2010年10月03日

敬意の払い方

科学者には素直な人が多いような気がします。
多くの科学者は、自分の研究分野に敬意を払っている。

「大好きで楽しくって仕方ない」というような人が全てではないでしょうが
どうでも良かったり、面白さを全く感じていない人は少ないと思います。

数学者は難しい問題を考え続けるのが楽しいと聞いたことがあります。
どれだけ考えても分からない問題を一日中ずっと考える。
朝起きると「あぁ、今日もまた、あの難しい問題を考えられる…」と喜びを感じるとか。

何で読んだか忘れましたが、宇宙の研究者と生物の研究者では
「宇宙人は存在するか(地球外に生命は存在するか?)」という質問への
答え方の基本姿勢が大きく違うといいます。

天文学者や宇宙物理学者は、広大な宇宙を研究していますし、
計り知れないほどの、まさに「天文学的な」広さを実感していますから
「これだけ広い宇宙には、人間と近い生き物がいても不思議じゃない」と考えるそうです。

生物学者は、生物の仕組みの絶妙さを実感していますから
「これだけ精密で良くできたものが偶然に他の場所でも生まれるとは考えにくい」と
宇宙人の可能性に対して否定的になるんだそうです。

いずれにせよ、自分の専門分野に対して軽々しくは考えていないと感じられます。
その分野の可能性を信じ、重要性を十分に感じている。

分からないことがあっても、それに対して真摯な態度で関わり
分かろうと努力をするプロセス自体にも価値を感じられる。

そういう敬意があると思います。


同時に、その分野に対して盲信することもない。

ある程度の客観性を持っていて、自分のしていることの価値や
自分の考えている理論の正しさを証明しようとする熱意や意志の強さはあっても
なんの根拠もなく鵜呑みにするほどナイーブではないでしょう。

誰かから習ったからとか、有名な人が言っていたからとか、
そういう理由で、なにも考えずに信じ込むようなこともないものだと思います。

かのアインシュタインは量子力学が発展していく過程に対して
「神はサイコロを振らない」といって否定的なスタンスをとっていたそうですが、
アインシュタインの偉大さには関係なく、科学の研究は進んで行きました。

よく考えて、正しく理解しようという気持ちがあるんだろうと考えられます。
深く理解しようとするからこそ、疑うことができるんじゃないでしょうか。

考えたり疑ったりできるのも関心を持てるからです。
どうでも良いものであれば、考えようとさえしません。

分かったつもりにならずに考え続けられるだけの真剣さもあるような気がするんです。


一方、世の中には、本人にとって専門分野ではない内容であるからか
随分と気軽に考える場合があるようです。

敬意を払わず軽んじているか、よく考えようともせずに盲信しているか。

心理とか自己啓発とか、NLPにおいてもそうですが、
人に関する話になったときに、そのあたりの態度が出てくるように見えます。

脳の話をして説明に説得力を出そうとしているのかもしれませんが、
「脳は〜だ」と、無造作に言い放つような説明を聞くことがあります。

「脳には否定語は理解できない」とか
「脳は空白を嫌う」とか
「質問を投げかけると脳は勝手に答えを探し続ける」とか
「脳には現実と空想の区別がつかない」とか…。

そういう性質をサイエンスとして理論的に話してもらえれば
僕の姿勢も変わるかもしれませんが、
「脳は〜だ」というような言い回しからは、なんだか突き放したような印象を感じます。

自分が考えたり、話したり、まさにそのセリフを言うことができているのも
他でもない自分の脳が働いているおかげだというのに、
そのことを微塵も気にする様子もなく、脳を1つのモノとして
粗末に扱っているような雰囲気を感じてしまうんです。

「脳なんて簡単だ、こうやってやれば人生に役立つように勝手に働いてくれる」
そんな感じの、良いように利用してやろうとでもいうような姿勢が気になるんです。

自分が生きていられているのが脳の活動のおかげであって、
それが生物の長い歴史の中で積み上げられてきた成果である。
置籍な仕組みと巧妙な仕組みがお互いに働きあって、
人間の振る舞いを生み出してくれている。

そのことへの驚きや感謝、敬意といったものが感じられないんです。

それは科学者が研究対象に対して客観的になれることとは違います。

心臓外科医であれば、心臓の仕組みに対して詳しいでしょうし、
客観的な情報として、臓器として、理解しているはずです。
しかし、それを軽んじているようなことはないと思います。

理解しているからこそ、重要性を実感しているからこそ、その巧妙さを知っているからこそ、
いい加減に考えるようなことはなくなる。

その結果、冷静に、真剣に、最大限の努力で
向き合おうとするんじゃないでしょうか。


もちろん、そこにある敬意は憧れや崇拝とも違います。
のめり込んでしまうわけではありません。

偉人や尊敬する人物が残した言葉を座右の銘にするのは効果的でしょう。

ですが、その言葉の意味は正確には理解できません。
人生が違うからです。

好きなことばは、自分が経験してきたものとマッチしたから気にいったと考えられます。

例えば、有名な言葉として、催眠療法家のミルトン・エリクソンが
「無意識を信頼する」と言っていたらしいことを、色々な書籍から知ることができます。

しかし、エリクソンが、どんな意図で、誰に向かって、
どんな状況で言っていたかまでは分からないんです。

もしかすると、その言葉だけを理解しようとすると
エリクソンの言いたかったこととは違う内容を理解してしまうかもしれません。

実際、エリクソンの最後の弟子であったビル・オハンロンは
「無意識を信頼する」とか「無意識は賢い」ということに対して
部分的に否定する結論に至ったそうです。

僕が催眠療法を習った先生も、日本のエリクソン催眠の大家ですが、
「エリクソンは無意識に片寄りすぎだ」と否定的な側面を話していました。

もちろん、二人ともエリクソンを尊敬していることは間違いないでしょう。
エリクソンのやり方を誠実に学んだ方々だと思います。

だからこそ、良く考えて、言葉として残っている内容とは違った結論に辿り着いた。
やみくもに教えに従うのではなく、自ら向き合うからこそ違う意見も出るわけです。


分かったつもりで気軽に扱うのでもなく、
のめり込んで鵜呑みにするのでもなく、
少しでも良く分かろうとして考え続ける姿勢。

見下すことも、崇めたてまつることもなく、
冷静に、客観的に、感謝と尊敬を抱き続ける。

そういう敬意の払い方も大事だと思うんです。

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プロフィール
原田 幸治
理系人材育成コンサルタント。
技術力には定評のあるバイオ系化学・製薬企業にて研究職として基礎研究から開発研究までを担当。理系特有とも言える人間関係の問題に直面して心理とコミュニケーションを学び始め、それを伝えていくことを決意して独立。
コールドリーディング®、NLP(TM)、心理療法、脳科学、サブリミナルテクニック、催眠、コーチング、コミュニケーションへ円環的にアプローチ。
根底にある信念は「追求」。

・米国NLP(TM)協会認定
 NLP(TM)トレーナー。

・コールドリーディングマスター
 講座石井道場 黒帯。
(コールドリーディング®は
有限会社オーピーアソシエイツ
http://www.sublimination.net/
の登録商標となっています)
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