2008年10月23日

自己認識を絞り込む

色々な人と会って話をするようになると、自分のスタンスが明確になりますね。
今の自分がどのような立場なのか、どういうことを大切にしているのか。
そういったことを客観的に感じられます。

人は他人との関わりの中でしか生きられない、というようなことが言われますが、
とても意味深い言葉なので、捉え方も様々でしょう。

自分一人の力では生きていけない。
つまり生活が成り立たないというニュアンスもある。
生物的な観点です。

自分一人だけでは寂しくて生きていけない。
人は仲間や大切な人の存在という暖かさを求めるというニュアンスもある。
これは自己愛という観点と言えます。

そして、「人と話をして自分のスタンスが明確になる」というのは、
自分に対する認識やアイデンティティと呼ばれるものが
自分以外の他者との関係性の中でしか意味づけられないというニュアンス。

他者との違いを認識することで、自分が分かるということです。

これは人間の自己認識やアイデンティティの確立を考えたときに
非常に本質的な部分だろうと思います。


子供は生まれながらに万能感を持っています。
世の中すべてが自分の思い通りにいくという勘違いから始まります。

ちなみに、釈迦が生まれたときに「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説には
様々な解釈がありますが、一般的な解釈とは違う見方として
「全ての人は生まれた瞬間は、自分の中に世の中全てが存在するように捉えるものだ」
というようにも言える気がします。

一般的に「天上天下唯我独尊」には、釈迦という偉大な存在が「尊い」とか
世の中に対する役割として「尊い」とかいう前提から、
「全世界で私が一番尊い」という意味を与えるようです。

釈迦が生まれた瞬間に言った言葉として尊いものと扱われますが、
釈迦に限らず全ての人は、生まれて間もない頃には万能感を持っていて
「全世界で自分が一番尊い」と思うのが普通だということです。

生まれたときは誰もが「天上天下唯我独尊」じゃないかと思うわけです。

その状態はある意味で、世の中すべてと自分が一体となっている状態ですが、
逆の言い方をすると「自分が存在しない」状態でもあるんです。
自分というものが理解できていない。

それは自分と自分以外の存在が区別できていないからです。

自分の体の外にあるものも全て自分の内側として捉えるような感じ。

車を運転する人であれば、車体感覚というのが理解できると思いますが、
人間の脳には自分の身体を認識するように「自分」の範囲を感じる能力があります。
車体に対する感覚というのは自分の範囲を拡大した状態といえます。
だから大きな車に乗ると、チョットいばった感じが出やすいわけですね。

人は自分と自分以外のものの境界を身体を使って作り出していくわけです。
自分が思い通りに操作できるものの確実な範囲が「自分」として認識される。
あくまでも身体のレベルからですが。

脳の機能として言えば、身体感覚を拡げることは容易なんです。
たまたま人間の体がこのような形をしているから
我々は「自分」の範囲をこういった感じで認識しているに過ぎないんです。
もし腕が6本あったとしても、普通に使いこなせていたと考えるのが脳科学的な立場です。

良く言われる「脳の機能の大半は使いこなせていない」という表現の中は、
「身体という入れ物に制限されていなければ可能性はもっとある」といった
ニュアンスとして捉えるのが僕には納得がいきます。

ですから、生まれたばかりの子供は自分の身体さえ、
自分以外のものと区別できていないところから始まるわけです。
個人の身体の外側にあるものも思い通りにできそうな勘違いがスタート地点なんです。

世界の全てが自分の中にある、と言ったのはそういうことです。

そこから成長していく中で、自分の思い通りにならないこと、
つまり自分が想定したことと違う現象を通じて、「自分」の範囲を決めていきます。

「自分」とは「違い」を認識することで生まれるものだと考えられます。
「自分」が体の中にあると意識できるのは、身体というのが外界と区別する上で
最も気づきやすい部分だからと言えるかもしれません。

違いを区別できないことは意識ができないわけです。
他の存在と同じ部分は「当たり前」のこととして意識できないんです。

他者との違いを意識しながら「自分」という存在を確認していく。
そういうプロセスで「自我」と呼ばれるものが発達していくのでしょう。


他者との関わりで自分を意識するというのは、いつまでも続くものだと思います。
そこに違いを感じるものがある限り。

当たり前だと思っている限り、自分に気づけないわけです。

実は凄い才能や発想を持っているかもしれないのに、他人との関わりが無いために
「当たり前」だと思い込んでしまっていることだってあるかもしれません。

いつもと同じ人と関わっていると、自己認識はその集団の中で意識できる
自分と他人との違いから生まれてきます。
それがいつも通りの自分になっていきます。

今まで関わったことのなかったような人と関わることで
新たな違いに気づくことができるようになります。

それは自分の新たな可能性に気づくことにも通じると思います。

そういう意味でも、人と会うのは面白いことですね。

共感できる人、同じような考えを持った人と話せたら楽しいとは思います。
分かってくれる人がいるという感じや同士と出会った喜びもあるでしょう。

それも大切な出会いですが、違いに気づける関係も重要だと思うんです。
そういう関係から、自分の譲れないものを見つけるのも1つの方法かもしれません。

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この記事へのコメント

1. Posted by ☆さっちゃん☆   2008年10月27日 17:33
原田さん^^

いつも 楽しい日記を ありがとうございます。


さて

「 天上天下唯我独尊 」


昔は 「 唯一の尊い存在 」との解釈が一般的でしたが

今は 

「 この世界で人間というのは みな 

   唯一無二の尊い存在ですよ 」

最近は こちらの解釈が 通説だと聞きました。

私もこちらの方が しっくりくるのですが いかがでしょうか?^^
2. Posted by 原田幸治   2008年11月03日 14:37
☆さっちゃん☆さん

僕もそのような話を聞いたことがあります。
そっちのほうが素敵な話として感じられますね。
そういう法話をする人もいるそうですね。


一方で、経典をベースに解釈する人の中には、「世界で私たち一人一人の人間が皆、一番尊い」という解釈は
どこにも根拠がないと否定する人もいるみたいです。

経典に基づいた考え方では
「釈迦が悟りを開き、多くの人を救ったから唯一無二の尊い存在だ」
という解釈する見方もあるのだとか。


経典を大事にする人たちは
「釈迦は生まれながらに唯一の尊い存在だ」
という意味を説くようですが、
初期のパーリ経典には「天上天下唯我独尊」という言葉すら
無いそうなので、後世に加えられた伝説なんだそうです。

釈迦に対する畏敬の念を込めて、その誕生の場面から
素晴らしさや喜びを表現しようとしたのかもしれません。


そういうことを踏まえて、僕の理解の仕方としては
生まれながらに釈迦が悟っていたわけではない、
という部分を意識しています。

生まれは王族で、何不自由のない生活だった。
それが修行の末に悟りに至る。
それを考えると、釈迦とは言え、生まれたときは
他の人と同じか、それ以上に俗世的だったのかもしれない…。
そんな仮定で考えました。

「お釈迦様でさえ生まれたときは自分のことを
『唯一の尊い存在だ』と考えていたんですよ。
そこから修業をして素晴らしい教えに辿り着いたんです。
だから皆さん、努力しましょうね。」
…というような教えとして解釈したほうが
僕の好みなんだろうと思います。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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