2010年08月15日
文章の見やすさ
外国語を勉強するというのは、日本語のことを客観的に見られて興味深いものですね。
日本語の1つの特徴として、「漢字、カタカナ、ひらがな」と
複数の文字を使い分けるということが挙げられます。
英語のアルファベットは26文字ですから、
全ての単語を26文字の組み合わせで表現する仕組みです。
日本語の場合は、ひらがなでも50文字弱、
いろは歌に沿った文字(旧字含む)と48文字で
アルファベットの約2倍の文字があります。
それに膨大な量の漢字が使われるので、
日本語を母国語としない人からすると非常に複雑に思えるかもしれません。
ところが、この漢字や仮名の組み合わせで書かれる文章は
その見た目が特徴的で、『かたまり』としての長さが短いので、
一目見た瞬間に視野に入る情報量を多くできるメリットがあります。
僕のような日本語を母国語とする立場からすると
英語の文章というのは、似たような見た目の単語が並んでいて
一目見た瞬間に捉えられる範囲が小さいように感じます。
極端な言い方をすれば、全部ひらがなで書かれた日本語の文章を読むような印象。
当然、全部が仮名で書かれていたら単語の区切りが分かりにくいので、
英語のようにスペースを空けながら文章を書くのでしょうが。
たった26文字の並び方だけで複雑に意味が変わる単語が並んでいる。
パッと見た印象として似たような字面に見えてしまうわけです。
単語として決められている文字の並びの特徴を捉えて、
その形態的特徴から単語の意味を引き出すという認知のプロセスは
なかなか大変なものに思えます。
使われる文字が同じですから、どうしても
似たような見た目の形をした単語が出来てしまうようなんです。
そこでは、文脈から関係しそうな単語を予測する作業が重要になるはずです。
似たような文字の羅列からなる単語でも、この場面では出ないはずだという認知が
適切な単語の認知を可能にしているんでしょう。
ですから、相当な慣れが無いと、単語を速やかに正確に捉えるのは難しいと思うんです。
まして、その文字が手書きだったりすると、識別は相当な労力になる。
タイプライターが発達した理由も分かる気がします。
文字数が少ないからタイプがしやすく、同時に形の識別が難しいんじゃないでしょうか。
一方、日本語の場合、文字のバリエーションが多いので、
その形の特徴さえ覚えてしまえれば、識別はしやすいと想像できます。
それはひらがなだけのぶんしょうをよむよりも、
ひらがなと漢字が使い分けられている文章を読むほうが、
読みやすく思える部分で実感できるでしょう。
英語は少ない文字の組み合わせで文章が作られるため
区別しなければいけない文字の形は少ないものの、
その並び方のパターンを捉える必要があって、そこに慣れが求められる。
日本語は膨大な文字の組み合わせで文章が作られるため
区別できる必要のある形を沢山インプットする必要があるものの、
形で単語を捉えやすく、文章を捉える作業がやりやすい。
そんな違いがあるんじゃないかと考察しています。
そもそも、人間の視覚は形のパターン抽出に秀でているようですが、
それは視覚情報の処理の速さとも関係していると考えられます。
一瞬目にすれば、何を見たかが分かる。
自然界で危険なものを区別するには、重要な能力でしょう。
パッと目に入った危険な動物を認知できるかどうかは生存に影響します。
一方、聴覚では、短い音の高さの細かな違いを識別するのは難しいようですが、
逆に、時間的な長さを伴った音の並び方のパターンは区別しやすいようです。
メロディとかリズムというのを感じやすい、と。
楽譜を見てメロディのパターンや、音楽としての雰囲気を感じられるためには
相当な慣れが必要なはずですが、どんな素人でも
実際に演奏されたメロディであれば、そのパターンの特徴に気づけます。
意味を感じやすくなるわけです。
多分、英語という言語は、音楽に近い雰囲気があると思うんです。
英語の文章を理解する作業は、楽譜を読む感じに近いのかもしれません。
慣れれば当然、読みやすくなるはずですが、ちょっと大変なんじゃないか、と。
もともと文章、つまり書かれる文字は、
話し言葉を記録するためのものだっただろうと推測されます。
英語は、その意味合いが色濃く残っていて
会話という楽曲を、文章という楽譜に残すような作業に近いと思うんです。
英語は、アクセントやイントネーションで伝えるニュアンスも大きいですから
楽譜で使われるようなフォルテとかピアニッシモとか、クレッシェンドとか、
そういったニュアンス表現もあったほうが良いのかもしれません。
それに対して、日本語の書き言葉は、
中国で開発された文字媒体でのコミュニケーション・ツールであった漢字を取り入れ、
話し言葉を書き記すだけの文字とは違った発展をしたんじゃないでしょうか。
実際、話し言葉では滅多に使われない表現方法が、文章で使われたりします。
新幹線の車内液晶画面に流れるニュースなどは、日常言葉とは大きく違う例です。
日本語の文章は、単語は長くても漢字4文字ぐらいなもので、
一般的には3文字以下の単語が多いと思います。
そのため、視覚を使って形としてパターンを捉えることがしやすく
文章として読みやすいと考えられます。
日本語は、文字でのコミュニケーションをしやすくするために
様々な工夫がなされていて、視覚を有効活用しやすいものになっている。
そんな特徴があるような気がします。
この辺の文字の識別の感覚。
バイリンガルの人に聞いてみたいものです。
とりあえず僕は読み慣れる作業を続ける必要がありそうですが…。
日本語の1つの特徴として、「漢字、カタカナ、ひらがな」と
複数の文字を使い分けるということが挙げられます。
英語のアルファベットは26文字ですから、
全ての単語を26文字の組み合わせで表現する仕組みです。
日本語の場合は、ひらがなでも50文字弱、
いろは歌に沿った文字(旧字含む)と48文字で
アルファベットの約2倍の文字があります。
それに膨大な量の漢字が使われるので、
日本語を母国語としない人からすると非常に複雑に思えるかもしれません。
ところが、この漢字や仮名の組み合わせで書かれる文章は
その見た目が特徴的で、『かたまり』としての長さが短いので、
一目見た瞬間に視野に入る情報量を多くできるメリットがあります。
僕のような日本語を母国語とする立場からすると
英語の文章というのは、似たような見た目の単語が並んでいて
一目見た瞬間に捉えられる範囲が小さいように感じます。
極端な言い方をすれば、全部ひらがなで書かれた日本語の文章を読むような印象。
当然、全部が仮名で書かれていたら単語の区切りが分かりにくいので、
英語のようにスペースを空けながら文章を書くのでしょうが。
たった26文字の並び方だけで複雑に意味が変わる単語が並んでいる。
パッと見た印象として似たような字面に見えてしまうわけです。
単語として決められている文字の並びの特徴を捉えて、
その形態的特徴から単語の意味を引き出すという認知のプロセスは
なかなか大変なものに思えます。
使われる文字が同じですから、どうしても
似たような見た目の形をした単語が出来てしまうようなんです。
そこでは、文脈から関係しそうな単語を予測する作業が重要になるはずです。
似たような文字の羅列からなる単語でも、この場面では出ないはずだという認知が
適切な単語の認知を可能にしているんでしょう。
ですから、相当な慣れが無いと、単語を速やかに正確に捉えるのは難しいと思うんです。
まして、その文字が手書きだったりすると、識別は相当な労力になる。
タイプライターが発達した理由も分かる気がします。
文字数が少ないからタイプがしやすく、同時に形の識別が難しいんじゃないでしょうか。
一方、日本語の場合、文字のバリエーションが多いので、
その形の特徴さえ覚えてしまえれば、識別はしやすいと想像できます。
それはひらがなだけのぶんしょうをよむよりも、
ひらがなと漢字が使い分けられている文章を読むほうが、
読みやすく思える部分で実感できるでしょう。
英語は少ない文字の組み合わせで文章が作られるため
区別しなければいけない文字の形は少ないものの、
その並び方のパターンを捉える必要があって、そこに慣れが求められる。
日本語は膨大な文字の組み合わせで文章が作られるため
区別できる必要のある形を沢山インプットする必要があるものの、
形で単語を捉えやすく、文章を捉える作業がやりやすい。
そんな違いがあるんじゃないかと考察しています。
そもそも、人間の視覚は形のパターン抽出に秀でているようですが、
それは視覚情報の処理の速さとも関係していると考えられます。
一瞬目にすれば、何を見たかが分かる。
自然界で危険なものを区別するには、重要な能力でしょう。
パッと目に入った危険な動物を認知できるかどうかは生存に影響します。
一方、聴覚では、短い音の高さの細かな違いを識別するのは難しいようですが、
逆に、時間的な長さを伴った音の並び方のパターンは区別しやすいようです。
メロディとかリズムというのを感じやすい、と。
楽譜を見てメロディのパターンや、音楽としての雰囲気を感じられるためには
相当な慣れが必要なはずですが、どんな素人でも
実際に演奏されたメロディであれば、そのパターンの特徴に気づけます。
意味を感じやすくなるわけです。
多分、英語という言語は、音楽に近い雰囲気があると思うんです。
英語の文章を理解する作業は、楽譜を読む感じに近いのかもしれません。
慣れれば当然、読みやすくなるはずですが、ちょっと大変なんじゃないか、と。
もともと文章、つまり書かれる文字は、
話し言葉を記録するためのものだっただろうと推測されます。
英語は、その意味合いが色濃く残っていて
会話という楽曲を、文章という楽譜に残すような作業に近いと思うんです。
英語は、アクセントやイントネーションで伝えるニュアンスも大きいですから
楽譜で使われるようなフォルテとかピアニッシモとか、クレッシェンドとか、
そういったニュアンス表現もあったほうが良いのかもしれません。
それに対して、日本語の書き言葉は、
中国で開発された文字媒体でのコミュニケーション・ツールであった漢字を取り入れ、
話し言葉を書き記すだけの文字とは違った発展をしたんじゃないでしょうか。
実際、話し言葉では滅多に使われない表現方法が、文章で使われたりします。
新幹線の車内液晶画面に流れるニュースなどは、日常言葉とは大きく違う例です。
日本語の文章は、単語は長くても漢字4文字ぐらいなもので、
一般的には3文字以下の単語が多いと思います。
そのため、視覚を使って形としてパターンを捉えることがしやすく
文章として読みやすいと考えられます。
日本語は、文字でのコミュニケーションをしやすくするために
様々な工夫がなされていて、視覚を有効活用しやすいものになっている。
そんな特徴があるような気がします。
この辺の文字の識別の感覚。
バイリンガルの人に聞いてみたいものです。
とりあえず僕は読み慣れる作業を続ける必要がありそうですが…。