2008年01月29日

原因と結果

「原因と結果の法則」という本がありましたね。
自分に起こる全てのことは、全て自分が原因である。
そんな内容でしょうか。

カルマということを同じように因果として捉える方もいるようですが、
釈迦は直線的因果律に対して縁起という考え方を示してくれました。

十二縁起にあるように、円環的な関わりということです。
無明の状態から離れられたとき、苦しみから解放される、ということのようです。

悪循環を断ち切るという風に広く捉えると、これは素晴らしく現実的で
実際の世の中にマッチしたスタンスだと思えます。


悪い結果は、自分の行いという原因に対して起こる。
これは個人のレベルのように感じられます。

一方、カルマという言葉には何かもっと全体的な意味合いを感じます。
全ての人の行いが今のこの世の中を作っている、と。

もちろん、そういった現状は過去の行動という原因に対する結果としても存在します。
しかし、それは決して簡単な直線的因果関係で説明できるものではないはずです。
もっと複雑に絡み合っている。

100年前のある人が、イライラした気持ちを発散させるために
通りがかりの人を殴ったとします。

原因と結果という視点で言えば、殴ったその人は誰かから殴られたり、
何か嫌な目にあうことになるわけですね。

実際にそうなるか、その人が嫌な出来事を自分の行いの結果として受け止めるか、
それは分かりません。

ただ、世の中の繋がりを見ていくと、同じ『通りすがりの人を殴る』という行為が
別の影響を及ぼしていると考えられると思います。

誰かが殴ったその行為は様々な人間関係を通じて影響を広げていきます。
世の中全体に対して行ったことだと考えることもできるわけです。

それが巡り巡って自分のところへ帰ってくるか。
それは別問題。

ただ、自分はそうやって世の中に対して、嫌な感じを与える行為をした。
それは殴られた人を嫌な感じにさせただけでなく、
そこから始まって多くの人に嫌な感じを波及させていったのでしょう。

それは時間の経過とともに多くの人に影響を及ぼし続けていきます。

で、100年たって現在。
自分が道路でマナーの悪いタクシーの運転手に轢かれそうになったとします。
そこにも、100年前の『通りすがりの人を殴る』という行為が関係しているかもしれません。

単純な原因と結果としては言えないかもしれませんが、
色々な行為が世の中に対して影響を及ぼしているということは確実でしょう。


つまり『自分が人を不快にする行為をすると、自分の誰かから不快にさせられる』
という直線的な因果関係に対して、
『自分が不快にさせられたのは、長らく世の中に蓄積され続けてきた
人を不快にする行為が自分にも回ってきたためだ』と捉える
相互作用的で全体的な関係性もあるだろうということです。

そういった循環を不満に思うのなら、それを自分で断ち切り始めることをしませんか、
という視点もあると思うんです。

「自分が不快な目にあうのは、自分が誰かを不快にしているからだ」
と考えて、他人を不快にしないようにするのは素晴らしいことだと感じます。

一方で、「不快な行為の循環を減らしていくために、自分は人を不快にしない」
と考えて自分の行動を改めることもできます。
こちらは自分の利益を感じられない分、ハードルが高いのかもしれません。

しかし、そこには人としての責任があります。
世の中に対してどう関わっていくかという責任があります。

それは責任をもって、自らが選択をすることです。
嫌なことがあったとき、そのことに対する対応を選択していくわけです。
嫌な気持ちを誰かにぶつけるのか、自分でその循環を断ち切るのか。

そして、そこには同時に不思議な効果も現れるようです。
責任を持って選択し、嫌な行為の循環を断ち切ることにしたとき
自分の心の持ちようが変わってきます。

ゆったりと大きな気持ちになれるかもしれません。
「仕方ない。私がここで止めましょう」と大きく構えられる。

心を大きく構えたとき、些細なことでは不満を感じにくくもなると思います。
不幸を手放すキッカケになるのではないかと思います。


自分自身が不幸にならないために他人を不幸にしない。
因果で考えて、他人を不快にする行為をしない努力をしたとしても
結果として世の中全体に良い影響があるでしょう。

皆が、自分自身のために、他人を不快にしないように心がけたら
きっと素晴らしい世の中になっていくでしょう。

結果として目指すことは一緒なのかもしれません。

でも、もし人を不快にしないように頑張っていたのに、
それでも嫌な出来事が起きてしまったら、どうでしょうか?

まだまだ自分の行いが悪かったんだと反省するのでしょうか。
一体どれだけ完璧な人間になる必要があるのでしょうか。


それなら、世の中のために悪循環を止めるという発想のほうが
結果的に自分が楽になれると思うんです。

なぜなら、そこにあるのは選択だからです。
どうしても不満だったら、断ち切らない選択をしたっていい。
余裕のあるときに断ち切るだけでも、十分に良い影響を与えていると思いますから。


そして直線的因果関係で考えたとき、僕が不安なこともあるんです。

それは他人を幸せにしようとすることです。

自分が他人を幸せにすれば、自分に幸せが帰ってくる。
目的は自分が幸せになることです。

自分が幸せになるために、他人を幸せにしようとするのは怖いことです。
余計なお世話にもなりかねません。
助けを必要としない人を救出しようとすることかもしれません。

それは相手を見くびっています。
相手を信頼していません。

相手を幸せにしようと思うとき、それは本当に相手を幸せにしたいのでしょうか?
本当に相手のためなんでしょうか?


それよりも、自分が幸せでいることのほうが大事じゃないかと思うんです。
自分の幸せが自然と世の中に対して影響するような状態。
それもまた、他人を幸せにしていることじゃないでしょうか。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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