2008年06月06日

プロフェッショナルの理由

「Professional」という単語の日本語訳は「専門家、専門的職業」、
形容詞としては「専門の、職業上の」ということになります。

「プロ」ということをハッキリと定義するのは難しいですが、
「職業的」というニュアンスが入っていることは重要なポイントだと思います。


例えば、対人援助職などの場合、職業的に人の援助をするわけです。
ボランティアではありません。

職業として対価をもらうからこそ、
提供するものに100%の力を注げるという部分もあるでしょう。

そして、それは職業として仕事をしている時間のみに限定される部分でもあります。
24時間ずっと援助者であるかというと、その必要はないんです。
これは重要なポイントです。

もちろん、24時間体制で仕事に対応するケースはあるでしょう。
深夜でも仕事として急に対応しなければならないことはあるはずです。

しかし、それは職業的な時間を24時間体制で受け持つということであって、
24時間ずっと援助者であるという意味ではありません。

仕事の時間を離れれば、個人の私的な時間になるわけです。
この私的なときにまで援助者でいる必要はないということです。

むしろ無意識のバランスを考慮すると、24時間ずっと援助者であり続けることは
偏りを生んで、ストレスの原因になることさえあり得ます。
福祉に携わる方々が抱えがちな部分だと言われます。


重要なのは、意識的な度合いだと思います。

頑張って自分をコントロールしている時間は調整する必要があるということです。
24時間ずっと自分自身をコントロールしていては無理があるわけです。

お笑い芸人のプライベートが暗いというケースはよくあるそうです。
これも職業的に人を笑わせる部分で、意識的な努力が大きいことを物語っています。

とはいえ、プロと呼ばれる人達が必ず職業的要素を意識しているかと言えば、
そうではないと思われます。

例えば、医者や救急救命士であれば、急病や事故の現場に出くわしたら
苦しんでいる人を放ってはいかないでしょう。
ほとんどの人が「今は仕事じゃないから」とは考えないでしょう。

それは必ずしも職業としての関わりではないかもしれませんが、
自分の役割というのを明確に持っているからではないかと思います。
意識的に努力して心がけるものではなく、自然と表れるものでしょう。

僕自身は勉強が好きなほうですから、プライベートな時間に勉強するのは
かなり楽しんでやっているところがあって、職業的な自分とは違うように思います。
でも、それが仕事のベースにもなるわけです。

テレビを見ても、漫画を読んでも、心とかコミュニケーションという部分は
自然と気になってしまうところがありますから、
それは意識的に心がけなくても自然に表れる部分なんでしょう。

一方で、自分の時間として生活をしているときには
コンビニの店員の顔すら見ないこともあります。
「コミュニケーションでは相手の目を見るのが大切だ」と知っていても
自分の時間を自分の好きに使いたい気持ちもあるわけです。

そういう意味で言うと、プロは24時間ずっと知らず知らずのうちに
自分自身の仕事を表に出していながら、
その一方では仕事を離れた私的な自分も出していると考えられます。

ごく稀に、聖者と呼ばれる人達は24時間ずっと聖者をして、
公私の区別がないような生き方をしているようですが、
まぁ、そんな人は世界に数えるほどしかいないでしょう。

人は職業的自分と私的な自分のバランスをとるほうが普通です。

あの天才催眠療法家ミルトン・エリクソンだって離婚しているわけですから。


24時間、365日ずっと専門家であり続けるというのは、確かにプロの姿勢でしょう。
ただし、それは24時間ずっと専門家を心がけ続けることとは違うように思います。

必要に応じて、いつでも自然に専門家に戻れるベースを持っている。
いつも自分のどこかに専門家としての振る舞いが表れてしまう。
そういうことのような気がします。

つまり、「自分は〜だから」と意識して、自分の振る舞いを変えているうちは
プロフェッショナルではないということです。

プロフェッショナルの人達が語る「24時間、365日」というのは
私的な自分を持たずに、ずっと職業的自分でいるという意味ではないように思います。

それはきっと覚悟の表れです。
自分の生き方の表明です。

「professional」という単語は「profession」から来たものです。
「profession」とは「宣言」という意味です。

プロというのは、公に自分のすることを宣言しているわけです。

「私は医者です」と宣言しているプロは、「いつでも医者として行動できます」と
言っているようなものじゃないかと思うんです。

「いつでも医者でいられるように心がけています」とは別物です。
資格を取って、「自分は〜だ」と思いながら行動をするのとは意味が違います。

わざわざ心がけなくても、染み付いているんです。
その染み付いた自己認識を宣言するのがプロじゃないでしょうか。

「これから頑張ります」じゃないんです。
「こうやって頑張ってきました。だから、これからも頑張ります」なんです。

それは決して、常日頃から「自分は〜だ」と心がければ済むものではないはずです。
「自分は〜だ」と強く覚悟しなければならなくなった出来事があったはずです。

経験によって刻み付けられた覚悟こそがプロの「profession」だと思うんです。


覚悟は経験が作る。

母親の覚悟ができると女性は変わります。
「母は強し」などと言われます。

自分の子供が生まれるまでは、小さい子供が騒いでいると「うるさい」と思うわけです。
でも自分に子供ができると、他人の子供でも「元気でいいわね」となるわけです。

それは母親の覚悟ができたからでしょう。
母親としての自分が、他の子供まで愛おしく思わせる。
素晴らしいことだと思います。

でも、それは「私は母親です」と、ある日突然に宣言をしても無理なはずです。
コウノトリが子供を連れて来て、ある朝起きたら母親になっていた、なんていう状況では、
いくら「私は母親になります」と宣言しても母親の覚悟は手に入りません。

子供が生まれると女性が母親になれるのは、
長い時間をかけて命を育み、出産という経験を乗り越えるからでしょう。
その体験が母親の覚悟を作るのだと思います。

覚悟は経験によって生み出されると思うんです。

自己認識、つまり「自分は何者であるか」というBeingレベルは
経験によって変化していくものだということです。

プロとは一朝一夕になれるものではないように感じます。

cozyharada at 23:03│Comments(0)TrackBack(0)clip!全般 | NLP

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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