2009年09月06日
生きているうちに
しばらく前になりますが、曹洞宗の開祖・道元を主人公にした映画のDVDを見ました。
「禅」というタイトル。
僕の親戚には出雲で曹洞宗の住職をしている人がいますから
実家で法事をするときは曹洞宗になります。
だからというわけではないんですが、興味を持って見てみたんです。
その映画の冒頭、道元の幼少期のシーンで、幼い道元が母親に対して
「死んでから極楽浄土に行ったって仕方がない、
浄土はこの世にあるべきだ」
というようなセリフがありました。
それに対して母は「息子と過ごせる今この時間が浄土だ」と語りかけるんです。
しみじみ納得できる一場面。
死後の世界のことは分かりようがありませんが、
人間の「自己」に対する感覚は、あきらかにホメオスタシスの及ぶ範囲として
自分自身の身体をベースに生み出されているはずですから、
身体機能が停止した「生物的な死」の状態の後に
「自分」という範囲を認識できる主体がいるのかどうかは個人的に疑問が残ります。
身体という境界がなくなる状態は、文字通りの一体感を感じられて
一切の不安を感じることのない世界と言うこともできるかもしれません。
ある意味で、それは極楽浄土なのでしょうか。
自分という存在が、身体によって外部環境と区別されることから自覚されると考えると、
自己の感覚は他者との区別や境界によって生み出されると言えそうです。
自分とは、他者がいるからこそ感じられる存在だということです。
他者が存在しなければ、自分という発想もまた生まれてこないわけです。
人は、とかく自分の存在に対して意識を向け、
その存在を守ることにエネルギーを使っているものですが、
自分の存在を脅かすものとして捉えている他者こそが
自分自身を存在させてくれているというのは不思議な感じがします。
自分を自分として意識できて、他者を他者として捉えられるのが、
生きている間だけのことだとすると、他者との関わりの中で成し遂げられるものは、
自分が生きている間にしかできないことだと考えられます。
それは「他人のために」とか「役に立ちたい」とか「貢献したい」とか
そういった他人に主眼を置いたものとは少しニュアンスが違う気がします。
自分の存在を与えてくれている他者に対する感謝の気持ちから生み出される
自分自身の気持ちとして成し遂げたいことのように思います。
「感謝したいから感謝する」というような、自分本位の行動じゃないかと思います。
自分が生きている間に他者との関わりの中でやっていきたい気持ち。
それが意志と呼ばれるものじゃないでしょうか。
「禅」というタイトル。
僕の親戚には出雲で曹洞宗の住職をしている人がいますから
実家で法事をするときは曹洞宗になります。
だからというわけではないんですが、興味を持って見てみたんです。
その映画の冒頭、道元の幼少期のシーンで、幼い道元が母親に対して
「死んでから極楽浄土に行ったって仕方がない、
浄土はこの世にあるべきだ」
というようなセリフがありました。
それに対して母は「息子と過ごせる今この時間が浄土だ」と語りかけるんです。
しみじみ納得できる一場面。
死後の世界のことは分かりようがありませんが、
人間の「自己」に対する感覚は、あきらかにホメオスタシスの及ぶ範囲として
自分自身の身体をベースに生み出されているはずですから、
身体機能が停止した「生物的な死」の状態の後に
「自分」という範囲を認識できる主体がいるのかどうかは個人的に疑問が残ります。
身体という境界がなくなる状態は、文字通りの一体感を感じられて
一切の不安を感じることのない世界と言うこともできるかもしれません。
ある意味で、それは極楽浄土なのでしょうか。
自分という存在が、身体によって外部環境と区別されることから自覚されると考えると、
自己の感覚は他者との区別や境界によって生み出されると言えそうです。
自分とは、他者がいるからこそ感じられる存在だということです。
他者が存在しなければ、自分という発想もまた生まれてこないわけです。
人は、とかく自分の存在に対して意識を向け、
その存在を守ることにエネルギーを使っているものですが、
自分の存在を脅かすものとして捉えている他者こそが
自分自身を存在させてくれているというのは不思議な感じがします。
自分を自分として意識できて、他者を他者として捉えられるのが、
生きている間だけのことだとすると、他者との関わりの中で成し遂げられるものは、
自分が生きている間にしかできないことだと考えられます。
それは「他人のために」とか「役に立ちたい」とか「貢献したい」とか
そういった他人に主眼を置いたものとは少しニュアンスが違う気がします。
自分の存在を与えてくれている他者に対する感謝の気持ちから生み出される
自分自身の気持ちとして成し遂げたいことのように思います。
「感謝したいから感謝する」というような、自分本位の行動じゃないかと思います。
自分が生きている間に他者との関わりの中でやっていきたい気持ち。
それが意志と呼ばれるものじゃないでしょうか。