2010年08月05日
分けると分かる
色々なことを学んでいくと、共通したポイントに気づいてくることがあります。
大事な結論には、違う分野からでも辿り着ける。
山登りに喩えれば、違うルートで頂上を目指すようなものでしょうか。
ただ、気をつけないといけないのは
「同じことを言っている」
という受け取り方です。
もし、何かを学んでいるときに同じことを言っていると感じたとしたら、
そのときには、何も学べていない可能性も含まれます。
もちろん、個別の事例をセットにして学べれば
違う分野の詳しい情報を入手したことにはなるでしょうから、
全く何も学べていないわけではありません。
ただ、最も重要な結論の部分に関しては学んでいない可能性が残ります。
「同じだ」と捉えた瞬間に違う部分を捨てているかもしれないからです。
世の中の学習の仕方には、物事をシンプルに捉えて学ぶという方法があります。
そういう人を周りから見ると、飲み込みが早く、
上手く整理しているように感じられるかもしれません。
ところが実態としては、重要な部分を捨てて、大雑把に理解しているだけ
という可能性も否定できないわけです。
概要を知っているということと、実際の詳細を知っているのでは意味が違います。
詳細というのは、個別の状況に対して対応できるレベルです。
概要は、詳細を一般化したものです。
その一般化されたポイントが、分野を超えて似ていたとしても
どのように一般化されたかというプロセスには違いがあります。
この一般化のプロセスが重要なのは、全ての一般化された法則は
単なる傾向に過ぎないからです。
傾向ということは例外があるわけです。
この例外に対処できるかどうかは、具体的な詳細情報に依存します。
例えば、「世界共通のコミュニケーション・スキルは笑顔だ」
という考え方があったとします。
ある人が、「旅行先で誰とでも仲良くなる」という観点から
「笑顔の重要性」という結論に至ったとしましょう。
別のある人は、「ビジネス場面において商談を優位に進める」という観点から
「笑顔の重要性」に行きついたとします。
どちらの状況においても例外があるはずです。
旅行先なら、深刻な状況では笑顔よりも大切なメッセージがあるでしょうし、
相手によっては笑顔を好まないこともあるかもしれません。
ただ、そうした例外的なパターンを踏まえたうえでも
一般的に言えば「笑顔が重要だ」と言えそう、ということです。
ビジネスの場面でも、笑顔が効果を発揮する状況と、そうでないときがあるでしょう。
それでも一般的に「笑顔は強みになる」といえば、多くの人が納得すると思います。
ここで、旅行に親しんだ人であれば、笑顔が役立つ場面と役立たない場面を
分けて対応することができるはずです。
ビジネスで活躍する人も、状況に応じて笑顔を使い分けることでしょう。
どちらの人も笑顔の重要性は気づいていますから、
お互いに話し合えば、笑顔の重要性という共通点に気づくと思います。
だからといって、ビジネスで笑顔の重要性を知っている人が
旅行において笑顔のコミュニケーションを効果的に進められるかは分かりません。
一般的な傾向として笑顔が重要だということは知っていても
個別の状況で適切な対処をするための方法は知らないと考えられます。
意味としては「笑顔が重要」という同じメッセージに一般化されていますが
その元になる具体的な情報には違いがあるわけです。
それらは別の情報なんです。
個人によって言葉の持つ意味が違うのと同じことでしょう。
僕の知っている「犬」と、他の人の「犬」は違います。
僕の理解している「自由」と、他の人の言う「自由」も違います。
体験が違うのだから、違って当然なんです。
体験の違いが、一般化された意味の違いになっているんです。
それがミスコミュニケーションの理由になることさえある。
であれば、何かの分野で学び、得られた教訓や教えも、また
その形にまで一般化される元の情報が違うのですから
「同じことを言っている」とは考えにくいはずです。
同じような言い回しを聞いても、それが同じかどうかは分からないということです。
むしろ、似たような教えを聞いたのなら、
それが同じなのかどうかを確認するために、
教えの元となる具体的な知識や経験を共有する必要があります。
そして、自分の知っている教えや教訓、法則と比べて
何と何が対応していて、どこに違いがあるのかを
明確にする作業が求められると思います。
自分の知っていることと、相手の知っていることの違いを埋める作業こそが
新しく学んでいる部分じゃないでしょうか。
一般化された法則を分けて考えられることが
「分かっている」ということじゃないかと思うんです。
「同じような感じ」を意識したときほど、
相手から得られる情報を「分けて」いく。
そして、同じじゃない部分を学ぶ。
「分かっている」ことは学べないわけですから、
学びたいのであれば、「分かっている」ことと「分かっていない」ことに「分ける」。
それが他人の教えを「分かる」ための1つの方法じゃないかと思います。
大事な結論には、違う分野からでも辿り着ける。
山登りに喩えれば、違うルートで頂上を目指すようなものでしょうか。
ただ、気をつけないといけないのは
「同じことを言っている」
という受け取り方です。
もし、何かを学んでいるときに同じことを言っていると感じたとしたら、
そのときには、何も学べていない可能性も含まれます。
もちろん、個別の事例をセットにして学べれば
違う分野の詳しい情報を入手したことにはなるでしょうから、
全く何も学べていないわけではありません。
ただ、最も重要な結論の部分に関しては学んでいない可能性が残ります。
「同じだ」と捉えた瞬間に違う部分を捨てているかもしれないからです。
世の中の学習の仕方には、物事をシンプルに捉えて学ぶという方法があります。
そういう人を周りから見ると、飲み込みが早く、
上手く整理しているように感じられるかもしれません。
ところが実態としては、重要な部分を捨てて、大雑把に理解しているだけ
という可能性も否定できないわけです。
概要を知っているということと、実際の詳細を知っているのでは意味が違います。
詳細というのは、個別の状況に対して対応できるレベルです。
概要は、詳細を一般化したものです。
その一般化されたポイントが、分野を超えて似ていたとしても
どのように一般化されたかというプロセスには違いがあります。
この一般化のプロセスが重要なのは、全ての一般化された法則は
単なる傾向に過ぎないからです。
傾向ということは例外があるわけです。
この例外に対処できるかどうかは、具体的な詳細情報に依存します。
例えば、「世界共通のコミュニケーション・スキルは笑顔だ」
という考え方があったとします。
ある人が、「旅行先で誰とでも仲良くなる」という観点から
「笑顔の重要性」という結論に至ったとしましょう。
別のある人は、「ビジネス場面において商談を優位に進める」という観点から
「笑顔の重要性」に行きついたとします。
どちらの状況においても例外があるはずです。
旅行先なら、深刻な状況では笑顔よりも大切なメッセージがあるでしょうし、
相手によっては笑顔を好まないこともあるかもしれません。
ただ、そうした例外的なパターンを踏まえたうえでも
一般的に言えば「笑顔が重要だ」と言えそう、ということです。
ビジネスの場面でも、笑顔が効果を発揮する状況と、そうでないときがあるでしょう。
それでも一般的に「笑顔は強みになる」といえば、多くの人が納得すると思います。
ここで、旅行に親しんだ人であれば、笑顔が役立つ場面と役立たない場面を
分けて対応することができるはずです。
ビジネスで活躍する人も、状況に応じて笑顔を使い分けることでしょう。
どちらの人も笑顔の重要性は気づいていますから、
お互いに話し合えば、笑顔の重要性という共通点に気づくと思います。
だからといって、ビジネスで笑顔の重要性を知っている人が
旅行において笑顔のコミュニケーションを効果的に進められるかは分かりません。
一般的な傾向として笑顔が重要だということは知っていても
個別の状況で適切な対処をするための方法は知らないと考えられます。
意味としては「笑顔が重要」という同じメッセージに一般化されていますが
その元になる具体的な情報には違いがあるわけです。
それらは別の情報なんです。
個人によって言葉の持つ意味が違うのと同じことでしょう。
僕の知っている「犬」と、他の人の「犬」は違います。
僕の理解している「自由」と、他の人の言う「自由」も違います。
体験が違うのだから、違って当然なんです。
体験の違いが、一般化された意味の違いになっているんです。
それがミスコミュニケーションの理由になることさえある。
であれば、何かの分野で学び、得られた教訓や教えも、また
その形にまで一般化される元の情報が違うのですから
「同じことを言っている」とは考えにくいはずです。
同じような言い回しを聞いても、それが同じかどうかは分からないということです。
むしろ、似たような教えを聞いたのなら、
それが同じなのかどうかを確認するために、
教えの元となる具体的な知識や経験を共有する必要があります。
そして、自分の知っている教えや教訓、法則と比べて
何と何が対応していて、どこに違いがあるのかを
明確にする作業が求められると思います。
自分の知っていることと、相手の知っていることの違いを埋める作業こそが
新しく学んでいる部分じゃないでしょうか。
一般化された法則を分けて考えられることが
「分かっている」ということじゃないかと思うんです。
「同じような感じ」を意識したときほど、
相手から得られる情報を「分けて」いく。
そして、同じじゃない部分を学ぶ。
「分かっている」ことは学べないわけですから、
学びたいのであれば、「分かっている」ことと「分かっていない」ことに「分ける」。
それが他人の教えを「分かる」ための1つの方法じゃないかと思います。