2019年08月

2019年08月27日

病院の世界

ここ最近、病院で何度か検査をしてきました。
二か月ほど前に気を失ったことについての話です。

僕自身は心配していなかったんですが、家族が「どうしても」というので
知人の縁を通して大学病院に紹介状を書いてもらって診察を受けることに。

色々な検査データを見ても異常が見当たらないとのことで
結局は「何が理由か分からないから静観」と。

ちょうど時を同じくして母が手術で同じ病院に入院していたため
診察や検査に行ったときに、そのままお見舞いに行くこともできました。

まぁ、その意味では良いタイミングだったのかもしれません。


それにしても外科というのは検査データが重要なんですね。

最初に行った病院は同じ「脳神経〇〇科」でも「内科」だったので
検査データだけでなく、時間をかけて問診をされました。

どういうことが内側で起こっているか、因果関係を調べようとする感じ。
刑事とか探偵とかに近いイメージでしょうか。

それが脳神経外科となるとアプローチも異なってくるようです。
こちらのほうが器質的な問題というか、問題のある身体的部位を特定して
そこを”治療”しようという発想がベースなのかもしれません。


たとえば僕の現状が疑われていた「てんかん」についていえば
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮によって起こる反復性発作」
と考えられていますから、
「脳細胞の過剰な電気的興奮」というのが問題だとされるわけです。

そして
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮によって起こる反復性発作」
のように言うと、あたかも
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす
かのように見えます。

確かに時間経過を見ると、脳の電気的興奮が伝わって
意識消失や筋肉の硬直や痙攣を引き起こすまでには
微妙な時間差があるでしょうし、
脳→身体のように部位が移るところにも順序の関係は見てとれます。

その意味では
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす
のように言うことも不可能ではありません。

しかし見方を変えると、
 「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」に引き続いて
 身体に表れる観察可能な発作が起こる
というのは、
 現象を違うレベルで説明しているだけ
とも言えそうです。


温度と分子の運動の関係のようなものです。
分子が速く振動しているときが高温。

「高温」という温度計で測定可能なデータは、
細かいレベルで起こっている現象としていうと
「分子が速く振動している」ことと一致するんです。

「分子が速く振動する」から「高温」になる
のではなく、
「分子が速く振動している状態」が「高温」に相当する
というほうが正確。

「分子が速く振動する」のは「高温」の原因ではなく、
「温度」という1つの現象を
・分子レベルで説明するか
・温度計で測定可能なデータのレベルで説明するか
の違いでしかありません。


同様に、「てんかん発作」というのも
・神経系統のレベルで説明するか
・観察可能な身体状態のレベルで説明するか
の違いだとも言えるはずなんです。

神経のレベルでいえば、
「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮が全身の神経系統にまで伝播する状態」
と表現できる。

身体状態のレベルでいえば、
「痙攣や筋肉の硬直や脱力、意識消失が発作的に起こる症状」
と表現できる。

説明している対象は同じ現象のはずなんです。
ですから「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」というのは
てんかんの『原因』ではなく、解剖学的な『メカニズム』です。

ただし、意識消失や痙攣そのものは
「脳神経系の過剰興奮」というメカニズムで起きるとは限りません。

なので、意識消失や痙攣のような身体的発作の種類を、
どういうメカニズムで起きるのかによって分類するのは有用でしょう。

ですから、
 意識消失や痙攣のような身体的発作のうち
 「脳神経系の過剰興奮」というメカニズムで起きるものを
 『てんかん』と呼ぶ
のような説明の仕方になります。


まとめると、
 「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が「反復性発作」を引き起こす原因
なのではなく、
 「大脳神経細胞の過剰な電気的興奮」が起きているときに
 「身体レベルで観察される反復性発作」
のような同時性を表現する方が
言語的な定義としては正確じゃないか、ということです。


このように捉えると、てんかんが起きる『原因』は、
神経系統のレベルで捉えるなら
 「そもそも何が『大脳神経細胞の過剰な電気的興奮』を生み出しているのか?」
という部分に行きつきます。

外科は、その部分をあまり考えないのでしょうか。
メカニズムに対して外的な介入をして制御・修正する。
すると身体的に観察可能なレベルでは症状がなくなる。

そんなスタンスなのかもしれません。


『原因』と『メカニズム』は別物です。

原因は「同じ抽象度における因果関係の繋がりとして説明されるもの」です。
メカニズムは「1つの現象を別の抽象度で説明したもの」です。

この違いはあまり厳密に使い分けられていないのかもしれません。

どちらも「なぜ?」「なんで?」の質問の答えとして許容されてしまっています。

典型的なのは「なんで空は青いの?」という質問。
「なんで今日はスーパーに買い物に来たの?」も、同じ「なんで?」の質問です。

「空が青い」のに原因はありません。
強いていうと、
「今、空が青いのは、雲が通り過ぎて行ったから」
「さっきまで黒かったのに今、空が青いのは、太陽が昇ってきたから」
ぐらいでしょう。

「空気中の水によって太陽光が散乱するときに
 波長の短い青系統の光ほど良く散乱するから
 青の光が目に届きやすくなる」
のような説明は『メカニズム』の説明なんです。

「なんで今日はスーパーに買い物に来たの?」は
「冷蔵庫の中身が空っぽになってしまったから」という『原因』でも説明可能ですし、
「他の店でも買えるのに、あえてスーパーに来たのは
 一度に必要なものを全て買いそろえて時間を短縮したいから」
という『目的』でも説明可能です。

こうした説明の仕方の区別を明確にしておくと
目の前の『問題』についても様々な観点から捉えられるようになるはずです。

身体症状という問題を、原因で見るのか、メカニズムで見るのか。
医学の世界では、どれぐらい明確に区別しているのでしょう?

cozyharada at 23:28|Permalinkclip!コミュニケーション | NLP

2019年08月17日

知らなかった音楽の世界

先日テレビを見ていたら、お笑い芸人で音楽もやっている
「こまつ」という人が、テレビゲーム「ドラゴンクエスト」について、
その音楽の素晴らしさを熱く語っていました。

作曲家の すぎやまこういち さんが凄すぎる!と。

とりわけファミコンにおけるドラゴンクエストシリーズの最後の作品
『ドラゴンクエスト検戮涼罎濃箸錣譴討い襦嵎冉鏤辧廚凄い、
とのことでした。


変拍子というのは、オーソドックスな
2拍子、3拍子、4拍子とは異なる拍のパターンのことだそうです。

ちなみに、3連符を組み合わせると、それぞれ
6拍子、9拍子、12拍子になりますが、
変拍子は3連符を使うタイプとは違うらしいです。

有名なのは「スパイ大作戦」のテーマ。
これが5拍子です。
(最近の「ミッションインポッシブルのテーマは
 アレンジが入って4拍子に変換されています。)


で、ドラゴンクエスト犬涼罎
モンスターと遭遇したときに流れる戦闘中の曲があるんですが、
ここに変拍子がやたらと使われている、と。

基本的に4拍子で進んでいて、
途中で9拍子や7拍子が移り変わりながら入り込んでくる。

曲中に変拍子が入れ替わりつつ入っているのに
不自然さが一切ないというのが凄いんだそうです。

どのぐらい自然かというと、当時の小学生が当たり前に口ずさめるぐらい。
曲のリズムとして完全にマッチしているわけです。

YouTubeで探してみると、いくつか動画も見つかりました。

まずは曲そのものを聞いていただくと良いかと思います。

ドラゴンクエスト犬鬚笋辰燭海箸里△訖佑覆蕾かしい音楽でしょう。
オーケストラバージョンで豪華ですが、こちらです。



開始から39秒までは4拍子で進みます。
ドラムの音や、低音の管楽器を聞いていると4拍子は掴みやすいと思います。

そして 0'40"〜0'58" の間に変拍子が登場します。
9/8, 9/8, 9/8, 2/4, 7/8, 7/8
というサイクルが二回。

9/8は8分音符で9拍ということですから、そこまでの半分の長さを1と数えて
それが9回で1小節になる形。

なので最初から0'39"までは
「1-,2-,3,-,4-」「1-,2-,3-,4-」…と来ていたのが 0'40"から倍の速さで
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1,2,3,4,5,6,7,8,9」
「1-,2-」
「1,2,3,4,5,6,7」
「1,2,3,4,5,6,7」
と進みます。

これが2回。


こちらの動画には右下に拍子のカウントが出ているので
こっちのほうが視覚的に理解はしやすいと思います。




これを見た後で、もう一度、耳を頼りに…
できればリズムを取りながら
最初の動画↓を見ていただくと、
より変拍子のカッコよさが感じられるんじゃないでしょうか。



テレビを見ながら僕も感動してしまいました。


知らないと察知することすらできないで
当たり前に「ドラクエの音楽」ぐらいにしか捉えていませんでしたが、
少しでも専門的な知識を教えてもらえると
今まで見えていなかった世界が見えてくるようです。

cozyharada at 23:44|Permalinkclip!NLP | 心理学

2019年08月13日

12年も前から

思い返せば、このブログを書き始めたのは
まだ会社にいる頃でした。

NLPの講座を受講して、おそらくトレーナーコースも行ってきて
その後も色々とセミナーに参加しまくっていた時期だと思います。

とにかく関心が強かったんです。

だから日々、様々な発見があって、新しい学びがあって、
ブログを書きながら情報を整理するような側面もあったと記憶しています。

新しい知識や経験則、技術のコツなどは
インプットされた直後では曖昧な形で記憶されているものです。

「なんとなく、こんな感じ」という情報にしかなっていない。
適切な言葉に置き換えることができていない状態です。

ブログに書くことで、それが言葉に当てはめられて
キッチリと言語化可能な情報に再構成される感じがありました。

重要なポイントが強調され、同時に余分な詳細が削り取られる。
そうやって知恵が洗練されていく印象があったものです。

これは一般にも言えることでしょう。
書いて整理すると技術も知識も洗練される。

実際、ブログに書いて整理し直した知識や技術に関しては
セミナーで話すときにもスムーズに説明できたものですし、
技術もカウンセリングやセラピーの中で
効果的に使いやすくなったのを覚えています。


それからしばらくして、自分の中で知識と経験が定着して
全体像として一貫したものが体系化されてくると、
今度はブログの内容も少し変わってきたように思います。

当初のように「新しいこと」を文字に置き換えて
知識や技術を洗練させる度合いは減りました。

むしろ、自分の中で体系化されたものがハッキリしたことで
他の人のやり方が「自分とは異なったもの」として
それまでよりも目につくようになったんです。

この頃は「自分のもの」として形作られてきた技術に関して
教わってきた先生達の想いも引き継いでいる自負がありましたし、
技術にこだわる理由としての強い想いも自分なりに持っていました。

価値観が強かったんです。
「これが大切」というスタンスがハッキリしていた。

なので、自分の考えに合わないものを見ると
反発や不快感が沸いてきていたんです。
(違和感と言ってもいい程度のものもありましたが、
 違和感には少なからずネガティブな意味づけが含まれているものです。)

シンプルにいえば、嫌だったんです。
「そうじゃない」と言いたかったんです。

そういう意味では、自己主張が強かった時期だと言えます。

すると技術のポイントとか、世間で誤解されていることとか
上手く説明されていないものとか、
場合によっては街中で見かけた好ましくない場面とか、
そういったことについて解説するような形の内容が多かった気がします。

体裁としては客観的な文章を心がけてはいましたが、
本心では主観的な意見を主張していたと思います。

言いたいことがあったんです。
そういう時期。


その後、「自分」というものについて向き合うことが増えました。

「自分」の言いたいこと…を言葉にするよりも、
そもそも「自分」って何なんだろう?
みたいなことを意識する度合いが高まったことも関係していると思います。

誰かに対して主張することは、もう重要ではなくなってしまいました。
むしろ自分に何が起きているかのほうに関心が向いていた時期。

とはいえ、ブログを書き続けようという努力はしていましたから
関心が向いていることを書くぐらいしか手段が思いつかず、
自分に起こっていることを客観的に分析するような内容が多くなりました。

心理とかNLPとかコミュニケーションとかの内容を
直接的に説明するようなことは滅多に書いていなかったと思います。

それまでに培ってきた着眼点は、自動的に
心理とかコミュニケーションに目を向けさせますし、
解説する骨組みはNLPの概念になりますから、
完全にNLPから離れることはなかったはずです。

「NLPについて」書くのではなく、
自分の近況を「NLPの観点で」書く、という感じでしょう。


ところが、そうした「自分」というものについての関心も
色々と取り組んでいるうちに方向性が変わってきました。

何かに関心が向くこと、そのものが減ってきたようです。
とりたてて何にも強い関心がない。

なので最近は、本当にブログを書く内容が見つかりません。

フランス語は続けていますし、
少しずつ成果も感じられてきてはいます。

ロシア語は相変わらず複雑で、二年もやって
まだ中級に入れないぐらいの段階。

書道は仕事のスケジュールもあって
あまり時間をかけられていない状態が続いています。

ジムは身体のメンテナンスとして定期的に通っていますが、
最近はむしろ体調管理のほうが気がかりなぐらいです。

パソコン作業も頼まれて他人のためにやっている
サービス的な度合いが高まっている状況なので、
デスクワークそのものを避けたいところもあるのかもしれません。

いや、それ以上に大きいのは
 自分の中から出くるものがない
ということでしょう。

なんというか、毎日を少しずつ過ごしているだけの印象。

文章を書くことに、なんとも腰が重くなってしまいました。
仕事としては厄介な部分といえそうです。

cozyharada at 23:32|Permalinkclip!心理学 | NLP

2019年08月06日

元型コンビ

ユングは「集合無意識」という言い方で
個人の心を超えた範囲について説明しました。

ユング自身が実際にどのような捉え方をしていたのかは
想像が難しいところもあって、
「心は繋がっている」とまで言えるかどうかは分かりません。

少なくとも「無意識の範囲で共有されているものがある」と。

集団に共通して存在している普遍的なもの。
それがイメージのような形で心の奥底で認識されていて、
夢や神話の中に典型的なキャラクターとして登場する、というわけです。

で、この典型的なイメージ、
色々なところに共通して見受けられるキャラクターを
『元型』という言葉で説明しました。

元型は1つではなく、よくあるパターンのキャラクターとして
複数の種類が提案されています。

ある側面の個性が際立った特徴的な登場人物として
様々なストーリーに「似たタイプ」の性格・姿かたちで表れます。

人気の映画やマンガなどには、必ず際立ったキャラクターがいて
登場人物同士はあまり似ていないほうが普通です。

それぞれの個性が違っていて特徴が強いから
登場人物同士の動き、活躍の仕方が違っていて
ストーリーそのものにもメリハリが出るんでしょう。

そして読者・視聴者は、
自分の個性を色濃く誇張したような典型的なキャラクターに
感情移入しながら心を躍らせることができる。

マンガ『ワンピース』なんて人気が高いですが、
個性の強い登場キャラクターが、仲間として、敵として
関係性を展開していく姿は、その観点からも
多くの人の心を捉えやすいと考えられます。


ユングの考えた元型として有名なのは、
アニマ/アニムス
グレート・マザー
オールド・ワイズ・マン
トリックスター
などでしょうか。

ユングが考えたかどうか定かではないけれども
元型という発想を元に発展していったと思われる
『元型心理学』なんていうのも一部では人気です。

元型の考え方を土台に、ジレットとムーアが提案して
自己啓発系などで人気になったのが
「王、戦士、魔術師、愛人」という4つの元型の理論。

ドラゴンクエスト3なんかは典型的に、
この4つのキャラクターで最初の冒険がスタートします。

ユングの考えのみを元型とするかどうかは意見が分かれるところですが…
人が自然と認識する人の個性、
多くの人が共通して「ああ、そういうのあるよね」と感じる個性の描き方、
ということに注目すれば、パターンはいくらでも見出せるものでしょう。

あとは、どこに注目して、どれぐらい細分化するかの問題。


僕にとって個人的に印象的なのは
・小さくて賢いキャラクター
・大柄で温厚で力持ちのキャラクター
というコンビです。

子供の頃から好きだったマンガやアニメ、映画には
思い返してみると、この組み合わせがあったようです。

実際、自分としては
「大柄で温厚で力持ち」
のほうが好きで
そっちに注目しながら見ていました。

キン肉マンなんかは代表的でしょう。
強くて優しくて、おっちょこちょいな主人公キン肉マン。

僕にとってはキン肉マンばかりに目が行っていましたが
いつも隣には参謀役としてミート君がいました。

小さくて賢いキャラクターの典型だと思われます。

ハッキリと、その二人だけが際立った主人公コンビ
となっている必要はありませんでした。

むしろ沢山の登場人物の中に
そういうコンビ的な立ち位置があると気になる。
そんな傾向だった気がします。


マンガ『バカボン』に出くる
「はじめちゃん」と「バカボン」。

『サイボーグ009』に出てくる
「001」と「005」。

『三つ目がとおる』に出てくる
「写楽保介」と「和登千代子」。

もしかすると『スターウォーズ』の
「R2-D2」と「C-3PO」なんかもそうかもしれません。
(C-3POは強くないですが、温厚な感じはあります)

似たようなパターンは沢山ありそうに思います。

なんとなく、こういう組み合わせなんかも
元型的に多くの人の心の奥にシェアされているのかもしれません。

cozyharada at 23:10|Permalinkclip!NLP | 心理学

2019年08月01日

放っておけない人

誰かに対して、何かをしてあげずにはいられない
 とか
誰かのことを放っておけない
 とか、
そういうときには、非常に高確率で
『その人本人が過去に負った心の傷』が関係しているようです。

特に多いのは「別れに伴う後悔や罪悪感」など。

「もっとこうしていれば…」
「何もしてあげられなかった」
「こんなことなら、あのときに〇〇していたのに…」
といった気持ちをもったまま別れを迎えると、
突然の別れに伴う『ショック』と
大切な存在が戻ってこない『寂しさ』とが重なって
強い感情を抱えることになります。

この強い感情が記憶の定着を促す。
結果的に、そのときに浮かんだ後悔や罪悪感にまつわる思考が
パターン化された経験則として保存されることになります。

これを『ビリーフ』と呼んでも構いません。
とにかく「何もしないと、いずれ後悔する」という経験則が
ワンパターンの凝り固まった考え方として残ってしまうわけです。


そしてその後、同様な形で別れに繋がりそうな場面に出くわすと
過去の記憶が自動的に蘇ります。

多くの場合は、本人にとって記憶の内容までは無自覚ですが、
心の中には複雑に混ざり合った気持ちが起きてくるわけです。

混ざるものとしては…
・そのときに体験したショックと寂しさの感情
・自分の過去の行動に対する後悔や罪悪感の感情
・後悔や罪悪感に基づく「二度とこんなことは繰り返さない」という思考
・「また同じような別れになるかも」という思考と、それゆえの恐れの感情
・後悔を繰り返さないため、恐れている結果を防ぐための行動
・その行動を力づくで成し遂げようとするときに生まれる怒りの感情
あたりでしょう。

こうした複雑な状態が一気に引き出される。
自分でも良くわからない、取り乱した感じになるといえます。

ですから、その状態で浮かんでくる考えとか
相手を説得しようとして言う内容などは
思い付きのものに近く、深く吟味されたものではないほうが自然です。
というよりも、注意深く考えることができない状態になるんです。


もちろん、前提には、目の前の相手に対しての特別な想いがあります。
どうでもいい他人ではない、大事な存在として認識するからこそ
「この人まで失いたくない」という気持ちが生まれるのでしょう。

なので、本人の自覚としては「心配」という表現になりがちです。

しかし実態として内面で体験されている内容は、
目の前の相手に対して生まれた気持ちや感情ではなく、
むしろ過去の別れの体験の際に残った心の痛みのほうなんです。

目の前の相手との別れを想像させる出来事があったときに、
似たような過去の別れの体験にまつわる記憶が蘇ってきて
過去に味わった複雑な心の痛みが、今そこで再体験されてしまう、と。

つまり実際には、目の前の相手に対しての気持ちよりも
過去の心の傷にまつわる気持ちのほうが強く出てしまっているわけです。

言い換えると、
 目の前に相手がいるのに、その相手に対する気持ちではなく
 過去に別れを経験した相手のほうに意識の大部分が引っ張られている
ということです。

皮肉な話です。
本人は目の前の相手を思っているつもりでしょうけれど、
実際に起こっている心の動きは、過去の別れに対しての思いなんですから。

目の前の人は、本人が過去に体験した別れに伴う心の傷を
思い出すためのキッカケになっている、といえます。

そうなると意識の大部分は過去のほうを向いてしまって、
大切なはずの目の前の人から目を背けてしまうことにもなりかねません。


ポイントは「二度と同じことを繰り返さないように」という発想から
「同じような結末を防ごうとする」行動を取りたくなるところ。

ここで「別れ」という出来事そのものを防ごうと躍起になりがちです。

しかし現実的には、どうにもコントロールできないことがあります。
自分の外で起こる出来事は、自分のコントロールの範囲外です。

にもかかわらず、なんとかコントロールしようとする。

一方で、「二度と同じことを繰り返さない」ようにするのは
シンプルに言えば、「後悔しない」ようにするという話です。

後悔は「あのときに、こうしていれば」といった形の発想ですから
「自分が最善を尽くした」と思えるようにするのが原則でしょう。

出来事のレベルで結果を変えようとするのではなく、
自分の行動として「後悔の無いように、できる限りの関りをする」。
これなら自分にコントロールできる範囲です。

結果に関しては、いずれ受け入れざるを得なくなるものなんです。
「自分にコントロールできないことだった、仕方なかった」と思えてくる。
現実の不条理さは、時間が経てば受け入れやすいんです。

しかし、自分にコントロールできたはずのこと、
つまり「もっとこうしておけばよかった」というレベルの
自分の行動に関しては、「仕方なかった」とは思いにくい傾向があります。

自分にコントロールできたはずだからこそ、
そこに後悔が残りやすいんです。

だからこそ、自分には受け入れ難い結果を変えようとして躍起になるよりも、
自分にコントロールできる範囲の自分の行動として
悔いのない精一杯の関わりをしておくことのほうが、
のちのちに大きな意義を持ってくるわけです。


我が家で飼っていた犬は、二回とも骨肉腫にかかりました。
晩年は、それで体調を崩していたものです。

直接の死因は別の呼び名だったと思いますが、
寿命を短くしたのは骨肉腫だったと言ってもいいと思います。

間接のところに腫瘍ができて、大きく膨れてくるんです。
その重さで歩きにくそうにも見えました。

当然、心配になります。
動物病院に連れて行きます。

「腫瘍ができていますね。
 悪性か良性かは、生検をしないと分かりません。
 念のため調べてみますか?」
という話になって、腫瘍を一部切り取って検査をしました。

悪性でした。

じゃあ、手術をするか?

そのときの犬の年齢を考えると、手術に耐える体力があるかも疑問。
手術代も高額です。
手術が上手くいっても、老い先は決して長くはない時期でした。
手術をしなくても、それなりには生きるだろうという見立ても。

結局、我が家では手術はしないほうを選びました。

しかし、腫瘍を切り取った傷口がなかなか塞がらず
傷口はいつも血でにじんでいる状態が続きました。

そして9歳で命を終えました。

果たして、手術をするべきだったのか?
手術をしてれば、もっと長く生きられたかもしれない。

どうせ手術をしないなら、検査もしないほうが良かったんじゃないか?
それだったら血だらけで痛い思いをせずに晩年を過ごせたのでは?

そんな考えにはキリがありません。
結果をコントロールしようとすれば、別の選択肢を知っているからこそ
「あっちを選んでいれば、もっと良かったかもしれない」
という発想を持ってしまいがちです。

そして後悔する。

仮に手術をしていたとしても、上手くいったかは分からないのに。
手術をしたほうが寿命を縮めてしまった可能性もあります。

もしそうだったら
「手術なんてしないで、そのまま生かせてあげればよかった」
という後悔をしていたはずです。

手術が上手くいったケースでさえ、
「やっぱり手術なんかせずに、自然にしてあげたほうがよかった。
 あんなに苦しい思いをさせてまで、1,2年長生きしても意味がない。」
なんて形の後悔をしていた可能性だってあるんです。

結局、何を選んだって、後悔するんです。
「別の選択肢を選んでいたら、もっと良かったかもしれない」
という発想を持ってしまう限り。

出来事としての結果、つまり自分の身体の外に起きることを
コントロールしようとして何かをしたとしても、
それはコントロールの範囲外だからこそ
常に「もっと良かったかもしれない」可能性が浮かんでしまうんです。

考えても仕方ないことなんです。

それよりは、
「犬と一緒にいた限られた時間、
 自分が犬のためにしてあげたいことを全部やったか?」

そういう話です。

cozyharada at 23:26|Permalinkclip!コミュニケーション | NLP
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【日時】 
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【場所】 
  北とぴあ 第2和室

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   南北線王子駅直結

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  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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