2010年04月18日
大人の味
こんなのを飲みました。
『大人のキリンレモン』です。
どのあたりが「大人」なのかは、味からでは実感できませんでしたが
炭酸飲料としては普通の範囲に入る味かと思います。
まぁ、そもそも「大人の」ではない、普通の「キリンレモン」の味を
覚えていないので、どこが違うのかを意識するのも難しかった気がします。
ところで、今、「普通の範囲に入る味」という言い回しをしましたが、
僕のボキャブラリーでは「普通の美味しさ」と言い換えても
同じようなニュアンスになります。
とびきり美味しいわけでもなく、かといって「マズイ」わけでもない。
標準的な範囲だと思える味で、でも美味しく楽しめる程度ではある。
そんな位置づけです。
ところが、最近の若者の間では「普通に〜」という副詞の使い方が
随分違った意味になっているという話を聞きました。
「普通に美味しい」と言った場合、
「すごく美味しい」というニュアンスに近いのだとか。
インタビューに答えていた若者は
「世間一般の多くの人が誰でも美味しいと思うだろう、というほど美味しい」
ことを「普通に美味しい」と呼んでいました。
普通の基準が他人の評価にあるようです。
これだけ美味しければ、普通の人は皆、美味しいと言うだろう。
それぐらいに美味しい、ということらしいです。
僕が「普通に美味しい」という言い回しを聞けば、
美味しさの程度が高いものから低いものまであって、
「低い評価ではないが、かといって高い評価でもない」という程度の「普通」に
美味しさを感じられるという捉え方になります。
基準は、あくまでも味そのものの評価にあります。
色々なものの味の評価を思い出しながら主観的に並べて、
その中で評価の程度を比べていく。
その結果、美味しさの程度に対する副詞として
「凄く」でも「とても」でも「かなり」でも「なかなか」でも「まぁまぁ」でもなく
「普通に」という言い回しが選ばれます。
味の評価をしているのは自分の基準になっているわけです。
比較対象は美味しさの程度になるので、味を基準に評価の順位をつけることをして
その評価の程度に合わせて「普通に」というものが選ばれる。
ところが、最近の10代を中心に、その使われ方が違う、と。
どうも評価をする時に、自分だけの基準でしない傾向がありそうに感じます。
自分は「凄く」美味しいと思う、と自分だけの基準で評価をしたがらない。
この味を他の人たちが評価をしたらどうだろうか?
どれくらいの人が美味しいと言うだろうか?
この味を美味しいと言ったら、「それはないだろう」と否定されることはないか?
そうしたことを意識してはいないでしょうが、
意味の前提としてはありそうな気がします。
評価を決めるのが自分一人ではなく、世間一般の評価として判断する傾向があって、
その世間一般と一致して、誰もが「普通に」納得できる評価だろうということで
「普通に」という副詞がつくのではないでしょうか。
「美味しい」という高評価の範囲があって、
その高評価に入れてしまっても変ではない、
つまり「普通に」美味しいと言ってしまっても大丈夫。
…そんな意味があるのかもしれません。
言葉を選ぶときの基準に、他人の意見を参考にしたがる傾向が強まっているとしたら、
単なる言葉の使い方や言い回しの違いの話では片付かない気がします。
集団の中で特殊になることへの不安があるのでしょうか。
「普通に」重要な意味を含んでいると思います。
『大人のキリンレモン』です。
どのあたりが「大人」なのかは、味からでは実感できませんでしたが
炭酸飲料としては普通の範囲に入る味かと思います。
まぁ、そもそも「大人の」ではない、普通の「キリンレモン」の味を
覚えていないので、どこが違うのかを意識するのも難しかった気がします。
ところで、今、「普通の範囲に入る味」という言い回しをしましたが、
僕のボキャブラリーでは「普通の美味しさ」と言い換えても
同じようなニュアンスになります。
とびきり美味しいわけでもなく、かといって「マズイ」わけでもない。
標準的な範囲だと思える味で、でも美味しく楽しめる程度ではある。
そんな位置づけです。
ところが、最近の若者の間では「普通に〜」という副詞の使い方が
随分違った意味になっているという話を聞きました。
「普通に美味しい」と言った場合、
「すごく美味しい」というニュアンスに近いのだとか。
インタビューに答えていた若者は
「世間一般の多くの人が誰でも美味しいと思うだろう、というほど美味しい」
ことを「普通に美味しい」と呼んでいました。
普通の基準が他人の評価にあるようです。
これだけ美味しければ、普通の人は皆、美味しいと言うだろう。
それぐらいに美味しい、ということらしいです。
僕が「普通に美味しい」という言い回しを聞けば、
美味しさの程度が高いものから低いものまであって、
「低い評価ではないが、かといって高い評価でもない」という程度の「普通」に
美味しさを感じられるという捉え方になります。
基準は、あくまでも味そのものの評価にあります。
色々なものの味の評価を思い出しながら主観的に並べて、
その中で評価の程度を比べていく。
その結果、美味しさの程度に対する副詞として
「凄く」でも「とても」でも「かなり」でも「なかなか」でも「まぁまぁ」でもなく
「普通に」という言い回しが選ばれます。
味の評価をしているのは自分の基準になっているわけです。
比較対象は美味しさの程度になるので、味を基準に評価の順位をつけることをして
その評価の程度に合わせて「普通に」というものが選ばれる。
ところが、最近の10代を中心に、その使われ方が違う、と。
どうも評価をする時に、自分だけの基準でしない傾向がありそうに感じます。
自分は「凄く」美味しいと思う、と自分だけの基準で評価をしたがらない。
この味を他の人たちが評価をしたらどうだろうか?
どれくらいの人が美味しいと言うだろうか?
この味を美味しいと言ったら、「それはないだろう」と否定されることはないか?
そうしたことを意識してはいないでしょうが、
意味の前提としてはありそうな気がします。
評価を決めるのが自分一人ではなく、世間一般の評価として判断する傾向があって、
その世間一般と一致して、誰もが「普通に」納得できる評価だろうということで
「普通に」という副詞がつくのではないでしょうか。
「美味しい」という高評価の範囲があって、
その高評価に入れてしまっても変ではない、
つまり「普通に」美味しいと言ってしまっても大丈夫。
…そんな意味があるのかもしれません。
言葉を選ぶときの基準に、他人の意見を参考にしたがる傾向が強まっているとしたら、
単なる言葉の使い方や言い回しの違いの話では片付かない気がします。
集団の中で特殊になることへの不安があるのでしょうか。
「普通に」重要な意味を含んでいると思います。