2008年07月22日

納得感をもてるか

何かの情報を理解するとき、自分にとって重要なことがあります。

『納得感』です。

これは感覚的な部分もありますが、同時に論理的でもあります。
内的な順番としては、「なんとなく」の納得感が先にあって、
それを言葉で説明しようとした時に論理が出てくる、というところでしょうか。

僕の中では全ての情報に辻褄があっていることを強く希望しているフシがあるんです。

何かを学ぶ時には当然、情報の取捨選択をするわけですが、
どうやら、残っていくものは、この納得感に裏付けされているようです。


それは必ずしも科学的な説明ができるかどうか、ではありません。
筋が通っているかどうか、です。

例えば、植物に音楽を聞かせたり、話しかけたりすると成長が促進される、
というような話に関しても、信じてみようと思える部分と、そうでない部分があるわけです。

植物に毎日、「おはよう」とか、心を込めて話しかけているときと、
「馬鹿」とかの罵詈雑言を浴びせるときで比較するような実験を耳にします。

科学的に言えば、それは「実験」と呼んでいいものではありません。

でも、僕の判断基準は「科学的かどうか」だけではないんです。
「そういうのもあるかもしれない」と思う話と
「それは、あり得ない」と思う話が両方あるんです。

それに対して、僕の考えを聞きかじった人は、
僕が科学的に判断しようとしているように受け取ることが多いみたいですが、
断じて、そうではありません。

植物に話しかけるときに優しい気持ちを向けたほうが成長が良い、
それはなんとなく「あるかもしれない」と思える話です。

ところが、そこから派生してきた話として、
植物に文字を見せる、あるいは文字を書く、という内容まで出てくるんです。

例えば、果物などに「ありがとう」って文字を書くと
「馬鹿」って書いたものよりも長持ちする、というような話です。

これは全く納得できません。
筋が通っていないんです。

「ありがとう」という気持ちを向けた植物の成長が良いことと、
「ありがとう」という文字を書いた植物の生長が良いことでは意味が違いすぎます。

「ありがとう」という文字には本来、意味がないわけです。

英語であれば「Thank you」ですが、これは皮肉にも使われるものです。
誰かがぶつかって、手に持っていたコーヒーをこぼしてしまった。
その人は急いでいて、その場を走り去った。
その状況で出てくる言葉も「Thank you」なんです。

「ありがとう」と口では言いながらも、全然感謝していない状況だってあるはずです。

文字情報だけには意味がないんです。
それはコミュニケーションを考えれば当然のことです。

そのこととの辻褄を考えれば、「ありがとう」と書いたものに
何らかの効果があるという推測すら筋が通っていないことに気づけるはずです。

仮に、水の瓶に「ありがとう」って書いたものと、「馬鹿」って書いたもので
植物に水をやって、成長を見比べるような実験をしたとします。
何度も実験を繰り返して再現性を確認できたとします。

その結果、「ありがとう」の瓶の水のほうが成長が良いということになったとして、
僕の解釈は「ありがとう」という言葉の大切さには結び付きません。

そんな話には納得しません。

僕の解釈は、
「ありがとう」って書いた瓶だと認識して植物に水を与える人の気持ちと
「馬鹿」って書いた瓶だと認識して植物に水を与える人の気持ちに差があるはず、
というところへポイントが向きます。

その実験をする人が「『ありがとう』のほうが成長するはず」と思い込んでいれば、
その結果には差が出るかもしれません。

でも、水を与える人と実験の提唱者を別の人にして、
「こんな実験には意味がない」と思っている人に水を与える役目をしてもらったら、
その結果には差が出ないような気がします。

「植物にも気持ちが伝わる」と「植物にも『ありがとう』が分かる」のは別問題です。

僕がそんな実験をするのであれば、「ありがとう」の瓶と「馬鹿」の瓶を
もう一度上から紙を貼って実験者に見えない状態にして、
そして水を与える人もボランティアで実験の意図を伝えずに集めた人たちを選び、
毎日違う人に水を与えてもらうことをします。

こういう実験のやり方をダブルブラインドと言いますが、
影響しそうな要素は極力省かなくては論理的な力がないわけです。


「植物にも気持ちが伝わる」ということは
僕にとって「あるかもしれない」と思える内容です。

でも「『ありがとう』と書いた水や植物にポジティブな効果がある」という内容は
全く「納得がいかない」内容です。

受け入れられない理由は科学的じゃないからではありません。
筋が通っていないからです。

僕がやるとしたら、全く逆の実験をして反論をするかもしれません。

植物に「ありがとう」という文字を書く。
一方のグループには「ありがとう」という気持ちを込めて丁寧に文字を書く。
もう一方には「馬鹿じゃないの?」という気持ちを込めて雑に文字を書く。

文字情報はどちらも「ありがとう」ですが、向ける気持ちを変えるわけです。

この結果に差が出たとしたら、それは「納得がいく」タイプのものかもしれません。


「信じる」のと「鵜呑みにする」のは違うと思います。
「信じられる」と言いながら、「自分で考える」を放棄するのは
僕の信念では絶対にできないことです。

cozyharada at 23:48 │Comments(0)TrackBack(0)clip!全般  | コミュニケーション

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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