかもしれません。
上手に悩むやり方をモデリングしたコツを、ポイントとして身につけ
それが身につくまで地道に実践を続ける。

個人的には、地味な基本のトレーニングを長く続ける方が
長期的に見たときには大きな効果を発揮してくれそうな印象を持っています。

これは語学にも共通するところです。

何より、地味なトレーニングが実を結ぶ実感が得られると
それまでの労力が報われたような喜びもありますし。

cozyharada at 23:45|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2018年10月06日

楽をしない

セミナー後には相当な肉体疲労が出るんですが
こればかりは、どんなに経験を積んでも減ることがありません。

それどころか年々大きくなる印象があります。

単なる加齢で体力が衰えている可能性もあるものの、
一方ではジムに通い始めて一年半ぶり近く経って
体力そのものは上がっている実感もあるんです。

むしろ体力がついた分、セミナー中にも
肉体的な負荷をかけられる度合いが上がったのかもしれません。

その意味では限界までやっている、ということでしょうか。

翌日の影響まで考えれば、無理をするレベルでやっていて
負債のような疲労が後を引くとも言えそうですが。


この肉体的な影響は、セミナーの内容よりも
ご参加の方々がどんな人かのほうが関係するようです。

日によっては肩がガチガチになり、
日によっては腰が苦しくなる。
頭痛が起きるときもあれば、発熱することも。

負荷の出所が違うんです。

ただ、最近の発見は、筋力をつけると
耐えられる度合いが上がるらしいということ。

これまでのジム通いは、基本的に心肺機能の強化というか
有酸素運動でリフレッシュする狙いと、
軽めのマシントレーニングで固まった筋肉を動かすのが趣旨でした。

溜まった負荷を身体から出すために運動していた感じ。

それに対して、最近は多少マシンの負荷を上げて
筋力がつくようにもするようになりました。

こうすると肉体負荷への予防ができるようです。
許容範囲が大きくなるイメージです。


とはいえ、こちら側から意図的に働きかける度合いが大きいと
体力とは関係なしに負荷が大きくなってしまいます。

関わることのできる日数が多ければ
もう少し余裕をもってやれるんでしょうけれど。

限られた機会、定められた内容の範疇で
少しでも効果を高めようと頑張ると
どうしても無理がかかってくる。

それでも、その負荷の出所と理由を考えたら
余計に無理をすることになるようです。

仕方ないんですかね。

cozyharada at 23:43|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2018年10月03日

言語の相互作用

この7月ぐらいからフランス語の勉強の仕方を変えて
ライティングをベースにアウトプットを意識し始めました。

これだけで意外と聴き取りもしやすくなった印象があります。

自分が話せるフレーズはすぐに音としてキャッチできますし
内容もストレートに頭に入ってきます。

また内容の処理に関しても意味の理解が早まった印象があります。
文章の構造や、フレーズ同士の関連性が繋がりやすいというか。
読解の状態に近づいたような感じ。

読んでいるように聞けるのは、特にニュースにおいて効果的です。
比較的複雑な文章構造をしていても捉えやすくなった気がします。

当然ですが、もう少し自然な会話に近いものも
少しは聞き取りやすくなったのを実感しています。

フランス語でのYouTubeを見たり、
以前に買った聴き取りの教材をやってみたりするときに
スムーズに理解できるケースが増えてきたようです。

こういう地道な向上は、振り返って比較したときに実感されます。
半年前と比べて、などのタイミングが分かりやすそうです。

同じように、聴き取りがスムーズになっていく経験は、
英語を集中的にやっていたときにも実感していました。

ただ、英語のときはアウトプットに力を入れ始めたのが遅く
読解や聴き取りを重点的にやっていましたから
「自然と聴き取りの力もついていく」という印象はありませんでした。

「聴き取りのトレーニングをやって、少しずつ聞けるようになってきた」
といった印象はありましたが。

今のフランス語においては、聴き取りを本格的にトレーニングせず
なんとなく耳からのインプットを続けている程度になっています。

それでもアウトプットのトレーニングをすると
聴いて理解することもスムーズになっていくというのは、
言語活動が色々と結びついて相互作用を持っているからなんでしょう。

母国語の日本語でも、自分が自然と使う単語を使ってくれたり
自分がよく使う文章構造と同じように話したり書いたりしてくれると
内容がスムーズに入ってくる感じがあるものだと思います。

逆に、同じ日本語のはずなのに何を言っているか分かりにくい場合もある。
あまり馴染みのない単語を使っていたり、
文章の組み立て方を捉えるのに時間がかかったりするときです。

ですから自分が使う言葉に近い方が(母国語でも外国語でも)
インプットして理解しやすいんだろうと考えられます。

その意味では外国語のトレーニングとして
アウトプットを強化するのは効率的だと思います。

とりわけ書くトレーニングは、話すときよりも時間をかけて
複雑な文章構造や、高度なボキャブラリーを工夫できますから
使える表現を増やすうえで、より効率的なんでしょう。

ということでフランス語で書くトレーニングは
僕にとってなかなか効果があるように実感しています。


このことがことさら気になるのは、
こういった言語学習過程の相互作用が
1種類の外国語の中だけで起きているわけではなさそうだからです。

例えば、実をいうと僕は、フランス語の聴き取りのとき
あまり集中して一生懸命に聞いていなかったんです。

これは英語のトレーニングを必死でやっていたときとは別物です。
英語のときは相当に気持ちを集中して、耳を傾けて聞いていました。

今、僕がフランス語を聞くときは、もっと受け身の感じというか
なんとなくボーッと、入ってくるものを捉えている印象があります。

日本語を聞いている状態と似ています。

良くいえば自然体なんですが、悪くいえば一生懸命じゃない。
馴染みの薄い言語に対して、ちゃんと聴こうという意識が弱いんです。

おそらく本質的には、ある程度しっかりと聞き取ろうとする努力が
トレーニング過程では求められると思います。

というのは、聴き取りには
・音を捉えて単語やフレーズに変換する作業
・単語やフレーズを繋げて文章の並びを捉える作業
・フレーズや文章の単位で意味を捉える作業
・複数の文章の意味から全体の話を理解する作業
が含まれるからです。

これらの作業は関連しあっているとは言えますが、
1つを重点的に心がけると、他への注意が落ちる傾向も見受けられます。

パソコンでいうなら、メモリが足りなくなる感じ。

音を捉える、単語を見つける、というレベルだと
かなり多くの作業に集中しないといけません。
メモリを多く消費します。

一方、文章の意味を捉えるとか、全体の意味を理解するレベルだと
意識される情報の塊が大きくなるのでメモリの消費は少ない。

母国語だとメモリの消費が少ない状態で
意味だけを自然と追いかけられるようになっています。

ですがそのためには土台として、
音を捉える作業、音から単語を見つける作業、
それをもとに文章構造を把握する作業などが求められます。

僕が英語のトレーニングをしていたときは
ディクテーションを中心に、この細かい情報処理をやらされました。
ちゃんと音を捉えて、単語を逃さずに聞き取れるように。

実際に全体的な意味を捉えるなら、必要のない単語もあります。
ただし、これは自分の知識で話の内容を補ってしまうリスクがある。

自分が補って理解しているだけなのに、聴いて分かったつもりになる
…そういう場合が結構あるように感じます。

なので僕は英語に触れ続ける過程で、何度も繰り返し
「あぁ、今まで全然、聞けていなかったし、分かっていなかった」
という実感をしていますし、裏を返すと
「前よりも少しは聞けるようになった」
という体験が何度も起きているわけです。


では、英語のときは音や単語に集中していたのに
フランス語では全体的な意味に注意が向いてしまうのは何故か?

単純にディクテーションをおろそかにしているのもありますが
英語がなまじ聞けるようになってしまっていたのが原因の1つでしょう。

「外国語を聞く」というモードが英語基準になってしまっているようです。

英語のほうでは音や単語に集中しなくて済むようになってきた分、
全体を捉えて聞く度合いが高まってきていました。

それがフランス語の方にも影響してしまっている、と。

ですから本当は音や単語に意識を向けるほうの
地道なトレーニングも必要なんだろうと思います。

ディクテーションが必要だという話。

その一方、最近、スペイン語やロシア語についても
ニュースを聞き始めたおかげで
「外国語が全然聞き取れない」体験が増えてきました。

聴き取れないスペイン語やロシア語では、
音の組み合わせを捉える練習や単語を探す心がけの度合いが高まります。

そっちの影響で「外国語を聞く」モードの中に、自然と
細かく音や単語を捉える度合いが高まってきたみたいです。

おかげでフランス語の方でも、細かい音や単語に注意が自然と向きます。


言語学習には、こんな風な相互作用が沢山あるようです。

このあたりを整理して活用できると
習得スピードを上げられそうな気がします。

興味深いところです。

cozyharada at 23:32|Permalinkclip!NLP | 心理学
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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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