2009年03月08日

新説!

僕は本を読むときに少し雑音があるほうが集中できます。
喫茶店でコーヒーを飲みながらというのが多いんです。

たまに図書館に行ったりもしますが、図書館のほうが落ち着かないところがあります。
まぁ、図書館は無料なので色々な人が入ってくるというのも1つの理由ですが。
嗅覚からの刺激も大切ですからね。

むしろ、コーヒーの匂いがあると集中できるような匂いのアンカーもあるんでしょう。

ただ、コーヒーさえあれば良いかというと、そうではなくて
全体的に静かな場所よりも雑音がある感じのほうが好みなんです。

ジュンク堂書店には喫茶店が入っていて、そこで本を読むこともありますが
あの場所は割りと静かな空間として設定されているようです。
その中で誰かの話し声が聞こえてくると、もうアウトです。

静かな場所で特定の話し声が聞こえてくる状況だと
僕の耳は完全に話の内容を捉えにいってしまいます。
これは、どうやら僕の無意識の癖のようです。

話の内容が日本語ではなければ、気になる度合いは下がりますが
やはり特定の会話というのは僕の集中力を妨げる要因です。

ところが、そうした話し声が様々に重なり合い、
大きめのBGMの中に溶け込んでくるような状態になると、
それは「雑音」という印象になります。

背景の雑多な音として気にならなくなるんです。

静かな中に特定の声があるよりも、雑音のほうが邪魔にならないというわけです。


先日、ある人と話をしていて、頭の中を駆け巡る音楽について考える機会がありました。

何かの音楽が気になって、しばらくの間、頭の中に曲がかかっていることは
きっと多くの人に共通することではないかと思いますが、
世の中には、常日頃から音楽が頭の中で鳴り響いている人もいるようなんです。


ユングは結構、白昼夢を見ていたそうなんですが、
目を開けていても視覚のイメージを鮮明に見られる人もいます。

トランスではイメージ力も上がってきますし、
催眠術によって幻覚として映像を見せることも可能なわけです。

オーラや背後霊が見える人も、そうした一種のイメージを鮮明に見ていると考えるのが
おそらく妥当な説明だと僕は思います。

イメージのリアリティが非常に高いと、実際に幽霊が見えるでしょうし、
頭の中の声のリアリティが非常に高いと、実際に幻聴として聞こえるでしょう。

要するに、夢を見ているときのリアリティを
目が覚めているときの日常生活の場面でも感じられれば、
一般的な体験とは違った不思議な体験ができるということです。

一般的に、日常生活では自分の体の外側にある世界に対して注意を払い、
ある程度の警戒度合いを保っていますから、自分の内側に沸き起こることに
高いリアリティを感じることは少ないわけです。

それが深いトランス状態や、薬物を使用したときには内的な体験の度合いが高まります。
実験によると、真っ暗な部屋で、音を遮断して、体をリラックスさせてしまうと
様々な幻覚の映像や幻聴が起きてくるそうですから、
内的な体験の度合いの高さがリアリティを決めていると言っていいと思います。


そして、人間の無意識は様々な処理を同時に行っていますが、
それを意識化できるのはホンの一部分だと言われています。

一説によると、一日当たり数万の考えやイメージが沸いているのに
通常、人はそれを意識していないと言われます。

僕の場合、内部対話が階層的に3つぐらい同時に進行しているときがあります。
メインで意識的に考えようとしているときに雑念が沸いてきて、
その雑念よりも更に深い無意識的なところで全く無関係の言葉が進んでいる。
たまに、そういう状態になるんです。

ですから、自分の中で同時に様々なことが起きているというのは
割りと納得できるところなんです。

本を読みながら考え事をしていたり、
同時にコーヒーの香りを味わったり、
BGMのリズムを気にしていたり、
そういうのも無意識の同時進行を感じられる場面でしょう。


そういうことを踏まえて考えてみると、
「人間の無意識は、特定の時間の間に様々な処理をしていて
 人間の意識は、その時に、いくつかのことを捉えている」
ということが言えそうです。

で、ここからが重要なんですが、
「その意識化される内容は、強く捉えられているものほど
 リアリティが高く、『気になる』状態になる」
ような気がするんです。

これが僕の現在の仮説。
かなり自信があります。

関連して、
「人によって、意識に上がってきやすい情報に癖がある」
というのもあると思います。


人間は無意識のレベルで同調するものですから、
環境の影響で自分の状態が変わっていると考えられます。

また、特定の刺激が無意識レベルでトリガーとなって
連想される記憶が一時的に呼び起こされることは常日頃から起きているはずです。

そうしたことで起きる無意識のイメージや考えが、
いわゆる「一日に数万もの考えが浮かんでいる」ということでしょう。
(数の根拠は分かりませんが)

催眠療法を経験すると、深いトランス状態で
全く脈絡のないイメージが頭の中を駆け巡る体験をすることがありますが、
これがまさに、刺激に伴って無意識の連想が進んでいる状態だと考えられます。

意識では全く理解できない関連が、無意識レベルで起きているわけです。
記憶が断片の集合だというのも実感できる状態です。

おそらく、僕が複数の考えが同時に起きていることに気づく瞬間も
思考内容同士の連想や、外部刺激のトリガーによって
無意識で同時進行している処理を「強く捉えた」のでしょう。

僕にとっては、思考の内容や連想の内容が「意識に上がってきやすい情報」だ
という癖があるんだろうと思います。


白昼夢や、幽霊、オーラなどのイメージが視覚的にリアルに見えるのも
眼を通じてインプットされる外部情報以上に、
外部刺激や他者との同調から連想される視覚イメージが
「強く捉えられ」ることになって、『気になる』状態になるためだと考えます。

実際に光の反射を通じて視神経が捉える視覚情報以上に(もしくは同レベルで)
内的に連想される視覚イメージが「強く捉えられる」癖を持っているということです。
(その癖付けを後天的にしていくのがスピリチュアル系のトレーニングでしょう)

それに対してリアリティが高いわけですから、幻覚と呼ぶべきではないはずです。
人間の眼で知覚している情報さえ現実とは異なるわけですから
本人にとって見えている世界こそが、その人の本当の世界です。

誤解を恐れずに言えば、統合失調で幻覚が見えてしまうのも
トレーニングによってオーラが見えるようになるのも、
視神経が光によって知覚する外的な視覚情報以上に
無意識から沸き上がる内的な視覚情報にリアリティが高い
という意味では本質的な違いがないわけです。

誰もが無意識のレベルでは、そうした内的な視覚情報が生まれているのに、
それをリアリティを感じるほどに「強く捉えて」、
「気にする」ことができる癖を持っている人が少ないだけ。

そういう考え方です。


音楽が頭の中に鳴り響くのも同じです。

それがリアリティを伴いながら「強く捉えられ」過ぎれば、幻聴ということになります。
リアリティは低いけど、ある程度「強く捉えられる」と、
その音楽が『気になる』状態になる。

「さっきからずっと頭の中をあの曲が流れているんだよねぇ」という場合には、
どこかで聞いた音楽か連想された音楽が無意識に沸き起こり、
それが「強く捉えられる」と意識化されてしまって『気になる』わけです。

おそらく無意識のレベルでは、外部刺激や連想によって
音楽が呼び起こされることも頻繁に起きているのでしょう。

多くの人は、たまにその音楽が意識に上がってくるために
「さっきからあの曲が頭を離れない」という感想を持つのでしょうが、
しばらくすると別の情報が「強く捉えられる」ようになってきて
頭の中から音楽は消えてなくなるように感じられる、と考えられます。

まれに、無意識に音楽が呼び起こされたときに、
それを「強く捉える」癖を持っている人がいて、
その人は絶えず頭の中に音楽が流れているように感じられる、と。


結局、無意識では色々なことが沸き上がってきているけれども、
どの情報を、どれくらい強く捉えるか、という部分に人それぞれ癖があって、
そのことが体験に強く影響を与えていると僕は考えているわけです。

本を読むときに、心の中で音読している人は、もしかすると
心の中の音読の声を聞くために、外部の音が全て気になるかもしれません。
 (僕はチョット違うプロセスなので分かりませんが)

僕は心の中、もしくは頭の中で、いくつかの考えを照らし合わせているようです。
メインの話の流れと関連することが、思考として「強く捉えられる」癖があるんでしょう。

ですから、静か過ぎる環境だと、思考としてのノイズが意識に上がってしまうんです。
外部環境としての雑音以上に、自分の無意識から沸き起こるノイズを拾ってしまって
結果的に集中力が落ちてしまう感じです。

ある程度のBGMや雑多な音の中に身を置くことで、本の内容の流れと
それに関連する内容に集中しながら理解が進むように思えます。

逆に、ハッキリと聞き取れる会話が近くにある場合の癖として
そちらの話の内容を「強く捉えて」意識化することになるので、
途端に本の内容に関連する心の中の声が聞こえなくなってしまうわけです。


どうやら僕は、無意識下で進行している複数の考えを
同時に捉える癖を持っているようです。

頭の中でディスカッションが進み、関連付けた理解と連想が起きている印象があります。

メインの流れと外れるような連想であっても重要そうな意見が出ることもありますから、
そうした考えは一度別の所に取り置きしておく場合もあります。

書き物をしている時には、その傾向が強く出てきます。
メインの流れは心の声を聞くのと同時にワープロでタイプされているか、
逆にワープロのほうが先に進行していますから、
連想されてきた考えも「強く捉えられる」のでしょう。

最近のブログでは少ないですが、連想されたことを別の場所に書きながら
ワープロ上の複数の箇所で同時に、少し違った内容が進行することもあります。
別々に書き進めて、あとで話を繋げるという感じ。

この記事でも同時進行で別の場所に書き留めておいて、後から繋げた部分もありますし、
最初は書く予定ではなかった内容が浮かんできて追加された部分も沢山あります。

そうした内容を聞きながら、別の場所では、全体的な構成を
視覚的に捉えているところもあるのに気づきます。

書き物は、こんな風に、いくつかの心の声を聞きながら進めたいので
些細な話し声やBGMも妨げになるようです。
書き物の作業は静かな環境が好きなのも、
無意識の処理が意識化されるプロセスを考えると納得できました。


人それぞれ集中できる環境は違うと思いますが、
そこには無意識の処理がどの程度、雑念として意識化されるかが
大きく関わっているように思います。

色々な意識化の癖があると考えていますので、
ご自分の癖に気づけた方は教えて頂けると嬉しいです。

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
おしらせ
 ◆ セミナー情報 

New!

《コミュニケーション講座》
 〜人を育てる指導力〜

【日時】 
  2019年6月16日(日)
   10:00〜16:30


【場所】 
  北とぴあ 601会議室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《瞑想講座》

【日時】 
  2019年6月22日(土)

  午後の部 13:30〜16:30
  夜間の部 18:00〜21:00

【場所】 
  北とぴあ 第2和室

   JR王子駅より2分
   南北線王子駅直結

詳細はこちら>>


《怒りの取り扱いマニュアル》
 〜期待の手放し方と
  ゆるしの技法〜


【日時】 
  2019年7月6日(土)
     7月7日(日)
   10:00〜18:30


【場所】 
  滝野川会館

   JR上中里駅より7分
   JR駒込駅より10分
   南北線西ヶ原駅より7分

詳細はこちら>>
次回未定


 ◆ 過去の講座 

《新カウンセリング講座》
 〜まとめと実践〜


当時の内容はこちら>>


《勉強会》 

【テーマ】 変化の流れを考える

当時の内容はこちら>>
次回は未定



 ◆ お問い合わせ 
  技術向上、
  コンサルティング、
  スーパーバイズ、
  執筆・講演…

  諸々のお問い合わせはこちらへ>>



ホームページ
バナー1


プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
Archives
最近のコメント
QRコード
QRコード