2009年07月15日

「分からない」≠「間違っている」

僕はずっと理系で勉強をしてきました。
大学から生物化学系の研究をして、研究職として仕事をするようになりました。

今、心理やコミュニケーションといったセミナーをしたり、
カウンセリングなどをするようになって、よく言われることがあります。

たぶん、一番多いような気がするのは
「なんで理系だったのにコミュニケーションなんですか?」
という質問でしょうか。

その前提には「理系はコミュニケーションが苦手」または
「理系はコミュニケーションや人の心には無関心」のような意味合いがあるようです。

それ以外に言われるのは
「理系だから理論的」とか「科学で説明できないことは認めないんでしょ?」とか
そういった理系に対するイメージの内容でしょうか。

理系の人にも色々とあるとは思いますが、
僕の考えるサイエンスのスタンスには
 「世の中を最も上手く説明できる理論を考える」
という部分があります。

科学が正しいというのではなく、
今の理論で最も世の中を上手く説明できることを「科学」と呼ぶ。
そんなニュアンスでしょうか。

実際、科学のほとんどは仮説です。
風邪薬が症状に効く理由だって分かっていないことが多い。
飛行機が飛ぶときの揚力だって、仮説の域を出ないんです。

だからといって、風邪薬なんてありえないとか、
飛ぶ理由も分からないのに飛行機に乗れないとか、
そんな考えを持つことはありません。

科学の説明の仕方は、幅広い様々な情報と照らし合わせても
矛盾がないように検討されています。

他にも可能性はあるけれど、1つの仮説としては
最も上手く色々なことを矛盾なく説明できる。
それが「多分、正しい」だろうと考えるだけなんです。

僕の考え方の中には「その説明の仕方が一番的確だろうか」という発想があるわけです。
それは用心深さでもあるし、可能性を狭めないための心がけでもあると思います。

だからこそ、分からないことは分からないと言い切れるし、
分からないなりに「こういう風な仮説で説明すると上手く辻褄が合う」という具合に
自分の頭で考えてみようとするのでしょう。

その仮説も、説明しきれない別の事例が出てくれば抵抗なく変えられますし、
常に最も上手く説明できる仮説をアップデートしているようなところもあります。


科学で言われないような、一般的には信じられないような、
不思議な出来事があったとき、それを認めないタイプの人間ではないつもりです。

ただ、適当な説明をして分かった気になるのが嫌いなんです。
分からないなら、分からないと言えばいい。
「理由は分からないけれど、そういう風になるんです」という説明でも
全く問題はないはずだと僕は思います。

それを科学とは全く別の理論体系で説明をされても、
その説明の仕方の説得力を検証する手立てがないんです。

例えば、写真に何かの影が写り込んでいたとして、
それを心霊写真だと説明するのは簡単です。
その写真に対して霊の世界の理論で説明を加えることもできるでしょう。

ただ、他の可能性だってあるかもしれないはずなんです。
その写真をとった周りの状況。
カメラや写真の性質。
その写真を撮ったカメラの状態。
色々なところに理由は考えられるんです。

仮説は信憑性とともに評価されるべきだと思います。

その写真を撮ったカメラのレンズが汚れていただけかもしれないし、
たまたま、その写真を撮ったときに偶然、カメラの前を虫が飛んだのかもしれません。
その仮説の可能性がどれくらいあるかを考える必要があると思うわけです。

色々な仮説を考えてみても説得力のある説明ができないということになれば、
「それは不思議ですね」という感想になるんです。

幽霊なんていないんだ、と言っているわけではありません。
幽霊だと説明した瞬間に、他の可能性を捨ててしまっていることに反発があるんです。

幽霊だと決めつけたら、本当は幽霊じゃなかったものまで
勝手に幽霊扱いされて正しく検証されなくなってしまうかもしれません。

新種の生物が偶然、写真に写り込んでいたのに、幽霊として片付けられてしまったら、
その新種の生物を発見するチャンスもなくなって残念なことになってしまうし、
本物の幽霊に対しても失礼なことでしょう。

分かったような説明をしてしまうと、詳しく誠実に向き合えなくなる気がします。


ユングは体験を通じて、「人の心が繋がっている」とか
「無意識には世界中で共通している部分がありそうだ」とか、
そういった実感を持ったんだろうと思います。

僕も実感レベルとして、人が自然と思い至りやすい共通した発想や、
人間同士の様々な相互作用があることを意識しています。

僕の実感とユングが同じ対象を示しているかは分かりませんが、
ユングは自分の体験から感じた人間の性質を「普遍的無意識(集合無意識)」と
読んで説明してみたのでしょう。

それはユングの仮説です。
残念なことに説は理論となった瞬間に、その内容が一般化されてしまいます。

ユングが感じていた心同士の繋がっている感覚とは全然違う出来事まで
「集合無意識で繋がっている」という説明の仕方は表現できてしまいます。

一度「集合無意識」というものを想像して、それを理論のように考えてしまうと、
その後は「集合無意識」を前提にして、それを理由に別の発想が進んでしまいます。

ユングが言いたかったこととは違う部分、
もしかすると「それは別に心が繋がっているからではないだろう」と
反論されてしまうような出来事も「集合無意識」の理論は
それっぽく説明してしまうかもしれないわけです。

最近、良く耳にすることに関して言えば、シンクロニシティも同様です。

人の心が相互作用していることは僕の実感として感じられるものです。
不思議なほど、共鳴し合うように同じ発想に辿り着くことはあるようです。

ただ、そうしたこととは全くの別物として、
自分が関心を持っていることだけが目について意識されやすくなる、
という性質も無視してはいけないと思います。

僕は最近、書道への関心が高まっていますから、
街中で見かける筆文字に敏感になっているところがあります。
電車のドアの広告に「水虫に殺菌力」という文字があったのに気づきましたが、
これは僕が書道を始めたこととシンクロして作られた広告ではないでしょう。

僕が書道への興味を高める前から、その広告は貼られていたかもしれません。
ただ、興味がないから気づかなかっただけで。

自分が関心を持ったことは目につくようになるものです。
「自分が興味のあることばかりが周りに起こるようになった。
 シンクロニシティですね。」
という発想は必ずしも的確とは言えないと思うんです。

むしろ、安易にシンクロニシティというものを分かったつもりになってしまうことで、
人間同士が共鳴し合うような感覚的な体験を実感できなくなる可能性もあるでしょう。

仮に、たまたま誰か知り合いが、自分が欲しかったものをくれたとする。
「欲しかったものが偶然に手に入った」と考えれば
シンクロニシティに思えるのかもしれません。

でも、もしかしたら相手は、普段から自分のことを良く見ていてくれて
「こういうのだったら喜んでくれるかな」と想像して
一生懸命にプレゼントを選んでくれた可能性だってあるんです。

「自分のことを良く分かってくれていた、興味を持ってくれていた」と考えれば
それはシンクロニシティではなく、感謝の対象になるはずなんです。

分かったつもりになって、そのことで何でも説明してしまう癖をつけてしまうと
本当に大事なことを感じ取れるチャンスさえも当然のことのように
アッサリと流してしまうかもしれません。

それは勿体ないと思います。

分からないから知ろうとして、誠実に向き合えるようになる。
僕は、そのスタンスを大切な事として考えています。

cozyharada at 23:14│Comments(0)TrackBack(0)clip!NLP | 全般

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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