2007年09月30日
思い切り
急に涼しくなってきましたね。
秋になると思い出すことがあります。
僕が前にいた会社では年に一度、大きなお祭りのようなものをやっていまいした。
事業所ごとに特色はあるものの、どれもかなり大掛かりなもの。
僕が最後にいた東京の研究所では、新人を中心に芸を披露するという慣わしがありました。
舞台を設営して、照明や音響まで念入りに準備して
全体で数時間の宴会芸になるわけです。
見ている側は色々と飲み食いしながら楽しんでみていればいいんですが、
やる方は大変でした。
僕は新人と言いながら転勤してきた年にやることになったので
その年の新入社員の人達と一緒に色々とやったんです。
そのときの様子は今も克明に覚えています。
宴会芸自体は他の事業所にいたときにも何度もやらされてきましたし
好評を頂いていたので、そのときも意外とヤル気はあったはずです。
で、僕としてはその規模の大きさを過大評価していたんですね。
そこが僕の悔やんだポイントでした。
割りと少人数で1時間やらなければいけないこと、
衣装替えや舞台設定などもしながらだったこと、
そういったことを踏まえて入念に計画したものです。
今もキーボードを打ちながら嫌な記憶も蘇ってきていますが
コミュニケーションということを勉強していなかった当時の僕は
凄く重要なことを見逃していたんです。
今でも自分の幅を広げるという意味や
体験の臨場感を上げるという意味で、
セミナーなどでも思い切ってやってみることの効果をお伝えしていますが
誰のために思い切ってやるか、というポイントもあるわけです。
舞台に向けて、僕は一生懸命にネタを考えました。
当日も思い切ってやりました。
ただ、今思うと、あれは『やり過ぎ』だったんですね・・・。
多くの反対意見と議論しながら、過去の思い込みを断ち切って
より面白くできることだけを考えてやったつもりです。
でも、その事業所にいる人達の過去から続く思い込みは変わっていませんでした。
「去年前のはこういうものだった」という前提。
「今年もきっとこうだろう」という思い込み。
要するに無難な流れがあったわけです。
僕が面白いと思うかどうかは別にして、
それまでずっと、その流れを楽しんできた人達が大勢いたんです。
それをその年も楽しみにしていた人達が舞台間近に座っていたんです。
僕はそのことを全く考えていませんでした。
観客の期待を一切考慮していませんでした。
それでは空回りするわけです。
思い切りやることよりも、恥ずかしながら頑張っている新人たちを
観客が笑うという構図さえあったわけです。
「あいつはバカやってんなぁ」とか「良くやるわぁ」という見方がありましたから、
予想できる範囲を少し上回るぐらいが丁度いいのでしょうね。
やり過ぎたら、引かれるんです。
予想を上回りすぎると分からないんです。
相手の期待に応える。
NLPで言ったらペーシングですね。
「これはこういうもんだろう」という予想を誰しもが持っていて
その予想を良い意味で上回るのが喜んでもらうポイントかもしれません。
セミナーも同じなのかもしれませんね。
受講生の期待を少し上回る。
期待と全く違う方向にいってしまうと満足感は得られないと思います。
確かに僕は、会社にいたころゴールデンタイムのテレビを見る時間はありませんでした。
見るテレビ番組といえば深夜のバラエティとマニアックなお笑い番組くらい。
たまに『ルミネTHEよしもと』に行ったりもしていました。
僕がやろうとしていたことは自分が見たら面白い内容だったんだと思います。
観客の大部分が面白いと思う内容ではなかったんです。
それに賛同してくれた人達もいました。
決して多くなかったですが、大爆笑してくれた人達はいました。
でも、そんな人達は会場の後ろの方に座っているんです。
例年の芸に対して期待をしていなかった人達ですから。
自分のやりたいことをやって、分かってくれる人達もいる。
その人達だけを相手にして、自分のやりたいことを貫き通す。
それをやるにはパワーがいりますね。
根気も必要です。
大勢に合わせる方が確実かもしれません。
両方の使い分けが出来るといいのでしょうね。
今なら、もっと笑ってもらえる舞台をやれる自信があるんですがねぇ。
秋になると思い出すことがあります。
僕が前にいた会社では年に一度、大きなお祭りのようなものをやっていまいした。
事業所ごとに特色はあるものの、どれもかなり大掛かりなもの。
僕が最後にいた東京の研究所では、新人を中心に芸を披露するという慣わしがありました。
舞台を設営して、照明や音響まで念入りに準備して
全体で数時間の宴会芸になるわけです。
見ている側は色々と飲み食いしながら楽しんでみていればいいんですが、
やる方は大変でした。
僕は新人と言いながら転勤してきた年にやることになったので
その年の新入社員の人達と一緒に色々とやったんです。
そのときの様子は今も克明に覚えています。
宴会芸自体は他の事業所にいたときにも何度もやらされてきましたし
好評を頂いていたので、そのときも意外とヤル気はあったはずです。
で、僕としてはその規模の大きさを過大評価していたんですね。
そこが僕の悔やんだポイントでした。
割りと少人数で1時間やらなければいけないこと、
衣装替えや舞台設定などもしながらだったこと、
そういったことを踏まえて入念に計画したものです。
今もキーボードを打ちながら嫌な記憶も蘇ってきていますが
コミュニケーションということを勉強していなかった当時の僕は
凄く重要なことを見逃していたんです。
今でも自分の幅を広げるという意味や
体験の臨場感を上げるという意味で、
セミナーなどでも思い切ってやってみることの効果をお伝えしていますが
誰のために思い切ってやるか、というポイントもあるわけです。
舞台に向けて、僕は一生懸命にネタを考えました。
当日も思い切ってやりました。
ただ、今思うと、あれは『やり過ぎ』だったんですね・・・。
多くの反対意見と議論しながら、過去の思い込みを断ち切って
より面白くできることだけを考えてやったつもりです。
でも、その事業所にいる人達の過去から続く思い込みは変わっていませんでした。
「去年前のはこういうものだった」という前提。
「今年もきっとこうだろう」という思い込み。
要するに無難な流れがあったわけです。
僕が面白いと思うかどうかは別にして、
それまでずっと、その流れを楽しんできた人達が大勢いたんです。
それをその年も楽しみにしていた人達が舞台間近に座っていたんです。
僕はそのことを全く考えていませんでした。
観客の期待を一切考慮していませんでした。
それでは空回りするわけです。
思い切りやることよりも、恥ずかしながら頑張っている新人たちを
観客が笑うという構図さえあったわけです。
「あいつはバカやってんなぁ」とか「良くやるわぁ」という見方がありましたから、
予想できる範囲を少し上回るぐらいが丁度いいのでしょうね。
やり過ぎたら、引かれるんです。
予想を上回りすぎると分からないんです。
相手の期待に応える。
NLPで言ったらペーシングですね。
「これはこういうもんだろう」という予想を誰しもが持っていて
その予想を良い意味で上回るのが喜んでもらうポイントかもしれません。
セミナーも同じなのかもしれませんね。
受講生の期待を少し上回る。
期待と全く違う方向にいってしまうと満足感は得られないと思います。
確かに僕は、会社にいたころゴールデンタイムのテレビを見る時間はありませんでした。
見るテレビ番組といえば深夜のバラエティとマニアックなお笑い番組くらい。
たまに『ルミネTHEよしもと』に行ったりもしていました。
僕がやろうとしていたことは自分が見たら面白い内容だったんだと思います。
観客の大部分が面白いと思う内容ではなかったんです。
それに賛同してくれた人達もいました。
決して多くなかったですが、大爆笑してくれた人達はいました。
でも、そんな人達は会場の後ろの方に座っているんです。
例年の芸に対して期待をしていなかった人達ですから。
自分のやりたいことをやって、分かってくれる人達もいる。
その人達だけを相手にして、自分のやりたいことを貫き通す。
それをやるにはパワーがいりますね。
根気も必要です。
大勢に合わせる方が確実かもしれません。
両方の使い分けが出来るといいのでしょうね。
今なら、もっと笑ってもらえる舞台をやれる自信があるんですがねぇ。