2019年02月

2019年02月28日

フランス語でも書くトレーニング

フランス語を少しだけ気合を入れて勉強し始めて
いつの間にか半年以上になっていました。

40分のレッスンを50回弱やっている状態だと思います。

アウトプット中心のトレーニングとしてやっていますが
多少は「書く」、「話す」にも慣れてきた気がします。

週に一回40分、ただフリートークをするだけでは
大きな効果は期待できなそうに思っていましたから、
できるだけ2コマ一度にとって、80分続けたレッスンの形で
月に2,3回の練習をしてきた形です。

それ以外にも以前から通っていたフランス語スクールのほうには
定期的に行っていた状態でしたが、「上乗せ」というほどではなく
「並行」で通っていたぐらいの感じでしょうか。

インプットが中心になる以前からのスクールと
アウトプットのトレーニングと、別々にやっているわけです。


で、そのアウトプットのほうですが
基本的に毎回、400ワードぐらいのエッセイを書いています。

これまでに20個。

多少スムーズになってきたとはいえ、まだまだ時間はかかります。
内容の構成も工夫しないといけませんし、
かといって日本語で考えて翻訳するわけでもありません。

どちらかというと、シンプルに「外国語モード」の感じ。

極力フランス語の思考だけに意識を集中しておきながら
行き詰ったら英語が浮かんできて、それを辞書で調べて
フランス語に変換して書き進める流れになっています。

初めの頃と比べると、辞書を調べる回数は減ったかもしれません。

ただ、フランス語の場合、名詞に男性・女性の区別があって
しかもそれが形だけでは判別しにくいことも多く、
意味のためではなく、男性名詞か女性名詞かをチェックするのに
辞書を引かなくてはならず、そこで時間がかかりがちです。

そこを差し引いて考えると、さすがに何度も書いているうちに
段々と慣れてくるところはあるんでしょう。
実感として書きやすくなっている印象はあります。


たかだかA4一枚から一枚半ぐらいのものを20個。
日本語にすると、一回1000文字あたりぐらいでしょうから
せいぜい20000字程度です。

そうやって考えると、これまでに日本語を書いてきた量は
もう圧倒的に違います。

日本語と比べたら英語の量はずっと少ないですが、
それでもフランス語よりは遥かに多いと思います。

やはり、「書く」行為は繰り返しの練習によるところが大きいんでしょう。
スムーズに書けるかどうかには量が重要、と。

特に、論理構成をしっかりさせながら
内容を飛躍させず、読み手に意図が伝わるように…
と工夫すると、かなりトレーニング負荷は上がる印象です。

最近はスムーズに書けるようにはなってきていますから
ダラダラ長く書くだけだったら、もしかしたら楽かもしれません。

ですが、論点を絞りつつ、明確な表現で
しかも400ワード程度に収まるように書くのを心がけると、
あとから自分で校正をして内容をチェックする過程も必要になります。

自分の思考プロセスの中にチェック作業を入れる練習でもありますから
これは発話として説明するうえでも役に立つものかもしれません。


毎回のレッスンでは、書いたものをネイティブにチェックもしてもらいます。

文法的なミスも修正されますが、それ以上に
表現として伝わりきらない部分を確認する段階が役立ちます。

どうやらフランス語は、英語よりも表現がクドくなったとしても
誤解の無いように丁寧に書くほうが大事みたいです。

英語だったら形容詞や副詞の一単語で言えてしまう状況も
フランス語では5単語ぐらい使う必要があったり。

そのあたりで自然なフランス語の感じというのは
英語とは異なったところがあるようです。

まだまだ先は長い印象を受けます。


ちなみに、僕がやってもらっているレッスンは
・近況報告〜フリートークを少し
・書いたものをベースに自分の考えを説明
・修正してもらいながら、ディスカッションを追加
・最後に書いたものの修正
という流れになっています。

意外とトレーニング効果が高そうなのが
 書いたものをベースに自分の考えを話す
という段階。

これは質問に答えるのと違って、自分が一方的に話し続けますから
発話の量のトレーニングとして効果が大きそうです。

普通に会話をしてしまったら「話す・聞く」が入れ替わって
それほど自分が話す時間というのは長くなくなる傾向があります。

フリートークのデメリットは、それほど話していないこともある、
というところでしょうか。

一方、フリートークだと、自分が思いもよらないような質問をされて
無理やり自分の考えを外国語にしないといけなくなるので、
自発的に話し続ける場合よりも表現やトピックの幅は広げられます。
こっちはメリットです。

僕の場合、今はとりあえずアウトプット量を増やしたいので
自分から一方的に説明を続ける作業を練習させてもらっています。

普通にネイティブの友達がいたとしても、
こんな作業には付き合ってもらえません。
レッスンだからこそ、でしょう。

そのうえ、説明の過程で間違いがあったり、不自然なことがあったり、
思い出せない言い回しがあったりしたら教えてもらえます。

これも役立ちます。

英語も含めて、多くの外国語のスピーキングテストでは
一問一答という形式ではなく、ある程度の長さ(1分とか)を
一方的に話し続けることを求められたりします。

その意味でも、自分が話し続けて、それを修正してもらう形は
発話のトレーニングとして有効なんじゃないかと思います。


いつまでこの形を続けるかは未定ですが、
今しばらくは、この形で練習あるのみです。

cozyharada at 08:00|Permalinkclip!コミュニケーション | NLP

2019年02月25日

日本語を勉強し直す

このところ、ビジネス的なお手伝いをする機会が増えていて
他の人の書いた文章を見ることも多くなってきました。

そのときに感じるのが、
意外と多くの人が日本語をいい加減に使っている
ということです。

文法的にも、話の展開としても、主題の表し方としても…。

とりわけ、修飾語の使い分けは
読みやすさと大きく関係するようです。

「どのフレーズが、どの単語を修飾しているか?」というのは
文章構造としては複数の解釈が可能なものなんです。

多くは、文脈を頼りにして、
読み手が「一番自然」な解釈を選んでくれます。

例えば、
大きな効果を出している悩みの解消法
というフレーズだとしたら、
「大きな」は「効果」を修飾していると判断されるでしょう。

可能性としては
「大きな(効果を出している悩みの解消法)」
のように
「大きな」が「解消法」にかかっている、とも読めます。

ただ「大きな解消法」という表現が不自然なので
「大きな効果」と繋がるほうが選択されます。

同様に「効果を出している」も
「解消法」とセットにするほうが意味的に自然です。

「効果を出している悩み」の「解消法」とするのは
「効果を出している悩み」って何だ?と感じられるはずです。

なので「効果を出している」ー「悩みの解消法」となって、
全体としては
「大きな効果 を出している」ー「悩みの解消法」
のような塊で捉えることになります。

ところが、
大きな影響力のあるマーケッターのための集客テクニック
だとしたら、
不自然ではない解釈の仕方が複数ありえてしまいます。

「大きな影響力のある 集客テクニック」とセットにすると
「マーケッターのための集客テクニック」のうち
特に「大きな影響力のあるもの」という意味になります。

一方、「大きな影響力のあるマーケッター のためのテクニック」
という切り方にすると、
「集客テクニック」のうち、特に
「大きな影響力のあるマーケッター」を対象にしたもの
と読み取れます。

複数の解釈が可能なんです。

あえて曖昧にする技術としても使えますが、
書き手の意図とは別の意味で伝わってしまうリスクもあります。

特に広告のように「たまたま目に止まったもの」だとすると
読む側には、それほど強い動機がありません。

読みながら解釈のパターンを複数探して
書かれている意味を理解しようと努力する…というのは
読み手にとって負担をかける作業となります。

読みたい理由が固まっていない段階では
面倒臭さを感じさせてしまいかねません。

すると、 途中で読むのをやめてしまうかもしれない。

読み手が読解を頑張らなくても自然に理解できて、
誤解が起きづらく、しかも話の展開がスムーズ。

ただ話の流れを追いかけていくだけで、
1つの結論に導かれるような、
そんな文章を書くにはトレーニングが必要なようです。


残念ながら日本の国語教育では、
そちらの方向性は強調されません。

むしろ、複雑に修飾語が込み入った文章を読んで、
「自然な」解釈のパターンを身につけるように訓練する。

「皆んなと同じ」解釈ができるように練習するわけです。

これが国語の重要な役割の1つ。

もう1つは、話の展開がスムーズでない文章や
主張が明言されていない曖昧な文章を読んで、
筆者の言いたいことを汲み取るトレーニング。

「皆んなと同じように」
書き手の気持ちを察することができるようにする、と。

こうして「一般的」な読解力を身につけて、どんな人の話でも、
受け取る側の努力で理解できるようにしていくわけです。

読解力を求められる割合が高いように思われます。


だからといって全ての人が
国語を得意としていたわけではありません。

複雑な文章構造を解読するのが面倒臭い人もいるし、
意味を汲み取る段階で、自分なりに解釈してしまう人もいる。

だからこそ書く技術としての国語力が役立つはずです。

それは日本の国語教育では重視されないみたいですが。

僕は幸い、英語やフランス語のライティングを通して
誤解を減らす書き方のトレーニングをすることができました。

今も苦労します。

英語やフランス語のトレーニングのつもりだったのに
結果的に日本語の文章力が養われた印象があります。

必ずしも外国語を通してトレーニングしなくても構いませんが
日本語の文章力を向上させるには、
外国語をやるぐらいのつもりで
土台から見つめ直す必要があるのかもしれません。

かなり気合を入れないと取り組みたくもない作業でしょう。

ただし、誰もやらない分だけ、効果は大きいと思われます。

何かに行き詰まったことがあったら、
1つの打開策として国語力をターゲットにするのも
悪くないんじゃないでしょうか。

コミュニケーションを重視する人は多いのに
国語力を重視する人が少ないのは
なんだか皮肉な話のような気がします。

cozyharada at 18:50|Permalinkclip!コミュニケーション | NLP

2019年02月21日

イヤイヤ

先日、電車の中で「イヤイヤ」の子を見ました。

オニギリを食べて、途中でやめてジュースを欲しがる。
すると母親が「ご飯ちゃんと食べてから」と。

それでもその子はジュースを欲しがるので、
母親がダメと厳しめの態度に変わります。

そのあたりから子どもがグズり始め、
母親は「ダメ、ちゃんとご飯食べてから」
のようなメッセージを繰り返します。

そして苛立ちを抑えつつ、
「ご飯食べないと大きくなれないよ。
ずっと子どものままでいいの?」
と、説得に移りました。

ここが、その子の返事が全部「イヤ」になったタイミングです。

「大きくなれなくていいの?」
ー「イヤ」
「じゃあ、ちゃんとご飯食べて」
ー「イヤ」
「ジュースじゃ大きくなれないよ」
ー「イヤ」
「ほら、ちゃんと食べて!」
ー「イヤ」
「もう、ちゃんとしなさい」
ー「イヤ。…イヤイヤ。…イヤ。」

…と、もう母親が何も言わなくても「イヤイヤ」を繰り返す事態に。


果たして、この子の「イヤ」は何に対して
どんな気持ちの表現なんでしょうか?

「ちゃんと食べないと、大きくなれない」
「(大きくなれないと)子どものまま」
「(子どものままでは問題だけど)それでいいの?」
という論理が理解できているのかは疑問です。

時間の離れた因果関係を言語的に理解するのは
かなり高度な知的活動ですから、
それが可能かは発達段階と関わります。

何十年先をイメージして、自分だけ子どものままの姿を描き、
それが問題だと判断するのは、さらに高度な作業です。

この質問に「イヤ」と答えたのは、おそらく
その子が内容を理解したからではないでしょう。

むしろシンプルな不満の表明だと思われます。

思い通りになっていないことへの不満。
ジュースが飲めない、という特定の対象ではなさそうです。

特に大きいと考えられるのは
『母親が優しくしてくれていない』という部分への期待外れ。

ジュースが飲めないことよりも、
母親が厳しく接し始めて、
自分を拒絶する態度に出ていることを感じとって、
そのことに不満を感じているのではないでしょうか。


子どもは特に、自分の気持ちを正確に言語化できません。
聞いて理解する能力も大人とは違います。

何かを言ったときに「イヤ」と返事があったからといって、
その内容に対して「イヤだ」と意思表明しているとは限りません。

どちらかというと、
母親を味方に引き取り戻そうとするコントロール法として
イヤイヤをやっていることが多そうな印象を受けます。

大人と同じような言葉のやりとりとして理解しないほうが
スムーズにいくことが多いような気がします。

cozyharada at 23:17|Permalinkclip!コミュニケーション | NLP

2019年02月18日

情報の洪水

刺激に弱いという僕の傾向は、あまり自覚していなかったですが
ずっと前からあったんだと思われます。

展開的には買い物が苦手でした。
本屋も家電量販店もユニクロも。

研究職時代は本屋に行くのが息抜きだった反面、
しばらく滞在していると頭痛が起きてきていたものです。

特に繁華街の大型店舗は顕著。
人が多いのもそうですし、情報量が多いせいだった気がします。

家電量販店は色も光も音も強いので大変です。

ことさら最近は、中国人観光客向けの商品陳列が多く
中国語表記が増えるほど、色も光も賑やかになりがちです。

集中して何かを選ぼうとするときほど、
そういうノイズへ過敏になっているんだと思います。


思えば、山口県に住んで研究所勤務だったときは
毎回の長期休みのたびに朝一の飛行機で東京に戻り、
そのまま新宿の紀伊国屋で本を探す…といったパターンでしたが
決まって偏頭痛が出て、自宅に戻ると散々な状態だったものです。

東京の研究所へ転勤になった後も、
都心部に行くたびに頭痛が起きていましたし。

同僚と秋葉原に行った日は、特に酷かったのを思い出します。
なぜか秋葉原はシンドかったです。
渋谷も行くたびに具合が悪くなる街。


音や色などの刺激が多くて苦しいという点では
居酒屋も苦手です。

話し声と騒音で押し潰されそうになりつつ、
同時に多くの話の内容が頭の中に浮かんできます。

色々な話を同時に理解しているのと同時に
乾いた笑いや愚痴を通して入ってくる
感情と意図を意識に上げては受け流す。

それらを全てかき分けながら、
目の前の話し相手の質問に答える必要があります。

さらにタバコの煙が来ると、刺激が増加しますし。

拷問に耐え忍んでいるかのような環境です。


NLPの講座では「五感が大事」「五感を敏感に」などと言われますが、
もう少し事情は複雑なんでしょう。

確かにNLPのワークをスムーズにするためには
五感情報に敏感なほうがやりやすい。

日常のコミュニケーションも、多くの五感情報をもとに
相手の気持ちをキャッチできたほうが
対応できることが増えてはきます。

技術のベースとして五感があるのはそうなんだと思います。

一方で、多くの都会で生きる社会人は
五感をあえて鈍感にしているというか、
徐々に五感情報を意識へ上げなくしてきた状態に慣れて
その五感の刺激に鈍くなっていることで
過剰なストレス要因にさらされるのを防いでいる、
ともいえるのかもしれません。

まあ、日本の都会が異常にストレスフルな気もしますが。

何事も裏表なんでしょう。

cozyharada at 23:37|Permalinkclip!NLP | コミュニケーション

2019年02月14日

【セミナー】NLPブラッシュアップ研修会

日本コミュニケーショントレーナー協会主催で
定期的に『NLPブラッシュアップ研修会』というのをやっています。

日程や内容については、こちら>>

東京の次の日程は3月30日(土)と3月31日(日)。
それぞれ違った内容ですので個別のお申し込みとなります。


基本的にNLPの内容です。
コミュニケーションにも応用は効きますが、
NLPの手法そのものを丁寧に見つめなおす形としています。

逆にいうと、「NLPって何?」のような関心には残念ながら沿えません。
むしろNLPをやったことのある方を対象としています。

なので用語の解説などは省略します。

一方、NLPにはプラクティショナーコースだけでは
時間やカリキュラムの関係で扱いきれていない部分が沢山あります。

「もっとここを丁寧にやったら身につきやすい」という部分を中心に
通常の資格取得コースでは紹介されない内容を取り扱うのが特徴です。

NLPの復習をしつつ、かつ丁寧に、より本質的な部分を深める。
一通りをザッと体験した後だからこそ、
それぞれの手法の位置づけや意味、狙いが見えやすくなるはずです。

「これって、こういうことだったんだ!」
というような再発見をしてもらいつつ、
NLPの観点から『心』を見つめる時間としてもらえたら…
と願っています。


プラクティショナーコースの中で行うのが困難なら
その次の段階で扱ってもよさそうなものですが、
次の段階にあたるマスタープラクティショナーコースには
それはそれで多くのカリキュラムが予定されていて時間が限られます。

マスタープラクティショナーコースは応用手法とプレゼンが中心。
実用的な手法や、効果の大きい方法が集まっているといえます。

となるとNLPの基本の部分をキッチリまとめて扱う機会は
資格取得コースの中には含まれなくなってしまう…
そんな事情もあるんです。

「一通りやったけど、バラバラとした点になっている」のような
印象になりがちなNLPを、1つのまとまりとして
繋いでいくような内容を考えています。

その意味でも、どこでNLPをやったかという背景は問いません。

大げさなセミナーというより、NLPを身近なものにしていく目的ですから
告知目的で集合写真をとったりするようなものではありませんし、
むしろ、いかにご自身のために活用していただけるかを意図しています。

少しでも有意義な時間を過ごしていただけたら幸いです。


お申込みはこのブログからはできませんので
リンク先のホームページからお願いします。

仕組み上のお問い合わせの場合にも、協会の事務局のほうへご連絡ください。

3月より先の日程は、東京以外も含め
7月以降の年後半に集まっています。

気になった方は日程をチェックしてみてください。

cozyharada at 23:51|Permalinkclip!セミナー情報 | NLP

2019年02月11日

NLPには理論がない

「NLPはモデルであって、理論ではない」
ということがNLP分野では言われることがあります。

最近の講座で一般的に強調されているのかは分かりませんが…。


で、ここでいう「理論」は、もちろん「theory」の翻訳です。

ところが、日常的な日本語の意味での「理論」と
学術的な意味での「theory (理論)」とはニュアンスが異なります。


そもそも一般的に使われる日本語では
「理論」の意味がかなり曖昧になっていることが多いようなんです。

よくある混同の1つは、「論理」と一緒にしてしまっていること。
これは「理論的」と「論理的」の混同で頻繁に表れます。

例えば、「理論的な人」という言い方は、本来
「論理的な人」といったほうが適切です。

「感覚派」の対義語として「理論派」なんて言われることもありますが
これも「論理派」のほうが正確でしょう。

意味としては、「論理的」とは「話に筋が通っていること」を指します。
論理展開が明確で、様々な要因の因果関係が矛盾なく説明される様子のこと。


それに対して「理論」というのはシンプルに言うと
「現象を法則として示したものの集まり」です。

例えば、有名な「弦理論」という物理の理論であれば、
物質の構成要素の最小単位を粒子ではなく、弦(”ひも”のようなもの)として
自然界の全ての力を説明しようとするもののこと、といるでしょう。

そこには、「弦理論」が前提とする原理から数学の論理で導かれる法則が
複数含まれることになります。

「法則」というのは短い記述で表現されるパターンです。
「〜だと、…になる」といったもの。

数学で表すと、これが等式になるわけです。
等式(イコールで結ばれた式)だと、ある変数の値が増減すれば
他の変数がどのように変化するかが計算として導けます。
中学校の数学でいうところの関数のようなものです。

「弦理論」からは離れますが、分かりやすそうな法則の例として
『熱力学の第一法則』を挙げると、
  閉鎖系の内部エネルギー U の変化 ΔU は、
  系外から流入した熱 ΔQ と、系外から行われた仕事ΔW の和に等しい
のように言語的に書き表されます。
これが数式だと
  ΔU=ΔQ+ΔW
となります。

「理論」には、より具体的に現象を説明した「法則」が含まれる、と。


上記の説明は自然科学分野ですが、社会科学になってくると
物事の法則は数式で厳密に表すのが困難になってきます。

法則を証明するためのデータを集めて、それを統計的に解析して
法則が成り立っていそうかどうかをチェックする、という形が主流。

法則そのものは言語的に表されることが多いようです。

証明されていないとは思いますが、有名な「マーフィーの法則」なんてのも
日常生活でよく起こる現象をパターンとして言葉で説明したという意味で
一応は「法則」のカテゴリーに入れられています。

同様に、例えば心理学でも様々な法則があります。

ダニエル・カーネマンが提唱した「ピーク・エンドの法則」は
 体験が快/不快だったかの評価は、ピーク時と終了時の快/不快の度合いで決まる
という内容のものです。

これはデータをとって示されたもの。
客観的に示されると「法則」と呼ばれることになります。


一方、心理学分野でも「理論」という呼ばれ方をするものがあります。
例えば「愛着理論」とか。

愛着行動と呼ばれる「人への親密さの表現」についての考え方で、基本的には
「子供が正常な社会的・精神的発達をするためには
 ケアテイカー(世話をする人)と親密な関係を確立する必要がある」
といった内容です。

これは展開させれば、
 幼少期に親密な関係の体験がないと社会的・精神的に問題をきたす
という話へと進んでいきます。

その内容について、様々な情報を引き合いに出しながら論理展開して
筋の通った説にしようとしたわけです(もちろん、反論も生みます)。

これは幼少期の愛着と、発達や社会行動との関係を説明した
1つの捉え方であって、数多い解釈の仕方の1つだといえます。

この理論を採用するかどうかは人それぞれ。
愛着という観点から現象を説明するという流派なんです。

で、心理学分野では、こうした理論は正しさを示すことができません。

理論の妥当性を高めるためにデータをとるのが最大限の努力。
実験や調査を行って、愛着理論を裏付けるデータを収集する、と。

ここで登場するのが「仮説(hypothesis)」です。
「この理論が正しければ、こういうときには、こういう結果になるはずだ」
という発想で設定される予測される結論が「仮説」です。

仮説はデータをとって検証可能なように設定されるんです。

理論そのものは検証できないけれど、
「理論が正しければ、こういうことになるはずだ」という予測はできます。

そして実際にデータをとってみて、予測通りの結果になったら
それは、その理論の妥当性を支える1つの根拠になるわけです。


前述の「ピーク・エンドの法則」というのも
 「体験が快/不快だったかの評価は、体験のピーク時と終了時の
  快/不快の度合いで決まる」としたら
 こういう場面では、こういう結果になるだろう…
という予測で実験が設計されています。

例えば…。
 1つのグループには大音量の騒音を体験してもらう。
 二番目のグループには、同じ大音量の騒音の後に、
 それよりも程度の低い騒音を体験してもらう。
 すると騒音の不快さの評価は二番目のグループのほうが低くなった。
…という感じ。

この実験の場合、
 「体験が快/不快だったかの評価は、体験のピーク時と終了時の
  快/不快の度合いで決まる」
という想定の下で、だとしたら
 体験終了時の不快さが小さいグループのほうが
 主観的な不快さの評価は小さくなるはずだ
という予測をたて、
そこから
 「大きな騒音だけを体験したグループより、
  大きな騒音の後に小さな騒音を体験したグループのほうが
  不快さの評価は小さい」
という『仮説』が立てられているわけです。

この仮説1つで
 「体験が快/不快だったかの評価は、体験のピーク時と終了時の
  快/不快の度合いで決まる」
という一般論が全て断言できるわけではありませんが、
この法則を裏づける説明材料にはなっています。

その意味では「ピーク・エンドの法則」の内容を「理論(theory)」として
実験的に立証可能な「仮説(hypothesis)」を立てた、ということができます。

「法則」と呼ばれていますが、
 理論をもとに仮説をたてて、データで仮説を検証し、
 その理論の妥当性を裏づける
という構造には共通点があります。

なので心理学分野では、「○○理論」も「△△の法則」も、どちらも
仮説によって妥当性を検証する対象としての「理論」の一種、といえます。

違いは「○○理論」と呼ばれるもののほうが
複数の「法則」を含んでいる、というところでしょう。

「△△の法則」のほうが具体的な1つの行動パターンについての説明で、
「○○理論」になると、もっと幅広い行動を説明するものになる、と。


ポイントは、
「○○理論」も「△△の法則」も、それ自体では正しさを示すことができず、
妥当性を高める根拠として「仮説」の検証をする手段を採用している
ということです。

ここが圧倒的に誤解されやすいところなんです。

日常的な言葉の使い方では、証明されていない法則やパターンのことを
「それってあくまで仮説でしょう?」
みたいに言われてしまうことがあります。

そうではないんです。
理論は基本的にすべて証明できていないんです。

物理の理論もそう。
相対性理論だって数学的に矛盾なく論じられていて
相対性理論に基づいた仮説の多くが実証されていて、
相対性理論に基づいた応用が役立っている現状があっても、
それでも理論である以上は厳密に正しいかどうかは定かではありません。

かなり妥当で、もっともらしい理論ということで広く採用されているだけ。

むしろ「仮説」と呼ばれるものこそ、実験的に立証可能なんです。
(仮説段階では検証が終わってはいませんが)


つまり、理論とは
 正しいか定かではない法則(の集まり)
だということです。

なので、「理論的」という言葉の用法としては、例えば
「理論的にはそういえるけれど、実際はそうではない」
のように
「理論に沿っていえば」という意味になります。

「矛盾がなくて筋が通った説明の仕方」は「論理的」なんです。
理論的なのではなく。


だからこそ「NLPには理論がない」といった説明は、
別にNLPが論理的ではないという話ではありません。

NLPで論理的に説明することは可能です。
それをやらない人が多いだけで。

論理的な(理屈っぽい)説明を放棄しているわけではないんです。

「理論がない」というのは、
 「こうなったら、こうなる」
 「こういうことを経験したら、将来こんな風になる」
 「こういう行動をするのは、こういう原因である」
のような
『法則』を含んでいない
という話なんです。

NLPの中には、人間の行動や心の動きをパターンとして説明した法則がない
…それが「NLPには理論がない」という意味でしょう。

だからそこから生まれる仮説もなく、仮説を検証することもない。


これはおそらく、他の心理学の理論に対する反発でしょう。

例えば、前述の愛着理論もそうですが、発達心理学には理論が多いようです。

精神分析であれば、
 無意識に抑圧されたものが症状を生み出すため、
 抑圧されたものを意識化すれば症状が解消される
という理論があります。

心理療法にもそれぞれが独自の理論を想定していて、
その理論をベースにした解決のアプローチが作られます。

ロジャースの来談者中心療法だって
 自己概念と経験の不一致が不適応や病理を生み出す
という理論があります。

NLPには、そういう理論はありませんよ、と。

どういうものでも上手くいくパターンを探して
それをモデルとして試してみましょう。
上手くいかなかったら違うモデルを試しましょう。
…そんな発想なんです。

人間を理論に当てはめて理解するのをやめて
1つの考え方で全ての人に対処するのではなく、
その人に起きていることを実際に調べて
上手くいかないパターンを変える。

人の心について「これが正しい」という発想を捨てる。
「法則に当てはめて、目の前の人を見ない」なんていうことはしない。

そういうスタンスが
「NLPには理論がない」
ということなんだと考えられます。

目の前の人の心を論理的に説明できるようにする「説明モデル」は
NLPの中にちゃんと含まれています。

cozyharada at 23:38|Permalinkclip!NLP | NLPの基本情報

2019年02月07日

NLPって何だ?

NLPのセミナーをやっていると、
コミュニケーションとか心理学とか自己啓発とかの流れで
NLPを知って興味を持つ人が大部分のようです。

結果として、営業や社内の人間関係に応用すればビジネス用途になり、
他人の目標達成に使えばコーチングになり、
自分の成長や自分の目標達成のために使えば自己啓発になり、
対人援助の場面を想定すればカウンセリングや相談技術になる。

いずれの目的であっても、その目的のために
どういう観点から向き合っていくかによって
ベースとする説明方法が異なってきます。

具体的な「コミュニケーションのやり方」として学ぶことで
人間関係を改善したり、営業成績を上げたりすることも可能ですし
コーチングやカウンセリングという形態で関わることもできます。
それで苦手な人付き合いを改善したら自己啓発です。

同じことを心理学の知識を利用してやることも可能です。
心理テクニックで人間関係や営業成績を上げることができ、
心理学の理論を元にしたコーチングやカウンセリングも学べます。
幸せな人の心の特徴を調べた心理学の知見を取り入れれば、
自分の幸福度も上がりますから、これは自己啓発の一種でしょう。

また、いわゆる自己啓発書などには、
成功者の考え方や習慣を取り入れて
自分も成功しようという発想が多いようですが、
これを応用した経営理論やビジネスマインド、
コーチングの手法なども存在します。

つまり、世の中には「目的」と「説明モデル」が様々あって
その組み合わせで『専門』の呼び名が変わる、ということです。

そして同じ目的であれば、
ベースとしている説明モデルが異なっていても
表面的なやり方には共通点が出てきます。

特に達人レベルになると、個性が際立つのと同時に
共通した要素もハッキリするように見えます。

「どういう説明の仕方を根拠とするか?」の違いがあっても
辿り着く本質的なポイントは同じところなのかもしれません。


その意味でいうと、NLPは「説明モデル」のほうでしょう。

もちろん、その説明モデルに基づいた手法が沢山ありますが、
それらは他の流派(別の説明モデルに基づくもの)で
扱っている技法と似ていることがよくあります。

逆に、NLPには「目的」がありません。
NLPの説明モデルを活かしさえすれば、どんな目的にも使える。

ですから、コーチングやカウンセリング、〇〇療法といった
具体的な技法の流派とは区別の質が違うんです。

むしろ、心理学、脳科学、精神医学、認知科学、スピリチュアル、仏教…
などと同じ抽象度のカテゴリーだと言った方がいいでしょう。

学問として確立しているわけではありませんし、
知名度や人気はスピリチュアル分野のほうが遥かに上のようですし、
仏教のような歴史があるわけではありません。

ただ同じような分類の仕方になる、という話。
つまり「心を説明するもの」というカテゴリーの中に入っていて
いずれも心をテーマとして扱っています。

ここは共通点です。
だから同じグループに入る。
同じレベルの抽象性を持っているわけです。
NLPが心理学のサブカテゴリ―(下位概念、一流派)なわけではない、と。

一方、「心を説明するもの」という同じグループの中に分類されながら
それぞれが違う名称で呼ばれているのは、個々に違いがあるからです。


ではその違い、特徴がどこに表れるのか?
それが「説明の仕方」です。
説明のモデルが異なるんです。
 (※注:モデルであって理論ではありません。参考情報は次の記事で)

心理学であれば、多くの人に共通する振る舞いのパターンを
「〜すると、人は…する」のように因果関係で説明したり、
「〜な人には、…な傾向がある」のように相関で説明したりします。

その際に、行動主義であれば
「刺激→反応」とか
「先行条件(Antecedents)→行動(Behavior)→結果(Consequences)」
とかで表現しますし、
論理療法であれば
「出来事(Activating event)→信念(Belief)→結果(Consequence)」
のように書き表すこともあります。

多くの場合は、「出来事・条件」→「行動・反応」のように
シンプルなモデルで留めておいて、
”心の内側で何が起きているか?”は議論しません。
内側で起きていることは測定しにくいので。

一方、脳科学であれば、脳の部位別の活動量とか
部位ごとの機能とかを調べて、
”脳の働きが人の行動にどう関与するか?”を議論します。

「脳の〇〇が〜だと、人は…する(になる)」とか
「脳の〇〇が〜な人は、…な傾向がある」とか
「〇〇な人は、△△な人よりも、脳の◇◇が〜な傾向がある」とか
そういったモデルでの説明です。

つまり、心という曖昧なものを脳の働きに置き換えよう
…といった説明のモデルだということです。

精神医学は心の病理を医学的な見地から議論しますし、
認知科学は心の動きを数式やコンピューターのプログラムで表現します。
医学や数式が説明モデルに使われる、と。

スピリチュアルの分野には様々な説明モデルがありますが、
魂とか前世とかカルマとか潜在意識とか…
人の振る舞いに影響を与える様々な要因を挙げます。

心理学が「出来事」とか「条件」などの
目の前に起きている測定可能なものだけを
”人の振る舞いに影響を与える要因”として考慮するのに対して
スピリチュアル分野では、時空を超えたもっと幅広い要因まで考慮する、
といった違いがあると言えそうです。

仏教の教えの中にも人の心の中身を説明したモデルがあります。
いくつかの要因に分けて心の動きや構造を説明するものです。

例えば唯識では、心の構造を
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識(あわせて「前五識」)、
それから意識、末那識(まなしき)、阿頼耶識(あらやしき)、
と、8つに分けて説明します。

また「五蘊」と呼ばれる考え方では、
”人が他の存在とどのように関わっているか?”という機能の部分を
色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊の5つの要素で説明します。

これと同じように、NLPには心の働きのモデルがあります。
表象システム、サブモダリティ、アンカーなどです。

こうした要素を用いて、人の心を『プログラム』として説明する。
それがNLPの本質のはずです。

また、価値観、ビリーフ、メタプログラムなど
プログラムの種類を分類する観点も含まれます。

一般的には説明をごまかすことが多いですが、
こうしたプログラムの種類も心の構造や機能として
サブモダリティやアンカーの概念で説明することが可能です。

NLPの説明の仕方、NLPの用語や概念で、人の心を捉える。
それがNLPであって、他の学問やスピリチュアルとの違いだということです。


そして話を戻すと、こうした説明のモデルを使って
それぞれの分野で様々な目的への応用がなされます。

心理学は心理学のやり方で人の心を説明し、
その説明モデルに沿って得られた知見を基に
ビジネスや人間関係、心理療法やコーチング、自己啓発など
様々な応用方法が開発されています。

そしてその応用方法の中で、技法が作られます。

脳科学でマーケティングを検討した応用方法もありますし、
脳科学的なアプローチで心の問題を解決しようとする技術もあります。
脳科学の知見に基づいた自己啓発やコーチングの手法もあります。

それぞれの分野で、特定の目的のために応用が工夫できるんです。

コーチング、カウンセリング、セールス、マーケティング…などは
『目的』の分類だと考えると分かりやすいんじゃないでしょうか。

特定の『目的』のために、どの『説明モデル』で工夫するか?
それによって個別の『技法』が生まれてきます。

コーチングやカウンセリングが技法として認知されがちなため
紛らわしいところが出てくるのかもしれませんが、
コーチングとは「目標達成のサポート」という目的の関わり方です。
カウンセリングは「困りごとを解決するための相談」。

そこに本来、説明モデルが加わって、個性を生むべきものなんです。

本来は、もっと様々な説明モデルに基づいたコーチングやカウンセリングがあっても構わないんですが、
一般的に広まったのが心理学系統の説明モデルをベースとした
コーチング、カウンセリングだったので、
その印象が世間一般に定着したんでしょう。

技法の観点でも、心理学系統をベースとしたコーチング、カウンセリングのやり方が
一般的な手法として知られるようになったと思われます。

実際、異なる説明モデルをベースとしたコーチングもありますし、
カウンセリングに関しては、お坊さんが相談に乗ったら
「仏教の説明モデルをベースとしたカウンセリング」ということになるでしょう。

コーチング、カウンセリング、セールス、マーケティングなどは
「技法」の名称ではなく、「特定の目的のための行動」の名称です。

「技法」は、「特定の目的のための行動」の工夫として細分化されたものです。
「〇〇マーケティング」とか「△△セールス」とかのように。

「特定の目的のための行動」を、どの「説明モデル」で捉えるかによって違いが生まれ、
それをどういう工夫で行うかによって「技法」のバリエーションが生まれる。

まとめると、
・「特定の目的のための行動」=『なんのために?』
・「説明モデル」=「どんな観点で?」
・「技法」=「何を、どのようにやるか?」
という感じになります。

そしてNLPそのものは「説明モデル」のほうだ、と。

ただ、開発の過程では体系だった説明モデルよりも先に技法が重視されたため、
NLPが技法のような印象が強まったのかもしれません。

一方で、NLPには「特定の目的」というのはありませんでした。

そのため技法として理解しようとすると
「何のためのものなの?」という印象が生まれやすい。

一方、コーチングやカウンセリングは先に目的が決まっていて、
そのために個別の技法が作られていますから
全てのテクニックの目的が明確なんです。

技法としてコーチングやカウンセリングを捉えている人からすると
NLPも技法と想像しやすいでしょうから
余計に捉えどころが難しいんじゃないかと思われます。

NLPとは何か?を理解する一番のポイント。

それはNLPは「説明モデル」であって、
「特定の目的のための行動」ではないので決まった目的がない。
そのため紹介される技法にも具体的な目的が設定されていない。

…そういうことじゃないかと考えます。

あくまで技法は、NLPの説明モデルをベースとしたもの、
つまり『プログラムをどう扱うか』だけでしかない、と。

この辺りをハッキリさせると、NLPの紹介もしやすい気がします。

ただし、壮大な内容に思えてくるかもしれませんし、
人によっては魅力的ではないかもしれませんが。

cozyharada at 23:14|Permalinkclip!NLP | NLPの基本情報

2019年02月04日

仕方のない事情

セミナーのスケジュールが立て込んで
かなりゲッソリしていました。

指摘されて計ってみたところ、体重も減っていたようです。
思いのほかエネルギーを使うみたいです。

厄介なのは、ヘロヘロになると体の強張りも自覚できなくなるところ。

一区切りついて、睡眠時間を確保して、
それからジムに行って身体を動かして、
ようやく全身が固まっていることを感じられるようになりました。

「疲れた」という印象から、
「重い」「ダルい」「凝っている」「痛い」という体験に変わるまでに
ある程度の回復とリフレッシュの作業が必要になる、と。

そのあとに、重さやダルさ、痛みをケアして
ようやく日常に戻れるんだろうと思われます。

ここ数年は、新年から4月初旬ぐらいまでが
かなりハードなセミナーのスケジュールになっていて
身体的な負荷が大きくなる傾向があります。

そういえば去年も、書道教室で他の生徒の人たちから
やたらと体調を気遣われることがありました。

みるみるやつれていく様子が週一回だけ顔を合わせる人たちには
ちょうどタイミングよく見てとれたのかもしれません。

何より書道教室は月曜日で、
週末のセミナー疲労を一番引きずっている曜日ですから。

なんでも去年は「病気じゃないか?」という噂が立っていたんだとか。

10年前にはこんなことなかったんですが…。

週4で終日のセミナーをやって、
そこに夜間のセミナーも追加されることもしばしば。

若かったというか、鈍感だったのか…?
それとも今とは違うやり方をしていたのか?

まぁ、当時もセミナーの最中から偏頭痛が酷くて
苦痛に耐えながら講座をやっていたこともあったので、
無理はしていたんでしょう。

それ以上に大きそうなのは、自分のスタンスかもしれません。

10年前は、ほぼ確実に僕が講座の8割以上を担当していました。
全部で10日間のNLPの資格取得コース(プラクティショナーコース)に
大部分の日程で顔を出して直接関わることができていたんです。

しかも、当時は1つ上のマスタープラクティショナーコースまで
かなりの比率の方が来ていましたから、僕の中での認識も、
半ば「両方合わせて完結」みたいな発想があった気がします。

なのでセミナーの時間を通して皆さんが楽になっていく過程を
かなり長いスパンで捉えていたところがありました。

最終的に楽になって、問題が解決して…という発想に近く
プラクティショナーコースの間であれば、
少しずつジワジワと心が緩んでいけば十分ぐらいのつもりだったんです。

実際、それでも最終的には効果を実感して頂けていたと想像しています。

それと比べると、最近は
プラクティショナーコースだけでしか関わらない方が多数派ですし、
そのプラクティショナーコースも、僕が担当できる日数は
多くて4日、少なければ2日です。

場合によっては、プラクティショナーコースで担当しなかった方が
マスタープラクティショナーコースに参加されて、
そこで初対面となるケースさえあります。

とにかく関われる日数が少なく、
心が緩んで、ほぐれるような体験をしてもらえるように
工夫して接することができる時間が限られているんです。

以前は「長期間でジワジワと」という想定でいられたのが
最近は「限られた機会で最大限に」という想定になります。

その意味で、毎回が目一杯で、
余裕をもって気長に捉えるところは減っている気がします。

このスタンスの違いが、
毎回の消費エネルギーを大きくしているのかもしれません。

とはいえ僕にできることは限られているので
今は体調管理を工夫しながら目の前のことに集中しようと思います。

cozyharada at 23:29|Permalinkclip!NLP | セミナー情報
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

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《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


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《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

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次回は未定



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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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