2008年02月20日

孤高の存在

先にもDVDを紹介しましたが、
奥川幸子先生の本の中にとても印象的な部分がありました。

全体的な内容とは関係なく、ある部分に反映されたものが
僕の中に大きく響いたわけです。

以下に引用させていただきます。(「身体知と言語」P565〜)

「ケアに関わる対人援助職者は、仕事として他者の人生の一過程で
 彼らが見舞われている悩みや苦痛、陥っている困難な状況などを、
 期間や関わり上の制約はあっても一挙に身に浴び、
 いったんは表現された全身の表情やことば・こころの叫びまでも身体に入れます。

 援助者の熟練度が上がるほど身体に入れる量も大きくなります。(中略)
 …
 ですが、人間の容量はどう考えても無限に拡大するとは思えません。
 そこは芸まで達した実践家であれば統御できると考えられます。
 加えて、職業生活と個人的な人生の切り替え上手な達人になっているはずです。」

人の心、特に問題や悩みを抱えた人を相手に関わっていく上で
自分自身の人間的成長が必要だという話の流れです。

ただし、それは職業的にプロフェッショナルとしての対人援助である以上、
私生活との切り替えができるようになるべきだ、ということでしょう。

援助者として関わるときには、援助者としての自分が関わっていく。
決して人格を分離するということではありませんが、
自分の状態をコントロールするということだと思います。

別の箇所ではクライアントの問題を「抱え込みすぎない」ことにも触れられています。
職業的援助者としての自分を切り替えることは
自分自身の身を守ることにもなるでしょうし、
同時に援助者がプライベートでも聖人君主である必要はないことを語っているようです。


この話はもう少しだけ続きます。(強調は元の本の中にはありません)

「なお、この命題については、宗教的な支柱を有していて、なお洗練された専門職として
 アートとしての技術を獲得されているかたであれば、
 かなり無限とも見紛うような厳しさを伴った究極の優しさを周囲に放ちます。
 ですが、そのためには人間界においては絶対的な孤独と孤高を引き受けられなければ
 究極の優しさのオーラは発生しません
ので、稀有な存在になります。」

職業的な援助職者としての自分を磨いていけば、
同時にプライベートな自分を切り離して専門家になることができる。
その一方で・・・、という話です。

宗教的な支柱というのは決して直接的に宗教のことを示しているとは思いませんが、
自分自身を超えた何かへの想いが精神的な柱となることは確かでしょう。
そうした自分を超えた柱を持つことが1つの条件。

そして、精神世界に没頭するだけではなく、
プロフェッショナルな援助職者として現実的な技術を身につけること。
これが2つ目。

この両者を持ち合わせたとき、職業的な自分としての関わりだけではなく
自分自身の全てをもって援助的なコミュニケーションが可能になる、
そういう内容だと受け取りました。

両者を持ち合わせると、無限に近い「厳しさを伴った究極の優しさ」が出てくる、と。

イエスやブッダの行いまでは到達しないまでも、
存在だけで人を癒せるような、そんな域なのでしょうか。

しかし、そうして自分自身のあり方全てでもって人と関わり、
なおその中に「厳しさを伴った究極の優しさ」を醸し出すには
「絶対的な孤独と孤高を引き受け」ることが必要だという話です。

僕には、この部分がとても印象的でした。

職業的な自分を、援助職者として相手のために行動し、
相手を受け入れる者として成長させていくことは、多くの場合で可能でしょう。

ただし、そういった人が私生活でも全て自分自身の要求をコントロールできるかと言えば
そうではないと思います。
私生活では不満もあるでしょうし、思うようにいかず悩むこともあるでしょう。

私生活で生じる不満の大半は自己愛の傷つきによるものと考えられます。
認められたい、愛されたい、思い通りにならない、自分はダメだ、・・・。
色々な形の不満は、他者との関わりの中で生まれるものです。

一見すると他人と関わらないような金銭面や個人的な目標に関することでも
誰かとの比較や誰かからの承認・賞賛を求めていたりするのです。

あらゆる不満は自分を愛することでしか満たせないのかもしれません。
自分を100%愛してくれるのは、他の誰でもない、自分なのかもしれません。

そして、本当に自分を自分で愛せるようになったとき、
自分を満たすために他人を必要としなくなると思うんです。

そうなったとき、人は本来の孤独な姿に戻るのかもしれません。
孤高な存在。
それは自分の気持ちを他人にコントロールされない人なのでしょうか。

誰に愛してもらわなくても、自分が自分を愛している。
だから大丈夫。
誰にも傷つけられることはない。
誰かに求めることもない。

自分のために誰も必要としないほど孤高な存在。

だからといって生活のために必要な社会的交流を絶つということではないと思います。
霞を食べて生きていける仙人である必要はないでしょう。

自分の心が自分で満たされ、他人を必要としないから
他人にコントロールされることもない。
そんな精神的な安定感は、同時に孤独でもあると思います。

孤独であることが不満でないわけです。

そのためには、多くの場合、自分を超えた存在に対する想いが支えとなるのでしょう。
それが宗教的支柱を必要とする理由ではないでしょうか。


そこまで自分で自分を愛せるか、と考えたとき
それは果てしない道のりのようにも感じます。

僕がそれを目指したいのかどうかは分かりません。

ただ、この内容が気になった理由があるんです。

あるとき、NLPのワークで理想の自分というのをイメージしたんです。
そのとき浮かんできたイメージが関係しています。

そのイメージでは、
僕は1人でした。
小高い丘の上から見下ろす景色。
周りには誰もいませんでした。

今の僕には、とても寂しい光景です。

理想のイメージなのにネガティブな印象すらあったわけですが、
孤独・孤高ということを考えたとき、
人間的成長の理想というのは、ある意味そんなものなのかもしれませんね。

cozyharada at 23:31│Comments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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