2008年05月30日
色々な伝え方
コミュニケーションということで考えると、
人と人との関わりがあれば全てがコミュニケーションと言えますから、
なかなか簡単には語れない部分があります。
ただ、コミュニケーションの中で「相手に何かを伝える」という点を考えると
少しは整理して説明できそうなところがあります。
1つは「言葉で伝える」というもの。
結論や主張だけを言葉にして伝えることもできれば、
具体例やメタファーを使って伝えることもできますが、
いずれにしても伝えたい内容を言葉に乗せて表現するわけです。
本で読むイイ話というのは完全に言葉で伝える内容ということになります。
テレビや映画で表現された場合には複雑な要素が絡んできますが、
内容の理解を促進するための映像や音声の表現は、意味的には言葉に近いと思います。
つまり「内容」そのものを伝えようとする行為だということです。
もう1つは「言葉以外で伝える」というもの。
非言語コミュニケーションと言ってしまうと意味が広すぎますが、
全身から発せられるメッセージで伝わってくる部分のことです。
内容を体全体で表現しているということです。
これはメタレベルのコミュニケーションだと言えるはずです。
「内容」ではなく「プロセス」から感じ取れる部分です。
話の内容以外の行動には、その人の内面的特性が色濃く反映されます。
それは、なんとなく伝わるものですね。
例えば、「気が利く」と言われる人であれば、
誰かが少し困ったような素振りをしているのを見ただけで何かの要望を察し、
それに沿った行動を取るわけです。
荷物を沢山抱えている人がドアを開けようとして、
片手側の荷物を下に降ろしかける…。
その瞬間を見て、スッとドアを開ける配慮は「気が利く」行為ですね。
そういうのを見ると「あぁ、この人は気配りの出来る人だなぁ」と感じるわけです。
プロセスから伝わってくる部分ですね。
自分の振る舞いでもって、何かを伝えるということです。
人前では気さくに誰とでも仲良くなるように振舞っていながら
影で誰かをけなすようなことを言っていたとしたら「裏表がある人」として伝わる。
研修中と名札をつけた家電量販店の店員が気軽な要望へ迅速に対応してくれたら
「熱心に仕事に取り組む時期なんだなぁ」と伝わるかもしれません。
内面は人のあらゆる所に溢れ出ているわけです。
それは、なんとなく伝わっているわけです。
伝えたいことがあるとき、自分の発しているメッセージを通じて
何かを表現していくことも可能だということです。
見本を示すとか、背中で語るとか、そういう類のものでしょう。
これが伝わるかどうかは難しい部分がありますね。
まして、話をしながら内容以上にプロセスに注目できる人というのは少ないですから。
更に言えば、相手から話の内容以外の行動を通じて何かを受け取ることができても、
それを自分自身が実践できるようになるかどうかは別問題です。
非常に難度が高い。
イイ話を聞いて感動するのは簡単です。
人の行動に心を打たれることもあります。
そのことの素晴らしさは感じ取れるわけです。
でも、そこから自分が何かを身につけるというのは難しいんです。
「分かる」と「出来る」は大違いだからです。
だからこそ、もう1つの伝え方が重要だと僕は考えます。
それは「相手自身が見つけ出す」という方法です。
体験をしてもらうわけです。
自分自身の体験の中で、自分自身が大切だと気づいた内容。
それは人生に大きな影響を与えます。
例えば、「人の心の大切さ」を伝えるとしましょう。
言葉を駆使して、「人の心の大切さ」を伝えることもできます。
「人の心は大切ですね」と言ってもいい。
メタファーや事例を交えながら説明してもいいです。
また、自分自身が「人の心を大切にしている」姿を見せることで伝わる部分もあります。
そして、実体験を通じて理解できるところもあるわけです。
自分の気付いていなかった心の深い部分に気づく。
それを誰かと共有する。
それを誰かに大切にしてもらう。
自分が相手の心の深い部分に触れたときの相手の反応を目の当たりにする。
それによって「人の心って、こんなにも奥が深いんだ…」と感じる。
もしかすると、人の心を傷つけてしまうことで気づくこともあるかしれません。
「人の心は大切なんだ…」と。
それは体験を通じて自らが見出したものです。
誰かから直接的に言われたり、訴えかけられたものではありません。
自分の中で見つけた、自分の思いです。
もちろん、時間や環境の変化によって、その思いを忘れてしまう場合も否定できません。
でも、身につきやすさが違う。
「身につく」という表現そのものが適切でないくらいに、自然と刻まれるものです。
そうして体験を通じて得られるものは、人によって違っています。
伝えたいことを意図して体験してもらおうとしても、
相手が体験から何を学び取るかは人それぞれなわけです。
そうであったとしても、本人が気づいたことは素晴らしいと思います。
それが自分の意図したことと違っても、
本人が大事なことに気づいたら素晴らしいと思います。
自分が大事にしていることを相手に伝えるのも結構なことですが、
相手が新たに大事なことに気づけたら、それも価値のあることだと思うんです。
自分が考える「幸せになるための方法」を伝えることよりも
相手が幸せになるかどうかという結果のほうが大事な気がします。
場合によっては、今のままが幸せなこともあるわけですから。
人と人との関わりがあれば全てがコミュニケーションと言えますから、
なかなか簡単には語れない部分があります。
ただ、コミュニケーションの中で「相手に何かを伝える」という点を考えると
少しは整理して説明できそうなところがあります。
1つは「言葉で伝える」というもの。
結論や主張だけを言葉にして伝えることもできれば、
具体例やメタファーを使って伝えることもできますが、
いずれにしても伝えたい内容を言葉に乗せて表現するわけです。
本で読むイイ話というのは完全に言葉で伝える内容ということになります。
テレビや映画で表現された場合には複雑な要素が絡んできますが、
内容の理解を促進するための映像や音声の表現は、意味的には言葉に近いと思います。
つまり「内容」そのものを伝えようとする行為だということです。
もう1つは「言葉以外で伝える」というもの。
非言語コミュニケーションと言ってしまうと意味が広すぎますが、
全身から発せられるメッセージで伝わってくる部分のことです。
内容を体全体で表現しているということです。
これはメタレベルのコミュニケーションだと言えるはずです。
「内容」ではなく「プロセス」から感じ取れる部分です。
話の内容以外の行動には、その人の内面的特性が色濃く反映されます。
それは、なんとなく伝わるものですね。
例えば、「気が利く」と言われる人であれば、
誰かが少し困ったような素振りをしているのを見ただけで何かの要望を察し、
それに沿った行動を取るわけです。
荷物を沢山抱えている人がドアを開けようとして、
片手側の荷物を下に降ろしかける…。
その瞬間を見て、スッとドアを開ける配慮は「気が利く」行為ですね。
そういうのを見ると「あぁ、この人は気配りの出来る人だなぁ」と感じるわけです。
プロセスから伝わってくる部分ですね。
自分の振る舞いでもって、何かを伝えるということです。
人前では気さくに誰とでも仲良くなるように振舞っていながら
影で誰かをけなすようなことを言っていたとしたら「裏表がある人」として伝わる。
研修中と名札をつけた家電量販店の店員が気軽な要望へ迅速に対応してくれたら
「熱心に仕事に取り組む時期なんだなぁ」と伝わるかもしれません。
内面は人のあらゆる所に溢れ出ているわけです。
それは、なんとなく伝わっているわけです。
伝えたいことがあるとき、自分の発しているメッセージを通じて
何かを表現していくことも可能だということです。
見本を示すとか、背中で語るとか、そういう類のものでしょう。
これが伝わるかどうかは難しい部分がありますね。
まして、話をしながら内容以上にプロセスに注目できる人というのは少ないですから。
更に言えば、相手から話の内容以外の行動を通じて何かを受け取ることができても、
それを自分自身が実践できるようになるかどうかは別問題です。
非常に難度が高い。
イイ話を聞いて感動するのは簡単です。
人の行動に心を打たれることもあります。
そのことの素晴らしさは感じ取れるわけです。
でも、そこから自分が何かを身につけるというのは難しいんです。
「分かる」と「出来る」は大違いだからです。
だからこそ、もう1つの伝え方が重要だと僕は考えます。
それは「相手自身が見つけ出す」という方法です。
体験をしてもらうわけです。
自分自身の体験の中で、自分自身が大切だと気づいた内容。
それは人生に大きな影響を与えます。
例えば、「人の心の大切さ」を伝えるとしましょう。
言葉を駆使して、「人の心の大切さ」を伝えることもできます。
「人の心は大切ですね」と言ってもいい。
メタファーや事例を交えながら説明してもいいです。
また、自分自身が「人の心を大切にしている」姿を見せることで伝わる部分もあります。
そして、実体験を通じて理解できるところもあるわけです。
自分の気付いていなかった心の深い部分に気づく。
それを誰かと共有する。
それを誰かに大切にしてもらう。
自分が相手の心の深い部分に触れたときの相手の反応を目の当たりにする。
それによって「人の心って、こんなにも奥が深いんだ…」と感じる。
もしかすると、人の心を傷つけてしまうことで気づくこともあるかしれません。
「人の心は大切なんだ…」と。
それは体験を通じて自らが見出したものです。
誰かから直接的に言われたり、訴えかけられたものではありません。
自分の中で見つけた、自分の思いです。
もちろん、時間や環境の変化によって、その思いを忘れてしまう場合も否定できません。
でも、身につきやすさが違う。
「身につく」という表現そのものが適切でないくらいに、自然と刻まれるものです。
そうして体験を通じて得られるものは、人によって違っています。
伝えたいことを意図して体験してもらおうとしても、
相手が体験から何を学び取るかは人それぞれなわけです。
そうであったとしても、本人が気づいたことは素晴らしいと思います。
それが自分の意図したことと違っても、
本人が大事なことに気づいたら素晴らしいと思います。
自分が大事にしていることを相手に伝えるのも結構なことですが、
相手が新たに大事なことに気づけたら、それも価値のあることだと思うんです。
自分が考える「幸せになるための方法」を伝えることよりも
相手が幸せになるかどうかという結果のほうが大事な気がします。
場合によっては、今のままが幸せなこともあるわけですから。




