2008年11月20日

細かい議論

NLPのマスタープラクティショナー開催スーパーバイズというのに行ってきました。

全国(といっても東京近辺と大阪近辺がほどんどですが)から20人のトレーナーが集合。
スキルのブラッシュアップとトレーナーとしての心構えのようなことを習いました。

色々な方がいるものだと思いましたし、スキルに対する理解や
細かい部分での見解の違いなど、色々とギャップがあるようです。
だからこそ、そうしたブラッシュアップの場が有効なのでしょう。

ただ、僕の場合は誰が「こういうやり方が正しい」と言ったところで
それを受け入れられるような度量はありません。

それを否定することもしません。
「あぁ、そうですか。それを大切にして下さい」と思います。

と同時に、自分の中では「本質的であるかどうか」が優先されています。
各論として意味と、総論的・統合的な意味付けの両方を同時に大切にしているからです。

NLPの資格取得コースは構成上、多くのNLPのスキルを個別に学ぶ印象が強いものです。
「バラバラで、どう繋がるかが分からない」とか
「点と点が繋がっていない」とかいう感想も耳にします。

一通り学び終え、それを関連付けたスキルを別の機会に体験したりすると
「点と点が繋がって線になった気がする」という感想が出てくるようになります。

僕が言う「統合的な視点」というのは、立体的なものです。
点と点とか線とかではなく、階層構造を高密度に結び付けた三次元のものです。
(視覚的イメージとしては三次元ですが、実際にはもっと複雑な気がしますが)

そんな僕からすると、「このスキルはこうやるものだ」という細かい方法論には
あまり意味を感じないわけです。

手順だけでなく、個別の作業内容や質問内容にこそ意味があるからです。
その意味同士を順序立てたものがスキルです。

ですから、「こういう手順でやると、こういう結果が期待できる」と考えるんです。
正しいか、間違っているかは関係ありません。

誰かが決めた手順に、名前がついているだけなんです。
違う手順にしたら違う効果が生まれるだけなんです。

何かをしている以上、何も起きないということはありません。
何も起きなかったように感じたら、それは自分の中が静かな状態になったということです。

起きる結果に意味があると僕は考えます。
もちろんNLPにも「コミュニケーションの意味は、その反応にある」という前提があります。
何が起きたかが重要だということです。

であれば、「どういう順序でやるのが正しいのか」という発想自体が
その意図とズレているのではないでしょうか。

求めている結果を出せるような方法を行うのが大事だと思うんです。


NLPを学ぶ時には、まず個別のスキルが先にあるんです。
だから「このスキルは、どういう時に使えば良いんですか?」
という質問が出てきやすいわけです。

本当は逆です。
人生を考えたら、目的や問題が先にあるはずです。
それに対して「どういう方法があるだろうか」と考えるものです。

「こういう時には、どんなスキルを使えばいいんでしょうか?」
という質問が出てくるようなほうが自然だと思うんです。

ただ、状況別にスキルを伝えていくと、それでは応用が利きにくくなります。
優れたセラピストやカウンセラー、コーチの元に行って対処してもらうのと同じです。

実際、心理臨床家は師匠と仰ぐ人物のところで教育セラピーを受けるものです。
そうやって状況に応じた対処法を学んでいきます。

それでは優れた人物は素晴らしい結果を出すけれども、
そうでない人は上手くいかない、という事態を避けられません。

そこで、NLPは誰でも出来るように工夫した。
だから状況に関係なく、名前のついたスキルを組み立てたわけです。
型を作ったんです。

型を身につけることで、様々な場面に実践できるようになる。
そして型を繰り返し体験することで、心構えに変化をもたらす。

そういう意図として言えば、それは日本の伝統的な「〜道」というものに近い気がします。
空手道、柔道、剣道、茶道、華道、書道…。
型稽古があるんです。

そのなかで大切なのは、型が洗練されていること。
型は型に過ぎないわけです。
型は無駄を省いたものでなければ意味がありません。
本質だけを抽出したものである必要があります。

NLPの基本的なスキルというのは、型にあたるものでしょう。
ところがそれを組み合わせたり、そのスキルそのもので実践的な効果を上げようとしたら
スキルの手順や細かい注意点が増えてきてしまいます。

型ではなくなってしまうんです。
目的の結果を出すための術になってしまうんです。

意図とズレていると僕には思えます。

ゴルフに喩えると、グリーン周りからのアプローチショットを練習するようなものです。
アプローチショットの型も色々あるでしょうが、
そうした基本的な打ち方を体験的に学んでいくのが重要です。

そこで、スピンをかけて止める打ち方とか、
ボールを高く上げてフワッと落とす打ち方とか、
2バウンド目でピタッと止まる打ち方とか、
落ちてから右に曲がる打ち方とか、
そういう細かい術を練習するのは本質を理解した後で良いということです。

その中で、スタンスはオープンじゃなければいけないとか、
肩幅に足を開くとか、ボールは左足の前だとか、フェースは顔を向けるとか、
打った直後にクラブヘッドを戻す感じにるとか、打ったら肘を引くとか、
そういう細かい動きに正しいとか間違っているとかを議論する。

それよりは動きの意味を理解するほうが重要だということです。
その理解には、基本的な型の練習を通じて意味を知るほうが効率的なんです。

基本的な打ち方をベースにして、クラブヘッドの動かし方を変えるとどうなるか、
スピードを変えるとどうなるか、というような意味を知る。
そして、その動きを生み出す体の使い方はどういうものかを知る。
体の動きを変えると、クラブの動きがどう変わって、結果がどうなるか。

そういう学び方が本質的だということです。

なぜなら、最終目的はボールを旗竿に寄せることです。
そのためのボールの動きを思い通りにコントロールできるようになるのが
アプローチショットを練習する目的のはずです。

もちろん、中には個別の技術を練習したり、好き勝手に打ったり、
先生が正しいと言ったやり方を忠実に守って練習したりすることで、
無意識のうちに本質的な要素に辿り着いて
ボールを思い通りにコントロールできるようになる人もいます。

そういう人が一部の達人や天才と呼ばれる人たちなんです。

そうでない人達が達人のレベルに近づくには、
先に意味や本質を理解しやすいように型の練習をするほうが効果的だということです。

NLPとは、まさに型そのものだと僕は考えています。
その型をゴテゴテ飾り立てていくのは本質の逆を行っていると思います。

型をアレンジしたスキルや、型から派生したバリエーションなど、
そうしたものを知るのは意味があることではあります。
でも、既に型ではなくなった術のやり方に関して、
「この部分はこうするのが正しい」とか議論をするのは不毛だと考えます。

型の中には意味があるわけです。
その意味を理解してもらい、意味をもった行動同士を組み合わせて
目的の結果を出せるようになるのが重要じゃないでしょうか。

僕は正しいNLPを伝える自信は一切ありません。
そんなものがあるとも思っていません。
NLPの細かい知識も、僕より詳しい人は大勢いることでしょう。

僕の関心は、「他の誰かが何を言っているか」には向いていません。
NLPとは何であるか、何に役立つのか、そして
人の生き方とどのように関わっていくのか、
そういうことに向いているようです。

僕は誰から「間違っている」と言われようとも、
統合的で本質的な方向を目指すのは止めないだろうと思いました。


最近、ようやく「NLPは、なかなか良く出来ている」と思えるようになってきたところです。
もちろん、それも誰かに言われたこととは無関係ですが。

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この記事へのコメント

1. Posted by れどれど   2008年11月22日 09:13
原田さんの主旨と違うかもしれませんが、僕も同様に本質をちゃんと理解することから始めるよう努めています。

算数や数学、あるいは英語でも理科でもなんでもそうですが、高学年になって学ぶ複雑な数式や文法は、分解すれば、非常に単純や足し算や主語と述語の組み合わせから構成されると思っています。
おそらくスポーツでもそうでしょうね。

そういう基礎・本質がわかって、そこから応用を演繹し、あるいは応用から基礎・本質を帰納するような、言わば構造的な理解を努めれば、任意の状況に対して、本質から有用な部分を切り出して対処できるようになってくるのではないかと思います。
ただし人間を対象にする場合、その基礎・本質がすでに難解であるところが、難しくもあり面白いのですが(笑)

僕は大体上記のようなやり方を習得することを目指しているようです。
そのほうが、効率がいいと思うんですね。日常生活の諸問題は全て応用問題だから、逐一対処するより、自然と対処できる自分になりたいですし。


読み返して、相変わらず問題解決型の文章だなと感じました(笑)
2. Posted by 原田幸治   2008年11月25日 02:09
おっしゃる通りだと思います。
任意の状況に対して、有用な本質を引っ張り出せる状態のことを
「分かっている」というのだと考えています。

多くの人は経験という具体的かつ応用的な事象から
無意識的に自分なりの対処法を生み出しているはずです。
基本を意識はしていないけれど、自分なりの無意識のルールがある。
それが言ってみると癖になっていて、その人の個性でもあるんでしょう。

そこを意識化して要素の関連付けを明確にしておくと
効率的で効果的な対処ができるのだろうと思います。

そういうスタンスを細かいと呼ぶ人もいますが、
自分の考えに責任を持ったやり方だとも言えるような気がします。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
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http://www.sublimination.net/
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