2008年01月10日
『深イイ話』
つい先日から始まったテレビ番組で気になるものがありました。
日本テレビ系列の『人生が変わる1分間の深イイ話』。
なんだか、こうやってテレビの話題が多くなると、
自分が年末年始には普段と違う生活をしていることを自覚しますね。
まぁ、それはさておき、テレビ番組でもこういう形態が出てきたかと感じます。
本では流行している様子でしたが、いかに受け入れられているかということでしょうね。
「いい話を聞いたなぁ」と思うのは自分が共感できるかどうかだと思いますので
そこには明らかに聞き手の価値観が影響してきます。
誰かが『いい話』として話していた内容から
その人の価値観を読み取ることもできるわけですね。
僕は個人的に、時代の流れとか世界情勢とかを考えたいほうではありませんが、
テレビでも『いい話』が取り上げられるようになってくるのを見ると
何かしら日本社会の状態を感じてしまいます。
数年前からでしょうか、お笑いブームが言われるようになったのは。
人からは意外に思われることが多いのですが、僕は結構、笑うのが好きです。
ラジオを聴いていたり、お笑いのライブも見に行ったりしてました。
そんな僕から見て昨今のお笑いブームがどうだとか批評するわけではありませんが、
世の中がお笑いを求めているということには興味があります。
社会的に見ると、笑いを多くの人が求めるということは
それがけ日常生活への満足度をテレビの娯楽に求めている、
そんな意見もあるかもしれませんね。
テレビに『いい話』を求めるのも、その流れと言えるかもしれません。
と同時に、最近はクイズ番組も多いと思うんです。
比較の仕方は分かりませんが、以前に見られたマニアックなクイズよりも
雑学や一般常識に近い日常的な問題のクイズ番組が多いと感じます。
視聴者側からすると親近感や実用性などで興味が沸きやすいのかもしれませんし、
番組制作サイドからすると製作コストを抑えてレギュラー番組を組めるのかもしれません。
しかし、ゲームなどでも勉強に近いようなものが増えていることを考えたら
多くの人が学びたいという意欲を持ち始めているとも言えるように思うんです。
ゲームでもクイズ番組でも楽しく勉強しようとしてみたり、
本やテレビで『いい話』を聞こうとしたり、笑いを求めてみたり。
少なくとも物質的に満たされない何かを求める傾向が強まっているようには感じます。
そのような全体的な見方もあると思うんですが、
同時に『僕が1分間の深イイ話』と聞いて感じたのは、
実はもっと細かい部分なんです。
それはお笑い番組の流れとも関連しています。
「時間が短い」ということです。
ある程度長い時間をかける寸劇や落語のような笑いではなく、
5分以内に終わるネタが好まれているようだということです。
その事が『いい話』も1分間でまとめようとする番組と関係しているように思ったんです。
『いい話』が今まで無かったわけではないはずなんです。
ドラマにしろ映画にしろ、『いい話』は沢山あった。
それが1分でまとめられようとしている。
感動できるものは1分でも感動できます。
しかし感情移入するには時間も重要な要素です。
1分で感動させるには前提の知識と、
その話によってもたらされるメタファー的な効果が求められると思います。
コンパクトにまとめながらも人の心を打つ。
そこには共感性が高いプロセスが必要でしょう。
これはなかなか難しい作業です。
実際に僕がその番組の初回を見て感じた印象は
「1分では短すぎる」ということでした。
情報量の問題。
情報量が少ないと足りない情報を補う想像力が求められます。
本なら短い話でもいい。
時間は読み手に与えられているから。
読みながら行間を想像することができます。
でもテレビは違います。
1分は1分です。
今、世の中はそんなにも忙しいのでしょうか。
感動するような『いい話』を聞きたいという気持ちがありながら
それを1分で、ということに多少のギャップを感じます。
技術的には難しい挑戦だと思いました。
逆に言えば、見ている我々は大いに勉強をするチャンスだとも考えられますね。
日本テレビ系列の『人生が変わる1分間の深イイ話』。
なんだか、こうやってテレビの話題が多くなると、
自分が年末年始には普段と違う生活をしていることを自覚しますね。
まぁ、それはさておき、テレビ番組でもこういう形態が出てきたかと感じます。
本では流行している様子でしたが、いかに受け入れられているかということでしょうね。
「いい話を聞いたなぁ」と思うのは自分が共感できるかどうかだと思いますので
そこには明らかに聞き手の価値観が影響してきます。
誰かが『いい話』として話していた内容から
その人の価値観を読み取ることもできるわけですね。
僕は個人的に、時代の流れとか世界情勢とかを考えたいほうではありませんが、
テレビでも『いい話』が取り上げられるようになってくるのを見ると
何かしら日本社会の状態を感じてしまいます。
数年前からでしょうか、お笑いブームが言われるようになったのは。
人からは意外に思われることが多いのですが、僕は結構、笑うのが好きです。
ラジオを聴いていたり、お笑いのライブも見に行ったりしてました。
そんな僕から見て昨今のお笑いブームがどうだとか批評するわけではありませんが、
世の中がお笑いを求めているということには興味があります。
社会的に見ると、笑いを多くの人が求めるということは
それがけ日常生活への満足度をテレビの娯楽に求めている、
そんな意見もあるかもしれませんね。
テレビに『いい話』を求めるのも、その流れと言えるかもしれません。
と同時に、最近はクイズ番組も多いと思うんです。
比較の仕方は分かりませんが、以前に見られたマニアックなクイズよりも
雑学や一般常識に近い日常的な問題のクイズ番組が多いと感じます。
視聴者側からすると親近感や実用性などで興味が沸きやすいのかもしれませんし、
番組制作サイドからすると製作コストを抑えてレギュラー番組を組めるのかもしれません。
しかし、ゲームなどでも勉強に近いようなものが増えていることを考えたら
多くの人が学びたいという意欲を持ち始めているとも言えるように思うんです。
ゲームでもクイズ番組でも楽しく勉強しようとしてみたり、
本やテレビで『いい話』を聞こうとしたり、笑いを求めてみたり。
少なくとも物質的に満たされない何かを求める傾向が強まっているようには感じます。
そのような全体的な見方もあると思うんですが、
同時に『僕が1分間の深イイ話』と聞いて感じたのは、
実はもっと細かい部分なんです。
それはお笑い番組の流れとも関連しています。
「時間が短い」ということです。
ある程度長い時間をかける寸劇や落語のような笑いではなく、
5分以内に終わるネタが好まれているようだということです。
その事が『いい話』も1分間でまとめようとする番組と関係しているように思ったんです。
『いい話』が今まで無かったわけではないはずなんです。
ドラマにしろ映画にしろ、『いい話』は沢山あった。
それが1分でまとめられようとしている。
感動できるものは1分でも感動できます。
しかし感情移入するには時間も重要な要素です。
1分で感動させるには前提の知識と、
その話によってもたらされるメタファー的な効果が求められると思います。
コンパクトにまとめながらも人の心を打つ。
そこには共感性が高いプロセスが必要でしょう。
これはなかなか難しい作業です。
実際に僕がその番組の初回を見て感じた印象は
「1分では短すぎる」ということでした。
情報量の問題。
情報量が少ないと足りない情報を補う想像力が求められます。
本なら短い話でもいい。
時間は読み手に与えられているから。
読みながら行間を想像することができます。
でもテレビは違います。
1分は1分です。
今、世の中はそんなにも忙しいのでしょうか。
感動するような『いい話』を聞きたいという気持ちがありながら
それを1分で、ということに多少のギャップを感じます。
技術的には難しい挑戦だと思いました。
逆に言えば、見ている我々は大いに勉強をするチャンスだとも考えられますね。