2019年01月

2019年01月30日

3つの理由

アカデミックライティングとか論理的な説明の仕方として
紹介されるもののとして見かけるものに、
 結論を最初に述べて、
 理由を3つ説明する
というスタイルがよくあります。

英会話学校に通っていたときにも
そういう説明の仕方をする先生はいました。
それなりにあるやり方なんでしょう。

このスタイルが論理的とされるのは、
「結論」と「理由」という説明に重要な要素が
コンパクトにまとまっているからではないかと想像します。


しかし、「論理的」かどうか、というのは
結論と理由が説明されるかだけで判断されるものではありません。

むしろ結論と理由を結ぶ「論理展開」にこそ「論理性」が表れます。

その意味では、1つの結論に対して3つの理由を述べるスタイルは
コンパクトに情報をまとめているがゆえに、逆に
論理展開が急激になって「論理の飛躍」が起きるリスクも高いはずです。

日本人は一般的に、この論理の飛躍に対して鈍感です。
おそらく聞き手、読み手の側が「空気を読む」「行間を読む」のが
重要だとされるからでしょう。

論理が飛躍している場合には、受け取る側がその飛躍を埋めようとして
なんとか理解しようとしてくれるわけです。

それに対して西洋文化は、説明責任を問われる背景があります。
伝わらないのは説明する側の責任。
受け取る側が「分かろう」と頑張らなくても1つの理解に落ち着くように
明確な説明の仕方をすることが求められます。

そしてそれこそがアカデミックライティングや論理的説明である、と。

なので論理の飛躍がない理由づけの説明が
論理的な文章として評価される傾向があります。

結論が最初にあって、その理由を後から説明すれば
それで論理的な説明になるというわけでは必ずしもないわけです。


僕が英語のライティングを教わった先生はアメリカ育ちの日本人で
学校教育が全てアメリカだった人ですが、
だからこそ論理展開に対して厳格な傾向が強かったと感じます。

ハッキリ言えば、僕の甘い論理展開の仕方は
この先生のおかげで修正されたと思われるほどです。

特に僕のケースではTOEFLのライティングに向けた講座でしたから
TOEFLの採点基準をベースにトレーニングしてもらった形です。

このTOEFLのライティングの基準には、文法やボキャブラリーに加え
・トピックとの関連性
・内容の一貫性
・アイディアの具体性
などが含まれます。

「トピックとの関連性」は議論の内容がテーマと沿っているか。
つまり違う話をしていないか、です。

題材として質問が投げかけられて、それに対して返答する形ですから
質問と違うことを書いていてもダメですよ、ということです。

例えば、「学校は制服を採用すべきである」などのテーマに
賛成か反対かを述べる形だと、あくまで議題は制服の話になるわけです。

話が逸れてしまうのは、よろしくないとされているんです。


そして2番目の「内容の一貫性」ですが、
これこそが理由を3つ説明するスタイルが評価を下げるポイントです。

理由が3つあったら、それだけで
「理由が一貫していない」とも解釈されかねません。

むしろ理由は1つに絞って、その理由の根拠として
3つぐらいのポイントを挙げていくような形のほうが
「1つの理由を一貫して説明している」として評価されやすい、と。

例えば、「学校は制服を採用すべきだ」という話に対して
3つの理由を挙げるとしたら
・お金がかかる
・個性を抑え込むことになる
・洗濯が不便だ
のようになります。

もちろん、3つのりゆうを挙げるスタイルでも
それぞれの理由について
「こうなって、こうなって、するとこうなって、だから〇〇だ」
のように論理の展開は含むはずです。

ここが話の具体性を高める部分。
理由についての具体的な根拠として、事例を挙げる箇所です。

しかし、この形だと事例の具体性が高まりにくいんです。
実際の経験談のようなレベルまでは具体的にしにくい。

なぜなら、そこまで具体的にしてしまうと
ただのエピソードとして読めてしまって、
それが理由とどのように関連しているかが不明瞭になるからです。

ストーリー展開として順序に飛躍がなかったとしても
話の具体性に飛躍が出てしまうといえます。

仮に「お金がかかる」の理由だとしたら…。

「1つ目の理由は『お金がかかる』ということです。
 例えば、私が中学生の時、同級生にこんな家庭の友達がいました。
 彼の家は…」
なんて話になると、
読み手の側が「このエピソードがどうお金と関係するんだ?」
と想像しながら読む必要が出てきます。

こうしたプロセスが、受け取り手に対しての負担でもあるわけです。

理由は1文、なのに急にエピソードが出てくる…という形だと、
理由とエピソードの関連性が不明瞭になる、と。

だからといって
「1つ目の理由は『お金がかかる』ということです。
 制服の値段は通常、〇〇円ぐらいです。
 3年間のうちに一着では済まないとしたら、その額は大きくなります。
 制服の値段が余計な支出を生むので、お金がかかります。」
という形だと、
論理展開は比較的スムーズ(順序は明確)ですが
今度はエピソードといえるほどの具体性はありません。
一般論で終わってしまっている。

採点基準にある「アイディアの具体性」が不足してしまうんです。

論理を飛躍させず、アイデアの具体性を高める。
そのためには理由を1つに絞って「一貫性」を出すほうが効果的です。


一貫性のある説明とは、理由を価値のレベルで示して
それに関する根拠を複数示す形です。

つまり、理由は1つで、その根拠を複数挙げるようにする、と。
そしてそれぞれの根拠について、具体例を複数挙げる。

そうすると「理由ー根拠ーエピソード」のように
具体性のレベルを飛躍することなく展開することが可能になります。

例えば、「学校は制服を採用すべきだ」という話に対して
理由を1つ「お金がかかる」に絞るとしたら…。

「制服を採用すべきではありません。
 なぜなら制服はお金がかかって経済的ではないからです。
 特に中学校のような成長期・思春期では、余計にお金がかかります。
 経済的でない側面としては次の2つが考えられます。

 1つは制服が追加の出費を生むということです。
 中学生に必要な服は制服だけではありません。
 家に帰れば制服から着替えて、普段着で生活する場面も多くあります。
 制服は普段着に追加する形で必要になるということです。
 例えば、私が中学生の頃、同級生にこんな家庭の友達がいました。
 彼は…(以下省略)。

 2つ目は制服そのものが高価だということです。
 一般的な制服の値段は〇〇円ぐらいです。
 これを中学校の間に買い替える場合もあります。
 総額としての出費は比較的大きなものとなります。
 例えば、私の同級生に、中学校で急に背が伸びて
 制服を2回買い替えた友人がいました。…(以下省略)」

こういう形だと「お金がかかる」という理由だけを
一貫して説明していることになります。

しかも一般論での論理展開で因果関係を保ちつつ、
「理由ー根拠ーエピソード」という具体性のレベルも
急激な飛躍を小さくしながら変えて説明できます。


このように、具体性のレベルでも飛躍を少なくし、
かつ因果関係としても飛躍を少なくするには、
主張に対する理由づけは一点に絞り込まれているほうがやりやすく、
かつ論理の一貫性も高めることができるわけです。

理由を3つも挙げるのは、議論の量が多いとき。

ちょっとしたエッセイ程度だとか
シンプルな説明だとかの場合には、
1つの理由について、一貫性のある根拠を追加しながら
具体例まで示せるほうが論理性も説得力も高まると考えられます。

というより、それが
 アカデミックライティングでトレーニングされる内容で、
 論理的な文章展開として認められている
といった話なんだと思われます。

「結論(主張)から先に述べて、後から理由を3つ追加する」
といった形で示せる論理性は、実は
さほど高いわけではないのかもしれません。

それだけで論理的な印象を与えられるテクニックとしては有効でしょうが
論理性を高めようとした場合には、もっと工夫する余地は沢山あるようです。

まあ、そもそも日本人は、
論理的な説明のトレーニングを受けないのが大半ですから
そんなに心がけなくても構わないという考え方もあるんでしょう。

論理性を追求するのであれば、理由の数を絞って
根拠に一貫性をもたせる方法もある、という話です。

cozyharada at 23:17|Permalinkclip!コミュニケーション | NLP

2019年01月27日

日本語の発音を注意する

いくつか外国語をやっていると、微妙な発音の違いにも
段々と敏感になっていく気がします。

もちろん、それは僕が自然な発音に気をつけたいからでしょう。

世の中には複数の外国語を”話せる”人がいて
YouTubeなどで色々な言語を話す様子を公開していますが、
ほとんどの人はそれなりにネイティブに近い発音を目指して
努力をしているように見えます。

発音のクオリティに個人差があるのは
どれぐらい発音を言語習得において重視するかによるものだとして
それでも発音を完全に無視するというのは適切ではないのかもしれません。

1つには発音できたほうが聞き取りやすい、ということが関係しそうです。
音の区別がしやすいとか、音の繋がりのパターンを認識しやすいとか、
そういう要素があるんだと思われます。


特に、英語なら英語だけのように、1つの外国語をやっているだけだと
その言語の発音の特徴を捉えにくいところがあるような気がします。

人間が物事を把握するときは、常に参照する対象を必要とします。
1つの外国語だと参照できるのが母国語になりやすい。

仮に英語だとしたら、細かく英語の発音をトレーニングすれば
英語の発音のほうに基準を作ることができてきます。

しかし、おそらくそれでも、日本語の音の基準は消えません。
日本語は日本語の音として認識する基準が残る、と。

なので、「日本語よりも〇〇」のように
音の特徴を対比させながら把握するケースが多いようです。

そこで複数の言語を勉強して、それぞれの発音の違いを気にし始めると
微妙な音の違いをお互いに参照させながら、対比として捉えやすくなる。

比べるものが多くてハッキリしている方が
特徴を捉えやすいということだと考えられます。

口の中で舌がどこにあるか、とか
どのあたりで空気の流れを妨げるか、とか、
口や喉のどこで音を響かせるか、とか
どの部分で摩擦音を出したり、破裂音を出したりするか、とか
明確な違いの基準が多いほど
実際に発音するときに心がけやすいように感じます。

そのときに役立つのが、IPA(International Phonetic Alphabet)という
国際的な発音記号の表記法です。

世界中の言語の発音を、記号で分類してくれます。
何語のどの音と、何語のどの音が同じか、などが分かる、と。

もちろん、口の中でどのように作られる種類の音かによって
音素の分類もなされています。
特徴が掴みやすいんです。


とはいえ、いきなり複数の言語を勉強するのはハードルが高い。
しかし英語をやるとして、英語の発音だけを勉強しても
違いの対比がしにくいところもあります。

その大きな理由が、
 日本語の発音を知らない
ということだと思うんです。

日本語を発音の特徴を客観的に知らずに
日本語と英語を対比しようとしても
実際には正確な違いが分かっていないで、
結局は日本語の音で代用してしまったりする事態が起きがちです。

明確に日本語の音と英語の音の違いを理解できれば
何を心がけて判別すればいいかも分かりやすくなる。

英語の音を客観的に理解するためには、
参照指標として使う日本語の音も
客観的に理解できていた方が都合が良いわけです。

なので、日本語の音をIPAの発音記号で調べてみると
英語の発音と実際にどう違うかも掴みやすくなります。


例えば、
日本語のハヒフヘホは、発音記号にすると…

 ha (ハ)
 ci (ヒ)
 фu (フ)
 he (ヘ)
 ho (ホ)

となります。

これが英語だと…

 ha (e.g. house のハ)
 hi (e.g. heat のヒ)
 hu (e.g. hoop のフ)
 he (e.g. head のへ)
 ho (e.g. home のホ ※アメリカ発音)

となる。

日本語のハ行には3種類の子音が使われているんです。
そのことを知らないと、普通にカタカナのハ行で代用してしまう。

日本語の音を知って、そのうえで英語の音も知ると
それぞれの音にどういう違いがあるかが分かってくるはずです。

何を心がければいいのかも自動的にハッキリしてくる。

英語の発音を勉強するだけでなく、
日本語の発音も比較対象として勉強してしまうと
習得が速くなる可能性があると思うんです。

cozyharada at 23:20|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2019年01月24日

変動が大きい

ジムに行くようになってから体力はついてきた印象があります。

同じ負荷の運動は楽に感じられるようになりますし、
回数を増やすようにもなってきたりします。

日常的にも階段を上がるのが楽になったり、
走ってみても意外と大丈夫だったり。

先日、予想外に事務手続きで待たされて
約束の時間に間に合わなそうになったときも、
駅まで走るのが平気になっていましたし、なにより
息切れが回復するまでの時間が早かったのも驚きでした。

10年前と比べたら加齢の影響も含めて
体力がどうなっているのかは定かではありませんが、
少なくとも5年前との比較なら格段に体力はついていると思います。


にもかかわらず。

最近、セミナー後の疲労が大幅に上がっている感じがします。

いつからかは覚えていません。
去年の11月にアメリカへ行ってからのような気も…。

自分の身体を大切にする方向で、
身体への意識の向け方を調整するワークをやったので
それが関係あるのかもしれない、なんて想像しています。

意識が体に向きやすくなったため、疲労を自覚しやすくなった。
それで疲労が大きくなったように感じているのではないか、と。


近頃は東京でセミナーがあると、最寄り駅から自宅までの徒歩8分で
タクシーを使いたくて仕方ないぐらいに疲労を感じています。

途中で何度か立ち止まります。

僕のお祖母ちゃんが生前、まだ外出ができていたころ
病院の往復の途中で立ち止まったり、座って休んだりして
やたらと時間がかかっていましたが、それを思い出します。

その状態で帰宅すると、起きていることができないので
だいたい気づいたら少し寝入ってしまう。

でも、1時間半ぐらいで目が覚めると
まあまあ元気が戻っている。
食べ物を口に入れると、また元気が戻る感じがする。

…そんな具合に、疲労へ無理ができなくなっている分、
疲労回復に100%集中する時間が作られてきた気もします。

それが疲労の大きさとして自覚されるのかもしれません。


もっとケアを心がけたほうがいいんでしょうか。

無理の出ないやり方を探したいものです。

cozyharada at 23:53|Permalinkclip!NLP | 全般

2019年01月21日

テストを受けました

先日、後期分のロシア語講座が終わりました。

慶応大学の公開講座を取っていたんですが、
こちらは一般的な公開講座や語学学校の進度と比べると
圧倒的に早く展開していきます。

かなり詰め込みなんです。

大学付属の講座ですから、前期後期に分かれた90分の授業で
各期が13回からなる、という普通の大学の授業と同じ形式。

で、レベル分けみたいのもあって、そちらも大雑把です。
初級、中級、上級ぐらい。

各レベルを1年で終える想定になっているらしいです。

90分を13回×2期ですから、一年の間のたった40時間弱で
各レベルが終了してしまうことになります。

どんな言語でも120時間で上級レベルに行くのは大変でしょう。

となると前提として自習が含まれている、と。
あくまで必要項目だけを情報提供するのが講座の役割で
習得のためのトレーニングは自分でしてください、
と言わんばかりの講座になっているわけです。

しかもロシア語は文法的にかなり複雑なので
説明を聞くことと、仕組みを覚えること、
さらにその文法の仕組みを使うのに慣れること、
これらの差は劇的です。

生徒自身が頑張らないといけないスタイルの語学講座なんです。
そこが一般的な語学講座と違います。


そういう早い進行ですと、当然、全員がついてこれるわけではありません。

日頃の復習やトレーニングの量が影響しますし、
人によっては同じレベルを何度もやり直したりするようです。

なので、次のレベルに進むかどうかを決める参考として
こちらの講座では最終日にテストがあるんです。
成績がつきます。

別に落第、ということはありませんが、
先生の側から「この理解度では次のレベルに行くのは厳しい」
という客観的なアドバイスがもらえます。

それを参考に、もう一度同じレベルを取り直すか、
次のレベルに進むか、といった選択をすることになる、と。


僕の今の段階は、中級の半分が終わったところ。
かなり内容は複雑になってきている印象です。

それでも標準のレベル分けからすると、
初級文法がまだもう少し残っているらしいのですが。

ロシア語検定でいくと3級にも受からないレベル。

あと半期やって中級が終わって、それで全部をマスターしたら
3級に受かるぐらいの想定なんだとか。

英検3級が高校入試レベルだそうですから
それと比べたらロシア語検定の3級は随分と難しいはずです。

いったい1級とはどんなレベルなのか…。
まぁ、ロシアといえば文学で有名ですから
1級ぐらいになると読解の文章なんかは
相当に文語的な表現が増えてくるんだろうと想像します。

ともあれ、僕はまだ3級にも届かない初級文法の途中(8割ぐらい?)で
あと半期かけて、学校の設定する「中級」を終える予定となっています。

で、一応のチェック段階として、恒例のテストがあった、という話です。


内容は置いておくとして、一番印象に残ったのは
 どうやら僕はテストが楽しい
ということ。

限られた時間の中で知識を総動員して問題を解く。
プレッシャーのかかったトレーニングになります。

真剣になれますし、チャレンジする面白さもある。

テスト勉強の時期は面倒臭いところはあるんですが、
1つ1つ課題をこなして進めていく感じは
決して嫌なものではありません。

…もちろん、全くできなれば嫌気がさすでしょうけれど。

学生時代はテストに対してネガティブな印象しかありませんでした。
そればっかりの感じでしたし。

ですが、大人になって改めて体験してみると
「普段よりも一生懸命になれる」
非日常的な体験の1つなんだと感じます。

好きではないですが、意外と悪くない。

テストに対してネガティブなイメージを持ってしまっているのは
多くの場合、学生時代の経験のせいでしょう。

そんな体験でもリフレーミングしてみると
その中に含まれた「喜び」の種類を発見できそうです。

cozyharada at 23:13|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2019年01月18日

2019年の作品

今年も展覧会がもうすぐ終わります。

自分の作品を見に行ってきました。
やはり広い会場で見ると、小さく見えてしまいます。

以前よりは上達した実感はありますし、
全体の構成とかも工夫できるようにはなりました。

ただ、書道の観点からすると、
特に展覧会の流派を考慮に入れると
線がスムーズ過ぎるんだと反省しています。

スムーズならスムーズな方向性で
もっと極端にスムーズさを表現する。

そうでないなら、直線的な要素が必要になるのかもしれません。

それはあくまで全体の作品の傾向に合わせるためですが。

僕の先生は、あまり直線的じゃないんです。
だからこそ習得しにくい部分ではあります。

手っ取り早く学ぶなら、直線的な書きっぷりの人たちを
実際に見てしまえば良いんでしょう。

なかなかそうもいかないので、
まずは自分で工夫してみる必要がありそうです。

2019独立展

cozyharada at 23:38|Permalinkclip!NLP | 全般

2019年01月15日

単語の覚え方

とりあえず単語を知っていれば
外国語でもコミュニケーションはとれます。

文法は表現方法として言葉の並べ方、加工の仕方の『常識』。

ルールというよりは、皆そうするのが標準、ということで、
標準に近いほど、多くの相手に伝わりやすくなります。

相手も同じような言葉の並べ方をする可能性が高く、
相手の言語的な思考に合わせやすいからです。

文法的にグチャグチャだと、何を表現したいのかが伝わりにくく
相手が理解するために頑張る必要が出てきます。

それでも相手が理解しようとしてくれる限り、
文法が多少おかしくても、なんとか意味は伝わるわけです。

しかし、単語が違っていたら誤解されます。
単語を言わなければ表現できません。

ジェスチャーとかに頼るしかなくなります。


芸能人などが世界各地の集落を訪れて
言葉も知らずに無理やり友達になるようなものがありますが、
あれでコミュニケーションが成立しているのは
ジェスチャーを多用するからでしょう。

そのうえで徐々に単語を覚え、その単語で情報を伝える。

文法を必要としないレベルの意思伝達をしているわけです。

何より、集落側に企画として受け入れ態勢があって
なんとか助けてくれようとしているから、
拙い表現でも分かろうとしてもらえて、
コミュニケーションが成立しているはずです。

語学の先生も、生徒の言うことを分かろうとして聞いてくれる。

しかし実社会では、そうとは限りません。
相手側に分かろうとする必要性がなければ
理解しようと頑張ってはくれないでしょう。

だからこそジェスチャーだけでは足りなくて、
単語を多く知っているほど伝わりやすが上がります。

文法も正確なほうがスムーズでしょうが、
単語と比べると遥かに比重は低くなると思われます。

ちょっと変だけど、何を言いたいかは分かる。
文法が不正確でも、意思伝達としては成立しやすいはずです。

実際、文法が不正確なのは母国語でもあるぐらいですから。

つまり文法は、正確な「表現」をするためのツール、
複雑な考えを明確に伝わりやすくするツールであって、
日常生活レベルで必要な意思伝達をするには
単語を知っていることのほうが重要だ、と。


では、どうやって単語を覚えるか?

僕にとって一番役だったのは、
話の流れの中で単語を覚える形です。

リーディング、リスニングの教材の中で出てきた知らない単語を
単語帳に書き写して、その単語帳を覚える。

僕が英語を集中的にやったときは、並行して
4000語ぐらいの頻出単語リストも暗記しました。

こちらのリストで覚えた単語は、結局
日本語への翻訳でしか記憶していません。

使われ方を覚えておらず、
場面によって変わるニュアンスなどは分かりません。
発音も不正確なので、実際に聞いたときには捉えられない。

それでも一度リストで覚えておくと
「この単語は知っている」という感じにはなります。

それで充分なんだと思います。

頭の中に保存はされている。
ただ思い出せる状態ではない、と。

記憶の第一ステップは保存です。

それを取り出すのが難しいとき、
「覚えていない」と言ってしまうのは勿体ない。

ただ取り出せないんです。
思い出すキッカケが足りないから、
スムーズに引き出されない、というだけです。
意識から遠いとも言えます。

スムーズに引き出すには、引き出すキッカケを増やせば良い。

だから記憶術では、色々な関連づけをさせるんです。
様々なルートで単語の記憶が繋がっていると
色々なキッカケからルートを辿って、その単語まで辿り着けます。

文章の中で出てきた単語を覚えるのが役だったのは
そういう仕組みでしょう。


実際、頻出単語リストで機械的に覚えた単語も
のちのち練習問題の英文のなかに出てきたり
リスニング音源のなかで聞いたりすると、
そこで記憶に定着する傾向がありました。

実例の中で覚えたはずの単語が登場すると
思い出せるものだったとしても、
意味が捉えられるまでに時間がかかるんです。

まして、なかなか思い出せず
「えーっと、なんだっけ?ああ、〇〇だ」
のような思い出され方では、実用レベルではありません。

もちろん中には
「見覚えがあるんだけど何だっけ?…分からない」
というときもあります。

そのときは調べ直して「ああ、そうそう」となります。
このときにも記憶が促進されるようです。

次回は思い出せる確率が上がります。

そうやって思い出しやすくなった状態で、
その単語が含まれる文章を繰り返し読んだり聞いたりすると
徐々に文章全体の意味がスムーズに捉えられるようになります。

このとき、単語は文章の一部として
自動的に意味を処理されていることになります。

ここまできたら、次に同じ単語と出会ったときも
自然と意味が浮かぶ状態になっています。


単語は単体で覚えても分かる・使えるわけではなく
実際の文脈の中で覚えてこそ実用レベルになる、と。

文法がグチャグチャでも、
スムーズに単語が思い出せれて口をついてくれば、
意思伝達はもどかしくないレベルでできるわけです。

そのためには、まず第一歩として
とにかく機械的に単語を暗記するのは効率的です。

この段階はただの保存だけなので、
どんな形でも覚えることが重要です。

単語帳のどこにあった単語かとか、
どの単語の次にあったとか、
そういうレベルの覚え方でも、まずは保存することが先決。

文脈と繋げるのは後からでも構わないわけですし、
何より単語リストを使っている時点で
文脈から切り離されてしまっているのですから、
いずれ文脈との関わりを覚え直す必要はあるんです。

一度暗記した単語を、様々な例文の中で理解する。
一つの単語で複数の例文を作る。

そういう風に繰り返し、違う形で
文章と結びつけるのが効果的でしょう。

例文そのものも脈絡のない一文よりは
何かについての記述の一部として登場する一文のほうが
記憶に残りやすいはずです。

レベルにあった沢山のリーディング、リスニングをやりつつ
登場する単語を片っぱしから暗記して、
その上で何度も復習する、というのが個人的オススメです。

復習の過程で、知っている単語が文脈と結びつき
分かる・使える単語に変わっていくでしょうから。

cozyharada at 23:27|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2019年01月12日

語学のゴール

外国語を積極的に勉強するようになったのは
2010年の夏だったと記憶しています。

英語を集中的に勉強し始めました。

当時はTOEFLの対策が主な目的でしたから、当然のように
TOEFL対策の講座を探して、そちらで勉強した形です。

TOEICの場合、一般的にはリーディングとリスニングだけで、
スピーキング・ライティングはオプションのテストになってますが、
TOEFLはスピーキング・ライティングも含めた4技能を
一度にテストする形式になっています。

むしろ4技能すべてをテストしないTOEICのような形式のほうが
世界的に見たら珍しいようですが。

TOEFLはリーディング、リスニング、スピーキング、ライティング…と、
4つのセクションで4時間ぐらいかけてテストを行います。

しかもTOEFLの場合、4つのセクションと言いながら
4技能が独立してテストされるわけではないんです。

スピーキングやライティングのセクションの中にも
ある程度の長文を読んだり、講義を聞いたりする時間があって、
読んだり聴いたりして理解した内容を、自分なりに整理しなおして
アウトプットする、という能力が求められます。

純粋な「話す」「書く」の能力だけではなく、
内容を理解する能力や、上手く内容をまとめる能力なども
一緒にテストされているといえます。

これはTOEFLが大学や大学院の入試の基準に使われるからでしょう。
アカデミックな場面に適応できるかを現実的にチェックしてくれるわけです。

なお、TOEFLと並んで広く使われる英語試験にIELTSというのがあって、
こちらのほうが4技能を独立してテストする形式になっています。
(アメリカ以外の地域を視野に入れるとIELTSのほうが主流のようです)

僕はTOEFLから英語の勉強に入った形ですから
4技能の全てをトレーニングする必要がありましたが、
僕は最初、スピーキングとライティングからは逃げていたんです。

TOEFL講座のトライアル授業(=見学)のとき、
たまたまスピーキングの回に参加して、あまりの自分のできなさに
嫌気がさしたところもありました。

適切な言い方をすれば、レベルに合わないと感じたわけです。

なので、まずはリーディングとリスニングから集中的に勉強し始めました。


これは今から振り返ると、なかなか良い戦略だったようです。


当時の講座は8週間で計画されていて、2回目の再受講が可能でした。
つまり、8つ回分を2周受講できる、と。

同じ内容を2回やって意味があるのか?と思われるかもしれませんが
実はこの復習にもなった2回目がかなり効果的だった気がします。

1つには、かなりの部分を忘れている、ということ。

それから2周目になると、それまでの勉強・トレーニングの成果が
実感として感じられるようになっていること。

2周目で間違えたところで、弱点をハッキリさせられること。

こういった理由から、再受講はかなり役立ちました。

この一周目の8回の間、リーディング一回とリスニング一回、
週に二回、講座に通いながら、ひたすら単語を覚えました。

そもそも読めない、聞き取れない、の最大の理由が
単語を知らないからだったわけです。

幸い、僕は学生時代に、かなりの量の読解を練習していたので
文法的な部分や、文の構造の理解、論理展開の把握などは
それなりにトレーニングされていたようです。

なのでリーディングで苦労したのは、とにかく単語が分からないこと。
それから読むのに時間がかかること、でした。

ですから、とにかく出てきた単語は全部覚えて、
そのほかにも課題として与えられた頻出単語のリストを
簡単なほうから順番に覚えていきました。

毎日7,8時間、英語に費やしていたと思います。
単語の暗記と、読解の復習と、聞き取りのトレーニングと。

リスニングセクションについても、
単語が分かると聞ける部分が増えてきます。

しかし、実際の発話の中で、どのように単語の発音のされ方が変わるのか、
弱くなったり、速くなったり、他の単語とくっついたり…
そういう部分が分かっていないと、意味が分かる前に
どの単語を言っているのかを捉えられません。

そのためのトレーニングとして、ひたすらディクテーションをやりました。
それが課題だったんですが。

問題文のCDを聴いて、全文を書き出す、という作業。

これを授業中にも、ひたすらトレーニングさせられました。
そして、このトレーニングで、徐々に聞けるようになっていくのが
実感として得られたんです。

講座も2周目ともなると、実力がついているのが感じられました。

そうやって、とにかく単語力をつけて、
高度な文章でも、読んだり聴いたりして理解できる土台を作ったわけです。

まず1周目の2か月間は、単語と復習と、ディクテーションとを
ひたすらやり続けました。


2周目に入るころには、同じ教材でのディクテーションは
もうトレーニングとしてやりにくくなっていますから、
別の教材を使って練習をする必要がありました。

自分で教材を買って、同様のトレーニングを続けたわけです。

同時に、トレーニングの比率を少し変えました。

単語を覚えるのも、主要なものは頭に入ってきていたので
スピーキングとライティングに取りかかり始めたんです。

このときから、いわゆる英会話学校に通い始めます。

ですが、最初は全く言葉が出てきませんでした。
聞けばわかる単語、読めばわかる単語も出てこないし、
調べたらすぐに「ああ、こんな簡単な単語なのに…」というのも
アウトプットの段階だと出てこないことばかりだったんです。

ここからは、ひたすら地味に発話のトレーニングを続ける日々。
といっても話す機会は英会話教室ぐらいしかありませんから
なかなかスピーキングは伸びなかった記憶があります。

とにかく、もどかしい思いばかりをしていました。

なぜそんなにも、もどかしさが強かったのか?
それは「言いたいこと」が頭に浮かんでくるのに
そのことを英語で表現できなかったからです。

まず単語が出てこない。

名詞や形容詞、副詞の場合は、一単語そのもので思い出せませんでした。
動詞の場合だと、日本語で一単語のものでも、英語では
前置詞や名詞との組み合わせからなる数単語の表現になったりして、
思い出せないことも、知らないことも両方ありました。

なので、アウトプットの典型的な形として
口に出せるフレーズを用意しておく必要が出てきました。

そのために役立ったのが、ライティングです。

英会話教室で、たまにライティングの宿題が出たんです。
書く作業であれば、辞書を使いながら時間をかけることができます。

表現したくても言葉が出てこないとき、
会話では時間がなくて調べられなくても、
書くときには自分で1つ1つを調べることができる。

なので表現したいけど言葉が見つからないタイミングで
コツコツと辞書を使って見つけていくことができたんです。

こういう作業をすると、よく使う言い回しなどは
毎回調べなくても、自然と覚えて書けるようになっていきました。
アウトプットできるボキャブラリーが増えていったわけです。


このアウトプット可能なボキャブラリーのことを
「アクティブ・ボキャブラリー」と呼んだりします。

逆に、インプットとして読んだり、聞いたりして理解はできるけど
書く・話すというアウトプットができない種類のボキャブラリーが
「パッシブ・ボキャブラリー」。

一般的に、アクティブ・ボキャブラリーのほうが少ないんです。
これは母国語でもそうです。
聴けば分かる、読めば分かるけれど、自分では使えない言葉がある、と。

僕の英語学習の場合、そもそもが英語論文を読んだりしていて
パッシブ・ボキャブラリーのほうが多かったわけです。

一方で、英会話はほとんどやっていなかったので
発話可能なアクティブ・ボキャブラリーは非常に少なかった。

そこへさらに、TOEFLのリーディング・ライティングに対応するため
一気にパッシブ・ボキャブラリーの量を増やしました。
アクティブ・ボキャブラリーとの差が大きくなったわけです。

知っているのに出てこない。
その感じは「なんで、この単語が出てこないんだろう」のように
もどかしさを強める一因にはなっていました。

が、その一方で
パッシブ・ボキャブラリーをアクティブにするだけのことではあるので、
ライティングを通じて時間をかけたアウトプットを繰り返すだけで
徐々にアクティブ・ボキャブラリーの量が増えていって
話すほうでも言葉が出てくるようにはなっていきました。

ですから書くトレーニングをするのは、スピーキングの土台作りとして
かなり大きな効果を持っていると思われます。

実際、僕は今、フランス語でも
 一度書いた内容を話して報告して、それについて意見交換をする
という流れでスピーキングのトレーニングをしています。

このやり方は効果が実感できるものです。
負荷がかかりますが、その分、
アクティブ・ボキャブラリーを着実に増やしていくことができます。


こうしたボキャブラリーの問題は、語学において
非常に重要な側面の1つです。

もう1つは運用力の側面。

運用力のほうは、ボキャブラリーがなくても
慣れだけで対応できるものです。
知っている言葉を、どれだけスムーズにアウトプットできるか?
それだけの話。

運用力については、小学生ぐらいを想像すると分かりやすいと思います。
小学生でも母国語の運用力は高いものです。
いわゆるペラペラに話せる状態。

日本人の小学生は日本語ペラペラですし、
アメリカ人の小学生は英語ペラペラです。

アクティブ・ボキャブラリーの比率が高いうえに、
それを組み合わせる作業がスムーズだということです。

ただし、このことと話の内容とは関係がありません。

運用力が高くても、複雑な考えを言葉にして説明できるわけではなく、
また抽象度の高い概念を言葉で扱えるわけでもない。

パッシブ・ボキャブラリーそのものが少なければ
知らない単語も多くて、大人の話は分からない可能性もあります。

僕は中学生のころ、テレビのニュースで政治の話になると
政治家が何を話しているのか全く理解できないことがありました。
こういうのは、考えの複雑さとパッシブ・ボキャブラリーの量が
話の内容に追いついてない例です。

ですから、運用力が高ければ「ペラペラ」の状態にはなるけれど
それは複雑な内容の話ができるかどうかとは関係がない、といえます。

ここが大人になってからの外国語学習が厄介なポイントでしょう。

大人はすでに、母国語で複雑なやり取りをしているんです。
母国語におけるパッシブ・ボキャブラリーの量が非常に多く、
それに伴ってアクティブ・ボキャブラリーも多い。

その沢山あるアクティブ・ボキャブラリーを使いこなせる運用力もあって
複雑な考えを言葉に変換できるようになっているわけです。

こういう複雑な思考が日本語として頭に浮かんでくる。
これを英語に変換しようとすると…。
どう表現していいか分からない、という事態になります。

アクティブ・ボキャブラリーの量の差が
日本語と英語で激しいので、「言葉が見つからない」もどかしさが
非常に大きなものとして出てきてしまいます。

逆に子供のころであれば、そもそも
日本語でのアクティブ・ボキャブラリーが少ないですし、
考えとして浮かんでくる内容もシンプルなものになっています。

論理展開や文章構造としても複雑ではない。

だから、とにかく日本語に対応する英語を覚えて
それをアウトプット可能な状態にさえすれば
かなり早く高い運用力を身につけられます。

ペラペラになるのが速いんです。


こうした思考内容の複雑さとボキャブラリーの量は、
日本語で見ても違いは表れているはずです。

例えば、友達とご飯を食べに行ったとします。

「この前、友達と表参道へランチに行ったんだけど
 すっごい良かったんだよねー。
 ご飯もおいしいし、良い人が多かったし、全部いい感じだった。
 もう最高って感じ。」

…と、こういう内容がスムーズに出てきたら、
日本語はペラペラだとは言えます。

ただ、内容の複雑さを考えると、同じようなことでも
次のような感じに話す人もいるわけです。

「3日前に、前の職場の同僚と表参道の駅前でバッタリ会って
 そのまま一緒に近くのカフェにランチに行ったんだ。
 たまたま近くにあったから入っただけで
 別に有名な店ってわけじゃないと思うんだけど、
 店の内装もヨーロッパ風のレトロな感じで、
 食器とかテーブルとかまで全体の雰囲気を合わせていて
 まるで本当に近代のヨーロッパにタイムスリップしたみたいで…。
 ご飯も食材からコダワリがあって、わざわざ現地から輸入したもので、
 スタッフのサービスも心がこもった感じで丁寧で…。
 昔の同僚と久しぶりに会えたことも嬉しかったけど
 その時間を店のおかげでもっと充実させられた感じがして
 すごく良いお店と出会えたのも嬉しかった。」

…となると、詳しさが違うだけとも言えますが
説明のために必要なボキャブラリーの数も
説明したい考えの複雑さも、随分と違いがあるはずです。

大人になってから語学を始めると、後者のパターンのように
複雑な考えが頭に浮かんできて、それを英語に変換できず
もどかしい思いをすることになる…というのが多いようです。


ですから、どちらのパターンの”ペラペラ”を目指すかを
設定してから習得に取り組む必要があります。

それによって取り組み方が変わってきますから。

僕は後のパターン、つまり
複雑な思考を複雑な英語にするほうを目指しました。

そのために、ひたすらボキャブラリーを増やし
それをライティングでアクティブにして
スピーキングの練習で運用力をつけていく。

そんな流れです。
が、これは労力と時間を要します。

同時に、自分の中にすでに備わっている複雑な思考を
そのまま英語でも言語化できるようにする、というゴールのためには
いたって効率的な取り組み方だったと、今にして思います。


それに対して、もう一方のパターン、シンプルな言葉で表現するほうは
シンプルな思考をシンプルな英語にするだけなので習得は早い。

ポイントは、日本語で複雑に考えられるようになった思考の内容を
一度シンプルな言い回しに変換する作業です。

この「簡単な日本語で表現する」訓練をすると
比較的短期間で”ペラペラ”にはなれます。

世の中にはこちらのスタンスで英語を教えている人もいます。

また多言語を習得している人の多くも、決して全ての言語を
母国語レベルの複雑な思考ができるところまでは磨いておらず、
流暢にコミュニケーションができるけれど内容はシンプル
…という前者のタイプのペラペラにしているようです。

しかも、このシンプルな内容で話すトレーニングを一回終えると
そのシンプルな表現方法のパターンを、様々な言語に置き換えるだけで
複数の言語で”ペラペラ”になることができます。

短期間で外国語を”身に着け”、ネイティブと流暢に会話できるようになる
という目的には、理にかなった方法だといえます。

ただし、会話や読解の最中に、分からない表現が多く出てきますから
それをその都度、質問して教えてもらって対話を成立させる必要はあります。

日常的な運用には困らないけれど、
ビジネスや学問にまで応用するとなると困難。
そういう段階を目指すスタンスでしょう。


どのぐらいのレベルで外国語を使えるようになりたいのか。

そういう趣旨での目標設定が重要だという話です。

「英語を使えるようになったら、どんないいことがあるか?」
「英語を使って何をしたいのか?」
というメリットの観点からヤル気を高めるためにではなく、
『どういう勉強法、トレーニングをすることになるか』
を決めるためにこそ、習得のゴールが重要になるわけです。

cozyharada at 23:52|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2019年01月08日

やっと動けるようになりました

体調不良が長引きました。

まだ少し声の調子は戻りきっていませんが、
ようやくジムに行けるぐらいにはなった感じです。

寝込んでいると筋肉やら筋膜やらも固まってきますし
体中が凝ったような状態になってもいました。

全身がくすんだようなイメージ。

体調が戻ったとはいえ、どれぐらい動いていいのかも分かりませんから
安全を考慮して、あまり負荷をかけずにジムに行くことにしました。

エアロバイクをいつもより長く、ゆっくり目にやる感じ。

全身の血行が悪くなっていたんでしょう。
有酸素運動は効果があったようです。

全身がグッタリとして、体の中がくすんだような状態は
スッキリとリフレッシュされたように感じます。

なんだか体の内側の通りがよくなった印象です。

これでようやく一年が2019年が始動したような気がします。

…実際には体調が戻りつつある中、デスクワーク的なお手伝いが続き
そのときに具合の悪さが戻ってしまったような印象もあるんですが。
集まっていた皆が風邪でゴホゴホしていましたし。

それも終わって、これから少しずつ動き始めます。

まずは打ち合わせ、それから週末の札幌出張です。

細々と予定が入って、語学がスムーズに行かなそうな現状もありますが
併せてチョットずつ進めていこうかと考えています。

とりあえず、あと2か月ぐらいはスマホアプリでもロシア語を続け、
そのあとはアプリでスペイン語に移行するつもり。

なんでも英語が話せれば、スペイン語は
それなりに早く身につくらしいですから。

時間の割り振りがカギになりそうなので
ボチボチとやっていこうかと思います。

cozyharada at 23:05|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2019年01月03日

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします。

年末からの風邪はかなり長引きました。
まだ少し残っている感じです。

バタバタしていると、つい睡眠時間を優先したくなりますが、
ケアのためのストレッチとか瞑想とかを
もっと丁寧にやる必要があるのかもしれません。

まずは体調管理をしっかりしながら
地道に取り組んでみるつもりです。

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cozyharada at 23:08|Permalinkclip!NLP | 全般
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 ◆ セミナー情報 

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《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

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次回未定


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《新カウンセリング講座》
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【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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